第59話 大救出劇
あまりに凄絶な目の前の現実に、俺はただただ震えるしかなかった。
これほど大きな物が丸ごと消失するなんて、いくら異世界と言っても非常識すぎるだろ……。どうリカバリーしたらいいんだよ……。まさかSF小説でよくある、”時空の狭間に飛んで行った”なんて事だけは絶対に勘弁して欲しい。対処方法の想像すらつかない。
『じ、獣王、さ、ま……』
その時だった。途切れていたヴァルキュリアからの念話が伝わってきた。よし、これなら少なくとも居場所がわかる!
『ヴァルキュリア! 今どこです?』
念話で叫んだ俺の目に飛び込んで来たのは、水面だった。眼下に広がるのは一面の水。ここはどこだ!? 湖? いやそれとも河か?
『違います。ここは……海です。遥遠くに見える山や灯台から推測すると、メンデルの港から西方の沖、約10キロメートルほど行ったところです』
『何が……一体何が起きたのですか?』
『転送です。おそらく物質を転送する魔法石かと思われます。しかし、屋敷ごと転送する魔法石など聞いたことがありません』
……転送する魔法。それは、シャルローゼさんが使っていた転移魔法の、さらに大規模版のようなものだろうか。シャルローゼさんが使える規模でも、魔法の常識から言ったら反則技みたいなものだ。それなのに、100人以上が入った屋敷を転移させるなんて……。ソルトが使った魔法石には、一体何人分の寿命が捧げられていたのだろうか。膨大な魔力と引き換えになった魔法使いの魂の量を考えただけで、背筋が寒くなる。
『転移した屋敷の位置はわかりますか?』
『……』
『どうしました? ……ヴァルキュリア?』
『た、大変です……屋敷は、この海の下です!』
何だって!? まさかソルトのヤツ、海中に屋敷ごと転移させたっていうのか?! ナイトストーカーごと騎士団も全員葬る算段だったのかよ……。ナイトストーカーはヤツの味方じゃなかったのか?! しかし、なんて恐ろしいことを考えやがるんだ! とんでもない野郎だ。
『この辺りの水深は50メートル程度ですが、潮の流れが激しく、地元の漁師でも近づかない海域です……』
ということは、全員水の中。救いの手も期待できない。この時代に、海水の中に沈んだ屋敷を、丸ごと引き上げられるような技術や設備はないだろうし。いや、そうじゃない。今直ぐに助けないと皆溺死してしまう!
……ちくしょう、ちくしょう、どうすればいい。考えろ、俺!
魔法か? そうだ、こんな異常事態を収拾するにはやっぱり魔法しかない。シャルローゼさんに縋ろう。だけど、今からヴァルキュリアを飛ばしても、彼女が現場の海上に着くのは1日はかかる。それではダメだ。誰一人として助かる見込みがない。あれだけの大きさの屋敷だ、いきなり海中に水没したとしても、かなりの隙間があるはずだ。一瞬にして空気が全部なくなることはないかもしれない。でもそう長くは持たない。
俺の頭には、ディラックさんやイオさん、イクリプスさんの顔が浮かんできた。彼らを失うなんて絶対に耐えられない。彼らが居ない世界を想像しただけで、涙が出てきてしまった。
『落ち着いてください、獣王様』
その時、念話でルビアさんの声がした。
『ルビアさん……で、でも……』
『獣王様、今こそメンデル海域に住む、全水生生物にご命令ください』
ルビアさんの一言で、絶望的な暗闇に包まれていた俺の頭の中に、一気に光が射してきた。そうだ、俺は海の生物にも命令できるのだ。
思いつくだけの魚の種類を思い浮かべた。そして、ウミガメ、イカやタコ、貝、ウミヘビ、カニ、ウニ、イルカ、クジラ、サメ、シャチ、果ては見たこともない人魚や海の怪物など、想像できるだけのありとあらゆる海の生物を頭に思い浮かべた。そして、俺はヴァルキュリアを通じて、流れ込んできた海域の映像を付け加えた。
『獣王の名において命じます。この海の下に沈んでいる屋敷から人間を助け出し、メンデルの港まで運びなさい。直ちにです! 各自、死力を尽くして我が命を達成しなさい!』
俺はこれ以上ないほど強いイメージと口調で、念話を放った。正直、大人げないほど焦っていたのも事実だし、ここで必死にならずしていつ必死になるんだ、と思ったのも本音だった。もうなりふり構っていられない。命令できるのであれば、どんな事でもしよう。だから、皆を助けてやって欲しい。……頼む!
俺の念話が放たれてから数秒後、ヴァルキュリアが見ていた海面が大きく蠢き出し、次第にせり上がってきた。……皆俺の命令を聞いてくれたのか?
それは、見たこともないほどの魚の大群だった。いや、魚だけではない。クジラやイルカ、巨大なタコやイカも混じっている。もしかしてこれは、クラーケンというヤツか?!
さらに目を凝らすと、人間のような者も混じっている。上半身は女性だ。そして下半身が魚のような鱗に覆われている。……人魚だ!
次々と魚を始めとする水生生物達が、屋敷から人間を引っ張り出してきた。そしてものの1分もしないうちに、100人近くの人間が海上に浮上し、そのまま魚やイルカ達の背に乗せられて、メンデルの港へ運ばれて行く。
……壮観だった。海全体がうねっている。生物の大群の活動で、まるで海面全体が一つの生命体であるかのように蠢いている。その上を、ナイトストーカーやディラックさん達が、滑らかに移動している。神秘的な光景なんて生易しいものじゃない。これはもう、神様が降臨してもおかしくない光景だよ。
『神様ではありません。これが獣王様のお力です』
ルビアさんがまるで自分の事のように、得意げに念話で伝えてきてくれた。
『ルビアさん、ありがとうございました。あなたが居なければ、間違いなく全員溺死していました。感謝してもしきれません……』
『すべては獣王様の命ずるままに』
その言葉に俺は、自分の力がもう自分のものだけではないことを、心底痛感した。やはり人間と動物達、皆の調和と平和のために使うべき力なんだろうね、本来は……。
◇ ◇ ◇
メンデルの港の方を見ると、海岸付近の住人達が集まり始めていた。海面で大群を成す生き物たちに、まず船舶関係者と漁師が気付き、そこから大騒ぎに発展していった。最後には街の警備兵達が駆け付けて、慌ただしく港の防備を固めている。
……まずいな。何も知らない警備兵達が、槍や剣を海に向けて構えはじめているぞ。彼らが警戒するのはよく理解できる。でも、今海からやって来る生物達は味方なのだ。人助けをしてきた連中なのだ。
ドルトンさんの別荘からここまで乗って来た馬は、もう走れない。へばったまま地面にぐったりと倒れてしまっている。俺は直ぐにメンヒルトの屋敷跡から、西地区の港の方へ走り出した。何としても、誤って警備兵達が海の生き物を傷つけてしまわないように。そして、その反対に生物達が警備兵を傷つけてしまわないように!
ダッシュでスラム街を抜ける。こういう時、やはり身長が高い方がいい。足が長いので、ストライドが大きい分、昔よりも相対的に速く走れる。日本に居た時よりも、速く走れているかもしれないな。えっと、まぁ、それは日本人だった頃の俺が、見事なまでの短足だったという証拠なんだけどね。
「カミラ様っ!」
遅れて来ていたレンレイ姉妹と、スラム街の出口付近でちょうどぶつかった。
「レンさん、レイさん、話は後です! 西地区の港へ向かってくださいっ」
俺はレンさんの馬に乗ろうとしたが、彼女の馬も全速力で走って来たのだ。相当バテている。そこへ2名が乗り込むとなると、もはや俺が自分で走った方が速い。そう判断して直ぐに自分の足で走り出した。スラム街から港までは、人間の足で走っても10分ほどでつくはずだ。
その間にも、ヴァルキュリアの目を通して映像が流れ込んできた。人間と海の生物達が対峙し、強い警戒感をお互いに抱きながら様子をうかがっている。一触触発だ。海岸付近に住む港の住人に取ってみれば、いきなり海から生物の大群が現れた訳だ。攻め込んできたと勘違いしても仕方がないだろう。
ましてや魚だけではない。船をも飲みこむ巨大クラーケンや、世にも珍しい人魚までいるのだ。尋常ではないことが起きているとしか思えないだろう。敵意を持つのも当たり前だ。
俺が港の入口付近へ到着するちょうどその頃、恐怖に耐えきれなくなった警備兵の1人が、人魚の1人に向けて、槍を突き出した。それを合図に、人間達と海の生物達の小競り合いが始まってしまった。
……まずいな。海の生物達は、俺の命令に従って、海に沈んだ屋敷の中から引っ張り上げた人間を港まで運んできただけなのだ。しかし、彼らだって攻撃されれば、自分の身を守るために反撃に転じるだろう。
程なくして俺は、小競り合いが始まった現場まで到着した。息が辛いが、そんなことを気にしている場合じゃない。早く彼らを止めなければ!
呼吸を整え、力一杯空気を吸い込む。肺の奥まで空気が入って行くのがわかる。そして喉が壊れる覚悟をして、あらん限りの大声で叫んだ。
「お前たち! 双方、手を退けい!」
一瞬の間があり、空気が凍ったようにその場の全員が、俺の方へ注目した。だが、これだけではダメだ。彼らが手を退くような、印象の強いパフォーマンスをしなければ……。
俺は、ビスマイトさん渾身の作である、毒々しくも妖しく輝く背中の魔剣を抜いた。そして獣王の力を一気に限界まで高め、港に停泊中の大型船へ向けて剣を一閃した。久しぶりに全力を出した。……いや、成長後の体で剣を全力で振るったのは、これが初めてかもしれない。
その威力たるや、俺の意図を越えた想像を絶するものだった。なんと、大型船が真っ二つなってしまったのだ。しかも、船を切り裂いた斬撃が海を断ち割り、一直線に水平線まで到達していた。その斬撃線が消えた後には、白波が立っていた。
それを見た警備兵達も海の生物達も、ぴたりと動きが止まった。皆が唖然としていた。正直に言えば、俺自身も唖然としていた。だって、いくら爺さん師匠に教えを受け、成長した体とはいえ、ここまでの威力があるなんて思ってもいなかったから……。きっと獣王の力と、ビスマイトさんの剣の力も加わっての事なんだろうけど、この場で一番ビビッているのは俺かもしれない。
その場に居た生き物は、衝撃的な出来事に身じろぎ一つできずにいる。時間が止まったかのようだ。
小競り合いを止めたはいいけど、この後、どうすりゃいんだ? 勢いでやってしまったが、全然考えてなかった。もしやこれは……以前によく見た風景に似てるぞ。そうだ、まるで会議中に1人で勝手に怒鳴り散らした後の部長みたいだ。怒り過ぎて周りがひいてしまって、誰も話しかける事すらできない。そんな感じだよ。超絶格好悪いな、今の俺……。
「一同! 注目ーーーーーっ!!!」
助け船を出してくれたのは、レンさんだった。やっぱり俺の一番頼れるお姉さんは、レンさんかもしれない。レンさんも馬を飛ばして、まさに今港に到着したようだ。
レンさんが大声で注目を促した。俺も含めて、その場の全員がレンさんの方へ目をやった。馬の上のメイド服が、美しすぎるぞ。
「こちらにいらっしゃる方こそ、メンデルの正当な王族、カミラ=ブラッドール様です。警備兵達よ、矛を収めなさい。不敬だぞ!」
えっ? ――― レンさん、それは今言っていい話なんだっけ?
俺の頭では、ここからどういう状況になるのか、そしてどの辺りが着地点なのか、全然想像できていないんだけど……。ここでそんな話をしても、通用しないんじゃないのか? かえって”勝手に王族を名乗る不審者”として、警備兵達の猜疑心を強めるだけじゃないのか?
案の定、警備兵達がざわつき始めたぞ。ほら、やっぱりじゃないか……。とレンさんの方を見ると、誇らしげな顔で堂々と騎乗している。そんなに自信があるのか? 段どり上手で物事の先をしっかり読むレンさんだから、勝算もなしに発言するとは思えない。だけど、さすがのレンさんでも、これは迂闊な発言だったんじゃないのか?
警備兵達の間から漏れ聴こえてくる会話を、感覚を研ぎ澄ませて拾ってみた。
「カミラ=ブラッドール? まさかあの噂の……」
「そうだ、騎士団長様が仰っていた例の……」
「黒髪に長身、そして人外の力、間違いない」
「だったら、次の王が……」
「うむ、貴族議員達が支持してるという、例の……」
「馬に乗るメイドといい、本物っぽいな」
「あの力、バンパイアロードやデスベアを斃したという稀代の……」
会話を聞く限り、ディラックさん達が裏でコソコソやっていた”例の話”は、俺だけが知らなかったみたいだな。レンさんは、実は全部知っていたんだろうな。ううむ……何だか村八分感が強いけど、まぁ許そう。この場をそれで収められるんだったら、もう何でも好きにやってくれ。
直ぐに警備兵達は、矛を収めた。そして俺の前に集合し、綺麗に整列すると恭しく跪いた。
これはもう状況からして確定だよね……。つまり、俺の王族立候補の件だ。メンデル王城内での根回しはほとんど終わっていて、その情報が、きちんと末端の警備兵達まで流れていたってことだ。
”知らぬは本人ばかりなり”、というヤツか……。
ディラックさん、手際がよすぎるぜ。俺がいたブラック会社は、経営者の決定が課長クラスの管理職にさえ、まともに周知できなかったというのに……ったく、異世界の方がちゃんと組織してるぞ。
とはいえ、警備兵達も騎士団の部下みたいなものだし、あのマメに動くディラックさんのことだ。きっときちんと自らの足で、知らせに回っていたんだろうな。
「さ、カミラ様、今度は生物たちの方を退かせてくださいませ」
「あ、はい」
俺は考え事をしていたところに、急にレンさんから突っ込まれたので、思わず間抜けな声で返事をしてしまった。ふいを突かれると、思わず素が出てしまうな。
俺は念話で、海域の全生物に告げた。
『お前たち、ご苦労でした。もう下がっていいですよ』
念話で通達するだけでは、ちょっとパフォーマンスとしてインパクトに欠けるな。よし、ここは一発格好よくやってみるか。
剣を大きく振りかぶり、海の沖の水平線の彼方へ切先を向け、腰に手を当てて念話と同じセリフを叫んでみた。……あ、この姿勢、ちょっとカッコイイかもしれない。ファンタジーの醍醐味的な感じだね。
生物達は、ゾロゾロと隊列を成してゆっくり海の彼方へ消えて行った。そして、港の岸壁にはナイトストーカーの幹部達、そしてディラックさん、イオさん、イクリプスさん始めとした騎士団のメンバーが打ち上げられていた。よかった、ちゃんと全員戻っているみたいだ。




