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魔女の保管庫*短編集*

イルーシュカ・ルベル~城仕えの魔女~

作者: 鏡双緤

 *



 イルーシュカ・ルベルは魔女である。

 艶やかな黒絹のように波打つ髪と、くるりと丸い萌黄色の大きな目をもつ若魔女だ。野兎のように小柄な体つきも相まって、例外なく実年齢よりも若く見られがちな半生を送ってきた。

 それでも秋の豊饒月まであと一月。十七歳を数えれば、種族例外なく成人と認められる。彼女は内心で、指折り数えて誕生月を待ち侘びていたのである。


 ここで本題だ。

 何故過去形で語るのかと問われれば、答えはいたってシンプル。

 イルーシュカは、走馬燈に浸っていたのだ。人生の振り返りである。

『今、この時』に危機的状況に直面しているのかと問われると、そうでもないという目の前の現実。しかし、安心してはいけない。

 明日の陽光、それも迎えられるかどうかすら怪しいのだ。

 冗談でも何でもなく、当人は涙目なのだ。

「頑張ったのになぁ……中々どうして報われるものではないのだ」とまぁ、言ってしまえばそんな内心にあった。

 イルーシュカはここに来て、絶望と諦観の二つを足して無気力で割ったような心境を抱える。

 風雪が彼女の柔らかくて長い髪を舞い上げるごとに「うっ、前が見えない……」と繰り返すことも心身に地味なダメージを蓄積していった。

 彼女の命は、風前の灯火と例えてあながち間違いではない状況にある。そこは間違いない。

 ただし、吹き消される瞬間がいつ訪れるのか。それを彼女は知るすべを持たない。言ってしまえばそれだけの話。

 前門の虎後門の狼とはよく例えたものだが、イルーシュカの現状をここに当てはめると前門の暗黒竜(ナイトバーン)後門の魔王(フェルクト)ということになるのだから。



 魔女とて、人である。

 夏は暑いし、冬は寒い。

 体の数か所に施した呪いの印を見られぬよう、常日頃から肌身離さず被る外套。これは夏の日差しの下では一種の拷問に等しいことを知るものは少ない。いかに常人に比べて多くの魔力を保有していようと、ひとたび魔力源が枯渇すれば真冬であろうが暖一つ取ることも叶わない。その事実を知るものもまた僅かだ。

 人の身体を持ちながらも、その身に宿る呪いの系譜。

 血を介して脈々と受け継がれてきたそれが故に、只人よりも魔術に近しいだけの種族。

 それらを総じて、魔女とよぶ。

 しかし、それを知らぬ他種族たちは魔女という種族そのものを恐れてきた。

 人ならざる者。闇とヒトの狭間に生きる者。体に流れる血は紫で、その口付けは氷の毒――などという世にも奇妙な定説すら、巷では囁かれる始末。ここまでくると、笑うしかない。

 まったくもって風聞というものは根強いものだ。


 イルーシュカはひっそりと溜息をつく。

 上空に溶けて、白く染まる吐息は見ているだけでも寒々しい。


 身体能力は、仲間内でも殊更脆弱。それに加え、飛行は不得手。得意分野をひたすらに極めることの多い魔女たちの中でも、異例中の異例として数えられること幾星霜。

 幼少期を過ぎたころには、欠点を数えることに飽きてしまうほど。

 ちなみに周りの魔女たちは、決してイルーシュカを差別したり、除け者にしたりすることはなかった。それは彼女が魔女長(ティカラ)の養い子であるということも前提にあったが、もともとの魔女たちの気質からしても弱者を甚振るそれでは無いのだ。

 魔女が非情になるのは、大様にして他の種族たちに限られる。


 ――自由と孤独を主義に掲げ、世俗から離れて暮らすことの多い魔女たち。

 そんな主義に真っ向から反する形で、彼女は城の大門をノックした。

 それが今から、三年余り前のこと。ヒトの自治領、その中心にあたる王都クレアデールの紅玉城(カーディナリア)。その守護を担う、城仕えの魔女に己から推挙したのである。

 理由はとてもシンプルだ。彼女は幼い頃から、とかく『城』という造形物が好きだったのである。

 今思い返せば、確かに馬鹿なことをしたのだろう。


 巨大な暗黒(ナイト)(バーン)の背中で、今ならば彼岸の淵も掴めようと冗談でも何でもなく思いを馳せつつ。

 身体から発せられる言葉は、何よりも正直だ。


「……寒い……」

「だから離陸前に伝えたよね。これ以上我を張れば、そのまま凍死するよ?」


「来て」と一言。そのまま腕を引かれて有無を言わさずに漆黒の衣に包まれる。ここまで連れてこられた以上、否やもない。半ば諦めの境地にも至るというものだった。

 それに加え、包まれて気付く。外観に反してとてつもなく保温性に優れた布地である。

 何だこれ。俄然興味が湧いてきた――。

 いや、今大切なのはそこじゃないな。溜息を零しながら、ふるふると首を振った。

 雑念はこうして払うに限る。


「貴方の住まう城が、大陸の最北端にあるというのは本当か……?」


 魔王にまつわる風聞が事実だとすれば、この寒さの理由も頷ける。実際、進路はひたすらに北を向いているようだ。

 もぞりと視線を上げがてら問い掛けてみる。正直なところ、はぐらかされるかもしれないと思ったが、結果は丸きりの杞憂に終わった。

 何でもない様子でスラスラと答えが返ってきたのである。

 いいのか、立場上。いや、問い掛けた当人が思うことではないが。


「間違いではないね。ただ、最北端と言い切るのは微妙なところかも。北領はエルフの森の境目まで、それ以外の稜線は常に変動しているから。そうだねぇ……うん。一月もすれば、灰色砂漠と丘陵一帯までは手が届くかなってところ。まぁ、正確なところを調べるとなれば大分骨を折ることになるだろうね」

「……」


 思わず絶句するのも、無理はない。

 広大であること自体は問い掛ける前から認識していた。そこは公然の事実だ。ただ、普通に考えて一月後の予定まで明かす必要は一切ないだろう。

 何が哀しくて、これ以上自分の立場を危うくしたいと思うのか。

 国の機密事項を事もなげに明かす一国の主と、一切の覚悟もなくそれを明かされる側になった魔女。この図を傍目から見れば大抵の人間が「詰んだな……」と声を揃えて言うはずだ。

 要するにあれだろう。消されることを前提として「冥土の土産に教えてやるよ」ってことだろう。


 思考を他に向けよう。これ以上突き詰めても単純に哀しくなるだけだ。これ以上の悲壮は御免被る。

 先ほどまでは寒さから色々考えていないと永眠しそうだったが、今はぬくいので熟睡しそうな予感がする。このまま目が覚めなかったら、それはそれで幸せなんだろうな……。


 眼下に広がる様々な土地を眺めているからか、ふと思い立つ。

 ――さてさて。そもそもヒトの治める領土はこの大陸においてどのくらいの位置(ランク)に相当するのか?

 答えは「最下位」。改めて言うまでもない。精々、全体の一割に届くか届かないかといったところだろう。続いて広いのが岩間に住まうモノたちの領。その次が丘陵に住まうモノたちの領。その上に湖、砂と続いてようやく上位陣に辿り着く。

 広大な、霧深き大森林に住まうエルフたちの自治区――静寂の樹海。

 神々の宿る山脈、世俗と隔絶された地を守護する霊獣たちの集う地――氷雪の霊山。

 そして最後に挙げられるのは言わずと知れた全ての魔が集う、黄昏の地――魔境、だ。

 この世界に、魔王と称される存在はただ一人。それこそが魔境を統べる、昏がりの王である。

 いと昏き王座に座し、他を睥睨しているであろう本来の姿。

 それを今の状況から思い描くのは難しい。

 背中越しにその体温を直に感じている現状。かすかに耳に届くのは鼻歌だろう。すでに体は完全に抱え込まれて、膝の上に固定されていた。

 この謎の展開に、魔女は一人頭を悩ませる。


「先ほども伝えた通り、わたしには人質の価値すらないぞ。本来攫うべきは姫君だった筈だろう? なぜ、こんな取捨選択をしたんだ?」


 当の魔王に背中越しに抱きしめられながら、居心地のいい場所を探してモソモソと動く。

 なにせこの魔王様、一見したところ分かりにくいが、やたらと鍛え上げられた肢体の持ち主である。無駄な肉など一片もないのだろう。

 温かさは申し分ないのだが、触れる部分が尽く引き締まっていて固い。


「ふふ、あまり動かないで。くすぐったくてバランスを崩しそうだよ。……まぁね。確かに当初の目的は、昨今『聖痕』などと祭り上げられた者たちへ対する王国経由での牽制。だけど、王城で城仕えの魔女に会って優先順位を変えることにしたんだよ」

「聖痕……あぁ、例の勇者たちか。王国に仕えし勇敢なる神の使者という名目で魔境への遠征へ出ているらしいな。今頃は平原を横断している頃か」

「あれで精鋭を謳うんだから、王国の程度が知れるよね。正直脅威なんて微塵も感じてはいないけど、配下から通常業務に差し障りが出ると複数の苦情があがって来たから、上としては動かざるも得なくてね」


 真実とは、大様にして残酷なものである。

 魔境側の認識を意図せず知った結果、当事者でこそないが何やら切ない思いがこみ上げてきた。


「配下からの苦情……。んー、まぁ確かに。遠目に見たことはあったが『聖痕』たちの潜在能はあれ以上開花しないだろうな」

「うん、今になって思えば随分と遠回しな手を取ろうとしたよね。ただ、結果的に君を王城から攫ってこられたという実があっただけ、悪くは無いかなって」

「……どうしてその認識に落ち着いたかが、今もって謎なんだが」


 結局色々動き回ったものの、一番初めに抱き寄せられた位置に戻ってしまった。なるほど原点回帰か。見上げれば、嫣然と微笑む魔王。

 ……え、何か微笑むような話の流れだっただろうか。


「城に到着したら、嫌でも分かるようにしてあげるよ?」

「……?! ご、拷問慣れはしていない。下手な人間よりも耐久性はないと予め申告しておくからな」

「うん? どうしてこの話の流れで拷問の話になったのかな。君は本当に面白い思考回路をしてるね」

「いや、そこでまじまじと覗き込むあなたも、相当変わっていると思う」

「拷問なんて考えていないよ? まぁ、今夜中には君を()かせる予定でいるけどね……」

()かせるって。おい、なんだその矛盾した発言は……?!」


 思わず素が出た。もともと素同然だったが、そこは今気にしている暇はない。命の危機だ。だがしかし、それ以上突っ込んで話を交わす余裕はなかった。

 暗黒竜が、急に旋回を始めたからだ。がくん、と高度が下がると同時に鳩尾に物凄い違和感が生じる。

 空酔いしそうだ……。


「……見つけたね。君は少し眠っていて。見ていて気分の良いものにはならないだろうから」

「一体何を始めるつもり……」

「後始末だよ」


 耳元でそう囁かれたことを知覚すると同時に、えげつない程強力な『催眠』の詠唱を吹き込まれる。油断したものの末路がこれだ。

 抗う暇すら与えられず、意識を手放した魔女――その柔らかな肢体を片腕に包み込んだ魔王は、その横顔を酷薄なものへと変える。

 発したのは、ただ一言。


「焼き尽くせ」


 直後、空ごと紅蓮に染まり大地へと放たれた暗黒竜の息吹は『平原にいた全て』を焼き尽くした。



 *


 ――物事には常に、因と果が存在する。これすなわち、原因と結果である。

 此度の騒動について言及すれば、この因がこの上もなく不本意な妥協点から、不可解な着地を遂げた。

 それゆえの、果である。

 限りなく不本意ではあるが、そこに至った道筋をなかったことには出来まい。



 時を遡ること、約半日。

 暗雲漂う正午の王宮。東の裏門を潜り抜けたところで、ついと足を止めて周囲の様子を窺う。

 何やら普段に比べてやたらと騒がしい。

 厄介事を過分に孕んだ空気が、フード越しにもひしひしと伝わってきた。


「やれやれ、いったい何事だ……」


 解析の詠唱を口遊み、ふいと視線を上げたところで『未だ嘗て見た覚えのないほどの魔力』に焦点が合わさる。

 色彩は黄昏、形質は焔と闇、加えて――『死』。じりじりと視界を狭め、より鮮明化したところでそれの正体に気付いた時には思わず目を疑いもする。


 何でこんな大物が、王城に。


 正直に言わせてもらえば、内心はただそれに尽きた。

 高位魔族には指先一つで国軍を一掃できる力を持つ者もいるが、直感から言わせてもらうとその比にもならない。それもその筈、その形質に『死』を持つモノは今生にただ一人である。

 ただ唯一の、昏き王。

 全ての魔を統べる、魂の統括者にして。

 その絶大なる魔力は他の追随を一切許さない。そう実しやかに語られる――魔王(フェルクト)

 その王が、先触れもなく他領を訪れるというその意味は今更問うまでもない。『何かしらの逆鱗に触れ、滅びを宣告に来た』と考えるのが妥当だろう。

 戦う? そんな選択肢は端から無いさ。片やこの世界におけるもっとも広き領を統べし王。片やこの世界において最も脆弱な領だ。

 そもそも対話にすらならない。何故かって?

 戦うまでもなく、その意思一つで蹂躙されることなど分かり切っているからだよ。


「……はぁ。だから無闇に刺激するなと忠告したものを」


 低く呟き、溜息と共に飲み下すのはいつもの通り。

 見て見ぬふりをして、踵を返すのが最も賢い方法だということは誰に言われずとも知っていた。同時に、それを自分が選ぶはずがないこともまたよくよく分かっている。

 何せ、自分のことだ。

 例え相手がどれほどの『大物』であろうが、歯牙にもかからぬような小物であろうが、いつだってやることは変わらない。


「城仕えになった以上、出来るなら『城』だけは残しておきたいな……」


 紅玉城は、自分が求める城としての要素をほぼ揃えている。

 その全体のバランスといい、装飾の美しさといい、他の領に点在する城の中でも突出してお気に入りなのである。血で汚されたくはないし、その景観も残したい。傷が残るなんて以ての外だ。


 ふーむ、と一人で唸る。そして溜息交じりに外套を捲る。

 これは所謂、行動開始の合図だ。

 久々に外気を直接浴びて、何やらとっても新鮮な気持ちを覚える。周囲が自分に気を回さない今であればこそ、こうして躊躇なく素顔を露わにすることも出来るのだ。

 そこは、詠唱も同じ。普段は全てを発音することを避け、単略したものをさも『全文』を謳っているように見せかけているが――もはやその必要もない。

 大きく息を吸い込んで、謳う。

 言の葉を、紡ぐ。


 女神の陽光に、囀れ。

 暁の夕暮れに、踊れ。

 冥府の月光に、集え。

 風の愛し子よ、その代償は野いばらの蔓。

 大地の聖霊よ、その代価は黄金の梟。

 水妖には、黒曜の皿。

 樹皮の化生には、錦の帆。

 古に捧げた盟約のもとに、希う。

 地を這い、礎のもとへ光をおくれ。


 嘗て、森で謳っていた頃のようにごく自然な調子で紡ぐ言祝(アリア)

 本気でやっているほうが気が楽とは、これ如何に。まぁ、嘘をつくのは昔から苦手だった。今更か。

 ――言祝。

 それはこの地に常在する精霊たちの加護を顕在化し、防壁を築き上げる役目を果たす。予め城の至るところに準備しておいた魔法円は、言祝を紡ぐと同時にその効力を発揮するようになっていた。ふわりふわりと順々に明かりを灯し、曇天の下で真昼のように輝きを連ねていく。

 同時に、見えない部分でも着実に変化は進んでいた。

 するすると絡まり合うようにして、地中を這う幾重もの大地の精霊たち。城の礎を中心に、四方に蒔いておいた『守護蔦(ガ―ディア)』を無事に発芽へと導いたらしい。

 他の属性の精霊たちと比べるまでもない。働き者である。普段から交流を深めておいて本当によかった。


「よし、スペアも含めて流れは順調」


 詠唱の合間に零れ出た呟き。それに呼応するようにして地中から這い出た銀色の蔦は城壁を伝い、あっという間に一面を覆い尽くしていく。

 ざわざわと靡く葉は、その一枚一枚が優れた魔力耐性を秘めている。容易に焼けない、千切れない、毟れないをモットーに品種改良を加えた非売品だ。

 こうして根を張った以上、そう容易く根絶やしには出来まい。ちなみに類似品として『黄金茨(スリーピング)』と呼ばれるよりエゲツない代物もある事はあるが、あれを生やすと副作用として効力範囲の生命体全てを休眠状態にしてしまう為、そもそも選択肢にすら挙げなかった。


「さてと。蔦が芽吹いたら、次は花か……んー、いや先に凍らせるか? うん、でも相性から考えると卵を孵す方が先……?」


 独り()ちて、考えを纏める。

 そろそろ向こうも何かしらの手を打ってくる頃だろう。

 ならば――と。先ほどの調子と少々異なる唱い方を選択した。


 周囲から見れば鼻歌を歌っているようにしか見えないだろうそれが、魔女としての本気であることを知るモノはそう多くない。


 それが何故かって? 単純な話、魔女と相対したモノの多くが消滅の一途を辿るからだ。定説である。

 ただし、それは大部分の魔女がという話であって自分はあくまで末席。正直な話、守ることには長けていても、それ以外はからっきし駄目駄目なのだ。

 自分で言っていて泣けてくる話だな。うん。


「よし、温めよう」


 魔女の使い魔は、およそ三種類に分けられる。最も高度なものが、(グール)使役(・テイム)。次が契約獣(イスフェ・リア)。最後に最も簡便なのが『卵を孵す』こと。

 ここで言う卵とは、野生で採取された魔獣の有精卵のことだ。採取に優れた魔女たちを『運び屋』と呼ぶが、その彼女たちから直接買い取るか市場に出回っているものを購入するかして得ることが出来る。

 多くの魔女は、魔術の実験の際に必要だから『卵』を買う。

 けれども自分は、屍を使役するのは勿論のこと契約獣を扱う技量もない。であればこそ、確実に動いてくれるかは不確定な『卵』を常に複数携帯して、急場の時は対処するしかないということだ。


凍結烏(フレーザ)、氷ツグミ……念の為、雪鷺(ミスティル)も孵しておくかな」


 いずれも氷の吐息を吐き、周囲を凍てつかせる能力を持つ鳥たちだ。

 城門を蔦で覆い、その上に鳥たちを放って城自体を凍結させる。この一連の合作によって、高位魔族程度の熱波による『城』の損傷は防ぐことが出来るだろう。

 ただし、今回はそれ以上の防壁が不可欠。対象が対象であるだけに、この上なく頭の痛い話だ。


「魔女長に選別で分けてもらった、とっておきなんだけどなぁ……はぁ。とはいえ出し惜しみ出来る状況でも無いか……」


 普段から首に下げていたペンダント。その蓋を解呪し、手のひらへ零した一滴。

 とくんとくんと鼓動を刻むそれは、世界広しと言えども魔女の一族の中でしか出回らない『曰く付き』だ。

 砕かないようにそっと手に包んで、迷いに蓋をして歩き出す。


 行く先?

 そんなものは、端から決まってる。


 魔力探知を併行して行いながら、とん、とん、とんと城壁の上を駆けて行った先。そこは一つの悲鳴と近衛たちの叫び声が入り混じるカオスだった。

 王城の先端、東の鐘楼の上に立つ二つ分の影は、一方が姫君。もう一方が魔王。

 予想はしていたものの、位置関係から言えば、塔の上に囚われの姫を見仰ぐ近衛たちという光景が広がっていた。

 二重三重と取り囲む鎧の騒々しさは、そのまま頭痛の種に直結する。

 誰一人として、真っ当な判断が出来る者がいない『王城』の有様に再三のことながら軽い眩暈を覚えている間にも、愚者たちの見当違いも甚だしい励ましやら、決意表明やらが鼓膜を震わせること暇がない。


「リアディール姫! ご安心ください! まもなく包囲陣が完成いたします!」

「おい、魔弓をここへ! あの黒き翼に風穴を開けてみせよう!」

「昏き王よ! 今すぐ姫君の拘束を解け! さもなくば――」


「――馬鹿ども、少し口を閉じていろ!」


 さもなくば、何だというのだ。

 あんまりにも糖分多めの思考回路に、おもわず今まで辛うじて被ってきた猫が丸ごと剥がれて『素』の声を発するのも無理はない。


「……城仕えの、魔女殿か?」


 近衛長の呆然とした呟きに答える暇すら、惜しい。

 しん、と静まり返った鎧たちを掻き分けて、さっさと塔の真下へ移動する。

 我に返ったらしい背後からの怒声やら、気違いじみた罵倒やらを余所にぺたんと手のひらを塔の『壁面』へ沿わせる。

 そして謳った。


 ――芽吹け、紅き氷雪の花。その花弁にこの血を捧げ、(こいねが)う。


 とくん、とくんと脈打っていた芽が手のひらから血を吸って一気に開花する。

 よし、と見上げれば恐怖に強張った面差しをしてこちらを見下ろす姫君の双眸と見合った。

 元より彼女自身に罪はない。今まで面識は無いに等しかったが、じっとその目を見上げて「大丈夫」と伝わる程度に頷いておく。

 微かに見開かれた目から、零れる涙の一筋まで鮮明に見えた。


 さぁ、賭けを始めよう。

 大きく息を吸い、塔の上に立つ昏き王を見仰いだままに声を届けた。


「――魔境を統べし、昏き王よ。無為に血を流し尽くす前に、今一度慈悲を頂く機会を願いたい」


 遠目にも分かる、酷薄の顔。黒き衣を靡かせて、闇の淵を背後に従える魔の中の魔。

 おそらくこの世界において、三指に数えられる支配者を直接見仰がざるをえない状況に至っては、震えるのも当然だ。

 何がどうして、こんな面倒事に関わることになったものか……。

 あれか、日ごろの行いか。よっぽどだったのか? いや、そこは人並みだと信じたいものだが。

 心なしか血の気のなくなった手指を握りしめ、崩れ落ちそうな両足を踏みしめて立つ。


「おい、城仕え如きが何を――」

「黙れ。状況判断すらもまともに出来ていないものが、今、この時に一切口を挟むな」


 言葉尻を選んでいる余裕すらないというのに、背後の鎧のやかましいことこの上ない。

 底冷えのする眼差しを向け、(ついで)に『沈黙』の呪いを付与しておく。

 射殺されそうな視線を返されるも、丸ごと無視した。無言の親切すらも通じない以上、もうそれ以上何を言おうが同じことだ。

 後はもう、好きにすればいい。


「――きみは? 純粋なヒトではないようだね」


 騒ぎが静まったのを見計らったように、頭上から響く声。

 それは尊大さよりも冷静さを感じさせるものだった。

 深く、それでいて柔らかな。どこか気品も兼ね備えたそれには少なくない『魔力』の波紋が混じる。

 咄嗟に片方の耳へ聴覚阻害の呪いを掛けていたのは、思えば反射に近い行動だ。それを見抜かれて、薄らと笑みを刻んだ口許。「面白い」とそう囁くようにして出た言葉。

 それらに気付くゆとりなど、元より無い。


「城仕えの魔女。この城は自分が契約に基づいて守護している故、この地に住まうモノたちは皆私の守護する対象に含まれる」

「ふぅん……城仕えの魔女、ね。これはまた珍しいモノに会ったな」


 その黒絹の如き髪を靡かせながら、目を丸くした様子の魔王。

 見る限り、どうやら珍しがっていることは事実らしい。

 張り詰めた糸は変わらないまでも、このタイミングを逸してはならないと咄嗟に口火を切ったのは直観に基づいてのことだ。


「念の為に伺っておきたい。この騒ぎは、どのような意図のもとで行われたものか?」

「その理由をあらためて口にする必要があるのかな?」

「……平原を騒がせたことへの報復。咄嗟に浮かぶものは、その辺りだ」

「うん、つまりそういうことだね。ヒトがいたずらに魔境を騒がせた咎は、ヒトの領を統べし長たる『王族の直系』に償わせるのが妥当ではない? 答えて、城仕えの魔女。君の意思が聞きたい」


 薄っすらと微笑みながらも、その覇気は身を凍らせるほどの冷たさを纏う。

 背後に黒き焔を揺らめかせながら、一切の妥協も偽りも許さない氷雪の双眸が一点集中で向けられていた。その先にいるのは、言うまでもなくイルーシュカ。

 返答次第では、全ての策を発する前に自らが灰燼に帰すことも考えられる。というよりも、かなりの確率でそうなり得た。

 時間稼ぎすら、無為だろう。

 むしろ、それこそ嫌うだろう。

 殆ど会って間もないにもかかわらず、それは交わした視線の内に伝わってきた。


 だからこそ、紡いだ言葉は城仕えとしてではなく、自らの言葉そのものになる。


「咎を(あがな)うのに王族の血を差し出すのは、至って当然のことだろう」


 背後で爆発的に膨らんだ殺気。加えて、ぎりぎりと限界まで引き絞られた弓の音に気付かない訳もない。

 痛いほどに背中に集まる、近衛兵たちからの怨嗟の視線。

 それらを知りながらも、迷いなく最後まで言い切ったのは、それが紛れもない真意だったから。


「それなら君は、どうして王族が住まうこの城をまだ守ろうとするの?」


 どうして、逃げ出さなかったのか。

 その問い掛けが来ることを知っていて、紡ぐ言葉に迷いなど端から無かった。


「その問い掛けに意味はないよ。私は、この城に仕える魔女。ただそれだけのこと」


 ぽたん、と最後に吸い取られた血が足元を打って――それがそのまま城中に張り巡られた根に吸い取られると同時。

 囁くようにして、謳う。ヒトの耳では聞き取れないであろうそれも、魔を統べる王の耳に入っては『発動の合図』であることは丸分かりだ。

 それはそのまま、ささやかな反抗にして最期の足掻き。

 言葉にして伝えるまでもない、城仕えの魔女としての返答であることも伝わる筈だった。


 城壁にみっちりと生い茂った蔦の合間から、一斉に孵化した鳥たちが氷の囀りを紡ぐ。

 城の端から端まで、途切れることなく灯った魔法円からスルスルと茎をのばして四方に開かれる紅の花弁。

 王城を中心に、それはそのまま強固な結界となる。


 そこまでを見届けて、一息ついた魔女の背へと放たれるのは数えきれないほどの矢。


 それを防ぐことすら億劫で……というのは流石に嘘だ。ただ、魔力切れ寸前の身体を守護する術を残しておけなかった自らの脆弱さに、諦めを抱いていただけのこと。

 例え、ここで死んでも守護は消えずに残る――そんな『曰く付き』を開花させた城仕えの魔女。

 さぁ、ここらでお別れだ。

 脱力感も甚だしく塔にもたれ掛かった彼女の前に、唐突に降って湧いた壁。

 文字通り、忽然と現れたそれ。

 否。正確には、漆黒の人影は――


「道理の分からないモノたちだね。無知であるが故の、愚かさもここに極まれりってところかな。……ねぇ、君がわざわざ命を捧げてまで、報いる必要はないと思わない?」


 やれやれと、あきれ果てたようなその口調。

 昏き王はそう囁いて、どこか痛ましげに苦笑してみせる。

 明らかに自分に向けられていた、その問い掛け。それに呆けている間に、ほとんどの出来事は終わってしまう。

 すぐ傍らへと、音もなく舞い降りた彼の者の指先一つ。それによって、成す術もなく。跡形もなく。

 放たれた魔矢全てが、消失した。

 それだけに終わらない。

 つい、と空間をなぞっただけにしか見えなかった動作によって――――数百と囲いを組んでいた近衛兵たちは、一兵残らず遥か遠方の城壁へと吹き飛ばされ、悲鳴と共に視界から遠ざかっていった。

 まるで現実味のない光景を目の当たりにして、思ったことはとてもシンプル。

 ささやかな、疑問のみ。


「……随分と、手加減をしたもんだ」

「消し去る手間を、惜しんだだけだよ?」


 ゆるゆると視線を上げていき、塔の上に焦点を合わせればどうやら無事らしい姫君の姿。

 それを確認した後に、ようやくすぐ目の前に立つ魔王その人に短く問う。


「この城を、見逃してはもらえないか?」

「これだけの備えをした上で、その問い掛けは今更だと思わない?」

「……それでも、魔王の魔力を以ってすれば数日と持たないさ。それ位のことは分かってる」


 霞む視界を、意志の力だけで持ち堪えながら小さく溜息を零した。ここまで消耗すると顔を上げていることすら億劫で、どうしても俯きがちになる。

 だからこそ、暫くは分からなかった。

 ふわりと頭の上に乗せられた手のひらと、髪をかき混ぜる感触。それらは伝わっても、そもそも『誰』の手なのか。

 そこに、思い至れない。

 思考が全く追い付いてはいなかったのだ。


「ふふっ……今回は思いがけず、良い拾いものをしたかも」


 くすくすと笑みを混じらせつつ、耳元でそう囁かれた時もそれは同じ。

 直後は何を言われているのかすら分からず、抱え上げられるまま移動する段階に至ってはもはや何も講じる手段が残っていないことに愕然とするばかりであったと。


 まぁ、要するにとんでもなく愚かな顛末を辿ったわけだ。



 *



「……それで?」

「うん、やっぱり思った通りだね。君には真白のドレスがよく似合う」


 聖堂に敷き詰められた、赤と紫のバラの花弁。

 頭上に輝くステンドグラスからは、眩いほどの陽光が差し込んでいる。

 コツコツと靴音を立てて、歩み寄った魔境の王は純白の花嫁に向けて柔らかく微笑んだ。


「感想を求めたわけじゃない……」

「うん。君の言いたいことは分かってる。可愛いイルーシュカ。つまりね、君の守るべき城を奪った以上は、君に新しい『城』を上げたいと思って。悪い提案じゃないよね? これから先は王座の隣でこの城を守ってくれると嬉しいな」

「?! ……な、な」

「ふふ。声を無くすくらい喜んでくれるの? これは嬉しい誤算だね」


 ほくほくとした笑みを浮かべつつも、その目は猛禽のそれに近しい。

 半ば条件反射で、ぶるりと震える。

 魔境へ連れてこられて以来『王の寵愛』という名目のもと、夜ごと貪られてきた。すなわち毎晩。大事なことなので二回言ったぞ。

 いつしか日常化した、慢性の睡眠阻害。健やかな睡眠を求めて合間合間に虚しくも懸命な逃亡劇と苦難の日々を繰り返し、ときに魔術の応酬を挟みながらズルズルと引き延ばしてきた涙ぐましい自分の頑張りを誰でもいいから褒めてほしい。

 遭遇は秋、孤軍奮闘の冬を越えて、季節は今や春。

 完璧に油断していた。

 それはもう、安穏としていた。

 打ち鳴らされた朝告げの鐘と同時に、開け放たれたドアの外。にっこりと笑った侍女たちの微笑みには鬼気迫るものがあり、あれよあれよという間に湯浴み、衣装替え、化粧の順で整えられた姿のままで運び出されたその先で。

 ぽーん、と放り出されたそこは真昼の聖堂だったと。

 互いの礼装を見比べて、虚空を見上げて、視線を下してきたところで一面のバラの花びらだ。


 駄目だ。ここで察したら全部おわる。


 深層にあたる、無意識からの警告。

 表層に当たる、意識からの確信。

 そのいずれもが脳内に響き渡るなり、花嫁衣裳をたくし上げ、すぐさま逃亡に転じようとした試みは――

 儚くも、聖堂の両手扉を前に立ち並んだ面々を目にした瞬間に費えることとなる。


「……イルーシュカ、あぁ。いつもに増してなんて可愛らしいのでしょう。宵の淵にあるこの城に、ようやく咲いた可憐な一輪……けして枯らさせはしないわ」

「姉さま、ハンカチーフが涙でビショビショだよ? はい、新しいの」

「エリノア、貴女もよく今日まで頑張ってくれたわ。何かと理由をつけて二人の仲を結び付けてくれた手腕は見事だったわよ」

「……それ、一応褒められてるんだよね? 正直なところ、罪悪感で一杯なんだけど」


 ずびずびと鼻をかみつつ、感無量といった様子を隠さないのは魔王の実姉であるミルレーナだ。そして彼女のすぐ隣に立ち、新しいハンカチーフを差し出して苦笑しているのが魔王の実妹エリノアである。

 イルーシュカがこの城に初めて連れてこられた時から、この二人には何から何まで甲斐甲斐しく世話をしてもらった恩がある。

 正直なところ、まるで頭が上がらない。


「……長かった苦しみも今日でようやく終わる。あぁ……夢なら醒めないでくれ! あらゆる領から様々な種族の美人を揃えても、全くもって興味を示さなかったあの主が! ようやく城主に春が! これは夢ではないのだな!?」

「宰相殿、どうか落ち着いてください。血圧に悪うございます」

「わしはもう、死んでも構わんのじゃ!」

「宰相殿、お気を静めて……!」

「わが生涯に、もはや悔いはない……」


 ミルレーナに負けず劣らず、しきりと鼻をすすり上げている人物がもう一人。

 それは魔境の次席にして、宰相位を預かる老翁モルゲンである。その傍らに宰相補佐であるイルフ青年が並ぶ光景は、もはや城内では見慣れたものだ。

 ただし、今にも息絶えんばかりの上司を支え、顔面を蒼白にしていることを除けばだが。


「……おいおい、茶番も大概にしとけよなぁ。城主の晴れの日に同時に喪に服すのは勘弁だぜ」

「団長、念の為、聖堂前に医療魔術師を招集しておきますか?」

「あぁ、それがいいだろ。ただし聖堂周囲の囲いは崩すなよ。万が一にもあのお姫さんに逃げられたら、ここにいる俺たち全員の首が(物理的に)飛ぶからな」

「「「了解しました」」」


 見回せば、数十名の騎士たち。聖堂全ての窓と扉を固めているのは全員が『黄昏騎士団』に所属する面々だ。ちなみにこれ、魔境において最強にして最悪と名高い城付きの近衛団である。

 団長ファレスは一見しただけでは優男と称されかねない派手な容貌をしているが、名実ともに魔境においては魔王に次ぐ実力の持ち主らしい。たとえ欠伸の最中であろうが、やろうと思えば指先一つで暗黒竜の火炎を相殺できるそうな。

 ちなみにこの条件を魔王に置き換えると、欠伸以前に睡眠中でも対応可能らしい。

 全くもってふざけた話だ。

 魔王も魔王だが、団長も団長である。どれもこれも一般を軽く逸脱している。


 この数日の間にも、着々と婚礼の準備を進めていたらしい昏き城の面々。

 ほとんどが既に顔見知りとなっていて、非常に逃げ辛いことこの上ない。感涙にむせぶ二組。常日頃から白い髭を蓄えてちょこちょこ城中を駆け回っている宰相殿に付き添う苦労性の宰相補佐殿から向けられる懇願の色に近い視線。近衛団及び団長殿の面々による物理的な包囲網――まぁ、要するに「逃がすものか」と言外にひしひしと伝わってくる状況を前にして。

 踏み出そうとした一歩も、花びらの上で彷徨(さまよ)った。


 その一瞬の躊躇いを、元より見逃す筈もない。

 ふわり、と花嫁の――愛しい魔女の腰を片手で攫った魔王は頬を寄せて口付けをする。

 それは瞬く間の出来事だった。

 そして誓いの文言は、イルーシュカの吐息に混じるようにして耳元で囁かれる。


「――これから先、ずっと君とともに歩んでゆくよ。君を幸せにするために、この城も、城に仕えるモノも、この領に住まうすべての者たちへの変わらぬ庇護を誓う。だから、どうか頷いて?」

「……あなたは、ずるい」

「うん」

「あと、加減を知らない」

「自覚してる」

「それなら、今後は加減を学ぶと宣誓を」

「んー、……うん、努力するね」


 白髭の宰相殿の必死の目くばせに、ようやっとのことで頷いた魔王。

 周囲が一様に胸を撫で下ろす様子に、イルーシュカは苦笑を隠さなかった。


「皆、今の城主の言葉を忘れぬように。……昏き王よ、この城に使える魔女として、これから先をずっとあなたと共に歩んでいくことを誓おう」


 静寂の聖堂に、花嫁からの誓いの言葉が響いた刹那。


 一瞬の空白の後に、沸き立った聖堂内と――その歓声が聞こえたのだろう――聖堂の外に召集されていた騎士団、医療魔術師たちの喜びの声が聞こえてくる。

 正直なところを告げれば、地鳴りかと思った。微妙に遠吠えみたいなのも混じってた気がする。しかし、そこはそれだ。深くは考えまい。


「愛しいイルーシュカ、誓いの言葉も交わしたわけだし、そろそろ名前で呼んでくれるよね?」

「長くて呼び辛いから、嫌だ」

「……ええー。だから、愛称も教えたのに。さすがに夫婦間で役職呼びは……」

「怒っているんだよ、これでも。だからその分も含めて一週間は呼ばないぞ」

「一週間?! ねぇ、イルーシュカ……機嫌を直して? ね?」

「背中が重い」

「蜜月の間、名前も呼んでもらえないなんて耐えられない……」

「痛い、腕が痛い」

「呼んでくれないなら、三日三晩休まずに君を抱くけど?」

「加減を学べ!」


 そうして快晴に響く、花嫁の平手打ち。

 ここ数か月の間、イルーシュカは詠唱を唱える暇もない。


「今夜も眠らせないからね」

「だからそこで真顔になるな……」


 ずーるずると魔王を引きずるようにして、聖堂の外へ出るべくバージンロードを突き進む。

 そんな小柄な魔女の背中へと。

 同情に満ちた、それでいて感謝交じりの幾重もの視線が一身に向けられていることを他でもない当人だけが知らないのだ。


 魔境に、穏やかな春が訪れて久しい。


 *


 出会いは、秋のはじめ。

 それから季節は巡り、海岸線から吹いてくる東風に芽吹いたばかりの若葉が揺れる頃。


 ――魔境の王が、花嫁を迎えた。

 その知らせは大陸中を渡って、遥か遠方、ヒトの領地までも届いた。

 まるでその知らせを待っていたかのようであったと。後の人々は語ることとなる。

 かつて、一人の魔女によって守られた城。

 かの紅玉城は春を迎えるとともに氷結の壁も、花も、崩れ落ちた。

 氷の鳥たちは春を告げる囀りとともに、城を去り。

 残された城その場所には、滴る水を吸って至る所に美しい花が芽吹いたという。


一息がてら、このたび短編を投稿させていただきました。

お読みいただいたすべての方へ、感謝を込めて。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 城愛好家という設定。 [気になる点] つかみどころのないお話でした。 [一言] 魔王が興味を持ったのはわかるけど、そこからいきなり婚姻に結びつくのが納得いかないし、主人公の感情の動きが感じ…
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