5.竜と箒/加速度魔術
前回のあらすじ。黒猫と、竜を見に出かけた。
改めて黒猫が乗る木を検分するが、泰雅の体重まで支えるのは難しそうだ。何とかならないだろうか――
自分を沈める力――重力を意識する。そのどこかに介入できれば、この不愉快も軽減解消することができる。いや、すでに――このように考え始めたことで、水の冷たさも半分気にならなくなってきている。元来集中すると雑音が気にならなくなる性格なのだ。
自分の質量を減らせるとして、身体の一部が消滅するのは願い下げだ。惑星質量を消せば、まず大気層が失われる。可能不可能以前にやるべきではないだろう。重力そのものを操るのは難しいと思う。重力定数は、光速度、プランク定数と並び物理の根幹をなす定数だ。弄れるとも思えないし、弄った結果宇宙が崩壊しても困る。
発想を変えよう。力はベクトルだから合成できる。上向きに、体重×重力加速度以上の力を加えれば、飛べる筈だ。重心は臍のあたりだから、下半身に上向きの力を加えると、バランスを取る加減が難しいかもしれない。上半身にある大きな骨といえば何だろう。
泰雅は自分の肩甲骨を意識した。そこに上向きの力を加えていく。蹠にかかる圧力が減っていく。
「イテ」
およそ体重が2/3程になったところで泰雅は魔術を中断した。肩が背中から外れそうな痛みに耐えられなくなったのだ。大きな骨といえば、あとは頭蓋骨だが、こちらは試す気にもならない。頸椎が全体重に耐えられるわけがないからだ。
泰雅は細い枝の上で溶けたように体を伸ばす黒猫をうらやましげに見やった。しかしその枝は、あの体重を支えきれるような太さとも思えない。
なるほど、と泰雅は思った。魔女が箒に乗りたがるわけである。
しかし細い柄の上は、いかにもバランスが取り難そうだ。束ねた小枝の上に座るのが現実的だろう。実際魔女がいたかどうか、飛べたかどうかは別にして。
ところでいまここに箒はない。枝を剪って作るというのは迂遠すぎる。必要なのは箒ではない。しっかりした座席と操縦桿だ。何とかなるかもしれない。
泰雅はロープを出して、鞘に納めたままの長剣の鍔附近に、背嚢を縛りつけた。またがる前に、即席の代用箒を浮かべてみる。重心を意識して、方向を厳密に、力は徐々に。
黒猫は興味深そうに泰雅を眺めている。
手の中から重さが消える。指が離れると、箒はただちに魔術の影響を失い、落下し始める。泰雅はあわてて箒を掴み直した。箒の重みが腕にかかる。意識がそれた途端、魔術を維持できなくなった。
魔術の対象にできるのは、直接ないしミスリルで間接的に触れたものだけ、ということを忘れていた。再び箒を宙に浮かべる。柄頭をつまんだ右人差指と親指だけで動かしてみる。重力と魔術による加速度が打ち消しあっているだけで、質量そのものがなくなったわけではない。箒は重心を中心に回転しようとする。剣尖が真下を向いたところで回転をとめ、今度は魔術で箒を右に動かそうとする。抗重力加速度をそのままに、僅かに右向きの加速度をイメージに加える。1/10G程だ。箒は滑らかに右へ移動を始める。腕がのびきる前に左向きの加速度をイメージしたが、急には減速せず、箒が掌から離れそうになる。柄を握り直す。今度は落とさない。
小加速度で速度をコントロールするのは難しそうだ。大加速度に瞬間だけさらすのはどうだろう。




