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第71話 コンテスト前夜(1)

謎の魔斧といわくつきの悪魔を手に入れてから、時間はどんどん過ぎていった。選挙活動が忙しかったこともあるが、毎日が充実していたせいか、あっという間に月日は過ぎていった。


 ヴルド家が裏で根回しに奔走してくれていたおかげで、俺は貴族街ですっかり有名人になっていた。貴族街を歩けば、ほとんどの人が挨拶してくれる。皆んな気さくに「カミラさん、今日はどちらへ?」「これから天気が悪くなるようだから、馬車で送りましょうか」などと気を遣ってくれる。ようやくこの街に馴染めた実感がある。同時に、日本で生きていた記憶が徐々に薄れてきて、ますますこの世界への意識が強くなったようにも感じる。


 なんだかんだ言って、本来の俺の所有物って”記憶”だけなんだよな。体は全部アリシアなんだもんな。


 それとアリシアの体、つまり小学生女児の体から、一気に長身女性になったことは、選挙活動に大いに役立っている。もしも俺の体が少女のままだったら、きっと貴族議員のウケは悪かっただろう。ヴルド家が、小さな子供を担ぎ出して傀儡政権を打ち立てようとしている、そんな噂が立ちかねない。この体になるまで、爺さん師匠の施術で死ぬ思いをしたけど、その甲斐はあったというものだ。


 傀儡政権といえば、今のメンデルの王様だ。最近は城の居室に閉じこもり、すっかり人前に姿を見せなくなったらしい。宰相カールも随分おとなしくなったようで、不審な動きはない。毎日淡々と実務をこなしている。


 ソルトやナイトストーカーのような実行部隊を封じられ、自分への余罪遡求の可能性があることは、何よりも本人が自覚しているに違いない。だから迂闊に動かないのだろう。狡猾といえば狡猾だけど、今の彼にこの形勢を逆転させる力はない。今や貴族議員の9割以上はヴルド派になっているし、軍部も近衛師団長と騎士団長がきっちり掌握している。他の要職も、古くからヴルド家と繋がりのある貴族で占められている。もはや、エルツ家に道はないと言っていい。


 唯一気がかりなのは、ソルトの動向だ。ガレスさんの情報によれば、軍を率いて要人の暗殺なんてことをやっているらしい。まったく何をするか予測不能な奴だ。できれば早く居場所を掴んで、逮捕して牢獄にぶちこんでしまいたい。


 と少しの心配はあったが、気が付けば月日は流れ流れて、鍛冶師コンテストが明日に迫っていた。俺がこの世界に来てから、ほぼ4年が経ったことになる。振り返れば本当にたくさんの出会いがあった。日本に居た時は出会いなんてほとんど意識しなかったが、今の俺は間違いなくこれまで出会った人たちのおかげで成り立っている。右も左もわからない異世界、しかも片腕の餓死寸前の少女が、よくもここまでこれたものだと、自分で自分を褒めてあげたい。


「カミラ殿、いよいよ明日・・・・・・その時が来ます。ついに我々メンデル国民の願いが実現されます。本当にありがとうございます」


 ディラックさんが俺の前に跪き、そして恭しく見上げている。うーん、まさかこんなシチュエーションになるなんて。4年前に奴隷として売られてきた時から考えれば、信じられないな。奴隷から一気に王様、いや、女王か。俺の力ではなく、元々この体の持ち主が、偶然そういう星の下に生まれたってだけだけど。


「ディラック様、私がここに居られるのは、貴方をはじめヴルド家の方々、支えてくれるすべての人のおかげです。感謝するのはこちらの方です。本当なら私は、この世に居ない人間でした」


 もう逃げない。死ぬ気でやろう。日本では、不可抗力であんなことになってしまったけれど、今思えば他にも手があったかもしれない。だからこの世界では、全力を出し切る。命を燃やし尽くすまで、皆んなの気持ちに応えたい。


 ディラックさんとしんみりと話をしていたら、ドルトンさんとその弟子達、そして珍しくチャラ男もブラッドール屋敷に集まってきていた。エリー、マドロラさん、そしてイクリプスさんに弟くん、皆んなが来ている。しんみりとしたいところだけど、残念ながらそれどころではなかった。皆んな忙しそうにそれぞれ動いている。もちろん、それには訳がある。

 

 鍛冶師コンテストは、メンデルのお祭りでもあるのだ。4年に一度の国を挙げてのビックイベント。感覚としてはオリンピックに近い。今メンデルには、大陸全土からコンテストに参加するために、多くの人が集まってきている。コンテストを見学する客も、物凄い数が集まりつつある。開催初日の明日は、おそらく人口がいつもの10倍近くになるだろう。つまり、エリーやマドロラさんの宿屋と食堂は大繁盛、それを手伝うイクリプスさんと弟くんも大忙しというわけだ。


 実のところ、忙しさのあまり、ここ一週間ばかり俺は誰からも相手にされていない。ビスマイトさんとドルトンさんは、出品作の最終調整に入って工房に篭りきりだ。チャラ男はチャラ男で、自分の作った装飾品を旅行客に売り捌くために、毎日街中を走り回っていた。彼にしてみれば、作品を売込む絶好のチャンスだ。旅行客から口コミに評判が広がれば、大陸全土から注文が来る日も近いだろう。頑張れよ!と心の中で応援したくなる。


 というわけで、俺をかまってくれる人といえば、レンレイ姉妹くらいなものだった。ディラックさんも選挙活動の時は別としても、それ以外の時間は、軍の掌握と訓練に回っていた。おまけに、副団長のローリエッタさんもお祭りに向けての治安維持業務に忙殺され、全然かまってくれなくなった。冒険者ギルドに行けば、まろやかイケメンのマスターも、祭りにかこつけてこの街にやってくる冒険者達の対応に忙しく、まったく話し相手になってくれない。


 ・・・・・・ちょっと寂しいな。黙ってコーネットにでも行ってみようか。


 なんて思ったていたところに、シャルローゼさんが現れた。


「久しいな。元気だったか?」

「え、ええ、おかげさまで」

「明日はいよいよコンテストだな」

「はい。でも皆さん準備に忙しいみたいですので・・・・・・」


 俺はちょっと拗ねてみせたが、シャルローゼさんはまったく気にしてくれなかった。ぐぬぬ、寂しいな。


 シャルローゼさんを見ると、大きな荷物を背負っている。もちろんコーネットからここまで担いで来たのだろう。でも、肝心の馬はどうしたのだろうか?


「あの、馬はどうされたのですか? それに背中の荷物は一体?」

「馬は山賊どもにくれてやった。背中の荷物を守るためにな」


 そう言ってシャルローゼは荷物を床の上に下ろし、包みを開けた。その中身は鎧だった。鈍く輝く銀色の鎧だ。普通の鎧ではなさそうだ。何か特殊な加工が施されたものだろう。


「シャルルから預かってきた」

「・・・・・・シャルルさんから?」

「カミラのために全身全霊を掛けて作った鎧だ。本当なら、シャルルが今日持ってくるはずだったのだがな。あいつはあいつでなかなか忙しい身だ。明日には到着できると思うが、試合に間に合うよう念のため私が持ってきた」


 シャルルさん、ちゃんと約束を覚えていてくれたのか。あのちょっと恥ずかしい鎧も、今となっては懐かしいぜ。機能とバランスに関しては、あれ以上の鎧はないからな。コンテストの試合に間に合って本当に良かった。これで俺も獣王の力を発揮せずに、かなりのところまで戦えると思う。


「うむ、この鎧は特殊なものだ。着けてみるといい」

「はい」


 俺はおもむろに鎧を担ぎ上げ、パーツに分解しようとした。


「待て。シャルルの話だとその鎧は、全裸の状態で装着するのが正しいらしいぞ」

「えっ?! ・・・・・・全裸、ですか? どうしてですか?」

「私に聞かれてもわからん。シャルルが言うには、その方が鎧の力を発揮できるそうだ」


 おいおい、アンダーウェアを着てからじゃなくて、直接素肌の上に鎧を着るのかよ。シャルルさんらしい仕掛けがあるのかもしれないけど、全裸で鎧かよ。相当恥ずかしいぞ。まぁ、フルアーマーに近い鎧だから、それほど素肌は見えないと思うけどね。


 仕方なく俺は自分の部屋へ行って、レンレイ姉妹に鎧を着せてもらうことにした。


 全裸になって、鎧を体に当てがう。


 ・・・・・・うん? やっぱり少し小さいかな? シャルルさん、そういえば俺の体の寸法って分からないはずだよな。この体に成長してから、一回も会ってないんだから。そもそも正確なサイズがわかるわけがないんだ。シャルローゼさんから話は伝わっているとは思うけど、大まかなサイズしか伝わってはいないだろうし。


 そう思いながら鎧を装着してみると、不思議なことが起きた。まず肌に触れている部分の感触だ。見た目から予想していたのとは全然違う。俺は冷んやりとした金属の感触を覚悟していた。でも、まるで布の服を着ているみたいな肌触りだ。しかも軽い。鎧というより服だ。見た目は金属なのに・・・・・・。これがシャルルさんの新開発の技術、なのか? 


 そしてもう一つ、驚きの機能があった。寸足らずだった鎧がゆっくりと伸び始め、みるみるうちに体の大きさにフィットしてしまった。まるで生きている鎧だ。


 まぁ、左腕部分だけは間違いなく生きている鎧だけどね。


 シャルルさんの新しい鎧は、もはや鎧という枠を越えているかもしれない。原理はよくわからないけど、強化されたボディーアーマーと言った方が適切だ。見た目は厳ついクラシカルな金属鎧なのに、着け心地はカジュアルな洋服を着ている感覚だ。しかもサイズまで自動で合わせてくれるとは。シャルルさん、とんでもないものをこしらえてくれたな。彼女が忙しくて、ずっとコーネットを離れられなかった理由がわかる気がする。


 ドアがノックされた。


「ちょっと入ってもいいか」

「はい、どうぞ」


 シャルローゼさんだ。リビングで待ってもらっていたが、何か言いたいことがあって来てくれたみたいだ。


「もうわかったと思うが、その鎧は特別製だ」

「はい、十分感じています」

「見た目と違って柔らかい。攻撃を弾きかえすのではなく、受け流すタイプの鎧だ。その方がカミラの戦闘スタイルに合っていると、シャルルが言っていたのでな」

「ありがとうございます」

「それと、重要な伝言が一つある」

「何ですか?」


 珍しくシャルローゼさんが、モジモジして言いにくそうにしているぞ。何だろう。まさかまたこの鎧には、悪魔が憑いているなんてオチじゃないよな。もう悪魔は勘弁して欲しい。


「鎧は体に合わせて伸縮する。そして、鎧の情報はシャルルに伝わるようになっている」

「えっ?! どういうことでしょうか?」

「し、知らん。理由は教えてもらえなかったが、ヤツからの伝言は確かに伝えたぞ」


 どういうことだ? 鎧の状況がシャルルさんに伝わっている? GPS機能を内蔵しているようなものだろうか。あとはインストールしてあるアプリの状況が伝わるとか。いや、それはスマホかタブレットか。うーん、よくわからないが謎機能がまだあるってことだね。どうせ明日にはシャルルさんも到着するはずだから、本人に直接聞いてみようか。


 暢気にそう思ったところだった。突然鎧がうねり始めた。体にフィットした時の動きとは違う・・・・・・。ぐっ、おい、何だか変なところが動いているぞ。


「カミラ様、お顔が真っ赤ですよ? どうなされたのですか?」

「え、あ、いえ・・・・・・なっ、何でもないですよ」

「でも何だかご様子が・・・・・・」

「だっ、だから何でもないで、アッ、アフッ、い、嫌っ!」


 自分でも信じられないほど女っぽい声が出た。正直に言おう。鎧が勝手にもぞもぞと動き出して、敏感な部分を刺激してきたんだよ。しょうがないだろ! 人間の正常な生理現象なんだから・・・・・・。どんなに耐えようとしても、気持ち良いものは気持ち良いんだよ! 何なんだよ、このエロ鎧は!?


『ヴァルキュリア! シャルルさんから何か聞き及んでいませんか?』

 

 しばらく話をしていなかったけど、ヴァルキュリアにはソルトを見つけるために、大陸中を巡回してもらっていた。もちろん、シャルルさんの工房にもいろいろとメッセージを届けてもらっていた。


『獣王様、大変申し上げにくいのですが』

『な、なんですか?! アフッ・・・・・・ゴホン、早く言いなさい!』

『シャルル様は、その鎧を見るたびに舌なめずりをされておりました。そして必ず笑っておられました』


 嫌な予感しかない。もう予感を通り越して、悪寒になってるけど。察するに、シャルルさんがこの鎧を遠隔操作できるってことなんだろうな。・・・・・・悪趣味だ。だから素肌に直接着ける条件だったのかよ。ビキニアーマーじゃなくて、まともなデザインの鎧だと思ったのに。とんだ変態仕様だった。シャルルさんは、やっぱり徹底して安定のシャルルさんだった。


『それと、鎧に慣れるため、明日の試合までその鎧を脱ぐことはできないそうです』


 今夜一晩、完全にシャルルさんの掌に上ってことか。ああ、大事な日の前なのに悪夢にうなされそうだ。しかもシャルルさん本人が居ないから、余計にタチが悪いぞ、コレ。


◇ ◇ ◇


 仕方がないので街の様子を見て回る。いつものメンデルとは、だいぶ雰囲気が変わっている。そこかしこに、コンテスト開催を祝うポスターや看板が出ている。路地に入れば、商店街でもないのに横断幕がでかでかと掲げられている。まさにお祭りって雰囲気だ。


 何よりも人が多い。ほとんどは観光客だと思うが、まさかここまでとは思わなかった。ブラッドール屋敷もちょっとした観光スポットになっている。コンテスト優勝者の工房を一目見ておこうとする人がいるらしい。不特定多数の人が集まると、その分危険も増える。でもそこは、ディラックさんが抜かりなく警備の騎士団をよこしてくれている。


 小さな路地裏にまで警備兵が、きっちりと配備されているので、治安の面でも今のところ大きな騒動や事件は起きていない。冒険者ギルドの人間まで借り出しているんだ、まず滅多なことは起きないだろう。


 そして会場となるメンデル城だが、副騎士団長ローリエッタさんを中心として、強固な警備体制になっている。もちろん賑やかなお祭りの雰囲気を壊さないよう、細かいところまで気を配ったさりげない警備だ。細やかな配備は、きっと女性だからこそだろうな。ガレスさんあたりにやらせたら、豪快に厳つい騎士を前面に出してしまいそうだ。そうなれば、せっかく楽しいお祭り雰囲気もぶち壊しだからな。


 参加者の中にソルトらしき人間が居れば、直ぐに伝えてもらえるようにしているし、宰相カールの動きも逐一見張らせている。ここまで万全にやったんだ、大丈夫だろう。あとはもう、俺が負けないよう優勝目指して全力を尽くすだけだ。


 ーーー 日も暮れて夜。早めに寝ることにした。明日の試合中に、睡眠不足で集中力を欠くなんて、格好が悪くて仕方がないからね。


 鎧が脱げないので、そのままベッドに入った。ビスマイトさんはまだ作品のできに納得がいかないらしく、最後の晩も徹夜するという話をしていた。彼も最後のコンテストになるかもしれない。悔いを残したくないんだろうな。


 幸い鎧の着け心地は抜群だったので、眠るには問題なかったけど、やっぱり気持ちが高ぶっているみたいで、寝付けなかった。隣のベッドで寝ているレンレイ姉妹は、既にすやすやと寝息を立てている。


 ーーー やっぱりビスマイトさんのことが気になる。無事に即位すれば、この屋敷にも滅多にくることができなくなる。それを思うと、少なからず寂しい思いに駆られる。


 ビスマイトさんの工房の前まで来ると、うっすらと光が漏れているのが見えた。まだまだ頑張るつもりらしい。うん、頑張る受験生には夜食が必要と昔から決まっている。よし、久々に料理して差し入れしてみよう。最近、全然厨房に立っていなかったので、勘が鈍っているかもしれない。だけど、とびきりの日本食を作ってビスマイトさんに喜んでもらいたい。


 うっすらと覚えている料理のレシピを頼りに、厨房で一人奮闘すること2時間。だいぶ時間はかかったけど、幸いコーネットから取り寄せていた日本風の食材がたっぷりあったので、それなりに和食になったと思う。ーーー そう、勝負前に食べる和食といえば、”カツ”しかないよな。豚肉に衣をつけて揚げ、切って並べる。生野菜はキャベツがなかったので、トマトしか添えられなかったけど、まぁまぁ良い感じになったと思う。そして米と味噌汁だ。これが揃って初めて和食っぽくなるというものだよ。


 完成した品をトレイに乗せて、ビスマイトさんの工房まで運ぶ。


「お父様、ちょっとよろしいですか?」


 ドアの向こうのビスマイトさんに声をかける。


「おお、カミラか。まだ起きていたのか。明日に響かぬよう、早く寝なさい」


 ドアの向こうから、穏やかな声が聞こえてくる。見た目は怖いビスマイトさんだけど、俺は、彼が誰よりも心優しい紳士だということを知っている。


「今夜も頑張っているのですね、お父様。お夜食をお持ちしました」


 鍛冶仕事で顔を真っ黒にしたビスマイトさん。額に汗して働く渋いおっさんってのは、俺の憧れだったけど・・・・・・こうも”労働”とか”職人”とかいう言葉が似合う人も、そうは居ない。この人が自分の父親だと思うと、自然と嬉しくなる。


「すまんな。・・・・・・何とも香ばしい匂いがする。これは何という料理だ?」

「とんかつといいます。勝負事の前に食べると縁起がよいそうです」

「そうかそうか」


 ビスマイトさんは、それだけ言うと直ぐに料理に手をつけ始めた。もちろん、箸は使えないのでフォークだけどね。無言でとんかつを頬張り、味噌汁をすする。黙々と食べるその横顔は嬉しそうでもあり、どこか寂しそうでもあった。表情の読めないビスマイトさんだけど、今日はいつもと少し違う。


「カミラにこうして食事を作ってもらえるのも、最後かの・・・・・・」

「そんな寂しいことを仰らないでください。たとえこの身がどうなろうと、私はずっとお父様の娘です。料理ならいつでも作って差し上げます」

「城に上がれば、ここへ来ることも難しくなる。無理はするな」


 ビスマイトさんの顔には、これまで見たこともないような、苦しそうな表情が浮かんでいた。ああ、そうだ。ビスマイトさんは、俺を送り出せて嬉しいという気持ちと、寂しさに引き裂かれそうなんだな。かくいう俺もそうだ。なんだかんだで、ビスマイトさんに甘えていたんだ。だから俺みたいな、右も左もわからないヤツでも何とか生きてこれたんだよ。


「お父様!」


 俺は感情に突き動かされたように、ビスマイトさんの胸に飛び込んでいた。以前なら、いくら恩人とはいえ、おっさんの胸に飛び込んでいくなんて事は考えられなかった。でも今は違う。体が自然に動いている。男女というよりも、人間としての当たり前の感情なんだろうな。


 俺に飛び込まれたビスマイトさんは、驚いていたが、ゆっくりと俺の肩に手を回してくれた。・・・・・・なぜだか安心する。まるで本当の親子以上に、安らぎと心地良さを感じる。


「カミラ、これまでよくやってくれた。儂は誇りに思う。もう王として存分に振舞ってくれ」

「お父様、私はブラッドール家の後継です。それはもう変えられません」

「だ、だがな・・・・・・」

「いいえ、私は王であり鍛冶師の娘なのです。メンデルで初めて、鍛冶の家を継ぐ王となりましょう」

「ディラック様も以前同じような事を言っていたが、そんなことができるとは到底思えぬ」

「大丈夫です、手はずは整えてありますから」

「そ、そうか・・・・・・それが本当ならこんなに嬉しいことはない。だが、儂のために無理はするでないぞ、よいな。儂とてメンデルの人間だ。王家の繁栄を第一に思っている」

「はい、わかっています」


 長い選挙活動の間に、ブラッドール家の今後についても、ちゃんと手を打っていた。鉱工業の中でも鍛冶が国の主要産業なのだ。その国の王が、鍛冶の家を継いで何が悪いというのだ。


 だけど物事には順序というものがある。王に就任していきなり「鍛冶業は王家縁者のブラッドールが牛耳る」と表明したら、それこそ大反発が起きる。王政といえども、表面的には民主主義を掲げるメンデルだ。王様の一存でそんな重要なことは決められない。だから、貴族議員達にもきっちりと根回しはしておいた。


 ブラッドールの実力が十分なのは、国民はわかっている。そして、反対勢力の筆頭になるハッブル家の保護も忘れずにきっちりとやる。私利私欲のために、ごり押しする印象を与えてはいけない。社長の息子が親の七光りで後を継いで、自分の都合の良いようにルールを書き換えてしまうようなやり方は、社員の反発をくらう。日本の企業でもそれは同じだからね。

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