第61話 それぞれの作戦
今日は、久しぶりに自分の部屋でゆっくりしている。何しろ、あの性質の悪い犯罪者集団、ナイトストーカーが居ないのだ。街の治安もすこぶる良くなっている。西地区のスラム街に潜んでいた残党たちも、一掃された。かくして、首領のメンヒルト以下、幹部達はすべて獄につながれたのだ。これで俺も、枕を高くして眠れる……
……はずなのだが、この部屋の人口密度は一体なんだ。
レンレイ姉妹はよしとしよう。ここに住んでいるんだからね。だがどうして、イクリプス姉弟とドルトンさん、そしてビスマイトさん、エリーにマドロラさん、ディラックさん、極め付けはメルクさんとイオさんまでいるんだよ。たださえ狭い部屋なのに、こんなに集結したら床が抜け落ちちゃうぜ。
「あのー、皆さんもっと広い部屋に移動された方が……」
「あ、いえ、何となく」
……何となくじゃないだろう。一体何を企んでいるんだよ。
「そ、それで、皆さん勢ぞろいで何か御用でしょうか?」
「まずカミラ殿にお詫びしなければなりません。今回の作戦、黙って進めていた事を」
ああ、なるほど。その事ならあまり気にしていない。何か企んでいたことは薄々感じていたし、目的もはっきりわかっていた。ちょっとイヤだったのは、自分が関与しないことで、救えるかもしれない人を救えないことだけだった。まったく気にならなかったといえば、嘘だ。でも嫌な気持ちは持っていない。
「気になさることはありません。皆さんのお気遣いはわかっていますから」
「ありがとうございます。それでは、今日から作戦の『本論』に入りたいと思います」
……へっ? 本論? 何だそれは。俺を王族に立候補させて、出来レースの選挙をやって、めでたく終了じゃないのか?
「今日までは作戦の準備段階に過ぎません」
「……で、でも、ヴルド家の敵は、ほとんど掃討されたのではありませんか?」
「実行犯のソルト=エルツが行方不明です。宰相のカールも残っています。貴族議員もまだ2割程度はエルツ家の派閥です。城の研究者の中にも、何人かエルツ派の人間が居ます。油断はなりません」
派閥の論理は俺にはよくわからないが、あの超危険人物のソルトが行方不明か……。確かに油断はできないな。俺もアイツと対峙するのは、できれば避けたい。バンパイアロードや爺さん師匠とはまた違う種類の化け物だ。
一言で表すなら、”無邪気な不吉”そんな言葉が当てはまる。次の一手がまったく読めないのだ。どんな悪党や巨悪でも、目的は何となく理解できる。目的がわかっていれば、対策も何となく見えてくる。だがソルトの場合、目的が見えない。金儲けや名誉、権力欲しさで動いてはいない。警戒のしようがない不穏な相手だ。
「それで、作戦の本論とはどのような?」
「ではご説明いたします」
作戦の舞台は鍛冶師コンテストだ。コンテストの鍛冶部門に、ビスマイトさんが出場する。もちろん、ブラッドール家の当主としてだ。ハッブル家との一騎打ちになるのは、やる前から見えているが、勝敗には拘らない。とにかく、正々堂々と技術をぶつけ合うことだけに専念する。例年通りといえば例年どおりだが、ブラッドール家として、恥ずかしくない品を出さなければならないだろう。
問題は格闘部門だ。俺がきっちり勝ち上がらなければならない。基本的に格闘部門は自由参加。どんな相手が出てくるかわからない。人外の者が出てくる可能性だってある。
そして優勝することが必要だ。勝つことで、カミラ=ブラッドール=メンデルの力を国民にアピールすることができる。ちなみに優勝者は、次の大会までずっと讃えられるらしく、中央広場に銅像まで立つそうだ。今年は、賞金もかなりのものになるらしい。裏を返せば、かなり過酷な勝ち抜き戦といえる。
もちろん、獣王の力を発揮すれば、優勝する確率はかなり高くなる。だが、それだと相手に再起不能の重傷を負わせてしまう。特に血だ。俺が怪我をした場合、広く猛毒の血の影響が出てしまう。下手をすると対戦相手はおろか、観客まで殺してしまいかねない。だから、獣王の力を極力使わないで戦う。これが条件だろう。爺さん師匠の見切りの技が頼みの綱だ。
「メンデル姓を名乗る謎の美女が優勝する。国民の目は、カミラ殿に釘付けになります」
「なるほど……目立つためには、優勝しなければならないのですね」
「そうです、一度でも負けてしまっては意味がありません」
「優勝すれば目立ちはしますが、だからと言って王を名乗るのには、無理がありませんか?」
「注目を集めるのは、儀式のための下準備です」
「儀式? 何をするのですか?」
「ええ、その……ミカ様から聞いたのですが、血筋を示すあの印のことです」
「あれが何か?」
ディラックさんの説明は、珍しく要領を得なかった。その理由は何となく想像がつく。モゴモゴして恥ずかしがるディラックさん。見かねたメルクさんが、代わりに説明役になった。
「カミラちゃん、”王印の儀式”って知ってるかしら?」
「……初耳ですけど、どんな儀式ですか?」
王印の儀式は、メンデル王が王位に就く時に執り行う儀式である。しかし、この儀式は400年ほどまえから、行われなくなって久しい。そう、ちょうどメンデルに偽の血筋が入ってきてからである。儀式は立会人の下、王家の血筋であることを証明するのだが、それは国民が見ている前で行われる。つまり自らの血筋を示し、国民に王として認めてもらう儀式といえる。
……うん? 待てよ、ということは……
「そうね。可哀想だけれど、女性の国王、つまり女王の場合は、大勢の前で胸をさらけ出すことになるわ」
やっぱりそういうことか。要は、公衆の面前で胸を出してパチーンとモミジ作成をしなければならないのだね。そりゃ、痛そうだ。……って、そうじゃない。
おっさんだった頃なら、恥ずかしがるような事でもなかったが、今は違う。昔は、町内会のお祭りで上半身裸のまま神輿を担ぐこともあったよな。だけど今は……この体なんだ。公序良俗的なところで問題があるかもしれない。日本だったら、たぶん警察の御厄介になってしまう。……というか、純粋に恥ずかしいぞ。
「カミラ殿に公衆の面前で破廉恥なお姿をさせてしまうのは、あまりに心が痛いのですが……」
「ディラックさん、大丈夫です。覚悟はできています」
「カミラちゃん、ありがとう」
メルクさんが、深々と頭を下げてきた。
俺は、頭を下げられるようなことはしていない。単に運命に乗っかってここまで来てしまっただけだ。しかも、本当ならこれは他人の運命だ。俺の運命じゃない。
「この儀式には、現メンデル王も引っ張り出します」
「現国王も、ですか?」
「はい。王にもこの儀式を受けて貰います。国民誰もが納得する結果になるでしょう」
わかりやすい比較実験、と言う訳か。そこで俺が名乗りを上げれば、名実ともにめでたく次期メンデル王の誕生という寸法なのか。何だか出来過ぎている気がする。シナリオとしては納得できるけど、そんなに上手くいくものだろうか?
「もちろん、エルツ派からの抵抗があるでしょう。鍛冶師コンテストは、大きなお祭りです。毎回トラブルが起きます。特に格闘部門では。最悪の想定は、カールが私費と宰相権限で、軍を動かすことです」
「でも騎士団と近衛兵団の軍勢があれば、大丈夫なのですよね?」
「ええ、基本的には。ですが、格闘部門の参加者と見せかけ、暗殺者が潜んでいることもありえます。それにあの宰相の事です、おそらく冒険者を使ってくるに違いありません」「冒険者? ……ギルドの事ですか?」
「はい。ギルドは基本的に宰相の管轄なのです」
そういえば、バンパイアロードの討伐依頼が、宰相の名前で出ていたのを思い出した。依頼を取り下げるには、各地のギルドにも影響が及ぶので事態の収拾が大変だ、とか言ってた記憶がある。
あのスキンヘッドのまろやかイケメン、もといギルドマスターの顔が久々に浮かんできた。彼に頼んで押さえて貰えばいいのだ。
「では、ギルドマスターに頼みましょう」
「残念ですが、それは難しいでしょう」
「……どうしてですか?」
「ギルドマスターはただの世話役です、権限はありません。しかも、ギルドはメンデルだけではありません。大陸全土にあります。各国のギルドは、独立しつつも強い連携を取っています。宰相カールは、各国のギルドとも懇意にしていて、影響力を持っています」
「でも、冒険者を使って何をするつもりでしょう?」
「私が宰相なら、こういう依頼を裏で各地のギルドに出すでしょう。”鍛冶師コンテストの警備依頼。何人でも参加可。1日金貨10枚”とね」
「警備と称して、メンデルに荒くれ者の冒険者を大集合させるつもりですか」
「ええ、彼の影響力があればそのくらいの事はできます」
「こちらは、どのように迎え撃つのですか?」
「もちろん軍隊です。そのためにビスマイト殿の工房で、たくさんの新型装備を作って頂いています」
……そうか、あの黒い鎧と剣は、コンテスト当日の備えだったのか。
「新型の装備を使いこなせれば、怖い物はありません。たとえ10倍の戦力差があったとしても、覆すことができるようになるでしょう」
ディラックさんが、皆の前で説明してくれた作戦の本論は、大体こんな感じだった。
最終的に一戦交えるつもりで、戦力をきっちりと整えているなら、おそらく大丈夫だろう。ソルトが、たとえあの大規模転移魔法を使ったとしても、力が及ぶ範囲は家一件程度だ。被害がゼロという虫の良い結果は、難しいかもしれない。でも、軍隊で当たれば問題はない。
問題があるとすれば、予想外の戦力が投入されることだ。例えば、ドラゴンゾンビのようなアンデッドだ。だが、今なら俺の力で何とか叩き伏せることができる。いちおう、バンパイアロードの黄泉の力も取り込んでるからね。魔法については、当日シャルローゼさんを呼んでおけば心配ないだろうし……。それにバックアップとして、メンデルの獣達、そしてルビアさん達に、警戒や警護をお願いしておくこともできる。
うん、何だか具体的に先が見えてきた気がするね。混迷を極めた息の長いプロジェクトも、いよいよ着地が見えてくると、気分が良くなってくるというもの。ここらで景気付けに一杯やりたいところだけど……。
「カミラ殿には、コンテストまでに仕事があります」
「ええ、優勝するための訓練ですよね?」
「それ以外にです」
「え? 何ですか?」
「派閥の貴族議員、すべてに挨拶回りをして頂きます」
ゲッ! 俺が一番面倒くさいと思っていた事を……。まぁ、相手が好意的な味方なので、飛び込み営業よりは大分マシだけれどね。それでもあんなたくさんの人数を、一軒一軒訪ねて回るのか。本当に地道な選挙活動みたいだ。トホホ。
◇ ◇ ◇
――― 中央王都。深夜。
そこには、メンデルやコーネットの繁華街とは比較にならないほどの、賑わいがあった。路上には多くの屋台が溢れ、行き交う人々は酒に酔い狂乱していた。そこかしこで喧騒が渦巻き、めくるめく大都市の路地街を形成していた。
違法薬や禁忌の品の取引は当たり前、幼子や女が、商品として道沿いにずらりと陳列されている。よく見えるように、ガラスのケースに入れられている。当然、許可されていない奴隷たちだ。ここでは、禁止されている行為のほとんどが見逃されている。まさに犯罪者のパラダイスだ。
そんな危険な匂いにつられて、集まってくる人種も様々である。人間、モンスター、亜人、魔法使い……。まさに何でもありの、”違法文化と人種のるつぼ”である。
そんな中、路地の真ん中にポツンと立っている男が居た。黒いスーツに赤いシャツ。メンデル貴族議員、ソルトだった。
ソルトは、エルツ家の遠縁にあたる血筋だ。だが、元々は中央王都に居を構える貴族の家系である。彼自身も18歳までは、この中央王都で育った。メンデルよりも、むしろこの街こそ彼のホームタウンといえよう。
「はぁーあ、やっぱりこっちの方が楽しいね。アハハハー」
夜中の雑踏で独り笑う男。それだけでも怪しいが、さらにその上を行く怪しい男がソルトに声を掛けてきた。
「おい、お前……ソルトじゃねか?」
「うん? 君は確か……」
「俺だよ、俺! ゼットだよ」
ゼットと名乗る男は、全身毛むくじゃらだった。見た目はまるでゴリラである。だが顔は確かに人間だ。いわゆる亜人というカテゴリに入る。嫌われ者の亜人が堂々と闊歩できるのも、この中央王都のはきだめと言われる裏路地街ならではである。
「ああ、ゼットか。久しぶり、元気だったー?」
「もちろんだ! お前が居なくなってから、つまんなくてなぁ。今日もちょっと遊んできたんだぜ」
「ふーん、どんな遊び?」
「”要人狩り”だよ」
「へぇ~、何だか面白そうだねぇ。聞かせてよ、その話」
「もちろんだ。ソルトもこの遊び、絶対に気に入ると思うぜ、キシシシ」
ゴリラ人間が豪快に奇声を発して笑う。もし、メンデルにこんな人間が居れば、相当な注目を集めるだろう。
「要人狩りってのはよ、わかりやすく言えば、気に入らない政治家や官僚をぶっ殺していくって遊びよ」
「ふーん、でもよくやれるねぇ。要人には手練れの護衛が付いていると思うけど」
「なぁに、その辺は抜かりねぇ。俺達には”あの人”が付いてるからな」
「”あの人”って誰だい?」
「いや、俺にも正体はわからねぇんだ。だけどあの人は力をくれる」
「……力?」
そういって、ゴリラ男が自分の服を捲り、腹を見せた。驚いたことに、そこには男の太い肋骨があるだけだった。本来あるべき内臓がないのである。
「おいおい君ぃ、もしかして死人になったのかい?」
「アンデッドの力を得たぜ」
「よく正気を保っていられるねぇ。普通アンデッドは、ただの操り人形なんだけど。特に君みたいなデクの坊は」
「くっくっく……相変わらず口が悪いな。だが2人でつるんで悪さしてたあの頃を思い出すな」
「ふーん、記憶もちゃんと残ってるんだー。ますますよくわからないなぁ。本当にただの死人じゃないんだ」
「ああ、信じられないかもしれないがな。意識も記憶も保ったままアンデッドになれるんだぜ。これも全部”あの人”のおかげさ」
「へぇ、すごいね。確かにアンデッドになれば、剣や矢は通用しなくなる。魔法もね。怖いのは、黄泉の力を持った呪術師と同じアンデットだけって事か。要人が護衛にアンデットを使うなんてあり得ないから、ゼットは無敗って訳だねー、ふーん」
「その通りだ。好きなだけ暴れられるぜ」
「面白いねー。”あの人”っていう人物に会ってみたくなった」
「へへへ、ソルトならそういってくれると思ったぜ。任せておけ、明日の夜にでも会わせてやる」
「ありがと。持つべき者は友ってことだねー」
「いいってことよ」
――― 翌日の夜。
ソルトは、ゼットに指定された場所へ赴いていた。郊外の寂れた寺院跡である。周囲には誰もいない。虫の音すら聞こえてこない。不気味な静けさに包まれた場所だ。
ゼットが言う”あの人”がどんな人物なのかわからない以上、ソルトは準備を怠らなかった。体中に魔法石を仕込んでいた。しかし、相手が本物の呪術師だった場合、魔法は通用しない。ソルトはその点も抜かりなかった。”黄泉路の羅針盤”と呼ばれる道具を持っていたのだ。
これを使えば、一時的に黄泉の力を無効化できるのである。死人の力を黄泉の世界へと送り返すレアアイテムだ。これも、ナイトストーカーに無理を言って手に入れた品である。アンデットの力を無効化できれば、その間はアンデットにも、普通の物理攻撃や魔法が通じるのである。魔法石の塊のようなソルトが負けるはずもない。
「おう、もう来てたか」
どこからともなく、ゼットが現れた。黒い毛むくじゃらの全身は、闇夜に溶けるとまったく見えなくなる。唯一、人間の風体をしている顔だけが夜に浮かび上がっている。
「私は遅刻というヤツが嫌いなんでねー」
「お前は、昔から時間にだけは几帳面だったよなぁ。キシシシシ」
「それはよかった。儂も時間を守れぬ奴が嫌いでのぉ……」
夜の闇のさらに深淵から、ずっしりと響いてくるような冷たい声だった。ソルトが気配を感じて振り向くと、そこには老人が立っていた。王宮にでも仕えているのだろうか、小奇麗な身なりで、そこはかとない品を感じさせる。不気味な声とは裏腹に、優しく人柄の良さそうな雰囲気をまとっている。
「……あなたが例の”あの人”かい?」
ソルトが警戒しながら問う。なぜかゼットの動きが止まっていた。先ほどまでべらべらと喋っていたのに、急に静かになっていた。
「いや……俺はこんなジジイ見たことがねぇぞ。”あの人”はまだ若い貴族だからな」
「と言うことは、敵でいいのかな?」
「ああ、敵だろう」
ゼットとソルトは、老人に向かって素早く戦闘態勢を取る。
「ふむ、魔法使いでも呪術師でもないようだな。ただの人間か……」
老人はそう言うと、手を左右に振り始めた。メトロノームのように規則正しく、ゆっくりとしたテンポだ。
「これはもしかして……。これは幻覚呪術?!」
「ほう、気付いたか。勘だけは良さそうじゃな」
ソルトは慌てて懐から”羅針盤”を取り出した。そして大きく振りかぶると、老人目がけて思い切り投げつけた。老人にぶつかる直前で、淡い青色の光を発すると、辺り一面が光の幕で覆われた。これで呪術の源泉である、黄泉の力が封じられた。
「むぅ……これは世にも珍しい品を持っているようだのぉ。お前、ただ者ではないな」
「まぁね。メンデルの貴族議員、ソルトさ。あの世に帰る前に覚えておきなよ」
ソルトが魔法石を投げつける。巨大な火柱が発生し、老人は瞬く間に炎に包まれ、業火に焼かれた。まさに悪魔の炎、魔界の業火である。黄泉の力を持つ呪術師であっても、助かる訳がない。今は黄泉の力がキャンセルされている。この瞬間、老人は呪術師ではなく、ただの人間でしかないのだ。ソルトの完全勝利である。
と思った瞬間、火柱が消え去り、老人の姿も一緒に消えていた。焼死体はない。火の痕跡も一切ない。いや、それどころか廃墟の寺院すらない。ここは何もない草原だった。しかも、ソルトは一歩も動いていない。戦闘態勢を取った形跡すらないのである。
「はっ! まさか……」
ソルトは自分の懐を探った。投げつけたはずの黄泉路の羅針盤があった。確かにあの老人目がけて投げつけたはずなのに、それが懐にある。
「ふーん、そうか……。ここに来て、最初から最後まで幻覚を見せられていたんだね」
「ふむ、さすがに勘がいいだけはあるな」
声がする方に目を向けると、さっきまで戦っていたはずの老人が立っていた。ソルトはまた警戒心を高めた。だが、老人は深々と頭を垂れて謝罪してきた。
「すまなかった。ちょっと悪戯が過ぎたようじゃな。儂の名前はアルベルトという」
「これがゼットの言ってた呪術師……」
「そうだ」
さっきまで居たはずのゼットだが、今はもう姿が見えない。それすらも、アルベルトの作り出した幻覚の一つだったのである。
「ソルトだったな……。お前はアンデットの力が欲しいのか?」
「私はアンデットなんてものになりたい訳じゃない」
「では何が欲しい?」
「そうだねぇ……軍隊、かな」
「何のために?」
「面白い事をするためにさ。気に入らない奴らを皆殺しにするんだー」
「ふむ……では儂が軍を貸してやろう」
「あなたが軍を? 失礼だけど、軍隊を持っているようには見えないけどなぁ。だって呪術師でしょ?」
「……呪術師には違いないが、儂は少々変わった軍を持っておってな」
そういってアルベルトは、左掌を上に向けると、呪文を唱え始めた。程なくして術式が終わると、その掌の上には、水晶玉が一つ乗っていた。だが、透明ではない。黒く濁ったモヤのような物が映し出されている。
「これを貸してやろう」
「何それ?」
「これを使えば、ちょっとばかしの間だが、黄泉の軍を呼び出すことができる。数は数万を下らんからまず負けることはなかろうて……くっくっく」
「へぇー、つまり”不死の軍隊”を貸してくれるってことー?」
「そういうことだ」
「でも……どうしてそこまでしてくれるんだい?」
「儂の求めるものと、お前の求めるものが一致しているからだよ」
「……それは、殺戮と混乱、でいいのかな?」
「儂はな、大革命を成そうとしておる。そのためには、今の秩序をすべて破壊せねばならん。お前のような革命児が必要なんじゃ」
ソルトにはアルベルトの言っていることは、まったく理解できなかった。だが、何らかのクーデターを起こそうとしているのは間違いない。先ほどの幻覚呪術を見ても、この黄泉の軍を呼び出す力を見ても、ただの気の狂った呪術師とは思えない。とてつもない術者だ。手を組んでおいて損はないだろう。従うフリをして懐に入り、力を得る。悪戯はスケールが大きければ大きいほど楽しい。ソルトはそう考えていた。
メンデルで宰相カールに取入り、実行部隊となったのも、力を得て楽しむためだった。その相手が、今度はアルベルトという強大な呪術師に変わるだけだ。ソルトの心の中はもう、黄泉の軍隊を使ってどんな遊びをするかだけだった。
「わかったよー。じゃあ黄泉の軍を借りるから、せいぜい派手に暴れることにするよ」
「クックック……任せたぞ。大いに楽しめ」
こうして、ソルトはアルベルトから黒い水晶玉を受け取った。そしてアルベルトは、そのまま闇に溶けるようにして、消えて行った。
「……今のヤツも実体じゃなかったのかー。何だか騙されてるみたいで気分悪いね。でも面白い物が手に入ったんだし、結果的には良かったかな。アハハ」
かくしてソルトは、中央王都で強力な手駒を手に入れていた。黄泉の軍に数多くの希少な魔法石。アイテムで完全武装したソルトは、もはや歩く武器庫のような状態だった。今の彼なら、小さな国を1人で落とすができるかもしれない。それほどの力を蓄えていた。




