6-12 落日
一応本編はこれで終わりですが、まだちょっとだけ戦後世界の話が続きます。
下の画像は戦後世界の地図です。
―――12月25日、メリーランド州沖戦艦長門艦上
西海岸に停泊中の連合艦隊旗艦長門の艦上でこの日、合衆国政府および合衆国軍の降伏文書調印式が行われた。11時までに、全ての連合国枢軸国の代表団が長門へ乗艦し、調印式が始まった。
アメリカ側全権のルーズベルトは黙々と車椅子を押して降伏文書の置かれた机へ向かい、文書に署名。枢軸国側から、日本、イタリア、ドイツ、ハンガリー、ルーマニア、ブルガリア、スペイン、タイの代表団がそれらに署名して連合国の無条件降伏を受け入れた。
一連の調印式はメディアを通して全世界に発信され、各国の代表は18日時点でアメリカの降伏が大使館を通して知らされていたが、アメリカ国民は突然の降伏に衝撃を受けた。
なぜ徹底抗戦派のルーズベルトがこの時になって突然降伏へ動いたのか。それは未だに分かっていない。ルーズベルトは降伏した翌日に大統領を辞任し、ホワイトハウスから去り地元へ戻った。それから、無条件降伏について聞かれても、一切口を開くことはなかったのだ。スパイの工作によって降伏させられただとか、実は影武者がいただとか、ホワイトハウスへの爆撃を恐れただとか色々な説が飛び交っているが、真偽は定かではない。ルーズベルトが大統領を辞任し、次の大統領に副大統領のハリー・トルーマンが選ばれたが、日本の圧力によって大統領府などが解体されアメリカの実権は持てず、事実上アメリカ全土が日本の占領下に置かれた。
翌年、ベルリンにおいて世界大戦の講和条約が結ばれた。これによってアメリカなどを始めとする敗戦国の運命が定められた。まず、フランスは北部がドイツに占領されたままだったが、占領を解除しフランス北部が返還され、首都はヴィシーからパリに戻った。イギリスもドイツ占領下から解放され主権を取り戻し、首相はイギリス・ファシスト連合のオズワルド・モズレーが、国王はカナダ総督の妻でヴィクトリア女王の孫のアリス・オールバニが選ばれた。しかし、これらはドイツの傀儡政府で、まだ主権を完全に取り戻したとは言い難い状況だった。その後イギリスからスコットランドが独立し、イギリスは国名をイングランドへ改めた。一方で、イギリスフランスの植民地は、アフリカ大陸がドイツの占領下に、アジア植民地が日本の占領下となった。枢軸国はこれらの占領地を3年以内に独立させることを約束するが、同時に英仏は全ての海外植民地を失うことになった。アフリカやアジアの独立が約束される一方で、ベネルクス、デンマーク、ポーランドはドイツの占領地のまま、ユーゴスラビアは枢軸国の分割統治のままであった。アメリカに関しては、ハワイ、アラスカの占領が継続され、パナマ運河の租借権を日本へ譲渡、更にアメリカ西海岸(ワシントン、オレゴン、カリフォルニア州)が日本の傀儡国であるアメリカ太平洋共和国(西アメリカ)として独立した。アメリカ合衆国は建国以来初めての領土喪失となるが、独立を保つことはできた。カナダは英連邦から切り離され、完全な主権国として再出発した。
太平洋を完全に掌握した日本は、大東亜共栄圏の成立を宣言した。日本を盟主とするブロックが明確に定められ、大東亜共栄圏は政治的、経済的、軍事的に協力し合う広域同盟であると明文化した。まだ旧植民地のほとんどが占領状態だが、占領が解除させるまでの3年間、経済的、政治的に独立できるよう支援すると約束した。また、日本は租借権が譲渡された香港、昭南島(旧シンガポール)を東アジアにおける拠点として大規模な整備を開始。軍港が整えられ、日本海軍が常駐するようになった。
国内政治も変容し、強権的な政治から民間主導の穏健な政治になり、民主化が推し進められた。巨大経済ブロック建設のため、インフラの増強も行われ始めた。戦時中から計画されていた東海道新幹線の開通は1950年までと定められた。また、ヨーロッパとアジア各地を結ぶ大東亜縦貫鉄道の工事も開始された。釜山-奉天-北京-漢口-南京-桂林-ハノイ-バンコク-昭南を結ぶルート、上海-昆明-ラングーン-カルカッタ-デリーテヘラン-イスタンブール-ベルリンを結ぶルート、天津-粛州-安西-カシュガル-タシュケント-スターリングラード-キエフ-ワルシャワ-ベルリンを結ぶルートが計画された。中華民国内での鉄道や用地の買収は済んでおり、計画は十分実現可能だ。
その頃、ドイツではヒトラーが大ゲルマン帝国の成立を宣言。国名を大ゲルマン帝国へ改名し、首都のベルリンもゲルマニアへと改められた。ロンドンやパリにも劣らぬ首都を建設するため、巨額の予算を投じて建設が始められた。
日本、ドイツが新時代の列強となり、新たな世界秩序がつくられようとしていた。