2-2 不可侵条約
今日は終戦記念日ということで、2話投稿します。
―――1937年2月、中華民国、南京
この日、国民党の最高指導者である蒋介石宛てに日本政府からの文書が送られてきた。
その文書は、国民党幹部によって蒋介石の手に渡った。
蒋介石は、突然届けられた文書にいくつか疑問を覚えたが、それを心にしまって、文書を開き、全文を読んだ。
その内容は・・・
「大日本帝国及び中華民国国民政府の安全保障に関する提案
両国は独立と平和を樹立させるため、双方の武力による行為を禁じ、侵略行為を行わないことを約束すること。一方が破棄宣告をした場合、満1年後に効力を失う。また、片方の国が戦争状態になった場合、その交戦国に対する援助、支援は禁じる。
大日本帝国は、中華民国内の他勢力の討伐による東亜平和の確立のため、国民政府に対し経済的支援、援助をすること。
大日本帝国は、中華民国国内より支那駐屯軍を国外へ撤退させること」
という内容だった。
「こ、これは・・・」
全文を読み終えた時、その内容に蒋介石は言葉にできない驚きを覚えた。
それは、あまりにも予想外の内容だったからだ。
日本は、不可侵条約を結んで共産党や奥地の軍閥勢力と対抗しようと言ってきたのだ。そのために、日本は支那駐屯軍を撤退させて、更に国民党へ援助をするというのだ。
蒋介石自身、この条約には賛成である。
何故なら、日本と衝突することだけは避けたかったからだ。現在国民党は共産党と内戦中であり、日本と戦ってしまうと共産党との戦いに集中できず、結果的に国民党がなくなってしまう可能性もあるからだ。共産党と戦うことが優先事項なのだ。
相互不可侵の上に、資金の援助まであるので、戦争で有利になれることは確かだ。
しかし、問題は国民党と国民がこれに反発しないかだ。汪兆銘などは親日だが、幹部には反日も多く、国民も抗日運動を何度も起こすぐらいなので、反日も多い。蒋介石はそれが心配だった。
「しかし、今はこれを結んでおくのが最善か・・・」
彼の脳内では、国民の反感を買っても共産党に勝つ方が優先だった。
故に、この文書の内容の全てを受け入れることを決めた。
その後、日本政府と国民政府の間で外交団による交渉が進められ、ついに不可侵条約や資金援助などを盛り込んだ安全保障条約が締結された。
もちろん、国民党の内部でも反発があったが、蒋介石の強い意志により、反発は収まった。国内でも、抗日運動が各地で起きたが、政府が「日本からの資金援助で、共産党と決着がつけられるから、勝てば生活がよくなる」と言ったため、運動は徐々に沈静化していった。
しかし、この条約の締結には国外で大きく驚いた国があった。