第69話 悪魔憑き
「レンさん、正直に相談してくださってありがとうございます。……嬉しかったですよ」
「そ、そんな……本来なら主人であるカミラ様に、身内のことでご迷惑をおかけするなんて、申しわけないと思ったのですが」
昔のレンさんだったら、妹のことで迷惑はかけられないと、自分1人で解決に当たっていたはずだ。彼女の奥ゆかしい性格なら絶対にそうする。だけど、今回はきちんと俺に相談してきてくれた。ようやく俺も彼女に身内と認めてもらえたのかもしれない。変な話だけれど、レイさんが危険な目に遭って初めて、彼女達との絆が確認できたような気がする。
レイさんほどの人が、そうやすやすとやられはしない。でも魔法や呪術を使う相手だったら、事情は違ってくる。とはいえ、低レベルな魔法使いくらいなら、レイさんは簡単にやっつけてしまうだろう。その辺は心配していない。
ふと思い出して気にかかっているのは、いつぞやの姿を消して逃げて行った斥候のことだ。ハッブル家のパーティー会場から帰宅する時から、ずっと後をつけてきていたアイツだ。魔法石で姿をくらましてそれっきりだったけど、ナイトストーカーにもソルト一味にもあんな気配感知の手練れはいなかった。ハッブル家の中にも、そういう人間はいなかった。
あの時以来、まったく音沙汰がないので、今の今まで忘れていた。魔法石を使いつつ、広域の気配感知ができるような誘拐犯だったら、さすがのレイさんでも、罠に嵌められてしまうかもしれない。
うん、これは急いだ方がいいな。
「この話、お父様にはしましたか?」
「いいえ、ビスマイト様にはまだ何も……」
その時だった。突然左腕がブルブルと小刻みに振動し始めた。この感覚、スマホのバイブレーションみたいだな。……しかし、人前で勝手に動いたりするなと約束したばかりなのに、もうこの新人くんは反故にするのかよ。
「レンさん、ちょっと外しますね。このまま待っていてください」
「……は、はい」
俺は部屋の外に出てパタムとドアを閉めた。そして少し廊下を歩いて、声が響かないところまで移動した。左腕は相変わらずブルブルと振動している。ちょっとこの感覚、懐かしいかもしれない。握ったスマホに”着信あり”って表示されてる感じだよ。
「左腕の悪魔さん、あなたは私との約束を反故にする気ですか?」
「ふむ。さすがに自分の栄養源の危機に、我も黙っておられんかったのでな」
え、栄養源……? コイツの中では、俺のあだ名はそうなってたのか。そのまんま搾取される奴隷じゃないか。社蓄気分が蘇ってくる嫌なあだ名だ。と、今はそんなことに構っている場合じゃない。
「危機? 何の話ですか?」
「あの手紙だ。あれからは魔族の匂いがするぞ」
「悪魔が絡んでいるとでもいうのですか?」
「そうだな。かなり上級の悪魔が関係している」
これは予想以上に危険な状況、なのか……? それにしてもこの左腕の新人くん、悪魔の気配感知もできるのか。俺の気配感知は人間と獣専用だからな。悪魔の実体や悪意を感知できるか微妙なところだ。そういう意味では、この左腕は結構役に立ってくれるかもしれない。
もし、上級の悪魔を操る高位の魔法使いが待ち構えていたら、俺の魔剣があっても危険かもしれない。手紙の内容が、警備兵に通報されるリスクを考えていないのは、並の警備兵が何人集まっても意味のない、強力な魔法使いだからなのかもしれない。
相手はリスクを考えていないんじゃない。”リスクを考えなくてもいい存在”なのかもしれない。
ブラッドール家に恨みを持った魔法使いがいて、そいつが自暴自棄になっているとしたら、そんなシナリオもあり得るよな。寿命のほとんどを削って、上級悪魔と契約を結んで、魔法を暴走させながら相打ち覚悟の特攻をされたのでは、たまったもんじゃない。自爆テロみたいなもんじゃないか。
「どんな悪魔かわかりますか?」
「……そこまではわからん。だが微かに残るあの甘い匂い。間違いなく魔族だ」
甘い匂い? そういえば、イクリプスさんの引っ越しの時に、レイさんと手合せしたら甘い匂いがしてたな。ディラックさんを海から引っ張り上げた時にも、レイさんから甘い匂いを感じた。あの時は、香水か何かだと思っていたけど……。何か関係があるのだろうか?
「甘い匂いは、魔族の力が強く働いている時に出る」
あっ! そういえばこの左腕が暴走した時も、そんな匂いがしてたな。にわかに嫌な予感が高まってきたぞ。
「ありがとうございます。もし何かあったら、これからもマナーモードで知らせてくださいね」
「うぬ? ”まなーもーど”とはなんだ?」
しまった。ついつい腕がブルブル震える感覚が、バイブ機能みたいだったから。
「先ほどのように、振動して知らせてくれればありがたいです」
「ふふん、わかった。考えておいてやろう」
相変わらず横柄な態度だが、悪魔感知器としては使えそうだ。話すだけで結構イラっとくるが、ここは我慢だ。いちおう大人だからな、俺。
どうやら上級悪魔と高位の魔法使いが絡んでいるようだから、早目に事を進めたい。とはいえ、魔法使いの相手は難しい。獣王の力を使えば、ある程度の魔法は無効化できるとはいえ、相手によるだろう。
もし、無効化できない上に魔剣も通用しないほどの悪魔だったら、打つ手がない。やっぱりここは、魔法の専門家の手を借りたい。頼りになるのは、ブリッツさんかシャルローゼさんだけど、ブリッツさんはあの気分屋気質がちょっと扱い難いよな。……となると、移動も速いシャルローゼさん一択か。
『ヴァルキュリア、聞こえますか?』
『はい。ただいまエルフの長老の下から帰還するところです』
『そうですか。申し訳ないですが、大至急手紙をお願いします。シャルローゼさんへ一筆あります』
『……獣王様。シャルローゼ殿は私の念話が理解できるようです』
『えっ? まさか……そんな事ができるのですか?』
『どういう術なのかわかりかねますが、私からの念話が通じました。残念ながらシャルローゼ殿から私への念話は成立しないようですが、会話を成り立たせる術を開発したと言っておりました』
驚いた。さすがはシャルローゼさんだ。前回コーネットから大急ぎで駆けつけてくれたとき、やけにスムーズに俺たちの部屋まで辿り着いたとは思っていた。ヴァルキュリアが誘導してくれたとしても、その意志はシャルローゼさんに伝わっていないはずだ。だけど、事情を全部察した状態で部屋に飛び込んで来てくれた。既にヴァルキュリアから話が伝わっていたなら、あの状況も納得できるな。
シャルローゼさんが凄いのは、魔法だけじゃないところだ。今でも更なる高みを目指している。研究して成果を上げ続けていることなんだよな。やっぱりあのカーミラの妹さんだけあるってことか。
『では、至急シャルローゼさんを呼んできてください』
『はっ、かしこまりました!』
◇ ◇ ◇
部屋に戻ってレンさんと向き合う。レンさんはレンさんなりに、何か作戦を巡らせているようだ。
「相手は魔法使いが絡んでいるようです。しかも高位の魔法使いです」
「……そんな、レイの誘拐に悪魔が関係しているのですか?!」
「ええ、おそろらくは。魔法使いの対応は何とかします。当主としては、本来お父様が行くべきなのだと思いますが、次期当主として私が出ます」
「カミラ様にそんな危険な役回りをさせる訳にはいきません。私がカミラ様の変装をして出て行きたいと思います」
なるほど、レンさんの作戦は替え玉だったのか。いやいや、その作戦は却下だ。ここは俺が出て行って、魔法使いの正体だけでも確かめておきたい。悪魔感知の機能も得たことだし、もしも弱い魔法使いならその場で片づけてしまいたい。逆に予想以上に強い相手だったら、シャルローゼさんの到着を待って動けばいい。全速力のシャルローゼさんなら、半日かからずにメンデルに着くはずだ。
「レンさん、今回は私一人で行きます。心配しなくても大丈夫です。レイさんが無事なのを確認したら、直ぐに戻りますから」
レンさんを連れて行ってもいいが、相手が気配感知の達人だとしたらまずいだろう。あの手紙には”当主1人で来い”と書かれている。2人いるのがバレたら、人質のレイさんに危害が及びかねない。俺の気配感知ならば、建物の遠くからでも中に居る人間の数や様子をある程度把握できる。様子見だけなら、俺1人の方が都合がいい。
「……カミラ様、ご無理なさらないでくださいね」
縋るような目で迫ってくるレンさん。妹と主人を天秤にかけた状態だ。メイドとしては心が張り裂けんばかりだろうな。
「任せてください。獣王の力もありますし、下手は打ちませんよ」
そう言って俺は、完全武装を決め込んだ。ビスマイトさん渾身の作である長剣と短剣のセットを差し、鎧を着込む。
あっ! 鎧が……普通の鎧しかない。早くシャルルさんの特注鎧にしてもらいたいな。今の鎧は動きにくい。さすがにビキニアーマーは困るけど、今までシャルルさんの鎧より機能的だった鎧を見たことがない。新開発の鎧を早く手に入れたいところだ。
心配そうな顔をしたレンさんを残し、周囲を警戒しつつブラッドール屋敷を出る。もちろん、広域の気配感知は全開だ。今のところ、俺の方に意識を向けてくる人間はいないようだな。
目的地の南地区の廃城というのは、実は割と近い。俺もずっと気になっていたけど、誰も話題に上げないし、見向きもしないので、何もない廃城なんだと思っていた。
興味があったので、一度だけ入口付近まで行ったことがあった。でも、本当に崩れかけた城や城壁があるだけで、何もないようだった。
城と言っても建物のほとんどが潰れている。かろうじて原型をとどめているのは城壁の一部だけだった。歴史的にも”警備用の城”、としか言われていない。使われなくなってから、数百年は経っているそうだ。つまりメンデル黎明期の城ってことだよな。
その廃城までは、速足で歩いて2時間程度だ。南地区の南端まで来ると、コーネット領との国境も見えてくる。
……やっぱりもう、原野になる直前の廃城だよなぁ。実物を目の前にして改めて思う。西地区の海沿いにあるミッドミスト城とは、えらい違いだ。あっちは古城と呼ぶのがまさに相応しいけど、こっちは廃墟という方が合っている。
気付かれないよう物陰に隠れて、廃城全体に気配感知を巡らせてみる。俺の方に強い意識を向けている人間はいない。廃城の中に感じる気配は1人だけだ。
さらに意識を集中して気配を細かく探る。うん、気配の正体はレイさんで間違いないようだ。常日頃一緒に生活しているから、彼女の気配は直ぐにわかる。体は弱っていないし、鼓動も普段と変わりなく聞こえてくる。気配の感じからして、椅子に座っているようだ。きっと頑丈なロープか何かで縛り付けられているのだろう。とにかくよかった、彼女は無事だ。
でもおかしいな……誘拐犯の姿が見当たらないぞ。予想では、1人ないし複数人の魔法使いがいるはずなんだけどな。周囲にも気配感知を巡らせてみる。でも、動物の気配以外は感じられない。野犬が10頭ほど群れを成している程度だ。肝心の人質だけを置いて、どこかへ出かけるとか、まずあり得ないだろう。誘拐犯に何か問題でも起きたのだろうか? 仲間割れでもしたとか?
うん……理由はともかく絶好のチャンスだ。今ならレイさんを回収して逃げることができる。罠が張られている可能性もあるから、警戒は必要だけどね。
さてと、ここは獣王の便利ツールを使わせてもらうとしよう。
『周囲の獣達よ。今すぐ廃城内にいる人間の足元へ集合しなさい』
直ぐに廃城近くに居た野犬の群れが、次々と廃城の中へ吸い込まれていくのが見えた。さすがは獣王の力。いや、本来的にはこういう使い方なんだろうね。
野犬達に中の状況を確かめてもらうのが目的だ。レイさんの周囲に危険な罠があったとしたら、野犬達は野性の勘で回避するだろう。魔力にも人間より敏感だし、魔法系の罠にも対応できるはずだ。
――― 1分後。レイさんの気配だけを残して、野犬達の気配がすべて消えていた。
気配感知で詳しく探ってみるが完全に消えている。つまり死んでしまったということだ。やはり罠があったのか。野犬達には悪いことをしてしまったな。だけど、野生の犬でも気付かずあっさりと死に至らしめる罠か……。かなり危険度が高い。さてどうしたものか。
その時、左腕の義手がブルブルと震えだした。横柄な態度の”新人くん”のお出ましか。ここは人っ子一人いない原野だから、大きな声で話しても問題ないだろう。
「どうしました?」
「うむ。魔族の気配を感じる。もし中にいる人間を助けたいなら、急ぐがいい」
魔法使いはいないはずなのに、悪魔がいるっていうのか? それとも、魔法石のような悪魔を封じ込めたトラップが張られているってことなのか?
「でも魔法使いはいませんよ。どうやって悪魔が存在できるのでしょう?」
「何をいっている、我が栄養源よ」
むぅ、何度も”栄養源”とか呼ぶんじゃない。生々しいだろ。
「だから、悪魔と契約した人間が居ないのにどうして……」
「いや、魔族の気配は中に居る人間から感じる。あの紙から感じた魔力と同じものだな」
オイオイ、冗談はその偉そうな態度だけにしておけよ。まさか、レイさんが悪魔と契約したとかいうんじゃないだろうな?
悪魔と契約した人間は、耳が尖って少し長くなる。エルフみたいな耳の感じだ。シャルローゼさんは魔法で隠しているので除外するけど、ブリッツさん始め、街で見かける魔法使いはすべて耳がエルフ様だ。だけどレイさんは普通の人間の耳だ。毎日一緒に寝起きしているので、俺が一番よくわかっている。それだけは言い切れるぞ。
中に突入してみないと、何がどうなっているのかわからない。とにかく、レイさんが1人でいることは間違いない。今が救出の好機であることも間違いない。やむをえないな、入ってみるか。
……仮にトラップが発動しても、強力な再生能力がある俺なら何とかなると信じたい。シャルローゼさんもここへ向かっていることだし、もし誘拐犯たちが戻ってきて俺が捕まっても、助けの当てはある。レンさんには、夜になっても戻らなかったらディラックさんに連絡してくれるように言い含めてある。
よし、大丈夫だ。最悪の事態が起きたとしても、リカバリーできる。
俺は長剣を背中から抜いて、臨戦体勢で慎重に歩を進めた。独特の埃っぽい匂いが立ち込めている。微かに血の匂いもする。おそらく野犬達のものだろう。直ぐにレイさんの居る部屋に近づいた。今のところトラップ発動の気配はない。目の前のドアの向こう側にレイさんがいるはずだ。ドアは鉄製で鍵穴がない。穴から覗いて中を伺うことはできない。気配感知には、相変わらずレイさんだけが感知されている。周囲に人はいない。
――― うん、大丈夫だろう。
決心して俺は長剣を大上段からドアへ向けて振り下ろした。ドアはさっくりとプリンのように真っ二つになり、埃を巻き上げながら床に落ちた。鉄製とはいえ、だいぶ錆びて朽ちていたし、この魔剣化した長剣なら鉄でも簡単に斬れるからな。
ドアの向こうにはレイさんがいた。木の椅子に座り、真下を向いている。身動き一つしていない。意識を失っているのかもしれないな。そしてレイさんの周りでは、野犬達が血を吐いてペチャンコに潰されていた。まるで、巨大なハンマーでも振り下ろされたかのようだ。ちょっと普通ではない死に方だ。この死に方だと、ドアを開けたら天井から錘が落ちてきて、侵入者を圧死させるというトラップが思いつく。だけど……天井には何もない。石の天井が広がっているだけだ。
「おい、栄養源……」
不意に左腕が喋り出した。
「何ですか?」
「まずいぞ、こいつは”悪魔憑き”だ」
左腕の言葉が終わると同時に、レイさんの顔がゆっくりとこちらを向いた。……目付きがいつものレイさんじゃない!
「来たか……」
目付きの悪いレイさんから発せられた言葉は、彼女の声じゃなかった。あの涼やかで元気のいい声じゃない。濁声のおっさんみたいな声だ。どうしたんだ、一体……。
彼女はゆっくりと椅子を立つと、猛烈な速度で俺の方へ突っ込んできた。先日の立会い稽古でみせた、バーサーカーも真っ青な踏み込みだ。咄嗟に長剣の腹で彼女の突進をブロックした。受けきれずに、レイさんの拳が俺の腹に突き刺さる。分厚い鎧があるので、事なきを得たが、危なかった。彼女は本気だ。
すかさず獣王の力を発揮する。これで重い鎧を着ていても、多少は彼女のスピードに対抗できるはずだ。
「一体どうしたんですか?! レイさん、しっかりしてください!」
とても正気を保っているとは思えない。催眠術とか薬とかで操られているのだろう。だけど、それにしては凄まじい攻撃力だな。……彼女に一体何が起きているんだ?
「……コロス、コロス、コロスーーーーッ!」
獣のように涎を垂らしながら、またもや全速力で俺の方へ向かってくる。こちらも剣を峰にしてガード体勢だ。レイさんの体とぶつかると思った瞬間、彼女は華麗にターンして、速度を落とさず壁の方へと向かった。そして壁を思い切り蹴ると、宙を舞ってなんと上方から降ってきた。当然拳ごとだ。壁を蹴った力と全体重がたっぷりと乗った拳だ。それに彼女の腕力が加わっている。喰らったらひとたまりもない。
なるほど、野犬達を殺したのはこの技か……。
獣王の力を全開にして、彼女の一撃を受止める。強烈な打撃を受けた長剣は、ミシリと音を立てた次の瞬間、ガラスのように砕け散った。それでも彼女の拳は止まらなかった。俺は腕をクロスして受止めたが、まだ止まらない。
水平方向からの打撃なら、それに合わせて体を飛ばせばいい。派手に吹き飛ぶことになるけど、ダメージはほとんどなくなる。でも今は上から打撃を喰らっている。さすがに地面にめり込む訳にはいかない。力の逃がしようがない。
メキメキと音を立てて、自分の右腕が破壊されるのを感じた。激痛が走るけど、直ぐに再生能力が働いて、腕が粉砕されるそばから元へ戻っていった。
レイさんは攻撃に失敗したことを察知し、素早く後ろに飛び去った。目付きは相変わらずおかしい。
俺に残されているのは、もう短剣だけだ。まさか鉄をも斬り裂くビスマイトさんの銘刀が粉砕されてしまうとは……。しかもただの刀じゃないぞ。魔剣化しているのだ。それを粉砕するレイさんの打撃。人外の力が働いているとしか思えない。
鎧ももうだいぶ壊れている。あと一撃喰らったら役立たずだ。今のレイさんに、素手で戦っても勝てそうにない。といって、剣で斬りつける訳にもいかない。……困った。
「レイさん! 正気に戻ってください! 私がわからないのですか?!」
「コロス、コロス、コロス……」
だめだ。話が全然通じてないな。
「ふふん。なるほどな。”拘束の悪魔”か……」
またもや左腕が話し始めた。戦闘中だというのに、饒舌なやつだな。
「拘束の悪魔……何ですかそれは?」
「こやつは拘束の悪魔の術にかかっている」
「まさか!? 術者はどこですか?」
「術者はどこにいようと関係ない。自動で勝手に発動する魔法だからな」
……時限式の魔法もあるのかよ。ということは、過去にどこかでレイさんが魔法使いと戦って、この術式を仕込まれたということか。それがどうして今日発動したんだ?
「ふむ、誘拐の手紙もこやつ、いや拘束の悪魔の仕業だな」
手紙の差出人はレイさん……というかレイさんの体を操った悪魔ということになるのか。どおりで辻褄が合わない変な手紙だと思った。
「ほほう……拘束の悪魔は、我が栄養源を殺害するのが目的らしい」
「もったいぶらずに話してください。コイツはどんな悪魔なんですか?」
「人を操る悪魔だ。人の潜在能力を限界以上に引き出し、目的を成就させる。目的を決めるのは契約をする術者だがな。まぁ、魔界でもそこそこレアな魔族だ。ふふん、これは面白い」
レイさんを使って俺を殺したいと思う相手といえば、エルツ家か……。
思い出したぞ。そういえば、ディラックさん達を海から引っ張り上げた時、レイさんだけ登場が遅れていた。確か”ソルトに襲われた”と言ってたよな。――― あの時か、レイさんに悪魔が仕込まれたのは。それが時限式の魔法で、今発動したと考えるのが一番あり得る話だな。
くそぅ、またしてもあのソルト野郎の仕業かよ。俺のレイさんを操って暗殺者に仕立てあげるとか、アルベルトと同じくらい許せんヤツだ。
「どうすれば魔法を解除できるのです?」
レイさんはまた腰を落として、俺の方へ突撃する準備体勢に入っている。次に打ち合ったら、今の俺ではレイさんの打撃を受けきれないだろう。爺さん師匠直伝の見切りも間に合わない。そうなれば、獣王の力で回復し続けるしか手はなくなる。
「ふむ、仕方がない教えてやる。解除には2つ方法がある。1つは術者を殺すこと。2つは目的を成就させることだ」
どちらとも無理だ。今ソルトを殺すことはできないし、俺が殺されてやることもできない。
「2つの方法ともできません。私が殺されるしかありませんね」
「……チッ、この栄養源め、わざととぼけておるな?」
「あなたこそ、本当はもっと良い方法があるのに、私を騙すつもりですか?」
そう、この左手の悪魔は隠し事をしている。なぜなら俺が死ぬかもしれない危機に際して、到底無理な解決方法をいけしゃあしゃあと提示してきたからだ。万が一にも俺が死なないようにするのが、彼の約束だったのに、それをしてないということは他に何か”とっておき”があるに違いない。
「ふふん、やむをえんな……」
横柄な物言いの左腕と会話している間に、レイさんがいつの間にか間合いに入ってきていた。彼女の拳が唸りをあげて次々と襲いかかってくる。かすっただけでも、肉を抉られるレベルだぞ、コレ。
打撃の威力だけなら、爺さん師匠を遥に超えている。まともに当たったらどうなってしまうか、想像するだけでも鳥肌が立つ。それでもギリギリかわせているのは、打撃の威力があがっている分、スピードが落ちているからだ。何とか先読みできている。だけど集中力をちょっとでも切らせば、必殺の一撃をもらってしまう。
「手を貸してやる。我をあやつに触れさせるのだ」
そんなこと言われても、こっちはかわすだけで精一杯なんだよ! 無茶いいやがって。
「ううむ、これでは難しいか。仕方あるまい……アルタール・インヴォーカーティーオー・フラメント・ヴォモス!」
左手が変な呪文を唱えた。いや、呪文というか何か短い命令語みたいだ。俺の知らない言語だから、悪魔語なのだろうか。呪術の呪文は基本的に何語でもいいはずだし、魔法の呪文は詠唱するのに加えて、手足でアクションする必要がある。
途端にレイさんの動きが止まった。両目を閉じて、糸の切れた人形のようにバタリと床に倒れ込んでしまった。
「レイさん!」
近寄って彼女を抱きかかえ、揺すってみる。意識はないが、呼吸と鼓動はしっかりしている。体の方はよく見ればボロボロだ。あちこちに凄い数の怪我がある。特に拳が酷い。完全に潰れている。あのビスマイトさんの剣を砕いたんだもんな。そりゃ拳の方も無事では済まないよな。
「体の限界を超えて、能力を引き出した代償だな。まぁ、安静にしていれば直ぐに回復する。心配するな」
悪魔から”心配”なんて単語が出てくるとは思わなかった。コイツ、本当は良いヤツなのか? そういえば、さっきの呪文は何だったんだろうか。悪魔封じの呪文なのだろうか。悪魔が悪魔を封じるなんて、聞いたこともないけどな……。
「ありがとうございます。レイさんに憑いた悪魔はどうなったんでしょう?」
「そっちも心配する必要はない。我が魔界へ還しておいた」
「あの呪文で……ですか?」
「呪文ではない、悪魔語だ。”うっとおしいから魔界へ帰れ”と命じただけだ」
「どうしてあなたの命令を聞くのですか?」
「……」
饒舌な左腕が黙ってしまった。おいおい、そこは肝心な所なんですけどー。
まぁいい、今はレイさんを治療できるところまで運ぶのが先決だ。
レイさんを背負うと、だいぶ軽いことに気が付く。……いや違うな。レイさんが軽いんじゃない。俺の方が体が大きくなっているから、簡単に運べるのか。やっぱり体が大きいと、こういう時に便利だよな。
廃墟の外に出ると、結構時間が経っていた事に気が付いた。陽が傾いている。精神をずっと集中していたので、時間感覚が麻痺していたみたいだ。俺は長い時間、レイさんと対峙していたのか。獣王の再生能力がなければ、到底耐え切れなかったな。人間の潜在能力を限界以上に引き出して操る”拘束の悪魔”か……。恐ろしいヤツだった。
……とにかく、レイさんを無事に救い出すことができてよかった。




