その4
〜Ep41 金緑石より
それはまだ、十代の学生だった頃のこと。
あの屋上で一人、うたた寝をしている一夜を見たことがある。
あの子はいつも隙がなくて、そういう所をあんまり人に見せないのだ。
めずらしいな・・・と思ってその綺麗な寝顔をしばらく眺めていた。
そういえば一夜に初めて会ったとき、こんなに綺麗な男の人がいるんだなぁって思った。
少し経って目を覚ました一夜は、私の顔を見て本当に嬉しそうな顔をした。
『藍・・・いたんだ』
『あ・・・・・・うん、ついさっきね』
そっかぁ。
やっぱり嬉しそうにつぶやいて、少し端っこにつめると
『ここ、来ない?』
と訊いた。
なんでそんな窮屈な所に座んなきゃいけないのよ、いつもの私ならそう言うところだ。
けど、その日は何故か言われるまま、隣に座り込んだ。
一夜はなんにも言わず、私の肩に持たれかかるとまた眠ってしまう。
さらさらで柔らかい、小さな子供みたいにお日様の匂いのする髪。
長い睫毛。透き通るような白い肌。
目を覚ました一夜に、
『いや〜昨日の夜ちょっと遊びすぎちゃって・・・』
と言われたときは、さすがに持っていた分厚い文庫本で思い切り頭をどついたのだけど。
ごめんね。
本当はずっと前からわかってた。
でも・・・どうしていいか分からなかったの。
出会った時の私はまだ幼くて、あなたはもう大人の男の人だった。
ずっとその頃の気持ちを引きずってしまっていたのかもしれない。
やっとわかった、自分の本当の気持ち。
ねえ一夜・・・・・・
本当にこれでよかったの?
『もしも俺がいなくなったらどうする?』
それは1年ほど前だろうか。
見回りの途中、勾陣隊舎に立ち寄ったときのこと。
連日のオンブラ騒動と夜勤でくたくたになっていた私は、裏庭に面した縁側に仰向けに寝転がっていた。それは日常の、よくある風景の一つ。
『何言ってるの!?突然・・・』
いつもと違っていたのは一つだけ。
見上げた一夜の横顔は笑っていなかった。
『別に、どうもしないけど。ちょっと聞いてみたくて』
『・・・どうって・・・言われてもねえ』
困ってしまってまた視線を空に戻す。
『泣く?』
『泣く・・・かもね』
そんなこと、考えたこともなかった。
『いなくなるって・・・具体的にどういう風にいなくなるの?』
うーん・・・とうなる一夜。
『十二神将隊を辞める・・・っていうこと?それとも遠方の国に配置換えになっちゃうってこと?それとも突然姿を消してしまったら・・・ってこと?』
一夜は黙っている。
『それとも死ぬってことなのか・・・・・・それによって反応も違うんじゃない?』
しばらく沈黙が続き。
突然一夜は寝ている私の上に覆いかぶさった。
『・・・可愛くないなぁ、藍は』
どきどきする気持ちを抑えて、努めて平気な声で言う。
『だって、わかんないじゃない・・・・・・一夜はじゃあ、どうするのよ?』
『俺?』
『そ。あなたは私がいなくなったらどうするの?』
少し考え込むような表情になる。
『自分だって即答出来ないじゃない?』
『・・・そうだな』
つぶやいて私の唇にキスすると、にっこり笑って一夜は言った。
『・・・探す、かな』
『探す?』
立ち上がって庭に立つと、こちらに振り返ってもう一度言う。
『藍のこと探すと思う。藍自身のことだけじゃなくて・・・なんていうか、藍の痕跡っていうか、ここに藍がいたんだっていう証拠みたいなものとか・・・』
・・・なんだそりゃ。
『探しちゃうと思うな。徹底的にさ』
『・・・ふうん』
起き上がって着物の皺を伸ばすと、私は低い声で言った。
『それはわかりましたけど・・・古泉隊長?』
何?と笑顔で聞き返す一夜。
『前々から何っ回も申し上げている通り・・・軽率にそういうことなさらないでください』
『そういうことって?』
『・・・おわかりにならないならいいです!次は実力行使に出ますからね、私』
一夜がいなくなったらなんて・・・全然想像もつかなかった。
大裳隊の牢獄の中で初めてちゃんとその問いと向き合った。
金緑石の短剣を私に向けた一夜。
その目は・・・どこか哀しげだった。
答えはまだ・・・はっきり出せないままでいる。
○何してんだ一夜。
『実力行使』っていうのが『不穏』の回のエルボーだったようで。
もっとお互い素直になればよかったのにね。
あの日の朝。
『・・・そうだ』
扉を出て行こうとした一夜は、振り返って私の手をぎゅっと握った。
『何?』
手のひらには鍵が一つ、握らされている。
『俺に何かあったら・・・好きに使っていいからね、俺の部屋』
『好きに・・・って』
『藍の家より俺ん家のほうが騰蛇隊舎からも近いだろ?』
『そりゃ・・・そうだけど』
『休みたくなったらいつでも使ってよ、ね』
にっこり笑うと、一夜は朝霧の中に消えていった。
何かあったら・・・って、何よ?
あの時・・・
どうしてそう、聞けなかったんだろう。
それはダイヤの・・・綺麗な指輪。
傍らに小さな宝石が二つ並んでいる。
サファイアと・・・何だろう?
『・・・おーい、三日月!?』
でも・・・サファイアってことは・・・だ。
息を殺して、左手の薬指にはめてみる。
「・・・ぴったりだ」
『何だ!?どうした!!??』
「あ!!!すみませんなんでもないです!」
どきどきしながら外に出る。
赤っぽく見えていたもう一つの石が、日の光に当たって色を変えた。
・・・間違いない。
アレキサンドライト。
「三日月さん!」
どきっとして振り返ると、騰蛇隊士が立っていた。
しかし・・・
もっと驚いたのは彼のほうだったに違いない。
「ど・・・どうしたんですか!?」
「・・・え?」
その時初めて、頬を流れる涙に気づく。
「えっと・・・どうしよう・・・・・・止まんないや・・・」
「だ・・・大丈夫ですか!?」
「だって・・・反則だよ・・・・・・こんなの」
「何ですって!?」
「もぉ・・・」
石言葉は『秘めた思い』。
天を仰ぐ。
『三日月!?』
無線からは依然、龍介の怪訝そうな声。
「草薙伍長!那智ですけど・・・三日月さん、ちょっと・・・」
『あぁ!?どうしたんだよ一体・・・』
「草薙伍長・・・三日月・・・ゲットしてしまいました」
『・・・何だ???』
左手を空にかざす。
「・・・宝物です」
○人のうちのもの勝手に盗ったら泥棒…とか言わないであげてください。
サファイアは『青玉』、五玉における藍ちゃんの石です。
アレキサンドライトはタイトル通り『金緑石』、一夜の石です。
『閑話休題』で一夜が剣護に落ち着こうかな…と言った直後に作ったもの。
この辺の藍ちゃんは痛々しい。
静まり返った隊舎の奥。
隊長の椅子の更に奥。
刀掛けに置かれた、三本の刀。
大きく深呼吸をして、その一本を手に取る。
「ちょっとだけ・・・借りるね」
つぶやいて、表に走り出る。
「来い!!!オンブラ!!!」
「三日月!それ・・・『大通連』か!?」
龍介の声に頷いて、鞘から刀を抜く。
よく手入れされた美しい刀身が、きらっと光る。
その瞬間。
周囲の気流が変わり、一気に『大通連』の刀身に強い圧力がかかる。
「うっ・・・!!!」
重みに腕が震える。
「無理だ!三日月!!!『大通連』はそう容易には・・・」
「でも・・・これしかないでしょう!?」
「けどなぁ・・・お前!下手すると腕抜けるぞ!?」
吹き飛ばされそうになりながら、つぶやく。
「ねえ・・・あなた・・・・・・いい子だから言う事聞きなさい!!!」
『大通連』が白く光る。
ずん、と更に圧力がかかり。
ドーン!!!というものすごい音を立てて、立っていた地面を深く抉り取る。
・・・暴発!?
「三日月!?」
「こらぁ真面目にやりなさい!!!」
怒鳴ってみたものの・・・・・・状況は変わらない。
落ち着け・・・落ち着くんだ、藍。
大きく深呼吸をして、目を閉じる。
このところいつも心に問いかける、呪文のような言葉。
『一夜は・・・どうしてたっけ?』
こんなとき・・・一夜ならどうする?
『いやぁ・・・すごい威力じゃないか。見事見事!』
明るい笑い声が聞こえたような気がして、はっと目を開く。
そうだ。
あの子はこんなとき・・・まず、笑う。
にっ、と笑顔を作ってつぶやく。
「さぁ・・・仲良くやりましょ」
すっ、と『大通連』を蛙に向ける。
「あなたの力・・・あいつに見せつけちゃってよ」
一夜はいつも片手でその刀を構えていたが。
『腕が抜ける』という龍介の言葉がひっかかったので、左手も軽く沿えて構える。
大きく深呼吸。
そして、落ち着いた声で唱えた。
『巴』
切っ先から放たれた風圧に蛙の頭が吹き飛んだ。
と、同時に。
私の体も後方に吹っ飛ばされて再度隊舎の壁に背中を打ち付ける。
「いったぁ・・・」
背中をさすりながら状況を確認する。
蛙は地面に溶けていくように消え、そこには剣護と杏の姿だけが残った。
駆け寄った龍介がこちらに笑顔で叫ぶ。
「大丈夫だ!!!ちゃんと息してる!!!」
「・・・よかったぁ」
がくっと、体の力が抜ける。
「三日月さん!大丈夫ですか!?」
勾陣隊士が呼ぶ声の中、指輪をじっと見つめる。
見ててね一夜。
私・・・頑張るから。
○で、その時一方では。
〜金緑石の裏話より
誰もいない木陰のベンチで本を開いていると、風が吹いてページがぱらぱら・・・とめくれた。
読むと言ったはいいが・・・慣れないことをしていてもなかなか進まない。
結局部屋に閉じこもってても辛くなって、こうやって外に出てしまうのだった。
大きく腕を上に伸ばして伸びをしたところで、はっと目の前の女性と目が合った。
「あ・・・」
「こんにちは!」
にっこり笑ったのはこないだの・・・
「花蓮さん・・・でしたっけ?」
「当たりー。何、読書とかするんだ?」
隣に座る彼女。
この横顔・・・どこかで・・・
その時、ページの間からぱらっと一枚の紙が落ちた。
“早く良くなってくださいね”
あいつ・・・
あら、とつぶやいてその紙を拾い上げて彼女が言う。
「これ・・・舞ちゃんの字じゃない」
「“舞”・・・って。藍を知ってるんですか?」
「知ってるも何も・・・あの子産んだの私だもん」
・・・そうか。
それで誰かに似てるって思ったんだ。
「大丈夫大丈夫、あの子には何も言ってないから」
楽しそうに笑う。
「夏月と同じ病気なの?」
「・・・そうらしいですね」
けど治るらしいですよ、と言うと、彼女はすごく嬉しそうな顔をした。
「そうなんだ!!!良かったー」
「・・・ありがとうございます」
「あの子のためにも良かったわ」
え?
ちょっと真面目な顔をする花蓮さん。
「あなたのことがあってからちょっと参っててね・・・心配してたのよ実は」
「でも・・・今はまだ・・・」
「そうね・・・一回復活してからのほうがいいのかもしんない」
「復活・・・っておっしゃいますけど」
その時、ふっと身をよぎる不思議な感覚。
「あ・・・」
「気づいた?」
楽しそうに笑って、花蓮さん。
「『大通連』が動いたわね」
何故わかるんだろう・・・
その様子からすると、誰が手にしたかも・・・多分分かっているのだろう。
しかし・・・その気配。
「まずい・・・暴走する」
つぶやくと、彼女は明るい声で断言する。
「大丈夫よ!あの子なら」
空を見上げて笑う。
「私の・・・自慢の娘なんだもん」
○花蓮さんは愁にしか一夜のことは話さなかったみたいです。
何か事情があるんだろうから…って。大人だなぁ。
〜Ep42 前夜より
寝転がったまま、左手を天井にかざす。
明かりのついていないその部屋の中、指輪の石がきらっと光る。
窓の外は十六夜月。
「雅でいい月だね・・・・・・」
これはいけないことだってわかってたけど・・・
引き出しやタンス、私は物の在りかをほぼ把握してしまっていた。
彼の痕跡を見つけたかったのかもしれない。
伏せられた写真立てを見つけた。
写っていたのは小さい彼と、髪の長い美しい女性。
彼とよく似た綺麗な笑顔のその女性には、消えてしまいそうなはかなさがあった。
そう、彼女は消えてしまったのだ。その綺麗な笑顔のままで・・・
20年くらい前に亡くなった・・・一夜のお母さん。
なんとなく写真の様子がおかしかったので、写真立てから取り出してみた。
思わず息を飲む。
その写真に隠れた、もう一枚の写真。
そこには、17歳の私が写っていた。
卒業式の写真・・・隣には綺麗な笑顔の、20歳の一夜。
「・・・何でこういう・・・・・・乙女みたいなことするかなぁ」
つぶやいて、少し泣いた。
「考えても考えても・・・答えなんて出ないよ」
指輪に向かってつぶやく。
「今私がやらなくちゃいけないことは・・・霞様を助けること」
そう・・・後ろを振り返ることじゃない。
「全て終わって、またここに帰ってきたら・・・・・・答えが見つかるのかな?」
静寂があたりを包む。
「きっと・・・見つかるよね」
微笑んで言う。
「行ってきます・・・一夜」
○切ない藍ちゃんの独白です。
そして最終決戦へ。