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怪盗紳士の盗み方

作者: 緒方あきら

                【予 告 状】


  西山中学校 二年一組担任 荒木先生へ

 蝉の声に暑さを覚える今日この頃、先生にはますますご活躍のこととお喜び申し上げます。さて、このたびお手紙を差し上げましたのは、ひとつ『犯行予告』をさせて頂くためでございます。

 先生が採点される通信表には、私情が入り込み正しい成績が数値化されていないとのうわさを耳にいたしました。これはいけません。教師という立場にあるまじき行為に、私は義憤を覚えております。そのような書類はこの私――『怪盗紳士』が盗み出してご覧に入れましょう。

 この予告状が先生のもとへ届いた翌日、先生がおつけになった通信表をひとつ残らず頂戴しに参ります。どうぞ、心してお待ちくださいませ。それでは失礼いたします。


                             『怪盗紳士』


 ◇ ◇ ◇


 私が放課後に放送室に呼び出されたのは、あと三日で夏休みが始まろうとしている蒸し暑い学期末だった。

 エアコン代を節約するという学校の方針で窓が開け放たれている放送室は、午後の三時を過ぎても嫌になるほど蒸し暑い。窓から吹き込んでくる生ぬるい風が、やる気なさそうに私のほほを撫でた。

「あーあ、呼び出しとかマジかったるいんだけど」

 机のうえに足を乗せた大野くんが文句を言った。

「やめたまえ大野、行儀が悪いぞ」

「うるせーなぁ、ほっとけよ木戸」

 今日、担任の荒木先生に呼び出された生徒は私、三島響子(みしまきょうこ)を含めて四人。全員が先生のクラス、つまり二年一組のメンバーだ。

 机に足を乗せているのは大野雄大(おおのゆうだい)くん。ちょっとヤンキーが入っていて、でもだからといって他の皆と絡まないわけでもない難しいお年頃な男子。頭に揺れるタンポポみたいな金髪がトレードマークのヤンチャなひとである。

 それを注意したのが成績優秀な学級委員長の木戸拓斗(きどたくと)くん。フレームの細い眼鏡がキラリと光る、いかにも頭のよさそうな男の子。眼鏡の奥の瞳はいつだって鋭い。

「響子ちゃん~、あたしたちなんで呼び出されちゃったんだろうね~」

 私のとなりの席で間延びした口調でふわふわと笑っているのは仲良しの月城奈緒(つきしろなお)。私は奈緒ちゃんって呼んでいる。引っ込み思案だけど頭が良くてすごく優しい、ツインテールが可愛らしい女の子だ。

 大人しかったり活発だったり、真面目だったり不真面目だったりと個性豊かな顔ぶれだけど、私たちには共通していることがあった。それは今私たちを呼び出している教師、荒木先生に反抗的なことである。

「荒木のやつ、いまさら気に食わないやつ集めて説教でもするつもりかよ、だりぃ」

「納得いかないな。僕たちだけが目の敵にされるのは理解に苦しむよ」

「あたしも、わざわざ呼び出されるようなことしてない~」

「とりあえず、先生がくればどんな用事かわかるでしょ」

 荒木先生の書く通知表は授業態度や出席数、テストの出来できちんと採点されていないともっぱらの噂だ。

 実際に先生に媚びを売って仲良くしている子は、テストの成績があんまりよくなくても通知表の最高点である5をもらったりしている。

 それなのに先生のそういうやり方に批判的なことをいった木戸くんは、テストの点数がよくて真面目に授業を聞いていても4にされたりしてしまうのだ。

 そういう先生のやり方に反発を覚えている生徒は多い。私もそのうちのひとりだ。



 ガチャリと扉の開く音がして、荒木先生がやってきた。鼻の下にちょびっとだけ髭をたくわえているのが特徴的な先生は、まっすぐに教壇に向かうと適当に座っていた私たちを手招きした。

「お前ら全員前の席まで来い。これから大事な話がある」

「めんどくせー、いいじゃんこのまま話せよ」

「いいから前に来い。いつまでも帰れなくていいのか?」

「はいはい、わかりましたよ」

 顔をしかめた大野君に続いて、私たちは教壇のすぐ前の席に陣取った。

 先生はノートパソコンを立ち上げてから、咳払いをして私たちの顔を順番に見下ろした。

「今日お前たちを呼び出したのには、もちろん理由がある」

「先生、理由があると言いますと?」

「お前たちのなかに、私のクラスの通信表を盗んだ犯人がいる」

「はぁ? 何を言ってんだよアンタ。てか通信表なくしたわけ?」

「先生、それってまずいんじゃないですか~?」

 ざわつく私たちを、先生は机を叩いて一喝した。

「うるさい! 犯人はお前たちのだれかで間違いないんだ。証拠だってある」

「証拠ってなんですか? あたし、わけがわかりません~」

「今からでも自分がやったと素直に申し出れば許してやらないこともないぞ。あくまで全員、シラを切るつもりなのか?」

 私たちを見回して、荒木先生が声を荒らげる。

「やってねーものはやってねーんだよ。どうせ自分でなくしたんだろ、ボケ」大野くんがそっぽを向いた。

「僕は盗むなんて真似はしておりません。心外です」木戸くんが眼鏡に触れながらため息をつく。

「あたし、何もしてません~」奈緒ちゃんは困り顔で首を横に振っている。

「知らない。私なんにもしていません。言いがかりはやめてください」私だって黙っていない。

「そうか、あくまで全員やっていないというんだな。それなら、これを見ろ」

 先生はノートパソコンを操作すると、画面いっぱいに何かの画像を表示させてこっちに向けた。私たちは身を乗り出すようにして、パソコン画面を覗き込む。そこには機械的な文字で予告状と書かれた手紙の写真が表示されていた。


 ◇ ◇ ◇


                【予 告 状】


  西山中学校 二年一組担任 荒木先生へ

 蝉の声に暑さを覚える今日この頃、先生にはますますご活躍のこととお喜び申し上げます。さて、このたびお手紙を差し上げましたのは、ひとつ『犯行予告』をさせて頂くためでございます。

 先生が採点される通信表には、私情が入り込み正しい成績が数値化されていないとのうわさを耳にいたしました。これはいけません。教師という立場にあるまじき行為に、私は義憤を覚えております。そのような書類はこの私――『怪盗紳士』が盗み出してご覧に入れましょう。

 この予告状が先生のもとへ届いた翌日、先生がおつけになった通信表をひとつ残らず頂戴しに参ります。どうぞ、心してお待ちくださいませ。それでは失礼いたします。


                             『怪盗紳士』


 ◇ ◇ ◇


 画像を見た私たちは、思わぬおおげさな『予告状』の登場に声をあげて笑った。

「おい荒木、笑かすなよ。何が怪盗紳士だよ」

「先生も意外とユーモアがあるんですね。少し見直しましたよ」

「先生、これ自分で作ったんですか~?」

 予告状の画像を見て笑う皆を、先生が怒鳴りつけた。

「冗談ですむか! これだけなら確かに質の悪いイタズラということで先生だって目をつむる。だが、実際にこの予告状通りに私が書いた通信表は盗まれた。しかも、職員室にある金庫のなかからだ」

 先生の怒りの表情に、大野君や木戸君も笑っていた口をつぐんだ。

「金庫のなかから?」

「どうにも信じられません。本当にこの予告通りに通信表が盗まれてしまったのですか?」

 木戸くんがたずねると、先生はため息をついて頷いた。

「そうだ。昨日の夜、校長先生にお願いして金庫を開いてもらい確認したとき、通信表を入れたファイルの中身が白紙にすり変えられていた。さあ、やったのは誰だ? 素直に謝罪して通信表を返せば、今回は大目に見てやってもいい。早く名乗り出なさい」

「待ってください先生。通信表が盗まれたことはわかりました。でもなんで僕たちの誰かが盗んだと決めつけるんですか?」

 木戸くんの言葉に、荒木先生はパソコンに表示されている予告状を指さした。

「この予告状はな、二日前に行われた避難訓練のあとに先生の机の上に置かれていたんだ。あの日、避難訓練に参加していなかったうちのクラスの生徒はお前たち四人だけだ」


 二日前、私たちの学校は全学年共通で避難訓練を行っていた。ただ、あの日は電車の遅延があったりして訓練に不参加だった生徒が多いらしいのだ。かくいう私も訓練の途中で体調を崩して、保健室で休んでいた。

「僕はあの日、電車が遅延していて十五分ほど参加が遅れただけです。遅延証明書も出しました」

「あたしもです。木戸くんよりお寝坊さんだから、ほとんど訓練には参加しませんでしたけど~。ちゃんと電車が遅れたって言いました~」

「私は体調を崩して保健室に行っていました。荒木先生が行っていいって言ったんじゃないですか。信じられないなら、保険の先生に聞いてもらってもいいですよ」

 私がそういうと、荒木先生の視線が大野くんに向いた。

「ということは大野、お前が犯人か?」

「はぁ? 知るかよ。避難訓練なんて面倒くさいから隣のクラスの連中とサボってただけだよ。なんならそいつらに俺がそのときどこにいたか聞いてみろ。職員室なんていってねーよ」

「それは本当か? 不良仲間と口裏合わせをしているんじゃないのか?」

「疑り深いな、うぜぇ。そんなダセーことしねーっての」

 先生が一度大きく息を吐くと、腰に手を当てて私たちをじっと睨みつけた。

「知っているやつもいるかもしれないが、職員室の前には監視カメラが置かれている。そして今日、警備員さんの許可を得て避難訓練当日のカメラの映像をデータで貰ってきている。お前たちが白状しないのなら、今からこのパソコンでその映像を確認することになるぞ。いいのか?」

 監視カメラと聞いて、私たちは互いに顔を見合わせた。もちろん私はカメラに映るような行為はしていない。けれど、ほかの皆はどうなのか?

 避難訓練をまるごとサボっていた大野くんは首を振っているし、少しだけ遅刻した木戸くんは肩をすくめてみせている。避難訓練にほとんど参加していない奈緒ちゃんは相変わらず不安そうな顔をしているが、とくにそわそわした様子はない。

 この中の誰かが監視カメラの映像に映っているなんてことがあるのだろうか。放送室のなかに、束の間の沈黙が訪れた。


「……いいだろう。お前たちがあくまでシラを切り続けるなら、この映像ではっきりさせようじゃないか」

 先生がパソコンを放送室の機具を繋ぐと、教壇のうえにあるモニターに映像が表示された。マウスのカーソルがカメラ映像と書かれたファイルをクリックすると、高い視点から地面を見下ろすような動画が表示される。

 監視カメラは天井に設置されているのだろう。

「へー、これが防犯カメラの映像か。俺初めて見るよ」

「僕もだ。結構画質が荒いね。これで相手の顔まできちんと識別できるのか疑問だな」

 大野くんと木戸くんが物珍しそうにモニターを見つめている。

 やがて、モニター越しに避難訓練のサイレンの音が聞こえてきた。職員室からも、少しずつ先生が外へ出ていく。担任のクラスを持っている先生はそれぞれの教室にいたはずだから、ここに映っているのはとくに担任を持っていない先生たちなのだろう。

 何人かの先生が出て行ったあと、最後に長いひげが特徴の校長先生が出ていくのが見えた。それきり、映像は誰も出てこない職員室の入り口を映し続けているだけになった。

「ここからが問題だ。避難訓練の間に誰かが入ってくるとしたら、人がいない時だからな」

 先生も私たちに背を向けて、椅子に座ってじっと映像に視線を送る。

 しかし、いつまで待っても映像のなかには人っ子一人通りはしなかった。そしてそのまま、訓練の終了を告げるチャイムの音が聞こえ、先生たちが戻ってくる様子が映し出されていく。

「なっ、バカな。誰も映っていないなんて……」

 先生が立ち上がり戸惑っている。

 職員室には誰も入ってきていない。それなのに、予告状は先生の机のうえに置かれていた――。私はとある考えが頭をよぎり、先生に質問を投げかけた。

「先生、失礼ですが今まで先生の通知表の採点のやり方に、外部から苦情をもらったことはありますか?」

「苦情? おい三島、なんだ突然。どういう意味だ」

「えっと、例えば父兄からの苦情とかです。うちの子は点数がいいのに通知表の成績が低い、とかそういうものです」

「それは、まあ、何回かあるが……。それが今の問題と何の関係あるんだ?」

 眉間にしわを寄せた先生の目をじっと見ながら、私は言葉を続けた。

「関係はあります。もしも先生への苦情があまりにも多かったとしたら……」

 言葉を切って、私は席から立ちあがった。

「この事件の犯人が、わかるかもしれません」

「なに!?」

「おい三島、どういうことだよそれ」

「きょ、響子ちゃん!? なんだか探偵みたいだよ~」


 探偵みたいと言われると、ちょっとまんざらでもない気持ちになってくる。私はゆっくりと驚いている皆の顔を見回してから、人差し指をあげた。

「まず最初にひとつ。荒木先生は不公平な採点を行っていて、それに対して学校に苦情が入っていた。当然苦情を受けるのが荒木先生本人とは限らないから、先生の行為はほかの先生たちの知るところでもあった可能性が高い。先生、校長先生や教頭先生から何か言われたことはありませんか?」

 問いかけに、荒木先生はうつむいた。

「……ないとは言えないが」

「ということは先生は校長先生や教頭先生から注意を受けていたわけですね?」

「ああ、まあそういう話はされたことはあるとだけ言っておこう」

「つまり、校長先生たちはこの不公平な採点を知っていたわけ」

「そんなこと繰り返し言わないでいい! さっさとお前が考えた犯人とやらを言え三島」

 荒木先生が苛立たし気に声をあげた。私は無視して話を続ける。

「次に、避難訓練のときに荒木先生の机のうえに置かれていた予告状よ」

「でも響子ちゃん。監視カメラでも、怪しいひとは映っていなかったよね~?」

「ええ、奈緒ちゃん。誰もいなくなった職員室に入った人はいなかったわね。でも犯人が最初から職員室のなかにいたとしたら、どうかしら?」

「はあ? 職員室の中に?」

「三島さん、それってつまり、あの映像のなかにいた先生たちの誰かが犯人ってことかい? 確かに、荒木先生の机に予告状を置くことは可能かもしれないけど……」

 木戸くんの言葉にうなずいてから、私は指をもう一本あげた。

「これが二つ目。予告状を置ける状態にあるのは、あのとき職員室に居た人たちだけだということ。つまり、あの映像のなかの誰かが犯人であることは間違いない」

「バカな、先生たちが私の通知表を盗むはずがないだろう!」

「普通に考えればそうなります。でも荒木先生。先生は苦情を受けた後も不公平な採点をやめなかった。自分に従わない生徒には悪い採点を続けていた。そうですよね?」

「それがどうした?」

「聞く耳をもたない先生に対して誰かが荒療治に出た、なんてことは考えられませんか?」

「そ、そんなことはどうでもいい! 万が一、職員室のなかの誰かが予告状を置いたとしても、私はすぐに通知表を金庫にしまったんだぞ! それが何故なくなっているんだ!?」

 にこりと微笑んで、私は三つ目の指をあげる。

「答えは簡単です。その金庫の鍵を管理している人こそ、今回の事件の犯人だからです」

「そんなバカな。鍵の管理をしているのは、こ、校長先生だぞ!」

「さっき校長先生にお願いして、とおっしゃっていましたもんね。そう、あの金庫のなかのものを自由に出来るのは、鍵を持っている校長先生にほかならないのです。そして避難訓練当日、さっきの映像を思い出してください。最後に職員室を出て行ったのは誰ですか?」

「最後に出たのはたしか、校長だったよな!?」


 大野くんの言葉に、皆がはっとしたように顔をあげた。

「その通り。誰にも見られずに荒木先生の机に予告状をおける人物……それは校長先生しかあり得ない」

 私は荒木先生に向き直って、たった今考えたばかりの推理を披露した。

「監視カメラの映像、避難訓練の出ていく順番、金庫の鍵、予告状……。この条件をすべてクリアできる人は、校長先生よりほかにありません。どうですか、荒木先生?」

 先生は表情を歪めてがっくりと椅子に座り、口元に手を当ててうなった。しかし、すぐに顔をあげて私の目をじっと睨みつけた。

「理屈はわかった。だがそれはあくまで偶然の一致にしか過ぎないだろう。そもそも校長先生に動機はあるのか、動機は!」

「何度注意しても不公平な採点をやめない先生への、警告ではないでしょうか」

「警告だと?」

「そうです。ファイルの中身は白紙に変えられていたのですよね? つまりこれは、何度注意しても言う事を聞かない先生へ、もう一度きちんと最初からやりなおせというメッセージなのではないでしょうか?」

「そんなことは直接言えば済む話じゃないか」

「先生は注意を受けても変わらなかったのでしょう。だからこういうやり方になったんじゃないですか?」

 教壇のノートパソコンに歩み寄る。その画面には『怪盗紳士』からの予告状が表示されたままになっていた。

「もうひとつポイントがあるの。それがこの『怪盗紳士』という名前」

「えっ? 響子ちゃん、怪盗紳士って名前にも何かヒントがあるの~?」

「『怪盗紳士』っていう名前はアルセーヌ・ルパン。日本ではルパンって呼ばれている泥棒が最初に訳された呼び方なの」

「ああ、あのアニメのやつか?」

「あれはそのルパンのお孫さんだけどね。私はこの本をおじいちゃんの本棚で見たことがあるんだけど、ずっと昔に書かれた古い書物なのね。だってさ、私たちの年代で『怪盗紳士』なんて言葉、使う?」

「確かに使わないかな。僕は初めて聞いたよ」

「あたしも知らなかった~」

「俺も初めて聞いたあだ名だなぁ」

 私はノートパソコンをパタンとたたみ、その先に座っている荒木先生の顔を覗き込んだ。

「そういうことです、先生。『怪盗紳士』は私たちのなかには存在しません。今回の事件に私たちは無関係ですから、もう帰っていいですか?」

「ま、待て! それはあくまで仮説だろう! それにまだ通信表が見つかったわけでは……」


 荒木先生が立ち上がったとき、放送室のドアが開く音がした。

 皆が一斉に振り返る。そこにはたっぷりと長い髭を蓄えた老紳士――校長先生が立っていた。

「こ、こ、校長先生!?」

 荒木先生の声がおかしいくらいにうわずった。

「やあどうも荒木先生、こんな遅くまで補修お疲れ様です」

 校長先生がにっこりと笑う。その顔はまるでなにもかもお見通しだとでも言っているかのように見えた。

「いやぁ、こんな時間まで生徒を指導しているなんて、実に熱心だ。素晴らしい。君たちも頑張っているね」

 私たちがニヤニヤしていると、荒木先生はパソコンを抱えて大慌てで指示を出した。

「あ、いや、ちょうど補修は終わったところでして! じゃあ皆、ほら、今日はここまでだから。気を付けて帰るんだぞ!」

 そう言って逃げるように立ち去る荒木先生の後ろ姿を見て、校長先生が首をかしげた。

「おやおや、あんなに急いでどうしたのでしょう。何かあったのかな? まあ、後で職員室で聞けばわかることですかね。さあ皆、日が暮れてきましたよ。今日はもう帰りなさい」

 笑顔の校長先生に促されて、私たちは気だるい空気に包まれた放送室を後にした。


 ◇ ◇ ◇


「荒木のあの慌てよう、見たか?」

 大野くんが大声で笑いながら通路を歩く。

 夕暮れ時の廊下は窓ガラスから差し込んだオレンジ色の光で、私たちの影を大きく照らし出した。

「それにしてもまさか校長先生が『怪盗紳士』だったなんて、びっくりしたよ。大胆なことをするね」

「でも、さっき響子ちゃんが言ったように通知表を盗むことが出来るのは、校長先生だけだもんね~」

 奈緒ちゃんの言葉に、私はにっこりと微笑んで答えた。

「普通に考えればそうね」

「普通に考えればって、どういう意味だよ三島」

 不思議そうな顔をする三人に背を向けて、教室に向けて歩き出す。

「三島さん、どこに行くんだい?」

「教室。ちょっと忘れ物しちゃって。良かったら皆もついてきて」

「はぁ? 俺もう帰りたいんだけど」

「いいからいいから。面白い話をしてあげるからさ」

 文句を言う大野くんや、いぶかしがる木戸くんと奈緒ちゃんを連れて教室に戻った。


 教室のなかはがらんとしていて誰も残っていない。私は掃除用具いれの横にある使われていないロッカーから大きな荷物を取り出して、それをそのまま教室の隅のゴミ箱に押し込んだ。

「よいしょっと。結構重いなこれ、大野くん。焼却炉までこれ持ってよ」

「仕方ねえなぁ。なんだよこの重いゴミ」

「いいから。ほら、早く行こう」

 うちの学校には校舎のはずれに焼却炉がある。放課後はゴミ捨てをする生徒たちをちらほら見かけるけれど、寂しい場所にぽつんと建っているものなので、この時間ならだれもいないだろう。

 校舎裏まで来ると、私は足を止めて三人の顔を見渡した。

「ねぇ、今から話すことは絶対にこの四人だけの秘密だよ」

 くちびるに人差し指を当ててにっこりと微笑むと、三人は不思議そうな顔をした。

「秘密って……何が?」

「実はね、『怪盗紳士』はこの四人のなかにいるの」

「怪盗紳士があたしたちのなかにいる? 怪盗紳士の正体って校長先生じゃないの~?」

「本当は違う。怪盗紳士は校長先生じゃない」

 大野くんがゴミ箱を地面に置くと、首をひねって続きを促した。

「じゃあ、いったいこのなかの誰が怪盗紳士なんだよ?」

「怪盗紳士の正体はね……」

 私はスキップするように数歩前に出ると、くるっと振り返って皆に手を広げて見せた。


「怪盗紳士の正体はこの私。三島響子よ」


 私がそう言うと、皆はぽかんとした表情でかたまってしまった。

「えっ? えっ? 響子ちゃんが、怪盗紳士~?」

「そんなのおかしいだろ。さっきのお前の推理はなんだったんだよ」

「あの推理は先生にさらなる反省をしてもらうために校長先生の名前を借りただけ。実際に通知表を盗み出したのは、この私」

「そんなバカな。だって、監視カメラには誰も映っていなかったじゃないか」

「それに、響子ちゃんは保健室に行っていたのでしょう~? 保険の先生に聞いてくださいって自信満々に言ってたじゃない~」

 カァー、とカラスが鳴いた。まるで私たちに早く帰るように告げているみたい。だけど、私にはもう少しここでやることが残っていた。

「職員室の入り口に監視カメラがあることは百も承知よ。私は職員室の裏手の窓から侵入したの、靴を脱いでね。うちの学校はエアコン代をケチってるから職員室の窓も開けっ放しになっていたし、入るのは簡単だったわ。カメラに映っていないからだれも入っていないと信じ込んだことがまずひとつ目のミスね」

「じゃあ、予告状を置いたのは……」

「もちろん私よ。避難訓練の途中で体調を崩したふりをして裏から職員室に回り込んで、先生の机に予告状を置いたってわけ。五分もかからなかったわ。保健室に行ったのは、それが全部終わったあとのこと」

「でもさ」

 考えるように眉間にしわをよせた木戸くんが口を開いた。

「予告状を置くことが出来るのはわかったけど、通知表はどうやって盗み出したんだい? 校長先生しか鍵を持っていない金庫のなかに入っていたんだろう?」

「ふっふーん、それはね。とっても簡単なトリックなの」

「トリック?」

「ええ。荒木先生は予告状を見て、自分の通知表が狙われていると知って慌てて通知表のファイルを金庫のなかにしまった。そうだったよね?」

「あっ、そうか! お前、校長から鍵を盗んだのか?」

 大野くんの推理に、私は首を左右に振った。

「違う違う、そうじゃないの。金庫の鍵なんて最初から知らない。私はね、先生の机に予告状を置(・・・・・・・・・・)くのと同時に引き出し(・・・・・・・・・・)から通知表を盗んだ(・・・・・・・・・)のよ」

「えっ? じゃあ通知表が盗まれたのは避難訓練の当日だったってこと?」

「そう。先生は予告状を見て『明日、通知表が盗まれるかもしれない』と思いこんで通知表を入れたファイルを金庫にしまった。だけどその時にはもうファイルの中身は白紙(・・・・・・・・・・)に入れ替わっていた(・・・・・・・・)のよ」

 私の言葉に、三人は難しい顔をして立ち尽くしてしまう。

「予告状に私はこう書いたわ。『この予告状が先生のもとへ届いた翌日、先生がおつけになった通信表をひとつ残らず頂戴しに参ります』ってね。でもこれはフェイク。先生に通知表を盗まれるのは明日だと思い込ませるためのトリックなの」

「それで、荒木先生はまさか予告状が届いたその日に通知表が奪われているとは思いもしなかったわけか」

「避難訓練の当日に通知表が無くなっていれば徹底的に持ち物検査をされてしまうかもしれない。そうならないように、予告状を作って先生の注意を次の日にそらしたの。そしてその日のうちに通知表を盗み出し、ファイルの中身は白紙にすり替えた」

「で、荒木のやつはそれに気付かず白紙が入ったファイルを金庫にしまったと」

「そういうこと。校長先生はいつも避難訓練の最後にやってくるから、職員室を最後に出るだろうというのは予想できたし、なにもかも計画通り。うまくいったわね」


 得意げに胸を張って見せる私に、奈緒ちゃんが首をかしげて問いかける。

「じゃあさ、響子ちゃんが盗んだ本物の通知表は、どこにあるの~?」

「それはねぇ、そこ」

 私は満面の笑みを浮かべて、ゴミ箱を指さした。

 たくさんの紙が詰まった重いゴミ箱の正体は、先生が自分勝手につけた通知表の山の成れの果てである。

「えっ、マジかよ。……ほんとだ」

「僕にも見せてくれ。……まさかこんなところに入れていたなんて」

「ゴミ箱に詰めたのはついさっき、呼び出される直前よ。盗み出した通知表は教室の空きロッカーのなかに隠しておいたの」

「響子ちゃん、すっごーい! それでこの通知表、どうするの~?」

「それはもちろん、あそこに入れるのよ。そのために持って来たんじゃない」

 私が指さす後ろには、夕焼けをあびて茜色に光る焼却炉。にやっと笑った大野くんが、地面に置いていたゴミ箱を持ち上げた。

「やるじゃねーか三島。見直したぜ」

「ふう、たいした名探偵かと思ったら、三島さんはとんだ大泥棒だったってわけだ」

「大泥棒? 違う違う。私は立派な『怪盗紳士』よ。さあ、さっそく残りの証拠を隠滅しちゃいましょ」

「おっしゃあ、さっさとこいつを皆であの中に突っ込もうぜ」

 ゴミ箱を持って走り出した大野くんを追いかけるようにして、四人で焼却炉の前に立つ。

 木戸くんが焼却炉のドアを開くと、私たちは皆でゴミ箱を抱えて声を合わせた。

「いっせーの、せっ!」

 教室のゴミと通知表たちは勢いよく焼却炉のなかに飲み込まれていく。それを見届けてから、私たちはこっそりハイタッチをした。


 ◇ ◇ ◇


 それから二日後、夏休み前日の一学期最後の登校日。


 短い間に新しい通知表を作り直した荒木先生は心労もあったのか、明らかにこの間よりもげっそりとしていた。けれど、先生の通知表は公平になったとクラスの皆には好評であった。

 ――ただ。校長先生と怪盗紳士のことを秘密にして欲しかったのか……。

 私と奈緒ちゃん、それに大野くんと木戸くんの通知表にはある変化があった。それは、先生が担当する理科の項目がすべて満点だったことである。

 この事実は、私たち四人だけの秘密。

 きっと今でも、先生は職員室にいる『怪盗紳士』におびえていることだろう。

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