「言の葉の壁」
言葉の壁はキツイですよね。同じニポン人でも、地域によってマジで大変な事になりますからね。
「ふふふ、ふふふふ」
時刻は深夜。アトリは寝静まったコバヤシの部屋を訪れ、彼の眠るベッドに腰掛けた。
「……ぐかー……」
「今日もあの子と楽しそうにお話してたね、タクロー君」
「……んぐっ」
「羨ましいなぁ、ボクも君ともっと話したいのになぁ」
アトリはコバヤシの寝顔を眺めてくすくすと笑う。
その表情はまるで愛しい恋人に向けるような、手の届かない高嶺の花を見つめているような悲喜交交とした複雑なものであった。
「君はどんな夢を見ているのかな?」
「……」
「君はどんな夢が見たいのかな?」
「……ぐこっ」
「……ボクの夢はね、タクロー君」
アトリはコバヤシの上に跨がり、その寝顔に優しく触れる。髪の色、目の色、そしてその性格も彼女とはまるで異なる。だがコバヤシを見つめるその顔は、不思議な事にあの少女と酷似していた。
「君と────……」
「……ん?」
彼女が何かを言いかけた時、コバヤシはふと目を覚ます。眠気眼の彼はボーッとしながら部屋を見回したが、部屋に異常がない事を察するとまた眠りについた。
「ふふふ、冗談だよ。また君に嫌われるのは嫌だから」
いつの間にか家の外に出ていた白い髪の少女は、コバヤシの部屋がある家の二階部分を見ながら夜の町を歩いていった。
「……しあわせなら、てをたたこう」
そして彼女は歌い出す。皆が寝静まった夜の町で一人きり、月明かりに照らされた夜道を彼女は歌いながら進んでいく。
「しあわせなら、てをたたこう♪」
「しあわせなら、たいどでしめそうよ~♪」
「ほら、ふたりで……ふふふふっ」
白い髪の少女は町中に聳え立つ〈大樹〉に目をやる。木と呼ぶにはあまりにも大きすぎるその巨木は夜の闇の中で白く光りだし、まるで少女の歌に呼応しているかのようだった。
◇◇◇◇
【……起床を確認。体調チェック】
診断結果:『B』……『平常』
「……おはよう、ございます」
「はい、タクロー。おはようございます!」
〈変な夢〉を見て目を覚ました俺は、ニコニコ笑顔のフリスさんの顔を間近で見て硬直した。
「……」
そりゃ固まるよね! 目を開けた途端、ツインテ美少女が頬を染めながら顔を覗き込んでるんですよ!? 下手したら心臓止まっちまうわ!!
そして今日のフリスさんは何と私服! 白いブラウスシャツに黒いリボンタイと白いラインの入った黒地のスカート、そして黒いニーソックスが眩しい私服姿です!
『慣れてください。彼女は貴方のパートナーです』
慣れるか、クソッタレェー!!
「さぁ、起きてお出かけの支度を済ませて下さい。サトコさんがヘリで待っています」
「……え?」
「ふふ、今日は月末です。〈絢爛交歓祭〉の日ですよ」
あ、そういえばそうだったね。
はっはっは、大事な会議がある日だったね! よーし、気合い入れて────
「……今日は欠席してもいい?」
はい、今のが僕の本音でございます。
『……』
ごめんなさい、許して。
でも本当に、本当に嫌な予感しかしないんです、俺の馬鹿なりに研ぎ澄まされた第六感が『やばいから逃げろ』って言ってるんです!!
「ふふふ、駄目です」
精神状態:『平常』→『不良』。
駄目だった! あぁん、フリスさんの意地悪ぅ!
『貴方に会議を欠席する権限はありません』
アミダ様の鬼! 般若! ど畜生!!
「じゃあ、部屋の前で待ってますねー」
「……せめて、朝ごはんを食べる余裕を」
「お父様がお弁当を作ってくれていますよ。ヘリで空港に向かう途中で食べましょう」
クソァ!
どうしよう、会議で何話すかとか考えてないよ! 他の国のオーバー・ピースとどう接したら良いんだよぉ! 昨日は珍しく熟睡できちゃったからさぁ!!
『メモリミテート・ルームの使用を拒否すると何度も訴えられましたので』
うううっ、そうですねぇ! 何度も言えばちゃんと聞いてくれたんですね、ありがとうございます! どうせ寝てもあの部屋で起こされるだろうなと思ってた俺が馬鹿だった!!
『私はどうすれば良かったのですか?』
どうか放っておいてください! 出来ることなら俺を馬鹿と言って存分に罵ってください! いっそ死なせて!!
「……もし、俺が会議で下手こいたら慰めてくれる?」
「はい、お任せ下さい」
「……冗談だよ、そんな嬉しそうな顔で何かを期待しないでおくれ」
「ふふふ、ごめんなさい」
相手は外国の人達ですよね、まず言葉が通じないじゃないですか。
言葉通じない上に相手がどんな人なのか知らないのに『大丈夫、みんないい子たちだから』とか『皆さん、タクローと仲良しですから』とか言われてもどうしようもねーですよ!?
『……再学習する時間は十分に与えられましたが』
うぐぐっ! そうだね、全部俺が悪いね! ゴメンネ! でも、これでわかっただろ!? 俺がコバヤシ君とはまるで違う馬鹿で頼りにならないフツーの高校生だってさ!!
「はい、タクロー。貴方のお着替えです」
「アッハイ」
「私は部屋の外で待ってますから、早く着替えてくださいね」
だが、そんな俺にフリスさんは信頼しきった顔で着替えを渡してくれる。天使のような笑顔で俺に手を振り、そっと部屋の外に出た。
(それなのに……どうしてフリスさんは俺を嫌いになってくれないんだ!?)
俺は心の中でそう叫びながら半泣きで服を着替えた。
精神状態:『不良』→『注意』。安定剤の使用を提案。
◇◇◇◇
「「いってらっしゃーい!!」」
着替えを済ませた俺は親父に弁当と着替えを詰め込んだリュックを手渡され、強引にヘリコプターに乗せられた。
「……」
笑顔で手を振るオヤジとジト目で手を振る明衣子の姿が少しずつ遠ざかっていくのを、俺は何とも言えない気持ちで見つめていた。
「……オヤジ、あの子によろしくなってどういうことだよ」
「お父様もタクローに期待しているんですね」
何をだよ!?
ていうかあの子ってどの子だよ! その辺の説明くらい親ならしてくれや! 明衣子は何か微妙に不機嫌になってるし……一体、向こうで俺は何をやらされるんだよ!!
「と、とりあえず朝ごはん食べようか。フリスさんは?」
「私はもう頂いちゃいましたから、タクローが全部食べていいですよー」
「そっかー……」
弁当の蓋をあけると、ハート型に模られた鮭フレークが乗った白飯が目に飛び込んできた。
(……うわぁ)
おかずには卵焼き、肉団子の照り焼き、チーズちくわ、そしてきゅうりの漬物。うーん、美味そうだな。でもな、オヤジ。ハートはやめろ、ハートは。心臓に悪いと言うか気持ちが悪い。
「ふふふ、素敵なお弁当ですね!」
「ソウデスネー」
「ところでコバヤシ君、リストの子はちゃんと頭に入れてくれた?」
「アッハイ」
顔と名前と個人情報だけはな!!
「でも、情報だけ覚えても仕方ないんじゃないすかねー」
「情報だけでも頭に入れてくれれば十分よ」
「ソウデスカネー」
「念の為、向こうに着くまでに何度でもリストに目を通しておきなさい。もしかすれば何か思い出すかもしれないわ」
「えっ、いやその……思い出すも何も俺は」
「少しでもいいから自分を思い出す努力をしなさい。貴方はコバヤシ君なんだから」
え、もしかしてサトコさんはまだ俺がただの記憶喪失だと思ってるの? 嘘だろ?
「……」
「……?」
いや、もういいや。きっとサトコさんにとってコバヤシ君はそこまで信頼できる存在だったんだ。きっとそうだ……そういうことにしよう。
『貴方はコバヤシ・タクローです』
もういいって、アミダ様!
「どうかしたの?」
「な、何でもないです。ええと……(ゴソゴソ」
「……」
「……あれ?(ゴソゴソゴソゴソ」
「タクロー?」
あ、やべえ。俺の学生鞄にリスト入れっぱなしにしてたわ。ついでにフリスさんに教えてもらった話を書いたメモ帳も鞄の中だわ。
精神状態:『注意』→『要注意』……要注意。安定剤の使用を提案。
「……すみません、あのリスト部屋に忘れちまいました」
「えっ!?」
「……そう」
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい! だからそんな目で見ないで下さい!
沙都子先生似の顔でガッカリされると本当に死にたくなるから! 貴女の顔と声は僕の初恋の人と同じなんですよ!?
「……仕方ないわね、はい。これは私用の物だけど」
サトコさんは鞄から書類を取り出して俺に渡してくれた。
その書類は俺が貰った名前と顔写真だけのリストと違って、一枚ずつオーバー・ピースの全身写真と詳しい情報、そして名前が本人の字で書かれていた。
「言の葉の壁」-終-
\SATOKO/\KOBAYASHI/\Frith/




