1.転移/違和感
前話のあらすじ。黒猫に襲われる悪夢を見た。
ベッドの周囲を見回したが、服はもちろん、布片一枚見あたらない。毛布を羽織り、合わせ目をしっかり握り込む。余った端が床を引きずるのに頓着せず、窓辺に移動した。
外界を見て泰雅は嘆息した。この家はどうやら森の中にあるらしかった。森の上に広がる空は蒼い。その木々は、どうもあまり見慣れない。葉は青、幹は茶色だが奇妙な形だ。――強いて言えば蘇鉄か棕櫚に近いだろうか。人影はない。泰雅は左手で毛布を抑え直すと、右手で窓を押し開けた。途端森からの風が小鳥のさえずりと木々の葉鳴りをつれて部屋を満たした。
五感への刺激はとても本当らしく感じられ、そして全く日本らしくなかった。黒猫に襲われたのが昨晩のこととして――わずか数時間のうちに外国へ運ぶことなど、できるだろうか。第一誘拐したなら拘束されていない理由がわからない。ゲーム世界にとじ込められる、という厨二臭い可能性は考えなかった。今現在どんなVRもここまで圧倒的な存在感を保つことはできない。しかしそのくっきり見える光景に、どことははっきり言えない違和感がある。
泰雅は、実は目が悪い。読書好きの彼は、両親から暗いところで本を読まないよう、寝転がって本を読まないようしつこく注意されていたが、結局中学入学時には左目だけ0.2程度まで視力が落ちてしまっていた。コンタクトか眼鏡をかけなければ、伸ばした指先さえ滲んで見える。ところが今、20mは離れている木々は隅々までくっきりと見えている。微風に揺れる葉の一枚一枚の動きさえ捉えることができる。泰雅は窓枠を強く握りしめた。
触覚――毛布の柔らかさ、浮き出た年輪の凹凸、気流を騙すMMPなど見聞は愚か想像さえできない。異世界召喚/転移についても同様だ。そもそも異世界って、なんだよ?という話ではある――しかし。
泰雅はあることに思いあたり、思い切り眉をしかめた。
ここに、既知の世界ではないという反例が、一匹。
あの言葉を喋る黒猫である。何らかのトリックである可能性は否定できない。寧ろ、そうであってほしい。
さもなければ、異世界モノの主人公という恐ろしい運命に陥ったことになる。
けれどもし、本当に、そうならば。泰雅は祈った。せめてチートがありますように。