おはようの代わりは突撃ですね
「 ―――― 」
呼ばれている。誰かに呼ばれている。
「 ―――― 」
知っているような、知らないような。けれどやさしい声に呼ばれている。
「 律、こちらだ 」
ああ、行かなくては。私は――――あなたと約束をした。
「……」
目を覚ませば知らない天井。
物語ではよくある冒頭文であるそれは、どうした訳か何度か身に覚えがある事象で悲しむべきか笑うべきか、非常に悩ましい事柄である。
どこを見るでもなくボーっとしている目を伏せ、深く息を吸い吐き出す。
視覚を遮断したことでより敏感になった嗅覚がいくつかの匂いを感じ取る。
木とい草、それに香の匂い、かな?微かにくゆる薫香を嗅ぎ分ける。
再び開いた目で見るその場所は、板張りの高い天井、青々とした色の畳を有するこれぞ古き良き日本家屋よ、なんて言葉が脳裏に浮かびそうなもの。
ただし、歪まぬ視界は僅か三十センチメートル内限定などという絶望視力で把握する世界故、間違えていることは往々にしてあるものだ。眼鏡があったとしても大して変わりはしないだろうが、そこはいま論じるべきではあるまい。
さて、瞬きを繰り返すばかりで指先一つ動かしもしない起きる気あるのかと思う様子だが、体はさて置き頭は割と働いていたりする。決して寝起きの良くない低血圧、多少ぼんやりしているのは致し方なし。ゆっくりと動き出した思考はどうして見知らぬ場所で寝こけていたのかを起点に直前記憶をさらう。
ちょっとそこまで。そんな気楽なお出掛け予定が一体何をどうされたのか世界すら確認できていない何処かへ意味不明な大移動。方向感覚安定のマイナス、迷子の成人女性は切実かもしれない思いで道を尋ねようと人を求めた。
が、発見したのは瀕死の行き倒れ。助けるから助けて頂戴、そんな考え木端微塵。
気付けば立派な日本家屋敷の主を昏倒させて、このまま三途の川まで参りますツアー御一行に待ったをかける大治療。その数なんと二桁です。
で、いくら術力許容量が人様以上でも流石に二十人近い人数を一辺にはオーバーワーク。そのままぶっ倒れた次第でござる。
なんちゅー迷惑な奴なんざんしょわたくしったら。
はあと溜息を吐きたくなる心境に遠い目になる。気分的にも物理的にもいろいろ見えないむしろそれがいい。などと逃避をしていても始まらないので、まずはこの広いようで狭い視界を広げてもう少し正確な現在地の把握といきたい。
……いきたいのだが、ちょっと気になっていることがある。
すぅすぅという音がする。風を伴いはするが風ではない。これは呼吸音だ。
それも健やかにお眠り遊ばしている安定したもの。勿論私のものではない。
だって確認の為に息を止めても聞こえた。というか自分の呼吸音が耳元で聞こえる訳がない。加えて何やら鎖骨の上あたりが温かくて重い。恐らく何か上に乗っている。嫌な予感しかしない。正直確認したくない。しかしそれを許せば何も始まらないどころかある意味で終わりを迎える気がする。
ごくりと唾を飲む。そんな気分でゆっくりと横、左側へと首を回す。
本来可動域ではない方向へと無理矢理ものを捩っているようなギチギチ音が聞こえてきそうな緩慢な動作である。なんて往生際の悪いことかと思いつつ、首を回した結果がこれだ。
艶めき煌くキューティクル、純白の御髪が眩しいわ。同色の繊細な睫毛で縁取られた目は伏せられており、儚い系美青年の目が潰れそうな美貌が正しい意味で目と鼻の先。
「…………」
意味もなければ何も起こらない誰に見せる訳でもない笑みを浮かべて固まる平常心。取りあえず息をしよう。目の前で何とも麗しく穏やかに眠られている彼のすぅすぅ可愛らしい寝息の如く。
うふふ、このまま現実から夢の世界へ旅立てたならどれほど幸せなことかしら。
恋愛物の話ならこれ以上ない程おいしい状況も三次元の恋愛成分他人事の干物女にゃ荷が重い。つーか別件での問題が難あり過ぎてきゃっとトキメキ、うふふとはにかむ甘酸っぱい要素は現在劇物指定でございます。用法用量を正しくお守りするどころか含んだ瞬間バーニングだよ。ひたすら害悪無理へるぷ。
カーンと歌唱大会とかで失格時に一発だけ打ち鳴らされる素敵なベルの音が聞こえてきそう。ちなみにチューブラーベルもしくはコンサートチャイムって言うのよ。
よろしければ覚えてあげて。
物凄く静かに現実逃避したところで隣に眠る彼が消えてくれるわけではない。
俯せ気味に横を向いている顔の角度を見るに、たぶん本来はもう少し離れたところに寝転がっていたのではないかな。ころりと寝返りを打った先に私がいただけ。
ひょっとして私の目が覚めた理由だったりしないですか真白い御方。現在我が鎖骨の上に鎮座していらっしゃいます温かくて重い何か、これ貴方様の腕ですよね。
寝返りついでに私に一撃くれて衝撃で目が覚めたとかそんなオチ?いやそれにしてはゆったり目が開いたけどね。うぐっとかもなってないし至って平穏な目覚め。
……引っ掛かりを覚えるものがあった気はするけど。
なんにせよ健全なお嬢様方でも心臓に悪い至近距離の美人から逃げ出したい。
寝起きプラスどっきりで変に力が入ってぎこちない筋肉をギシギシ動かすことになるかと思ったが、全身に余分な力は入ってない。むしろ必要な力すら上手く入らない怠さを覚える。
精神的に何らかのダメージを受けそうな彼の方、確か鶴丸国永さんとおっしゃったか。眼福だが近すぎる御顔から目を逸らす為に天井を見る初期位置へ顔を戻して己が状態を確認する。
体に痛みはない。手足の感覚もあり、指先も命令通り動く。欠損も損傷もなさそうだが、動きたくないでござるとゴロ寝を続けていたい気持ちになるお疲れモードは問題だな。
原因は一応わかっている。許容限界を超える術力の行使は文字通り身を削る。
ゲームで言うところの体力や生命力を損なった状態だ。それが走った疲れた休憩すれば大丈夫なんて純粋な体力なのか、寿命なのか。確かめる術がないので知らないが、意識を失い休息を強制的に取らせる必要がある程の消耗はそう易々と回復してはくれないようである。
はあと溜息を一つ吐き、どうしたものかと悩む。微々たる回復しかしていない術力はまあいいとしよう。疲労具合を考えるともう少しと言わず休んだ方がいいと体が訴えていることから、この状態なのは仕方がないとしか言い様がない。
眠気など隣で眠る鶴丸さんを見た時点で見事に消し飛ばされたがな。
一拍間を空け深く息を吸い込む。感じるのは木とい草と香の匂い。
どんより重くただそこにいるだけで息が詰まる、そんな物理的な圧迫を伴う空気が払拭されている。耳に届く不快な濁音もない様子から、何かしら穢れを祓う儀式を行ったのだろうと推測する。自分がどのくらい倒れ寝こけていたのか不明だが、この気怠さを思うにそう長くない。精々二~三時間というところだろう。
室内が十分明るいことから恐らく日もまだ高い。とはいえ記憶にあるのは超がつく曇天。太陽がどの位置にあるか、まして時刻が何時を指していたかはそもそも不明なので参考程度だな。
軽い思考に一つ息。目を伏せ聴くことに意識を倒せば届く生活音。声ではなく音と認識する話し声にドタバタとまでは言わないながら、やや騒がしい部類に入りそうな物音があちこちから聞こえてくる。……もしかして、掃除してるのか?
思い出すのはちょっとした軽口、緊張解しにと口にした事が終わってから大掃除だ発言。
「……」
渋い顔になる。いや、だってこの音は一人が出している音じゃない。どう考えても複数人。つまるところが三途の川まで参りますツアー御一行の皆々様が動き回っているってことです。何してんだ元死にかけ共、大丈夫か。
動き回れるほど回復できてやったねではなく、死にかけから幸いにも回復したところなんだから少なくとも半日は様子見ついでに休んでおとなしくしていて欲しいのだがな。まがりなりにも治療師を名乗れる身としては、頭が痛くなる。
ああ、でもいま一番頭が痛いのは彼だよな。健やか睡眠目覚めは遠い鶴丸さん。
どうしてその手はかけられている布団越しに私の肩を掴んでいらっしゃいますのか教えて欲しい。自由の身になりたくば布団を潜って抜け出せと申されますのか貴方様は。
パーソナルスペースを一笑に付す距離感がじわじわと勘弁願いたいものを呼び起こす。ああまずいと浮かぶ焦燥にすら目を伏せたくて、聴くことへ意識を固定しようとした。
そんな耳が足音を拾う。大きなものではない。むしろ静かで小さいその音は、規則正しく歩を刻みこの場所へと近付いてくる。
確実な身の安全がある訳でもない以上、出来れば即座に応戦ないし逃れる動作へ移れるよう身構えていたいところだ。
想定する最悪は簀巻きにした汚物の逆襲か?そうなると私には眠っている鶴丸さんを守るという行動制限もつくことになるのだが。
そんなことを気が遠くなりそうだとか思いながら怠く重い体に鞭打ち布団の中を潜っていたりする。
もぞもぞと布団の中で蠢く芋虫、そう思われても否定できないが仕方ないだろう。
何でか知らないけど結構がしっと鶴丸さんが私の肩を掴んでんだもん!
こうでもしないと外せそうになかったんだよっ苦肉の策だよ悪いかっ!
何かに文句を言いたくなるのは急げと気が急いているからだな。なにせ足音は着実に近付いて来ている。杞憂なら勘違いだったと笑えるが、そうでないなら全く笑えん。
大きな音を立てず、急ぎ応戦できる体勢を整える必要がある。力は入らなくはないが純粋な物理攻撃での有効打は期待しない方がいい。かといって術力が限りなく底に近い現在、術に頼る訳にもいかない。すでに無茶を通した後だ。これ以上は流石にまずい。
ずるりと布団を這い出ると視界を遮る髪を払い上げ、皮肉気に口角を上げる。
まずいと思ってわかっていても、必要があればやるのが私だよな、と。
眠ったままの鶴丸さんを庇えるよう背にし、閉ざされている障子へ向かって低い姿勢で構える。息を整え体の中心に力を集める。
狙うは奇襲、一発勝負。それ以上は本当に無理を通す他ない。
耳を澄ます。気配を追い距離を測る。障子に人影が写り動くのを認め、足へ踏み込む為の力をかけた。足音が消え、影が止まる。開かれる障子へタイミングを合わせるべく、息を止めた。
「鶴さん、入るよ」
「――――へ?」
すっと静かに開かれる障子と共に訪問を告げた声に虚を衝かれた。
落ち始めというにはまだ早い日の色を背に黒ジャージなんて姿で障子を開いたその人は、間抜けな声に琥珀色の目を下へ向け、驚き見開く。
「えっ!?」
ぎょっとなって声を上げるのは仕方がないというもの。だって跳び出し準備をした体は急には止まらない。
「っ避けてくださいぃ!!」
ロケット発射、そんな勢いで腹部へと叩き込もうとしていた掌底。
すでに畳を蹴って跳び出してしまっている体を止められる訳はなく、悲鳴みたいな声で回避を求めていた。
踏み込む瞬間ギリギリに出来たことはといえば、跳び込む方向を少しばかり上へとずらす程度で勢いはほとんど殺せなかった。全体重を乗せての渾身の一撃予定だった所為でぶつかるだけでも結構どころかかなり痛い。
腹へ突き入れるつもりだった手は少しでも勢いを削ごうと腕を広げるに変更済み。
お陰でジャンピング抱きつきみたいなものになっていると思われる私、カッコ悪い。
あとは彼が上手く回避してくださればお外に跳び出て落下するのを待つのみ。
受け身?取れるといいなと思う。予定外で予想外に突撃体勢を急変更した体がこれ以上の無理に従ってくれるのなら、だが。
瞬きするより短い時間に走る思考。結末や如何に?
「っ」
なんて、きっと情けない顔で数秒後の結果を待つ私の未来予想を裏切る動きを彼の人が見せる。腰を落とし身構えたそれは、受け止めるもの。
「い?!」と上げたくてもすでに叫んだ後の酸素不足で上げられない声に代わり、勢いよく体がぶつかる音と衝撃に漏れたボクの呻き声。彼の左肩に胸をぶつけるが、その衝撃は思うより少ない。
それは彼が衝撃の勢いを殺す為に左後方へと身を反らし、力を逃がしたからだ。
そのため殺し切れなかった勢いが回転する円運動へと流れ、今度はぶつかった体が弾かれ離れ、何処かへと飛んでいきそうになる。
だが、背と腰へ素早く回された腕に離れていこうとした体が力強く引き戻され、私の上体は彼の左肩で無様にくの字に折れ曲がった。
強制的に肺から空気が押し出されて苦しさに顔が歪むが、そこで動きは完全に止まったので呼吸はすぐに再開できた。
「っは」
「は、ぁ」
くたりと脱力する合図のような息を吐いたのは私だけではなかった。
「大、丈夫かい、鈴ちゃん?」
戸惑いを多分に含んでいても突然ぶつかってきた私を受け止めただけではなく心配してくれる貴方に惚れそうです。
「ぇふ……み、つ忠さんのお陰で、くふ……無事です」
首を回して窺ってくれるのがわかるのだが、ちょっと衝撃から立ち直るのに時間が欲しい私は光忠さんの肩にへばりついて息を吐く。
彼の背中と共に見える床が通常視点より高いなあとか思いながら、胸が痛いと損傷か所を思う。
「あまり無事だとは思えない感じだよその声は。あぁ、吃驚した」
ははと小さく笑ったかと思えば安堵の息を吐く。それを全体重預けてしまっている迷惑千万な私を抱きかかえながら言って行うのだから申し訳なさが一気に膨らむ。
「誰かわからず迎撃態勢を取りまして……すみません」
御顔すら見れずにしょんぼり謝る私に光忠さんの返事はこうだ。
「成程、それなら仕方ないね。逆に身構えさせて御免って僕が謝らなきゃ」
なんでやねん。ああって感じで納得して苦笑混じりに告げられた言葉は取り繕いでも偽りでもないご様子でよりなんでやねん。
そう心の中で突っ込みを入れながら考える。裏の意味でもあるのかしらねと。
「それは突撃して来た馬鹿を避けもせずに受け止めてくださった貴方様に私がすべきことですよね。土下座でよろしいですか?」
遠回しの謝罪要求とか。きっとなさそうだと思いながらも口にしてしまうのは居た堪れないからですよね。それによって困惑させて申し訳ない。
「え、それはやめて欲しいかな。それより迎撃だなんて鶴さんは何してるの?一緒にいるよね……って」
最後の音、呆れたって音になったがどうしたのかと力を込めた反動の脱力から戻りつつある体、せめて頭くらい持ち上げようと力を込めかけた耳に届いた……欠伸?
「ふああ……。ん、何してるんだきみたち、逢引きか?」
眠気をたっぷり含んだそれは鶴丸さんの声だ。そうだ、寝てたんだった。
「逢引きって……」
「これのどこを見たらそんな愉快な発想に至るんですか」
恐らくボクの叫んだ声で起こされたのだろう鶴丸さんの訳のわからぬ発言に光忠さんと二人して溜息を吐いた。まあ、現在の私の状況は光忠さんにしがみ付いて見えるだろうし、光忠さんはそんな私を抱き支えてくれているので、一見すると抱き合っていると見えなくもないだろうけどね。
「熱い抱擁を交わしているようにしか見えないからなあ。他の何かだって言うのなら説明しちゃくれないかい?久々に良く眠れて気分がいいんでな。いまならどんな戯言でも笑って聞けるぜ?」
「何で戯言」
「明らかに聞く気がないよね」
聞く気ねえだろとか思ってぼそりと呟けば、光忠さんが苦笑を返してくれた。
そりゃ耳元でぼやけばどんな小声でも届きますよね。
「それにしても、一緒に休んでいいとは言われてたけど、まさか眠っているとは思わなかったな」
「っ」
軽い浮遊感に何事かと思えば、鶴丸さんへ話しかけながら光忠さんが室内へと歩き出していた。開かれたままの障子が光忠さんの背中越しに遠ざかる。
……どうして私を抱き止めたままで歩き出したんですか下ろしてくれよ。
我が儘な気もするちょっと切実な要求は口にはされず、代わりに聞こえる笑い声。
「俺も眠るとは思ってなかったな。いやー驚きだぜ」
そりゃー私の台詞でござんす鶴丸さん。貴方の美貌は心臓に悪い驚きでしたとも。
溜息吐きたい気持ちになっていたが宙に浮いていた足が何かに触れる。
「僕も驚かされたよ。あ、だからこうなったのかな?と、鈴ちゃんこのまま下ろすよ」
返事は聞かず、視点が低くなったかと思えば布団の上にぽすりとお座りさせられた。
抱き止め支えてくれていた光忠さんの腕が外れると、自重を支えていなかった私のくってりした体にも倒れるの防止とばかりに力が入る。
「出来る限り勢いは流したつもりだけど、平気?どこか痛いところはない?」
少しばかり開いた距離、そこに我が顔を覗き込んできた光忠さんの美形なドアップが入ってようやく我に返る。
私はいつまで光忠さんにへばりついていますのか。光忠さん、男ですよ。
突撃体を難なく受け止めちゃう服の上からではよくわからない恐らく着やせする系がっしりまっちょな肉体をお持ちらしい立派な成人男性だよ。
そう認識した途端にぞわりと嫌なものを感じて彼の肩口に置いてあった両手を顔の高さに挙手、接触していた体を剥がした。
「大丈夫です。面倒をお掛け致しました。すみませんにありがとうございます」
不自然に体を離した私の動作にぱちりと瞬かれたが、にこりと笑ってくださった。
「どういたしまして」
ドアップでの笑顔の高威力。辛い。ときめく理由じゃない意味でドキドキしている私に気付かず離れた光忠さんは布団の横、私の正面位置に腰を下ろした。
正座ではなく胡坐をかいて座っているのだが、背筋は伸びていて姿勢はよろしい。
ちなみに鶴丸さんもその隣に同じように座っていたりする。
「それで?何がどうなってあんな面白いことになってたんだ二人共」
挙手した手を下ろし、その手が震えていないことにほっとしながら両足伸ばしたお座りから正座へと姿勢を正していると、楽しそうな顔して鶴丸さんが問うてきた。
二人共と言われたが、私と光忠さんのどちらを主として訊ねているのだろうか。
「面白いって……。たぶん鶴さんも理由の一つだよ」
「俺も理由の一つ?」
息を吐きつつそう告げた光忠さんにきょとりと瞬いた鶴丸さんは自分を指差して不思議そうに首を傾いだ。
「部屋に近付いてきた僕が誰かわからなかったから迎え撃たれたんだよ」
「は?」
何だって?と問い返しているご様子の鶴丸さんに要望通り光忠さんは続けた。
「迎え撃たれたんだよ。相手が僕だとわかって止まろうとはしてくれたみたいだけど」
「一撃必殺の勢いをつけてましたので方向微修正しか出来ず跳びかかったお馬鹿を有り難くも受け止めて頂けましたのがあの光景です」
あははと苦笑して言葉を継げば、ぱちぱちと私と光忠さんを見ては瞬く黄金色。
何かしら突っ込みがくるかと思っていたが、その前に光忠さんが口を開く。
「目を覚ましたけど鶴さんは寝ていて、本丸がどんな状態かわからなくて警戒した感じかな?もしもの時は鶴さんを守ってくれようとしてたでしょう」
「んな!」
驚きの声を上げてこちらを確かめる鶴丸さんはともかく、前半は疑問系なのに後半は断定し、口元に笑みを浮かべて問う光忠さんに何故かをこちらが問いたい。
かり、と痒くもないのに頬を指で撫でかく。失態を晒しているので誤魔化しは利かず、ばつが悪くて視線が彷徨う。
「何事もなくお休みですし、大丈夫なのかなと思いはしたんですが……万が一があって悔いても遅いですし」
鶴丸さんを起こした上で事に当たるのが万全であったと思うが、そこまでする必要なしと何処かが判断していたらしい。その結果が守れる方向での事構えなので何とも言えない勘の精度だ。
ああ、確実に何かある時には虫の知らせではないが何かしら感じるものがある。
それがなかったのに気付いてない辺り頭が回ってないのかもしれないな。
「きみは一体何をしてるんだ。倒れたんだぞ」
信じらんねえコイツ的な御顔、心外である。なのでにやりと悪い顔をして笑って差し上げよう。
「無理無茶無謀は私の専売特許と申しましたぞ」
「伽羅坊に馬鹿だと言われただろう」
おいおいおいに頭痛い、そんな感じに美人な御顔を渋く歪める鶴丸さんだが、その程度の返しじゃ私は黙らないよ。
「馬鹿で結構。それで守れるものがあるのなら、これ以上はありますまい」
ま、これを言うと驚くか呆れるかの二択なのですよね。なにせ自信満々、胸張って自己を顧みる気は更々ない発言ですから。
いや~深々と溜息を吐かれまくった懐かしい記憶が頭を過るね。
思い出す光景にくすりと笑い、もう一つ続ける。
「何より光忠さんに皆さん助けますと約束してますからね。本当に襲撃だった時に鶴丸さん守れなかったら顔向け出来ません。杞憂に徒労どころか光忠さんに迷惑をおかけする事態になったのにはちょっとどうしたものかと思ってますよ。はい」
後半は申し訳なくて情けない顔になっていっていたと思うのだが、つつつと逸らした視線の先で光忠さんが琥珀色を見開いて固まっておいでだ。どうしたんだ光忠さん、私が何か更にやらかしましたか?
不安に思って鶴丸さんへ視線を戻してみると、こちらは唖然となり光忠さんを見ていた。
「光坊、きみは約定で縛って彼女を本丸へ招いたのか?」
あれ、なんか不穏な音の響きだぞと思い聞いていれば、弾かれたように光忠さんは鶴丸さんへと向き直って首を横に振った。
「ちがっ、僕はそんなことしてない、はず……だよね?」
「聞いてるのは俺だぜ光坊。しっかりしてくれ」
何かすごく光忠さんが焦って見えるのだが、何でだ。
そう疑問に思いながらもなんだか深刻な空気を生み出しそうな予感がして言葉を継ぎ足す。
「お願いにわかったと応じただけで明確に約束だとは言ってませんし、硬く手を握りもしなければ小指を絡めたわけでもございませんよ。いうなれば私がそれを約束と勝手に認識しているだけです」
「馬鹿っ大ごとだぞ!」
なんてことなーいと軽い調子で口にしたのに鶴丸さんから本気と書いてマジと読む反応が返ってきて肩を震わせた。
焦るとは少し違う気がするが、ひどく真剣な顔をした鶴丸さんが荒い手つきで光忠さんの肩を掴む。
「光坊、鈴が言っていることは本当か?きみからはっきりと約定になる言葉を彼女へ言ったのか?」
上半身を捩られて鶴丸さんと向き合う形になった光忠さんは愕然となっている。
「……僕は、助けを求めた。それに鈴ちゃんはわかりましたって答えてくれた。僕があの時言ったのは……」
“ お願い、助けて ”
「ちっ!十二分に約定として成立するじゃないかこの馬鹿者っ」
舌打ちをした鶴丸さんは掴んだ肩から手を外し、そのまま頭を押さえた。
血の気を引かせ呆然となる光忠さんと頭を押さえ険しい顔を俯かせる鶴丸さん。
二人の明らかに平静を失った様子を見るに私が軽く口にした約束は、彼らにとってとんでもない代物であるようだ。
約束と約定に言葉の差はそうないはずだ。たぶん言い回しの差だと思う。
求めに応じることで契約を結ぶ図式に大差はない。
私の言った約束は助けを求められたのにわかりました、つまり助けますと応じることで契約を交わし、結んだ形になっているという認識だ。
何故そう思うのか。それはお願いという言葉が相手に何かして欲しいと求めている意味を持っているから。
そのため私は助けを求められていると認識し、そうと理解した上で返したのだ。
“ わかりました。何をすればいいですか? ”と。
先に助けることを結び、どのようにを後に問うたそれは危ういと理解している。
どんな無理難題が出て来るか知れない故に。それでも、出来ることをしよう、そうしたいと思い、決意しての応じだったのだが……。
「ああああ~~っ」
襟足の長いショートカット、それともウルフカットと言うんだったかな、この髪型。
何にせよ光沢のある真白の御髪をがしがしと乱暴にかき乱してしまう内容らしい。
わあ大変だ、なんて口にすると軽い言葉を思い浮かべたところ、困った挙句の必至といった黄金色に睨まれました。わぁお迫力。
「きみに言っても詮無いことだが、どうして応じたんだ!きみも審神者なら俺たちは刀剣男士である前に刀剣の付喪神と知っているだろうっ」
へぃ?
「人間の子が軽々しく交わす約定と神の約定は訳が違う。破り違えることは許されず、違えた時には相応の罰が下る」
はぁ?
「光坊がしたことは招きではなく拐かし、神隠しに他ならない。洒落にならないぞ」
ほぉ!?
「ったく……参るぜ。この場合どこまでが約定の範囲になるんだ?確かに切羽詰ってる状況だったとはいえ盛大にやらかしたな光坊。きみ、彼女にどこまで願ったんだ」
頭を抱えて悩み唸る。出ない答えをどうにか導き出そうと焦り苛立つ色を滲ませる黄金色に鋭く睨まれ、顔色ない光忠さんは上手く言葉を紡げずにいた。
「あ……よ、くわからない。帰らなくちゃって、皆を残して、折れるわけにはって」
視点が定まらずに揺らぐ光忠さんを見て察したのか、鶴丸さんは大きく息を吐いた。
自分を落ち着かせるものに見えたそれは私の勘違いではないらしく、頭を抱えるのをやめた彼はピンと伸びていた姿勢を崩して頬杖をついた。
「きみも折れる寸前で手入れされたんだったな。悪かった。その状況じゃいろいろ抜け落ちもするさ。ただでさえきみの負担は大きかったからなあ」
さて、どうしたものか。そう思案するように沈黙が落ち、私は小さく挙手しながら「あの」と声を発した。
決してどころかむしろ小さな声のそれに鶴丸さんは悩ましい色、光忠さんは混乱に困惑と不安定なものを滲ませながら私へと目を向けてくれた。
眉間に皺を刻んで目は虚ろな私へと。
「すみません。つかぬ事をお伺い致したいのでございますがよろしいでしょうか?」
「……ああ、いいぜ」
余程おかしい顔だったのか、鶴丸さんは少しだけ瞬いている。その表情変化が気にならないと言えば嘘になるが、いまそれはいい。問いを許されて私は息を吸った。
「いま、神様だって言いました?」
紡がれた声は引きつりも引っかかりもしないが、感情を排そうとした結果だと思われる棒読みだった。抑揚のない見事に一直線のイントネーション。
ここに来るまで、それこそ今のいままで詳しいことは全部後でも困らないさと気掛かりで引っかかるものも後回しにした。
それは己が現状なんかより人命救助を最優先と考えることを切り捨てたから。
他者には理解され難い私の基準もさることながら、非常識な経験を得ての合理的思考に身一つで見知らぬ地に立っていた現実。失うものがあるならば、己以外にありはしないと考えたが故に、目の前の現状以外を全て後にと放り投げた。
別にそれが悪いとは思っていないし、悔いてもいない。ちゃんと話を聞けばちょこちょこ引っかかった物言いはやはり勘違いではなかったのかと納得できるだろう。
問うべき時が来た。ただそれだけだと思う。聞き間違えようもない単語を前にしてしまえば問わぬ選択肢は流石にない。
「自分たちは刀剣の付喪神。そう、おっしゃいましたか?」
補足をつけ、重ねて問う。眉間に寄る皺はどうにもならないが、一つ空いた呼吸分の間、瞬きと共に目から虚ろな現実逃避を葬り去る。
ここから先は情報こそが最優位、思考を回し理解せよ。己が置かれた現状を、何をすべきかを。
虚ろを捨てた私の目は答えを、情報を求めて強く彼らを見据えた。
そうして見えた。混乱の最中にいる光忠さんではなく、鶴丸さんに。
知っていて当たり前。そんな様子で言われた言葉の中、頭を抱え顔色をなくす程の大問題に気付かされたらしい彼らの間に割って入らねばならないその意味。
知らないはずがないとも取れるそれを、二人が神様であると私が知らないのだということを考えた鶴丸さんの黄金色が、見えた。
まさか、そんなはずはと口に出そうなその目に問いの答えを得た私は嘆息した。
はあ、と吐いた息は妙にはっきり耳へと届き、自嘲の笑みを浮かべさせた。
「マジかよ」
いくら方向音痴とはいえど、迷子にも限度があるよ。
本当、何処だよココ。