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3-2 フランス侵攻

―――1938年、5月


「おい、何だあれは!?」


外が騒がしいと思い、マジノ要塞を飛び出たフランス兵が目撃したのは、国境を越えてきたドイツのC軍集団である。ドイツの戦車部隊などが怒涛の勢いでこちらへ迫ってきていたのだ。


「まずい・・ドイツ軍が攻めてきたんだ!」



戦争には消極的なフランス人にとって、その大軍は衝撃的なものだった。

マジノ線にいるフランス兵たちは要塞にこもり、侵攻を食い止めようとしたが、C軍集団はマジノ線のフランス軍を釘付けにする目的であり、ここから侵攻しようとは考えていなかった。


本格的にフランスへ侵攻するB軍集団は、アルデンヌの森を戦車部隊で突き破り、戦線を一気に突破してフランスを蹂躙するのだ。ベネルクスとマジノ線の間にあるアルデンヌの森は、通り道にされるであろうベネルクスとフランス本国と比べ、警備が手薄である。何故なら、アルデンヌの森は自然要塞とまで言われるほど、突破は難しかったからだ。ドイツ軍はアルデンヌの森を突破するなど、考えられなかったのだ。


ドイツに比べて装甲車や飛行機などの兵器が貧弱で、国土も小さいベネルクス三国はあっという間に戦線を突破されてしまった。ベルギーにはドイツの侵攻に備えて造られたエバン・エマール要塞があったが、空挺部隊によって工兵が投下され、要塞の破壊を行い、その後歩兵部隊が制圧した。


アルデンヌの森を突破されたフランスやベネルクスは防衛線が崩壊し、多くの部隊が包囲され、オランダは4日後、ベルギーは12日後に降伏し、英仏はドイツ軍の電撃戦に追い詰められていった。


英仏軍は、ドイツによる北東部への激しい打撃に対し、フランス南部での攻勢を行うことを決めた。しかし、ドイツはこの情報を傍受(本当は日本政府からの警告)し、攻勢に出た英仏軍を撃退した。


その後、フランスのイギリス海峡にある港湾都市が次々に占領され、英仏軍はダンケルクで完全に包囲されてしまった。



―――ベルリン、総統官邸


「総統閣下、ダンケルクを完全に包囲しましたが、この後をどうしましょうか?」


国防軍最高司令部総長であるヴィルヘルム・カイテルは、ヒトラーにそう聞いた。


「うーむ・・・装甲師団に傷をつけたくない。航空攻撃だけで何とかならないか?ゲーリングはできると言っているぞ」


「そ、そうですか・・・」

(ダンケルクには大量に英仏の将官がいる。航空攻撃だけじゃ撤退されてしまうかもしれない・・・)


カイテルがそう思っていた時、外務大臣であるノイラートが執務室へ入ってきた。


「総統閣下、日本政府より入電です。内容は『このままではイギリスに34万人の将官が短期間で撤退されてしまう。撤退されないためにも、陸軍による包囲殲滅が必要だ。ドーバー海峡に潜水艦や駆逐艦を展開させる対応も取ってほしい』とのことです」


その内容は、ダイナモ作戦のことであった。英仏の戦力を削るためにも、枢軸国にとっては必ず阻止しなければいけないことだ。


「・・・だそうですが、総統閣下、どうしましょうか?」


「・・・日本が言うのなら、そうしてくれ」


「はっかしこまりました」


こうして、またもや史実が塗り替えられるのであった。


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