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5-3 自由インド

今年の3月にシベリア行った時の話。夜ホテルに行くためタクシーに乗ったのですが、言葉が通じず、何も無い極寒の大地でタクシーから降ろされめっちゃ寒かったです。皆さんは春が来る前にシベリア行くのはやめましょう。

1941年4月。独ソ戦開始から2か月が経ち、ドイツは東部戦線を大きく押し上げた。北はレニングラードを包囲し、中部ではスモレンスクを占領、南部ではキエフを占領し、ドイツ軍優位のまま戦争は続いていた。


―――ドイツ、総統官邸


「総統閣下、日本の外務省より連絡です。対ソ戦の準備ができていないことと、冬季戦により部隊を消耗する可能性から、参戦は見送るとのことです」


会議室に入ってきた外相、リッベントロップはヒトラーにそう報告した。


「そうか・・・日本は1918年のことがあるから、無理もない。日本にはアメリカの相手をする、という役目もあるからな。

・・・カイテル、これ以上の進軍は我が軍の損害が増えるだけだ。雪が溶けてきて、道がぬかるみ始めているうえ、赤軍はドニエプル川以東に防衛線を築いている。日本が参戦するまでロシアのインフラ整備とパルチザンの鎮圧を指示してくれ」


「はっ、かしこまりました」


ヒトラーはカイテルの方を向いて、そう指示する。

道のぬかるみによって進軍速度が低下し、戦車による電撃戦ができなくなり、しかもドニエプル川を渡ることは難しい。占領地の赤軍パルチザンはソ連政府の指揮を受け、ドイツ軍後方のインフラを破壊しているため、ドイツ軍の補給に問題が出るからだ。



一方その頃、アジアではまた大きな戦いが始まった。


本土の陥落によって弱体化したイギリスに対し、長年の圧政、植民地支配によって不満を募らせていたインドが、ついにインド全土で反乱を開始。自由インドの指導者、チャンドラ・ボースが多くの有志を集め、反乱を起こすことを呼びかけたのだ。日本は自由インドに対して銃などを支援し、武器も十分に持っている状態だった。更に、反乱が始まって以降、ビルマの日本軍が越境を開始し、直接的な支援を実行。これにより、インド国内にいるイギリス軍などは猛攻撃を受け、敗退していった。

イギリス軍は、イギリス領インド帝国の首都、ニューデリーで抵抗するも、反乱軍に包囲され降伏し、同時にイギリス領インド帝国も降伏した。

このことは1858年のインド大反乱になぞらえて、第二次インド大反乱と呼ばれた。


イギリスによる植民地支配が終わり、インドは自由インドの統治下となった。また、セイロン島には日本軍が上陸し、同地を占領。アジア地域のゴム資源は日本がほぼ独占し、連合国はゴム資源不足が深刻化。車両や航空機の生産に支障が出るだろう。


インド大反乱により、アジアの連合国支配地域はほぼ制圧された。


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