2.武術/トイレ
前回のあらすじ。武術チートもないらしい。
少々尾籠なおはなしです。
母を夢見た。中学の間に身長は追い抜いたものの、日常生活でも勉強でも、泰雅は世話を焼かれっぱなしだった。
泰雅がピアノを弾き始めたのは母の影響だった。その時々の腕前に応じて誘う連弾を、泰雅はいつも面倒くさがって断り続けていた。少し不満そうにあきらめる母の笑みを思い出す。いつでも手に入れることができたのに、永久に失われてしまった機会のことを考えて、泰雅は胸が苦しくなった。深呼吸を繰り返して、落ち着こうとする。
目を覚ました。窓を開け、鎧戸を開く。空は明るかったが、陽ざしは低い。早朝の冷気に泰雅は身ぶるいした。
少女が水桶を2つ提げて歩いてくる。華奢な肩に天秤棒がくいこんでいる。
「おはよう」
泰雅は思い切って声をかけた。フィービは荷を下ろすと、丁寧に腰を折り挨拶を返した。相変わらず表情は乏しい。
「おはようございます」
朝早くから水汲みなどして上機嫌であるはずもない。泰雅にその仕事の邪魔までされている。
「ええっと、トイレはどこ?」
水桶を置いて、フィービは部屋まで泰雅を迎えに来た。スコップをさしだす。
「これは?」
「すみません。朝の支度がありますので、ご自分でお願します」
「いや、トイレ」
「このあたりには危険な獣はいないので、あまり近すぎない場所にして下さい」
森を指す。
ようやく泰雅は、こんな山の中の一軒家に水洗などあろう筈がないことに気がついた。慌ててスコップを受け取る。
「わかった。大丈夫。えーと、何か紙はある?」
「紙ですかっ」
この世界で紙といえば手作りのパルプを手漉きしたものに違いない。トイレで使うようなものではないのだろう。厚味や硬さが用途に適していない可能性もある。
「紙じゃないと、何を使ってるの」
「なんでそんなこと聞くんですかっ」
少女は抗議した。しかし泰雅も追及の手をゆるめない。ゆるめるわけにはいかない。自分自身の重要緊急事項なのだからして。
「…葉っぱ…」
俯いて、ようやくその一言だけを唇から押し出した。
「どの葉っぱ?」
漆のような木を下手に選んでかぶれたら困ると思ったのだ。
少女は回れ右をして森へのしのし突進した。
「これです」
薄く柔らかな若葉を指すが早いか、脱兎のごとく駆け戻り、桶をひっつかんで背を向けた。
「あ…」
もちろん泰雅が声をかけるいとまもない。
「ありがと」
少女の教えてくれた葉の使い心地は決して悪いものではなかった。それでも泰雅は、トイレットペーパーをこの世界でも再現しようと固く心に誓った。




