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第66話 コーネット襲撃(1)

完全に放置状態になっていました、隣国コーネットのお話を2回に渡ってお届けいたします。主人公の出番はありません。外伝的なものだと思って頂ければと思います。

 ――― 時は少し巻き戻り、場所はコーネット王宮。


「ジャン様、よくぞここまでご成長なされました……」

「いや、これもすべてニールス、お前の指導のおかげだ」


 コーネットの若き王、ジャン=ホイヘンス=コーネットは、元メンデル騎士団長のニールスと剣を交え、激しい稽古を行なっていた。老いて引退した身とはいえ、ニールスは元冒険者であり、一国の騎士団長にまで登りつめた男だ。剣技には並々ならぬ鋭さがある。そして、何よりも実戦経験の豊富さに裏打ちされた、敵を制する駆け引きができる。ジャンはそれをニールスから学んでいた。


「時にジャン様、国政の方がいかがですかの?」

「ああ、新しい宰相殿に任せているのでね」

「……ニコルルですか」

「だから僕は安心して自由に動ける。あのアルベルトを斃し、コーネットをカミラさん……いや、姉さんと共に治めるという目的のためにね」

「いよいよ魔法国家の建国宣言も近くなりましたな」

「うん、カミラ姉さんもメンデルで毎日頑張っているんだ。僕も頑張らないといけない。でないと、次に姉さんに会った時に笑われてしまうからね」

「ですが、最近はよくない噂も聞きます。どうぞジャン様もお気をつけなさりませ」

「……よくない噂?」

「中央王都で、国家の要人ばかりを狙う怪しげな暗殺者が現れたそうです」

「中央王都も混乱しているという訳かい。でも今のコーネットにとって、有利な状況かもしれないね」

「そうですな。あちらが混乱している間に、こちらは着実に準備を進められるというものですのぉ、フハハハ」


 カミラ達がメンデルへ帰国した後、コーネットでは大変革が起きていた。


 まず新しい宰相に、ニコルルが就任したことだ。彼女はただの宿屋の店主である。貴族でも文官でもない人間が、突然国政の最高権力者になったのだ。周囲が反発しない訳はない。だが、若き国王ジャンは知っていた。貴族や文官の多くが、王家に反旗を翻したファラデー家の動きを掴んでいたにもかかわらず、何もしなかったことを。


 そして国民の多くが知っていた。今回のクーデター鎮圧で活躍したのが、ニコルルであることを。だから貴族や文官、そして有力な商家や農家なども、表立って口を出すことができなかった。じっと我慢して様子を見ているしかなかったのである。


 そんな時に、(くだん)の宰相様から呼出しがかかるのだ。そして「お前は味方になってくれるか?」と尋ねられる。もちろんすべての人間が「はい」と答える。しかし、ニコルルに迎え入れられた人間は少ない。全体の3割程度だろう。選ばれた3割の貴族や文官は、次々と国家の要職に登用されていった。味方と認められた商家や農家は、土地や財を当てられ、勢力を拡大していった。


 もちろん、ニコルルの”嘘を見抜く能力”のおかげである。信頼でき、裏切らない人物だけで周りを固めていったのだ。組織というものは、利権が絡むと、必ず派閥争いや権力闘争など、力を削ぐようなことがおきる。ましてや国家運営ともなれば、国を滅ぼす原因となる場合さえある。


 だが、ニコルルの選んだ人間は、絶対に裏切らない。もちろん能力の多寡はある。しかし、そこをジャンやニコルル、ニールスが積極的にサポートするのだ。


 大きな問題もあった。ニコルルの御眼鏡にかなわなかった、残り7割もの貴族や文官の処遇である。華やかに出世した者の影で、恨みつらみで身を焦がし、ドス黒い嫉妬心に支配される者は、どの世界にも存在する。出世できなかった者達同士、徒党を組んで反乱を起こすかもしれない。権力の陰では、そんな危険が常につき纏う。


 ニコルルは知恵を絞った。そして反王家の貴族文官達のために、新しい職位を作ってしまったのである。この職位が実に巧妙に出来ていた。一見すると、国の要職のように聞こえる。しかしその実、仕事内容は国政とはほど遠いものなのだ。たとえば、右大臣という役職を作った。聞こえはいかにも権威があるように思える。就いた者もその名前から、鼻高々である。


 だが実際に右大臣が持つ権限は、街で執り行われるフェスティバル、すなわち祭りの仕切り役である。祭とはすなわち”祀り”。神を崇める重要な儀式であると、就任した者にきっちり刷り込むのである。


 貴族達も馬鹿ではない。その役職に権力がない事などわかっている。しかし、名誉と対面は保たれるのである。貴族や文官にとって、名誉は重要なのだ。それをニコルルはわかってやっていた。かりそめの栄誉職を与えることで、巧妙に不満を逸らしていたのである。


 次に革命の原動力となったのは、ブリッツとシャルローゼの存在である。彼女達の存在は、まさに極め付けと言えた。ブリッツとシャルローゼは、出会ったその日から意気投合した。魔法という共通の話題が、2人を強く結びつけたのだ。


 ブリッツは魔法において天災級の天才である。悪魔を操ることについては、右に出る者はいない。シャルローゼは、時代を越えた魔法研究の大家である。千年以上も魔法で延命している事実も脅威だが、バンパイアロードのカーミラを姉に持つのである。存在そのものが、もはや伝説といえた。


 2人が意気投合した理由は、お互いに得意分野が違うという点にあった。魔界の悪魔には何億という種族がある。その中でもブリッツが契約している悪魔達は、すべて攻撃的な者ばかり。結果的に火を出したり爆発させたり、凍らせたりと、攻撃的な魔法として具現化する。一方のシャルローゼは真逆だった。空間を操り、人の精神や肉体に作用する悪魔と契約し、深く付き合っていた。使える魔法の多くは、空間や精神を支配するものだった。


 互いに足りないもの。……彼女達は、出会ってそれに気が付いたのだ。


 シャルローゼはブリッツの夢をいたく気に入っていた。”魔法使いが魔法使いとして、堂々と生きていける国を造る” 今の大陸においては、狂気の沙汰だと言われるのがオチだ。しかし、ブリッツは平然と言い切ってみせたのだ。シャルローゼは、その言葉に懐かしさを感じていた。

 

 シャルローゼが中央王都で貴族だった時代――― 魔法使いは、今と違って堂々と生きていたのだ。迫害されるどころか、国家に欠くことのできない存在として珍重されていた。魔法研究は国政の花形でさえあった。魔法使いが普通に生きられる国は、シャルローゼにとって、昔の中央王都を思い起こさせるものだったのだ。


 そんな伝説級の魔法使い2人が一致団結した。大陸全土の魔法使い達が動かない訳がない。地下に潜っていた者、人里を離れひっそり隠れ住んでいた者、都会の喧騒に紛れ潜んでいた者、違う大陸へ渡り迫害を逃れた者……多くの魔法使いを惹きつけるには、2人の存在だけで十分だった。しかも、その2人が魔法使いの国を造ると言っているのだ。国王からの全面的なバックアップもあるという。虐げられてきた魔法使い達が、この話に飛び付かない訳がなかったのである。


 今やコーネットは、魔法使い達で溢れかえっていた。国王からの”魔法使いを認める”という通達のおかげで、集まった魔法使い達が国民から迫害されることもなかった。国民に人気の高かったジャンの言葉が、受け入れられやすかったというのもあるだろう。


 もちろん、魔法使い達の中には、治安を乱す荒くれ者や手を焼くアウトローもいた。しかし、彼らは例外なくシャルローゼの魔法の洗礼を浴びせられる。実力の差、そして自分小ささを心底痛感させられるのだ。


 魔法使い達が、国の軍隊として体を成し始めるまで時間はかからなかった。これはブリッツの指導と誘導の賜物といえる。これまで徹底的に迫害され、泥水を舐めさせられてきた彼らだ。軍隊で活躍できる、武功を上げられる、名誉が得られる。その先に豊かな生活が保障されている。そうなれば、次第に士気も上がり、統率も取れてくるというものである。しかも、得意の魔法を使っての武功だ。得意分野を活かし、それが国家や社会に認められることほど、彼らが望んでいたものはなかった。


 そして革命の原動力の最後は、シャルルの開発した防具である。あの幻といわれた”ダマスカス鋼”にも匹敵する強度の金属を作り上げたのだ。名前を”シャル鋼”という。シャル鋼は不思議な金属だった。強度が高いといいながら、柔らかいのである。柔軟に衝撃を吸収する金属なのだ。しかも、傷が付けば自己修復までする。加えて軽量だ。非力な者でも身に着けることができる。


 シャル鋼を使った防具は、魔法使いの弱点であった接近戦を補ってあまりある。並の剣撃や槍撃では、ダメージを与える事すらできないだろう。堅く重たい鎧を付ければ、魔法詠唱のポーズが上手く取れない。だがシャルル鋼を使った鎧は、身に着けても柔らかく動きやすい。皮の鎧よりも動きやすいと、たちまち評判になった。しかも高い強度まで誇るのである。ブリッツが攻撃魔法の天才だったとすれば、シャルルも鍛冶の天才だったといえよう。姉妹揃って才能に恵まれていたのである。


 こうしてコーネットは、魔法使いを軍隊として保有する、初めての国家として舵を切りはじめた。


――― コーネット王宮、兵士訓練場。


 ブリッツは、大勢の魔法使い兵士 ―――魔法戦士を指揮し、訓練させていた。もちろん彼女は国の要職でも何でもない。しかし戦士達の方は、彼女の実力を嫌と言うほど知っている。彼女を恐れる者、尊敬する者、そして一攫千金を狙う者……様々な動機がそこにはあったが、ブリッツはそれでいいと思っていた。


 実力こそがすべて。戦果を上げられる者であれば規律は自由だ。何よりも、自分があれやこれやと束縛されるのは嫌いだったし、他人を縛り付けることもしたくなかった。だが軍隊においては、規律と命令の順守こそが、戦果をあげることに繋がるのだ。だから、訓練が必要だと思っていた。


「ブリッツのお嬢、いくらなんでも14日間連続で訓練とはちょっと厳しすぎるぜ」

「まったくだ。さっさと訓練を終えて、美味いもんでも食いに行きたいぜ」

「はい、そこ……私語が多いよ。黙って陣形を頭に叩き込んで動いてね」

「「はっ、はいっ!」」


 不満を漏らしていた魔法戦士2名を注意した。だが、彼らだけでなく、多くの者達が過酷な訓練を不満に思っていた事は、ブリッツにも重々わかっていた。


「よし、じゃあ訓練の総仕上げと行こうかな」


 ザワザワと訓練場が騒がしくなる。魔法戦士達は、皆不安な顔をしている。ブリッツが何か思いつく時は、大抵ろくでもないことになる。前回の訓練では、笑いながら悪魔100体を召喚して、城中を大混乱に陥れた事件を起こしたのである。もちろん当の本人は「ただの訓練だよ」とケロりとしていた。


「まずね……各自ペアを作って」


 魔法戦士達は、何をやらされるのかと警戒しながらも、言葉に従って2人1組のペアを作った。


「じゃあ、各組協力して、他のペアと戦おうっか。魔法と武器は一切使用禁止だよ。素手のみで戦うこと。相手の組が降参するか戦闘不能になったら、勝負アリね。で、勝った組の上位300組は1週間の休暇にするよ。残った200組は、罰として毎日格闘訓練してもらうから」


 会場は水を打ったように静まりかえった。


「はい、始めっ!」


 会場は火が入った鉄板のように熱い空気に包まれた。


「おい、ブリッツ。魔法使い達に肉弾戦はキツイんじゃないのか?」

「シャルローゼ、彼らだって戦場に出たらどうなるかわからないんだよ。殴る蹴るをしながらでも、魔法を使わなきゃいけない事だってある」

「なるほどな……では、私は失礼して研究の方をさせてもらう」

「うん、不肖の妹をよろしくね」


 シャルローゼは、火のように熱い訓練場を後にして、シャルルの工房へと向かった。そう、”シャル鋼”は”シャルル”と”シャルローゼ”の合作だった。2人の名前の頭を取って名付けられた金属なのである。


「シャルル、調子はどうだ?」

「あら、シャルローゼ。調子はあまり良くないわねぇ……最後の合成の工程で、どうしても金属が上手く精製されないのよ。10回に7回は失敗するわね。歩留まりが悪いから、魔法戦士達の鎧を作るには、時間がかかるわね」

「成功率3割か……厳しいな。アレは試してみたのか?」

「……嫌よ、あんなの。試すわけないじゃない。どうして焦げたカエルなんかを、私の大切な炉の中に入れなきゃいけないのよ」

「魔法戦士達の方は着々と仕上がっている。中央王都からいつ派兵されてくるとも限らない。時間はないと思っていた方がいい」

「ったく、もう。……仕方がないわね。今晩にでもやってみるわ」

「結果が出たら教えてくれ。ダメならまた別の方法を考えてみる」


 そう言ってシャルローゼは、工房の2階へと昇って行った。シャルル工房の2階は、シャルローゼの研究部屋だった。時折、怪しげな匂いのする液体を持ってウロウロしては、シャルルの金属精製にちょっかいを出していた。それが偶然、”シャル鋼”の開発に繋がったのである。


「……しかし、千年以上も生きる魔女と一緒に鍛冶仕事をするなんてね。こんなに面白いとは思わなかったわ、フフフ。カミラちゃんにも早く見せてあげたいわね、私の新作鎧を。デザインはビキニアーマーでもう決定しているから、あとはとびっきりのシャル鋼を精製するだけよ」


 シャルルがいかに天才的な技術を持っていようと、それはあくまでも鍛冶師の範囲での話である。そこにシャルローゼの魔法的知見が加わることで、飛躍的に武器や防具の生産技術が向上したのである。その技術革新が、シャルルの鍛冶師魂に火をつけてしまった。早々にメンデルへ帰国しようと考えていたが、新しい技術が開発されるたびに、コーネットに残る理由が増えていったのである。


◇ ◇ ◇


 中央王都では、アルベルトの手によって操られた者達が、事件を起こしていた。言わずと知れた要人暗殺である。


 コーネットから脱出したアルベルトは、自分を”神術の使い手”と偽り、中央王都の教会へ取入った。もちろん彼が使うのは、神術などではない。真逆の存在、呪術である。しかし、それをあたかも神術であるかの如く幻覚を見せていたのだ。すっかり信頼した教会は、アルベルトを中央王都の王宮へと紹介した。そこから、王宮の中で徐々に勢力を拡大していったのである。


 アルベルトは、自分の邪魔になる政治家や貴族をことごとく葬っていた。もちろん自ら手を下すことはない。黄泉の力に魅入られた者達を、自分の配下として使っていたのである。中央王都の無法地帯に行けば、いくらでも人材は調達できる。


 力を渇望する者は多い。少し呪術をチラつかせれば、いくらでも人は集まった。中にはアルベルトを神と崇め奉る狂信的な者さえいた。ゼットやソルトもその1人だった。そして、コーネットが魔法使いを集めているという噂は、アルベルトの耳にも入っていた。


「ふん……あの小僧が。こしゃくなことを」


 かつて仕えた主人を”小僧”と呼ぶアルベルト。その正体は、大きな野望持つ邪悪な呪術師だった訳だが、彼にとってコーネットなど取るに足らない弱小国だった。しかし、コーネットが大陸中の魔法使いを集結させているとなれば、話は別だ。大きな力を持つ危険がある。自分の目的の障害になるかもしれない。


 かといって、王都の教会と議会に掛け合って、派兵するには時間が掛かり過ぎる。大き過ぎる役所と権力構造にまみれた王都。兵を動かすことに慎重になる者も多い。派兵に乗じて、利権を奪おうと動く輩もいる。さすがのアルベルトでさえ、迂闊に動くのは危険だったのだ。だから、邪魔になりそうな者達は、あらかじめ排除しておくことにしたのである。


「コーネットを長い間、放っておくのも気に入らんな……」


 アルベルトは手下をコーネットへ送り込むことにした。もちろん目的は国王ジャンの暗殺である。コーネット王室の事は、誰よりもアルベルト自身がよく知っている。先王が逝去してから、王室の力は著しく落ちていた。ジャンの人気だけで持っていたようなものである。そのジャンを殺せば、コーネットは直ぐに瓦解する。


「シャーリーよ、お前に一つ仕事を頼む」


 そう言ってアルベルトが話しかけたのは、陶器のような白い肌を持った黒髪の美女だった。双眸は赤い光を放ち、そして……長く伸びた犬歯が見える。


「アルベルト様、どのような仕事でしょうか?」

「コーネットの国王を殺してこい」

「お任せください。すべてはアルベルト様のために……」


 シャーリーと呼ばれたその女には、影がなかった。静かに澄んだガラスのような声で返事をすると、音もなくその場を離れて行った。そう、彼女は吸血鬼だった。アルベルトはついに吸血鬼さえも、手下としていたのである。


「ふっ、まさか儂の幻覚呪術が、吸血鬼にまで利くとは思わなんだ。嬉しい誤算よのぉ……フヒャヒャヒャヒャ」


 アルベルトは幻覚呪術で、シャーリーと呼ばれる吸血鬼を陥れていた。彼女の五感を徹底的に欺いていたのである。シャーリーの瞳には、アルベルトがバンパイアロードに見えていた。吸血鬼の君主に従うのは栄誉であり、命令には絶対服従だったのである。


 シャーリーは手下も連れず月夜の中、馬を駆った。馬には首がなかった。馬もアルベルトが用意したアンデッドだった。もちろんその鼻先は、コーネットへと向かっていた。


◇ ◇ ◇


 すべてが順調に見えていたコーネットで、唯一問題があったのが教会である。教会は神を信じる領域。悪魔とは相反する。悪魔の使いである魔法使いを認めることなど、断じてできはしなかった。


 コーネットの街には、大きな教会があった。住民の約2割近くが毎週祈りを捧げにくる熱心な信者だ。だが魔法と違って、教会には何の力もない。この国に、神の祝福を受けた”神術”を使える者は存在していない。だから教会は力を求めなかった。ただ平和を祈り、死者の鎮魂を願うことに専念した。


 しかし、魔法使いの保護宣言が出されたのである。教会は、悪魔に魂を売った人間を認めることはできない。だが、現実的に行使できる力がない。だから、彼らは権力という現実的な力に頼った。権力……つまり社会を形成する人間が持つ力である。


 教会の総本山は中央王都である。コーネット教会の牧師は、中央王都へ使者を出し、直ぐにコーネットの事実を、ありのままを伝えたのだ。王都の中央教会からは、直ぐに返事が来た。街を清め、悪魔を殲滅するための聖騎士を送ると。


 コーネット教会の牧師は安堵していた。もしも魔法使いにこの国を乗っ取られでもしたら、自分の存在は危うくなる。そうなれば、教会ごと地位も名誉も収入も失ってしまう。牧師は、人々が信仰を失うことを恐れたわけではなかった。ただ自分の平和な日常が壊れることだけが、怖かったのである。


 自分を守るためなら、何でもしよう。たとえコーネット王の命令だろうと、裏切ってみせる。いや、そもそも裏切って悪魔に魂を売ったのは、コーネット王の方だ、自分は悪くない。牧師はそう思っていた。


 そしてついにその日が来た。ある月の綺麗な晩だった。冷え込む夜に、首なしの馬が闊歩する。馬を操るのは、真っ赤な目をした白いドレスの女だった。アルベルトが派遣した吸血鬼、シャーリーである。彼女はドレスを翻しながら、コーネットの街を駆け巡った。真夜中である。さすがに通行人は皆無だ。彼女の美しくも不気味な姿に気付く者はいない。


 彼女は街の教会に着くと、聖堂へと通じるドアを叩いた。


「夜分にすみません。中央教会から派遣されてきた聖騎士です。ここを開けてください」

 

 真夜中にもかかわらず、牧師は教会の中で祈りを捧げていた。不安だったからだ。そう、数多くの魔法使いが街を闊歩するようになり、夜な夜な教会の周りを巡回する者たちが現れた。迂闊に寝る事もできない。悪魔に寝首を掻かれるかもしれない。当然、彼としては自分が狙われていると考えた。

 

 ただ実際には、柄の悪い魔法使いが、教会近くの酒場で、夜中まで飲んで騒いでいただけなのだが……それでも、立場を失いかけ、怯えきった牧師には十分脅威だったのである。中央教会から派遣された聖騎士は、まさに心から待っていた使者だった。聖騎士ならば、悪魔を滅ぼしてくれるに違いない。天下の中央教会から送り込まれてきた人物なのだ。絶対に間違いはない。そう信じて彼はドアを開けた。


「よ、ようこそおいでくださいました! お待ちしておりました! ささ、早くお入りくだされ。長旅でさぞお疲れでしょう」


 牧師が送った使者は、中央教会にいたアルベルトを頼ってしまったのである。つまり、アルベルトの情報源はこの牧師だった。一方のアルベルトは、コーネットの教会などただの駒としか思っていなかった。だが、拠点造りには使える。シャーリーは、教会の牧師を取り込めと言い含められていた。といっても、吸血鬼が人間を取り込むといったら、できることは一つしかない。すなわち、血を吸って下僕にすることである。


「ありが、とう……」


 ガラスが鳴るような、か細い声で答えるシャーリー。牧師はその姿に強い違和感を覚えた。月夜の晩、扉の前に立つ人間には、影ができるはずだ。だがこの聖騎士にはそれがない。人間、いや実体化した悪魔にだって影はできる。それがないのは、この世の者ではないからだ。


 嫌な予感が牧師の頭を掠めた。


「も、もしや貴女は?」


 そう発した瞬間、シャーリーは牧師の首に牙を立てていた。プツリと甘美な音を立て、皮膚を突き破った2本の犬歯が深々と刺さり、牧師の頸動脈を捉えていた。


「ど、どうして……聖騎士が吸血……鬼に」


 牧師は直ぐに意識を失った。ゆっくりと目を閉じ、自分の絶望的なこれからを呪った。聖職者たる彼が最後に祈ったのは、人々の平和と安寧ではなかった。――― 助かりたい。ただこれだけだった。


 しかし、彼は直ぐに目を見開き、意識を取り戻すのだった。そう、吸血鬼として。もうその顔に不安はなかった。赤く輝く双眸は、まるで宝石のようだった。そして、ゆっくりとシャーリーに向かって跪くのだった。


「ご、ご主人様、ご命令を……」


 その時、教会の外から大きな声が聞こえた。男の声だ。


「おい! この馬、首がねぇぜ!」

「バカいうなよ。首がなかったら死んでるだろーが」

「でも足が動いてるぜ?」

「アッハハハ、本当だ。じゃあ馬刺しにして食っちまおうか」

「あっ、それいいねぇ~ガハハハハハハ」


 どうやら酔っているらしい。近所の酒場帰りのようだ。魔法使いらしき2名の男が、おぼつかない足で歩いている。男達がいくら酔っているとはいえ、妖しい気配を誤魔化しきれるものではない。月明かりにしっかり照らされ、首なしの馬が夜の街に浮かび上がっているのだ。


 シャーリーの新しい下僕となった牧師は、声のする方へと出た。酔った魔法使い達も気が付き、その服装から牧師らしいと判断した。


「牧師さんよ。この馬、あんたのかい? 首がなくなってるぜ、早く何とかしてやんなよ」


 魔法使い達は、牧師の眼が赤い事に気が付いた。ただ赤いのではない。光り輝いている。いくら酔っているとはいえ、彼らも魔法使い。そして、魔法戦士として訓練された者達だ。危険な気配を察知して、素早く杖を構えた。


「フシャーーーーーーーーッ!」


 牧師は生臭い息を吐いて、カチカチと歯を噛み鳴らした。


「牧師さん……あんたいつの間に化け物になってたんだよ」


 そういって魔法使い2名は、杖を振りかざすと、大きな火球を飛ばした。火球は牧師へ向かって高速でぶつかって行った。しかし、それを驚異の跳躍力と反射神経で難なくかわす。吸血鬼の下僕となったことで、牧師の身体能力は飛躍的にあがっていたのである。


「チィッ、……これならどうだっ! ライトニングッ!!!」


 魔法使いが両腕を大きく振りかぶると、空中に大きな稲妻が走った。辺り一帯は青白い電撃の光で満たされ、牧師の体を包み込んだ。普通の人間なら、あっという間に黒焦げになるはずだ。しかし今の牧師は吸血鬼である。電撃を食らい、全身の肉が焦げているにもかかわらず、そのまま魔法使い達の方へ突っ込んできた。もう完全に素手の間合いである。


「そ、そんな、俺のライトニングが利かないなんて……」

「ゴアァァァーーーーーーーッ!」


 牧師の牙は、酔いどれ魔法使い2人の喉に容赦なく突き刺さっていた。血しぶきと大きな悲鳴があがる。数分後、そこには元牧師と元魔法使い達が立っていた。3人とも今や立派な吸血鬼である。吸血鬼に血を吸われた者は、吸血鬼になってしまう。


 下僕の力は、大元の吸血鬼の力に左右される。シャーリーは吸血鬼の中でも、特に能力の高い”ハイバンパイア”であった。牧師に魔法がまったく利かなかったのは、ひとえにシャーリーの能力の高さといえよう。通常ならば、いくらバンパイアの下僕であっても、半分は元人間である。相応の魔法であれば、多少は堪えるはずなのだ。それがまったく利かないのである。下僕であっても、魔法で斃すのはかなり困難だろう。


 この事件以降、教会は日没と共に門を開け、日の出と共に門を閉ざすようになった。祈りを捧げにくる信徒は、大層不思議がっていたが、牧師が日光を浴びると皮膚が爛れるアレルギーにかかってしまったという話を聞き、納得していた。


 教会にはもう一つ変わったことがあった。牧師の傍らに、いつも白ドレスの美しい女がいるのである。牧師の親戚だというが、この世の者とは思えない美しさに、信徒から街中へ噂が伝わっていった。美女を目当てに教会を訪れる者も増え、たちまち評判になっていった。もちろん、その評判はブリッツやシャルローゼの耳にも入っていた。


「シャルローゼ、あの噂、知ってるよね?」

「……あの噂? どの噂だ?」

「教会の美女だよ」

「ああ、美女目当てに新しく信者になる者が増えているとかいうアレか」

「うん、それそれ。でもね、ちょっとおかしなところがあるんだよね」

「何だ?」

「その美女、眼が赤く光るって話があるんだよ」

「ほう……つまり人間ではない可能性があるのか? だが眼が光る人間もいるだろう。たとえば、カミラもそうだな」

「それだけじゃないんだよ。教会の周りで、首のない馬が走っているのを見た人がいるんだ」

「それは興味深いな。首なし馬といえば、アンデッドの乗り物だ。まさかとは思うが……この街にアンデッドが入ってきているということか?」

「わからない。でも最近何人かの魔法使いが、教会の信者になったって話もあるよ」

「魔法使いが? そんな馬鹿な。悪魔を信じる者がどうして神の信徒になる!? その謎の美女とやらに下心があって近づいているだけだろう」

「うーん、ちょっと探りを入れる必要があるかな?」

「そんなに気になるのか……まぁいい、念には念を入れておいて間違いはなかろう」

「じゃあシャルロ~ゼ~、調査お願い!」


 ブリッツは両手をパチンと合わせ、シャルローゼを拝むと、ニッコリと笑った。


「……仕方がないな。どうせ下らない話しか出てこないと思うぞ。それでも私のせいにするなよ」

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