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第81話 【第1章完】 転移呪術

「アルベルト、それにメリリア! どうしてこんなところに!?」

「カミラ、いやアリシアと呼んだ方がいいかな? すごい人気ですなぁ。メンデル国民はこうも王族びいきなのですなぁ、フヒャヒャヒャ」


 アルベルトとメリリアがいる。2人ともジャンさんやシャルローゼさんの目に入っているはずだ。だが気が付いていない。穏やかな顔で、客席からの拍手に応えている。


 間違いない。アルベルトは幻覚呪術を使っている。ソルトの幻覚呪術は”借り物”でしかなかった。でもアルベルトの呪術は”本物”だ。ここに来て最悪のヤツが現れてしまった。


「おやおや、顔色が悪いですぞ、新女王様」

「……何が目的ですか? 中央王都から比べれば、この小さなメンデルなど取るに足らない国でしょう」

「何をいう。高度な鍛冶技術と伝説の魔法使い達。それだけで十分脅威じゃ。儂はのぉ、この国が欲しい。もちろんコーネットもな。両国とも計画のいしずえとなってくれる」

「計画? 何を企んでいるのですか?」

「この大陸を支配し、すべてを我が手に収めることじゃ」

「そんな事のために、各国で要人を暗殺し、戦争を起こして回っているというのですか?」

「そうじゃよ。呪術がすべての頂点に立つ国を造るのじゃ」

「ここは人間の世界です。死人しびとが出て来る幕はありません」

「厳しいのぉ、アリシア。じゃが我が意は変わらぬ。人間界に黄泉の国を造る。儂が人間の魂を管理し、すべてを支配する!」


 コイツ、単に自分の支配欲を満たしたいだけなのか? それとも他に何か隠された意図があるのだろうか。死人が人間の世界に執着するなんて、余程の理由があるに違いない。


「どうして人間の世界に執着するのですか?」

「執着? ふん、死んだことのないお前には分からんじゃろう。死者は生者が羨ましくて仕方がないんじゃよ。腹が減るのと同じく抑えられぬ感情なのじゃ」


 確かに俺は死んだことがない。臨死体験なら何度かあるけど。死んだらすっぱり諦めて、あの世へ行こうという気持ちにはならないのか。しかも人間の食欲ほど普遍的で強い感情。黄泉の国と人間の世界が繋がったら、生者は死者に制圧されてしまうだろう。生者は死者を殺すことができない。斃すことができないのだ。


 この世界の人々が、異常なまでにアンデッドを恐れる理由がわかった。俺が居た日本では、死者は仏様や神様に祈れば、あの世へ穏やかに旅立つという感覚だった。でもこの世界では違うんだ。


 人間は、強烈なまでに生に対して未練を残して死んでいくのか。宗教観というか死生観みたいなものが違うのは、実際、アンデッドがこうして出てきてしまうからかもしれない。欲望に塗れた恐ろしい死者の姿を見てしまったら、死への恐怖は増える一方だ。誰もが”死にたくない”と思う。


「私はメンデル国女王として、死者の繁栄を許すわけにはいきません」

「フヒャヒャ、そういうと思ったよ。では交渉といこう」

「交渉? 一体何の?」

「幸いこのメリリアとお主は双子、瓜二つじゃ」

「ええ、だから何ですか?」

「メリリアをお前の代わりにメンデル女王にするというのはどうじゃ?」


 とんでもない事を考えていやがった。やっぱりアルベルトは許せない。アルベルトに殺されて死体となり、その上操り人形までさせられるとは……メリリアが不憫でならない。絶対にアルベルトを斃す。この場でケリを着けてやる。


 金剛精をグッと握り締め、右肩に担ぎ上げた。金剛精ならアルベルトを斬れるかもしれない。死者を斬ったところで、果たして斃せるのかどうかわからない。でも、金剛精は空間まで斬ることができる。試す価値は十分にある。


「おっと、その物騒なモノを振り回すつもりか。さすがの儂でも勝てそうもないの、フヒャヒャヒャ」

「そう言って私を油断させる作戦ですか? 無駄ですよ、貴方の幻覚呪術ごと斬り裂いてみせます!」


 ちびっこエルフが言ったように、金剛精が人間の精神だけを斬れるなら、精神に作用する幻覚呪術の影響を斬ることができるはずだ。アルベルトはそれを直感的に見抜いたのかもしれない。ソルトと俺との戦いをこっそりどこからか見ていて、金剛精の性質に気が付いた可能性もある。


「ふむ、儂の弱点を教えてやろう、小娘よ」

「……弱点?」

「儂の弱点は戦闘能力が皆無ということじゃ。殴り合えば女子供にも負けるタダのジジイじゃ。だから儂は術を使う。召喚して他人の力を利用する。フヒャヒャヒャ~!」

 

 アルベルト自身は大した戦闘力がない。だから人を騙し、利用する。モンスターを操り、呪術を駆使する。呪術が攻撃系のものではなく、幻覚や催眠に特化しているのはそのためか。いかにも陰険で陰湿なアルベルトらしい。逆に言えば、本体を見つけて金剛精で叩けば簡単に斃せるってことか。


「どうしてそんな弱点を今ここで?」

「冥途の土産じゃよ。それとメリリア女王即位の祝いでもあるかのぉー、フヒャヒャヒャ」

「そんな事は絶対にさせませんっ!」


 俺は素早くアルベルトの側面に回った。アルベルトは顔だけを俺の方へ向けているが、表情は変わらない。そのムカつく顔へ向けて金剛精を力一杯叩きつけた。


 バリバリという破裂音と共に空間が裂け、ソルトを斬った時のように金剛精が奔った。空間の裂け目が伸び、アルベルトを直撃した。しかしそのアルベルトは幻影だった。裂け目に吸い込まれるように、ふっと消えてしまった。


「ふう、危ない危ない。実体のない幻影だというのに、本体の儂が肝を冷やすほどの破壊力じゃ。どうやら精神や魂の類まで斬殺できる斧のようじゃな」

「だったらぁ、さっさとあの世に還りなさいっっ!」


 俺は地面に突き刺さった金剛精を引き抜いて横薙ぎに払い、アルベルトの胴体へ向けて振り抜いた。しかし、俺は金剛精を途中で止めざるを得なかった。メリリアを盾にして奴が体を捌いたからだ。ちくしょう、どこまでも姑息な手段を使いやがって!


「ふむ、儂も奥の手を使うことにしようかの。ではここでさらばじゃ、カミラ。死者の国で暮らすがいい。じゃが後のことは心配はいらんぞ。メンデル女王はメリリアがしっかり務めてやる。フヒャヒャヒャー」


 そう言ってアルベルトが、腕を一振りして掌を俺の方へ向けた。やばい、何か呪術を使う気か!?


 慌てて俺は金剛精を手元に手繰り寄せ、アルベルトへ刃の側面を立てた。呪術も金剛精なら何とかしてくれるかもしれない。そう思ったからだ。


「我が敵威よ、彼方へ去れ!」


 アルベルトがそう発すると、ヤツの掌から淡い光が放たれた。俺は金剛精を盾にして光を浴びないようにした。しかし、光は金剛精も俺もふんわりと包んでしまった。


 次の瞬間、体がバラバラに千切れるような痛みを感じた。目の前が暗くなり、全身が猛烈な勢いで引っ張られるのを感じた。まるで巨人に頭を抓まれ、そのまま上空へ放り投げられたような感覚だ。あまりの勢いと加速に意識が飛んでしまった。


◇ ◇ ◇


 寒い。空気が冷たい。いや、そもそも息が苦しいぞ。俺はどうなったんだ? まさかアルベルトの呪術で死んでしまったのか? 爺さん師匠、もとい神様爺さんとの面会はしばらく遠慮したい。


 それにしても凄まじい空気の流れだ。体の表面を勢いよく空気が流れ去っていくのを感じる。俺は流れ来る風と空気の圧にあらがい、ゆっくりと両目を開けてみた。


 んなっ……なんだこれは!? うそ、だろ?


 見渡す限りの地平線が目に飛び込んできた。地平線の端が、うっすらと丸みを帯びている。空の青い境界がぼやけて薄くなり、その上には真っ暗な空間が広がっている。宇宙だ。こんなのテレビの特番でしか見たことがない。


 あ? え? ということは俺は今、超高高度に放り出されたのか!? 大気圏外か? 地平線が丸く見えるということは、相当な高さだ。息が上手くできないのも、きっとそのせいだ。そうか、アルベルトの呪術の効果は”転移”だったのか。魔法だけでなく呪術にも転移呪術があったとは、予想外だった。


 転移先はしかもこの高高度。たとえ海や湖に落ちたとしても、助かる見込みはほとんどない。絶望的だな。


 アルベルトの野郎……やってくれるぜ。俺に落下の恐怖を味わいながら死ねというのか。どこまでも残忍なヤツだ。ソルトも相当いかれたヤツだと思っていたが、その上を行く。


 今の俺はパラシュート無しのスカイダイビング状態。だがここまで見事に丸腰で放り出されると、もう諦めにも似た悟りの気分になる。恐れはない。どんなに足掻いても無駄だとわかる。確実に死が近づいてくることだけが、強烈な実感を伴ってやってくる。


 今頃、アルベルトの幻覚呪術でメリリアが俺のように振舞い、メンデル女王になっているのだろうか?


 もう何を考えても無駄だ。どうせ俺は死ぬ。あと何分かすれば、物凄いスピードで地面に叩きつけられ、グチャグチャになって死ぬ。ああ、いろいろ頑張ったのにこんな結末なのかよ。努力なんて報われるもんじゃないな。


 ……でも”また”諦めるのは嫌だな。


 ふと右手を見た、力強く握っているものがあった。金剛精だ。俺がこの巨大斧を盾にしたせいだろうか。一緒に転移してきたようだ。


 だけど斧があったところで仕方がないよな。何の役にも立たない。重力操作の魔法とか使えたらいいんだけどね。残念ながらそんな魔法を俺は知らない。まぁ、仮に使えたとしても、効果は酷く弱いものになる。何せ今の俺は、衰弱した悪魔の全てを取り込んでいるんだ。たぶん呪文を知っていれば使うことはできる。でも、この猛烈な落下スピードを反転させられるとは思えない。


 今俺にあるのは、強力な打撃力だけだ。空間をも切り裂くほどのね。


 ……うん? 打撃力? 


 そうか、もしかしたらやれるかもしれない。


 昔々、物理の授業で習ったアレだよアレ。作用反作用の法則だ。


 着地の寸前に、金剛精を思い切り地面に向けて振るう。強力な作用が俺と金剛精から放たれる。でも相手は地面だ。地面からも同じ力で押し返される。押し返される力と俺の落下の速度が打ち消しあって、上手いこと着地できないだろうか?


 いや、ダメだな。仮に出来たとしても俺の体が衝撃に耐えられずに、バラバラになってしまう可能性が高い。獣王の力があれば、バラバラになる前に再生できたかもしれないが……。


 金剛精は空間でも斬れるんだ。考えれば何かありそうな気がする。とりあえず空気を斬ってみるってのはどうだろう。何か雷的なものが起きるかもしれない。その反動で少しでも落下スピードが落ちてくれればいいんだけど。


 空気を斬ることを意識しながら、金剛精を軽く振るう。空中なのでまるで踏ん張りが利かない。にもかかわらず、金剛精は簡単に意のままに動いてくれた。その辺りは、さすが魔神の武器というところか。


 ――― バチバチバチッ!


 刃の表面が青白い稲妻に包まれた。


 おお、原理はよくわからないけど、空気を斬ることを意識すると、雷っぽいものが刃先から飛んでいくぞ。


 これは使えるかもしれない。いや、もうこれしかないだろ。


 俺は全力で金剛精を落下方向へ向けて振るった。斧が下向きになり、俺の体は上へ流れる。と同時に空気が熱を帯び、一気に膨張した。膨張した空気は赤熱し、稲妻を纏って地面へ向けて轟音を伴いながら迸った。とてつもないパワーだ。


 金剛精の力は、空間を斬ったあの時に理解したつもりだったけれど、未知の力を秘めているみたいだ。


 雷を放ったおかげで、落下スピードは少し遅くなった気がする。だけどまだまだ速い。もっと力と念を込めて金剛精をぶちかます必要があるようだ。


 いろいろ考えているうちに、みるみる地面が近づいてきた。


 やばいっ! あと10秒もすれば俺は地面に激突してしまう。


 ちっくしょう!!! こうなりゃ、自棄(やけ)だ! ぶちかませ、金剛精! でないとお前の持ち主は死んでしまうぞ。


 大きく振りかぶって全力で下方向へ振り抜く。金剛精の斬撃に沿って巨大な雷が発生し、爆音を立てながら落雷した。と同時に、地面に大きな穴が開くのが目に入った。落雷の反発力で落下スピードはかなり減少し、奇跡的に俺は地面に立つことができた。


 ……しかし、周りを見渡すと、そこは騎兵と歩兵が殺し合う戦場だった。


◇ ◇ ◇

 

 メンデルやコーネットは、大陸の西端に位置している。一方、大陸東部は平和な西部と異なり、戦乱の時代が長く続いた。貴族ごとに領地を持ち、それぞれが虎視眈々(こしたんたん)と勢力の拡大を狙っていた。領地を持った貴族は、親兄弟や親類同士で争い、血みどろの戦争を繰り広げた。下男が領主を討ち果たし、貴族に成り上がった国もあった。まさに下克上、生き馬の目を抜く状況だった。


 小さな国が乱立し、互いに死者の山を築いて行く中、多くの国を纏め上げる力のある貴族が出現した。ヘルマイヤーという名の貴族だ。ヘルマイヤーは元々貴族ではなく、農夫だった。


 彼はこの戦乱の世を憂い、自ら剣を取って立ち上がった。ある大貴族を討ち果たすと、次々と農民達を味方につけ、勢力を拡大していった。


 戦乱の世が続けば続くほど、金ではなく重要なのは物資となる。特に兵糧である食料の重要度が増す。長期化する戦争で、田畑が荒廃すれば作物は育たない。戦いは兵糧を多く消費する。領主は農民に重い税を課すようになるが、作物が収穫できる状態ではない。


 田畑が荒れ放題な上に、兵士の遺体や軍馬の死体が転がっている有様だ。農夫も戦力として駆り出され、田畑を耕せる人間も少なくなる。次第に農作物、つまり食糧が貴重品となる。特に保存の利く小麦などの穀物だ。


 少ない物資をめぐり略奪が始まる。農民達を狙って、食料の奪い合いを始めるのだ。虐げられ、追い詰められた農民達は、自治を決心する。自分たちの国を造る。その発起人であり、リーダーとなったのがヘルマイヤーである。


 ヘルマイヤーは幼い頃から人一倍体が強く、運動神経も優れていた。大した教育を受けてはいないが、知恵の利く若者だった。人望も厚く、将来を有望視されていた。


 しかし、両親を貴族同士のくだらない争いで失い、兄弟親類はすべて兵役で戦死してしまった。戦争の被害者であり、戦うことの無意味さを人生を通じて痛感している人物だった。


 そして時は過ぎ、大陸東部はヘルマイヤー支配下の農民自治区と、王都貴族と呼ばれる中央王都から派遣された軍隊が対峙することとなった。支配を狙う王都貴族軍が、東部全域を治める農民自治区へ攻め入ったのである。


 大陸東部の戦乱は、元々中央王都が引き起こしたものだった。


 中央王都は、大陸で最も広い領土を誇る国だが、東部や西部などの辺境の地までには勢力が及んでいなかった。長い間、東部や西部を”取るに足らない土地”とみなしていた。しかし、中央王都の人口爆発と共に、食料や資源が圧倒的に不足し始め、事情が大きく変わっていった。


 東部や西部は中央王都から見れば、何もない田舎だったが、農産物や資源は豊富にある。西部はコーネットやメンデルを始め、王都の御しやすい比較的穏やかな国々だった。そのため、多少不公平な貿易を持ちかけても、基本的には友好的であった。


 だが、東部は違った。プライドの高い貴族達によって、領地は細分化されていた。纏まりもなく、貿易を持ちかけてもなしのつぶて。


 東部の貴族は武力に秀でており、私兵の練度は王都の騎士団以上。誰もが恐れる勇猛果敢な軍隊を抱え、その武力をひけらかし、王都を挑発することさえあった。


 もちろん、王都は圧倒的な大軍を率いて、東部貴族連合を力強くで叩き潰すことはできる。しかしそれでは、住民達に禍根を残してしまう。それに王都には大軍を動かせるほどの余力がなかった。戦争には金がかかるのである。大量の水や食料、武器、馬が必要になる。


 そこで中央王都は一計を案じた。東部地方の一国一国は強い。しかし本質的には強欲貴族の集合体だ。そこにまとまりはない。争いの火種を落とし、互いに戦わせて兵力がすり減ったところを一気に叩く。いわば”漁夫の利作戦”である。


 王都の作戦は見事に嵌った。東部の貴族達は勝手に疑心暗鬼となり、血で血を洗う戦争を始めた。


 しかし、さすがの中央王都もヘルマイヤーの出現までは予想していなかったのである。まさか農民達が一致団結して蜂起し、弱った貴族達の国を襲って自ら建国することなど、完全に計算外だったのである。


 とはいえ、ヘルマイヤーの軍は所詮は寄せ集めの民兵。練度も経験もない。そもそも軍隊としては不向きなのだ。統率も取れておらず、軍略や戦略にも暗い。あるのは豊富な食料と高い士気だけである。


 大軍を擁して一気に叩けば、従わせることができるだろう。短期決戦で済むなら軍費も安くあがる。中央王都の貴族軍は、ヘルマイヤーの農民自治国をそう値踏みして大軍を派兵したのである。


 戦力差は圧倒的だった。ヘルマイヤー軍1万に対し、王都貴族軍は総勢12万。12倍の戦力差を覆せるだけの力は、農民軍にはなかった。王都貴族軍の唯一の弱点であった兵糧も、東部の農地から略奪することで、ある程度解決されつつあった。


 地の利は農民自治軍にある。しかしそれだけだ。12倍の戦力差をひっくり返すには、奇跡が必要だ。小細工やゲリラ戦程度では、焼け石に水である。王都貴族軍の全軍で押し切られれば、農民自治軍は一気に瓦解する。


 もはや農民自治軍の敗戦は濃厚。風前のともしびだった。勝てる見込みのない戦いを前に、士気は底を打っていた。


◇ ◇ ◇


 王都貴族軍の大将は、ティカルと名乗る武闘派の人物だった。ティカルは貴族の称号を得てはいたが、元は中央王都の騎士団員であった。そのため、武力と軍略には秀でていた。ティカルの指揮下、軍の統制は完璧。寄せ集めの農民軍が付け入る隙などなかった。


 しかし、王都貴族軍の総大将は生粋の貴族。王宮の世界に生きる優雅人だった。名前をシスティンと言った。いわゆる、典型的な貴族のお坊ちゃん育ちである。横暴でわがまま、権力を振りかざし、己の出世しか考えていない人間だった。そんな人間でも王都の上級貴族というだけで、12万もの軍の総大将になれる。中央王都はそういう世界だった。


 王都貴族軍12万とヘルマイヤー軍1万は、大陸東部のとある平原でぶつかり合おうとしていた。このままぶつかりあえば、半日と経たないうちにヘルマイヤー軍は敗北し、農民自治国は崩壊である。残された農民達はすべて奴隷と化するだろう。


「ティカル……このような汚らしい農奴の兵など、どうして一気に殲滅してしまわぬ?」

「畏れながらシスティン様、戦いに勝った後の事も考えねばなりません」

「どういうことだ?」

「農民を奴隷にしても、恨み買うような戦いをしては、労働力としての質が落ちます」

「虫けら同然の奴らだぞ。力でねじ伏せ、役立たずは斬り捨てればよいではないか」

「いえ、斬り捨てるにも労力が要ります」

「まぁな。わざわざ農奴を斬り捨てるために、我々の高貴な服が汚れては堪らんからな」


 ティカルは眉をひそめた。自分が言いたいことは、そんなことではない。しかし相手は上流階級の貴族。意見するのも憚られる身分格差がある。


「システィン様、服を汚さぬためにも、農奴が自主的に働くよう仕向ける必要があります」

「意味がわからんな。わかりやすく教えろ」

「農奴が我らのために喜んで自ら奉仕するよう、恩を売るのです」

「ふん、虫けらが恩義を感じるのか?」


 ティカルの眉はさらに吊り上り、明らかに怒気を含んだ表情になった。だが冷静にそれを押さえ、平静を装う。中央王都で生きるには、正直な感情表現は命取りだ。


「虫けらは単純な連中です。小さな恩で大きな奉仕を返してくれます。よってこの戦いも被害を最小限にし、なるべく犠牲者を出さぬ工夫が必要なのです」

「ふーむ、まるで理解できぬな。農奴など放っておけばいくらでも増えるではないか。殺しても雑草のように生えてくる。恨みを持つなら何世代でも殺して、恨みを忘れさせればよいではないか、はっはっはっはー」

「くっ……」


 ティカルは思った。この男に軍の指揮は任せられない。農奴を殲滅し、東部の肥沃な農地を焼き尽くしてしまうかもしれない。


 今は小麦の収穫期だ。あと1週間もすれば、何百万トンという収量が期待できる。それがあれば、しばらく中央王都の食糧事情は安泰だ。収穫する労働力が必要なのだ。農民たちを殺す訳にはいかない。何とかして懐柔し、働いてもらわねばならない。


「ふん、虫けらにかける情けなどない! ティカル、この戦い私が前に出るぞ」

「システィン様のような高貴な御方が、前線に出る必要はございませぬ」

「……ティカル、おまえ、私のことを馬鹿にしているだろう? 戦いもできぬ温室育ちの軟弱貴族と心の中でさげすんでおるのだろう?」

「いえ、決してそんなことは……」

「黙れ。騎士団上がりの貴様に、私がちゃんと戦えることを見せてやろう!」

「……」

「返事をしろ! ティカル!」


 システィンはティカルの膝を蹴り、無理やり跪かせた。


「はっ、システィン様のご命令に従います」


 当然、心中は穏やかではない。だがシスティンが総大将である以上、その命令は絶対だ。従わなければ、軍法会議で処罰されるのは自分だ。戦略的な優劣や大義名分は関係がない。


 ティカルは煮えたぎる心を抑え、上辺ばかりの恭順の姿勢を見せた。


「農奴達は皆殺しだ。領地もすべて焼け。一匹残らず殺すのだ!」


 将校達が一斉に返事をする。軍が一気に動き始め、システィンの乗った馬は前線へと移動していった。


「誇りある我が王都貴族軍よ! 下賎げせんな農奴どもを一気にひねり潰せ!」


 システィンは采配を振るい、兵士達を鼓舞しながら激を飛ばした。将校以下、兵士達は農民自治軍へ襲い掛かった。


 騎馬を主体とする王都貴族軍に対し、農民自治軍はほとんどが歩兵である。武器も粗末で手製の槍や中古の剣がほとんどである。中には農機具を振りかざす兵まで混じっている。

 

 兵の数はもちろんのこと、それ以上に兵の質でも圧倒的な差があった。明らかに農民自治軍の惨敗だった。


 農民兵はことごとく騎馬に蹴散らされ、槍で串刺しにされ、剣で惨殺されていった。あまりに一方的な戦いだった。もはや戦場とすら呼べなかった。ただの殺戮場と化していた。


「はっはっはっはー、どうだ農奴ども! これが私の力だ!」


 兵の高い錬度を己の力と勘違いしたシスティンが最前線で叫んだ。


 馬に乗ったシスティンは、屈強な将校達に取り囲まれ安全な位置にいる。最前線に居ながら、自分は剣の一つも抜かずに、兵士達の戦果を自分の能力だと思っているのだ。


 後ろに下がって別働隊からその様子を見ていたティカルは、唇を噛んでいた。

(この戦い方ではダメだ。しかしもう私には止められない)


 一方、農民自治軍を率いるヘルマイヤーは、目の前の戦場に圧倒されていた。不屈の精神でここまでやってきたさしもの彼も、絶望的な気分に襲われていた。


「ヘルマイヤー様、ここは一旦退却を!」


 周囲の農民兵が撤退を促す。誰がどう考えても負け戦。これ以上犠牲者を増やさないためには、逃げの一手しかない。


「退却だと? もはや退路も残されていない。仮に生き延びることができても、我らは死ぬまで農奴として搾り取られる。元の生活に逆戻りだ」

「ですがヘルマイヤー様……」

「お前らは逃げのびろ。幸い敵は油断して総大将と将校達が前面に出てきている。俺が突っ込めば、お前たちが逃げる時間くらいは稼げよう」

「そ、そんな事はできません。我らもヘルマイヤー様と共に散ります! おめおめと生き延びても、死んでいった者達に合わせる顔がありません」

「……そこまで言ってくれるか。ありがとう。では皆、あの世で自由になろうぞ!」


 一呼吸の間があって、農民兵たちの士気は一気に上がった。


「「「 オオーーーーーーッ!!! 」」」


 もちろん死出の旅である。しかし人としての尊厳は守れる。搾取されるだけの農奴ではなく、人として死ねるのである。それだけで彼らは本望だった。


 ヘルマイヤーを先頭として、僅か数百の歩兵がシスティン目がけて突撃して行った。システィンを囲む将校と騎馬隊は、中央王都で最も戦いに慣れた手練れだ。しかもそれが数万。ヘルマイヤーとその一軍は、数分で全滅する。戦場に居る誰もがそう思った。

 

 ヘルマイヤーの剣が、システィンを守る騎馬隊の剣と交わろうとしたその瞬間 ――― 凄まじい轟音が響いた。戦場の兵士達全員の鼓膜を破るほどの雷鳴だった。


 ヘルマイヤーは、爆音とともにほとばしる光を感じていた。まるで巨大な雷が目の前に落ちたようだった。


 そして……爆音が収まり、ゆっくりと目を開けると、システィンと将校たちが居たはずの場所にぽっかりと巨大な穴が開いていた。


 そう、システィンとその将校達に雷光が直撃し、彼らは消滅していたのだ。


「……なっ、何だこれは!? そして小娘、お前は一体誰だ?」


 雷鳴と共に開いた穴の底には、巨大な斧を担ぎ、長い黒髪を風にたなびかせた隻腕の美少女が立っていた。

※ 今後の更新等につきましては、活動報告をご覧ください。

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