自己紹介くらいしましょうか
細かい話は全部後にした。急ぐんだろうと問えばこれまた泣き出しそうに頷かれたから。
成人しているらしい男を泣かせる趣味は当然ないし、イケメン泣かせて悦べる嗜好もない至ってノーマルですからね。
走ると体力がというより呼吸が持たないからと疑問しか生まないだろうことを言って早足で彼のご自宅である場所へと向かう為に木々が生い茂る中へと歩き出した。
貴方の自宅は森の中ですか?という言葉は飲み込むことにした。
「簡単なお話は伺っても構いませんか?助けてとは具体的に何から、そして僕たちというのは何人になるのかを確認致したく」
ざかざかと足元の緑を踏み散らす勢いで進みながら、先導してくれる青年の背を追いつつ問いかける。
「助けて欲しいのは……僕たちの主である審神者から、だよ。数はいまのところ僕を含めて二十三口。僕が遠征に出ている間に誰も折れていないなら、だけど」
丁寧な印象を受けるのに振り返りもせずに前だけを見て苦渋の滲む言葉を返されたのに何となく違和感を覚えるが、それだけ急いでいるのだろうと思う。走らずにいてくれるのは私の謎めく発言からなのだろうけれど、身長の関係で大きく歩幅が違う彼に早足で歩かれるともれなく私は小走りである。路面整備などされているわけがない自然地帯でこれは辛い。が、急いている気持ちはわかるのでこれ以上は何も言うまい。頑張ってくれ私の頑張れない呼吸器。
そして人数ではなく何かの個数を数える“振り”という単位と“折れる”という気になる単語については後回しだ。細かな説明後でも困らないよね。助けが必要な人がいる。それで良し。物事には最適な順序というものが存在するのだよ。
「それは怪我人ということでよろしかったでしょうか?その程度は?」
「ほとんどが重傷。動けたのはごくわずかで、本丸に残っている中だと四口、かな」
なんだそりゃと吐き出しそうになった言葉を我慢できた私を褒めたい。
二十三人。一人は彼なので除いた二十二人。その内のたった四人しか動けない悲惨すぎる状況とはどういう状況だろうか。声を閉ざす為に噛んだ唇を解放すれば、僅かに呼気が震えた。当然、怒りに。
「それを為したのは貴方様のいう主様なんですか」
「……僕たちは主命に逆らえない。そういう契約なんだ。だから」
「どんな命令であろうと従わなければならない。それが他者を踏みにじる行為であれ、己が尊厳を奪う行為であっても反論すら許されない、ですか」
「…………」
苦い虫様を何万何億何兆と噛み締めまくればこんな声が出るのだろうか。それ程に理不尽で傲慢で愚かな行為を彼らの主は強いている。吐き気がするね。
魔法に準ずるのかはさておくが、契約というそれに類似するであろう事柄がわかってちょいとばかり面倒くさい状況だなと思う。主従契約となると一番ハッピーな解決策は契約破棄になってくるのだが、こういうのは大変以外の何ものでもないと相場が決まっている。道を踏み外した奴にはね、言葉と道理が通じないのが多いんだよ。
「嫌いなタイプですね」
「え?」
ぽつりと零した一言。それに前だけを見ていた彼が振り返った。速度が上がりつつあった歩を緩めるなんて反応付きで。きょとんなんて音が聞こえそうな顔されるほど面白おかしいことを言ったつもりはないのだが、何その反応。
置き去られそうな勢いになりつつあった距離をこの間に詰め、高い位置にある琥珀色を呆れの混ざる目で見返した。
「変なことを言ったつもりはないですよ。むしろ人として至極真っ当なことを述べたと思いますが」
「え、あ、うん。そう、だと思うけど……」
なんだその煮え切らない応答。いや、別にいいのだがね。貴方に怒って憤っても仕方のないことだし意味もないことだもの。そんな反応を返させるほどなのかよって名も顔も知らないド畜生により苛立ちが増すだけで。
「普通が普通じゃないと思われるような環境を強いたであろう暴力野郎滅びろ」
「……怒って、くれるんだね、君は」
眉間に皺が寄っている自覚はある。舌打ちが付かなかったのが不思議なくらいだ。それを見て焦燥ばかりを浮かべていた彼にほんの少しほっとするものが混じったのを喜んでいいのか悪いのか微妙だ。
「一般常識とまともな感覚があれば当然の反応だと主張しますよ。とはいえ、どちらかといえば変わり者に分類される身なので私も普通とは言い難いのですが。それはいま関係ないのでほっときましょう。主命、でしたか」
私が普通なのかそのド畜生が普通なのか。それともどちらも普通ではないのか。そんな議論はどうでもよろしい。知りたいのはそんなことではないと話題を変えてしまう。
「契約と言いましたが、その主命とやらはどの程度貴方方を拘束できるものなのですか?逆らえない、というのは何があっても覆らない絶対なものなのですか?」
抜け道や例外はないのかを問う私に彼は顎に手を当てて考え込んだ。つまりは一考する必要がある程度の可能性はあるってことか。それを可能にするためにどの程度の犠牲が必要なのかは知らないが、不可能ではないと。
「絶対、とは言えないけれど難しいね。僕たちは主の霊力でこの現世に顕現されている身だから繋がりを断ち切るようなものがなければ無理かな」
う、ん?いま何やら重要かつ見過ごしてはいけない事象が出ていたような気がするのだが気の所為だろうか。気の所為にしておきたいのだが大丈夫だろうか。
「例えば、動くなと言われればずっと動けない?」
「そうだね。もういいって許可されるか、意識がこちらから完全に逸れるかでもしない限りはそのままだね」
取りあえず、気になるけれど話が簡易で済まなくなりそうな予感しかしないから流す、先送りにする。
現場に到着するまでの短い間に欲しい情報、確認しておくべきことはまだある。
「主命は力ある言葉、言霊によって発動する。発動条件は対象となる者へと声が届くこと、で間違えてませんか?」
「そう……だね。僕が知る限り声が届かないところで何かあったことはない、かな」
あー、これは相手の力量によりそうな感じかな。力が弱ければ面と向かってとか、接触しながらなんて条件もあるかもしれない。逆に力が強ければ離れていてもが可能なこともあり得る。しかし、彼らの主に関してはそういった離れたところから主命は経験がないと。
となると、これはどうかな。
「じゃあ、乗り込んだ先でその主が動ける誰か、例えば貴方様に私を殺せとか命令したら逆らえませんか?」
「っ!」
さっきから速度が少し緩んで会話ができる距離感にいたのだが、肩越しに見下ろされてぶつかった琥珀色の驚きにボクはふっと息を吐いて笑う。
ああ、その驚き方は失念していたね。そして是であると。
これは困ったな。パッと見る限り、だ。ボクは白兵戦でこの人に勝てる気、しないぞ。
先導して貰いその背を追いかけているから見えたことだがね。足場良好ってわけじゃないのに足取りしっかりしていて体幹ぶれないんだよこの御人。太刀を手に持ち進む様にも隙がない。完全な不意打ちならともかく半端な仕掛けでは弾かれた上で手痛い反撃食らいそうだよ。仕掛けるつもりは更々無いけどね。
「となると、やはり一対一ですか。主様って戦える御人ですか?」
「え、ううん。聞いたことはないけど、あの筋肉のつき方は違うかな」
「霊力を使って何かしらって感じですかね」
「霊力はそれなりに高い人だけど、あまり扱いが得意ではないみたいだよ」
それなりの基準がわからないが力はあっても制御が残念ってか。もたらされた情報に手持ちの武器なしである現状況の我が身を考える。
素手ではあるが異世界習得の技能がある。制御では私も人のことは言えないところがあるのだが、一番の不安要素は何処とも知れない世界であることかな。一応治癒術は難なく行使できたが、それが続くと楽観視していて足を掬われては困るもの。大事な時に確認足らずの大ポカとか洒落にならん。
「……あ、の」
「得物が欲しい」
「え?」
出した結論を口にすればさっきから何度目かも知れないきょとん顔を頂く。
「刃物寄越せとは言わないので木刀とか杖的なものが欲しいですね。因みに聞きますが主様って性別男ですか?」
「お、とこだよ」
うん。暴力行為ってところで何となくそうだろうとは思っていたよ。二十人近くが重傷になる程って女の力だけでは難しくあるからね。無いとは言わないけど。
「ならやはり無手は避けるべきかな。万が一押さえ込まれたら力で男に敵わないのが女の身の悲しさですな。あー理不尽」
「あの、うん。え?」
「先程から何を戸惑っておいででございましょうか。変なこと言ってますか、私」
話についていけてないよと顔に書いてありますよ。面白くはありますが放置は駄目でしょうからちゃんと問いますよ。
「えっと……変、じゃなくてなんというか……ひょっとして君、一人でどうにかしようと思っていたりするのかなって」
苦笑いの中にはまさかねーって成分が入っているよね。何言ってんの?
「貴方様とご一緒になんて、主命でばっさり殺してくださいと言っているようなものですよね。ご案内の後は声の届かないところで御待ち頂けましたら幸いでございます」
仮に万全の状態であっても真っ向勝負の白兵戦で貴方に勝てる気しないっての。
実力で勝てないのに主命に縛られて貴方は私を殺す意満々、対する私は助けを乞われたが故に躊躇い満々。勝てる要素が何処にあるっていうのかしらねおほほほほ。
にっこり笑って答えれば、歩みを止める程ぎょっとなられるのでなんでかな。
「ええぇっ!?」
「はい止まらないでくださいませ。急ぐんですよね」
「そうだけどっそうだけどちょっと待ってくれないかな!?」
追い抜いてしまっても道を知らないのでどうしようもありません。なので隣で止まりますけれど、頭抱えそうなほど驚かれても仕方ないでしょうに。
呆れを込めて見上げている私を困惑たっぷりで見下ろされているんだが、どうしたものか。
「助けて欲しいと言ったのは僕だけど、そこまでさせるつもりじゃないよ!」
じゃあどうするつもりなのかと問い詰めてやりたい気がしなくもない。ここまでで確認できた内容をよぉく考えてみなさいよ。貴方は主命に縛られる側なんですよ。それも命令されて人を殺せるくらい強烈な縛りだ。そんなのもう呪いと変わらないじゃないか。この場でそれが効かないのは助けを求められた私だけなのだろう?だったら方法なんて考えるまでもない。
私と主様の一騎打ち。これ以外の最適解があるのなら是非とも教えて欲しい。むしろそんなものがあるなら貴方は私のような得体の知れない小娘なんかに助けを求めてなんかいないだろうに。
と、言ってしまうのは流石にきついよね。自分自身と仲間とが現在進行形で危険に曝されているのに精神的に私が追いつめてどうするんだよって話だ。
おろおろどうしような感じになってしまっている視線をどうしてくれようかと溜息吐きたくなるけど我慢する。私はそういうの我慢できる子だよね。
「最短時間で手っ取り早く。貴方様の仲間に残された時間はどれくらいありますか?」
「っぁ……」
言い方がどうしてもきつくなるのは許して欲しい。どうやら私の言葉は無意識にきついらしいんだよ。
そんな傷ついた顔して欲しいわけじゃないんだけど、時間を惜しむと言葉も惜しまれてどうしてもこんな感じになっちゃうんですよね。ごめんなさい。ちゃんと後ほど説明できるといいな。
「迷わなくていいです。私は貴方様の求めに応じると答えました。私に対する気遣いなんていまはいりませんよ。貴方様が思うべきは己と仲間のことだけでいいんです。利用できるものは使っておけばいいんですよ」
にっこり笑って勧めているのはなんだが悪どい方法で我ながらどうかとは思う。勧められている彼もどうしていいのか非常に困った顔をしている。
「でもっ」
「でもも糸瓜もありません」
すっぱり斬り捨てます。そんな問答無駄なのです。戸惑いに申し訳なさを乗せなくて結構。
私はただただ不敵に生意気に笑って差し上げましょう。
「助けられる命がある。それを知って我が身可愛いと逃げ出すような奴ではないんですよ。どうしても気になると申されますならこうしましょうか」
腰に手を置き下からなのに上からっぽくふてぶてしく。そう聞こえる様に。
「私にその腹立たしい男をブッ飛ばさせなさい!」
「…………へ?」
今回一番のきょとん顔を頂きました。御間抜けにも見えるはずなのにそう見えないイケメン顔って得なんでしょうかね。
「仕事の都合上でつく上司と部下の立場での上下ならともかく、他者と己を比べての優劣で相手を理不尽に見下すとか大っ嫌いなんですよね私。おまけに何です?抵抗できない状況下での暴力行為?本人の意に添わない強制命令?何様ですかその畜生は。控えめに言っていますぐのたれ死ねって感じなんですよわかって頂けます?」
「え、え?」
にこにこにこにこ。そんな張り付けた笑顔で物騒極まりないことを吐き出し始めた私に彼の人の戸惑いはきっと最高潮だろう。
「要するに、事情を話す前までは貴方様のご都合による救助要請。事情を聴いた後では私が自ら望んでやりたいですって志願しての救助なんですよ。今更ダメとか制止をかけられても困りますので諦めて案内してください」
言い切って大変満足。にっこりと笑うが彼は呆然である。いい加減にしてはくれまいか。
「はい、足を動かして道案内お願いしますよ。急ぎましょうね」
ぱんぱんと手を打ち鳴らしてみたらはっとなられてどうしましょうかね。
「君は、それで」
「いいんですよ。貴方様が私に求めるのは自身を含めた二十三人を助けること。私が求めるのは腹立つ主様をぶちのめせる一対一の状況と念のための得物。それから道案内です。利害は一致、他には何もいりますまい」
まだ何かありますかと目線で問うのに、ようやく観念してくれたのかはははと笑いが零れた。
「君は、すごいね」
「ひどく面倒くさいの間違いじゃないですかね。我ながら無茶苦茶言っている自覚はありますよ。一応」
「一応なんだ」
「一応ですね」
くすりと笑い返せば、初めて柔らかく目を細めた顔をした。ああ、こんなやさしい表情ができる人なんだなと思うと同時に、それができない状況に追い詰められているのだと歯ぎしりしそうにもなる。
「ありがとう」
すっと口に上る。そんな様子の言葉に心がギスギスしている私も口元を綻ばせる。
「お礼を言うのは早いですよ。さ、案内お願い致します」
「うん。任せて」
時間は取ったけれど、ピリピリし過ぎていた緊張感が解れたのならこれはこれでよかったのかもしれないな。
なんて思いながら少し先を歩き始めた高い背を追いかける。そしてふと思う。
「そういえば」
「ん?なんだい?」
「自己紹介してませんでしたね」
「……そう、だったね。僕は燭台切光忠。青銅の燭台だって斬れるんだよ」
にっこり笑顔の眩しい様子で何だか気になる自己紹介。それ名前なんですかと問いかけそうになったが飲み込んだ。そんな失礼な疑問の代わりに彼が手にしている太刀へと視線を落し、再び琥珀色を見つめて首を傾げた。
「その太刀で?」
「うん。……やっぱり格好つかないかな」
「いえ、青銅って普通斬れるものと違いますよ。なんてもの斬っていらっしゃいますか凄まじい」
青銅って金属だよ。鉄に比べれば柔らかいかもしれないけど紛れもない金属だよ。普通に考えて斬れないでしょうがよ。
「そう、かな」
「どうして微妙な顔されていらっしゃいますか。私じゃ絶対無理ですよ。刀の方が折れます。そんなこと試そうとか微塵も思いませんよ。刀が可哀想です」
「…………」
「どうしてそのような不思議そうなものを見る目で私を見ますのかお伺いしてもよろしいでしょうか燭台切様」
「あー、うん。君は刀を物扱いしないんだなって思って」
何を言い澱むことがあったのだろうか。よくわからないなと首を傾げたが、物扱い……物扱いね。
「そうですね。命を預けるものだと思っているからじゃないでしょうか」
あまり深く考えたことはないけれど、始めからその感覚だけはあったな。武器を手にした時、いや、命を奪えるものに対しては。
「一蓮托生というかなんというか……。キミが折れたら私も終わりというか……うーん?」
上手く説明は、できそうにないんだが。修羅場ってる時に得物折られたら確実に死ねるものでしょうから間違えてはないんだけど説明にはなってないよな。
難しい顔して唸り出しているとくすくすと笑い声が降ってきて、下がっていた視線を持ち上げた。
「君に使われる刀は幸せ者だね。折れないように大事に使ってくれるだけじゃなくて、命を預けて貰えるなんてさ」
柔らかく細められた琥珀色。嬉しそうに、何処か羨ましそうにも見えるその笑みはとても綺麗で見惚れてしまいそうになる。見目がよろしいと威力が凄いな。
「そうですかね」
「うん。僕はそう思うよ」
よくはわからないが、緊迫張り詰めじゃない雰囲気なので良しとしよう。適度ならいいけれど、過ぎると毒なんだよああいうのはさ。出来ることすら出来なくなるとかね。
「できれば僕のことは光忠って呼んでくれないかな」
燭台切って長いからですか?とは聞かない私は偉い。
「光忠様?」
「様なんていらないから。もっと気安く呼んで欲しいな」
どうしてそんなに友好的?急に近い感じがしてきて私の方はちょっと警戒心が芽生えそうなのですけれど。
「光忠さん」
「うーん、呼び捨ててくれていいんだけど」
「流石にそれは失礼でしょう。初対面済ませて少々ですよ」
馴れ馴れしいとは口にしないでおく。ちょっとこの言葉はきつい響きしかない。かといって人見知りに難易度ハードなこと望まないでくれよとは言えないだろう。残念過ぎて。
というか、いい加減名乗らせてはくれないかしらね。自己紹介は一方通行とは違うでしょうに。
「青葉 律です。お気軽に律と呼んでくださって結構です、よ?」
語尾が変な感じに跳ねたのは光忠さんがあんぐりと口を開けて驚いていたからだ。
どうしましたか一体。
「え、ちょ……それ、真名、だよね?」
「フルネームですね」
真名とはこれまた不吉な響きだな。そう思うのは契約とか主命とか聞いた後だからかな。
「な、んで?」
なんでとくるのか。それほどまでに重要性の高いことなのか。つまりはあまり推奨できない事柄なのかなフルネームでの自己紹介。
「まずいですか?」
「えっと……うん。その、信用された感じがして、僕は嬉しい、けど……人前では、呼べない。君が危なくなる」
眉間に皺が寄りました。余程よろしくないことらしいです。やらかしちゃったね私なんて遠い目で現実逃避をしていたらぎゅうっと眉を寄せ、難しい顔して何やら考え込んでいる光忠さん。どうしましょうかね。
「僕がつけるのはそれはそれで問題があるから……。律ちゃん、他に呼んでいい名前、あるかな?」
普通に呼ばれてちょっと吃驚したよ。でも聞かれていることに首を傾げるよ。
他に呼んでいい名前って何?あだ名?あだ名ですか?
「鈴ちゃんと呼ばれることがたまにありますが」
「鈴ちゃん?」
話せば短いのですがね。ええとっても。
「私の持ち物に大量の鈴が付いておりまして。歩くたびにしゃらしゃらと音がするのでキミが歩くと鈴の音がするね、と」
はははと乾いた笑いを浮かべれば、頭が動いて簪の鈴がちりりと音を奏でる。
そんな様子を見てなのか、口角を上げて微笑んだ光忠さん。
「ふぅん。いいね、なんだか可愛くて君に似合ってる」
「――――」
黙した私は悪くない。見目麗しきいい男、十人が十人そう答えるイケメンに、可愛いとか似合っているなんて言われてみたまえ。顔から火が出るわ!
「あれ?もしかして照れてる?」
少しばかり恵んで欲しくなる長身を折ってまで顔を覗き込んで来ないでくださいませんかこのイケメンっ。
私にその手の耐性はない!
「それでは鈴と呼んでください。それでいいです。そして問いたいのですがよろしいでしょうか光忠さん」
ふいっと顔を背けて声を張り上げたらくすくす笑っているのが耳に届いた。いい、突っ込むと墓穴を掘る気しかしないから放置する。
「何?鈴ちゃん」
放置してもこの威力。ああ、緊張感よカムバック。
「何かしらの得物を借り受けたいのもなのですが、大事な確認をさせてください」
無理矢理手繰り寄せる緊張感だけど、大事なことなのは確か。だから彼も真面目な顔で聞いてくれた。
「主様の側に誰かがいることはないのですか?その方に主命だと私と争うように命令出されては相手の方の力量によっては分が悪いのですが」
動ける仲間が四人はいる。その中の誰かが突撃のタイミングで傍にいないとも限らない。
そしてもしそうであれば、本人が戦う技能なしなら傍にいる誰かに命じるだろう。その誰かが戦える戦えないとか関係なしに、自分を守れと。
助ける対象を害するわけにはいかないのだがと不安に思って聞いたのだけど、聞いてはまずいことだった様子だ。ギチリと歯を噛み締める音が聞こえてきそう。
「正直、わからないかな。その時による、としか。あの人は気分屋だから……機嫌が悪ければその時目についた相手に手を上げる。機嫌が良ければ……」
チリッと鋭くなった空気が肌を刺す。目的地であろう方角を睨み据えた琥珀色に浮かぶ感情は、背筋が寒くなる程に重いもの。
「……っ伽を、命じるんだよ」
絞り出し、吐き捨てられたその言葉。一瞬何を言われたのかわからなかった。もしかすると理解したくなかったのかもしれない。
伽。夜伽。それは、親が子に語り聞かせるお伽噺なんて可愛らしいものではない。
知っているよ、私。それを、知っている。強制されるその痛みを。
だから、ぐつりと沸き上がったこの感情を逃がすべく、大きく息を吐き出した。
「鈴、ちゃん?」
私が吐き出したものに気が付いたのか。激情に揺れた光忠さんが戸惑った様子で名乗り直したばかりの名を呼んだ。
俯いた頭を持ち上げて、彼が見据えた方角を睨み据える。驚いた顔が視界の端に見えた気がする。
「光忠さん」
目を合わさないのはこの感情に抑えが利かないから。利かせる気がないから。
静かに低く唸る声は危うい音として耳へ届く。
「うっかりぶっ殺しても大丈夫ですか?」
煮え滾るようなこの感情、殺意と言う他にないそれを吐き出した私に彼は何を思うのだろうか。
「っそこまでさせるわけには――」
息をのみ、返って来たのは否定ではない。
「Noじゃないんですね」
再度の問い。今度は目を合わせたそれに、光忠さんは戸惑いながらも気遣う色を見せて、苦い顔をした。
被害者は二十三人。その内のどれくらいかは知らない。きっと知らない方がいい暴力だけでは済まなかった心をも抉り取る惨劇。
理不尽極まりない暴力を振るうDⅤ野郎許すまじから一変するその残酷極まる所業に浮かべる表情は、きっとない。怒りも過ぎればそうなるものだと知っている。
落ちてしまった痛いくらいの沈黙の中、彼は静かに頷いた。それを見て、私は目を伏せる。
何が最善かなんて正直いま考えてもわからないと思う。だって感情が先走って理性が上手く働いていない。こういう時の判断は後々ひどい後悔をすることがあるのだから慎重になる必要がある。
だから、一つだけ確実に言えることを軸にしておこう。
光忠さんに殺させてはならない。そして同時に彼が案じる彼の仲間にも殺させてはならない。
私とてそれを進んで行うなんてことはしない。してはいけないと思っているから。
息を深く吸い込んで目を開く。見上げる琥珀色を真っ直ぐに見つめて告げる。
「生け捕りにできるよう努力しますので、フォローをお願いできますか?」
殺すことなんて、きっと容易い。だから……難しい方を選ぼうじゃありませんか。
「任せて」
さあ、死など生温いと思わせるほどの後悔を刻み付けて差し上げましょう。