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時には無理も必要さ

「皆っ審神者を連れて来たよ!折れないでっ諦めないでっ!」


先程の私ではないが、閉じられていた障子戸を観音開きにスパンと開け放った光忠さん。

立ち位置を譲られたその場所は広間と呼んでいいだろう場所。広い室内はひどく暗く、ひどく澱んで、金錆びて、()えた臭いがした。

あまりにも衝撃的な惨状に目を疑い、声を発することが出来なくて唇が戦慄く。

目を見開いて、これ以上ない程に見開いて、口を押さえた。


「――――っ!」


震えた呼気を手の中で潰す。何の感情に鳴るのかわからない歯を噛み締めて情けない声を上げそうな自身を戒める。


広い室内。広いはずの室内なのに所狭しと横たえられた人数は何人なのか。

単純な計算のはずなのに、それすら出来ない。平野に倒れ伏していた光忠さんのボロボロ具合なんて比ではない。

DⅤ野郎と軽口すら思い浮かばないこの光景は……地獄絵図ですか?怪我の展覧会とか言いますか?


手が、足が、向いてはいけない方向を向いている。

何度の火傷と問うのも躊躇われる焼けただれた重度の熱傷。

どれだけ殴りつけ、何で殴りつけたと叫びたくなる生々しい殴打痕。

真っ直ぐなもの、波打ってギザギザなもの、様々な裂傷。


通夜か葬式のように静まり返った場所。微かに紡がれる苦痛の呻きと細く消えそうな呼吸音が生きていると訴え、耳に届く。

青年も少年もない。死人がいないことが奇跡だと思ってしまう凄惨さに理由のわからない涙が溢れて落ちていく。


痛い、苦しい、辛い、悔しい、悲しい。

ぐるぐると頭の中を回って埋め尽くしていく負の感情。勝手に流れ落ちて行くそれは、理解してはまずいと拒絶したどうにも出来ないものを吐き出す行為なのだろうと冷静な時なら思うのかもしれない。


思い出すのは、光の洪水。おびただしい数の蛍が群れをなして空へと昇っていく、そんな神秘的にも見えたかもしれない光景。

それは…………命が解け、大気へと還っていく死の光景だった。


眼鏡がなければ笑えるほどに見えない目。それだけだったはずなのに、異世界へ渡り、魔法や魔術の類を扱えるようになってからそれは見えるようになった。

世界を流れ満たす精霊、魔力といった力が光の粒として目に映り、耳には歌声にも似た音として響き届く。

そして、それは生物が死を迎えた瞬間を顕著に教えてくれた。


命は巡って還る。死した肉体から蛍の如く光が零れ、大気へと解かれ消えて逝く。

解けていくのは、儚く淡い雪花のように溶けて消えるのは、きっと魂を肉体へと結びつけていた命そのものなのだろう。

大気に、世界に解けて、やがてまた命として還るのかもしれないまほろばの光。


異世界なんて夢物語の中で自分をヒーローか何かだと思い勘違いしていた私は、あの日、一つの都市が崩壊するのを見た。

そこに生きていた何千もの人が、一瞬で死に絶えたのを……見た。

きっと私以外の誰の目にも映らなかっただろう失われた命が解け消えるあまりに美しく、あまりに惨い神秘的で残酷な光の光景。夢心地だった愚かな私を打ちのめした決して忘れてはいけない死の光景。

大音声で響き渡った讃美歌を思わせるあの荘厳な音は、きっと彼らの嘆きの声だったのだろう。


脳裏へと深く深く刻み込まれ、自ら刻み付けた罪の在り処、その証。

昏い室内。濃密な死を招く澱みの中に浮かび上がろうとする光が、それを思い出させた。


「……駄目だよ」


ガチガチと耳障りな音を奏でようとしていた歯も、震える音を情けない悲鳴を上げようとしていた呼吸も声もなくなった。

代わりに残ったそれは、ひどく静かに否定の言葉を紡ぎ出した。


「駄目」


壊れた蛇口が水を零すようにボロボロと落ち続ける涙をそのままに、音を潰した手を振り勢いをつけ、握る重い鋼の感触が与えてくれる現実感に無意識に縋りながら、昏く重く澱んだその場所へ、死に抗う者たちのいる場所へと踏み入った。


「死を望むことなんて許さないっ」


還ることなんて許さない。帰りなさい、この場所へ!


「Call」


世界と同調する機関を開けば、より鮮明になるその光景。耳に響く澱みに侵された音に、体へ巻きつく穢れに顔を顰めながら淡い光を纏わせる人の前に立ち、祈り叫ぶ。


「響けっ(ハー)!其に注ぐは女神の吐息、其が纏うは祈りの抱擁、其を満たすは清浄の歌!命の()よっ死の(いざな)いに抗い燃えよっ!!」


力を込めた言の葉に従い括られた法陣が広がり、白い光が立ち昇る。

いまにも息絶えそうな一人を対象とした術式は蘇生術式と呼ばれる高位の術式。

上中下とランク分けされる術の種類の中でも特殊な扱いになるこの術式は、ひどく力を消耗する。黄泉路へ向かおうとするものを引き留めようとするほど効果の高い治癒術なのだからそれは仕方のないことなのかもしれないが、実は肉体よりも精神や魂へと作用する術式なので外傷にはあまり効果的ではない。


「っ…………はっ」


それでも、最終手段とも言えるこの術式が必要とされるものがいる。それをこの目が教えてくれる。

望んで手に入れたわけではない。正直あんな光景を見てしまうのであれば、欲しくなどなかったこの特異な目。それがいま誰が危険な状態に陥っていると何よりも正確に教えてくれるのだから皮肉にも程がある。とてもではないが笑えない。

ざっと見渡した室内に同じ術が必要なのは五人。流石に多い。だから意識が戻るまで術式を維持するのではなく、光が見えなくなるまでを一区切りとして術を切り上げる。この目があるからできる芸当だ。


視界を遮る邪魔な涙を乱暴に手の甲で拭い去り、息を乱して二人目、三人目と施術していく。

体力はなく、呼吸器も頑張らないのですぐに息苦しくなる。けれど一流術師のお墨付きを頂けるほど力の許容量はある。普通の治癒術師が頑張っても一日に二度が限度、それ以上は身を削ると言う蘇生術式を休む間もなく五連続使用できるくらいには。


だが、場が悪い。本来こんな祟り場のような悪条件下で治癒術など行使するものではない。

治癒術は命とかかわる術。性質的に聖なるものへと分類されるものだ。こんな真逆の性質を発生させている場所では効果が落ちる。

それなのに最悪と言ってもいいこの条件下で治療を行う理由はただ一つ。

施術対象が揃いも揃って動かせない状態にあるからだ。


棺桶に片足どころか腰までどっぷりなんてものもいるのにどうやって外に連れ出せというのか。

出来ないものは仕方がないのだから後は行う側が頑張るしかないのだ。例えそれに苦痛が伴うとしても、やらない選択肢はない。

助けを乞われた。助けたいと願った。願いを叶える力があるのならば、多少の無理はするだろう?


「ぅ…………だ……れ……?」


危機を脱したところで術式を途切る。意識が戻ったらしい名も知らない相手に詳しく説明して差し上げられる余裕は生憎ない。申し訳ないが後にしてくれ。


「……は…………っくふ……ぅ…………っ」


息苦しさに乱れる呼吸を整えようとするが従わない。それでも無理矢理に呼吸を深くしねじ伏せて、室内を、助けが必要な人たちが戦う場所を苦しさに滲む視界で見渡した。

光を零す危険域に突入している者がもういないことを確かめて、呆然と施術光景を見つめ立ち尽くしている光忠さんと鶴丸さんがいる縁側へとふらつきながら戻る。

室内から縁側へ出るとそれだけで少し空気が軽くなる。境界線でもあるのかと問いたくなってくるが楽になるのであれば何でもいい。助かる。


「ひゅっ……げほっげほっ……ん、ぅ…………っかふ」


重力が増していたのではないかと疑いたくなる圧迫感が薄れて通りが良くなった空気にむせ込めば、鉄の臭いがして苦しさとは別の理由で顔が歪む。

俯けば気道が狭まるとわかっているので辛くても空を仰ぐようにして上を見ていると、苦しさに滲んだ涙と共に疲労で浮かんだ汗が首筋を伝い落ちて行く。

ああ、気持ちが悪いな。


はらはらと案じてくれているとわかる視線を感じているのに視線の一つも向けず、只管に呼吸を整えることにだけ専念する。

ひゅうひゅうと気管を通る空気の音が微かに聞こえ、貧弱極まる部位に舌打ちしたい気分になる。


「お、おい……無理は」


「します」


「「っ」」


ひどい状態に見えているのだろうな。苦しいのを隠さずにいる所為もあるだろうけれど、心配して声をかけてくれたのに即答の否定をした。

ようやく呼吸が落ち着いてきてくれたので下を向く。額から流れてきた汗を不快に感じてパーカーの袖口で拭いながら、視線を二人へと向けてみた。

ああ、心配されているなってわかる顔をしているのが見えて、余裕なんかないのに嬉しくて口角が持ち上がるのがわかった。


「けほっ…………ふぅ……私は、守るために在ろうとする。助けられる命がそこにあるなら、無理無茶無謀、やりますよ」


それで私が損なわれたとしても、助かった誰かが笑えるのならそれでいい。

歪な考え。偽善にしか思えない自己犠牲。馬鹿なことだとわかっていても、それが私なのだから仕方がない。


「鈴ちゃん」


「お嬢ちゃん」


名を呼んだ光忠さんに対し、知らない鶴丸さんの呼び方に苦しいのに笑えた。


「お嬢ちゃんなんて歳じゃないですよ。鈴と呼んでくれますか」


真名は名乗らない方がいい。そう光忠さんに言われたので採用した名前を名乗るのに違和感がないと言えば嘘になる。


「っ!鶴丸(つるまる)国永(くになが)だ」


はっとした面持ちになり、名乗ってくれた真っ白な美人さんである鶴丸さんに苦笑する。


「ご丁寧にありがとうございます。礼には礼を返したいのですが、真名は名乗らぬ方が良いと光忠さんから御指導頂きました故、鈴という呼び名で勘弁願いたく」


正直にそう告げれば、ぱちりと一つ瞬いて鶴丸さんは傍らの光忠さんを見た。

そして見られた光忠さんは困った顔になっていた。


「まさか真名を名乗られるとは思わなくて」


ははっと苦笑った光忠さんから咳き込んだ所為で胸の辺りが痛くて撫でている私へと鶴丸さんの視線が戻ってきた。向けられた表情はなんとも微妙なもので呆れが含まれている気がする。


「次から次へと驚かされてばかりだな。礼を重んじるのは結構だが、それによって生じる問題と危険を考慮すべきだ。初対面の相手へ無防備に真名を差し出すなんてのは感心しないぜ?」


何で叱られているのだろうか。いや窘められる、か。真名を名乗るのに問題があったことはよくわかったが、理由がわからないのでもやっとする。もやっとするがいまは考えない。というか考える余裕がない。酸素が足りないのか休息を体が欲しているのか両方なのかは考えたくないが、頭が回らなくなってきそうだから申し訳ないが話はぶった切らせて貰う。


御免なさいねと苦笑したのを返事と捉えられたのか、鶴丸さんも苦笑していた。

ふぅと少しばかり整った息をするが、間違いなく次でこの貧弱呼吸器は悲鳴を上げるな。いま以上に耳に障る音を撒き散らすだろうと嫌な未来を予測する。


「光忠さん、ここの他にも重傷者がいたりしますか?」


回ってない頭で苦手な計算できるとお思いか。なんて知らない相手に思っても仕方のないことなのだが頭が回らないのだからこれまた仕方がない。


「いや、ここだけだよ。残ってるのは中傷まではいかない子たちだから」


複数形かよ。そして年少者っぽい子扱いかよ。確か動けるのが四人って言ってたからそれかと察するが、中傷って痛々しい見た目と違いますのん?


「いま残ってる皆で手入れに必要なものを用意して持ってくるように五虎退くんに頼んでたんだけど……」


ああ、殴られていた亜麻色の髪の少年ですね。やっぱり痛々しいじゃないかよ。

幼気な子があんな見た目だなんて見ている方の心が抉られるっての。ああでもここに集まる予定なのか。


「なら、持つか」


「え?」


ぼそりと零したのが聞こえなかったんだろうけれど、独り言は繰り返さないです。聞こえなくていいと思って口にしているものですからね。

さて、待ってれば来るなら先に大仕事を片づけようじゃないか。


短く息を吐き、指先の感覚を確かめようと握ったところでしっかと握っている太刀の存在を思い出す。

黒い鞘に収まる太刀、そこに感じる清浄な気。澱んだ空気に晒されて疲労を重ねた状態だとなおのこと澄んだ力を感じる。名のある御刀様だったりするのだろうか。神剣とか霊剣とかの御利益有りそうな有り難いものだったりするのだろうか。

だとしたら、ちょっと御力お借りしたい。


「すみませんがこちらの太刀、少々お借りしてもよろしいですか?」


思うが早いか願うが早いか。早速貸し出し許可を申請していた。


「え?」


「光坊をか?何をするんだ?」


戸惑う光忠さん。不思議そうな鶴丸さん。

この対比は何だろうかと疑問に思えど考えない、後回し。全部まとめて後です。


「少々場が悪くて正直しんどいので御力をお借りできたらと思いまして」


投げやりな交渉をしているとは思われていない気がする。黄金色が周囲を見渡し、考え事をしているのか細く見える指が顎を撫でていた。


「本丸の穢れか。傷は少ないが俺にも祓える余力がないからなあ。逆に光坊は傷が多くて余力がなかったはずだが……治ったからな」


「重傷から全快だからね。太郎くんみたいな御神刀とはいかないけど魔除けくらいにはなるかな。それくらいにしか役立てないけど、いいかい?」


何かよくわからないまとまり方をしている気がするが、いいです。何でも。

借り受けられるなら無問題です。


「なるべく負担をかけないようにはします」


「ん?」


力の質が違うだろうから、なんて思いながら出てきた室内へと向き直る。

よくこの中に踏み込んだものだと蘇生術式の名残でほんの少しばかりましになった気がしなくもない澱みまくりの室内を眺めていたので光忠さんが不思議そうに小首を傾げたのを知らない。


「お二方、そこから動かないでくださいね。法陣内に入れば治療対象になるので軽傷でしたら入らないで貰えると私が助かります」


直球で言えば負担が増えるのでやめてくれ、だ。


「お、ぅ?」


意味が通じていなくても別段構わないと思いながら念のため口にした言葉への返事を耳だけで聞く。疲労したことで余計に重く感じる太刀を強く握り締め、柄へ手をかける。


すらりと空気を断つ鞘走りの音と共に抜き放たれた鋼が曇天の中、光る。

血や脂に曇る特有の使われた色を見せるのに、濡れたように刃紋を浮かべ輝く刀身は美しかった。

情けない姿を見せるなと言われている気がする凛とした空気を纏う片手で持つには重い刃。その持ち手部分を祈るようにして目の高さへと恭しく掲げ持つ。


「未熟者に御力をお貸しくださいませ」


しっかりと編まれた黒い柄巻へと軽く口付ければ、


「「なっ?!」」


何故か声が上がっていた。無視するが。

きっと名のある名剣。そこにある清浄な力は破魔と呼ばれる穢れを断ち切る力だ。聖なる性質を持つ癒しの力を扱う手助けになるはず。

無論、向こうにあったような術式を支援し強化する機能と強度があるかどうかは未知数なので、ほんの少し頼るくらい。気持ちの問題と言ってもいいかもしれない。


祈りを捧げ伏せた目を緩やかに開く。

すぅっと深く鋭く吸った空気が、微かに音を鳴らした。


「おいで、(エー)


呼びかけに応えてくれた風が服をなびかせ、前髪を揺らす。濁りの少ないミの音を捉えながら室内へと風が流れ満ちるのを見送り、手にした太刀を構える。

鍔が奏でた硬質な音、それを合図に力を乗せた言の葉を紡ぎ出す。


「響けH!巡り翔ける大気の精霊達よ、聖なる調べに集い舞えっ」


広間一室を範囲とした大きな法陣が走り広がる。


「捧げ歌うは祈りの聖句、緑萌ゆる大樹の恩恵を我が前に示せ!」


昏く澱んだ室内を明るい緑の光が照らし、穢れを払い退ける。

深い新緑の梢が囁き、ひらひらと淡い光が蝶の姿を取り傷ついた者たちを癒していくその光景は、物語や神話の世界さながらだ。


「っぅ!」


だが、それを維持している術者は堪らない。複数人を同時に癒すことを目的とした上級治癒術は対象者の傷の状態、そしてその人数によって難易度と術者にかかる負担が変動する。治癒術の教本では対象人数を五~八人と定めており、怪我の程度は記憶違いでなければ中軽傷が望ましいだったはずだ。


それなのに、いま私が対象としているのは蘇生術式で棺桶に片足突っ込む程度には回復させたが、今現在も死神に絶賛手招かれているような五人を含んだ意識のない重傷者が二桁人数である。

明らかに無謀。御同業者がいたら死にたいんですかと絶叫されること間違いなしの行動だ。


過去に似たような無茶をしたことはあるが、その時は道具による補助もあり、人数は似たり寄ったりではあったがここまで死に体ばかりではなかった。

何より、マイナス補正がつく領域で、穢れに澱んで濁った音がする中から正しい音を選んで使うなんておかしな労力を強いられたりしたことはなかった。


「っ……くぅ」


ガリガリと体力とか精神力とかそういった様々なものが荒々しく削り取られていく感覚を味わわせるひどい消耗に歯を食いしばる。

息がつまり呼吸を奪われた体から力が抜け(くずお)れそうになるのを握り締めた太刀の感触が、そこから伝わる叱咤にも似た清浄な力が繋ぎ止め支えてくれる。

緑芽吹く命の光、やさしき風の精霊達よ、どうか祈りを聞き届けてくれ。

誰一人、死なせたくないんだ!


「ぅ……」


「こ、れは……?」


必死な祈りが届いたのか、身を削る意地に応えてくれたのか。室内から徐々に声が上がり、身を起こすものが出始める。広間全体に広がり照らす法陣と、そこから立ち昇るその身を癒す淡い緑の光に戸惑い、呆然となる姿。それが室内にいる全員を数えたところで術式を止める。

夢幻の如く解けて消える法陣と光に驚く声が上がる中、意地と気合と根性なんて不確かなもので体を支えていた膝ががくりと折れた。


「「――――?!」」


たぶん、何か叫ばれた。しかし耳鳴りがひどくて何も聞こえない。聞こえていると認識できるのは暴れ狂う心臓の音と呼吸をしようと必死な喘鳴音。

ひどく咳き込むのが空気を求める呼吸の邪魔をして苦しい。けれど咳き込むのが止まっても、ひゅーひゅーと笛の音にも似た甲高い音が鳴るばかりで上手く空気が取り込めず只管に苦しい。


冷や汗だか脂汗だかわからないものが生理的に浮かぶ涙と共に流れ落ちていく。

あまりの苦しさに掻き毟るように胸を握り、逆効果とわかっても身を丸く縮めてしまう。それが強い力で反対方向へと引き起こされた。

急に視界が広がるけれど色々なものに邪魔されて何も見えない。


「っは、ひゅぅうぅぅーーっ」


「深く息をするんだよ。できるかい?」


ひどい耳鳴りの中、知らない声が届く。視界は広がっても白と黒の斑で塗り潰されて全く機能していないから誰なのかわからない。というかたぶん見えてもわからない。だって知らない声だもの。

しかしこの際誰でも構わないだろう。気道が拡がって空気が通り易くなったらしく、ひぃひぃひゅーひゅー言いながらもどうにか呼吸ができる。


「そう、ゆっくりだ」


耳鳴りと耳に障る呼吸音の中に届く落ち着いた声と、背中を撫でさするやさしい温かさに少しずつだが呼吸が落ち着いてきた。


「ごほっ、ごほっげほっかはっ」


そうして落ち着いてくるとまた咳き込むんですよね。鉄の臭いが咽喉奥からして非常に嫌な気持ちになる。

ああ、気道確保して背中を撫でさすってくれている落ち着いた声の持ち主さん。

どう考えても男性である低いお声の持ち主さん。いつもなら失礼な反応してるでしょうけれど緊急事態の今現在はありがとうしか出て来ないです。本当に助かります。


「ひ、ぃ…………ふぅ……っげほっくふ…………は、はふぅ…………。し、死ぬかと……おも、た…………」


「それはこっちの台詞だっ!!」

「それはこっちの台詞だよっ!!」


やっとの思いで言葉になったのに、何かえらい勢いで突っ込みが入った。

でももうちょっと待って欲しい。まだ耳鳴りはきつくて視界なんて霞んでぼやけて耳よりもっと機能できてない。


「こら、叫びたくなる気持ちはわかるが落ち着きたまえ。状況はわからないが、彼女は僕たちの手入れをしてくれた恩人なのだろう?」


ああ、近くで聞こえる落ち着いた低い声が耳にやさしい。どうやら視覚より聴覚の方が先に機能を回復させている様子だな。苛立ちを感じる溜息を拾った。


「そうだ。遠征先で手入れを受けた光坊がそのまま本丸へと連れて来た。真っ昼間から伽なんて命じられた俺まで救ってくれた大恩人だぜ」


「「!?」」


何やら凄い驚きを貰っている気がするのだが、まだまだ酸欠で感覚が色々鈍い。

手は麻痺している感じがするが、太刀を握ったままなのはわかった。倒れ込んだようだが大丈夫だったのだろうか。刀身に傷とか歪みとかあったらどうしよう。

あー、鞘の方はどのタイミングかわからないが手を離してしまっているな。

こっちも無事だろうか。


「因みに鞘のままの光坊を振りかぶってあのいけ好かない主の咽喉を強打して沈黙させた武勇つきだ。驚きだろう?」


借り受けた太刀の心配をしているところに聞こえる会話。どうして誇らしげに話しているように聞こえるのでしょうかね鶴丸さんや。


「主は?」


「俺たちを救おうとして現在倒れてしまっているお姫様の指示で光坊が猿轡噛ませて簀巻きにしてある。当分は目を覚まさないさ。覚ましたところで身動きは取れん。主命の心配もないだろう」


前半の笑いを含んだ語り口調から真面目なものへと変わった後半の鶴丸さんの声音を聞きながら思う。

やだ凄い説明。そして激しく突っ込み入れたい、と。


「ゅ……と、おりすがりの、迷子ですよ」


「その状況で言葉を返すとは。何処まで俺を驚かせるつもりなんだきみは」


そんなつもりは当然ない。

息も絶え絶えから復帰してきた軽やかとは言い難い調子で入れた突っ込みに苦笑交じりに返された音はよく聞こえた。呼吸はまだ苦しいが耳は正常に近いところまで回復してきたな。


「けふ……姫とか、恐れ多くも微妙な敬称は、けほ、勘弁願いたく。私は、出来ることをしただけです。けほっこふ、ぅぇえぇ」


「ああほら、無理に話さない。いまは呼吸に専念するんだ。いいね?」


ひりひりと咽喉が空気に擦られて痛い。咳き込むたびに鉄臭い。

うぅ、背中を撫でてくれる誰か、本当にすみません。


ひゅーはー咽喉を鳴らしながら本来は意識しなくてもいいはずの呼吸を意図して繰り返し、痺れの引いてきた手を胸から指を一本ずつ剥がして開く。

そうして自由にした手で涙と汗をハンカチ代わりにして悪いとは思いながらパーカーの袖口で拭う。

涙の追加は止まってくれたし変な汗もその内引くだろう。が、視界はまだぼやけたままだ。


白く靄がかかった曖昧以下の視界だが、何処に力を入れていいのかそもそも入れるべき力があるのかどうかも怪しい自力で座る事すら出来ていない体を支えてくれている人の姿は認識できた。


「主命の心配がないのならいまの内だな。折れるのを待つばかりかと思っていたが、動くことが叶うならこれ以上の好機はない」


藤紫のふんわりとしている髪に緑の目。何度も瞬いて凝らした目にどうにか映ったその色合いは、殴打痕がひどかった最初の蘇生術式施術対象者だ。

もっと視界がクリアになればはっきりわかるだろうけれど……イケメン率高くないか?

動けないし思考もまともに回らない残念が阿呆なことを考えている間に目の前の彼は何やら周囲へと指示を飛ばし始めている。


「誰かこんのすけの行方を知っている者はいるかい?政府に連絡を取ってあの主をなんとかしないと」


「……正直、生かしておきたくないけどね」


低く唸る声は光忠さんのもので、視線を横へとずらせばはっきりしない視界でも彼とわかる姿を捉えることが出来た。

しかし、なんてことを口にしているのでしょうね。このやさしい御人は。


「死なんて一瞬で終わるものより辛い一生を与えてあげれば、多少なりすっきりするですよ」


「「え?」」


つるりと出てきた物騒発言は言葉を向けた光忠さんだけではない方々からも注目を頂けたらしい。視線を感じます。


「肉体的暴力行為、それに付随する精神的苦痛も許し難いですが、自由を奪って伽の強制とか万死すらも生温い。是非とも同じ目にあって頂きたいところですが、そんな愉快な刑罰あったら大惨事ですからね」


呼吸は落ち着いてきたし指先の感覚もOK。視界も通常よりは狭い気がするが近距離を見る分にはやや霞んでいる程度まで回復した。

が、感覚が回復してくると理解せざるを得ない脱力感。これは一人で座るのを諦めろと言われているラインだとわかってがっくりする。


呼吸を奪われて息苦しいとは違う消耗しての苦しさ。体力を始めとしたものが容赦なく削り取られた所為でダイレクトに体へと影響を及ぼされている感じで非常に参る。実に面倒くさい。

にぎにぎと手を動かして感覚を把握しているマイペースな私のぶっ飛んだ発言内容に沈黙が落ちていると気が付かない辺り、思考がかなりの損害を受けているとは気付けない。


「…………きみは、なかなか苛烈な性格なのか?」


涙の名残と視界の悪さをなんとかすべく、再び目を拭っているところにぎこちなく問うてきた鶴丸さん。

姿を捉えられていないがまあいいかと応じる。


「さあ、どうでしょう。少なくとも下種にやさしさを向けられる心の広さはないです」


「……そ、そうかい」


「悪夢を見せるとかの呪いめいた技能はないですから出来て死んだ方がましだと思えるくらいの恐怖を植え付けることですかね」


引きつり気味で返事をした鶴丸さんを気にせず、あまり良くはないらしいが目を擦り、瞬きを繰り返し続ければようやく視力が戻ってきた。

光忠さんは私を支えてくれている人とは反対側の手を伸ばせば届く位置に膝をついていて、その傍らに鶴丸さんが立っている。ようやく状態を把握できそうだ。


「具体的にはどうするんだ?」


「伽羅坊!?」

「伽羅ちゃん!?」

(おお)倶利伽羅(くりから)?!」


とか思っていたら知らない人が増えた。鶴丸さんと光忠さんの呼び方については気にしない方向でいく。

広間と縁側の境界線、障子戸の敷居がある場所で私の正面にあたる位置へと膝をついて目線を合わせてきたのは、浅黒肌系の大きな人。大火傷案件の方ですねこの方。

目つきが悪いとか睨んでもいないのに睨んでいると勘違いされて遠巻きにされそうな御人の鋭い黄色が強い金の目にはふざけた色が一切ない。

だから真面目に答えることにした。


「軽いのだと目と鼻の先、すれっすれのところに刃物ずだんっとブッ刺してとかでいつでも殺せるのにあえて殺さない演出。然るべき場所に差し出されて命が助かったねやったーとかめでたく思ってるなら大間違いですよ。あんたにやられた分は必ず返しに行きます。何処に逃げても必ず見つけて追い続けます。楽に死ねると思うなよ的なことを語彙が続く限り連ねます。この時怒気とか殺気を散らして臨場感を上げればなお良し。余程肝が据わっているか会話不可能な頭の持ち主でもなければ後は恐怖心が勝手に妄想を掻き立ててくれて放置していても自滅してくれるでしょう。念を入れたければ一ヶ月二ヶ月後とか不定期で忘れてないよな的恐怖手紙を送り付ければよろしいかと」


「ほう」


さらさらと呼吸困難何処へやらで語ったボクへ感心の息をくださったご様子。

目元のきつさがほんの少し和らいだもの。


「……あいつさらっと恐ろしいこと言ってるぞ」


「しぃーっ!聞こえちゃいますよ」


誰だか知らないが室内にいる人よ、聞こえているぞ。術師の耳をなめるな。

基本的に地獄耳仕様だ。


「重いのは?」


「「まだ聞くのか?!」」


突っ込みが多方面から青年へと入ったが、言われている当人我関せず。

それもそのはず、一見無表情にも見えるこの御人の鋭い目には相当な怒りが見えるもの。恐らく、個人的な怒りだけじゃない。そういうのは後々に響くからダメですよ。


「こっちは狂人めいた言動が肝なので女子供向きです」


「……そうか」


生理的な悍ましさが必要なので嘘は言っていない。それがわかったのか彼はしつこく問うことはしなかった。


「あっさり退いたな伽羅坊。むしろ俺の方が気になってきたじゃないか」


「鶴さんっ?!」


おー、違うところで混乱が起きそうである。しかしだね、退いたからといってこのまま黙って見送ることはしませんよ。激しく余計な世話でしょうけれど。


「軽いのも重いのもオススメはしませんよ」


「……あんたに何がわかる」


わかっちゃいたが地雷だな。話は終わったと去ろうとして立ち上がられたので高い位置から鋭く睨みつけられて流石に背筋に嫌なものが感じられた。

けれど怯んでいるなんて思われては正当性がこちらにあっても言い負かされてしまうので何でもない顔をして虚勢を張る。このくらいは出来るんですよ、私。


「首を突っ込んだ程度しか事情は分かりませんが、経験者はかく語りきです」


「経験者?」


声を出したのは見下ろしてくれている青年だが、同じことを思っている者は他にもいるのだろう。そして同時にこうも思っているだろうさ。

つい先程まで怪我の展覧会だった惨状を見ておいて言えるようなことなのかって。

やーやー違いますよ。ええ、まったく全然見当違い。

……そっちじゃ、ない。


「誘拐拉致監禁。生態把握したいから血液採取にいろいろ検査。止めは愛してやるから私の子供産めの暴行とくる四泊五日の強制地獄体験。まったくもって有り難くない経験に基づく後々面倒じゃない受け流し方ですね」


皮肉気に持ち上がった口角と挑発的にも見えたかもしれないやる気のない笑みを浮かべてのとんでも発言に場がざわついた。

うんうん、そうだよね。真っ当な神経をお持ちならそうなりますよねー。


「っ…………、……」


下から見上げてとはいえど、真正面から告げられた彼の青年はといえば、驚きに目を見開いた後に案じる目をくれた。言葉に困ってだろうね。はく、と音を出さずに唇が開いて閉じられた。

そんな様子を見て今度は作った顔ではなくて本当に笑えた。苦笑、だけどね。


「見ず知らずの女の嘘か真かもしれぬ戯言に、そんな目をしてくださる方がやるべきではないですよ」


間違いなく、それは貴方を苛むだろうから。


「っ嘘なのか!」


かっと私へ向けられた怒りに多少なりとも怖いと思う。でも、いまはいろいろな感覚と測定機能が麻痺して働いておりませんので結構平気だったりしますのね。


「さて、どうでしょう」


にっこりと笑って正否を答えずはぐらかすと、拳を握るのが見えた。


「わーわーっ伽羅ちゃん落ち着いて!恩人っ命の恩人だから!」


「ちっ!」


そして慌てた様子で光忠さんが止めに入ってくださいました。凄い舌打ち貰ってしまいましたが、あまりからかってはいけないタイプでしょうかね。

ああいや、そもそもこの話題がそれに適さないだけかな。ひどい話だもの。


にしても、だ。どうしたものかしらねあの下種の始末。彼らに任せるべきだろうけれどやさしさ故の取り返しのつかないことが発生しそうじゃないか。気になる。

余計な世話だろうけれど物凄く気になる。


「一番は本人が罪悪感を感じて後生大事に抱えて悔いて生きて行くことですが、あの汚物にそれは見込めない感じなのでしょうかね」


「……汚物」


溜息混じりに零せば藤紫の彼の方から呟きが。支えてくださっているのに甘えっぱなしで申し訳ない。当分一人で自重を支えるのは無理なんです。本当に申し訳ない。


「歌仙、伽の現場に踏み込んで光坊を咽喉へ振りかぶっての一撃は見事だったぜ。吹き飛ばされた主の姿はさながらひっくり返った亀の如く。無論、甲羅を持たぬ人の身故に女子に見せるべきではない姿を晒して、だ」


鶴丸さんの説明に再び沈黙が落ちた。きっとその姿を想像でもしたのだろう。

素っ裸で無様にひっくり返って局部を晒す下種の姿を。

誰も主と呼ばれる立ち位置にいる下種のことを汚物扱いしたことに何も言わないのはそういうことだ。

そして考え込んでいた私はその気まずい沈黙を無視して一つ息を吐く。


「罪悪感が望めないならもう一肌脱ぎますか」


「え?」


「おいおい、俺たちを手入れしてくれただけで十分過ぎるってのにまだ驚きを与えてくれるのかい?無茶が過ぎるぜ」


驚きは光忠さんで、注意は鶴丸さんからである。でもってそれがどうしたってのが私です。


「容赦の欠片もない急所への強襲一撃がありますからね。本能的な恐怖が芽生えているでしょうから脅し文句の一つや二つ与えれば、トラウマという名の大変よろしい記憶になれると思いますよ。ちょろくていいですね」


さらっと応じれば溜息と共に鶴丸さんはしゃがみ込んだ。ついでに悩ましげに髪をかき上げている。


「……俺たちの為に骨を折ってくれた時に大事な螺子が緩んじゃいないか我らの大恩人殿は」


半眼で見つめてくる黄金色には子供を叱るみたいな「やめなさい」が見える。


「下種にかける情けもやさしさもないですってば。それから出来ることを勝手にやっているだけです。恩に着せたいわけじゃない」


気になる敬称もだが押し付け行動に恩義を感じられても困ると訴えるのに、鶴丸さんはにやりと悪戯な笑みを浮かべた。


「そいつは出来ない相談だ。着せられてくれ大恩人殿」


否定の言葉を紡ぎながら。


「……御免被りたいのですがね」


「ははは」


一応重ねてみたが、笑っておしまいにされた。これは取り合ってくれる気がないとわかって諦めの息を吐いた。


「っ!」


「おっと、大丈夫かい?無理をしないでくれ」


息を吐いたら張っていた気も一緒に吐き出してしまったのか、力が抜けてふらりと体が揺れてしまった。

揺らいだ体は支え続けてくれている藤紫の方が止めてくれたが、眩暈が起きて気持ち悪さに顔が歪む。

もう限界なので休めと体が訴えているのはわかっている。けれどもう一仕事残っているのだ。


眩暈に視覚と聴覚が揺らいだが、一時的なものだったらしくすぐに元に戻ってくれた。が、あまり悠長に構えてもいられないか。腕は……ひどく重いがなんとか持ち上がるな。

抜き身で膝上状態だった刀身を眺め、鍔、柄とざっと破損がないかを確かめる。

ふらふらと危なっかしく両手で太刀を持ち上げて歪みがないことにほっとする。


「御力添え、感謝致します」


恭しく持ち上げて、柄巻部分へそっと唇を落とそうとしたのだが、


「わぁああぁあーーーーっ!!それはいいから大丈夫だから感謝するのは僕の方だからっ!!」


ひどく慌てた様子でさっきまでいた場所に戻ってきた光忠さんに手際よく素早く太刀を回収されてしまった。

あまりの早業にきょとんと傍らに膝をついている彼を見上げたのだが、光忠さんは何故か真っ赤になっておりました。何故?


「ぶはっ」


回収した抜き身の太刀を背に隠すなんてことまでしている光忠さんの様子に驚いてか周囲も静まっていたのだが、ただ一人だけ噴き出してけらけらと笑い出した。


「鶴さんっ!!」


笑うなと言いたいのだろう。後ろの方で笑っている鶴丸さんへと叫んだ光忠さんや、それは逆効果だと思いますよ。何が何だかさっぱりわかりませんけど。


「はははははっくっふふ、ひ、必死過ぎるだろう光坊……っ」


「だって仕方ないよね!あんなの予測できないじゃない!」


「二度目は出来たがな……ぶふっ」


「~~~~っ!!」


あーあー。からかう側とからかわれる側の図が見事なことですな。腹を抱えて笑う鶴丸さんを真っ赤な顔のまま恨めしく睨んでいる光忠さん。うん。原因がわからないので誰にもどうしようもないよね。


「燭台切がああも慌てるなんて君は何をしたんだい?いや、何をしようとしていた、かな」


声がかかったのはボクを支え続けてくれている有り難すぎる藤紫の方。えっと、歌仙さんでしたか?

怪訝な顔、よりは柔らかい様子で問われたが……どうしたものかね。


「別におかしなことは。ただ感謝を示してくひゅ」


語尾が奇妙に崩れたのは口を塞がれたからである。黒い手袋に覆われた大きな掌にすっぽりと。


「お願い黙って秘めて口にしないでっ僕の名誉の為に!!」


手が届く範囲から更に距離を詰められての至近距離。御顔が近くて琥珀色の目に実は朱色のラインが入っていることに気が付きました。綺麗な目ですね光忠さん。

物凄く必死なご様子の理由が私にはわかりませんので全然違うことを考えています御免なさい。


「名誉だなんて、余計に気になるじゃないか。彼女は君に何かしたのかい燭台切?」


大笑いする鶴丸さんの声をBGMに歌仙さんが問いかける相手を変えた。


「っべ、つに、そのっ何があるわけでもなくてっ」


見ている方が可哀想になるくらいに狼狽えておりますね光忠さん。無理だとは思うけれど深呼吸でもして落ち着いては如何でしょうか。

そして私にも聞かせてくださいな。そんなに大それたことなんてしましたか、と。


そう口を塞がれたまま疑問に思っていればひとしきり笑い終えたのか、立ち上がってこちらへと近付いてきた鶴丸さんは歌仙さんの肩をポンポンと叩いた。


「まあ、そう光坊を追い詰めてやるな歌仙。なあに光坊も立派に男だという話だ」


「誤解しか招かない言い方はやめてくれないかなっ!」


にんまりと笑っている鶴丸さんは非常に楽しそうで、どう考えても隠そうとしている光忠さんの分が悪い。

からかう側には堪らない大変楽しい反応を返してしまうからなのだが、言ったところでどうしようもないのは目に見えている。


「んん?だったら誤解を解くために俺が大声で真実を――」


「わああぁあぁあーーーーーーっ!!」


自分の手を拡声器代わりに口元にあてて広間へと向いた鶴丸さんを止めようと光忠さんはボクの口から手を離して立ち上がった。


「自分がからかっておいてよく僕に追い詰めるななんて言えるものだねまったく」


伸ばされた手をひらりと躱してにやにやしている鶴丸さんと、どうにかして口を塞いでやろうと躍起になっているように見える光忠さん。手にしたままの抜き身の刀身が見ててちょっとはらはらします。

そんな二人を見て歌仙さんが呆れの息を吐いているが、同意できる。楽しそうだがそろそろやめて上げては如何だろうか鶴丸さん。あまりやり過ぎると遊びでは済まなくなりますよそういうのは。


そんなことを思いながら見上げていれば、長身を折って再度近付いてきたのは伽羅ちゃん、ではなく大倶利伽羅さんでしたっけ。某龍の御名前ですか。そうですか。


「何した」


うん。じろりと睨む目の圧がさっきよりも凄いですね。


「大倶利伽羅」


歌仙さんが止めてくれるが、何をしたですか。しようとしたではないのだが……鶴丸さんが二度目と言ったから、同じことだな。それならわかる。どうしてそんなに慌てふためかれるのかはさっぱりだが。


「柄の部分に口付けただけです。問題がありましたか?」


「っ!?」

「なっ!?」


ぽつりと小声で問えば、返った反応はダブル赤面。謎が深まるどうしよう。

ああ、でも気にはなるけれど話を変えてしまいたい。状態が落ち着いてきた所為でさっきから眠気が忍び寄ってきつつある。まだ眠るわけにはいかぬのです。


「そんなことより他の治療が必要な方は何処ですか?」


「ぇ…………な!?君はそんな状態でまだ手入れをするつもりなのか?!」


うわぉ、近いところからの大声は目が回りそうなので出来れば勘弁願いたいです歌仙さん。


「何っ!?まだ無茶をするつもりなのかきみというやつはっ」


歌仙さんの声が届いたのか光忠さんをからかって楽しんでいた鶴丸さんが参加した。どうやら光忠さんも同意の様子である。鶴丸さんの口を塞ごうとしているのを取りやめにされて驚きの目をくださった。


「無理無茶無謀は私の専売特許ですね」


「馬鹿なのかあんた」


さらりと述べたらさらりとド直球な発言が正面位置から放たれた。

目を向ければ呆れ顔の大倶利伽羅さんがいらっしゃる。表情に乏しい系なのかと思いきや、はっきりわかる御顔でございますね。呆れ顔なのが残念ですが。


「よく言われます」


まあ、そこに残念な発言を返す私には敵うまい。と思って口にしたのに舌打ちされたのなんでかな。


「光忠、残っているのは誰だ」


金色が私から外れたかと思えば光忠さんへと問いかけており、問われた光忠さんも真面目な表情を浮かべて応じる。


「中傷未満の短刀の子たちだよ。主を捕縛できたからこれ以上悪化することはないよ」


一期(いちご)一振(ひとふり)


今度は広間へと視線を向けた大倶利伽羅さん。その視線を追いかければ淡い水の色、空色なんて目を引く髪色の青年が立っていた。


「弟達の様子は気掛かりですが文字通り身を削って我々を手入れしてくださった御方に無理を強いる気はありません」


物腰柔らかく答えたこの御人、斬り傷案件の方です。御無事で何よりなんて思って見上げていればオレンジがかった明るい黄色、向日葵の色を思い出す目とぶつかった。やさしい笑みが似合いそうな御顔をどういうわけなのか申し訳なさそうにするので反応に困る。


「どうか体を御休めください。我々の為にも」


ああ、それはちょっとずるい言い方だな。親切心で言ってくださっているのがわかるので無碍に断ることが出来ない。

でも、もう少しの辛抱だ。いまの状況だと必ずしも返答が必要なものではないのですよ。


「遅くなりまし――」


「皆さんの手入れができるというのは本と――」


私の位置からは歌仙さんの影になるので確認できないが、声と気配と足音とで判断は十分可能である。三人だ。


「間の悪い」


ちっと舌打ちをした大倶利伽羅さんの声が耳に入った直後、何か重いものを取り落とす音と少年たちの声が重なった。


「「いち兄っ」」


「皆っ」


その呼び声に応えたのは空色の髪の青年、一期一振、さん?彼のもとに少年たちが駆け寄って抱きついているなんだか感動の光景。さっき弟達と言っていたし、いち兄と聞こえたので彼らは兄弟なのだろう。

綿あめみたいにふわふわの桃色に切り揃えられた白茶色。それから到着時に見かけた亜麻色の髪の子もいる。うん。カラフルな御兄弟ですな。


やー、集まってくださっているのは良いことです。非常に助かります。亜麻色の髪の子の痛々しい頬も気になっておりましたので大変よろしいです。

Callと口の中で小さく呟き、機関を開く。


「おいで、E」


「「っ!」」


何をしようとしているのか気付いたところでもう遅い、やってしまえばこっちのものなのだよ。


「響けH、やさしき風よ癒しの力を与え給え」


まるで悪役のようなことを考えて一息で組んだ治癒術式を展開すれば、一期一振さんを中心にして弟さんたち三人を含む四人の足元に法陣が開き、緑の光が風と共に立ち昇る。


「え、えっ?」


「あたたかい、光?」


戸惑う子たちの声が耳に届く。そこでぶつりと意識は途絶えてテレビ画面の電源を切られたようにブラックアウト。完全なオーバーワークだ。無理のし過ぎ、自業自得。

しかし悔いはない。大変満足だ。

だって、幼い子たちが痛々しいなんて見ていられないからね。

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