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第60話 ディラックの本心

 何とかこの場は収まったが、安心している場合じゃない。騎士団達は皆、海中深くにいきなり転移させられたんだ。治療が必要かもしれない。


 岸壁に打ち上げられ、仰向けになっているディラックさんに素早く駆け寄った。手首の内側と首筋に指を当てて脈拍を確認してみる。……脈が感じられない! 胸も上下していないから、呼吸もないようだ。これはまずい。今すぐ心肺蘇生をやらなければ。


「レンさん! そして警備兵の皆さん! 手当が必要な人には心肺蘇生を直ぐにお願いしますっ」


 この世界に、正しい心肺蘇生法を知っている人がいるのだろうか? かく言う俺もほとんど経験はない。会社の講習会で、無理矢理資格を取らされた時の研修の記憶しかないな……。あの時、もっと真面目にやっておけばよかった。しかも、ここにはAEDなんて便利なものは当然ない。もちろん救急車も医者も来ない。自発呼吸が戻らなければ、もうアウトだ。

 

 俺の頭には一瞬、治癒呪術が浮かんだ。でも、アレはダメだ。準備に時間が掛かり過ぎる。しかも今、触媒に必要な新鮮な豚の血なんてここにはない。


 警備兵達を見ると、手際よく心臓マッサージと人工呼吸を始めていた。なんと、この世界の心肺蘇生法は、俺の知っている日本のやり方とほぼ同じだった。よし、これなら何とかなるかもしれない。


 俺はディラックさんの胸の上に手を当てて、心臓マッサージを始めた。


 ええと、まずは胸骨圧迫を30回だったかな。イチ、ニ、サン、シ……。


 そして、あごを上げて気道を確保して、鼻をつまんで口から息を2回吹き込む。これを繰り返せばいいはずだ。


 必死になって心臓マッサージと人工呼吸を繰り返す。生き返れディラックさん! こっちに戻って来いっ! 早く来いっ!


 何度もマッサージと呼吸のセットを繰り返すが、ディラックさんは反応する気配がない。ちくしょう! ここまできてダメなのかよ……。俺は半泣きになりながら、彼にひたすら施術を繰り返した。


 周囲では息を吹き返した連中が、上半身を起こして状況把握に努めている。チラリと横を見ると、イオさん、イクリプスさんが蘇生したようだった。よかった。


 しかし、ディラックさんは一向に息を吹き返さない。もうダメかもしれないと思い始め、彼の口に大きく息を吹き込んだその時だった。急に鼓動が戻り、自発呼吸を始めたのだ! やったぞ!


 呼吸開始と同じくして彼が意識を取り戻し、大きく目を見開いた。


 ……まぁ、当然ディープキス状態で、お目覚めになったというお約束の訳だけど、緊急時だから仕方がないよね。


 俺は彼に覆いかぶさった状態から、体を起こそうとした。でも、ここでとんでもない事が起きた。ディラックさんの両腕でがっしりと抑えられ、抱かれた状態で人工呼吸の延長戦が開始されたのだ。これが意味するところはつまり、施術から接吻に変わったという意味なのだが……。


 周囲にはたくさん人が居る。でも怪我人の手当や蘇生に追われ、全然俺達には気が付いていない。


 これはさすがに堪らない。いくらディラックさんが相手でも、無理なものは無理だ。


 ……アレ? でも何だろうこの感覚は? 嫌じゃないな。頭がボーっとして体が熱くなってきたような感じが。何か幸せで満たされた、そして安心する感情が湧き上がって来るぞ?


「カミラ様、ディラック様、大丈夫ですかっ!?」


 話かけてきたのは、レンさんだった。他の人の蘇生を終えて、俺達の方をフォローしに来てくれたみたいだな。


 その声に反応して、ディラックさんが慌てて俺の体を放し、ゆっくりと立ち上がった。

 

 そして……


「ああ、大丈夫だよレン。そしてカミラ殿、ありがとう……」


 なぜかよくわからないけど、この時のディラックさんがやけに格好良く見えてしまった。心臓がドキドキする。頬っぺたがに血が集まって赤くなっている気がする。心の置き所が、いつもとちょっと違う気がするぞ。


「2人とも無事でよかったです。私は、蘇生したナイトストーカーの幹部を捕えてしまいますね」

「すまない、警備兵達と一緒に当たってくれ」


 まだ弱っている状態のディラックさんが、レンさんに指示を出した。警備兵達も騎士団長が居るとわかり、ますますやる気を出したようだ。ナイトストーカー達を縄でグルグル巻きに縛り上げていた。これでは、さしもの幹部達ももう逃げようがないだろう。


「カミラ殿、申し訳ありませんでした。私は貴女にとんでもない無礼を……」

「い、いえ……」


 正直、俺もどう答えていいのかわからなかった。心の整理がついていないからだ。でも……さっきのキスはなぜか嫌な感じはしなかった。シャルルさんにされれば、全力で拒否しているところだが。もしかすると、俺の心の方が、いつの間にか体に合わせて女性化していたのだろうか……。わからない。


「でも、私の本心はお分かり頂けたでしょうか。もちろんただの一貴族の私と、王族のカミラ殿とでは、大きな壁があります。でも、私は貴女を愛しています。その本心だけは、お伝えしておかねばと思いました」


 昔なら、男に告白されるなんて冗談じゃないぜ、気持ち悪い。としか思わなかったが、今の俺はどうだ? ……なぜ変な動悸がするんだろう? なぜ顔が熱くなるんだろう?


「どうして……どうして今、なんですか?」

「溺れて苦しんでいる最中に思ったのです。自分の心残りはなんだろうと……。それは、自分の気持ちをきちんと伝えられない事だと悟りました。そして目を覚ました途端に、思い焦がれていた女性が居たのです。それで思わず反射的にあのようなことを……」

「そうですか……。お気持ちはよくわかりました。ですが、私も心の整理がついていません。どうか時間をください」

「も、もちろんです!」


 ディラックさんがやけに嬉しそうだぞ。何でだろう? 普通、女に告白して”考えさせてくれ”とか”時間をくれ”なんて言われたら、そりゃあ体よくかわされたか、社交辞令でやんわり断られたと思うのが普通じゃないのか?


「実は、二つ返事で拒絶されると思っていたんです。よかった。……死ぬまでお待ちしています」


 そ、そうだったのか。さすが性格イケメンだな。異性に対する考えも純粋だ。これは悪い女にひっかかったら、コロリと騙されちゃうタイプだろう。むむむ、でもディラックさんだから、本当に死ぬまで待っていそうだ。俺に彼の人生の下駄が預けられちゃった訳か。……ちゃんとした明快な結論を出してあげないと、彼に失礼だよな。


 そこに、馬ではなく徒歩でレイさんがひょっこりと現れた。レンさんよりもだいぶ遅い到着だ。しかも、よく見ればメイド服が破れている。顔や足にも切り傷がたくさんあるし、痣まで付いてるぞ……。手練れのレイさんに、ここまでこっぴどく傷を負わせられる相手は、そうはたくさんはいないと思うのだが。


「どうしたんですか、その傷は?」

「えへへ、ちょっと落馬しちゃいまして……」


 落馬? この運動神経の塊みたいなレイさんが? たとえ落馬したって、空中で体操の選手のように回転して見事に着地できそうなこの人が? ……あり得ないな。


「嘘ですね。気遣いは不要ですよ」

「やっぱり見抜かれちゃいましたね。ごめんなさい。この傷は、ここへ向かう途中でソルト=エルツに襲われたものです」

「あの派手貴族に?」

「はい、スラム街の裏路地に隠れていました。気配感知に引っかかったので、深追いしたら突然姿が消えてしまいました」

「あの尾行者と同じ魔法石を使ったんでしょう」

「そうだと思います。気が付いたら私は地面に倒れていて、馬が居なくなっていました。しばらく意識を失っていたみたいです」

「ともかく、命に別状がなくてよかったです」

「ご心配をおかけして、申し訳ありませんでした」

「それにしてもあのソルトとかいう男、恐ろしい悪魔のような人物です。宰相のカール以上に警戒すべき相手かもしれませんね」

「その点はもう大丈夫ですよ、カミラ殿。既にソルト=エルツの屋敷は、監視下に入っています。いつでも騎士団長権限で捕縛できます」


 さすがはディラックさん、やることが早い。ソルト=エルツを押さえ、そのままの流れで、反ヴルド派閥のエルツ家の動きを封じてしまえばいい。ナイトストーカーのボスや幹部達を締め上げれば、ソルトとの繋がりもわかる。


 ソルトはこれで政治的にはもう終わったも同然だな。汚い裏工作が表ざたになれば、エルツ家のイメージダウンにも繋がる。派閥は総崩れするだろう。そうなったら、宰相に直接手を出す事はできなくても、手足を完全にもぎ取ることができる。もはや敵は宰相ただ1人だな。完全勝利は目前だ。


「おや? レイ……おまえ、香水でも付けているのですか?」

「ディラック様、私は香水などつけませんよ」

「では気のせいですかね」


 香水? 確かに今一瞬レイさんから、甘い花の匂いを感じたな……。最近どこかで嗅いだことのあるような匂いだ。……はて、何の匂いだったかな?


「カミラ様ー、ディラック様ー! ナイトストーカーを全員捕えましたので、監獄に護送いたします」


 港の反対側から、レンさんが大声で叫んでいた。彼女の後ろに騎士団や近衛師団、そしてイオさんとイクリプスさんが付いて歩いている。あのメンバーがついていれば、大丈夫だろう。


「それにしても、まさか屋敷ごと転移できる魔法石があるなんて、思ってもいませんでした」

「私もです。突然目の前が暗くなって、海水に浸かっているとわかった時は、もう何が何やら……ハハハ、お恥ずかしい話です」


 いや、どんな達人でもあんな転移魔法をくらったら、ひとたまりもないと思うぞ。まぁ、爺さん師匠くらいになると、魔法の気配を事前に察知して、発動前に逃げ出しそうだけどな。普通の人にそんな技は不可能だ。


 大規模転移のような天変地異級の魔法をポンポン使われたら、たまったもんじゃない。念のため、シャルローゼさんに詳細を聞いておくことにしよう。


◇ ◇ ◇


 その頃、宰相カール=エルツの屋敷には、ソルト=エルツが来訪していた。スラム街でレイから奪った馬に乗り、そのまま屋敷に隠れ入ったのだ。もちろん、隠匿の悪魔の魔法石を使っているので、ヴァルキュリアには認識されていない。周囲からは、馬が1匹で走っているようにしか見えなかっただろう。


「何だ、お前か……」

「宰相様~、ちょっと展開変わっちゃった」

「そんなに慌てて一体どうした?」


 屋敷で寛いでいた宰相は、ワイングラスを片手に、ゆったりとソファーに座っていた。


「ナイトストーカーの幹部が全員捕まったよ」

「何だと!」


 カールは、ワイングラスを持ったまま勢いよく立ち上がった。


「あれほど儂は足が付かぬようにと、言ったはずだぞ!」

「アハハ、ごめーん」

「ゴメンでは済まぬわーっ!!!」


 カールは、右手のワイングラスを床に向かって思い切り叩きつけた。赤ワインが床にぶちまけられ、ソルトの足元を染めた。


「それで……どう落とし前をつけるつもりだ?」

「鍛冶師コンテストの日まで姿を消すよ」

「それは賢明だな。だがどう巻き返す?」

「中央王都へ行って、援軍をよんでくるよ」

「援軍? ……知り合いでもいるのか?」

「私は元々中央王都で育ったんだよー。あそこには、メンデルなんて比較にならないほど巨大な闇組織があるからね」

「そうか。……で、儂はどうしたらいい?」

「宰相様は知らぬ存ぜぬで通してよ。あとはコンテストまで大人しくしておいてよ」

「ふん、大層な物言いだな。それで、コンテスト当日の作戦は?」

「ヴルドのメイドの1人に”拘束の悪魔”を仕込んでおいた。それとハッブル家の坊ちゃんにもね」

「……ほう、それで?」

「いやだな、もう想像付くよねぇ~?」

「まぁな……。ただし、こちらには手足が無くなる。一切手を貸してはやれぬぞ。お前がちゃんとした援軍を連れて来られれば、当初の計画通りではあるが……」

「そうでしょ! そうでしょ!」

「ではさっさと消えよ。当日まで見つかるでないぞ」

「アハハ、大丈夫だよ。じゃあねぇ、ごきげんよう」


 宰相の屋敷から出たソルトのはらわたは、煮えくり返っていた。激怒などという言葉では済まされない。怒りが極まって、道の行く先々で無関係な者を魔法石で次々と転移させては殺していった。


「あのクソ女め……。絶対に許さない。そしてカールのヤツもだ。うっとおしいったらありしゃない。ヤツはどうせツマラナイ人間だからね、全員まとめて殺しちゃおうか、ハハハッ」


 ソルトはそう呟くと、魔法石を地面に投げつけ、自らを中央王都へと転送していた。


◇ ◇ ◇


 ディラックさんの監視にも関わらず、ソルト=エルツはついに自分の屋敷に現れなかった。残念ながら、こちらの動きを読んで、逃げてしまったようだ。投獄されたナイトストーカーのボスや幹部連中は、尋問がスムーズに進んだ。ソルトの転移魔法の事を話したら、義理立てしているのが馬鹿らしくなったようだ。彼らは、ソルトとの繋がりを洗いざらい話した。


 それから、数日後。俺達は改めてヴルド屋敷に集合するように言われていた。関係者全員と言いたいところだが、さすがにコーネット領に行っているニールスさんやシャルルさんを呼び寄せるのは難しかったのか、メンデルに居るメンバーだけのようだ。


 だが、集合してみて驚いた。人数が立食パーティー並だった。俺が顔を知っているメンバーは、ビスマイトさん、エリー、マドロラさん、チャラ男、ドルトンさん、レンレイ姉妹、メルクさん、イオさん、イクリプスさんと弟のデュポン、副騎士団長のローリエッタさんだ。


 ……実はさらに、知らない顔がたくさんいる。知らない人達は、どうやらヴルド家に古くから肩入れしてくれている貴族議員のようだ。ヴルド家の大会議場は、ほぼ満杯だ。この場に100人近くいるのではないだろうか。


 ディラックさんが音頭を取って、場を仕切っている。うん、段々と騎士団長として頼もしく見えてきた気がするね。


 俺がジッと彼の方を見ていると、ディラックさんも視線に気が付いたみたいだ。こちらに目を向けてくれた。


 ……うん? 何で俺はこんなに嬉しいんだろう? あの心肺蘇生の件から、自分の気持ちが、少しおかしくなってしまったみたいだ。


「えー、皆さん、ここまでいろいろありましたが、メンデルの闇と言われていたナイトストーカーの殲滅が完了しました。そして、ナイトストーカーとエルツ家の貴族議員ソルトとの黒い繋がりも、抑えられました。皆さんのおかげです、ここに心からの感謝申し上げます」


 会場からは、パチパチと拍手が上がった。何だか社長の挨拶みたいになってきてるな。まぁ、俺は関係者でも末端なので、気楽なものだけどね。


「そして私たちの目標は、以前の話合いで決定したコレです」


 ディラックさんが取り出したものを見て驚いた。そう、彼が聴衆の前で高々と掲げているのは、ドルトンさんの別荘にあった絵だった。「隻腕の鉄姫」の題名の絵画だ。


「一部の方々を除いて、この絵に描かれている主人公がどなたかを紹介していませんでした。それはとりもなおさず、ナイトストーカーやエルツ家の目があるからでした。しかし今、その脅威はほとんど取除かれました」


 えっと……この展開だと、俺がディラックさんに紹介される、という流れになってしまうのか?


「お待たせしました。ご紹介します。この方がカミラ=ブラッドールさんです」


 俺はディラックさんに手を引かれて、聴衆の前に立たされてしまった。まばらな拍手が起こると同時に、一気に場がざわつき始めた。まぁ、そうだろうな。絵に描かれている少女とはだいぶ身長が違う。同一人物と見做すには、無理があるだろう。


「訳あって、急成長を遂げられていますが、この方が古くはエランド王家の血を引く正当なメンデル王族です!」


 あっ! この場は俺の王族立候補の発表会だったのか。てっきり派閥を結集して団結力を高めるためのパーティーでもやるのかと思っていた。”プロジェクトが終わったら打ち上げをする”この考えしかなかったからなぁ……うん、俺もまったく日本のサラリーマン思考が抜けてないな。


 俺が自己紹介して、決意表明しないといけないのか? あのー、全然前打合せとかないんですけど、ディラックさん……。そんな適当な段取りでいいのか?


「ではカミラ様、ご挨拶をお願いします」


 ぐぬぬ……やはりか。しゃあない、今こそ企業戦士、リーマンパワーを見せてやるぜ!


「初めまして。カミラ=ブラッドールです。今はブラッドールと名乗っていますが、昔の名前は、アリシア=アウスレーゼ=エランドといいます。エランドから代々続く王族の血筋ではありますが、今は故あってブラッドール家の人間です。鍛冶はできませんが、皆様に支えられてここまで生きてこられています。私が王族に立候補するのは、自分の権威や権力を誇示したがためではありません。あくまでも大恩ある皆様のご期待に応え、そしてメンデルの平和を願うからです」


 もっともらしいことを言ってはみたが、いまいち聴衆からの反応は薄いな……。彼らが何を望んでいるのか、俺にはわからないが、言うべき本音はちゃんと話したぞ。さて、ここからどう締めたものかな。


 すると聴衆の中から、質問が発せられた。


「あのー、それではお名前はどうお呼びすればいいのですか?」


 ……名前? あ、そうか……。王族になるなら、カミラ=ブラッドールという訳にはいかないのか。どうしよう。ビスマイトさんに相談してから決めたいけど、もうこういう場に引っ張り出されてしまったら、今答えるしかないよな。さすがに”持ち帰って上司と相談してからご回答します”なんてその場しのぎのサラリーマンの常套句は通用しないだろう。せっかくの雰囲気も勢いもぶち壊しだ。


 エランドの王族だから当然”メンデル姓”は名乗らないとまずいだろう。でもブラッドールも外したくはない。それと”アリシア”は俺とはまったく別の人間だ。だから拘る必要はないだろう。問題は”アウスレーゼ”という名前だな。これ、エランド王家からの伝統みたいな姓だから、付けないといけないのかなぁ。さて困った、どうしよう。


 俺は縋るようにビスマイトさんの方を見てみた。すると彼は、どこか寂しそうなそれでいて嬉しそうな表情を浮かべるだけだった。違う! ビスマイトさん、感慨に浸っている場合じゃないよ、そこは何かブロックサイン的な指示が欲しかったんだよ……。


 あ、待てよ……そういえばジャンさんは、ジャン=ホイヘンス=コーネットだったな。エランド王家でなければ、アウスレーゼという姓は付けなくてもいいのか。


 会場が全員俺に注目している。雑談一つ聞こえてこない。100人もいる聴衆が、誰一人として物音を立てていない。尋常じゃない緊張感が漂っているな、これは……。


「それでは、今日から”カミラ=ブラッドール=メンデル”と名乗ります」


 会場から盛大な拍手が沸き上がった。中には椅子の上に立ち上がって、泣きながら拍手している人さえいる。そうか、もしかして俺がブラッドールと名乗ったから、皆はメンデルの名前がなくなってしまうかもと不安だったのか……。王族に対する思い入れの強さと、国に対する愛情を感じるね。


 拍手がいつまでたっても鳴りやまなかった。見かねたディラックさんが、手を振って聴衆の興奮を収めていた。ディラックさんは完全に司会者状態だ……いや、もう立派な騎士団長かな。


「さて皆さん、これで次期メンデル王は決まりました。ですが、外部への正式発表ならびに偽の現メンデル王の廃位は、予定通り鍛冶師コンテストの日です。どうか皆さん、それまでこの件は内密にしてください。それでは解散!」


 えっ?! 何、結局俺の挨拶とか関係なく、名乗ることが一番大事だったのかよ。ちょっと拍子抜けしてしまった。まぁ、王族は彼らの心の拠り所であり象徴みたいなものだから、結束を固めて動機付けしておきたいというのが、目的だったのかもしれない。


 貴族議員達が解散していく中、俺はビスマイトさんに近づいていった。久々に話しがしたかった。いや、だって暫く会ってなかったし、仮にもお父さんだしね。


「お父様!」

「カミラ……いや、今はカミラ様かな」

「やめてください。私はお父様の娘です」

「ありがとう。だが人目のあるところでは、儂とて敬意を表さねば示しがつかん」

「そんな……」

「ハハハ、悲しそうな顔をするな。お前の家はいつでもブラッドール家だ。安心せい、皆ずっと変わらずお前の家族だ」


 俺の目からは、これまでにないほどの涙が零れていた。やはり、どうにもディラックさんに告白されてから、自分の気持ちが変だ。制御が利かない感じがするんだよね。


「ハハハ、泣き虫は変わらんな」


 そういってビスマイトさんが俺の頭を抱きかかえ、クシャクシャと髪を撫でるように手を置いてきた。……なぜだか安心するな。こんな感情、今まで抱いたことってほとんどなかったけど……。人の心は、環境や接する人との交流次第で、徐々に変わっていくものなのかもしれないな。

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