第9話 騎士来訪
鍛冶師として絶望的な結果を突き付けられた俺は、目標を失って抜け殻のようになった……。などというはずもなく、忙しく動き回ることにした。やることはたくさんあるのだ。
まず最も重要な事がある。自分の謎の力の解明だ。この解明なくして前に進むことはできない。何もせずぼんやり過ごし、このまま”お飾り当主”になるのも良いが、ナイトストーカーの時のように、万が一ということもある。
当面は、自分の力の謎解きに専念しよう。幸いビスマイトさんからは、鍛冶作業と危険なこと以外なら、何でも自由にしていいと言われている。目利きの仕事も、結局はシャルルさんかドルトンさん、もしくはチャラ男が担当し、俺は書類にハンコを付くだけの人になる可能性が高い。
さて、現代日本で調査といったらまずネットでリサーチだ。当然この世界にはない。となると、古式ゆかしい地道な方法しかない。
「エリーお姉ちゃん、この街で一番大きな図書館って何処にあるの?」
「うーん、図書館……。ごめんね、お姉ちゃん文字読めないから行った事がないの。あっ、でも古い本をたくさん扱っているお店なら知ってるよ」
そうか、そもそも文字が読み書きできない人に聞いても、無駄足になってしまうな。でも本屋があるのはありがたい。俺は本屋の場所だけをエリーに聞き、図書館の事は一応文字が読めるビスマイトさんに聞きに行った。
「ふむ、図書館か。残念ながらそれは城の中だな。貴族しか利用できないことになっている。多少の読み書き練習用の本と宗教用の文献ならば、教会にあるやもしれんが……」
識字率が低いこの世界では、本自体が一般的ではないらしいな。そもそも印刷技術もレベルが低そうだし。仕方ないか。この分では、エリーに教えてもらった本屋の方が収穫が多そうだ。
後はもっと地道で原始的な手段しかない。そう、知識人を探して聞き出すことだ。これはビスマイトさんの顔で何とかなりそうだが、まず当りを付けないと、どの方面の知識人を訪ねてよいかもわからない。いきなり壁にぶち当たったな。日本ならネットで3分間の調べものかもしれないのに。
俺はシャルルさんを訪ねた。護衛役をお願いするためだ。エリーは街案内としては最適だが、残念ながら荒事に対応する力はない。ここは素直に武力重視でシャルルさんだろう。
「本屋だって? へぇ~、そんなところがこの街にあったのかい。知らなかったよ。いいよ、これからちょうど西地区に出掛けるところだったから」
本屋は西地区の外れにある。治安的には微妙なところだ。奴隷商のある地区やスラム街も近いんだよね。だからこそのシャルルさんだ。正規兵でもあるからな。
シャルルさんはいつも帯刀しているタウンソードに加え、立派な長刀を背中に2本差した。1本は客先への届け物だという。準備万端だな。
西地区は思った以上に活気に溢れた都会だった。ヨーロッパの朝市を大きくしたような感じだろうか。さすがに貿易港が近いこともある。生鮮食品から怪しげな薬の原料までいろいろ揃っていた。
俺はエリーに教えられた本屋に入った。シャルルさんは、剣の届け物がちょうど近くの住居だというので、俺を本屋に置いて出かけて行った。
本屋といっても日本で見るそれとは、かなり趣が異なる。まず狭い。狭い所に本が密度高く収納されている。天井付近まで本がみっちり詰まった棚が、隙間なく並んでいる。地震が来たら確実に圧死する自信がある。書籍がこれほど濃密に詰まっている状態を見たことがない。
さてと、探すべきは”モンスター事典”か。夢で見たこの体の持ち主は、左腕を巨大な熊に喰いちぎられていた。もしもあの熊が固有種なら、場所が特定できるかもしれない。場所がわかれば、その場所に何らかの手がかりがあるかもしれない。単純にそう思っていた。今のところ手がかりになりそうなのは、それだけだったからだ。
「すみませーん、ここにモンスターの事典的な本ってありますか?」
「モンスター事典? あの棚の一番上にあるよ」
「ちょっと見せてもらってもいいですか?」
「いいけど、金貨1枚もらうよ」
試し読みだけで金取るのかよ。あこぎな商売してるな。しかも俺、金持ってないしな。ビスマイトさんに甘えて、おねだりする訳にもいかないし。できれば自分で働いた金で何とかしたい。
だけど誤算だった。まだ金の価値を教わっていなかった。金貨1枚が日本の100円くらいの感覚だったら、払って中身をじっくり見るってのも悪くはないのだが。
「ごめんなさい、私、お金持ってないんです。ちょっと見るだけでもダメですか?」
「なんだい、文無しかい。じゃあ用はないからとっとと帰りな」
店主の婆さんに速攻で追い払われた。そこにちょうどシャルルさんが帰って来た。事情を説明すると、大きなため息をつかれた。
「そりゃあカミラちゃん、子供だからていよく追い払われたんだよ。本は高級品だからね。子供は客にならないと踏んだんだろう。本屋は貴族か富豪相手の商売さ」
よく考えて見れば、文字が読める客でないと本は買わない。この世界では、必然的に富裕層が客になる。本屋はそういう相手しか見ていないってことだね。
「じゃあシャルルさん、貨幣価値を教えてください」
「おっと、そうか。カミラちゃんはそういう記憶もなくしてたんだね」
シャルルさんによると、金貨1枚は大体、普通の職人の月収程度らしい。この国の職人は、身分は中流階級程度だから、日本のサラリーマンの月収くらいと思っていいだろうな。大体、金貨1枚で20万円としておこう。
やはり俺が、本屋に厄介者として追い払われたのは明白だ。試し読みで20万円はないだろう。そして金貨1枚を崩すと銀貨10枚になる。銀貨1枚を崩すと銅貨10枚になる。銅貨1枚を崩すとメンデル紙幣100枚になる。
金貨1枚=20万円だから、銀貨1枚=2万円、銅貨1枚=2千円、メンデル紙幣1枚20円、というのが、通貨のおおよその価値と思っていいだろう。
これに他国貨幣との交換レートが絡むと、計算は少々厄介になるが、レートは基本的に固定で、国家間の条約で決まっているらしい。今のところ気にする必要はないだろうな。
「シャルルさん、本は普通どのくらいするの?」
「うーん、私も本は読まないのでよくわからないが、辞書レベルの本だと1冊で金貨10枚程度っていう話だな」
ゲゲッ! 辞書が1冊200万円だと。いかに本が貴重品かがわかるな。専門書なんて言ったら、1冊で金貨100枚とかありそう。俺が部屋で読んでいた本も、相当な分量と内容だったから、あれだけでも一財産だな。ドルトンさんが内容を教えてくれって頼みに来たのも分かる気がする。
「ところで、カミラちゃんはどんな本を探していたの?」
「モンスター事典です」
「モンスター事典……。ああ! モンスターの資料集のことかい?」
「そうです。モンスターの事が知りたいんです」
「それなら早く言ってよ。冒険者ギルドに行けば、その手の資料は置いてあるし、何よりも詳しい連中がたくさんいる。私がギルドに所属しているから、頼めばきっと資料をタダで観ることができるよ。所属しているメンバーに文字を書ける人間は殆どいないから、資料集といってもモンスターの画と名前だけだけどね」
なるほど。冒険者ギルドでモンスター討伐の依頼が発生した場合、目標のモンスターの情報は必要だもんな。だから資料集が置いてあるのか。これは盲点だった。しかも歴戦の冒険者だったら、モンスターの種類もたくさん知ってそうだし。よし、これは幸先の良いスタートかもしれない。
俺はシャルルさんに連れられて、冒険者ギルドまでやって来た。ギルドは同じ西地区の港よりにあった。だけど俺のイメージしていたギルドとはだいぶ違った。
大体ギルドというと組織が運営しているイメージだったので、カウンターが整然と並んでいて、お役所的な作業をこなす人が居るという画を思い描いていた。だけどここはほとんど酒場だな。エリーのところよりも一回りくらい広いが、基本的には酒場だ。受付はどう逆立ちしても、バーカウンターにしか見えない。というか、普通にカウンターに酒の瓶と陶器のジョッキが並んでいる。
これはギルドと言っても古式ゆかしいタイプか。酒場と宿屋とクエストと登録管理を兼ねているというオールインワンのギルドだな。個人的にはこっちの方が好きだ。
「シャルルじゃねぇか、久しぶりだなぁ」
「マスターも元気そうで」
「なんだ、今日はちびっこいのがついて来てるな。片腕かよ。苦労しそうだな。さすがに冒険者は無理じゃねぇか?」
シャルルがマスターと呼んだ人物は、当然ギルドマスターだろうな。もっと偉い人かと思ったんだけど、見た目もスキンヘッドのラフな格好のおっさんだし、気さくそうな感じだ。
「いやいやマスター、この子は登録希望じゃないよ」
「へへへ、冗談だよ。まさか片腕の嬢ちゃんが、ギルドの依頼をこなせる訳がねぇからな」
今の言い方、ちょっとムッと来たぞ。見た目は女児、中身は仕事一筋のおっさんの俺としては、間接的に”役立たず”と言われたようで悔しい限りだ。
「この子にモンスター資料集を見せてやってくれないか?」
「ああ、別に構わんよ。好きなだけ見ていくといい。それにしてもその歳の娘が、モンスターに興味があるのか?」
「ありがとうございます、マスター。はい、私モンスターに興味があるんですよ」
俺は適当に誤魔化した。下手に理由を追及されないよう、無垢な女児を演じておけば、怪しまれることもないだろう。
「そうか、珍しい嬢ちゃんだな。俺もこういう生業を長いことやってる。モンスターには相当詳しいから、何かあったら聞いてくれ」
「はい!」
俺はとびっきりの愛想笑いを振りまいておいた。今後は、このマスターにもお世話になるかもしれないからな。心証アップ間違いなし…… と思いたい。
シャルルさんと一緒に、酒場の奥のテーブルで待っていると、わざわざマスター自らが大きく分厚い資料集を持ってきてくれた。親切な人だな。
「それにしても、他の冒険者さんたちは居ないんですね」
そう、気になっているのは酒場に誰も居ないことだ。冒険者ギルドというと、血気盛んな猛者たちがワイワイやってるイメージが強いのだが。
「今はゴブリン狩りの季節だからね」
「ゴブリン狩り?」
「ええ。この時期は、東地区の坑道跡に毎年ゴブリンが大量発生するのよ」
メンデル領の鉱山は400年以上も掘られているせいか、坑道が無数に張り巡らされている。全部を把握することは不可能なくらいの迷宮になっているという。
稼働中の鉱山や坑道ではあまり見られないのだが、廃坑になったところに、ゴブリンがなぜか自然発生するのだという。放っておくと、採掘の邪魔になるだけでなく、増えすぎた彼らが街まで降りて来て悪さをするのだそうだ。
そうなる前に、この時期はギルド総出で退治を行っているとのこと。もちろん、メンデル城の兵士も出張って来る事もあるが、基本的に弱いモンスターであるゴブリンを騎士団や正規兵が相手にすることはないという。
「ほら、資料集にもゴブリンが載っている……。コレだよ」
シャルルさんが指さしたゴブリンは、俺がこれまで散々RPGで倒して来たゴブリンとはちょっと姿が違っていた。ゴブリンというと、小さくてずんぐりとした下級戦士のようなイメージがあった。とはいえ、現実にアレが目の前に出てきたら倒す自信はない。
だが資料集に載っていたゴブリンは、どちらかというと、いたずら妖精のような感じだ。何だかちょっと可愛らしい。これなら俺でも倒せるかもしれない。
「ゴブリンってヤツは厄介でね、たくさんの亜種の基になるんだよ」
「亜種?」
「そう、次のページからずっとゴブリンから派生した亜種だ」
俺は資料集をペラペラと捲って行った。すると、ゴブリンの亜種と分類されているお馴染みのモンスターが出て来た。
「ホブゴブリン、オーク、コボルド、オーガ……。こいつ等は元はゴブリンなんだけど、年齢を重ねたり環境の変化でどんどん変わっていくの。力もどんどん増していく。オーガまで行くともう10人以上のパーティーでないと手に負えない。そしてもっと厄介なのは、動きが組織的なんだよねー」
「作戦立てて来たり、村を作ったりするんですか?」
「そう、その通りよ。だから大きな集団になる前に確実に潰すんだ。冒険者にとっちゃ、いい小遣い稼ぎにもなるしね。普通に両手剣や片手剣が振るえる大人なら、普通のゴブリンに負けることはまずないよ。相手が余程の集団でない限りね」
「へぇ~。でもどうしてゴブリンはこの時期だけに発生するんでしょうか?」
「ふぅ、それは誰にもわからない。謎を解明するより潰す方が先決だしね」
「確かにそうですね」
「私はちょっとマスターと話して来るから、資料集は自由に見てていいよ」
俺はシャルルさんに礼を言うと、片っ端から資料集を漁っていった。本に収集されているモンスターの数は、どんなに多くても1000種類程度と思ってたかをくくっていたが、甘かった。
マスターに命じられていた店員が、次々と資料をテーブルに持ってきてくれた。1冊が1000種類なだけで、それが5冊ある。5000種類も居るのかよ! しかもわかっている範囲内だけでだ。
亜種や派生種も含まれているから、正味はもっと少ないのかもしれないが、それでも多いな。今日一日で見切れるかどうか。俺はひたすら資料集を捲っていった。
一通り目を通し終わりそうになったので、集中を切ると、いつの間にか夜になっていた。
シャルルさんはマスターとカウンターで一杯やりながら、昔話に花を咲かせ盛り上がっている。待たせてしまったと思ったが、どうやら気を遣う必要はなさそうだ。
結論からいうと、俺の探している巨大熊は載っていなかった。熊類として掲載されていたのは、ライカンスロープ系のワーベアとそれが強靭化したキングベアの2種類のみだった。
どちらも大きくても、せいぜい体長は3~5メートル。俺の見た巨大熊の特徴である紫の牙と爪、そして碧色の眼の熊など載ってはいなかった。
困ったな。ここで手がかりが掴めないとなると、次はいよいよ城の図書館に潜入するしかないよな。
俺は盛り上がる2人と話すために、カウンターへ近づいて行った。
「嬢ちゃん、もう資料集はいいのかい?」
「はい、ありがとうございます。また時々見せて頂いてもよろしいですか?」
「ガッハハハ、いいとも。それにしてもシャルルの言う通りだな。この歳で大人顔負けの話し方をしやがる」
「でしょ~。今ね、カミラちゃんの話で盛り上がっていたの」
そうなのか。俺が酒のネタになっていたのか。酒の席で話題に上がるのは、プラスポイントだ。サラリーマンならね。
「しかし熱心に見ていたな。何か探しているものでもあったのか?」
「はい。あるモンスターを探していたんです」
「それならまず俺に聞きなよ。あの資料集、全部とは言わねえが大体なら覚えている」
「あの資料集には載ってませんでした」
「見逃してるってこともある。試しにどんなヤツか言ってみな」
「全長が10メートルを超える熊で、牙と爪が紫色、眼が緑色に光ります。そして100頭くらいの群れをつくることもあります」
「10メートルを超える? うーん……」
マスターとシャルルさんは腕組をして難しい顔をしていた。
「悪いな、そんなモンスターは聞いたことがない」
「私もないわね」
「そうですか。残念です」
「何処かで見たことがあるのかい?」
「い、いえ。……人から聞いたことがあるだけです」
危ない。深く突っ込まれると、今はいろいろと面倒だからな。
「新種なのかもしれねぇな。だとすると、ここではお手上げだ。この資料集の元を作った学者連中に聞くか、城の図書館まで行くかだなぁ。だが城に入ることさえ俺たちじゃ難しいからな」
「許可を得て、図書館を使わせてもらう事もできないんでしょうか?」
「知識は貴族の特権だからな。一般人は無理だ。諦めな。俺もその巨大熊を知っているヤツが居ないか、それとなく聞き込みしておいてやるから」
「はい、助かります!」
読み書きの教育といい、この国は知識による支配が大きいのではないかと思う。庶民は商業と工業を主とし、貴族はその基礎となる知識や技術の収集を主とする。確かに知識は、富の基礎だからな。無知は貧困に繋がる。情報が無いのは命取りなのだ。情報統制によるさりげない統治。だとしたら、この国の権力者はかなり頭の良いヤツだ。単純な金と武力による支配は、大体長持ちしないからな。
もしかしたら、貴族には相当な知識人がゴロゴロしているかもしれない。マスターの地道な聞き込みだけでは、何年かかるかわからない。早く謎を解いてこの力を制御したいところなのだが……。
◇ ◇ ◇
俺は成果なしのまま、シャルルさんと一緒に屋敷まで戻った。正規兵を従えた1人の騎士が、我が家を訪れていた。わざわざ騎士が尋ねて来るということは、大事かもしれない。もしかして魔剣のことだろうか。確かバレたらヤバいんだよな。ここはビスマイトさんの様子を窺いつつ、平静を装って、知らぬ存ぜぬを通そう。
「カミラ、帰ったか」
「お父様、ただいま戻りました」
「親方ただいま戻りました……ってお前、ディラックじゃないか!?」
「シャルル! 久しぶりだなー。まさかこんなところで会えるとは」
なんと、シャルルさんとこの騎士は知り合いのようだった。聞けば、シャルルさんが冒険者時代に一緒にパーティーを組んでいたそうだ。名前はディラック。貴族の三男坊で、武者修行のために冒険者になったらしい。そこでシャルルさんと知り合い、意気投合して頻繁にパーティーを組んでいたそうだ。
「お前、ちゃんと騎士になれたんだな」
「お前こそ、一人前の鍛冶師になれたんだな」
2人は久々の再会だったらしく、半分同窓会のような雰囲気になっていた。騎士になれば主に城内に詰めることになる。そして紛争解決や警護などであちこち常に駆り出される。忙しくて街に降りて来る暇もないらしい。不夜城の霞が関勤務のエリート、といったところだろうか。
「今日はな、ブラッドール家に3つほど用事があって来た」
「へぇー、忙しい騎士でも市井に3つも用があるとはな」
「立ち話も何です。ぜひ屋敷の中へお入りください」
そういってビスマイトさんは、騎士と正規兵を屋敷の応接室に招き入れた。素早くエリーを呼び寄せると、お茶やお菓子などを振る舞う準備に入った。
その間の話し相手は、シャルルさんだ。2人はだいぶ仲が良さそうだ。冒険で生死を共にした戦友みたいなものだろうか。いつか冒険譚を聞いてみたいものだ。
俺は、素早く部屋に戻って着替えをしていた。いちおう相手は貴族だ。失礼があったらいけない。正装っぽい服を選んでおこう。幸いエリーから貰った服に、一着だけフォーマルドレスっぽいのがあった。しかし、シックな赤ってのは子供には微妙だろう。と思って試着して鏡を覗くと、しっかりフォーマルお嬢様が出来上がっていた。よし、こういう時にこの顔立ちが役に立つ。
だが彼の言う”3つの用事”とは何だろうか。魔剣の調査だったら危ないな。こういう事はビスマイトさんと事前に打ち合わせておくべきだった。子供のフリをしてなんとか逃れよう。
俺は応接室前まで来て、ドアに耳を欹てた。
「3つの用事はな、まず剣の修理依頼だな。それと新しい次期当主が決まったというので顔を見に来た。そして、ナイトストーカーの聞き込み調査だ。ナイトストーカーの件は、俺が街に出掛けるための屁理屈みたいなもんだけどな。アハハハ」
そういうことか。魔剣の話はバレてないようだな。危なかった。俺が魔剣打ちと知れたら、逮捕されてしまうかもしれない。あれは話を聞くに、麻薬みたいな扱いだったからな。所持してるだけで監獄行きの可能性もある。
よし、俺の仕事は、次期当主として挨拶を成功させることだな。
俺はノックをして静かに部屋に入り、騎士の前に立って目を合わせないように深く頭を下げた。頭を上げ、正面から見据えると、騎士は一旦驚いた顔をした後、真っ赤になっていた。
中年オヤジの俺でもわかりやすい反応だぞ。どうやらこの格好は正解だったようだ。エリーの服に感謝だな。
「初めまして。ブラッドール家を継ぐことになりましたカミラ=ブラッドールと申します。まだまだ未熟者ですが、どうぞお見知りおき下されば幸いでございます。今後ともブラッドールのブランドをご贔屓に頂ければ嬉しゅうございます」
まぁ、大体こんなもんだろう。営業の挨拶込みで騎士団を捕まえておくのは、ハッブル家との戦いも有利にしてくれるはずだ。と言っても、実際どういう商戦をしているのか、俺はまだ全然知らされていないんだけどな。
おや、騎士殿の顔が惚けている。もしかして俺の挨拶は硬すぎたか? しかしまだ顔が真っ赤なままだな。
ガタン! と椅子を派手に倒しながら騎士は立ち上った。
「じ、じ、自分は、メンデル騎士団の副団長、ディラックと言います。まさかこんなに美しい跡継ぎ殿とは思わず、き、き、き勤務中とはいえ、汚い格好で失礼いたしました!」
いくらなんでも緊張し過ぎだろ。もしかして女耐性ないのか? でもシャルルさんとは、あんなに気さくに話していたよな。副団長か……。偉いのかな?
「ディラック、国王陛下の前でもズケズケ物を言うあんたが、何を緊張してるのさ?」
シャルルさんが不思議そう顔をして言った。だが、ディラックさんの俺を見る顔が、真っ赤になっているのを見て悟ってしまったようだ。
「い、いや、自分は……」
「綺麗な服で着飾った見せかけの騎士様ではなく、むしろ勤務に忠実であろうとする方と存じます。どうぞお気遣いくださいますな」
俺はちょいとフォローしてあげた。この場では、ディラックさんの面目を保ってあげないといけないからね。俺ってば空気読みすぎだよな。
ますますディラックさんの動きが硬くなってる。完全にフリーズしてるぞ。でも俺の上半身をスキャンするように目線を動かすのは、チャラ男と同じなんだな。
そうか、今まで男目線だったから気付かなかったが、男というのは、こんな感じで女を値踏みしていたのか。解かりやすくてもう笑っちゃうしかないな。まぁ、今まで俺も散々笑われる側だったけどね。
「ディラック、あんたまさか……。カミラちゃんに惚れた?」
「ば、ば、馬鹿な事を言うな! カミラ殿に失礼ではないか!」
「カミラちゃんはダメよ。私の物なんだから」
むぐっ、シャルルさん、フォローの仕方間違ってる。いや彼女の場合、単に自分に素直なだけか。
「いやいや、身分を超えて腹を割って話せる仲間がいるというのは、羨ましい限りですな」
ビスマイトさんが、横槍を入れる事でなんとか場が収まったようだ。
「ディラック様、破損した剣、お預かりします。この程度であれば、1週間で修理できます。剣はお屋敷までお届けいたしましょうか?」
ディラックさんは、一瞬チラリと俺の方を見た。
「いや1週間後、ぜひまたこちらを訪れるとしましょう」
「かしこまりました。お待ちしております」
「とっ、ところで来週もそちらの美しい次期当主殿は、ご在宅なのかな……?」
うん? この不自然な流れは間違いないな。ディラックさん、この顔がタイプなのか。まだ見た目は11~12歳くらいなのだが。もしかしてコイツも幼女趣味なのか? この世界、幼女好きなヤツ多すぎだろ。
ディラックさんは騎士だ。城とのコネを作るにも、ぜひ仲良くしておきたい。俺は、中身が中年オヤジのサラリーマンだから、いくらちやほやされても男に惚れることはないけどな。
「私は未だ修行中の身ゆえ、いつでもこちらの屋敷におります。またぜひお会いして、ゆっくりお話などできれば……」
ディラックさんが、途端に嬉しそうな顔をする。あーあ、釣り上げちゃったよ。もう完全に俺のまな板の上の恋だよ。いや鯉か。悲しいかなこちらも男ゆえに、男の恋心はよくわかってしまうのだよ。
「そういえば、カミラ殿。ナイトストーカーに遭遇したと聞き及んでおります。運よく通りがかった兵に助けられたということですが、何か変わったことや気になることなどありませんでしたか?」
ディラックさんが急に真面目モードになるのでビックリしたが、ここは気を緩めてはいけない。あの事件を掘り返されるとまずいからな。
「私も途中で気を失ってしまって……。よく覚えていないのですが、彼らの1人が”メンヒルトの毒”がどうのと言っていた記憶があります」
「メンヒルトの毒を知っている連中ということは、組織の中枢に近い連中ですね。戦士としての腕前も相当なものだったと思います。カミラ殿、よくご無事で」
そうなのか? あれで相当な腕前なのか。めちゃくちゃ弱かったぞ。動きはスローモーションだったしな。
「ところで、メンヒルトの毒というのは?」
「これは麗しいレディにする話しではないかもしれませんが、ナイトストーカーのボスの名前がメンヒルトなんです。彼は暗殺に毒を用いることを得意としてましてね……。それで何人もの要人が殺されてきました。その毒を扱える人間は、ナイトストーカーでも上級の幹部だけなのです。
「そうなんですか。一刻も早く捕えることができればよろしいですね」
「はい。街の治安維持のためにも、捕まえてご覧にみせます。それまではどうぞ、カミラ殿も十分ご注意なさってください」
「ありがとうございます。勇敢な騎士様のご活躍に期待しております」
俺はこの体になってから、一番の愛らしい笑顔を込めて答えてみせた。
案の定、ディラックさんは顔が真っ赤になっている。耳まで赤いな。女の力って怖いわ。
「じゃあディラック、一杯やってくかい?」
「シャルル、申し訳ない。城に戻らないといけないんだ」
「わかってるって。いつでも来なさい。お姉さんが相手してあげるから」
「へいへい、シャルルお姉さま」
ディラックさんの、俺に対する態度との落差は噴飯ものだが、逆にわかりやすくて好感度アップだよ。
程なくしてディラックさんが帰ると、案の定シャルルさんが冷やかしに来た。
「カミラちゃーん、ディラックを骨抜きにしちゃったみたいねー。その歳でもう本当に小悪魔なんだから」
「何となくお得意様っぽかったですし、シャルルさんのお仲間ならきちんと挨拶しておかないと」
「うーん、もうホントにカミラちゃんってば可愛い!」
どさくさに紛れて俺の胸を揉むのを止めて欲しい。このセクハラお姉さん。まぁ、揉むほどの肉はないけどな。
「でもね、万が一アイツの事好きになっちゃったら、」
「……ありません!」
俺にはその先の台詞がわかっていたので、口にされる前に停めた。
「あら、ディラックのヤツ、もう振られちゃった……。アハハハ」
どんなに相手が素晴らしい性格と身分だろうと、男を好きになることはないな。俺の本命はやっぱりエリーだぜ。
しかし、状況は依然として進展してない。何回か城に行ったことのあるエリーに様子を聞いて、図書館へ潜入してみるか。いや、捕まった時のリスクを考えると、あまり得策ではないな。あの騎士に取入って、便宜を図ってもらうという手もあったが、見返りとして、いろいろと迫られそうで怖い。
……手詰まりだ! いっそ冒険者ギルドにずっと貼り付いていようか。
「カミラ、明日は城に出掛けるぞ。今日のような正装をしておきなさい」
へっ?! 城に行けるの? どういうこと?
「お父様、何があるのでしょうか?」
「国王陛下から正式にお前を、ブラッドール家の跡継ぎとして任命して頂くのだ。これは引き継ぎのための伝統儀式だ。特別な挨拶はしなくともよい。お前はただ頭を垂れて返事をすればよい。心配はするな、儂がすることを見て、覚えておけばよい」
そういうスペシャルイベントがあったのか! これはまたとないチャンスだぜ。