「私たちのヒーロー」
もう伝わらないからこそ、言っておきたいことがある
「……見える? フリスちゃん」
「……見えます、私には……」
「……」
「私には、あの人が見えます……!」
フリスと七条は上空で待機する〈終末対策局〉のヘリから彼の戦いを見守っていた。
彼と〈終末〉の体格差は絶望的だ。アリと戦車とでも表現すべきだろうか……常識から考えるならば勝てる見込みなど全くない。彼の拳が届く前に、勝負は決するだろう。
だが彼ならば、その常識を打ち破れる。
彼女が愛するコバヤシならば。
「やっぱり……あの人は、タクローでした……!!」
フリスは涙ながらに言う。
今朝、自分を知らないと言われた時……彼女の世界は色を失った。
文字通り目の前が真っ白になった。彼女は得体の知れない大きな不安を感じながらも、彼の悪戯だと思うように努めた。しかし少し二人で歩いて言葉を交わしただけで、彼女の不安は的中した。幼少期から彼と共に過ごした彼女にはわかったのだ。
あの小林拓郎は、自分の知っているコバヤシ・タクローではない。
それでも彼女は信じたかった。彼がタクローであると。それはある意味では正解だったが、彼を想う彼女にとっては残酷すぎるものだった。
今の彼には、彼女の存在だけが記憶に無いのだから。
「あの人は……ッ!」
「……もういいのよ、フリスちゃん。我慢しなくても……」
「……ッ!!」
だが彼は間違いなくタクローであった。自分の事を覚えていなくても、彼はタクローだ。
あの少年は逃げなかった……彼のように。
口では無理だと叫びながらも、決して〈終末〉に背を向けなかった。例え封印されるとしても、あんなものを相手にすれば普通の少年であれば即座に逃げるだろう。ほんの一瞬だけ生き長らえるだけだったとしても、全てを投げ捨てて逃げる選択肢が少年にはあった。
だが少年は、逃げなかった。
あの少年は選んだのだ、愛する家族や彼女を含めたこの国の人々の為に戦う事を。自分の身よりも大切なものの為に戦う事を選んだのだ。
それが出来る人物こそが、彼女が愛したタクローという男だ。
例えその少年から忘れられようとも、フリスは彼がタクローであるという揺るぎなき確信に安堵した。
「……ううっ」
それでもフリスは膝をつき、静かに泣いてしまった。啜り泣く彼女の側に寄り添って七条は呟いた。
「……酷いわよね、あの子。私たちのこと本当に忘れちゃうんだから……」
「……サトコ、さん……」
「先生……ですって。ふふふ、あの子ったら私のことをサトコさんじゃなくて先生としか呼ばないわ」
「……」
「あのコバヤシ君が見てるのは、私にそっくりな優しい先生なのね」
七条は〈終末〉を圧倒するコバヤシを見つめ、昨日までの彼の事を思い出していた。
「私なんて……知らないって言われましたよ? あの人に『誰?』って……」
「……そうね、フリスちゃんの方が辛いわね。貴女はコバヤシ君のパートナーだもの」
「サトコさんもですよ……?」
「私は、ただのオペレーター。彼との付き合いはそれが〈伝書鳩〉としての任務だからよ」
「……任務ですか」
「そう、私はただの……はッ! いけない!!」
フリスと彼との関係について少し話していた……その時だった。
七条はコバヤシが転倒した〈終末〉に不用意に突撃する姿を見て思わず通信を繋げて警告する。その巨体から繰り出される打撃も脅威だが、あの〈終末〉が持つ最大の武器は……
「駄目、コバヤシ君!! そいつから離れ────」
>パウッ!!<
七条の言葉が届いたと同時に、コバヤシはスワノモリ町を焼き払った〈終末〉の破壊光線に飲み込まれた。
「やられた……ッ! コバヤシ君!!」
その光景を目の当たりにした七条は思わず叫ぶ。彼女の表情には不安に染まり、まさかの事態も頭を過った。
七条サトコとコバヤシの交流は長い。出会う切っ掛けとなった出来事やその関係は小林拓郎と鴻 沙都子とは大きく異なるものの、共に過ごした時間は同じだ。彼女なりにコバヤシの事を案じているのだ。
……だからこそ、彼女は今日のコバヤシを受け入れられなかった。今日の彼は今までの彼とは大きく違っていたのだから。
「……大丈夫です、サトコさん」
「……!?」
「あの人は、負けません」
「でも、今の彼は……!」
「あの人も……私たちのタクローです」
フリスの言葉を聞き、七条は複雑な表情を浮かべる。
「……本当に、貴女は凄いわね。私にはまだ少し……受け入れられないわ」
「……正直に言うと、やっぱり辛いです」
「でしょうね」
「……でも、私はあの人の〈調整者〉ですから」
七条はそれでも彼を受け入れたフリスに、ほんの少しだけ嫉妬を覚えた。
(羨ましいわね……)
その言葉を胸に仕舞い込み、七条はヘリの外に再び視線を戻した。
「だから、わかるんです。あの人は絶対に……負けません」
────彼女達の視線の先、空を穿つ閃光の中心部。そこには〈終末〉が放った光線に包まれながらも突き進む、コバヤシの姿があった。
「だっっっからさぁ……!!」
コバヤシは左手で光線を振り払う。町を焼き払う程の威力を誇った一撃も、彼には通じない。
「効かねえって、言ってんだろうがぁああああああー!!!」
コバヤシは利き腕にありったけの力を注ぎ込む。
キィィィィィィ……ン
全身に漲る力が集中した彼の右腕はその姿を大きく変え、右肘部に新たに発生したロケット・ブースターのような器官からは青白い粒子が勢いよく吹き出す。
「だって、彼はタクロー……」
そしてコバヤシは沢山の大きな目を見開いて驚愕の表情を浮かべる〈終末〉の顔面目掛けて
「私たちの大好きなタクローなんですから!」
彼のパートナーが自分の胸に秘めた沢山の想いを込めた言葉を発したのと同時に……
「歯ぁ食い縛れぇぇぇ! これは……スワノモリ町の皆さんの分だぁぁぁぁああ────!!」
スワノモリ町で育んだ家族との思い出を乗せた 全力の拳 を叩き込んだ────
「私たちのヒーロー」-終-
>Frith<




