四章
四
春の生徒総会は始まった。
体育館にぎゅうぎゅうに生徒が押し込められ、今から始まる退屈の二時間へ向けて爆睡モードへ突入しているんだろうなぁ、と思ったら、そんなことは全然なく、生徒たちは煌く眼で体育館の舞台袖を見ている。
今から執り行われるのは演劇じゃないぞ。と思うのだが、俺にはその理由が分かっている。というか、さっき分かった。
生徒総会なのだから、当然、生徒会と一般生徒の問答があるわけである。
一般生徒側は数が多いし、変なヤツもいるかもだが、同じヤツが質問するわけでもない。生徒総会の真のおもしろさは、回答側、生徒会側、つまりは会長が誰かによる。
で、会長は誰か? それは、我らがレイケンの部長、鬼頭楓であった。
なるほど、これで、先日の停学させないようにとの話があったわけで、しっかり、停学はなかった。それで、俺は楓先輩に感謝したわけで、確執もない。長谷川から「今回は多めに見る」との言をもらった後、すぐに、感激の泪とともにお礼を述べた。
親バレもしなかったので万々歳だ。我ながら、あのときはやりすぎだと今更思う。
幽霊の件もまだ未解決だしなぁ。と、まあ、それはおいておこう。
今、俺は困ったことに生徒会書記に任ぜられた。
何故か? 秋風学園生徒会には書記がいなかったのだ。二名いるはずが、一名もいないなんて不手際はおかしいのじゃないかと、小一時間楓先輩を問い詰めたくなったが、「やらないなら、ポア」といわれ、井塚先輩のように二週間廃人生活をしたくないので、了承するしかなかった。
そもそも、書記の仕事なんて高が知れている。で、当然だが足りないのは二名なのでもうひとりは又野さんが任じられた。
霧島校長が開会の挨拶を始めた。それを舞台袖から出番待ちの役者のように覗く。いくら、議事録つけるだけとはいえ、緊張する。数百人の目の前に出る経験なんてそうそうない。女子更衣室には吶喊できるのに、といわれたら、元も子もないけれど。
校長の挨拶が終わる。長い挨拶だったなぁ。
ここ、秋風学園は我が町霧島市一番の進学校だ。さて、どうして校長と市名が同じなのか? 答えは簡単だ。
霧島市は元々、国立町という小さな町だった。ある日、そこに銭を持って現れたのが、霧島一族である。彼らは資産家だったので、あっという間に町民は懐柔されたのはいうまでもない。
しかも、霧島一族は霧島重工の大株主で創業者の一族と来ている。雇用も税金も国立町は霧島氏に頼ることになり、おんぶに抱っこしている間に、代々の町長は霧島の出になり、市に格上げされた際も霧島市になってしまった。MTN財閥と同じく世界の誇る日本企業でもあるわけだし。
あいにく、俺の両親は霧島重工とは全然関係ない職種だが、市民の半分以上は霧島重工のおかげで生きているといってもいい。
そして、本題。つまり、秋風学園は霧島一族が設立し、霧島一族の関係者が関わってくる。校長は、かなり遠縁の霧島さんらしいが、理事長も霧島姓だ。理事長の方は校長ほど遠縁ではないらしい。
だから、何がいいたいのか? といえば、遠縁の校長は、一応霧島さんでありながらも、霧島宗家に媚をうるために、こういったイベントごとがあるたびに、霧島重工に言及するのである。なので、ダラダラ長くなる。そういうこと。
「それでは、第……はおいといて」
開会宣言を始める楓先輩。が、一体、第何回か忘れているご様子。
「春の生徒総会はじまるよ♪」
歌った。
体育館の壁際にいる教師陣の顔が一斉に引き攣った。
「それでは、議題がいくつかあるわけですがぁ、えっと、じゃんじゃんいきましょう」
議題の書かれた原稿を又野さんから受け取る楓先輩。
あれ、前もって確認とかしないの? ヨーロッパ流? 日本流の出来レース答弁じゃないの? 都合悪くなったら、「速記止めて下さい」が常套句の。あれって、卑怯だよね。放送してるのに、何が速記止めて下さいだ! 速記の意味ないじゃん! ってここは学校、しかも子供の生徒総会、一緒じゃないか、とクールダウン。熱くなったぜ。
「東校舎のトイレの改装? 臭いの?」
生徒たちに聞く楓先輩。議題を提出したらしい生徒が立ち上がる。
「滅相も臭いです」
何か日本語変な人だなぁ。
「それは、臭いと思うからよ」
元も子もないことをのたまう。
「臭いものは臭いですよ?」
「じゃあ、なんで香水つけたりしますか?」
「いい匂いだからじゃないんですか?」
「残念」
児○清風である。次は、アタックチャンスか?
「私は臭いと思う。香水、だから、トイレも主観だと思います。主観でものを語らないでください」
主観でものを語ってるのはどう聞いてもあなたです。楓先輩。臭いものは臭いです。
「いまどき、ボットンってどうなんですか?」
「足腰が鍛えられると思いますよ?」
なぜ、そんな挑発的なんですか、楓先輩。よく、生徒会長になれましたね。神頼みですか?
「水洗和式だったら意味ないです!」
「臭いは? 臭いの話じゃなかったの? これ、洋式ウォッシュレットでケツ綺麗ってこと?」
「なんですか! 会長! 人をおちょくるのもいい加減にして下さい」
提起人がいい加減、キレた。
当然だ。普通、キレる。
「うんむ。よろしいです。あなたの熱意を買いました」
えええ。何それ?
「校長、校長」
校長を手招きする楓先輩。ふてぶてしいなぁ。
校長が手招きに応じるはずはなかったが、首を横に振った。
「ああ、校長がボツだといってます」
「えええ!」
一応、霧島一族でがノーというのだから、無理だろう。
「困りましたね。それなら、壊しましょう」
再び、手招き。頷く校長。
「OKです。東校舎のトイレは破壊されます。デストロイです。おしむ人は一回記念にどうぞ?」
「あの会長……。なくなったら」
心配そうな提起人。
「臭いのは我慢できない、しかし、新しいのもつくれない。が、壊すのは予算的にOKということは、こうするしかないでしょう? じゃ、議決取ります」
拍手が多い。可決だ。
多少、トイレが遠くなっても、臭いよりはマシということだ。
滅茶苦茶なようでいて、落としどころがわかっているというか。
そこそこな手腕に思えた。もっとも、身勝手だが。なんとなく、これは民衆に阿っているフリをしている独裁者――なるほど、又野さんの敬愛っぷりの正体はこれか。納得。
そして、そのまま総会は進む。踊ることはないが、茶番。所詮は生徒に権限などない、それをエンタメに仕立て上げているこの人は確信犯的なのか、どうかわからないけれど、会長の意味はあるだと思う。
「次、最近、幽霊騒ぎが多い、ね。多い?」
確かに、多くはないような。身近であったのも、一回、木霊先輩が更衣室で――だけだし。
「多いですよ?」
三年生のひとりがたつ。男、背はそれなりに高い。
「私は聞きませんけどねぇ」
さっきの挑発とは違って、どこか、嫌味ったらしいというか険悪な棘を感じる。一応、レイケン部員だから? なら、喜びそうだけど。
「俺の知り合いがねぇ」
男は笑いながらいう。
「はい!」
関係ないところで、手があがる。マイクが手を挙げた生徒に与えられる。
「血を見ました!」
一年生らしい。どっと笑い声。
鼻血じゃねーの、と野次。野次というか、俺もそう思う。木霊先輩も鼻血ってたし。
「ほらなぁ」
男子生徒はにやにやしながらいう。壇上ではなく、二年生の方向を見ている。
「名前いおうかぁ?」
「いいですよ、そういうのはプライバシーうんたらですからね」
「ああ、そう?」
「そうです。で、どうしたいの?」
「いいたかっただけですよ、はは」
ほんと、ヘラヘラしたヤツだなぁ。楓先輩とは違うベクトルで人の神経を逆なでするというか。
「そういうくだらないことを提出しないでください」
「へいへい」
楓先輩の厳しい調子にも別に何も反省せず、その三年生は座った。マジで、何だったんだ? 議題? おかしい。てか、目を通しておこうよ、楓先輩。
「はい、で、次、おかしな宗教の布教活動するアホがいる? ああ、これはパスですね」
多分、あなたのことですよ。パスしない、パスしない。
その後も、くだらない議題が続いた。
体育館裏の子猫をどうするのか? の議題が出て、実はその猫は生物部が解剖実験した後にそのままビニール袋にいれて生ゴミとして捨てたと、これまた、どこから仕入れたのか、会長が暴露し、環境保護部と生物部が提起人を巻き込んで論争をし出し、「猫食えないし、時間ないし」で打ち切られ、その後もいくつか議題が出たが、適当に会長に流されていった。
――
目の前に鍋がある。土鍋だ。中々、年季が入っていて、縁と底が焦げていて、模様もくすんでいる。今まで、この鍋が経験した味が内壁に詰まっている。そう、感じる。
中ではぐつぐつ湯だった真っ赤なスープ、そして氷山の一角のように顔を出す豆腐。邪魔そうに隅に追いやられた白滝。灰汁が取り損ねて上辺に引っ付いている肉、ちなみに豚肉だと思う、ちょっと霜降り過ぎる気もするが。
キムチチゲ。あ、チゲ鍋っていわないこと。チゲってのは朝鮮語で鍋のことだから、鍋鍋って意味だからね、要注意ですよ、皆さん。
ってことよりもだ。なんで、六月にこんな温かい鍋を囲まないといけないのか?
「汗出てきた」
湯気に当てられて楓先輩。
「血の池地獄」
それは大分別府のアレですか? 又野さん。
「おいしそうですね」
ですよね。
って、つられてはいけない。ちゃんと、常識人の反応を示さないと。もう、手遅れかもだけどね。
「なんで、鍋なんですか?」
「打ち上げといったら、鍋だよぉ。鍋」
「何の打ち上げですか!」
「生徒総会に決まってるじゃない?」
決まってるんだ……。でも、これは一応、勝手に書記にされた俺アンド又野さん、準備に酷使されていた井塚先輩へのねぎらいということなのだろう。うん、たまにはいい人だ。鍋代はどこから出てるのか、自動麻雀卓並に謎いけどね。
「でも、なんで屋上なんですか」
そう、ここは屋上。部室ですればいいものを。なぜ、こんな場所で――。
六月とはいえ、結構寒い。総会が終わって、長々続いた環境保護部VS生物部の戦いの所為でかなり規定の時間をオーバーしたから、今は六時。日も傾く時間帯。そら、寒い。
でも、汗っかきなのか、汗をかいている人が約一名……。あれ、約四名に見える。
なぜか? 皆、すでに食っていた。
「食べないんですか?」
いえ、食べますとも木霊先輩。あなたの肉をハフハフ食う姿を見ながら、食べますとも。
「これ、いい豚だなぁ」
「あ、明史ぃ。分かる? これさぁ、理事長の部屋にあった付け届けだったんだけど、拝借してきちゃったんだぁ」
お茶目にいう楓先輩。
それ、窃盗ですから。
「なんて、豚なんですか?」
「えっとね、パッケージ捨てちゃったから、味で判断して」
そんなの分かるってどこの海○雄山?
「これ――」
又野さんの眉が反応している。分かるのか?
「黒豚」
すでに肉なのに分かるらしい。読書家にしてグルメ、侮りがたし。あ、あとネオナチですね。この子。
「ほうほう。白豚ではないと」
「うん。黒い味がする」
黒い味ってなんか、タールの味っていうか、そんなイメージがあるんですけど。タバコは吸ったことないけどさ。
「鹿児島の?」
「んぅん。異国情緒の味がする」
どんな、味だよ! 海を渡って来ただけに塩味とか?
でも、保存用に塩かかってたりするのか? 知らんけど。
「ああ、あれだ。アグーっての」
閃いたとばかりに、楓先輩。しかし、首を振る又野さん。
「違うの?」
「だって、沖縄は日本だろ」
「分かってないなぁ。明史ぃ。沖縄は異国だよ、異国」
いたくお気に召さなかったようだ。肉を掴みながら、箸を振る。肉汁が飛んだ。目に入った。滲みる。さすが、キムチ鍋。
「そもそも、沖縄返還のときまでは一応パスポいったしぃ、尚氏は琉球王であって、藩主じゃないんだし」
笑止? 人名ですか? 沖縄史って日本史でも余り習わないし。でも、相変わらず、どうでもいいことに詳しい人だ。
「そもそもだねぇ、東アジアの国際秩序的に――」
いつものエスパー語りの井塚先輩もうざいが、楓先輩もうざいなぁ。
でも、今のうちに肉ゲット。あれ、結局、どこ産の何て豚なんだ?
井塚先輩も喋らせておいて、今のうちに肉を食べつくす算段らしい。同志だ。お互いにアイコンタクト。ホモっ気でも感じたのか、隣で木霊先輩がクスっと笑う。誤解されたかも? でも、今は肉。最優先事項、肉。美味いし。
「――天皇史観過ぎるんだよ。義光だって――」
まだ喋ってる。
肉ハフハフ。美味いなぁ。
「――あえて、尚氏を藩主にしてから、廃藩置県を一歩遅らせたのがそもそも――」
もう、何の話をしてるのか分かりません。
でも、肉沢山あるなぁ。何グラム入ってたんだろ?
あ、豆腐崩れてる。絹ごしなんか鍋に入れるから……。それに、皆、肉しか見てないし。
「――ウチナーグチを沖縄方言というのはまさしく――」
肉、肉。
「――ウタキってのがあって――」
肉、肉。
「――八丈島――」
なんで、八丈島? 沖縄の話だったんじゃ……。まあいいや、肉。
「――ワールドウォーで首里城焼いたのは許しがたし!」
締めくくった。誰も聞いてなかったけど。
楓先輩はさて、食うかと鍋を除き――。
肉は既にジェノサイドされました。民族浄化です。
「許しがたし!」
もう一回いった。
「優くんも、唯も木霊も、明史も、薄情だぁ。全員、破門してやるぅ」
いわゆる、退行というヤツなのか。ちょっと稚気に溢れすぎな挙動を示す楓先輩。
「カエデ」
「何よ。唯」
「確保しておいた」
使い捨てのプラ製お椀を捧げ持つ又野さん。
いつのまに。
「おお、さすが、唯。いい子、いい子。で、この肉、結局、何?」
「イベリコだと思う」
イベリコ? 何か高そうだなぁ。
「ああ、あの生ハムとかのヤツ。百グラム、千円とかするんだよねぇ」
高っ!
「でも、それって鍋で食うものなんですか?」
「確かに、もったいない気がします」
「美味けりゃOK」
「でも、ソテーとかで食べたかったなぁ」
しみじみという。
「それに、多分、ビェンソじゃないと思う。かなり、値が張る」
「まあいいや、ゴチ、理事長ぉ!」
やや冷えた肉をほお張りながらいった。
「あとね、この白滝、実は春雨」
「どうりで硬いと思ったよ」
「井塚くん、気付いてなかったんですか?」
呆れ顔の木霊先輩。すいません、俺も気付いてなかったです。レタスとキャベツの違いがわからないので――。小松菜とホウレン草の違いなんてもう雲の上ですから!
「それと、実はもうひとつ、失敬してきたのがあるんだ」
どんと、何かをコタツ――実は屋上にコタツをもってきて鍋している――の上に置く。
どうみても、酒瓶です。一升瓶です。焼酎です。最近ブームの焼酎です。
高校生なんだから、もっと健全に酎ハイにしましょうよ。
「ちょ、楓」
井塚先輩が噴飯する。そのまま、字のまま意味で。
「せめて、酎ハイにしようぜ?」
なんか、意見の一致が多い。
「焼酎ハイボールの略なんだから、あれも焼酎入りよ、変わらないって」
アルコール度数が激しく変わると思うのは俺だけでしょうか?
「でも、ジンベースじゃないのか?」
「井塚先輩、それ違う」
又野さんの否定入りましたぁ。
「ジンはジェニパーベリーの有無。あの漫画じゃ、セットだけど、違う」
名探偵コ○ン。
「ああ、ウォッカなのか」
「そう、蒸留酒だから似たようなものだけど。ウォッカは基本的に洋酒と同じ、麦を使うことが多い。焼酎は米とか芋だし、芋の乙類だった場合――」
なんでこの部活はこういうどうでもいい薀蓄を垂れ流す人が多いのか。
「――ヴォドカは酒の総称で――」
あのぉ、皆、白滝改め春雨攻略中。又野さん、帰ってきてください。
「――白樺の炭で漉さないことと発芽した穀類を使わないことが――」
春雨春雨。
「――だから、焼酎といっても甲類である場合、他のスピッ――」
春雨、ちょっとピリカラ。なんとなく、坦々麺っぽい?
「――そもそも、明治期に入るまで――」
甲とか乙とか、説明乙って感じ?
楓先輩も無視して、注いでる……。
コップが五つ。
ストレートですか――。
あ、氷入れた。
ロックのようです。
水で割る気はないようです。
俺、親父と発泡酒しか飲んだことないからなぁ……。
「はい、明史ぃ」
手渡しが始まる。しかし、又野さんの説明は続いている。
「――だから、黒糖焼酎が飲みたい」
終わった。
「唯、これ。奄美産だよ? 銘柄、加那だって」
「加那伝説……」
ボソっと呟く、又野さん。
「いいから、飲め。野郎ども!」
宴に酒はこうして、注がれた。
――
宴は酣だった。
黒糖焼酎なるものが、どれほどのアルコール分を含んでいるのかは分からない。だが、ひとついえるのは、間違いなく、俺は酔っている。
証拠をあげよう。
井塚先輩がマジモノのイケメンに見える。以上。
「ひひひ」
笑う人が一名。おっさん臭く笑う。――木霊先輩だ。
幻滅する? まさか、俺はばっちこーいですよ。
「ひいいいん」
泣く人一名。楓先輩だ。
摺足で木霊先輩ににじり寄り、彼女の胸に顔を埋めて、すすり泣く。泣き上戸らしい。
「沙子ぉぉん」
「何ぃ?」
「沙子ぉぉん」
「だから、何だよぉ」
男口調にすっかりなっている木霊先輩は、楓先輩の髪をもみくちゃにする。
「大丈夫ぅぅああああん」
号泣し出す。もう、意味が分からない。
「私あ、だいじゃうぶに決まってんだらぁ」
ロレツが完全におかしい。
「ごめあああああんん」
謝っているらしい。
「謝るぬぁ、ボケぇぇ」
汚い言葉も飛び出す。
ああ、ゾクゾクする。
酒のせい? 血中アルコールのせい?
はは、違う違う。酒による二面性の裏の発露に萌え萌え中だらぁ!
そんな、いい気分の俺に体を当ててくる人物。
井塚先輩と又野さんだ。
「見えるかぁ」
「見えるぅ!」
こっちは単にテンションがあがっているだけらしい。
やに下がった顔とだらしなく緩んだ顔がひとつづつ、俺に迫る。
「ええい、去れ、去れぇ」
お江戸口調になっちまう。
「お前は見えるかぁ!」
「優も見えるのるぅ!」
ふたりして、俺の背中を通り越し、中空を見ている。
出たのか? それとも、ただ酩酊状態なのでってことか?
後を見る。
「何もいねぇよぉ!」
「いるだろぅ。ほら、あそこどぅあ」
井塚先輩がもうすっかり日の暮れて群青色に染まった空を指す。
「見えるだるぅ!」
壊れたマリオネットばりの首肯っぷりで又野さん。
「ごめあああああん」
割ってはいるのは楓先輩。
「私のせいだぁぁぁああああん」
「違ぇよぉ、このタアアアKO」
ばしばしと、楓先輩を叩くのは木霊先輩。
いつもと立場が真逆というか、普段は意外とこのふたり、会話がないんだよなぁ。
「うわああああんん」
「泣くぬぁああああ」
「うわああんんんん」
「どぅ黙れぇ」
いい加減、宿直の先生か、見回りの警備員が来るかもなぁと他人事のように思い、
ぴるるるる。
電話のコール。
憎き、コール。
いつも、これが鳴った後、木霊先輩が部活から去る。
木霊先輩を連れ去る憎き、コォッォル。
が、今日は違った。
卿が削がれたと不満タラタラの表情プラス挙動で電話を取り、木霊先輩は普段なら創造がつかないことを言った。
「うざい。じゃあね」
プチ。
ああ、男らしい。凄く。
「いいんですか?」
「いいのぉ、いいのぉ」
そういって、また、コップをあおった。
「ミエルゥ」
こちらもまだまだご健在。
「七色だなぁ」
「いえぁあ。虹は地方によって見え方ちがうんれすぉ」
薀蓄はへべれけでも失わない又野さん。強いなぁ。
「だなぁ。二次が三次とかいうのと同じらなぁ」
「だすだす」
「で、見えないのぉ」
俺に抱きついてくる。
除けようとするが、井塚先輩も絡まってきて――。
「ううう、苦しいぃ」
「苦しいのは最初だけらぁ」
「そうだぁ。目覚めれば大丈夫だぁ」
片腕は俺にしがみ付いたまま、ふたりはハイタッチを手だけでする。
「いい加減にぃ――」
クキョ。
あれ、このパターンは――。
「まだ死ぬなぁ」
クキョ。
さっき、右に倒された首が今度は左に。あれ、俺の意識が戻る。
すげぇ。アルコール。
「先輩がシネェ」
クキョ。
お、出来た。
さすが、俺。もう何回も伊達に食らってるわけじゃない。
「お、お前ら」
誰かが屋上に来たようだ。
全員が気だるげな目線を向ける。
長谷川。
よく、いらんときに来る人だ。宿直なんだな、多分。
バキョ。
夜の肌寒い空気に骨が軋むような不快音。
長谷川が倒れた。何が起こったのか?
倒れた長谷川の横に楓先輩がいる。
「あああああごめんなさああああい」
落としてしまったらしい。
あーあ。何をやっているんだろ。俺ら。
――
「うわぁ」
又野さんがいった。
声だけ聞けば、感動していると思うだろう。それはいい。
問題は何に感銘を受けているのか、心震わす主体ではなく、それに影響を与えた側が問題なのだ。
彼女を感激させたもの。ガラスケースに入ったそれを今、俺と又野さんと、そして、残念なことに木霊先輩を除く部員が見ている。一見すれば、ねじ込み式の万力のようだ。ねじの下方には半球のヘルメットを思わせる部位が付いており、これだけ見てもその正体は分かり辛い。しかし、親切なことに、ガラスケースにはプレートが掛かっている。
――『頭蓋骨粉砕機 ヴァネツィア 十七世紀』――
ふぅん。粉砕機だけに、ふぅんさいですか。とか。
って、ふぅんじゃないし、寒いオヤジギャグいってる場合でもないし。単に、怖いって。
頭蓋骨を万力の圧力で締め上げて、苦痛を与える機械。所々の錆具合とか、土台の木の黒ずみ具合とか、血のはずはないんだけど、いや、もしかしたら、血かもしれないけど、いや、もっとすると、脳の汁とかかもしれないけど……。ホラーだよ。
もとい、これが実際に使用されたブツであるから、そもそもホラーですらなく……。なんだろう、ありえないから怖いのではなく、そこに現前するからこそ恐ろしい? そんな感じだ。
幽霊ってのも、実害がないからね。実害を出すのは妖怪ですよ。妖怪。
「これもすごいなぁ」
今度は別のガラスケースを覗きに行く又野さん。井塚先輩と楓先輩は俺と同じく、動き気はないらしい。
「唯も好きだのぉ」
他人事、いや、完全に他人事だし、そもそも、『拷問危惧展覧会』に来てる時点で周りの目とか気にする必要なんて、ミジンコの毛ほどもないわけだが、他人の振りをしようとする三人である。
「ホロコーストネタが好きですしね」
「なんだろうなぁ。抑圧された何かとか」
「フロイト先生に訊いてくださいよ」
「私は詐欺師は嫌いだなぁ」
教祖様とフロイト先生、詐欺師と宗教家の違いが知りたい。でも、いわないで置く。
「まあ、いいんじゃないかなぁ。木霊とか溜め込むタイプだからさぁ」
楓先輩はガラスケースを撫でつけながら、いった。
ふと、先日の屋上鍋パーティーが浮かんだ。
泣き上戸の楓先輩。あれも抑圧とかじゃないのだろうか。破天荒に見えて、実は溜め込むタイプなのではないか、と思った。
「楓先輩はどうなんですか?」
「私、見て分からない?」
「でも、この前、酔って凄かったですよ」
「は、ちょ。私、何かやばいことした?」
詰め寄られた。
「脱いだ」
井塚先輩のいつも通りの茶々。お茶、一杯入ります。
「着てたわ!」
「俺が着せたんだよ」
キザったらしく、髪をそよがす。
「優くん、真実は?」
「脱いでません」
「痛っ!」
井塚先輩が跳ねた。
弁慶を蹴られたらしく、抑えている。
「静かにしなさいよ、館内ではお静かにぃ。で、優くん。私、何したの?」
「泣き上戸でした。ひたすら、謝ってたので、何か後ろめたいこととかに、そのさっきの抑圧? とか」
楓先輩は一瞬だけ、困った顔をする。
けれど、それはひと時で、すぐに、いつものハイテンション気味の笑顔に戻る。
「ないない。酔っ払いって何をいったかとか間に受けちゃいけません」
「でも、アルコールってのは自白剤としても――」
「もぉ。そういう物騒な話はいいから。この――」
楓先輩は、フロアにいくつもあるガラスケースをぐるっと伸ばした掌で指して、
「ヤバ目のブツで十分」
といった。
確かにと頷く。
「でも、人間ってアレですね、こういうの見ると思います」
「ホントだよなぁ。力で服従させるっていうか」
「信仰で服従させなきゃ意味ないよねぇ」
「お前がいうなよ、楓」
「あはは。それは置いとこう」
「冤罪とかも一杯出たんだろうなぁ」
感慨深そうに井塚先輩はいう。
「嘘でこの窮状から、とうか、死んだ方がいいとか思うでしょうね」
「皆、読心術を使えるべきだな。人類皆エスパー、それで疑心も暗鬼も解決」
サムズアップする。そして、俺に向けられるウインク。もしかして、更衣室覗きとかしてるけど、ホモなんじゃないだろうか?
いや、この場合、バイセクを疑うべきか、うん。
しかし、珍しく、人間についてを語り合う真面目な三人である。
『拷問危惧展覧会』のチケットがあるのです、といった又野さんについて来てよかったかもしれない? 木霊先輩は来なかったけど。
痛いのはイヤだとか、自分よりも他人が痛そうなのを連想するのがイヤだとか、そういう理由で。さすが、兎のような優しい心です。
兎、そういえば、なぜ、又野さんはひとりで来なかったのかなぁ。
実は、兎なのは又野さんだったりするかもしれない。本当は兎は寂しさで死んだりはしないんだけどさ。
「暴力かぁ、女だから大変だわぁ」
楓先輩がワザとらしくいった。絶対、突っ込み待ちである。この人、突っ込み殺しな反面、たまに突っ込み待ち状態なのが困る。
空気を読み難いというか。まあ、レイケン部員は俺と木霊先輩以外、空気なんてそんなもの読めるか! だけどね、昨今の流行でいえば、KY? でも、空気って読むの難しい。だって、字が書いてないのに読むとはこれ如何に?
とか、考えている間に、井塚先輩が突撃した。
「お前がいうな! 暴力女がぁ、見ろ、脛」
ああ、痛そう。蹴られた弁慶の泣き所が紫色に内出血中。
木霊先輩じゃないけど、他人が痛そうなのを想像するのも、痛いかもしれないと思う。
それよりも、この場合、愉快が先に立つけれど。
「皆ぁ、来て」
いつも小声の又野さんが手招きしながら、結構大きな声で呼ぶ。
おっかしいなぁ、又野さんは長門有○希とかそっち系だと思ったのに。
しかしである。これは、逆にいえば、自分でキャラ造りしてないともいえる。少しだけ、俺の中の又野さん高感度がアップ。多分、彼女はどうでもいいと思ってるだろうけどね!
三人して又野さんのもとへ行く。
又野さんはガラスケースではなく、壁側に置かれた風呂釜のようなものを指さして、はしゃぐ。なんだろう? これ。
「水責めだって」
魔女は水に沈めても死なないとか、ああいうのだろうか?
「死なない程度に水に入れるのかなぁ」
どうやら、宗教関係には強そうな楓先輩もよく存じないようだ。
「そうそう、あとは水を延々のませるとか、そういう水責めもあるんだよ」
長い台詞が長いぞ。又野さん、酒について語ってたときみたいだ。そして、こういうとき無口なんだよなぁ、井塚先輩は。
「水ってなんか清潔ってイメージだけどね」
俺はいう。
「それはRPGのし過ぎね」
と、楓先輩。
「水は汚い」
又野さん。否定された俺、泪目。
「でも、火責めよりはマシかも」
「なんで?」
「火責めは外に残る。根性焼きとか」
「おいしそうね」
どこがですか、楓先輩。
「確かに」
頷かないでください、井塚先輩も。
「それ、今川焼きじゃ」
冷静に突っ込む又野さん。全面的に同意。
一字一句あってない。焼きしかあってない。
「でも、今川焼きって結構、地方で名前違うんだよ」
「ああ、大判焼きとかいうね」
「北海道で、餃子型の餡子饅頭を中華饅頭っていうようなもん?」
脈絡ないなぁ。ほんと。
「今川焼き食べたいなぁ」
「そういえば、外に売ってたけど」
さすが、上野動物園近辺。的屋とか大道芸人が一杯ですね。
「じゃあ、帰りに買って帰ろうか」
「いいね」
しかし、本当に季節感がない人たちだなぁ。温かい饅頭とか冬に食べるものじゃないのかなぁ。確かに、店舗を持ったところなら、年中売ってると思うけど。売ってる的屋も的屋だし、そんな露店出すなともいえないし、権限とかないけど。上野にもヤーさんのシマとかあるのかなぁ? ますます、どうでもいいことだけど。
と、そんなことを考えていると、
「置いてくよ」
「あっと、待ってください」
次のブースへ向うらしい。
えっと、次の展示は『アイアンメイデン』らしい。なんて、ベタな。血の伯爵夫人ご愛用のあれですね。楽しみです、性的な意味で。
――
「おじさん、どんと焼きくださいな」
どんと焼き違う! それは大正月とか小正月とかに色々穢れを焼くもので――。
「おうよ」
なぜか、応じる的屋のおっさん。待てぃ!
「黒餡、白餡、小清水餡、それぞれ粒と濾しがあるけど」
小清水餡って……御清水庵でしょうか? FA。
そんな謎なラインアップがあると、楓先輩頼んじゃないますから。
「じゃあ、小清水餡七つ、もち粒」
「白餡黒餡、粒で三つづつ」
「黒、粒、十個」
皆、食い気がすばらしい。
というか、小清水餡ってのはまさか、蕎麦つかった餡子じゃないよなぁ。そもそも、俺的には白餡はいんげん豆であって、アズキをつかってない時点で邪道。鯛といいつつ、どこか南国のワケワカメな魚をつかうこと以上の罪。なぜなら、あれは、まだ鯛に見えないこともないが、白餡は、白い、せめて、詐欺るなら、黒くせよ、黒く。黒豆のごとく! 黒豆は黒ダイズだから、ダイズだ、ダイズとアズキは大と小、こっちなら許せるぞ! 果肉、白いけどね、黒ダイズ
「そっちのあんちゃんは?」
ん。待てよ、土産に買ってくか。拷問器具のレプリカとか、キーホルダーなんか土産にできないし。
となると、親父とお袋と妹と――、あ、木霊先輩にもかなぁ。和菓子嫌いかもしれないけどね。今川焼きを和菓子と呼んでいいのか? 餡子つかってるし、十分、肯定。ああ、木霊先輩がスイーツ(洋菓子的な意味で)フリークじゃなくて、甘いもの好き(全ての甘味料好きという意味で)であることを祈ろう。ま、余っても、俺が食うし。
「黒餡粒で、二十個」
「「食うねぇ」」
皆がハモる。いや、全部俺が食うわけじゃないし。
そして、帰路。
展覧会といえば、恒例の最後の土産ショップで買った図録を眺めながら、又野さんがニヤニヤしている。口には今川焼き。
隣で、楓先輩が小清水餡とやらを食べている。中身は――、やはりというか、蕎麦掻っぽいものが詰まっている。
しかし、電車内で食するとは行儀の悪い。とは思うものの冷えたら、確かにおいしくない。バック越しに伝わる今川焼きの熱が段々弱くなっているし。
「小清水餡おいしいですか?」
「蕎麦掻食ってるみたいだよ」
やっぱり、そうなんですね……。砂糖醤油も混入済みなのだろうか。色々と謎い。
そうこうしている間に電車は俺の下車する駅へ至る。井塚先輩はひとつ先、又野さんと楓先輩はふたつ先で降りるらしい。ここで、降りるのは俺だけだ。
「三軒寺ぁ」
駅員のコール。
俺は皆に別れを告げて、家路に着く。
そして、ここで重大なことを思い出す。俺は、木霊先輩の家を知らない。折角の今川焼きが。
「珠美くん?」
しょげて、道行く俺の背後から声。この声は間違いない。神よ、この偶然に感謝します。速攻、振り返る。目の前に木霊先輩が立っていた。
「奇遇ですね」
「ですね」
木霊先輩は愛らしく微笑む。
「どうでしたか? 展覧会」
「色んな意味でおもしろかったですよ」
「色んな意味かぁ」
「ところで、根性焼き食べます?」
間違えた。楓先輩のせいで、まちがえた。
木霊先輩の顔に陰が走った。
「な、何を……?」
明らかに動揺している。そりゃ、そうだ、いきなりこんな意味不明なことをいわれれば、当然の反応だ。ここで、当然でない反応を返す人物の心当たりは三人分あるが、木霊先輩はこれでこそ、彼女らしい。
「あ、すいません。今川焼きです」
「今川焼き?」
「大判焼きです」
「あ、分かった」
平常心を取り戻し、木霊先輩は再び微笑んだ。
よかった。変には思われていないようだ。
「どうぞ――」
俺はバッグから包みを取り出そうとし、道端というのも何なので、近くの公園へ向う。何となく、デートっぽい、胸が高鳴った。
「冷えてますね」
「半時間くらい、電車に揺られてましたから」
「でも、ありがとう」
「いえいえ」
「私、好きなんですよ。大判焼き」
これは好感度パラメーターが上昇か? インビジブルなパラメーターだからデバックモードでしか閲覧できないのが残念だ。
二人して暮れなずむ太陽を眼前に据え、緑のプラスチックベンチに腰掛けた。
「知ってました」
知ったかぶる。
「え? 私いいましたっけ?」
純粋な木霊先輩は見事、騙された。
「俺、エスパーですから」
嘯く。
「はは。井塚くんのお陰ですか?」
「かもしれませんね」
「いいね。溶け込んだね」
「はい。木霊先輩のお陰です」
「私??」
すっとんきょうな声で木霊先輩はいった。そんなに以外なのだろうか?
「はい」
真剣な表情で俺は肯定。彼女の両目を見つめて――って、何となく告りましょう的なモードに自分が入っている気配を感じる。雰囲気というか。当然の話、そんな空気になっているのは間違いなく俺だけなのだが。
「私、あんまり顔出してないし……」
「何か用事があるんでしょう。来たって、駄弁ってるか、麻雀してるか、ESP実験してるか、三択ですよ」
空気を振り払うべく、努める俺。頑張れ、俺。まだ、告白にはフラグが足りない。絶望的に不足している。これは、男の勘だ。女を狩る、ハンターとしての雄の本能だ。息が速くなりそうなので、胸を押さえる。
「餡子でも詰まりました?」
木霊先輩は体よく勘違いしてくれたらしい。天然気味なのもナイスアシスト。
「そんなところです」
「粒餡ですしね」
別に粒とか濾しとかは無関係だろうけど、頷く。
「白餡ってどう思いますか?」
「邪道ですね」
意見の一致を見る。
「だから、全部黒餡です」
そして、また忌々しいあいつは鳴った。
いつもの携帯電話。木霊先輩の。また、呼び出されて、俺の前から去るのだろうか?
木霊先輩は、手提げからケータイを取り出すと、サブディスプレイを見つめる。誰から掛かってきているのか、分かるのだろう。最近の機種はサブディスプレイが簡素化しているけれど。
先輩はケータイを開き――しばらく見つめ、切った。
「いいんですか?」
「いいんですよ」
意外な展開だ。この前は酔っていたけれど、今日は素面だ。友人からの誘いなのか、親から帰れといわれたのか、真相は知れない。けれど、木霊先輩が俺を選択してくれたのはとても嬉しかった。
――
「告れ」
葉桜はいった。他人事なので、ニヘニヘしている。
「イヤだ」
「なぜだ?」
「まだ、早い」
公園のベンチでも我慢したのだ。したかったけども。時期尚早。
「いやいやいやいや、十分その話を聞くに好印象だぞ」
「待て、カレシ疑惑もあるんだ」
「そのときは、そのとき、轟沈爆沈するだけさ」
「それが問題」
明らかに楽しんでいる風で葉桜は俺のベッドの縁を脚で叩いた。
「しかし、お前も上手くやってるね」
「全然だっての」
「中学時代は困ったヤツだったのに」
それは黒歴史というのですよ。ダークヒストリー。ダークサイドへ落ちなかった分マシかもしれないけども。
「まあ、お前のお陰だ」
実際、中学時代の無二の親友な上に、暗黒面へ俺が落ちなかった理由は葉桜にある。素直に褒めておこう。それに、結局俺自身が入部しに行ったとはいえ、自ら赴かなかった場合、多分、楓先輩が拉致しに来ただろう。
そして、同じように木霊先輩に会えたはずだ。そう考えると、こいつが部活届けを勝手に出していたことも今更ながら、ナイスプレイであるとも思った。
「それは、よかった。高校じゃぁ、構ってあげてないしなぁ」
「別に構わんでいいわ」
「が、熱心だよな。お前」
「どの辺?」
「昼休みも即効消えるじゃん。俺もたまにはお前とメシ食いたいぜ」
「ごめんなぁ。昼休みも木霊先輩狙いさ」
「だから、熱心だっての」
葉桜は俺の背中を叩く。どこか、バカにしているが、その根底にはお前のことは分かっているぜという暖かさがあるから、不快ではない。しかし、やりかえしてこその男の友情。俺も叩き返す。じゃれあう。ベッドシーツが芸術的皺模様を生む。
「そういや、木霊さんも見えるって?」
「ああ、そうなんだよね。そこもなんかシンパシーが沸くっていうか」
そこも木霊先輩に引かれる理由。
今まで、一緒に見れたことはないけれど、非科学的な幽霊の正体が見えるかもしれない。少なくとも、枯れ尾花ではないと俺は思う。個人的体験から。あくまで、個人的体験ゆえに、人それぞれの幽霊観や、見え方が存在するともいえるかもしれないけれど。
「運命だな」
そう持って行きたいらしい。下世話な野郎だ。そのにやけた顔の緩んだ皮を引っ張ってやろう。身を近づける。かわされた。
「いやいや」
「ディスティニーだな」
「いやいや」
「キズメットだな」
一瞬、キスメイトに聞えた俺、自重。いや、自嘲すべきか。
「なんだぞれ」
「運命、英語」
「どうでもいいこと知ってるなぁ、相変わらず」
「褒めんな」
実際、一片たりとも褒めていないが、照れくさそうにするな!
「でも、なんか、お前のときを思うと、余りいい気分じゃないなぁ」
「ああ、けど、和むらしいぜ?」
「それなら、いいのかなぁ。やっぱ、逃げなんじゃないかなぁって思って」
過去を鑑みるようすで腕を組み、葉桜はアイドルポスターの掛かった白い壁紙を見やる。
「逃げで見えるならいいと思うよ。俺の場合と違ってさ」
俺は俯く。余り、思い出したくはない、やっぱり、黒いメモリーだ。脳の中でもきっと、コールタールのようにどす黒く、あたりの脳細胞をその重々しい粘性で侵食しているだろう。タバコに犯された肺のような感じで。
「確かになぁ。ああ、ごめんなぁ。掘り返して」
片手ですまんのポースを葉桜はしながら、いった。
「いいよ。やっぱ、理由が知りたいからさ」
「レイケンの成果はあったか?」
「ないない。全然ない。あれは雑談クラブ」
「そんなこったろーと思ったけど、木霊さんの事例は役に立つかもな」
「うん。ちょっと、そう思う。非科学なこのことにケリつけるよ」
「ああ」
「じゃないと、いつまでも黒歴史だからさ」
そう、このままではいつまで経っても歴史は黒い。タールを除去するのは大変だ。座礁したオイルタンカーが浜辺を汚し、海洋を汚染するさまを見れば、NPOの努力は焼け石の水にしか見えない。でも、最終的に海を取り戻すことができる。うん。ありがとう、葉桜、少し前向きになった。
「ありがとう、前向きになったよ」
「よせや、水臭い。で、告白か?」
「なぜそうなる」
「いやだって、前向きにって」
「政治家のいう、前向きで考えてくれよ」
「はは、なら現状維持か、アングラ工作かどっちだ?」
ピースサインのように中指と人差し指を葉桜は立てた。二択ということを示しているのだろう。いらない、ジェスチャーだ。
「アングラ工作に決まってる」
ようするに、絡め手。
現状維持のような気もしないでもないが。
しかし、現状維持の皮を破るのなら、手始めの『電話の相手』を詮索するのもいいかもしれない。
「ヘマするなよ」
葉桜は俺の肩に手を置く。
「お前も協力しろよ」
俺も親友の肩に手を置く。
「って、最近頼ってこないじゃんか」
「それもそうだなぁ」
――
告白する気はないけれど、少々、シュミレーションしたい気持ちになった俺は、体育館裏へ向った。ベタなテンプレとしかいいようがない場所だけれど、俺にはそんなとっぴな考えは浮かばないし、常人には無理だ。
体育館の入り口と、床に接した吐き出し窓からキュッキュッというバッシュと床板の協奏曲、いや、むしろ、DJがレコードを擦るアレだろうか。ターンテーブルで。でも、そもそも、ヒップホップ部なんかないしね。ダンスクラブが敷地内にあるはずないしね。前者に決まってます。定説でした、ごめんなさい。
考えうる可能性としては、バッシュってバスケ部に限定せず、バレー部かもしれないとか、そういう思慮深いことをもっと巡らそうって話。何、モノトークしてるんだろうなぁ、これはシュミレーションだけど、気持ちが高ぶってるってことだよ。
とかなんとか、グチャグチャなスパゲッティ・プログラム(誤用)を抱えつつ、目的地は後、体育館の角を曲がるだけとなっていた。
意気揚々と曲がろうと、足を――。先客がいた。慌てて引っ込む。危ない危ない、野暮過ぎるというか、デバガメしてしまうところだった。と思いつつ、デバガメは継続。耳だけで。参考にしておこうと算段し。
「なぁ。最近うざいんだよ」
あれ、告白じゃない。喧嘩だろうか。イジメか。
イジメ――。イジメだったら、どうにかしないと。脚が震えた。
しかし、取り越し苦労だったようで、声は女ひとつ、男ひとつだった。もっとも、イジメの可能性はある。何も一対多が全てじゃない。
「だから? 私に何をさせたいの?」
険悪なムード。イジメではないにせよ、余り、聞いていて気分のいい話には聞えない。しかし、女の声は聞き覚えがあるどころか、間違いなく、楓先輩のそれであった。僅かに角から目を突き出し、確認した。
何となく、興味が沸いた。単なる好奇心だけど。
男の方は後姿だけだったが、どこかで見覚えがある気がした。が、きっと廊下ですれ違ったとかそういうレベルで、はっきりとは分からない。もしかして、前世の因縁とかいう展開はないよな。
「辞めさせろよ」
「あんたが辞めればいいでしょ?」
「いいのか。そんなこといってさ」
「うう」
何か弱みを握られているのか、楓先輩は呻く。
「ほんとさぁ、あいつの親もうちの社員だったらよかったのによぉ」
話が全然読めない。第三者の話題。
「あんたの会社じゃないでしょう」
「どうせ、継ぐんだよ。俺が。お前ら庶民と一緒にしないで欲しいな」
「でも、私、何もできないけど」
「じゃあ、沙子がどうなるか、見てみるといいさ」
「ちょっと! まだ、沙子に」
楓先輩の声が荒がる。そもそも、なぜ、ここで木霊先輩の話題が? 意味が分からない。
落ち着け。フリーズ俺。違う違う、クールダウン俺。フリーズしちゃいけないぞ。テンパるな。テンパイがバレるぞ。闇テンできないぞ。じゃあ、リーチか。ダメだ。ダメだ。話を整理するんだ。
「はぁ? お前がそれこそ、何かできるわけ? 何もできないだろ?」
「……」
「どっちにせよ、お前は沙子にも、俺のオーダーもどっちもできないってことだろ?」
「――」
「役立たずだな、お前」
「うるさい、ポ――」
「はぁ?」
男の恫喝じみた声の後、しばしの沈黙。
「ごめんなさい」
楓先輩は謝った。
あの時とは少し、いや、大分違う謝罪。
俺に意味不明に謝った時とは何かが雲泥の差を持っている。何だろう。分からない。あの時は、彼女は謝っていたけど、俺には理由が判らなかった。だけど、謝罪そのものは真摯なものだった。でも、今のは、相手の男は謝られる理由を知っているけれど、今の彼女の謝罪は嘘、フィクショナル――。そんな気がする。
「ふん。わかりゃいいんだよ、わかりゃ」
いった後、唾を吐く音。
そして、足音。こちらに近づいてくる。
俺は身を隠した。
男が通り過ぎる。
やはり、顔は見れなかった。
男が完全に視界から消えるのを見届け、俺は楓先輩をもう一度、見た。また、しおらしくしているのではないかと思ったからだ。しかし、逆だった。彼女は憤怒の顔をしていた。
「先輩」
俺は声を掛けた。
「優くん?」
先輩は取り繕うように般若顔を常の顔に戻す。
「今の誰です?」
訊いてみる。多分、応えは得られない。
案の定、楓先輩は誤魔化した。
「それは気にしない」
「どうしても?」
「ポアします」
「う……」
精神崩壊したくはない。するなら、カミー○みたく最後の花道というか、盛大にその精神を魂を捧げてからにしたい。
「すいません」
「よろしい」
「でも、一ついいですか?」
「うん」
「なんで、あの男にはそういわなかったんですか」
「……」
「弱みでも?」
「私がそんな風に見える?」
見えない。なんでも、ごり押しするような人だ。そうは思えない。
「いいえ」
「なら、よし。破門は取り消そう」
破門……。これの恐ろしさは目にしていないから、わからないけれど、あの時の井塚先輩の戦々恐々振りから察するにオドロオドロシイに違いない。
ひとまず、謎は残ったが、命は助かった形だ。
「で、何してたの? こんなトコで」
「シュミレーションです」
「へ?」
訳が分からないという顔。当然だ。俺だって、葉桜がこういったら、何をいってんだ、ヴァーカといっているだろうし。
「こっちの話ですよ」
「そっか、部室行く?」
「はい」
部室には誰もいなかった。又野さんすらいなかった。無人なのは珍しい。
「楓先輩」
「何?」
パイプ椅子に腰掛ける。
ふと、窓際の椅子にのった本が目に入る。さっきまで又野さんはここにいたらしい。トイレだろうか?
「神様っていると思ってますか?」
「え? 唐突だね」
「だって、楓先輩、教祖なんでしょう? いつ、天啓受けたのかなって、気になって」
「そんな古い話じゃないよ。ムハンマドだって、最初はビビってたしね」
「楓先輩もですか?」
「そうね、そんなところ」
「俺もです。最初、見たときってうわって思いますよね」
「お化けと神は違うと思うけどなぁ」
「日本的価値観だと遜色ないと思いません?」
「確かにね。余り変わらない。神と悪霊の差って何だろうね」
「分かりません」
「私はひとつだけいえるよ」
楓先輩は椅子に掛けた腰をずらし、掛けなおす。そして、頬杖を付く。
「得体が知れぬものは、悪霊とか悪魔なんだよ。幽霊だってそう、恵みをもたらすとか、そういう要素があれば、それは精霊とか田の神とか、そういう土地神みたいなものになるのかな、って思ったり。でも、そういうのって、共通認識の問題で、神ってのは個人に宿るのかもしれない、見ているのは教祖ただひとり。だから、後の教団がその道を外して行くのも頷けるかな」
ちょっと深い話だ。楓先輩が知的に見えた。
「でも、それだと主観の差ですか?」
「そうだと思うよ。怖いものは化け物なんだよ」
怖いものがバケモノ。だから、その正体を確かめたい。そう、思うんだろう。俺が幽霊を非科学的だと思うのもそこから来る考えでレッテルなのかもしれないと感じた。
「じゃあ、木霊先輩は?」
「だから、私もね、木霊に見て欲しいんだよ。私を救った神様を」
深い感情のこもった眼差しで先輩はいった。
「でも、それでいいんですかね」
「へ?」
「キリスト教だって、主の力じゃなくて、キリストの力だだったと思うんです。俺」
「そうかもね」
思案顔で楓先輩は続けた。
「実際のキリストは人間的なんだよね。ユダを裏切りものと謗り、最後まで許さないといってたわけだから。死んでしまったら、もう誰も本人を知らないから、延々と神格化が進むだけだけれどね。そうだね、優くんのいうこと、一理てか二理くらいあるかもね。他者に頼れない人間が何か超常の存在を求めるのかも?」
あ。合点がいった。
俺が幽霊の見えなくなった理由。
あのとき、葉桜がいたからだ。多分。
「楓先輩」
俺は先輩の両手を握り締めた。顎が掌から離れ、先輩はバランスを一時失う。
「ちょっと」
「ありがとうございます。レイケン入ってよかったですよ」
きっと、俺はそれこそ天啓を受けたキリストの顔をしているのだろう。
なぜ、愛や助け合いと宗教がリンクするのか?
そういった類の回答も得られたような気さえする。こういう感情の高鳴りを万能感とでもいうのだろうか? だとすると、今の俺はその感覚に満たされている。
「何が?」
先輩は訳が分からず、戸惑っている。
当たり前だけれど。
「こっちの話です」
俺は誤魔化した。
最近、楓先輩の影響か、こういう誤魔化し方が増えた気もする。そして、案の定、楓先輩は、「それ、多いね」といった。
「先輩の棚上げみたいなものです、これから十八番にしますね」
「はは、やめてよね」
先輩はためらいつつも、笑みを返してくれた。




