第64話 エルフの契約
いつものように貴族の邸宅を訪問し、家へ戻る。今日も愛想笑いをし過ぎてヘトヘトである。肉体的には元気なのだが、何となく疲れている感じがする。この疲労感は独特だ。温泉にでも浸かって、ゆっくりしたいよ。
ブラッドール屋敷の前まで来ると、大きな人影が見えた。男だ。屋敷の玄関前に立って、家を見上げている。今は俺も長身だが、それよりもさらに大きい。何よりも身体つきがいい。服の下から湧き上がるような肉感が、ありありと伝わってくる。骨格もいいが、筋肉も相当なものだ。俺は直ぐに気が付いた。知り合いの中で、こんなに肉付きのいい男子は彼しかいない。そう、ディラックさんのお兄さんのガレスさんだ。
確か留学していたハズだったけど、もう修学したのだろうか? イオさんは近衛師団長の就任のために、早目に切り上げてきたと話してたけれど、ガレスさんはまだ勉強していると言っていた記憶がある。
大きくて立派な体にもかかわらず、運動神経ゼロで、得意分野が政治学と経営学というのだから、世の中上手くはできていない。誰がどう見ても、次男のイオさんが議員になって、長男のガレスさんが騎士団長か近衛師団長ってのが、収まりがいいのだけれどね。
「あのー、ガレス様?」
「は、はい。いかにもそうですが……」
ガレスさんは、突然話しかけた俺に向かって、怪訝な顔で言葉を返してきた。
……そうだった。ガレスさんには、俺が成長して大きくなった姿って見せてなかった。突然見知らぬ人から、名前を呼ばれたら、誰だって警戒しちゃうよな。
「わ、私です、カミラ=ブラッドールです!」
「えっ、あっ? ……カミラ?」
「はい。訳あって急に体が成長してしまったんです。お話は伝わっている思っていたのですが、ご挨拶できずに申し訳ありませんでした」
ガレスさんは、まじまじと俺の顔を見つめてきた。そして、頭にポンと手を置き、腕やら腹やらを興味深そうに触ってきた。うう、くすぐったい。
「……確かによく見てみれば、カミラの面影がある。まさかこんなに大きくなっていようとはなぁ。驚いたよ」
腕を組み、しみじみと感慨深かげに頷くガレスさん。驚いてはいるようだが、事実を冷静に受け入れてくれている。ヴルド家次期当主として、肝が据わっている。安易に感情に流されない落ち着きというか、そういうのはやっぱりイオさんやディラックさんとは違う。長兄の貫禄というヤツだろうか。
「こちらにいらっしゃるということは、修学されたのですね?」
「ああ、ちょうど昨日の夜に帰ってきたんだ。一晩中ディラックとイオから、ここ最近のメンデルの動きを聞かされて、ほとんど寝てないけどな、ハハハ」
「そうでしたか。立ち話も何です、屋敷の方へお上がりください」
「”お上がりください……か”。あの小さな娘が、本当にいい大人になったな」
ガレスさんが、ボソっと父親みたいな台詞を呟いた。
妹みたいな小娘だと思っていたのが、突然長身娘になったんだから、そういうおっさんくさい台詞もわからなくもない。うん、アレだ、そうそう……久しぶりに会った親戚の子が、いつの間にか自分に懐かなくなって、大人対応されちゃったりするアレだ。俺も日本では姪っ子がそうだったから、気持ちはよくわかるよ。自分が歳を取ったと、嫌でも実感させられちゃうんだよね。
レンレイ姉妹が珈琲を淹れている間に、ガレスさんから他国の話を聞き出そうと思っていた。俺がこの世界で知っている外国といえば、唯一コーネット領だけだからね。ほとんどメンデル領から出たことがないと言ってもいい。一度は国外を巡る旅に出てみたい。
だけど、ガレスさんの口から飛び出したのは、意外な話だった。
「今日来たのは他でもない、俺が留学先で聞いた不吉な噂の件だ」
「……不吉な噂、ですか?」
「留学の最終学期、中央王都から来た教師に教えを受けていたんだがな、その教師から、ある事件の話を聞いたんだ」
「中央王都で、何か騒ぎが起きているのでしょうか?」
「そうだ。大騒ぎになっている」
中央王都といえば、嫌でも仇敵アルベルトを思い出してしまう。アイツがそろそろ動き始めたのだろうか? いや、アイツの場合、動くとしても徹底的に身を隠して、秘密裏に進めるはずだからな。何か事を起こしたとしても、巧妙に他の事件でカモフラージュするはずだ。そのための幻覚呪術だしね。表立って噂で伝わるということは、アイツの仕業ではないだろう。
「要人の暗殺が頻発している。しかも首謀者は、メンデルの貴族議員だという話だ……」
「そんな、どうしてメンデルの貴族が中央王都で要人暗殺を?」
「理由はわからん。暗殺の犯人は自ら名乗って、堂々と殺しをやって回っているらしい」
「でも、中央王都には優秀な騎士や兵士がたくさんいて、護衛も強固なのではありませんか?」
「そうだ。だが、そのメンデル貴族は、強い防衛網もやすやすと突破してしまうらしいぞ。何しろ、剣や槍などが利かないそうだ」
「……魔法、でしょうか?」
「当然そう思って魔法で応戦した者もいたらしい。しかし、魔法もまったく利かなかったそうだ」
剣などの物理攻撃や魔法が利かないとなると、もう考えられる可能性は一つしかない。考えたくはないけど、アレしかない。
「……黄泉の力」
「その通りだ。呪術を使うメンデル貴族なんて俺は知らない。でも、その男はきっちり名乗ったそうだ。ソルト=エルツとな」
……なんてこった。ソルトの野郎、姿をくらましてどこへ行ったのかと思えば、中央王都で呪術師になってやがったのか。
ソルトが呪術を使うとなると凄く厄介だ。ただでさえ行動が読めない男だ。おまけに、何が飛び出すかわからないビックリ箱みたいな魔法石を駆使してくる。そんなヤツが呪術を使うとなったら、超危険人物どころの話じゃない。野に解き放たれた餓えた狼みたいなもんだよ。幸いにも、あの特殊な性格が災いして、”一匹狼”タイプだから、集団戦に対応できないという弱点はあるけどね。
「多くの仲間がいるらしい。ソルト=エルツと名乗る男は、突然現れたり消えたりする不思議な軍を率いているそうだ」
そんな馬鹿な……。あのソルトが他人を指揮するなんて、ありえないだろ。もし本当にあの男が軍隊を持っているとしたら、とんでもない脅威だ。中央王都で一体何をやるつもりなんだ? 誰かの指図を受けて、大人しく従うようなヤツじゃないから、要人暗殺にも何か意図があるのかもしれない。
「いきなり不吉な話で悪かったな。ディラック達とも話はしたのだが、呪術とアンデッド対策はしておかねばなるまいな。と言っても、我々では何をどうしてよいのやら分からない……」
黄泉の力に対抗できるのは、黄泉の力だけ。アンデッドを斃せるのはアンデッドだけ。これがこの世界の原則だ。もしソルトが、メンデルへ攻入ってくるようなことがあれば、こちらも呪術師を用意しておくほかないのである。一応、俺も呪術の一端を使えはするけど、相手が相当数の軍隊となれば、対処できるのはたかが知れた範囲だ。もっとたくさんの呪術師が必要になる。
「……こちらも呪術師の数を揃えるしかありませんね」
「呪術師自体が希少だ。見つけることができたとしても、協力してもらうのは難しいかもしれないしな」
「そう、ですね……」
こればっかりは、さすがにどうしようもない。シャルローゼさんにお願いしても、無理なものは無理だろう。
『獣王様、アンデッドを斃すことはできませんが、封じることができる者達がいます』
その時、ヴァルキュリアが会話に中に割って入ってきた。と言っても、俺の頭の中に声が響いているだけなのだが。
『本当ですか? その者達というのは、どこにいるのですか?』
『先日お話ししたエルフ達です』
『エルフがアンデッドを? ……どうして?』
『彼らは姿形こそ人間風ではありますが、極めて精霊に近い存在です。幽体や悪魔に干渉しやすい立場なのです』
そういえば、ディラックさんのモンスター講義で聞いた記憶がある。悪魔や精霊は、人間の世界に干渉することが難しい。現れる時は、実体のない薄っすらとした存在だ。黄泉の世界の幽体もしかりだ。だから奴らがこの世界に実体として現れるためには、依代が必要になる。アンデッドを実体化させるには、死体が必要になる。エルフは実体こそあるものの、精霊に近い存在。アンデッドの基になっている幽体に干渉することができる。
『斃すことはできなくとも、死体と幽体を分離して、一時的に無力化することができます。再び呪術を掛けられると、元に戻ってしまうかもしれませんが、それには数日かかるでしょう。戦いには十分使えるかと思います』
『十分です。よく教えてくれました、ヴァルキュリア』
『はっ、光栄です。これで私もそろそろ”スマホ”を名乗ってもよろしいでしょうか?』
……それ、まだ覚えてたんだね。頼むからもう忘れてくれよ。
『いえ、まだダメです。”スマホ”の称号は究極の栄誉です。侮ってはいけません』
『申し訳ございません、これからもなお一層精進いたします』
『ええ、期待していますよ』
ふぅ。危ない危ない。もうこの手もしんどくなってきたな。ちゃんと本当の事を話すタイミングを逸してしまった。でもなぁ、「スマホ」なんて言っても、ヴァルキュリアに理解できないだろうしなぁ。……どうしようかな。もう本当に”栄誉の称号”にしちゃおうかな。
「カミラ! 何をボンヤリしているのだ?!」
念話に集中していた俺に、ガレスさんが大声をかけてきた。念話していると、つい現実が疎かになっていけないな。
「す、すみません。アンデッド対策は、何とかなるかもしれません」
「本当か?! どうするのだ?」
「エルフに助力を仰ぎましょう」
「……エルフか。人間が接触するのは難しいのではないか? 接触できたとしても、こちらの願いを聞いてもらえるとは、到底思えんが」
以前のヴァルキュリアの話では、俺は特別枠でエルフに会うことができると言ってたけど……。そうか、エルフがヴァルキュリアと念話できるなら、俺からエルフへも直接念話できるのかな。
『ヴァルキュリア、エルフと念話させてください』
『もちろんです。少々お待ちを……』
念話が長くなりそうだし、その間、少しガレスさんが放置状態になってしまう。レンレイ姉妹に工房でも案内してもらっておこう。ガレスさんの憧れは、実は鍛冶師だって言ってたし、本人も興味はあるだろう。時間を潰してもらうには、うってつけだ。
「ガレス様、これから私は少しエルフと話をしてみます」
「……ここでか?」
「はい、少々特殊な方法ですが、何とか話ができそうなので」
「ふむ、わかった」
「お話が長くなるかもしれません。レンとレイに工房の方を案内させます。どうぞその間、ご自由にご覧になっていてください」
途端にガレスさんの顔が明るくなった。さっきまでは、厳つい表情のお兄さんだったが、少年のような目をしている。よほど鍛冶仕事に憧れているんだろうな。
「実はな、今日ここへ来たのも鍛冶仕事を見せてもらいたかったんだよ。やっぱり一度は、自分で何か作ってみたくてなぁ」
「ちょうどよかったです。エルフとの話がひと段落したら、お父様に頼んでみます」
「ほ、本当か!? ……フフフ、これでこそ来た甲斐があったというものだ」
ガレスさんが握りこぶしを作って小さくガッツポーズしてる。やる気満々だ。手先は器用そうだし、力と体力だけは有り余っているだろうから、案外良い鍛冶仕事をしてくれるかもしれない。まぁ、貴族の御当主様が、鍛冶仕事なんて前代未聞だけどね。
『獣王様、エルフ族の長老と念話ができます』
『ありがとう』
レンレイ姉妹とガレスさんが、ドアを閉めて消えると同時に、高く済んだ声が頭の中に響いてきた。
『獣王。私はエルフ族の長老です。何用ですか?』
『私はカミラ=ブラッドールといいます。1つお願いがあります。呪術を封じる力を貸してください』
『……なぜ、私達が貴女に力を貸さねばならないのですか?』
いけない。切るべきカードを俺は持っていなかった。そりゃ見返りがなければ、普通は力を貸してはくれないよな。ギブアンドテイクがビジネスの基本だぜ。
『何か、お困りの事や欲しい物などありませんか?』
『…… ―――』
エルフ族の長老様は、ダンマリのご様子だ。お互い顔が見えない初対面、下手な小細工より、直球勝負の交渉の方がいいだろうと思った。しかし、こういうやり方は、エルフ族のお好みではなかったかもしれない。
『そうですね、金貨1000万枚を要求します』
……おいおい、エルフって高潔な妖精で、世俗にはまみれない自然を愛する種族じゃないのか? いきなり金銭を要求してくるとは……俺の知ってるエルフじゃない! しかも金貨1000万枚って何だよ! えげつない額だよ。世俗にまみれまくってるじゃないか、もう。
『どうして、それほどの大金が必要なのですか?』
『国を造るためです。金で人間からエランド領の土地を買います。そこにエルフ族の国を造り、自然をこれ以上人間に荒らされないようにしたいのです。人間と交渉するには、国を造るのがいい。国があれば、人間は話を聞いてくれます』
なるほど、そういう狙いだったのか。無鉄砲に戦争を仕掛けてくるよりは、そういう交渉の方が全然いいと思う。さすがは長寿のエルフ族だ。ちゃんと相手の土台で勝負して勝つという、理をわかっている。”人間は皆殺しにする”といきり立つ獣達とは、違うということか。
うーん、だけどどうしたものか……。お金なんて持ってないし。
『大金を払うのは無理ですが、エルフ族の国を認めましょう。私は数年後、メンデルの王になる予定です。即位の暁には、必ずエルフ族の国を認めると約束します』
『ほう、面白いことになっているのですね。獣王が人間の国王とは……』
『その即位に、貴方達の力が必要なのです』
『わかった力を貸しましょう、と言いたいところですが、口だけでは信用なりません。何か担保をください』
担保? 随分としっかりしたエルフだな。まるで金融業者みたいだ。まぁ、長老ともなれば一族の存亡を背負う立場だから、俗っぽくても使える物は何でも使うって考えなのかもしれないね。しかし、担保か……。一体何を渡せばいいんだろうか。家とかじゃダメだろうな。大金に代わる担保となると、やはり人質か。俺が人質になっても構わないけど、それだと選挙活動ができなくなる。かといって、家族を出す訳にはいかない。
『一体何をお望みですか?』
『……契約書を交わそう』
『契約書?』
『人間は取り決めを反故にしないよう、紙に書いてお互いが保存しておくのでしょう?』
『え、ええ、そうですけど……』
『では決まりです。早速用意させましょう。書類をヴァルキュリア殿に託します。血判を押したら1部を送り返してください』
驚いた。まさかエルフ族が、契約書を交わすなんて。そんな物凄く人間っぽいものでいいのだろうか。俺はてっきり、人質か高価な魔法の品を寄こせ、というのだと思っていた。
『ただし、エルフ族が交わす契約書はただの契約ではありません。もし、契約が果たせない場合、血判した者の命を奪います』
……やっぱりタダじゃ済まないよな。普通に死の契約だったか。エルフ族だから契約書に魔法がかかっているとかいうんだろうな、きっと。こりゃあ、命懸けの選挙公約じゃないかよ。もっと真面目に選挙活動しなきゃいけない。自分の命がかかってるんじゃ、必死にならざるを得ないよ。この世界のエルフさんは怖い。俺の中のエルフのイメージが、一気に変わったよ。
こうして何とか、エルフ族の協力を取りつけることができた。かなりのリスクを背負ってしまったけれど、今の俺には担保にできるような物がないから仕方がない。
エルフ族と話し込んでいたら、大分時間が経ってしまったようだ。ガレスさんが気になる。いくら鍛冶に興味があると言っても、さすがに放置し過ぎてしまったかもしれない。
工房へ急いで向かってみると、楽しそうな声が聞こえてきた。ドルトンさんの声だ。そしてガレスさんの声も聞こえる。よかった、どうやらドルトンさんが相手をしてくれていたみたいだ。ドルトンさんの鍛冶に賭ける情熱は、並大抵じゃない。きっとガレスさんの旺盛な好奇心も満たしてくれるはずだ。
「いやぁ、ガレスの旦那は本当に筋がいいですぜ。お世辞抜きにいいますけど、直ぐにでもいい剣が打てそうですぜ、ガハハハ」
「ドルトン殿、貴殿を師匠と呼ばせて頂いてもいいですかっ!」
「いやぁ、天下のヴルド家の次期当主様に”師匠”だなんて、ガハハハ」
ドルトンさんは、お世辞やウソが言えない人だ。ケレン味のない物言いが、たまに誤解を招くけど、裏表のない人柄が職人っぽくて俺は結構気に入っている。
……ということは、ガレスさんは本当に才能があるのか。
羨ましいな。俺なんか魔剣製造機だから、才能うんぬんする以前の問題なんだぞ。
「ガレス様は、鍛冶の才能をお持ちなのですね?」
「おお、カミラか。師匠の教え方が上手いのでな。鍛冶というものの一端を体験することができた。やはり奥が深い分野だな。カミラ、このような素晴らしい家に入ることができて、羨ましいぞ」
「ありがとうございます。ところで、エルフ族との交渉ですが上手く行きました。ディラック様へもお伝えください」
「ほう、あの気難しく狡猾なエルフ族との交渉を……。一体どんな魔法を使ったのだ?」
「契約を交わすことにしました」
「……まさか”エルフの契約”をしてしまったのか?」
「はい。まだ口約束でしかありませんが」
その場に、なんとも言えない空気が流れた。ドルトンさん、ガレスさんともに顔色が悪い。完全に表情が凍ってるぞ。……もしかして、俺はまずいことをやってしまったのか?
「エ、エルフの契約は死の契約だぞ、それを承知で?」
「はい、そうですけど……」
「馬鹿者っ! のん気に構えている場合ではなかろう!」
「でもガレス様、私が即位して、きちんと彼らとの契約を履行すればいいだけかと」
「そ、それはそうだが、命がかかっているのだぞ? 万が一があったらどうする!?」
「……大丈夫ですよ。私は皆さんを信じていますし」
「ったく、何ということを……近い将来、王になろうという者が軽はずみな行動を」
鍛冶ネタで大喜びしていたガレスさんが、一気に不機嫌になってしまった。俺の事をそれだけ心配してくれているみたいだな。でも、こうでもしないとあのソルトを止めることができない。ソルトの恐ろしさは、誰よりも俺がよく知っている。きっとアイツは戻ってくるだろう。その時、後悔だけはしたくない。万全の上にも万全を期したい。
「ごめんなさい、ガレス様。ご心配をおかけしちゃいました」
「お、おう……まぁ、仕方がない。こうなったら、何があってもカミラを即位させねばならん。俺も全力を尽くそう。何よりも、可愛い妹の命がかかっているのだからな」
そう言ってガレスさんは、俺の頭に手を乗せ、まるで子供をあやすように撫でる。まだみんな、小さいままのカミラをイメージしているんだろうな。うーん……。
その時だった。
ガレスさんが、足元に落ちていた燃焼石に気が付かず、一歩踏み出した拍子に思い切り踏みつけてしまった。結晶化した燃焼石はかなり堅い。踏みつけたくらいでは、割れない。しかも火床に使うために、角を削り丸くしてある。つまり滑りやすいということだ。
予想通り、ガレスさんは派手に転んだ。しかも、俺の方に思い切り倒れてきた。ここでかわすことはできるが、そうなると運動神経ゼロで超重量級のガレスさんは、石の床に顔面を強打してしまう。しゃあない、俺が受止めるしかないよな。
獣王の力を発揮するには、少し時間が足りなかった。仕方がないので、俺が下になってガレスさんを支え、床に激突するのを防いだ。まぁ、完全にガレスさんの下敷きになったって感じだけど。俺の体も大きくなった分、強くなっている。かなり重いが、怪我はないようだ。
「す、すまん、カミラ。大丈夫か?!」
「ええ、大丈夫です」
ふと顔を上げると、ちょうどディラックさんが工房に入って来ていた。なんというタイミングだろうか。この場だけ見たら、ガレスさんが俺の事を押し倒しているようにしか見えない。ああ、誤解される要素が満載な気がする。
「な、何をしているんですか、ガレス兄さん!?」
「ディ、ディラック! こ、これは違うのだ、その、あの……誤解だ」
ガレスさん、頼むぜ。ここは毅然とした態度で、滑舌よく説明して欲しい。
「何が誤解だというのですかっ?! 留学から帰ったと思ったら、まさかカミラ殿に手を出すとは……我が兄とて許しません」
ああ、もう展開が予想通り過ぎて泣きたくなった。ドルトンさん、ぼんやり突っ立ってないで、フォローしてくれよ。
「ディラック様、これは違います。ガレス様が転んだのを、私が受止めたところなのですよ。ほら、そこの燃焼石を踏んでしまったのです」
「そ、そうだ……ディラック、お前の思うようなやましいことなど、何一つないぞ!」
危ない。今チラッと剣を抜こうとしてたぞ、ディラックさん。そこまで俺のことを思ってくれているのは嬉しいが、何とも言えない気分になってきた。だって、表面的には美しいかもしれないけど、一皮剥いたら、おっさん(38)の上に、ガタイのいいおっさんが乗って、それに勘違いして嫉妬しちゃった青年の絵なんだぞ。
……いかん、客観的に想像したら、気分が悪くなってきた。
「カミラ殿、顔色が悪いですよ。もしや兄上を受止めた時に怪我を?」
「い、いえ……私は大丈夫です。ガレス様がとにかく無事でよかったです」
あの人工呼吸の一件以来、ほとんど毎日ディラックさんと一緒に選挙活動をしている。だけど、そろそろ結論を出してあげないとまずいのかもしれない。ディラックさんが俺、というかこの体の持ち主に惚れているのはわかった。だけど、どうしていいのかわからない。いや、わからないなりにも結論を出してあげないと、彼が可哀想だ。いつまでも先延ばしにしていたら、ディラックさんはずっと俺に引きずられてしまう。彼自身の人生を縛ってしまうのだ。
……よし、決めた。話をしよう。
結局その後、エルフの契約の事で、またディラックさんに怒られてしまった。あまりにも説教が長くなりそうだったので、ガレスさんが止めに入るくらいの剣幕だった。それだけ心配してくれてるってことだよな。幸せ者だよ、この体の持ち主は。
俺は彼らが帰る時に、ディラックさんだけを呼び止めた。
「ディラック様、少しだけお話をよろしいですか?」
「どうしたのですか、改まって」
「この前の、いえ、告白の返事をしなければと思いまして」
ディラックさんは、真剣な眼差しだ。この気持ちに答えなきゃいけないよ。俺がもし、本当に心の底まで女だったら、きっとディラックさんを好きになっている。これほど誠実で優しくて、性格イケメンはまずいない。能力も凄いし、身分も職位も言う事なしだ。女が惚れない方がありえないだろ。まぁ、顔は美形とは言えないけど。それと、欠点は隠れおっぱい星人なところくらいか。ただ残念ながら俺は男だ。どうしてもまだ抵抗がある。これは自分でもどうしようもないんだよ。
――― ゴクリ。
ディラックさんの唾を飲む音が聞こえてきた。緊張しているのだろう。いや、俺も男だからわかるよ。心底惚れた女に告白して、その返事を貰うなんて、緊張して足が震えるから。
「ディラック様、ずるい女と後ろ指を指されるかもしれません。でも、即位するまで待っていただけませんか。即位してすべてが終わってみないと、自分の心に整理が付かないのです。申し訳ございません」
「……も、もちろんです。私はカミラ殿の気持ちがどうであれ、一生を費やして貴女を守るつもりです。余計なお気遣いは要りませんよ」
ニッコリと精一杯の笑顔で応えてくれる。本当にいい人だよ。……何とかして彼を幸せにしてあげたい。こんないい男が、一生独身のまま、叶わぬ相手を追い続けるなんて悲し過ぎるよ。不幸にしている張本人の俺が言うのもなんだけど。ローリエッタさんでも、シャルルさんでもいいから、早くくっついて欲しいよ。
「それとですね……カミラ殿、私は一生貴女を愛し続けるつもりですよ。たとえ貴女が他の男性と結ばれるとしても」
あう。ダメだ。
ディラックさん、それは”不幸フラグ”というのだよ。
ディラックさんと別れ、家に入った俺は、正直言ってかなり落ち込んだ。自分の存在がディラックさんの人生を奪ってしまっているようで、心苦しい。男心もわかる分、罪悪感が半端ない。彼が俺に拘らず、自由に恋愛していれば、今頃誰かと幸せになっているかもしれないのに。
ゆっくりとベッドに倒れ込む。柔らかい。だけど、今日のベッドはなぜか冷たく感じるよ。
「カミラ様、どうなされました?」
「レンさん、この国の男性は、どうして女性に一途な方ばかりなのでしょう?」
「私は恋愛をした事がございませんので、わかりかねます。ですが騎士たるもの、一度守ると決めた女性は一生涯命をかけて守るのが美徳であり、理想とされています」
「それでディラック様も……」
「はい。私のようなメイドが、口を出す事ではございませんね。大変失礼いたしました」
レンさんは丁寧にお辞儀をすると、パタンとドアを閉め、静かに出て行った。きっと俺に気を遣ってくれたのだろう。俺の眼尻には涙の痕があったからね。鋭い彼女なら気が付いていたに違いない。




