「こぼれたミルクは元に戻らない」
譲れないものがある。認められないものもある。
「わ、わかった……じゃあ……」
「よぉーっし! 行くぞ、ロシアのチビ!! 泣きべそかいてねーちゃんとこに帰りな!!!」
「ブリャァーチッ! 泣くのはお前の方だ、脳みそピザソースのデブ!!」
「喧嘩をするのは、この俺を倒してからにしろぉ!!」
>何を言ってんだ俺!?<
「「……ナンデ?」」
仰る通りでございます。自分でも何言ってるのかわかりません。
「喧嘩は良くないんだよぉ! 特に女の子同士の喧嘩はぁ!!」
「えー!? 何よそれ!!」
「女の子は殴り合いの喧嘩しちゃ駄目なんだよぉお!!」
「……女も殴り合いする」
「駄目なんだよぉ! 拳で語り合うのはなぁ……男しかやっちゃ駄目なんだよ! キャットファイト!? そんなもん犬も食わねえんだよぉおおお!!」
おやおや、小林くん。君は一体何を言っているんだい?
自分で何を言っているのかわかっているのかな? わかってないね、もう完全に勢いで言っちゃってるよね!!
「もうコバヤシは黙っててよ! アンタには関係ないじゃないの!!」
「黙らせてみろよぉ! 言っておくが絶対に殴り合いなんてさせないよ!? この小林くんが、君たちを大人しくさせちゃうからなぁ!!」
「……いいよ、じゃあまずはコバヤシから黙らせる」
「上等だ! 来いよ、かかってこい!! ただし、俺を倒せなかったら二人は仲直りの握手な!?」
「え、ちょっと! 勝手に決めないでよ!!」
「一人ずつと言わずに二人同時に来いよ! 2対1でも俺はいいんだぜぇ!!」
「言ったなぁ!? もう知らないからね!!」
【……警告、警告、警告】
はっはっは、どうしよう! 二人共その気にさせちゃったよ!
精神状態:『注意』。一時的な錯乱状態及び興奮状態。安定剤の使用を提案。
でも仕方ないよなぁ、女の子の喧嘩なんて見たくないもんなあ! チクショー、やるしかねぇなあ!!
『貴方の身体能力は全てが一般人平均レベル。二人を相手にするのはあまりに無謀です。すぐに発言の撤回を』
お前は黙って見てろ、アミダ様ァ! 人間の心が理解できない貴様に教えてやる! 覚悟を決めた日本男児の強さをな!!
「おおー、何か凄いことになったな!」
「あの二人と小林か……いや、これは」
「俺は、コバヤシを応援するぞ」
「じゃあ俺もコバヤシを応援しよう」
「あらあら、面白そうですわね」
「……くだらない」
「じゃあコバヤシが勝ったら二人と結婚するんだな!」
男には、決して負けられない戦いがある。決して逃げてはならない大一番がある……
「コ、バ、ヤ、シ!」
「コ、バ、ヤ、シ!!」
「サーシャ! キャサリンッ!!」
「サーシャ!! キャサリンッ!!!」
「サーシャ!!! キャサリンッ!!!!」
「コ、バ、ヤ、シ!!! コ、バ、ヤ、シ!!!」
今がその時だぁ!!
「カーモン、ベイビィ! アメリカァァァンドロシァアアア────ン!!」
『危険です。回避してくd』
ドグシャァ!
ドゴシャア!
アミダ様の声が全て聞こえる前に、俺の視界は二人の拳で埋まった……
◇◇◇◇
時刻は19時。情報統合伝達官 伝書鳩専用室にて。
「……七条、つまりこういうことだな?」
「……」
「今の彼は、記憶を失っていると」
七条は暫く沈黙した後、ガタイの良い角刈りヘアーの男の言葉に頷いた。
「……ええ、そうです。彼は〈終末〉に関する情報と、私たちや終末対抗兵器のことを全て忘れてしまっています」
「ありえるのか? そんな記憶喪失が」
「ありえるんだろうね。あの七条が、コバヤシ君をジョークのネタにするとは思えないし」
「……日本支部の医療施設で検査しましたが、脳に異常は見られませんでした」
「つまり原因は身体的なものではないと言うことだね? 例えば……」
「精神的なストレスとか……?」
「有り得そうだね、日本人はナイーブだし」
この部屋に集まる黒スーツの男女……その全員が 伝書鳩だ。事情があって渡米できなかった者を除き、アメリカ支部に来た者は全員この部屋に集められた。
その理由は日本の終末対抗兵器であるコバヤシに関する重大な報告だ。
「恐らく……今の彼は今までの戦闘経験も全てリセットされています」
「おいおい、大丈夫なのか?」
「まぁ、ここに来れたということは少なくとも日本は守れているようだ。日本の〈終末〉は優しいな」
「……」
「そうだな、でも心配だよ。来週には日本が地図から消えてしまっていないかとね……」
七条は苦虫を噛み潰すような気持ちで耐える。
終末対抗兵器の少年少女達と異なり、伝書鳩はとても友好的な関係を築けているとはいい難い。
「つまり、今のコバヤシは戦力としてはとても頼りに出来ないということだな」
黒髪で長身の男性が呟いた。
彼は中国の伝書鳩であり、日本に対して強いライバル意識を持っている。中国と日本は表面上の和平を結んではいるが、お世辞にも仲が良いとは言えない微妙な関係にあるのだ。仲が悪いとも言い切れないのが面倒くさいところだが。
「……!」
「それは言い過ぎではないかね? 九垓」
「そうでもないさ、ラインハルト。力があるだけで戦い方を知らない蠢材ほど、厄介なものはない」
「……彼は、まだ戦えます」
「だといいな。次の〈終末〉が来るまでに、カラテの稽古でもつけてやれ」
「カラテか、それはいい。強そうだ!」
「七条はカラテの達人だからな。適任じゃないか」
「はははっ」
部屋の中で小さな笑いが湧き上がる。
かつての彼らはコバヤシを高く評価していたが、記憶や経験を失ったというだけで日本の終末対抗兵器は一気に嘲笑の的となった。
「おっと、失礼。少し外の空気を吸ってくるよ」
「……レックス、何処へ?」
「大したことじゃないよ。部屋の空気が悪くなってきたからね、僕は子供を笑う大人は好きじゃないんだよ」
イギリスの伝書鳩であるレックスの一言に部屋の空気は一変する。七条はレックス鋭い目線を向けるが、彼はそれを軽く受け流した。
「大丈夫、すぐに戻るからね」
バタン。
「……」
「相変わらず、気に入らないやつだ」
「イギリス人は本当に空気を悪くする天才だな」
「はっ、君らが言えた義理か。さっきまで何の話題で盛り上がっていたと思っているんだね?」
部屋を出たレックスは軽い足取りで何処かへと向かう。
「ふんふふん、不思議なことも起きるもんだねぇ。この世界は本当に面白いこと尽くしだ」
頭頂部にある特徴的な癖毛は彼の鼻歌に反応しているかのように揺れ動き、唯でさえ実年齢より若く見えるその外見はまるで少年のように若々しく感じられた。
「さて、向こうのみんなはまだ知らないだろうし……ちゃんと教えてやるか。その方が彼のためにもなるからね」
レックスは小さく笑いながら呟いた。
「こぼれたミルクは元に戻らない」-終-
\Саша/c彡☆)KOBAYASHI((Σ⊂\Catherine/




