ゴリラと謎の光、そして異世界転移
※転移した瞬間におわります。『話が終わってねーじゃねーか』となるのでご注意ください。
追記
青野海鳥様が続きを書いてくださいました。
8/16追記
カガミモチ/ペケペケ様も続きを書いてくださいました。
ゴリラと謎の光、そして異世界転移、そして伝説へ…… http://ncode.syosetu.com/n6710ee/(青野海鳥様)
ゴリラと謎の光、そして異世界転移、そして伝説へ…… http://ncode.syosetu.com/n7355ee/ (カガミモチ/ペケペケ様)
吾輩はゴリラである。
名前はまだない。
動物園なる場所で時折訪れる腕に毛のない、妙な毛皮をかぶったまなっちろい猿どもを檻の中から鑑賞していたのだが、ふとそれにも飽きたところ、吾輩の家に妙な光が浮かび上がるのが見えた。
この光の妙なことに、威嚇してもなんら反応はなく、かといって友好の意思を示そうともかたくなになにも返さず、ただただそこに鎮座しているのだ。
これが吾輩の家の外ならばなんら気にするところではないのだが、不幸にもこの光は吾輩の家の中に突如として出現したのである。タイヤで遊ぼうが、木登りしようが、食事を摂ろうが眠ろうが、いっこうに消えやしない。
それでいてこの光の狡猾なことに、『飼育員』なる吾輩の世話を担当する下級の猿にはとんと見えぬらしい。つまるところ、この光が見えるのは吾輩だけであり、吾輩の家の安寧は、吾輩自身の手により取り戻すしかないのである。
このなんら意思を感じさせぬ謎の光に対応するのは、おっくうでもあり、また、恐怖を抱きもした。恐怖を抱くというのは、生きるうえで必要なことであり、臆病というのは長生きするために必要な気質であるからして、吾輩は恐怖を崇拝し、危険を冒さぬ生命を過ごしてきた。
ゆえにまず、この主義をまげてまで光に応対するかどうかというところを考えねばならぬ。
『家に謎の光がある』。
考えてみればこれは、そう大変なことではないように思われた。夜は明るいし、そう目に痛くもないのだ。便利でさえある。
いきなり出現し、我以外にはまったく気にもされぬというのは少々どころでなく癪に障るのだが、吾輩はゴリラである。つまるところ、この広い動物園で唯一の知的生命体だ。寛容さというのは知性を持つ者のみが発揮できる特質であるからして、吾輩は謎の光に寛容であろうかという結論に達した。
しばし光と同居する。
この同居人はとにかく主張が少なく、また吾輩の食事を横取りもしないので、最初のうちはうまくやっていけるかのように思われた。
だがある日、吾輩の手からすっぽ抜けたバナナを、この光は食ったのだ。
これは許されざる行いであった。たしかにバナナはすっぽ抜けた。その結果、まるで吾輩が光の方へバナナを食わせるべく投げたように、光の方からは思われたかもしれぬ。
しかしそれは勘違いなのだ。吾輩は知的生命体ゆえに寛容ではあるが、こと食事にかんしてこの寛容さは発揮されぬ。
なぜならば、食うこと、寝ることは生きるために必要なのである。
自らの生命を削り他者に尽くすのは、寛容ではなくただの自己犠牲だ。そして、自己を犠牲にしてまで得るべきものなど、この世には一つとしてありえぬ。
ゆえに吾輩はバナナの返却を求めたが、光のヤツはいつも通り、ただただ黙ってそこにあるばかりで、悪びれもせぬ。
こうなると、普段は美徳だと思っていた静かさも、おとなしさも、とたんに反対の意味を持つかのように思われるから不思議だ。吾輩がなにをうったえようが、吾輩がどういう態度をとろうが、この光は無視を続ける。これほど癪に障ることもない。
吾輩が光に群れの序列を教え込もうと手を伸ばすのは、必然であった。
ところがこの光、吾輩が伸ばした腕をまるまる飲み込んでしまうではないか!
なんと、バナナのみならず、吾輩そのものをも食おうというのか!
ゴリラを食うなどというおかしな光に、吾輩は恐怖を覚えた。だが、遅かった。動物園暮らしでにぶった野生が、吾輩に光というものの恐ろしさを教えるのを一瞬だけ遅らせ、その一瞬がために、吾輩は永遠を失うことになる。
光は腕をのみこむと、静かな、しかし抵抗かなわぬたしかな力でもって、吾輩の全身を吸い込み始めたのである。
これには吾輩もウホッと鳴いた。
光はぐんぐん容赦なく吾輩をのみこんでいった。こうなるともうどうしようもない。容赦も慈悲もない。寛容さなどもとより望むべくもない。吾輩は光のヤツにすっかり飲み込まれ、そして――
――気付けば見知らぬ世界に立っていた。
これ以上書けなかったけどここまではいい出来だったので投稿しました。続きを書いてくれるゴリラがいたらよろしくお願いしたいのですが、ゴリラ語がわからないので未完のままです