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第6話 ナイトストーカー

「おい、随分と楽しそうじゃねえか」


 突然、暗がりから3人の大柄な男が現れた。この辺りは、街路灯から少し遠い。暗くなっていたので、人が接近してくるのがわからなかった。


「この姉ちゃん、別嬪だなぁ」


 この分かりやすい悪役感は、間違いないだろうな。女2人が丸腰で出て来たのは、ちょっと不用意だったか。


「何ですか、あなたたちは?! 何か御用ですか?」

「御用も何も、さっさと金を出しな」


 男達が一斉に懐から短剣を抜いた。形状と長さからしてタウンソードの一種だろう。一般的で本数も多く、特徴も無い。犯罪に使うには目立たなくて良さそうだ。コイツら、常習犯だな。


「お、お金なんて持ってません!」


 エリー、財布持たずに出て来ちゃったのかよ。まずいな、目当ての金が無いとなると、次はお約束のアレが来そうだ。


「じゃあ、姉ちゃんの体で払ってもらおうかねぇ、ぐへへへ」


 やっぱりな。絵に描いたような悪役だ。これがファンタジーなら、エリーが突然魔法を使って追い払うとか、美形の剣士が助けに入ってくれるとか、そういう展開が期待できるんだが ……ここは逃げの一手だろうな。


「おい、後ろに隠れてるチビ。お前を奴隷商に売れば、少しは金になるだろう。連れてくぞ」

「この子に手出しはさせないっ!」


 エリーは両手を広げて俺の前に立った。相手は剣を持ったゴロツキだぞ。ここは素直に逃げようぜ。


 エリーの肩が小刻みに震えている。腰もちょっと引けている。そりゃそうだ、こんな状況、普通は泣き叫んで失禁してもおかしくないレベルだよ。俺も昔、町でチンピラに絡まれたことがあったけど、相手がナイフを持っていなくても怖いもんだった。


「カミラちゃん! 逃げて!」

「逃がすかよ、馬鹿野郎」


 男の1人がいきなり剣をエリーの足目がけて振り下ろした。オイオイ、その勢いで斬り付けたら、足がちょん切れちゃうぜ。エリーファンの俺としては許さん。絶対にだ。


 俺は逃げずにエリーを突き飛ばし、剣を強制的に回避させた。代わりに、自分が剣撃をまともに受ける格好になってしまった。


「……えっ?」


 突き飛ばされて俺の方を振り返ったエリーが、キョトンとした顔をしている。


 ゴロツキの剣は、エリーの足ではなく、俺の左肩から入って肩甲骨を断ち斬り、胴体の真ん中付近まで斬り進んで止まった。どう見ても心肺両断の即死コースだ。


 その場にエリーの絶叫がこだました。ショックのあまり、気絶してしまったようだ。


 いやいや、気絶するのは俺の方でしょう。そういえば、これだけのピンチなのに、どうして俺は落ち着いているんだろう。


 そうか、既に一度死んだ身だからか。本当に短い間だったが、エリーの代わりに死ぬなら悔いはない。ビスマイトさんには申し訳ないが、こんな俺でもエリーの命を救うことができた。


 まさかこんな簡単な一撃で、致命傷を喰らうとは思わなかったけどな。下らないサラリーマン人生で終わるよりも、美人の犠牲になって死ぬ方がカッコいいってもんだ。ざまぁみやがれ、神様の爺さんよ。


 激しい出血で目の前が暗く……ならなかった。


 それどころか、剣で斬られた傷口が見る間に塞がり、体内に食い込んでいた剣がポッキリと折れていた。折れた刃も一瞬で体外へ排出され、軽やかな金属音を立てて石畳の床に落ちた。


「ひ、ひぃ、なんだコイツ!」


 俺を斬り付け、返り血を浴びたゴロツキ其の1が恐怖の表情を浮かべている。


 いやいや、怖いのは俺の方だっての。だって一瞬で致命傷が治っちゃったんだぜ。ファンタジーだろう、これは。


 次に起きた異変は、想像の斜め上を行っていた。斬り付けた方のゴロツキ其の1の体が、見る間に崩壊していくところだった。俺の返り血を浴び、まるで塩をかけられた蛞蝓(なめくじ)のように、見る間に溶けだしていく。


 なんだよ、俺の血は硫酸か何かなのか?! それなら自分で自分が溶けそうなもんだが。謎だ。胃酸みたいなものなのかな? そう考えれば医学的には納得だ。いやいや、今は冷静に納得してる場合じゃないな。


 神様の爺さんは出てきてないから、驚異的な治癒能力と血の溶解力は、この体の持ち主の力だったってことか。


「くそっ、変な術を使いやがって。チビ、貴様は呪術使いなのか?」

「失礼な。俺はブラッドール家の跡継ぎだ」


 そんな会話をしている間に、ゴロツキ其の1の体は、衣服を残して水のようになってしまった。もしかして、お前の正体はスライムだったのか? だったら倒しても大した経験値にはならないな。レベルアップは期待できないか ……残念。


「ちくしょう、ガキに舐められてたまるかよ!」


 逆上したゴロツキ其の2は剣を真上から振り下ろしてきたが、スローモーションにしか見えない。俺ってこんなに動体視力良かったっけ。バッティングセンターで打てるのは、せいぜい90kmくらいまでだったぞ。


 スローモーションの剣を余裕でかわし、懐に入った俺は、右の拳を脇腹に突き刺した。子供の素手の力だから、多少ビックリさせることくらいしかできないだろうが。


 と思っていたら、俺の右拳はメキメキと音を立てて、ゴロツキの左脇腹を突き破り、肋骨を粉砕しながら肺まで到達していた。当然致命傷だ。ゴロツキの血がべっとりと俺に着く。ズシャと大きな音を立てて地面に倒れ、それっきり動かなくなった。


 最後に残ったゴロツキ其の3を見ると、恐怖で顔が激しく歪んでいた。まるで悪魔にでも出会ってしまったかのような凄絶な表情をしていた。


「な、何なんだよ、てめぇは!!!」


 声が恐怖で裏返っている。


 いやいや、それを聞きたいのは俺の方だって。何この怪力。素手で殴っただけで、内臓まで軽く行っちゃったぞ。こんなの漫画か映画の世界だけだろう。小学生児女のどこに、それだけの筋力があるというのだ。普通に考えておかしいだろう。前のこの体の持ち主は、とんでもないモンスターだったのかもしれない。


 ゴロツキ其の3は既に戦意を喪失していた。だが、まだプライドだけは保っているようだ。意味不明な奇声を発しながら剣をブンブンと大振りしている。


 どんなに剣を振り回しても、幼稚園児のバットのスイングより遅い。簡単に見切れる。俺は剣を素手で掴むことに成功した。真剣白羽取りどころではない。本を机から取るように、片手で抓むことができた。そしてグッと力に任せて剣を握ると、ガラス細工のように砕け散ってしまった。ゴロツキの手には剣の柄だけが残っている。


「ひいぃぃぃぃーー! ば、化け物だ、助けてくれー!」


 ふざけんな。それは俺の台詞だっての。可愛くてか弱い小学生女児なんだぞ、俺は。


 見逃してやろうかとも思ったが、コイツ、よく見ると左手に投げナイフを隠し持っている。俺が隙を見せたら投げつけるつもりなんだろうな。外道はどこまでも外道だな。分かりやすくていいけど。


 俺はわざと背を向けた。ナイフを投げられて困るのはエリーの方なのだ。意識がないから、かわしようもない。だから俺の方に投げさせておかないと。


「死ねっ!」


 予想通り男はナイフを俺の背中に向けて投げてきた。どういう訳かこれもスローモーションに見える。かわそうと思ったが、コース的に俺がかわすとエリーに当たる可能性がある。仕方がないので、俺はそのまま背中でナイフを受けた。鋭い痛みが走った。凄く痛い。やっぱりやらなきゃよかったか。


「ははははー! 馬鹿め、そのナイフには猛毒が塗ってあるんだ。象が数秒で死ぬほどの効果がある!」


 毒か。聞いてないよー。傷が一瞬で治る便利なこの体も、もしかしたら毒には弱いかもしれない。まぁ、死ぬのはもう覚悟の上だったから、たとえ毒でやられたとしても悔いはない。


 しかし、何事もなかったかのように、ナイフは俺の背中から抜け落ちた。少しの傷痕も残さず塞がった。毒の影響もまったくない。


「な、何で”メンヒルトの猛毒”が利かねえんだよ!」

「メンヒルト? 何ですかそれは? 詳しく教えてください」


 俺はわざと丁寧口調で迫ってみた。最後のゴロツキ其の3は情けない顔のまま、ヘナヘナとその場にへたり込んでしまった。


 このまま見逃せば、また何をされるかわかったもんじゃない。もしコイツが大規模な犯罪組織と繋がっていたら、エリーにも被害が及ぶ危険性がある。ここで逃がすのは得策じゃない。


 まぁ、口封じだろうな。殺すのはさすがに抵抗があるので、再起不能にしておこう。おそらくコイツは文字が読み書きできない。だから両目と喉を潰しておけば、意思疎通ができなくなる。そうなれば再犯は無理だろう。


 よし、まずは喉を潰しておくか。男の喉仏に軽く手刀を当てた。だが俺の意図に反して男の首は、胴から切り離され、暗闇の奥へとすっ飛んで行ってしまった。喉を潰すだけのつもりが、首を斬り落としてしまったようだ。何なんだこの怪力は……。全然手加減できてないぞ。しかも手刀で軽く撫でただけで、首を斬り落としてしまうなんて、どこの忍者だよ! クリティカルヒットにもほどがあるだろ。


 意図せず殺してしまったが、不思議と罪悪感はなかった。家族の命を必死で守った結果だからだ。


 ……しかし、この惨状は凄まじいな。1人目はドロドロのスライムになり、2人目は脇腹から入った拳で肺が破裂し、3人目は首を斬り落とされている。こんな猟奇殺人が許されるのは、小説の世界だけだぜ。ミステリー作家も驚くだろうな。


 さて、ここで問題が4つがある。1つ目はエリーだ。エリーは当然俺が殺されたと思っている。それをどう誤魔化すか。

 

 2つ目もエリーだ。ショックで気絶したままだ。どう家まで運ぶか。正直、今の謎の怪力状態ならエリー1人を抱えて運搬するのは造作もないだろう。でも、怪力を制御する自信がない。万が一にもうっかりミスでエリーを潰してしまうなんてことになったら、シャレにならない。


 3つ目は、この他殺体だ。この世界でも、人殺しは大罪に問われるかもしれない。警察の様な組織に通報すべきなのだろうか。よくわからない。


 4つ目はこの謎の力だ。これは発動したままなのか、制御可能なのか、そして正体は何なのか? どちらにしても今の状態で日常生活を送ったら、死人が何人出るかわからない。握手しただけで、相手の手をペシャンコに握り潰してしまうかもしれないのだ。


 優先すべきはエリーの運搬だろうな。暖かい時期とはいえ、夜から明け方はかなり冷え込む。このまま地面に放置しておくわけにはいかない。


 近くの民家に助けを求めるのもいいが、俺の服は今、ゴロツキの血で全身真っ赤だ。警察なのか警備隊なのかわからないけど、お縄になってしまうかもしれない。それは何としても回避しなければ。困った。今こそ本当にヒーローの出現が欲しい。


 その時だった。不意に高台の下から声がした。


「エリーっ! カミラ―っ!」


 この声には聞き覚えがある。俺のベッドを全裸で占拠したシャルルさんの声だ。


「シャルルさん!」


 縋るような声で彼女を呼んだ。本当に彼女に助けてもらいたかった。俺の頭は冷静なようで、混乱していたのだ。生れて初めて人を殺めてしまった訳だし、しかも正体不明の謎の力も発現してしまった。


 映画や漫画を観ると、能力を事もなげに使いこなす主人公ばかりだが、実際自分の身に降りかかってみると、どうしていいかわからない物なんだと痛感した。


 初めて拳銃を持ち、その威力を知らずに人に向けてぶっ放し、殺めてしまった。そんな感覚に近い。正当防衛なので罪悪感は強くないが、それでも不安で押しつぶされそうだ。


 シャルルさんが息を切らせて高台に上がって来た。そして惨状を見る前に、血塗れの俺に抱き着いて来た。


「大丈夫? 怪我はどこ?」

「怪我はしてません、無事です。エリーも気を失っているだけです」

「よかった! 本当によかった!」


 シャルルさんは半泣きの顔で、俺をさらに強く抱きしめた。本当に心配してくれてたんだな。彼女の体温で安心してしまったのか、何だか俺まで泣けて来て、大粒の涙をボロボロと零してしまった。


「よしよし、怖かったんだね。もう安心していいんだよ」


 俺が中年オヤジのままだったら、とても人に見せられない姿だが、今は小学生女児として思い切り泣いておこう。平和ボケしてた日本人には、この殺人劇はやはり刺激が強すぎたよ。


「親方が部屋に来て、エリーとカミラちゃんが居ないことに気が付いて、屋敷中を捜索してたの。それで何処にも居ないってわかると、酒場の皆で手分けして街を挙げての大捜索だったのよ」

「心配かけちゃいましたね。皆さんに謝らないと」

「ううん、悪いのは私。調子に乗ってカミラちゃんのベッドを奪っちゃったから。それで街に出たんだよね」

「街に出ようって言ったのは私です。シャルルさんは悪くありません」

「ありがとう。皆心配してるから、早く屋敷に戻ろう」


 シャルルさんは転がっている3つの死体をちょっと確認し、エリーを背負うと、俺の手を握って屋敷の方へ歩き始めた。


 うん? ……何か重要な事を忘れてないか? そうだよ、死体だよ。この悪党の残骸はどうしたらいいんだ。


「シャルルさん、事情は聞かないんですね?」


 シャルルさんにも惨劇はわかったはずだ。俺の返り血も不思議に思っているだろう。


「……あいつ等は”ナイトストーカー”だ。死のうが生きようがお構い無しの存在だ。カミラちゃんが気にする必要はない」

「ナイトストーカーって何ですか?」

「ひと言でいえば、他国から入って来た犯罪者集団だね」

「犯罪者が他国から入って来るんですか?」

「メンデルの街は工業都市で貿易も盛ん、周囲の国より一際裕福なのよ。だから他国から犯罪者も多く流入してくる。それがいつの間にか、定着して組織化してしまったんだ。組織をナイトストーカーと呼んでいるわ。それを憂いた国は、”ナイトストーカーを見つけたら、警備隊を呼ばずに斬り捨てて良し”としているの。むしろ首を持って行けば報奨金が出るくらいだよ」

「証拠もないのに、ですか?」

「あいつら全員、ショートソードを持ってたでしょ?」

「はい」

「ショートソードには、羽の生えた蛇のマークが刻印されていた。それがナイトストーカーの証拠さ」


 シャルルさんが死体を確認したのは、そのためだったのか。


「それにしても、アレは誰がやったの? とんでもない達人が居たもんだね」


 困った。また問題発生だ。何か適当な誤魔化しを考えねばならない。だが、最近嘘ばっかりついてる気がする。恩人たちに対して、正直になれないのはさすがに気が重い。できれば、ありのままの自分を受け入れてもらいたい。中年オヤジってことは抜きにして。


「シャルルさん、私……」

「話しにくいようなら無理しなくていいよ。大体想像はついてるから。巡回の警備隊がたまたま通りかかったんだよね、きっと。しかも運良く腕の立つ剣士だったんだろうなぁ」


 シャルルさん、結構自分の想像で突っ走っちゃうタイプか。でも普通に考えればそうだよな。


 この力、もうちょっと自分でも分析してから皆に話した方がいいだろう。今話せば、ビスマイトさんにもエリーにも心配をかけてしまうかもしれない。心苦しいけど、ここはシャルルさんの想像に便乗しておこう。きっといつかちゃんと話そう。


「はい…… 騎士さんが来てくれて助けてくれました」

「そうかー、服だけ残ってたヤツは、もしかして素っ裸になって逃げちゃったのか?」

「は、はい。私も途中で気を失ったので、よく覚えてないんですけど……」

「とりあえず2人が無事ならいいさ。後の事は何も心配しなくていいよ。もう今日はゆっくり休もう」


 シャルルさんは何というか、男気溢れる女性だな。姉御肌というのともちょっと違う。単に仕事ができる女って訳でもない。信頼できる有能な人って感じかな。正直、尊敬と憧れの念が湧いて来てしまった。鍛冶を教わるならチャラ男よりも、ぜひシャルルさんに教わりたいよ。


 屋敷に着くと、血塗れの俺を見てビスマイトさんが、顔を青くしてそれはそれは大騒ぎになった。エリーは、マドロラさんに手早くベッドに寝かせられた。


 俺は部屋に戻り、心配でウロウロするビスマイトさんを尻目に、シャルルさんに体を拭いてもらった。湯浴みをして綺麗さっぱりとなった。


「お父様、今回は心配かけてゴメンなさい。歓迎会を台無しにしちゃいました」


「いや、いいんだ。お前が無事なら儂は何も望まない。だから無茶だけはしてくれるな。今度から出かける時は、必ず行き先を告げて行きなさい。そして出来れば、誰か剣を振るえる者を供につけることだ。ドルトンやケッペン、マドロラやシャルルは全員元冒険者だ。戦いもできる。もちろんこの儂もだ」


 …… 今、”冒険者”って言ったよね?


 そうか、この世界にはやっぱり冒険者という職業があるのか。いよいよファンタジーになってきたじゃん! 燃えるぜ! いかん、今はそういう周辺情報に酔っている場合じゃない。


「わかりました、お父様。お出かけする時は、なるべく誰かにお願いするようにします」


 俺はそういってビスマイトさんに勢いよく抱き付いてみた。あざとく甘え上手な可愛い娘アピールする目的ではない。体が何となく自然に動いてしまったのだ。愛情を向けてくれている人と、無意識に距離を近づけたかったのかもしれない。


 ビスマイトさんは一瞬びっくりした顔をしていたが、直ぐに優しい顔になって、俺の頭を撫でてくれた。あ、ヤバい。この撫でられるって感覚。男の時は凄く馬鹿にされた感があって、嫌悪感しかなかったが、小学生女児の今はなぜか心地良い。安心感がある。これが男女の感性の違いなのだろうか。


「今日はもうゆっくりお休み。今晩はシャルルが付いてくれるから大丈夫だ」

「はい、おやすみなさないお父様」


 俺は必ず会話に”お父様”という単語を織り交ぜた。ビスマイトさんに、俺がちゃんと父親だと思っていることを感じて欲しいからだ。エリーの言う悪戯心は今はもうない。


 部屋ではシャルルさんが、ベッドを綺麗に直してくれていた。実際はシャルルさんが酔っぱらって荒らしてしまったんだけどな。


「今日は私が付いている。安心していいぞ」

「はい……。眠る前に一つ聞いてもいいですか?」

「もちろん」

「シャルルさんが冒険者だったっていうのは、本当なんですか? ”冒険者”って職業があるんですか?」

「それはちょっと話が長くなるわね。今日は止めにしましょ。ただ”冒険者”ってのは職業ではないわ。言ってみれば、賞金稼ぎの拡大版みたいなものだから」

「賞金稼ぎの拡大版……ですか?」

「賞金稼ぎは犯罪者を捕まえるのが専門だけど、冒険者はギルドからの依頼で、犬猫探しから宿屋の用心棒、商船の警護や傭兵まで荒事は何でもこなすから」


 ほぅ、冒険者ギルド、やっぱりあるのか。


「あの…… どうしてシャルルさんは冒険者をやっていたんですか?」

「私の場合は、アルバイトだね。というか、冒険者の殆どはアルバイト目的だよ。ちょっと危険な仕事をこなせば、高い給料が貰える。だからギルドに登録しているのは、若くて腕に覚えるのあるヤツばかりだ。まぁ、雑多な荒事が相手の仕事だ。傭兵崩れがいたり、怪しい職業のヤツが居たりするのはお約束だけどね」

「そうなんですか、何か不思議な組織ですね」

「ギルド自体は、言ってみれば”何でも屋”みたいなところさ。市民からの小さな依頼から、大きなものでは国からの依頼もあったりするんだ。私は、冒険者で用心棒をやっていて、そこから正規兵になって、そして親方に弟子入りしたんだよ」

「えっ?! どうして正規兵に取りたてられたのに、お父様の弟子になったんですか?」

「正規兵と言えども、下っ端の給与は雀の涙なの。大抵は副業を持つんだよ。私は親方のおかげで副業の鍛冶師が主になってしまったけどね、アハハハ」

「お城にはお勤めに行かなくていいんですか?」

「城へ勤めるのは、メンデル騎士団だけだよ。正規兵の中でも、役職の高い腕利きの者だけってこと」

「そうなんですか……」

「今日は時間も遅い。もう寝ようか」


 シャルルさんは俺をベッドに寝かせると、彼女は持ち込んだ簡易ベッドに横になっていた。何か申し訳ない感じもするな。エリーも桁外れに親切な人だけど、シャルルさんも負けず劣らず良い人だ。こんなにたくさんの良い人に恵まれて、俺は幸せ者だよ、本当に。


 今日一日、たくさんの初体験を一気に味わったせいか、疲労していたのかもしれない。目を閉じたら直ぐに意識を失った。



 ――― 気が付いたら俺は夢の中にいた。


 夢は夢でも、感覚がちょっと変だな。そうだ、あの神様の爺さんに出会った時と似ている。だが、俺の目の前で展開されている光景はなんだ。


 俺の体が外にある。いや、この体の本来の持ち主が見える。そして…… あれは誰だ? ヒョロっとした顔色の悪い優男と、筋骨隆々のでかい男が隣に立っている。


 もしかして、これはこの体が持っていた記憶が蘇っているのかもしれない。夢は人が記憶を整理するためのプロセス、と言っていた人がいたな。だとすれば、あの不思議な力の正体が、この少女の記憶から引き出せるかもしれない。


 暫くすると、俺の体はフワリと浮かび上り、目の前の少女と一体化した。俺の体なのに俺が自由に動かせない。勝手に動いて物語が進んでいく感じだ。まるで、役を演じる役者の中に入って、演劇を見ているようだ。


 この少女は、どうやら城に住んでいたらしいな。周囲が城壁だ。だけど、俺が昨晩見たメンデルの城にしては大分小さい。おそらく他国の城だろう。


 ひとしきり彼女の生活を、第三者視点で観ることが出来た。かなり不思議な感覚だったが、この体の持ち主がどういう生活を送っていたかわかった。チャラ男の言ったとおり王族のようだな。


 だが、あまり恵まれた国ではないようだ。母が病気で、王である父は、かなり偏った性格。癇癪(かんしゃく)持ちのようだ。気分に任せて怒鳴り散らし、思慮深さや品位の欠片もない。理不尽なパワハラ上司にありがちのタイプだよな。このタイプは、火が点くと爆発しちゃって厄介なんだよ、ホント。


 そして、兄が2人か。兄たちとはかなり仲が良いようだ。兄と過ごしていた幸せな感覚が、俺にまで押し寄せて来る。


 それにしても毎日毎日、ひたすら城の中で学問と花嫁修業か。完全なる籠の鳥だな。つまりこの娘は政略結婚要員、政争の道具という訳だ。


 おっと、今日は城から初めて出かけるのか。兄2人も一緒。行き先は…… 山か。大きなバスケットを持っている。この感覚はだいぶ気分が良い。という事はあの少女も喜んでいるのか。初めてのお出かけだもんな。


 初めてのお出かけは、兄貴たちとピクニックのようだ。微笑ましい。この山から見る景色は清々しいな。遠方には大河、その先には城壁とたくさんの煙を吐く尖塔が見える。隣国は工業都市か。


 山に着いて、平和な時間が暫くすぎたように見えるが……


 うん? なんだこれは!? ……熊だ。突然熊が現れたぞ。しかも1頭じゃない。数百頭はいる。でもこの熊、不自然なくらい大きくないか? 俺が昔、北海道のクマ牧場で見たヒグマが、仔犬に見えるほどの大きさだ。どの個体も軽く全長10メートルは超えているだろう。それが数百頭。山の斜面が熊で真っ黒に見える。これはタダじゃすまんだろう。


 案の定、兄貴2人は一瞬で体丸ごと食われていた。この少女は…… 左腕を喰いちぎられ、そのまま地面に叩きつけられていた。


 そうか、この娘が左腕を失ったのは、この熊のせいだったのか。しかしこの熊、爪と牙が鮮やかな紫色をしている。そして眼が緑色に輝いている。俺の知っているどの熊とも違うな。


 熊はこの少女に興味を失ったようだな。…… そのまま地面に置き去りかよ。酷いな。小さすぎて食べごたえがなかったのかもしれない。だが凄まじい激痛だ。夢だというのに猛烈な痛みと悲しみ、そして絶望がこの体を支配している。


 確かにこれでは死にたくもなるだろう。仮に無事城へ戻れたとしても、政争の道具としての価値は無くなっているから、捨てられるだろうし。いや、これは俺の思考じゃない。少女の思考か。もう俺と本人の区別がつかなくなっている。でも左腕の事とこの少女の素性が少しだけわかった。いくつか手がかりもあった。それだけでも収穫だ。


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