第7話 ハーフの疑い
おや、何だか息苦しいぞ。体が重い。何かが俺の上に乗っているような……。
これは、寝てる俺の体の方の感覚か。
「ぷはぁっ! はぁ、はぁ、はぁ……」
俺は目を覚ますと同時に、自分の体の上に乗っている”モノ”を押しのけた。
シャルルさんだった。しかもなぜか全裸だった。胸どころか生まれたままの姿を見てしまった。だが、なぜ全裸なのだろうか?
「あ~ら、やっと起きたわね。何だかすごくうなされてたから、心配になって体を温めてあげてたのよ」
「あの……。この国では寝ている人を温めるのに、全裸で抱き合うのが一般的なんでしょうか?」
「これは特別サービスよ。カミラちゃん専用のね」
うっ、妖しい目付で舌なめずりするのは止めなさい。せっかく尊敬してたのに。やっぱり単なる幼女マニアに格下げだ!
もう陽が高くなっている。俺は素早く着替えた。と言っても既に全裸だったので、ワンピースを頭からかぶっただけだが。
素っ裸のシャルルさんを置いて階下へ急いだ。キッチンを抜け、いつも食事を取っている大部屋へ走り込んだ。昨日の事を、きちんとビスマイトさんやマドロラさんに話しておかなければならない。
俺が部屋に着くと、そこにはもう皆が勢ぞろいしていた。ビスマイトさん、マドロラさん、チャラ男、ドルトンさんまで。そしてもちろん、エリーも居た。どうやらエリーが、昨晩の事を話している真っ最中だったようだ。
エリーは俺の顔を見るなり言った。
「カミラ、ちゃん? 本当にカミラちゃんなのね?」
「う、うん。どうしたの?」
エリーは信じられないといった顔で、俺の方へゆっくり近づいて来た。と思ったら、俺はいきなりワンピースをひっぺがされ、上半身はだけた状態になってしまった。
ドルトンさんとビスマイトさんは、あまりに突然のことにブーっと珈琲を口から吹いていた。
「キ、キャア!」
どうしてだろうか。俺の口からは、ありえないほど女の子っぽい悲鳴が条件反射で出ていた。俺も人並みにお肉がついて来て、蚊にさされた程度だが、ぷっくりと膨らみが胸にある。そのお肉たちが主張したのだろう。
エリーが、胸を隠そうとする俺の右手をどけて、肩口から心臓の辺りまでを確認した。
「そ、そんな。傷一つないなんて……。一体どういう事?」
「エリーお姉ちゃん、恥ずかしいよ」
「あっ、ご、ゴメンナサイ。私ったら気が動転してて」
エリーには、俺が致命傷を負ったように見えたはずだ。気絶したショックで、あの時の記憶も失ってくれていることを期待したんだが、どうやらしっかり覚えていたようだ。
「あの時、確かにカミラちゃん、私のことを庇ってズバーッとこう斬られて……」
「斬られてないよ。暗かったから、お姉ちゃんの見間違いじゃないかな?」
エリーは不審な表情のままだった。まったく疑いが晴れていない。まずいな。俺自身でも説明のしようがないんだが。
いつまで胸を晒していればいいんだろう。とりあえず俺は黙って後ろを向いて、ワンピースを着直した。
「エリーの話が本当だとして、カミラが斬られたのなら、傷痕くらいは残るはずだ。再生能力に優れているトロルやヒドラのようなモンスターでも、再生後、数日間は傷痕くらいはあるのだ。ましてや人間に……」
ビスマイトさんが推測を重ねる。おっ? ちょっと待て。やっぱりこの世界、トロルとかヒドラとか凶悪なモンスターも居るのか。やべえな。俺が夢で見た、あの巨大な熊の群れも実在するのだろうか……。
今のこの現実的な感覚からいうと、ゲームやアニメと違って、ドラゴンとかと出くわしたら、パーティ全滅どころか街一つ壊滅しそうだけど。
「そう、あり得ない。だから当然の帰結として、エリーの見間違いってことになるぜ」
ドルトンさん、いいぞ。そのまま推論を押してくれ。
「いえ、もっと再生能力に優れたヤツがいるわ。吸血鬼よ」
2階から着替え終わって降りて来たシャルルさんが横やりを入れて来た。
吸血鬼もこの世界に居るのか!? コイツは本格的にファンタジーだな。
全員の眼が俺の方へ向いた。
「もしかして、カミラちゃんが吸血鬼だと思ってるの?」
シャルルさんの問いかけに一同言葉がない。エリーも悲痛な顔をしている。名前もカミラだし、吸血鬼かもしれないな、俺。吸血鬼なら、あの怪力と再生能力も説明できるし。
「アハハハハハ、こりゃ傑作だよ! カミラちゃん、ちょっと窓際に立ってみな」
「ハイ。こうですか?」
俺は言われるがままに、部屋の窓際に立った。陽射しが眩しい。今日も良い天気だ。街の散策をしたいところだな。エリーとシャルルさんを連れて。
「日光に当たっても何でもない。やはり吸血鬼ではないぜ……」
「当たり前でしょ! 信じてあげなくてどうするんですか?」
そういうことか。皆本当に吸血鬼かどうか不安だったんだ。この世界でも、吸血鬼は俺のいた日本と同じ認識のようだな。つまり一番の弱点は陽の光だ。決して石で出来た仮面など、俺は被っていない。
「エリーお姉ちゃん、まだ私の事、疑ってるの? 私の事、怖いの?」
「ううん。そうじゃない、そうじゃないけど……」
エリーは聡明だな。さすがにしっかりしている。周囲に流されて、自分の見聞きしたものを安易に曲げたりしない。仕方がないな。俺としては、エリーが助かった時点でもう悔いはない。あとは皆の流れに任せよう。
「ハーフってことは考えられませんかね?」
チャラ男が珍しく深刻な表情で発言した。この男、真面目な議論をすることもあるんだな。単なるチャラい女好きだと思っていたが。
「ハーフバンパイアってこと?」
「そうです。ハーフなら陽の光に当たっても平気な者も居ますし、再生能力だけに特化した者も居ます。それに十字架やニンニク、聖水にも耐性を持つハーフも居ますからね」
チャラ男、何気に吸血鬼に詳しいな。
「馬鹿な。ではカミラが、再生能力に特化したハーフバンパイアだというのか?」
今度はさすがにビスマイトさんが応援してくれてる。
「……わかりません。可能性はゼロではないでしょう。僕の両親は吸血鬼に殺されました。だからハーフであっても個人的には許容できませんね」
なるほど。チャラ男は案外闇が深そうだな。普段のクールで軽い態度は、仮面なのかもしれない。この男、本性はこっちだな。
「私情を挟むのはよくないぜ、ケッペン」
「だけど、ハーフを確認する方法なんてあるのかい?」
「奴隷の出生証明書は非正規の場合、そもそも存在しません。血統から確認するのは無理ですね」
「じゃあどうすれば……」
「もう一度斬るしかありません。再生能力を確認するんです」
ケッペンが懐から短剣を出した。切れ味鋭そうなダガーだ。刀身が鈍く光っている。これは刺さったら痛そうだ。
「止めよ! ケッペン!」
ビスマイトさんが、本気で怒っている。俺の味方をしてくれているんだろうが、正直もういい。本当ならあの時、俺は死んでいたんだから。これ以上、皆に面倒をかけたくない。
「いいんです、お父様。これでケッペンさんやエリーお姉ちゃんの気が済めば」
「馬鹿を言うんじゃない! お前を失ったら儂はもう生きて行けんのだ」
ビスマイトさん、そこまで言ってくれるのか。裏切るようで本当に申し訳ないな。万が一ここを無事に乗り切れるようだったら、もう明日から毎日鍛冶の事だけ考えて頑張るよ。
「お父様、ありがとう。でもケッペンさんの好きにさせてください」
よく見ればケッペンの手も震えている。エリーにいたっては顔が真っ青だ。負担掛けちゃったな。悪いことをした。俺はあの時、そのまま高台から去るべきだったのかもしれない。まぁいいか。ここでケッペンに殺されるのも仕方がない。
「カミラちゃん……では行くよ」
ケッペンはチャラ男とは思えない速度で、俺の腕にダガーを斬り付けた。踏み込が速い。元冒険者というのは本当だったのか。
俺の腕はケッペンの一撃でワンピースごとざっくりと斬れた。赤い血が滴り落ちる。ここまで深く斬れば、例の再生能力が働いて、傷はたちまち修復されるはずだ。俺の幸せだった第2の人生もここで終わりか。傷が塞がって終わりとはね。 ……ちょっと寂しいな。
「……そんな、馬鹿な」
一同が言葉を失っている。ほらな、誰だって傷があっという間に再生すれば、ビビッて警戒するよな。ましてやハーフとはいえ吸血鬼だったら。
そう思って右腕の傷を見ると、治ってない! それどころかドクドク血が溢れて来る。無茶苦茶痛いし、正直思った以上の出血のおかげで目まいがするぞ。チャラ男の野郎、十中八九、俺が吸血鬼と決めつけて殺すつもりで斬り付けやがったな。
でも傷が治らないのはなぜなんだろう。もしかしてあれは、一度だけ起きた奇跡みたいなものだったのだろうか。謎だ。
程なくして、俺は出血でショック状態となり、床に倒れ込んでしまった。
「カミラーっ!!!」
皆の悲痛な叫びが聞こえた。ビスマイトさんとエリーの心配そうな顔が、薄っすら見える。2人とも泣いてるぞ。その後ろでは、シャルルさんがケッペンを思い切りぶん殴ってる絵が見えた。ははは、ざまあみろ。
思わずにやりと微笑んでしまった。それを見たビスマイトさんがなお一層、俺への呼びかけを強くする。でもダメだ。もう意識が飛びそうだ。またあの神様の爺さんに会うことになるのだろうか。今度はなんといわれるのだろう。「アホな死に方じゃのぉ」とでも言いそうだよな。口の悪い神様だからな。まぁいいか。
――― 意識を取り戻すと俺は自分の部屋に居た。
自分の部屋といっても日本の方じゃない。ブラッドール家の部屋だ。起き上がろうとすると、右腕に激痛が走った。そうか、チャラ男に斬られた傷が治ってないのか。でも俺は死なずに済んだのか。出血の具合から見て、動脈まで行ってたよな。チャラ男、容赦ないな。
よっぽどアイツの両親は、吸血鬼に惨い殺され方をされたんだろうな。今度、根掘り葉掘り聞いてやる。少なくとも俺にはその権利がある。
突然部屋のドアが開いた。
「カミラちゃん、よかった、本当によがったぁぁぁあああーーー」
エリーが俺の顔を見るなり、本気で泣き出してしまった。まぁ、エリーも俺の事を疑ってたから、罪悪感が半端ないだろう。
「お姉ちゃん、もう泣かないで。私は平気だから」
「でも、でも……」
エリーは枕元に来ると、しっかりと俺を抱きしめた。そして何回も何回も謝っていた。
「もういいんだよ、エリーお姉ちゃんが悲しいと、私まで悲しくなっちゃうから。もう謝らないで」
「カミラちゃんは凄いね。どうしてそんなに強く優しくなれるの?」
「だって家族だから……」
「ううん、違う。カミラちゃんは特別だよ。私を身を挺して守ってくれたのに。私は味方になってあげれなかった。心の中では、ケッペンの意見に同意してた。私は悪くてダメな人間なの」
うーん、これは強い罪悪感だな。エリーが可哀想だ。あまりしこりを残したくないんだが。できれば悪者はケッペン1人にして欲しいよ。
次に入って来たのは、ケッペンとドルトンさん、ビスマイトさんだった。ケッペンは入って来るなり、俺のベッドに向かって土下座した。もうこれ以上はないくらいの美しい土下座だった。俺が顧客から怒られた時にした土下座並に頭が低い。やるじゃねぇか、コイツ。
「申し訳ございませんでした。ボクが疑ったばかりに、大変な過ちを犯してしまいました。許せないと思いますが、謝罪させてください」
台詞もちゃんとしてる。もし俺が顧客だったら、まぁ、罵声の一つでも浴びせて許してやるところだが。許さなかったのはビスマイトさんだった。
「お前は破門だ。今直ぐにブラッドール家のブランドを剥奪する」
「……はい。わかっております」
ケッペンは土下座したまま、涙声で応えた。普通に考えれば、次期当主を吸血鬼と疑って半殺しにした訳だから、当然だよな。
だが、ここで度量の大きさを見せておくことが、次期当主としての役割ではないかな。ケッペンを引き留めることができれば、ヤツの忠誠心もアップするだろうし。何よりこの件は、俺の謎の力にも原因があるのだ。破門の処分は些か俺に罪悪感が残る。
それにケッペンを破門にしたら、どうせハッブル家に行くんだろう。わざわざ敵に塩を送るようなことはしたくない。競合会社への人材流出は防がねば。
「お父様、お願いがあります。ケッペンさんを許してあげてください」
ケッペンが頭を上げ、驚き顔で俺の方を見ている。ビスマイトさんも珍しくわかりやすい驚き顔だ。
「カミラ、こやつはお前を吸血鬼と疑って、殺すつもりでダガーを振るったのだぞ。そんな相手を許せるのか?」
「はい、赦します。すべては、ケッペンさんの心に深い傷をつけた吸血鬼が悪いんです。ケッペンさんは悪くない。ちょっと勘違いして熱くなっただけです」
「……カミラ、お前はどこまで優しい子なんだ」
ビスマイトさんがまた泣きそうだぞ。この頑固な人がここまで涙もろくなったのは、俺のせいだろうな。エリーは既に大泣きしてるし、ドルトンさんは深刻な顔してるし、いつの間にか現れたマドロラさんとシャルルさんも、不安な顔をしている。
「いいえ、お父様。エリーにも言いましたが、家族ですから当たり前です。家族になら殺されても仕方がないと思っています。それくらい私は皆さんを信頼していますし、愛しています」
やべぇ、ちょっとカッコ良すぎたか……? みんな顔が固まってるぞ。
「そうか……。うむ、ではカミラの希望を叶えるとしよう。ただしケッペン、お前には厳命を与える」
「はい、何なりと」
「今後、カミラに危険が迫ったら、自分の命を捨てても必ず守れ」
「”わかりました!”」
なぜかその場に居た一同が、一斉に返事をした。どうやら”言葉の薬”が効きすぎてしまったようだ。
まぁいいか。丸く収まったんなら。これで一致団結できればいいよ。プロジェクトリーダーの面目躍如だぜ。チームワークはプロジェクトの基本だからな。
まだちょっと血が足りないのか、目まいがしたかと思うと、俺は再び意識を失った。
それからの俺は、さらに皆に気を遣われるようなった。屋敷の中ですら、一人では歩かせて貰えない有様だった。ケッペンに至っては、俺の部屋の前にずっとスタンバイしている。まるで部屋を護る衛兵のようだった。
ちなみに右手が完全に使えなかったので、すごく困った。まず食事だ。エリーが完全に俺の腕代わりになって、食べさせてくれるので助かったが。
何より困ったのが、用を足す時だった。何せ両手が使えないのである。1人ではどうしようもない。止むを得ず、エリーとシャルルさんに全部を手伝ってもらうことになった。ドルトンさんとビスマイトさんが手伝おうと言ってくれたのは嬉しかったが、全力でお断りした。
しかし、正直恥ずかしすぎた。何だか人としての尊厳を失った気もするぞ。特にシャルルさん。どうしてそこまで念入りに俺の敏感な部分を拭くんだよ! 本当に自分の欲望に忠実な人だな。
3週間もすると腕の傷も癒え、日常生活はなんとか一人でできるようになっていた。ざっくりと斬られた痕は残っているが、これは俺を思ってくれる皆との絆だと思っておこう。
ぎこちなかったケッペンことチャラ男も、段々と元の口調に戻って来ていた。だが俺にだけはあのチャラい口調で話す事はできないようだった。