2.武術/長弓2
前回のあらすじ。長弓の基本技能を身に付けた。
弓のところへ戻り、籠手をつけてから再び矢をつがえる。
カン ゴッ
乾いた音と共に、弓に蓄えられた力が解放される。矢は中心から1時方向に30cm程離れて突き刺さる。
泰雅は狙いを変えずに2射目を放った。1時半15cm。3射目。1時半20cm。どうやら今の狙いは右上にずれているようだ。泰雅は弓を左へ動かした。高さは変えずに4射目、11時半20cm。12時!25cm。0時半15cm。空中に狙いをつけているせいか、ばらつきが大きい。同じ狙いで7射、12時15cm。6射目すれすれだ。0時半25cm。1時15cm。
箙には残り3本。弓をわずかに下に向ける。弓に巻かれた獣皮の凹凸を目安に。ここだ。10射目、ブルズアイ!11射目、4時10cm。最後の1本は9時15cmだった。弓を置き、的に向かって歩き出す。30cmもぶれるようでは、ようやく胴体にあてられる距離ということだ。ヘッドショットを決めるためには、5mまで近づかなければならない。悠長に弓など構えてはいられないだろう。
再び10mの距離で弓を執る。このばらつき具合では、20mも離れたらまた矢を探す羽目になる。それはそれで森歩きの練習になりそうだが。
余計なことを考え、しかし機械的に射つことに努めたせいか、矢は幅10cm、高さ10cm弱の範囲に収まっていた。無心になったり、父母未生以前の面目で射てば、飛躍的に命中率が上がるのかもしれないが、そもそもそんなことが実戦で可能なのか。
しかし実戦か。
矢を回収する。次の1セット12本は、的の向こうに、抜刀し、血相を変え、殺到してくる敵を想像してみた。
20m…15m…10m!
カン
矢は吸い込まれるように的の中央に。空想の敵が崩れ落ちる。目を前方に向けたまま、次の矢をつがえる。
15m。その間も敵は接近してくる。10m。
カン
矢継ぎ!驚いて集中が切れた途端に、矢を取り落としてしまう。空想の敵に切り伏せられ、泰雅は大の字に転がった。今の2射で、これまでの倍も疲れた気がする。けれど集中して射った感じは悪くない。構えも狙いも全て意識の背後に押しやられて、矢を放つことにさえ、思考が介在しない。
泰雅は上半身を起こした。
こんなに消耗してちゃ、いけないんだろうけど。実戦では。
矢を1本失い、11本1セットで何度か射たが、あの神懸かった集中は二度と訪れなかった。半数必中界は却って10cm程に拡がっていた。速射のときは特に酷く、的を外した2本の矢を探している間に日が落ちてしまい、泰雅は結局、黒猫に回収をお願いする羽目になった。黒猫は音もなく木の下闇を渡り歩いて、迷いもせずに矢を回収してみせた。
特別にマーキングでもしているのだろうか。魚の臭いとか。
受け取った矢を嗅いでみるが、そんな気もしない。
「臭イトイエバ、鉄ノ臭イガスルワケダシ」
それを端目にかけて黒猫は淡々と注釈した。
「矢ノ貫イタ葉ヤ枝ヲ結ンデイケバ、ソノ先ニアル道理ダ」
なるほど。
しかしこの夕闇の中、森で千切れた葉片を探せるのは、猫か魔性の者に違いない。
夕食の後、早々に床を取る。火を灯してまで起きているという習慣はないようだ。田舎だから、ということはあるかもしれない。
昨晩の夢に母が現れたことを思い出して、泰雅は自然と家族のことを考え始めていた。
ほっそりとして、いつも化粧気のなかった母は、よく気が回り、真面目で、ちょっと頑固なところがあった。愛情や心配が、注意という形で現れると、言う事すべてを聞くまで止めず、泰雅が拗ねて逆効果におわることもあった。ピアノが趣味で、泰雅たち3人の子供達がピアノを習っていたのも、その影響だ。ミステリーマニアだが、泰雅は母の蔵書を殆ど読んだことがない。逆に泰雅の買ったラノベは、時折続きを催促するほど気に入ったりしていた。
フルタイムで働き、父に頼んで週に1、2度残業したのに、よく書類を持ち帰っては疲れ切った顔でマーカーを引いていた。義務と心得て家事もこなしていたが、得意でも好きでもなかったようだ。泰雅の部屋を限界まで放置してくれたのが、有難かったともいえる。
母がもしこの世界に転移したら。
おそらく相当混乱するだろう。あの常識的、現実的なメンタリティは、異世界モノとは相容れない――気がする。ましてその理由が、やってみたかったからだと聞けば、怒り狂うに違いなかった。けれども戻る術がない――戻っても仕方がないことを受け入れたとしたら。
心配だ。
信念を曲げる柔軟さもなく、野蛮な環境における生残性にも欠ける。もし本当に母がこの世界に居たとしたら、泰雅は自分のこと以上に母を心配しなくてはならなかったろう。
しかし、同時に、もし本当に母がこの世界に居たとしたら、母が自分を守るのに懸命になってくれただろうこともわかっていた。考えるのもばからしい程確信できた。
泰雅が異世界に転移したことを知ったとしたら。黒猫の話によれば、オリジナルの泰雅はこの瞬間にも、母の傍らにいる筈であるが――だからこそ、母に心配をかけていないことを安心していられるのだが。
母は自分に何を望むだろうか。
次回からは、魔術のガイダンスになります。




