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終章

 最終話

 

「おうい」

 葉桜が俺を呼ぶ。

「何?」

「お呼びだ」

 こっちを向いたまま、葉桜は後手で出入り口を指し示す。

 三年生と思しき人物が立っている。

「誰?」

「お前、知らないのか? 霧島永世、工場のドラ息子だよ」

「何で俺に用があるんだろう」

「知るかよ」

 葉桜は霧島先輩が嫌いなようで、忌々しくも吐き捨てた。

「分かった。まあ行って来る」

「よう。新入り」

「新入りですか?」

 開口一番、霧島先輩の言った意味が取れずに俺は困惑した。

「そうだよ。お前、レイケン部員だろう?」

「先輩は?」

「俺も部員なんだよ。幽霊だがなぁ。まあ、来い」

 俺は促されるままに教室を後にした。

 いわれてみれば、レイケンの部員数は新入生歓迎のビラに四人とあった。最初、部室に行った時、又野さんを含めて四名だった。又野さんは一年生だ。数に入っていたはずがない。それに、三年生がいなかったというのも、今、考えるとおかしいともいえる。

 俺は旧校舎――現在は少子化で使用されていない――に誘われた。

 机の散乱する、蜘蛛の巣だらけ、埃まみれの教室に入った。

 霧島先輩は、窓辺に寄りかかり、口を開く。

「なぁ。お前、レイケン辞めてくれないか?」

「なんでですか?」

 意味が解せない。

「最近、木霊が渋るんだよ」

「はい? えっと、カレシですか?」

「そんな所だよ。この前、鬼頭にはいったんだけどよぉ」

 チャラチャラした茶髪を先輩は掻き(むし)った。

 思い出した。

 この人は、この間、楓先輩と体育館裏で話していた人物だ。

 あのときはかなり悪辣な人物に見えたが、今はそんな印象はない。善人には見えないけれど。それに、池田○作だって学会員とメディアの評価は割れている。結局、人の批評は個人のセンス、ということなのか?

 そして、レイケンを辞めろといわれても、俺に辞める理由はない。

 まだ、木霊先輩と親睦具合が足りない。まだまだ、先輩と後輩に過ぎない。

「イヤです」

「どうして?」

 苦々しい視線を俺に寄越す。きっと、今までの人生で思い通りにならなかったことが少ないのだろう。霧島、つまり、霧島重工の大株主で創業の一族、霧島家の御曹司ってことだから。しかし、こんな二流の進学校に通っている時点で、大して頭のデキはよくないのだろう。

 そんな思いが漏れていたのか、先輩は俺をひと睨みした。ヘビのような眼差しを感じた。

「大したことやってないだろうが、あの部活」

「ですけどね……」

 木霊先輩がいるから――といっていいのだろうか?

「はぁ? 木霊ぁ? 沙子がどうしたんだよ?」

 思わず口に出ていたらしい。こうなっては、後には引けない。片道燃料しか積載されていない特攻機に等しく。

 それにしても、沙子だなんて、下の名を呼び捨てにするとは……。それでカレシでないとか、ああ、忌々しい。憎々しい。沸々と怨嗟の念が沸き立つ。無意識に語気が荒がるのを覚える。

「悪いですか?」

「悪いなぁ。確かに、鬼頭にせよ、沙子にせよいい女だからなぁ」

 下卑た笑い。品性がない。時期霧島重工の担い手とはどだい、思えない。

「でも、困るんだよなぁ」

「何がですか?」

「何度もいわせるな。沙子が最近渋るっていってんだろ」

「魅力がないんじゃないですか?」

 自分の言とは思えない、辛辣な言葉が発せられた。

「だから、困るんだよ。沙子が渋る理由なんざ、お前以外に考えれないんだよ。要素としてさぁ」

 それは、木霊先輩が俺に好意があると取っていいのだろうか? 嬉しい話だ。

 先輩は続ける。

「そうなるとさぁ、俺ももうちょっと強力な手段に出ないといけないじゃん?」

 話が読めない。

「はい?」

「ったく。頭悪いなぁ。まあ、いいや、これは忠告だよ。ま、お前がそれでよくても、誰かさんが痛い目みるかもな」

 いって、やに下がった笑みを浮かべる。

「痛い目ですか?」

「そうだよ。そんのとき、後悔するといいさ」

 そう吐き捨てて、先輩は教室を出る。丁度、ドアの框を跨いだ瞬間、チャイムがなった。

 昼休みでないから、休み時間は十五分しかないのだ。

 俺は慌てて、自分の教室へ、戻る。駆け足で。息が上がった。

 

 

 ――

 

 日曜日。日曜日といえば、盛りの付いた青少年なら、カップルでセカイ系な空間を醸造し、周囲の放つ瘴気と腐海にはわき目も振らず、最後にはオームに轢かれて死ねばいいのにと思う。それを、人は羨ましがりという。妬みともいう。呪ってやろうか?

 しかし、人を呪わば穴二つという。残念だが、俺は自分の墓穴以外は掘りたくないのだ。勿論、ケツを掘りたくもない。女人例外。定説です。

 三軒寺駅はそこそこ大きい駅で、駅ナカには商店街もあるし、駅チカも充実している。数分に一本でるバスターミナルは大きく、ロータリーも広い。学校は徒歩通学なので、普段、縁がないのだが、今日は俺の大ファンの漫画家の新刊が出るのだ。中々、マイナーで、昨今の萌えブームと一線を画す絵柄のせいか、それとも、ネタが八十年代臭いからか、小さな近場の書店には売っていないし、かといって、マンガゲーム専門店にもないから困る。ノルマン現象中で、プリンセス・ハオ病に罹らないことを祈るばかりだ。おのずと、大型ブックストアーのお世話になる。

 俺は自動ドアを(くぐ)った。

 最近の本屋はカジュアルだと思う。古本屋はそうではないけれど、雑然さが足りない。ジュンク堂フォローワーどもめ。

 お目当てを見つけに、コミックコーナーへ。 新刊なのに平積みにすらなっていない。悲しい。しかし、世の中にはマイナーだからいいという奇特な人種もいて、俺もそうだ。一冊取ろうと、書架に手を伸ばす。すると、同時に手を伸ばした人物。手が触れた。

「すいません」

「あ」

 又野さんが不思議な顔で俺を見ていた。

 普通なら、ここで偶然にも知り合いが同じ作家のファンだったことに喜ぶべきなのだろうが、俺の注意は又野さんの頬に向った。バカでかいガーゼが貼られていた。又野さんは平均身長より結構低いので、顔も小さく、ガーゼに顔半分包まれているみたいで、おかしい。反面、異常な感じを受けた。

「どうしたの?」

「何が?」

「それ」

 ガーゼを指す。

 又野さんは答えず、俺の注意が逸れた隙に、コミックを棚から取り去った。

「あ」

 今度は俺が「あ」という番だった。

「貰い」

 又野さんはしめしめと謂わんばかりににんまりと笑う。

「ちょ、又野さん」

 マイナー作家なので、二冊も入荷しているはずがない。

「好きなの?」

「うん。そうだよ?」

 ちょっと、おれは憮然(誤用)として返す。

「違う」

 何が違うのだろう?

「え?」

「いい。これ、譲るから、ちょっと付き合って」

 これは急展開だ。

 まさか、告白か。

 いつ、俺はフラグを立てた? 思い出せ。

 あのとき、落とされた記憶と、屋上鍋で「見えろぉ」と井塚先輩と絡まれた覚えしかない。

 心当たり、ないぞ? ってことは、アレか一目惚れ。俺ってイケメンだし。性格も多分いいし。お、モテない方がおかしい気がして来るから不思議。

「はい」

 又野さんは俺にコミックを渡す。

「又野さんは直ぐ出るの?」

 俺は他に用はない。

「ある。それにも付き合ってもらう」

 俺の手を又野さんは引く。高校に入ってから、女の子によく手を引かれている気がする。さっきは、アベックなんてラブオーラの垂れ流しで、世界の不快指数を上げる公害発生源だ、最終処理場へ持っていってから、夢の島で一生、夢現(うつつ)の中で死ね。とかいってごめんなさい。そこまでいってないはずだけどね。

 又野さんは店の奥へ進む。俺が普段、縁のないコーナー。恐らくサブカル。何気に怪しい商品群が並ぶ。装丁からしてオーラが黒い。

 『自白のさせ方』とか『現代の優生学の価値と応用』とか、又野さんが好きそうな書名が背表紙に書かれている。しかし、又野さんはそこで足を留めずに、サブカルコーナーを通り過ぎた。

「あれ?」

「どうしたの?」

 先を行く彼女は振り返る。なんでもないと顔で示す。

「そう」

 そのまま、法律のコーナーに到着した。サブカル以上に縁がないぞ。これは。

 法律とか裁判所とかマジで怖いからね。裁判所通知って書けば、架空振込みも成立するしね。そういえば、親父がクレカの滞納を一年続けて、簡易裁判所に提訴されてたなぁ。あれ、どうなったんだろう。簡易だし、民事にもならないレベルの問題を処理するんだから、きっと大丈夫だよね?

「あれ」

 又野さんが指差す先、『六法全書』。電○文庫のとある作品の最終回が武器になるとか、某RPGでは本が聖職者の武器だとか、色々、そういう分厚い本=武器という言説があるけれど、これは本物だ。確実に人を殺せる。何キロあるんだろう? 本にキロとかいう重量単位を使うのも妙だが。

「今度は法律?」

「訴える」

「はい?」

 真面目な顔でいう。ホンキか? いつも、よくよく、表情と考えが読めない又野さんだ。真意は知れない。

「訴える」

「誰を?」

 ほんと、誰を?

 俺の問いに又野さんは不思議そうな顔で応じる。

「訴えたくないの?」

 話が噛みあってない。

 又野さん的には、俺も一緒に訴えるべき同じ事項があると思っているということだが……。

「何を?」

「え?」

 困惑している。お互いに。

「ならいい」

 いいんだ。付き合えってこのこと? 残念。一応、又野さんは美少女(乱用使用厳禁)だし。これで、用事は済んだと俺は踵を返そうと――。

「待って。運んで」

「え?」

「これ、重いから、運んで」

 荷物持ちですか。

「うん」

 断ったら、また、落とされそうなので、断れない。

 最近の小さな女の子が暴虐ってのは、ブームなのだろうか。髪が赤だったり、ピンクだったりね。まあ、少なくとも、又野さんにツンデレ成分は一ミリもないから、大丈夫。大丈夫。くぎゅウイルスとかないから。

「こっち」

 俺が駅の構内から出ようとすると、又野さんが引きとめた。そうだ、又野さんの最寄り駅は三軒寺ではない。電車賃がぁ。小皇帝マンセーのチャイナと違って、ジャパニーな少年少女の財布は、小銭入れかと思うほど、寂しいのだよ? 小銭しか入ってないから、冷たいんだよ? でも、しょうがないので、付いていく。

 

 又野家は駅から遠く、高台にある瀟洒な造りの邸宅だった。南欧風の建築で、一見してリッチな気配がした。リッチな気配とは、金の匂いである。立地はあまりよくないが。

 又野さんが玄関を潜る。俺がここまで付いていく道理もないので、分厚い某紫髪ツンデレが投げそうな六法全書を渡す。

「ありがとう」

 小さく又野さんはいった。

 奥の方から、歩いてくる人影が見える。黒のスーツにアッシュブロンドですと嘘がつけそうな白髪頭に、柔和な笑みと、癒し系口ひげ。執事に違いない。名前はきっとセバシュチャン。定説です。

「お友達ですか? お嬢様」

 うはOK。としかいいようがない。

「違う」

 さりげなく否定。

「はは。そうですか」

 何か思い違いをしている執事さん。何か、いたたまれないので、そのまま、俺は「さよなら」といい、帰宅した。足が疲れた。棒というより、ポッキーみたいだった。

 

 

 ――

 

 空気が悪い。

 淀み切った空気。

 風の流れが停滞しているという意味においてではなく、雰囲気的な意味で。

 全ての原因は又野さんだった。

 負のオーラを放ちつつ、熱心に読んでいるのはオカルト本やサブカル本、昨日、俺と買った六法全書でもない。しかし、高校生であんなものを買える小遣いってやっぱ、リッチだねと思う。

 真剣で茶々を入れる余地のない眼差し。いつもそうかもしれないが、今回は部室の置物としてではなく、刺々しい気を放出している。さしもの、楓先輩もその異様な空気に気おされてか、口数が少ない。

 井塚先輩はいない。

 柔道部に行っているそうだ。驚くべきことに、彼は柔道部員でもあった。幽霊部員だったらしいが、最近、熱心に通っているそうである。

 俺の木霊先輩はいない。今日も来ないのだろうか? そう思ったとき、引き戸がゆるりと開いた。

 木霊先輩が入ってくる。足取りが重い。そして、彼女は部屋の空気を一層ヘビーにした。このプレッシャー、NTなのかもしれない、とふざけている場合ではない。先輩の腕には痛々しいほどにぐるぐる巻きにされている。包帯が。大怪我をおったのだろうか。骨折か? しかし、ギブスを首を頂点にした三角包帯で吊ってはいない。火傷だろうか?

 その姿に最初に声を出したのは、楓先輩だった。

「ちょっと、それ。どうしたの!」

 声が裏返った。焦っているように見える。確かに、焦る。俺も焦りまくりんぐ。

「なんでもないですよ……」

 なんでもないことはないと思う。

 楓先輩はイスに掛けた木霊先輩の包帯の巻かれた側――右手を強引に取り上げ、包帯を剥し始めた。え、待ってくださいよ!

 俺は止めようとする。しかし、睨み返された。手が止まる。

 木霊先輩もなすがままだった。

 床に解かれた布が落ちた。木霊先輩の二の腕が明らかになる。

 そこには、痛々しい火傷があった。

 これがただの火傷だったなら、心配するだけだっただろう。しかし、ただの火傷ではなかった。この前、冗談でいってしまった、根性焼きの(あと)がいくつもいくつも浮かんでいる。湧き上がったのは、心配心(ごころ)ではなく、憤怒だった。

「「これ!」」

 俺と楓先輩はハモって、叫んだ。

 木霊先輩は右手を楓先輩に取られたまま、俯いた。

「どうしたんで――」

 俺の言葉は遮られた。真摯な顔で、楓先輩は俺を制止させたのだ。

「いつから?」

 坦々としつつも、冷たい氷のような声音で楓先輩は訊く。

 木霊先輩は答えない。

「ねぇ、いつから?」

 再度の難詰。

 答えない。 

 俺もやきもきする。口を出したい。が、出せない。そんな雰囲気だ。俺の知らない何かくすんだ黒い事情を感じる。俺は部外者。

「答えて! 沙子!」

 部屋中に木霊す声量。

「あいつ」

 それに答えたのは又野さんだった。

 楓先輩が又野さんを見る。

「永世なの?」

 静かに又野さんは頷く。

「許さない」

 般若の形相で楓先輩はいう。永世――どこかで聞いた名前だ。

「止めて」

 木霊先輩が今日始めて口を開いた。

「なんで? 分かってて……だから、部室に来たんでしょ?」

「でも、止めて。また……」

 木霊先輩は泪ぐむ。

 誰だ? 木霊先輩に残虐非道、鬼畜、落花狼藉の限りをつくしたのは!

 俺は長机を叩いた!

「誰なんですか!」

 俺の問いにふたりとも目線を逸らした。

「関係ないよ」

「関係なくないです!」

「関わらないでください」

 きつい調子で木霊先輩。

 しかし、こんな事態に直面して、黙ってろ? それはチキンのすることだ。俺はチキンかもしれない。でも、世の中には許せないことがある。俺は中学時代の思い出がフラッシュバックしそうになるのを堪えて、「イヤだ!」と絶叫する。

 わがままなガキを見る目が俺を射抜く。

 いたたまれなさに俺は逃げた。

 誰もいない場所へ行きたかった。

 

 着いた場所は屋上だった。

 晴天の空の下、気持ちを落ち着けようと、フェンスに寄りかかろうと

 塔屋(とうおく)を出る。が、先客がいた。

「よう」

 先客はあの先輩だった。

 直感が囁き、今までの状況から全てが読めた。

 こいつが、霧島永世だ。

 生徒総会で楓先輩に食って掛かってたあいつだ。

 霧島は、タバコをふかしている。何時間もここにいるのか、足元にはシケモクが小さな山を造っている。

 タバコ、そして、根性焼き。

 部活初日、木霊さんがトイレで――そうだ。あの東校舎のトイレのタバコの山。

 木霊さんを呼び出す電話。

 点が線になっていく。

 なぜ、関わるな?

 俺は部員だ。仲間じゃないか。

 関係ないはずはない。

 問いただせ。俺の中の正義が喚く。

「あんた」

「あんたぁ?」

 タメ口に不快に眉をひそめる霧島。

 俺は迷わず前進し、殴った。頬を思いっきり殴った。

 霧島は仰け反ったが、大したダメージを受けた風はない。

「おまえ」

 殴り返された。

 準備もなく食って掛かったせいか、ボディに強い一撃を浴びた。喧嘩慣れのレベルが違った。

 俺はひざまずく。

 そのまま、蹴られた。

 屋上の床の砂が口に入る。

 腹と肩が痛い。

 立ち上がろうとするのに、足が震える。

 なんで、殴打した? 今更の後悔。

 なんて、自分が激情型だったのかという悔やみ。

 でも、そんなことはおかまいなく、霧島は俺を蹴り続ける。

「うう……」

「調子に乗るなよ、カス!」

「……」

「お前、人が日和ってりゃ調子付きやがってぇ」

 踏み付けられ、掛かる圧力が増す。

 俺は縮こまる。

 アルマジロみたいに縮こまる。

 もう、これでしか身を守れない。

 ハリネズミのような針はないから、俺は一方的にやられる。

 アルマジロみたいな分厚い皮もない。

 脆い。

 心ごと殴りつけられている気分。

 視界が白んでいく。

 イタさにではなく――。

「うわあああああああ」

 

 ――

 

 雨が降っていた。空はどんより曇り、朝方とは思えない灰色の世界が拡がっていた。

 傘をさして、学校に向う。

 道中、すれ違う人々が怪訝な顔で俺を見る。

 昨日、ボコにされたせいで、顔はキズバンだらけだが、そんな変な目線を寄越さないで欲しい。妙な気分になる。

 曲がり角を折れる。

 校門が――。

 足が重くなる。

 乾いていないコンクリに足を突っ込んでいるみたいだ。

 先日の負傷のせいじゃない……だって、見えるから。

 俺の脚に纏わり付く霊魂が。

 赤子のような、老婆の笑顔で俺を見ている。

 よう――半年振りだな……。

 また、俺に構ってくるんだな。

 はは――ははは。これで、木霊先輩に自慢できるぜ。

 和むような幽霊じゃないが、ちぃとヘビーかもしれないが、まあいい。

 グロで和む人かもしれないじゃないか。そんな奇特な人か? んな、わけないな。はは。拷問道具展覧会だって行かなかったじゃないか。

「をい」

 昇降口で葉桜が俺を呼ぶ。どこか、刺々しい声だ。

「んあ」

「傘、なんでさす?」

 葉桜の顔には悲しげな色がさしている。何を憐れむように俺を見る? なんだか、今日は人の目がやたら、目に、俺の目に、焼きつく、視線が背後から、痛々しく俺を付きぬく。なんでだ? 葉桜、お前もどうして、どうして、なんで、そんな顔をする? 俺、おかしいか? おかしいか? おかしいってか?

「悪いか?」

 低い声が出た。

 葉桜は少し身を引いてから、咳払いをした。

「悪くはないけど……お前さ。また……」

「また」が何をしめすのか? 解ってるぜ、ブラザー。

 長い付き合いだものなぁ。

「これで、木霊先輩に話のネタができたよ」

「そうじゃない!」

 葉桜にしては珍しく声を荒げる。

 何だってんだ?

 俺が木霊先輩とネタを共有するのがイヤなのか? 

「違う」

「なんで?」

「お前、わかってないのか?」

「何が?」

「何って――」

 口ごもる。俺は待つ。回答を。

 沈黙は続く。イライラして来た。

「早くしろよ」

「ああ……後にしよう」

 そう葉桜がいうと同時に、チャイムが鳴った。

 結局、その日は、放課後になっても葉桜のいう「後で」はなかった。

 

 

 昼休みは部室に顔を出さなかった。

 昨日のこともあって、顔を見せづらかったからだ。

 でも、半日経つとそんな気分もなくなった。

 一行に雨はやまず、どんよりした空気が支配的な廊下を歩んで、ホームルームの後は、結局、部室へ行った。

 部屋に入るなり、俺の傷だらけっぷりを見かねて、珍しく、早くからレイケンに来ていた木霊先輩が血相を変えた。

「珠美くん……」

 彼女の顔から血の気が引く。

 そして、木霊先輩は泣き伏せてしまった。

「大丈夫ですよ」

 そうだ。木霊先輩に比べれば、殴られた傷なんて、打撲なんて大したことじゃない。

「それより、見てくださいよ」

 俺は自分の足を差し出す。

 見て欲しかった。俺に纏わりつく、この幽霊を。

 しかし、木霊先輩は泣きっ面のまま、しゃくりあげつつ、「え?」と疑問を(あらわ)にした。

 おかしい。そんなはずはない。

「見てくださいよ。ほら、幽霊ですよ。憑依されました」

「……珠美くん?」

 木霊先輩は俺から目を逸らした。

 やっぱり、これじゃ、グロいんだなぁと感じたので、謝った。

「すいません」

「――そうじゃないよ……」

 そのまま、木霊先輩は机につっぷして、嗚咽を漏らし始めた。戸惑う。

 俺のせいか?

 違う。あいつのせいだ。

 やはり、どうにかしてやらないといけない。

 怒りが再燃した。動悸が早まった。

 同時に、見えた。

 新しいのが見えた。

 その新しいのは、校庭を闊歩している。

 どす黒いオーラを放ちながら、鬼のような面で、厳つい肩をならしながら、歩いている。怖いと思った。即時、目を背けた。もう、見れなかった。木霊先輩が見なかっただけでもよしとしよう。

「木霊先輩、泣かないでくださいよ」

 俺は慰めようと、肩を持つ。

 触れた瞬間、木霊先輩の背中がビクっと震えた。

「ごめんなさい……」

 木霊先輩は顔を上げる。兎のような目で俺を見る。

「何で、何で歯向かったの!」

 今度は打って変わって、怒鳴られた。情緒不安定なのか、一貫性がない。困る。それに、いつもの丁寧口調が失われている。そんなに、俺の顔は今やばいのだろうか?

「だって、木霊先輩が……」

「止めてよ。楓だけで沢山だよ……」

 なんで、楓先輩の話題が出るのだろう。

「え?」

「あの人が何かわかってるの?」

 泪目をセーラーの袖で擦りながら、木霊先輩は俺に訊く。小声だが、難詰するような色があった。

「工場の息子でしょう?」

 木霊先輩は小さく頷く。

「だから――」

 恒例のケータイが鳴る。

 しかし、木霊先輩は無視した。

「霧島重工ってのが、どういうのかわかってるの?」

 いつの間にか、木霊先輩は怒り顔で俺にいう。

「ただの企業ですよ」

 それ以上でもそれ以下でもないはずだ。

 が、先輩は首を縦ではなく、横に振って、(いな)んだ。

「日本最大のコングロマリット。政治にも介入してるし、この霧島市は、あそこのいうことに逆らえないんだよ? 無法地帯なんだよ? そんなこと、バカらしいって思うかもだけど……だけどね、実際――」

 再び、木霊先輩は喉を詰まらせたように、嗚咽を漏らした。

「そんな、俺は大丈夫ですから……」

「ううん。大丈夫じゃないよ……だって、だってね――」

 俺は木霊先輩の次の言葉を待つ。

 が、言葉は聞けなかった。

 鬼が出たから。

 部室の戸を突き破って、さっき見た鬼が出たから。

 先輩も驚愕した顔をしていたから、間違いない。

 俺は木霊先輩を鬼から守ろうと思った。

 でも、それよりも恐怖が先にたった。

 鬼の耳まで割けた口が、そこから垂れる某エイリアンのような唾液が、俺の理性も生理的な部分も全部全部、恐れで染めたてた。

 窓を突き破った。

 開けるのも億劫に思えるほどに、早く退散したかった。

 木霊先輩を置いていくのが忍びないとか、そんなこと考えれる余裕なんてなかった。俺は怖かった。ただただ、怖かった。恐ろしくて、だから、逃げた。あのときと、一緒だけれど、怖いものは怖い。鬼が霧島だったら、もう一度殴って、挑みかかることもできたかもしれない。でも、あれは無理だった。

 ガラスが制服のカラーに引っ掛かり、首筋を切るのも構わず、俺はひたすらに校庭を駆け抜けて、家に帰って、自室に閉じこもった。

 もう、あんなもののいる学校にはいけそうになかった。

 

 ――

 

 見舞いが来た。それもそうだ、もう一週間になる。

 楓先輩は果物詰め合わせを持って現れた。風邪か何かと思ったらしい。

 が、どう見ても健康な俺をみて、「大丈夫そうね」といった。

「病気じゃないですから」

 と俺は答えた。

「え?」

「行きたくないんですよ」

 隠すつもりもないので、正直にいう。

「何それ、登校拒否?」

 入室して来たときは心配げだった楓先輩の口はヘの字になっている。

「そんなもんです」

「今、大変なんだよ?」

「何がですか?」

 平生になるように努める。

「木霊だよ……」

 木霊先輩か。そういえば、あの後どうなったのだろう。

「そうですか」

 俺のそっけなさに、楓先輩は食って掛かった。

 ベッドに座る俺に詰め寄る。そして、(まく)した。

「いったよね。優くんいったよね? 結局、人なんだって、信仰云々よりも、キリストだったからよかったんだって、私、期待してたのにぃ。優くんが沙子のメシアになれるんじゃないかって!」

 一体、何をそんなにキレているのか。

 でも、一つだけわかる。木霊先輩が大変で、それを俺にどうにかしてほしいと?

 恐らく、霧島が関わっている。

 木霊先輩が俺を頼っているのではない。勝手に第三者の楓先輩が俺を救世主よばわり、なんて、他力本願っぷり。イラっと来た。

「勝手ですね。自分は逆らえないくせに。他人任せですか?」

「――だって、だって、私だって前は沙子を助けようと思ったんだよ。だけど、だけど……そのせいで、父さん、職を失って……。だから、私が心の支えをしなくちゃって――」

 女のヒステリーというのはこういう現象なのかなぁと蚊帳(かや)の外でしみじみと感じる自分がいる。他人事のようだ。目の前の女もいっていることが支離滅裂で――。

 つまり、これは言い訳しているのだ。

 適当なことをいって誤魔化す。

 楓先輩の十八番、棚上げじゃないか。

「逃げるんですか?」

「逃げてるのは優くんでしょう! 学校にだって来ないし、なんで? 心配したんだよ? 窓破って帰ってしまったって。電話だってメールだってしたのに、出てくれないじゃない!」

 それは、ブッチしたから。

 話したくないときだってある。人間だもの。

 それに――。

「鬼がいる場所になんていけません」

「鬼? なんのこと?」

「あの学校にもいたんですよ。中学と一緒。やっぱ、呪われてるんですね」

「非科学的なところがいいんじゃないの?」

 確かに俺はそういった。

 でも、実はその考え方こそがレッテル貼りなのだ。

「そう思いたかったですよ! でも、あんなもの見れるわけないじゃないですか!」

 俺も捲す。

「だからって、沙子をほって帰ったの? あのときの更衣室のときの弁は嘘なの? 嘘なの? そんなちっさい人間だったの!」

「そうですとも。だから、イジメられたんですよ! 中学のときも、毎日、毎日、毎日!」

 いってから後悔の波が打ち寄せる。葉桜以外知らなくていい過去なのに。

 これこそ、同情を引いて、逃げに転じる悪辣な手法ではないか?

 でも、いってしまった言葉を飲み込むことはできなかった。俺も引けなくなった。もう、意地のぶつかり合い。

「――ごめん……」

「わかればいいんですよ」

 俺は鷹揚に応じた。

 それに唇を噛みながら、楓先輩はいう。

「でも、助けてよ。私、どうすればいいのさ!」

「何もできないんでしょ?」

 そういってたじゃないか。あのとき、体育館裏で。

「優くん……。じゃあ、いわせてもらうよ? 優くんのせいで、いま沙子がどうなってるのか。毎日、あいつにいいようにされてて、それをどうとも思わないの?」

「それこそ、楓先輩はどうなんですか? 日和見ですか?」

「日和見してるのは、あんたでしょ! 屁理屈にもならずに、そんなことばかりいって、何が鬼さ! 霧島殴った気概はどこへいったのさ!」

「じゃあ、呼び出してくださいよ。でも、学校へは行きません」

 ああ、いくら痛い目に会おうとも、殴れといわれりゃ、殴ってやるさ! 木霊さんのために! でも、鬼は無理だ。あんなもの、直視できるものか。

「沙子は? 沙子はどうするの? あの子、イヤでもいかないといけないんだよ? 拒否ったら、何されるか、わかったもんじゃないもの――」

「知りません」

「分からずや!」

 楓先輩は俺を(はた)いた。

 張られた頬が熱くなる。

 女の子に()たれたのは初めてだった。

「殴りましたね。あなたも同類ですね。楓先輩」

 俺は睨む。

 楓先輩は押し黙った。

 言い争いに勝ったと思った。が、間違いだった。

 楓先輩はしばらくの沈黙を経て、低い声を出した。

「いいよ。じゃあ、私が殺してやる」

 殺す?

「え?」

「あいつを私が殺す。それで、今までの平衡状態に水をさした、優くん。きみも殺す。これで解決。全部、解決」

 楓先輩は狂ったような気味の悪い笑顔でいった。

 殺す。

 何度、そう思ったか。

 いじめっ子どもを、ブチ殺して、ジェノサイドしてやろうと、思ったことか。

 何で? 楓先輩のような明るい人がどうして、こんなことを思う?

 急に冷静さが湧き立つ。

 ダメだ。それは暴挙だ。やっちゃいけない。でも、そんな(なだ)める、諭す資格が俺にあるだろうか? ――ない。

「楓先輩……それは……」

 制止させる言葉が浮かばない。

 俺も中学の時、こんな思いを回りに流していたのか?

 本当に?

 楓先輩は入滅前の仏陀然として、笑う。

「もういいんだよ。父さんが壊れたのもあいつのせい、あいつが親に掛け合って仕事人間の父さんを解雇したから。それで、母さんはいなくなったし。それで、それも全部、木霊を助けようとした私のせい。そうだよ、ふふ。私も悪いんだ。天罰は私も受けなきゃ、ははは」

「待ってください……」

「ヤだね。覚悟してなよ。優くん、私が天誅を下すのはあいつ、そして、きみ。最後に私」

 楓先輩の表情はマジだった。殺す順番のトップがまず、俺だったなら、最初にここで惨殺されてもおかしくない。そんな狂気が彼女の体中から発せられている。

「破門だ! 皆、破門だ! 異端には死を、死を、ははは」

 これが井塚先輩の恐れた破門……。

「まてよ、楓」

 あれ? この声。噂をすればなんとやら。

「井塚先輩」

「明史ぃ?」

 先輩はズカズカと俺の部屋に押しはいる。

「早まるなよ。敵が巨大でも、俺らはガキだし、そんな破滅にはしってもしょうがないよ。聖人になんかなれないよ。な、楓、頼むから、落ち着け」

 あえて、楓先輩が好みそうな語句を選んでいる。冷静沈着だ。いつもの調子がまるでない。それに、楓先輩をとても気遣っているように見えた。

「落ち着けないね! 大人だってデクノボーじゃないか! 父さんだって無力だった! 結局は暴力なんだよ、そうだよ。信仰なんてクソだよ、人はパンのみに生きることなかれ? じゃあ、何に生きる? 力だよ、結局、見えない暴力には見える暴力で示す、見えない暴力が見える暴力と連携してても、私はやる、テロリストの信条だって、そうでしょう、ねっ明史いぃ!」

「解るよ。解ってるよ。俺だってな。おまえと沙子が親友だってのも知ってる、でも、あのときのせいで、お前ら、ぎこちなくなって、苗字で呼ぶようになって……でも、そんだけ、沙子のために怒れるんだ、それでいいじゃないか」

「よくない!」

 ぴしゃりと跳ね除ける。

「あと半年の我慢じゃないか……な」

「いやだ! あんな、クズは放っておけない! 始末する。これは、ゴルゴダで死んだキリストと同じ! 世界のためだよ」

「バカ!」

 今度は楓先輩が引っ(ぱた)かれた。引っ叩いたのは井塚先輩だ。

 険悪なムードが支配した。

「バカ野郎どもに朗報」

 またしても別の闖入者。又野さんだった。発言者も又野さんのようだ。

 傍らには葉桜が控えている。

「このたび、(わたくし)、又野唯が傷害罪で彼を訴えることにしました」

 普段、絶対に聞けない妙な慇懃さで又野さん。

「そんな、前だって学校ぐるみで揉み消されたのに……唯、もっと酷い目にあうから、やめて」

 やや今までのヒートアップしていたテンションがクールダウンして、楓先輩は説得するようにいった。井塚先輩のビンタが利いたようだ。

 しかし、又野さんは漫然と首を横に振る。そして、なぜか自信満々だ。

「MTN財閥って知ってる?」

 又野さんが質問を投げる。

「ああ」

「うん」

 通称、MTN財閥、実際はグループ企業体でMTNグループと呼ぶのが正しい。いまだに株主がではなく、取締りから専務まで一族が食い込んでいる同族企業だ。その割に、日本一の国際企業で日本進歩同盟という政党も持っている。霧島重工とちがって、なにかと、政治に本格介入していたり、経団連を半ば、牛耳っているので、叩かれることが多い。各種大臣が特定企業と結びついているというのが、何かと庶民はお気に召さないらしい。

「何の略称だと思う?」

 又野さんは訊く。

「未来テクノロジーとか凄くダサいのの略だったような……」

「あれ、又野の子音(コーンサナンツ)のみを書いただけ」

 全員の目が点になった。

 そういえば、又野さん、リッチな家に住んでたなぁ……。つまり?

「自分で訴えようかと思ったけど、さすがにアレだと両親がいいましたから、そこは敏腕弁護士に。それと、又野が霧島に圧力を掛ける」

「うわぁ。メチャクチャだぁ」

 なんという、デウスエクスマキナ的な展開だろうか……。まさか、又野さんが本当にお嬢さんだったとは。ただの、キチな女の子じゃなかったのね。

「カエデもいってくれればよかった。あいつが、何をいってるのか、私、さっぱりだった。それと、ただ、殺すのはダメ。やるなら、いたぶる、嬲る」

 いかにも又野さんらしい発言をして締めくくった。

「で、どうする?」

 井塚先輩は楓先輩に、葉桜は俺に訊いて来る。

 木霊先輩の件は解決したかもしれないが、俺は学校へはいかない。これはガチだ。

「どうもしないよ」

「なぁ。優、お前がいまの状態なのは……この前いえなかったけど、中学のときと一緒だ」

「で?」

「お前が見た、その鬼とやらは、多分、霧島なんじゃないか?」

 葉桜は俺と楓先輩の話を聞いていたらしい。

 恐らく、激しい険悪状況を聞き、入るにはいれなかったのだろう。そうこうしているうちに、井塚先輩と又野さんが登場し、踏ん切りがついた、そういうことだろう。糞の切れはいいにこしたことはないし。

「そんなはず……」

「お前が中学んとき、教室にこなくなったのは、化物が出るからだったよな。解決したあと、どうなった? 見えなくなっただろう? お前だってわかってるだろ?」

 ――そうだ。解ってる。楓先輩と神について話していた時、気付いたはずじゃなかったか。俺は恐怖に駆られて、みうしなって、()(くら)になってただけかもしれない、思考の目暗。

「あの、又野さんのおかげで、細かい問題はなくなったんだ。あと、お前がすることはなんだ? いってみろよ」

 俺の肩を葉桜は叩く。

 葉桜は今回も俺を救済してくれた。

 俺にとってのメシアは、葉桜だ。やはり、親友は持つものだ。一週間訪れなかったことは不問にしよう。

 そして、この場に、木霊さんがいないのは、来れないのだ。俺と一緒にいるところ、もしくは、俺のせいで何度も呼び出しの電話をブッチしたせいで、楓先輩流にいえば、『水をさした』――。俺は水をさした。余計なことをした。でも、済んだこと。悔やんでもいい。だけど、それよりも……。

 贖罪すべきなのだ。

 パウロはどうした?

 十二使徒に列せられることがなかったのは、彼がキリシタンを迫害する側だったからだ。でも、その後、どうした?

 今、どうして、聖パウロなのだ?

 それこそ、贖罪したのではないか?

 人類の原罪とかそんな大仰なことは彼も背負うことはなかったし、それは大工の息子の領分だ。些細なことも、いま、できるじゃないか。

 そして、贖罪してもいい。

 でも、それを言い訳にしてはいけない。

 なぜって、そうだよ。

 俺は木霊さんに惚れたんのだろう?

 それで、いいじゃないか!

「鬼をぶちのめす。で、鬼から木霊さんを奪還する」

 俺は強い調子でいった。

「そうだ。それだよ。だろう? 中学のときだって、一発いえば、それまでだっただろう? 逃げちゃダメなんだよ」

 うんうんと納得顔で葉桜は頷く。

 決まった。腹は決まった。

 俺はいないはずのものに恐怖を宿すことで、実体化させ、逃げの理由をつくっていた。木霊先輩はきっと、恐怖から逃げるために、和む幽霊をみていたのだ。だから、俺と一緒では何も見れなかった。

 あのときの、二人で幽霊探しをしていたときの木霊先輩は落ちつていたから、恐怖に駆られる心配なんてなかった。だから、彼女は幽霊をみなかった。初日に、トイレで、と発言した後に、ゴキブリと答えたのは嘘だ。楓先輩に見抜かれるのを恐れていたのだ。だから、あのときも、霧島に暴虐なふるまいをされていたに違いないのだ。

 そう、ヤツは鬼畜、まさに鬼。俺の目は正しい。やつは鬼なのだから、鬼に見えて当然だ。ただ、やっぱり、幽霊なんてのはいない。化物なんていない。所詮、人間のこと、人間は神にもなり、鬼にもなる、そう見えるし、そういう姿になるのだ!

 楓先輩と井塚先輩の方も決まったらしい。

「盛大な破門をしてやろうぜ」

「わかった。うん、破門ね」

 まだ、破門の話をしている。大丈夫なのだろうか?

「で、唯。いつ、訴えるの? まず、警察に連絡じゃないの?」

「うん。警察にはもう伝えてある」

「早!」

 手際の迅速な話だった。

 

 

 ――

 

 木霊先輩を交えて、作戦会議は始まった。

「結局、暴力で報復するのはダメだね」

 昨日と打って変わったことを楓先輩はのたまう。

「なら、どうする? あんな神経の図太いヤツをどうすればいい?」

「憲兵まかせじゃだめ?」

 又野さん。毎度、毎度、冷静です。 

 今思うと、六法全書とか購入して、国家暴力に訴えるというのが一番な気もする。

 でも、それでは浮かばれない。

「それって、国家暴力だもの」

 同じことを楓先輩が俺の代わりにいう。

「念で攻撃するか」

「それはない」

 井塚先輩の提案は速攻、却下された。

「何もしなくていいよ」

 木霊先輩がいう。

 でも、それはダメだ。

 俺らの腹の虫がおさまらない。

 もっとも、一年以上、こんな目にあってきた木霊先輩がいうべき台詞じゃない。優しいのはいいけど、それだけじゃ、いけない。

 それに、俺は鬼を叩き伏せると誓った。

 やっぱり、暴力なのだろうか。

「でも、この件が公になったら、跡目継げないですよね?」

「そういう、パッシヴな姿勢はよくない」

 又野さんがいう。

 どっちなんだ。

 一番最初にホロコーストとかいいそうだが、いわないんだなぁ。権力者の跡継ぎとしての世渡りテクは霧島より又野さんが数段上な気がした。

「精神的苦痛かぁ、難しいなぁ」

「だなぁ。確かに、このままにしておいても天誅はくだるんだが……」

「じゃあ、逆手に取りましょう。案外、精神的には脆いかもしれません」

「逆手? 逆手オナ?」

 茶化さないでください。井塚先輩。

「見せてあげましょうよ。人の心の化物を。自分がどんな化物だったのかを」

「で、具体的にはどうするの?」

「ノイローゼにしてやります」

 俺は提案を(みんな)にした。

 (みな)、とりあえず、その案で行くことを了承した。

 最後まで、木霊先輩は渋っていたけれど。

 

 翌日、校内には張り紙とビラが撒かれた。

 霧島の悪事をただ書いただけの紙だ。

 そんなこと、全校生徒は知っている。

 しかし、本人はさぞや気分が悪いだろう。

 何でもしたい放題、暗黙の了解が破られたのだから。

 実際、廊下ですれ違った、霧島はイラつく表情と大また歩きだった。

 合同体育でも、井塚先輩いわく、暴虐なマネをしていないとのこと。

 俺の読みどおり、MTNグループの圧力はすでに掛かっているのだ。霧島はこれ以上悪評を垂れ流すわけにはいかないのだ。そこは、自分が虎の威にして来たものが掛かっているのだから。

 そして、翌々日も張り紙は張られ続けた。

 犯人は割れている。

 月曜日の全校集会では、霧島校長は渋い顔で釘を刺したが、レイケン部員一同はひるまない。

 そのまま、檄文は垂れ流され続けた。

 ときに、三年生の教室へ行き、霧島を観察した。

 もう、霧島はちょっかいを出す気力もないらしく、木霊先輩のケータイを霧島が鳴らすこともなくなっていた。

 あと、少しだと思った。

 翌週、ビラの内容が書き換わった。

 いままでの文の最後にこう書いてある。

『土下座を要求する』

 が、案の定、それに彼は応じなかった。

 偏狭なプライドが邪魔をしているのだろう。

 水曜日。楓先輩が呼び出しを食らった。

 しれっとした顔で、又野さんも付き従い、シラを切ったそうだ。

 実際、追求は厳しくなかった。

 教師たちも一応、教育者だ。

 いままでの霧島の蛮行を見て、こちらに情状酌量の余地ありということだと思う。

 三週目に入った。

 さらに文は書き直された。

『謝れば許そう、ただし、土下座だ』

 この頃には、警察の捜査も始まろうとしていたが、敢て、又野さんはそれを進めないように手配した。

 まだ、追い詰めが足りない。そういうことだ。

 そして、三週目の金曜日。

 ついに観念したのか、霧島がレイケン部室に姿を見せた。

 顔は憔悴していた。

 いたぶられる側の気持ちがわかっただろうか?

 部員全員、そんな彼を強かで、小バカにする目で迎え入れた。

 しかし、俺らは甘く見ていた。

 やはり、彼は鬼だった。

 悪鬼に違いなかった。

 そして、彼を本物の悪鬼に変えたのは、俺らだった。

 

 

 ――

 

 霧島は、ナイフを持っていた。

 一瞬にして、部屋の空気が凍てつく。

 首筋を冷や汗が流れ、ますます、体温を下げる。反面、脳は激しく事態を分析しようとフル回転で、熱量が増す。

 皆、同じように、氷像のごとく、停止してしまっている。

 ――やり過ぎたのだ。

「おまえら、調子乗りやがって」

 毒々しい声で霧島はいう。目が爛々と輝いている。

 見た目は憔悴そのものなのに、(まなこ)だけが異様に活気付いていて、映画で見るリビングデッドさながらの様相を呈している。

 一旦、落ちて、再起した。彼はゾンビ。オークゾンビ。

 皆が動けぬ中、一番、狼狽している木霊さんに霧島は近づく。息が荒い。興奮している。そして、木霊さんの首根っこを掴んだ。

 止めさせないと、取り返しが付かない。理性はそう囁くのに、体動かない。

 幽霊に対する恐怖心なんかの比じゃない。

 目の前の狂人は、人間の姿なのに、恐ろしく、そして、醜い。

「おら、後悔させてやる」

 握った刃を木霊さんの首筋に当てる。

 余りに悪役っぷりが板に付いている。

 俺はダメだった。

 偉そうなことをいっても、木霊さんを守れそうにない。

 ごめんなさい……。

 心の(うち)で謝る。やっぱり、ダメだ。

 何で同じことをループするんだ。

 くそぅ。くそう。

 くそぅ。

 霧島が柄を引いた。

 血が舞った。

 スローモーションのように、血の筋がはっきり、目に焼きつく。

 目が離せない。

 離したくない。

 離したくない。

 木霊さんは悲鳴を上げた。

 誰も動かない。動けない。

 それを感じて、優越感と愉悦に霧島は笑う。哄笑する。耳をつんざく不快な笑い声が部屋中に響き渡る。胸が痛い。

 心臓が締め付けられて、血流が早まる。でも、血管は収縮していて、苦しい。

 息をするのが辛い。

 辛い――。

 違う。

 今、一番辛いのは誰だ。

 動いた。

 動いたのは、井塚先輩だった。

 井塚先輩は、投げた。霧島をナイフごと。

 掴まれていた木霊先輩が崩れる。床に落ちた。

 電撃が体を(めぐ)った。

 更衣室のときのように体が動く。

 井塚先輩が投げ飛ばされた。手首を切られて、鮮血が飛ぶ。

 でも、もう、スローモーには見えない。

 むしろ、早まわしに映る。

 俺は鬼を叩き伏せた。

 自分でも思わぬ力が出た。

 鬼は驚愕に顔を染めた。

 鬼のナイフが俺を刺す。

 腹部が貫かれ、激痛がやって来る。

 無視した。

 俺の血が霧島のシャツを白いその生地に、赤い(まだら)を生む。

 強い力が俺を押す。

 構わない。

 押し返す。

「処断する」

 背後で声。

「第三ポチョムキン教団の名に於いて、悪魔を処断する」

 楓先輩だった。

 楓先輩は俺の前、床に倒れている霧島の頭上に向かい、お得意の一発を霧島に浴びせた。

 クキョ――。

 そして、全ては終わった。


読了感謝。

昔に書いたものなので読みにくいかと存じます。多少修正しました。

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