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4-13 日豪休戦

珊瑚海海戦の後、日米両軍は何度か衝突したが、日本の制空下での作戦は無意味に等しく、アメリカ海軍は何もできないまま、日本軍は上陸作戦を実行。ツラギ島やガダルカナル島には守備隊は少数しかおらず、すぐに占領され、ソロモン諸島全域が日本のものになった。


こうして、米豪のシーレーンは遮断され、アメリカはオーストラリアに援軍も物資も送ることが不可能になった。宗主国であるイギリスも降伏しており、オーストラリアは無力化されたことと等しかった。


そんな中、オーストラリア北部の都市、ダーウィンが空襲を受け、市街地の大半が瓦礫の山と化した。続いて、ウィンダムやタウンズビルなども空襲した。オーストラリア国民にとって、空襲は物的損害よりも心理的な影響が強く、国内では反戦デモが多発した。



―――キャンベラ、首相官邸


国が窮地に立たされている中、オーストラリアの首相、ロバート・メンジャーズの元に日本政府から文書が届いた。


(休戦協定・・・?)


その文書には、日本からの休戦協定締結の提案と称されたことが書いてあった。

休戦協定の内容は、


・両国は交戦を放棄し、戦闘停止すること。

・日本の占領地域の現状維持の容認をすること。

・オーストラリアは中立を守ること。

・相互不可侵を締結すること。

・イギリス連邦から離脱すること。

・オーストラリア軍を縮小すること。

・港湾、鉄道権利を譲渡すること。

・物資、労働者を提供すること。

・休戦委員会の設置すること。

・軍事基地の貸与及び建設の許可をすること。


などと、日本にとって有利な内容だった。


(条件こそはあまり厳しくないが、単独でこれを結ぶと同盟国を裏切ることになってしまう・・・だが、国民のことを考えればどうだろうか・・・?)


休戦の受諾については議会で話し合われたが、意見が分かれ、外交交渉は膠着した。しかし、そんな中、日本軍機がキャンベラ、メルボルンを空襲。降伏勧告とも捉えられるその空襲は、市街地や市の中枢を無差別に攻撃。オーストラリア空軍は迎撃隊を出したが、日本軍機の旋回性や格闘性能には敵わず、空襲の後はあちこちから煙が立ち上った。

首都の空襲を受け、ついにオーストラリア政府は受諾し、日豪休戦協定を締結。同時に、イギリス連邦からの脱退を表明した。同様の休戦協定をニュージーランドに提案したところ、ニュージーランド政府はこれを受諾し、ニュージーランドとオーストラリアは第二次世界大戦から離脱した。


オーストラリア国民は日本への憎悪を抱えつつも、まずは無意味な戦争が終わったことを喜んだ。しかし、連合国軍はこれらの出来事により、士気を低下させつつあった。


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