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第62話 契約と条約

 俺はディラックさんと共に、毎日選挙活動に勤しんでいた。まさに草の根選挙である。ヴルド派の貴族を一軒一軒回り、丁寧に挨拶をしていくのである。ありがたいことに、誰もかれもが好意的だ。だが今回はこれが仇になっている。何しろ戸数にして100軒以上もあるのだ。親切心で「ぜひ上ってお茶を飲んでいって」「食事を取っていって」「うちの子に名前を付けてあげて」「ぜひ肖像画を描かせて欲しい」とか言ってくる。とにかく時間がかかってしまう。


 皆さん、親交を深めようと気を遣ってくれている。当選、もとい即位した後はよろしくね、という下心もあるのだろう。しかし、こちらとしても断わる訳にはいかない。リクエストにはすべて笑顔で対応である。


 訪問している間に、さらに恐ろしいことが起きた。貴族議員だけでなく、その親類縁者にも挨拶をして欲しいと頼まれ、都合500軒以上にノルマが増えてしまったことだ。


 中にはメルクさんのように、服飾が趣味の貴族もいて、丸一日着せ替え人形役で終わった日もあった。


「……お、王族になるって大変なんですね」


 俺はディラックさんにぼやいてしまった。だってもう、本当に辛いんだよ……。毎日愛想笑いってのは。これなら、爺さん師匠にしごかれていた方が、まだ気楽だったかもしれないぞ。


「タハハ、申し訳ありません。辛いのは即位するまでですよ。さぁ、次に行きましょうか……」


 力なく笑うディラックさん。鋼の肉体を持つ騎士団長でも、疲労しているのが見て取れる。ある意味、今は精神修養だよな。ディラックさんは、生まれた時から貴族達と深い付き合いをしている。社交界や政治派閥での付き合いも経験豊富なはずだ。その彼でさえ、この疲労度だ。場に慣れていない俺の疲労度たるや……


「カミラ殿、次の訪問先は特別な家です。気を引き締めて参りましょう」

「特別な家?」

「そうです。”立会人”の家です」


 ディラックさんによれば、”王印の儀式”の立ち会いは、伝統的にある貴族が行うことになっているそうだ。都合、ここ400年は出番なしの役ということになるが、本来ならば今から訪問する家の当主が、儀式の進行を務めるのだそうだ。王印の儀式が正式なものだと主張するには、その貴族に認められなければダメらしい。


 北地区を外れて貴族街を抜け、さらにメンデル城の北側へ進む。つまり旧エランド領へ近づいているということだ。


「どこまで行くのですか? このまま進むと、旧エランド領へ入ってしまいますよ」

「ええ。立会人の家は、エランド領との国境付近にありますので……」


 エランド領との国境付近といえば、相当な田舎である。別荘としての家なら理解できるが、本宅として居を構えるにはかなり不便な土地だ。大きな河があるので、水には不自由しないだろうが、基本的に店がない。市街まで買い物に出るにしても、メンデル城がどっかりと乗っている巨大な高台を越える必要がある。


 ハッキリ言うと、自給自足でもしない限り、相当に住みにくい場所だ。狩を生業としているなら別だが、ディラックさんの口ぶりだと、その立会人は貴族。貴族が人里離れた土地で、一体どういう生活をしているのだろうか。よっぽどの変わり者なのは間違いない……気になるな。


 程なくして大きな屋敷が見えてきた。屋敷といっても、貴族街でよく見るレンガや石造りの建物ではない。木で出来ている。豪華なログハウスと言ってもいいだろう。家の周囲には樹々が覆い茂り、天然の生垣になっている。古きよき野性味溢れる家だ。自然派志向の当主なら、さもありなんだな。


 貴族の中にも、街の喧騒を嫌って、自然豊かな土地へ移り住む人がいるのかもしれない。どちらにしても、街中でイメージする貴族の家とも、田舎にある普通の民家ともまるで違う。そう、一言で表現するなら”自然の家”だ。


「着きました。この家です」

「……これはまた、随分と自然に満ちた家ですね」

「ええ。壁のほとんどが蔦で覆われてますし、庭も植物が密集してますからね。私も初めて訪れた時は驚きましたよ」

「ディラック様は初めてではないのですね?」

「はい、王印の儀式の立会人ですから、エルツ家が狙ってくるとすればここもあり得るでしょう。直ぐに護衛をつける算段をしたのですが……」


 辺りを見ても、騎士や兵士の気配はない。ワイルドな森と畑が広がっているだけだ。地面を見ると、獣の足跡がたくさんある。この辺境なら野生生物も多いだろうな。まぁ逆に俺にとっては、部下たちが多いってことになるのか。でも俺達の他には人間の足跡がない。


「護衛は必要ありませんでした」

「……必要ない? どうしてですか?」

「その理由は屋敷に入ってみればわかりますよ。いろいろと複雑な事情もありますし」

「は、はぁ……」


 ディラックさんが勿体ぶっている。俺にも関係の深い、”何か”があるのだろう。だけど、もう何が起きたって驚かない自信があるぞ。


 ドアをノックして声をかける。


「メンデル騎士団長のディラックです! 今日はカミラ殿を連れてきました」


 木製の重厚なドアは、直ぐに開いた。俺達がここへ来るのは、だいぶ前から把握されていたらしい。相手は気配感知ができるみたいだ。


 開いたドアの向こうには意外な顔があった。俺の知っている人物、いや違う……知っている人物によく似ている。


「……ルビア、さん?」

「娘が世話になっているようですね」

「ということは、ルビアさんのお父さん?」

「はい。そして王印の儀式の立会人です」


 なんと、驚いた。貴族だというので、てっきり人間だと思っていた。まさか立会人が、獣の長の一族だったとは。それでこの自然味溢れる家なのか。メンデル領と旧エランド領との国境にあるのも理解できる。ルビアさんだけが、エランド語に加え、メンデル語を操れたのも納得だ。しかし、人間からは距離を置く彼らが、どうして王印の儀式の立会人なんだろうか。しかも、貴族という爵位まで与えられている。何か歴史的な経緯がありそうだね。


「ささ、お入りください。あまり人間用にはできていませんが、客間なら十分お寛ぎいただけるはずです」


 ルビア父さんは、やはりサーバルキャットを人間にしたような感じだ。全身がフサフサの毛で覆われている。ピンと立った長い耳、そして鋭い猫目。正直、あまり個体差の見分けはつかないけどね。でもお父さんはやっぱり雄って雰囲気がある。女性特有の丸みがない。堅い筋肉の存在が布越しにも伝わってくる。……野生(ワイルド)だぜ。


 うん、これなら確かに護衛の必要はないよな。万が一不逞の輩が現れても、森の獣達に返り討ちにされてしまうだろう。


 客間は、意外なほど人間味溢れる部屋だった。ちょっと狭いが、普通の貴族の屋敷と何ら変わるところがない。客人として迎える人間向けに作った部屋なのだろう。


「改めてご挨拶を。立会人のルビオンと申します。どうぞよろしくお願いします」

「カミラです、こちらこそよろしくお願いします」

「……本当にメンデル王族、しかもエランド直系の方がいらっしゃるとは……」

「ええ、本当のようです」

「さらに驚いたことに、獣王……様なのですよね?」


 ふむ、その辺はルビアさんから筒抜け状態だろうから、今さら説明するまでもないか。


「エランド直系王族にして獣王……ぜひ我々獣の長一族からも、カミラ様の即位を心から伏してお願いしたいところです」


 そういって深々と頭を下げてくるルビオンさん。それはもういいんだけど、どうして獣の長一族が立会人になっているのか、教えて欲しいところだ。


「まぁ、我々獣がどうして立会人なのか、ご説明は必要でしょうね」

「……はい、ぜひお願いします」


◇ ◇ ◇


 話はエランド黎明期まで遡る。つまりミカさんが生きていた時代だ。この時代、まだエランドは小さな国だった。街の規模も細々としたもので、人口も少なかった。人間の土地が2割、獣達の土地が8割といったところだろうか。そしてミカさんがシルバードラゴンと化した頃から、産業は隆盛を極め、人口が爆発的に増え始めた。当然、獣達の土地を人間が奪う形になる。


 ついには、人間の土地が8割、獣達の土地が2割という状態になった。獣達の土地は、開墾され田畑となり、街ができ、多くの工房が建設されていった。開発が急速に進み、自然は取り戻せないところまで来ていた。


 獣達は争いを避け、新しい生息地を求めて今のメンデル領へと大移動をした。しかし、エランド王国は、メンデル領まで人間の土地にしようとしていた。そこで争いが起きた。だが、相手はシルバードラゴンを擁する軍だ。森の中では圧倒的な地の利を誇る獣達も、シルバードラゴンのブレスと強大な魔力の前には、なす術がなかった。


 だから獣達は、森の奥深くに潜んだ。さすがの人間達も追うことをやめた。だが窯業や鉱工業が発達するにつれ、さらに多くの木材を必要とした。人間はついに獣達が潜む森にも手を付け始めた。大規模な伐採が進んだのだ。獣達はゲリラ戦で応戦した。しかし、シルバードラゴンが出てくればまた大敗である。


 追い詰められた獣達は強く願い、そしてついに召喚した……獣の王を。獣王は魔界の一眷属である。地上に留まるには、強力な依代(よりしろ)が必要だ。獣達は当時最も強い肉体を持つ、クマを捧げたのである。クマに宿った獣王は、恐怖に満ちた死の力を振るうクマ、デスベアとなった。


 獣王が地上に現れると、形勢は直ぐに変わった。獣王は人間達を一方的に殺戮し、猛毒の血を振りまくだけで、街一つが廃墟と化した。シルバードラゴンさえも、迂闊に手を出せないデスベア。獣達は、獣王を神として崇め奉った。だが、獣王の本性は悪魔である。悪魔は契約によって目的を果たす。獣達が獣王に願いを叶えてもらうために払った代償は、「永遠の服従」である。つまり、エランド王国一帯のすべての獣達は、獣王に永久に仕えることになる。その代り、エランドの人間達を殲滅する。そういう契約だった。


 エランド側も獣達への認識を改め、強大な敵として本気で叩き潰しにかかった。シルバードラゴンが最前線に立ち、デスベアとの死闘を繰り広げた。戦いは1年にも及んだ。戦火に巻き込まれ、人間も獣も多くの命が失われた。土地は荒廃し、木々は失われ、廃墟同然の街が荒野にポツンと残るだけになった。シルバードラゴンは、デスベアの中に居る悪魔の動きを封じ、縫い止めるだけで精一杯だった。


 戦いは一応エランド側の勝利ということになったが、お互いに失った物が大きすぎた。自然に依存していたエランドの産業は、完全に成長を止めてしまった。田畑は荒れ果て、水にはデスベアの猛毒が含まれていた。毒素のせいで、もはや川や湖は死の世界である。


 長い戦争が終わってみれば、明日の食べ物にも困る状況に陥っていたのだ。獣達も住む場所を失い、行く当てもなかった。そこでお互いが生き残るために、敵同士だった人間と獣が手を結んだのである。


「そんな大戦争があったのですか……」

「ええ。それから我々エランドの獣達と人間は、いがみ合いながらも、何とか協力して生き延び、自然を回復することができたのです。その時に先頭に立って、獣達を纏めたのが私の先祖です」


 ルビオンさんの話は続いた。


 自然を回復し、和平を結んだ人間と獣達。お互いの領土を侵さない条約を結ぶことになった。だが、獣達は人間を信用していなかった。人間は、欲に駆られて自然を滅ぼす生き物である。いくら条約を結んだからと言っても、所詮は紙の上の話しだ。いつまた心変わりするかわからない。


 エランド王国はまだいい。直接戦ったシルバードラゴンがいる。長寿命種だから、ずっと条約を結んだ本人が君臨している。約束が破られる心配はあまりない。しかしメンデル王家は別だ。エランド王家の分家ではあるが、基本的には別の国家だ。しかも、普通の人間が王として統治している。数十年もすれば代替わりし、条約を反故にするかもしれない。


 そこで提案されたのが、”王印の儀式”である。メンデル王が代替わりする際、必ず獣の長の一族が立会う。そして国民の前で条約を守ることを宣言させ、誓わせるのである。だが、代替わりするにつれ、儀式は形骸化し、いつしか血筋を確認するという内容にすり替わっていった。そして400年前、ぱったりと儀式すら行われなくなったのである。


「そんな不可侵条約があったのですね……知りませんでした」

「ハハハハ、まぁ、条約といっても大昔のものですからね。でも獣達の中には、連綿とそれが伝わっていました。そしていつしか、”人間は森を侵さないもの”として暗黙の了解になっていたのです……しかし」

「最近、人間は森をどんどん伐採していますよね……。これは条約の反故、と言う訳ですか」

「少なくとも獣達から見れば、人間が裏切った、信用できない、という印象を強く持つことになります」


 なるほど、いろいろと合点がいったぞ。俺達がエランド調査へ出掛けた時に、獣達が大集合して警戒してきたのもそのせいか。もしかして、あれは人間との戦争の準備だったのかもしれない。まさに一触即発。とんでもない時に踏み込んでいたのか……。危なかったな。外務省から渡航勧告情報を出して欲しいぞ。


「ええ、獣達はまさにメンデルへ攻め込む用意をしていたのです。でも、そこへ獣王様が現れました。しかも人間の姿で……」

「……私ですね」

「そうです。獣達は手が出せなくなりました。何しろ、契約で絶対服従を誓った獣王様なのですからね」

「今となっては……ですが、私は相当な状況に居たのですね」

「獣達は運命を感じましたよ。私も含めて、ですが。シルバードラゴンによって大地に封印されたはずの獣王様が、目の前に現れたのです。きっと何とかしてくれるとね」


 ムムム……そんな獣達の心情も知らずに、俺はのん気なことに、ヴァルキュリアを”スマホ扱い”して、便利な配下くらいにしか思っていなかった。彼らがあれほど俺に期待し、尽してくれるのも、すべて不可侵条約のためだったのか。知らなかったとはいえ、これはまずい。今からフォローできるかわからないが、とにかく彼らのために頑張らないといけない。選挙活動くらいで根を上げている場合じゃないな。


「わかりました。私が即位したら、獣達の森を守ることを約束しましょう」

「ははっ! ありがとうございます。そのお言葉、皆にも伝えましょう。エランドの獣達は、命を賭してカミラ様に奉仕いたします」


 いや、命はいらなけど、サポートは欲しい。……だけどよく考えたら、毎日豚や牛、鳥や魚を食べているんだ。彼らの命懸けの奉仕というのは、ある意味もう受けているのだね。ちょっと複雑な気分になってきたぞ。


「いやーよかったです。カミラ殿もルビオン殿も、分かりあえたようで……。」


 ルビオンさんの説明は、かなり長かったが、また一つ謎が解けた。腹にストンと落ちるような内容だった。そして、今のメンデルには大きな問題があることがわかってしまった。ミカさんが居てくれれば、良い知恵を貸してくれたのだが……。


 くそぉ、なんで肝心な時に居ないんだよ、あの人。もうちょっと子孫の事を守ってくれよ。生きれば生きるほど、あの人が欲しくなるぞ。


 うん? そうだ、今の俺ならアンデットに対抗できる力がある。きちんと準備しておけば、封印の場所からミカさんを引っ張り出せるんじゃないのか? 一度シャルローゼさんに相談してみる価値はあるかもしれないな。とはいえ、ドラゴンゾンビを引っ張り出す事にもなるので、コーネット領を危険に晒すことになる。リスクを考えると厳しいかもしれない。ジャンさんにも相談が必要だよな。


 ――― カシャーン!


 突然ガラスが割れる音が響いた。続いて鈍器が壁に当たるような、鈍い音がして家が揺れた。もしやエルツ家の刺客だろうか?


 素早く獣王の力を発揮して、意識を集中する。全方位に気配感知を展開する。どうやら敵は1体だけのようだ。この屋敷の玄関前に立っている。10キロ圏内には敵意を持った生物や、意識を向けてくる者は感じられない。ということは、音の犯人は玄関先にいるヤツだけということだ。詳しく探ってみると、人ではないようだな。……形状からすると、これは、クマ? それにしては大きいな。


「どうやら獣の1人が先走ったようです。申し訳ございません」

「いえ、誤解はつきものです、気にしてませんよ」

「ありがとうございます、獣王様」


 やはりルビアさん同様、獣王の名前の方が通りがいいみたいだ。まぁ、自分たちの信仰対象なんだから、当たり前か。


 しかし、屋敷が揺れるほどの打撃を繰り出す相手だ。どう説得したものだろうか。あれこれ考えながら、俺とディラックさん、そしてルビオンさんの3人で玄関先まで出てみた。


 大きなクマが2本足で立っていた。……見覚えがある。確かエランドで会ったクマの長だったっけ。メンデル語は無理だが、エランド語なら話せた記憶がある。だけど様子がおかしい。目は血走っているし、顔つきも怒りに満ちている。殺気が剥き出しだ。しかも、主に俺に対して向けられている。……何か恨みを買うようなこと、したかな?


「獣王っ! 貴様いつまで悠長に人間ごっこなんぞやっている?! それとも心の中まで全部人間になっちまったのか?」


 エランド語で話しかけてくる。ルビオンさんが、ディラックさんに通訳している。


「……条約のことですか?」

「そうだ。忘れたとは言わさんぞ。今日もまた森が一つ潰された。どうして獣王は奴ら人間を皆殺しにしない? 契約を反故にする気か? ならば我々も服従などせんぞ!」

「落ち着いてください。私も森を破壊する人間を止めるべく、先ほどルビオンさんにお約束したところです」

「そうなのか?」


 クマ親分がルビオンさんに話かける。ルビオンさんは、大きく首を縦に振った。


「そうだとしても、今すぐに何とかして欲しいんだよ、俺達は!」

「……わかりました。とりあえずその破壊された森を見に行きましょう。案内をお願いします」

「カミラ殿、まさか本当に森の中へ行かれるつもりですか?」

「はい。危険はないと思います。ルビオンさんも付いて来てくださいますよね?」

「はっ、お供します」


 まずは現状がどれほどのものか、見ておく必要があるよな。獣達の言い分ばかりを聞いているけど、実際森の逸失はどの程度なのか……。まぁ、さすがに木を数本伐採されただけ、なんてオチはないと思うけど。持ち主の側は、誇張して被害を伝えるのが常だしね。

 

 クマ親分の先導で、俺、ルビオンさん、ディラックさんが後について行く。当然馬を使っている。元国境だった川の浅瀬を見つけて渡る。幸い水が少ないので、馬も膝の下まで濡れるだけで済んだ。


 ……クマと言えば、川の浅瀬でザッパーンと鮭を獲るあのシーンを思い出してしまうんだけど、この親分さんもやるのだろうか、ザッパーンと。などとのん気なことを考えていたら、いつの間にか大河を渡り終えていた。だが、そこから先は、クマ親分に案内されるまでもなかった。直ぐに被害の様子がわかったからだ。


 ――― 森がない。


 以前訪れた時は、鬱蒼と広がる濃密な緑だったはずだ。それが今、何もない原野になっている。木を伐り出された切株だけが、延々と続いている。地平線の先まで切株が連なっている。これは、被害とかいうレベルじゃない。根こそぎ薙ぎ払われたみたいだ。巨大なトルネードがいくつも通過した、そんな跡地にさえ見える。俺は熱心なエコロジストでも何でもないけれど、これはいくらなんでも痛々しすぎるだろ。


「こ、これほどまでに……」


 ディラックさんも想像を遥に上回る被害状況に、顔をしかめて絶句している。当然だが、ディラックさんに非はない。基本的に商業や鉱工業は、国民が勝手に営むものだ。国としては最低限の監視はするが、税金さえ納めて貰えば特に文句は言わない。だから、規制というものがあまりない。森がこれだけ消えるということは、それだけメンデルの産業が発展しているという証拠でもある。


 しかし、このスピードで森が消えて行ったら、きっとどこかに無理が来るだろう。自然からのしっぺ返しというヤツだ。コーネットのような農業国であれば、自然との共生という考え方にもピンと来て、国民は理解してくれるのかもしれない。でもメンデルは工業国だ。木炭は主要産業である鍛冶作業に必須だ。木材の伐り出しを制限などしたら、反乱が起きかねない。まずいぞ、俺も鍛冶師の家の人間として、無関係な顔はできない。


「どうだ獣王、わかったか。こういう土地が10も20もあるんだぞ」

「これほどとは思っていませんでした。街に帰って早急に対策します」

「対策だとぉ? 人間を片っ端からぶっ殺せばいいだけだろ?」


 このクマ親分、相当頭にキテいるようだな。元々喧嘩っ早そうな性格だし。暴走して人間に危害を加えるようなことをしなければいいんだが。


「それは簡単ですが、人間と獣達でまた大戦争になります」

「ぐっ、……じゃあどうする?」


 確かにな。どうすればいいのか、答えが見つからない。俺が王に即位するのは、まだ何年も先だ。即位できれば、森林保護の法律を作ることもできるだろう。だけど、このペースで伐採が進めば、その頃にはエランドの森もメンデルの森も無くなってしまう。ここはクマ親分の言う通り、今すぐに手を打たなきゃいけないよ。まさか選挙に当選する前に、公約を実現するハメになるとは。うーん……困った。

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