表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

84/290

「someone’s pigeon」

頭の良い大人だからこそ、認めたくないものが沢山あるんですよね

「嘘、嘘……そんなことない」

「……あ」


 見なきゃ良かったと思った時にはもう遅かった。


「忘れてないよね? 私は、私は……」

「え、ええと俺は……その……!」

「私は、貴方が居てくれたから……()()()、貴方が話しかけてくれたから!!」

「さ、サーシャ落ち着いて!」

「貴方が勇気づけてくれたから、私は……!!」


 サーシャさんの顔は深い不安と絶望で歪んでいた。


 彼女がコバヤシ・タクローをどう想っていたのか、タクローとどんな時間を過ごしたのか、どんな出会いをしたのか……。


 (小林拓郎)は、何も知らなかった。


「……ごめん」

「……ッ!」

「その時のことを俺は……覚えてない。君のこと……いや、ここにいる皆のことを……」

「コバヤシ……本当に?」

「忘れたとかじゃない……俺は、()()()()()()。今の俺は、俺は……」



 精神状態:『要注意』→『危険』 精神状態に大きな異常アリ。現実逃避寸前。安定剤(エリクシル)の使用を提案。



 別人だって最初から伝えておけば、こうはならなかっただろうか?


 最初からコバヤシ・タクローの真似なんてしようと思わなければ、彼女は()()()()にならなかったのだろうか?


 あの時のフリスさんも、サーシャさんのような顔になっていたんだろうか……?


「正直に言えたじゃないか、コバヤシ君。よかったね、もう()()()()みんなに嘘を吐かずに済むようになったじゃないか」

「……アンタはッ!」

「それにしても、本当に皆には伝えてなかったんだね……ああ、後で言うつもりだったのか! もしそうなら悪いことをしたね……」

「そ、それは……!」

「でも、これで清々しただろ? 君が言いたかったことは僕が代わりに言ってあげたからさ。だからもう気を楽にしていいよ……」


 レックスさんは俺の顔を見つめながら、小さく笑ってこう言った。


「意識していない相手から向けられる好意ほど、重苦しいものはないからね。そうだろう? ()()()()()??」


 そして俺の右手を握りしめていた小さな手が、静かに離れていった。


『落ち着いてください。しっかりと息を吸って。貴方はコバヤシ・タクロー。貴方は間違いなくコバヤシ・タクローです。貴方は……』


 頭に響いている筈のアミダ様の声も、俺にはもう届いていない。



 精神状態:『危険』→『限界』……限界値。精神状態に多大な異常アリ。現実逃避開始。安定剤(エリクシル)の即時使用を要求。



 ◇◇◇◇



「……出ていってから暫く経つが、レックスは何をしているんだ?」


 レックスが退室してから10分が経過した。


 彼は惚けた態度が目立つものの伝書鳩(ピジョン)としての能力は他国のライバルと比較しても優秀であり、情報統合伝達官としての役職に誇りを持って取り組んでいる。故に今日のように重要な話し合いの最中に退席するのは、普段の彼からは想像できないものだった。


「トイレじゃないのか? 紅茶の飲み過ぎで腹でも下したんだろう」

「あいつがか? 血液が全て紅茶に置き換わってるような男が、紅茶で腹を下す訳がないだろう」

「……」


 七条は部屋を出る時のレックスの表情が気がかりになっていた。


 その顔はまるで、友達に悪戯話を持ちかけようとする子供のような、まるで誰かの秘密を聞いてほくそ笑む口軽い天の邪鬼のような……


「……!」


 七条は気付いてしまった。部屋を出たレックスが、何処に向かったのかを…。


「すみません、私も少し失礼します……!」

「ん? どうした、七条」

「……何だ? いきなり」

「あいつも腹を下したのか?」

「日本人は生ものをよく食べるからな、変なものに当たったのかもしれん」



 部屋を飛び出た七条は真剣な表情でひた走る。


 そして何故、あの時にレックスを部屋から出してしまったのかと自問自答を繰り返した。あの顔を見た瞬間に勘付くべきだった。


「本当に、本当に……! あいつは……っ!!」


 彼女は息を切らしながら終末対抗兵器(OVERPEACE)が集められた部屋に駆け込む。そして少年少女しかいない筈の室内で不自然に佇む黒スーツの男を見て……


「レックス!!」


 七条は思わずその名を叫んだが、既に遅かった。


「やぁ、七条。大事なお話はもう終わったのかい?」


 レックスは振り返り、薄っすらと笑みを浮かべながら言う。彼の顔を見た瞬間、七条は思わず殴りかかってしまいそうになったが……すぐにそれどころではなくなった。


「……」


 俯きながら座り込むコバヤシの姿を前に彼女は何も言えなくなった。


「もしかして、君も皆に伝えに来てくれたのかい? ごめんね、先に僕が伝えてしまったよ」

「……レックス、貴方は」

「ああ、お礼の言葉はいいよ。気持ちだけ受け取って」

「……貴方は!!」


 だが煽るようなレックスの態度に我慢の限界を迎え、七条は彼に掴みかかる。


「どうして!!」

「おっと、乱暴はやめてくれ。急にどうしたんだよ、七条?」

「どうして、彼のことを皆に話したの!?」

「どうして? もしかして言ってほしくなかったのか??」


 レックスの言葉に七条は硬直する。


「おいおい、ここは皆に打ち明けるべきだろう?」


 目を見開く彼女に冷たい視線を向けてレックスは淡々と話しかける。


「 君はコバヤシ君に嘘つきになってほしかったのかい?」

「……違う」

「じゃあ嘘つきとまでは言わないにせよ、皆には隠し通して欲しかったわけだね?」

「……!」

「でもね、七条。それは酷いんじゃないか? 彼にとっても、皆にとっても……」

「今は忘れていても、彼は思い出すわ……絶対に! だから今は」

「だから今は? タクロー君に別人(コバヤシ君)のフリをしていろと??」


 七条は思わず総毛立つ。レックスの言葉の一つ一つが彼女の胸を容赦なく抉り、目眩すら覚えるほどの怒りと嫌悪感に心が飲まれそうになる。


「彼は……コバヤシ君よ」

「でも、彼はそう思っていないかもしれないよ?」

「少し記憶を失っているだけよ、すぐに彼は!」

「七条、彼はコバヤシ君じゃ無くて『コバヤシ君にそっくりな誰かさん』だ」

「!!」

「そんな今の彼に、他人のフリをさせながら君は何をさせたいんだい?」


 バシィン!


 頬を叩く音が、静かな室内に響き渡った。


 七条は無意識の内にレックスをはたき、頬を思い切りはたかれながらもレックスは彼女の瞳から目を逸らさなかった。


「……貴方に、何がわかるのよ」

「わからないよ、僕は君じゃないんだから」


 掴みかかる七条の手を払い除け、レックスは彼女の耳元で囁いた。


「だから、君も少しはタクロー君の気持ちについて考えてあげるべきじゃないかな?」

「!!」

「知らないお友達に囲まれる気分は、果たしてどんなものだったろうね?」


 その言葉を残してレックスは部屋を後にした。


「……」


 残された七条も呆然とする少年少女達に言える言葉も無く、ただコバヤシの姿を見つめながら立ち尽くすしか無かった。


「え、えと……ハーイ、シチジョウ! コバヤシは……」

『お集まり頂いた終末対抗兵器(OVERPEACE)の皆様にお食事のご案内をいたします。A棟1階の大広間にてお食事をご用意いたしました。我が国の名だたる料理人達が仕上げた至極のディナーを用意してお待ちしております。是非お越しください』

「あら、ディナーの用意ができたそうですわ」

「……アメリカ人の料理は口に合わないんだけどね」

「丁度腹も減ってきたし、美味いものでも食べてリフレッシュしようか!」

『繰り返し、ご案内いたします。A棟1階の大広間にてお食事をご用意いたしました』

「あー……ハンバーガー……用意されてるかな?」

「あるんじゃないか?」

「……ハンバーグはあるかもしれないな」


 終末対抗兵器(OVERPEACE)達は足早に部屋を出ていく。


 あれほどコバヤシに積極的だったサーシャも彼に目を向けることもなく部屋を出た。キャサリンも、九龍も、かつてコバヤシと友好的な関係にあった者達は誰も彼に声をかけようとはしなかった。否、かける言葉が見つからなかった。


 彼等もまた、()()()とどう接すればいいのかわからないのだから。


「……コバヤシ君」

「……」


 部屋の中に残った者はコバヤシと七条の二人だけだった。


「……ごめんなさい」

「……何で謝るんですか、サトコさん」

「……」

「……別に、謝ることないですよ。あのレックスって人が言った通りなんだから」

「私は……」

「だから、気にしなくていいです。謝らなきゃいけないのは……俺なんだから……」


 コバヤシは力なく立ち上がり、七条の直ぐ側を横切る。そして部屋を出る前に弱々しい声で言った。


「ごめんなさい、コバヤシ・タクローじゃなくて……ごめんなさい」


 そう言い残してコバヤシは何処かに走り去った。


「……」


 一人部屋に残された七条はふらつきながら壁にもたれ掛かる。


「……あのね、コバヤシ君。私は……」


 レックスが囁いた言葉が彼女の頭の中で反響する。


 どうして気付いてあげられなかったのか。どうして認められなかったのか。今の彼女は込み上げてくる罪悪感で押し潰されそうになっていた。



『だから、()()()がしっかり支えてやらないとな』



 ある日、何処かで高槻が七条に向けてこう言った。


 その時の彼女は、言われなくともと思った。だが、今はどうだろう? 自分は大人として、小林という少年をしっかり支えているだろうか?


「私は……ッ!!」


 少年の言葉に耳を傾けて、ちゃんと聞いてあげただろうか?


「……」


 七条はズルズルとずり落ちながら床にしゃがみ込む。


 今になって彼女は、()()()()()()()()()()に自分自身がなっていた事を思い知らされた。


「……私は、何をしていたのかしらね」


 彼女はコバヤシ・タクローという戦友を想うあまり、小林拓郎という少年を頑なに否定していたのだから。


「ふふふ、嫌になるわ……本当に。ふふ、ふふふふ……」


 一人残された七条は、周りに誰も居ないのを再度確認した後に小さく啜り泣いた。



「someone’s pigeon」-終-


/SATOKO\  三\KOBAYASHI/

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ