第56話 空隙の悪魔
翌朝までとにかく安静にして、部屋から動かないようにと言われてしまったので、ひとまず寝ることにした。ドルトンさんの別荘は思ったより機能的で、ベッドも大き目のものが2つある。今の俺の身長だと、それでも少し窮屈なのだが贅沢は言っていられない。
「カミラ様、私とレイはこちらのベッドをお借りします」
と言ったものの、レンさんもレイさんも、なぜか俺のベッドの横に椅子を持ってきて、スタンバイしている。2人に至近距離で見つめられたら、凄く気になる。眠れる訳がない。
「あのー……どうして2人とも枕元に?」
「お仕えする主人が体を壊しているのです。従者がのん気に横になっている事などできません」
「あ、いえ、症状としてはただの風邪ですから、大丈夫ですよ」
「そうは参りません。尾行の件も気になりますし、ご就寝中に病状が悪化するということもございますから。私たちの事は気になさらないで、安心してお休みください」
「わ、わかりました。ではお任せします」
……やっぱり説得は無駄だったようだ。仕方がない、眼を瞑って何も考えず睡魔に任せる事にしよう。
俺は瞼を閉じて布団を掛け直し、眠ることに集中した。
――― あぁ、睡魔がようやく意識を持っていってくれる。そう感じながら、深い眠りの淵に落ちそうになった矢先、予想外なことが起きた。
布団をそっと剥ぎ取られ、メイド服を脱いで軽装になったレイさんが、添い寝してきたのだ。一体何事だろうか?
「レ、レイさん? これは一体……?」
「気になさらないでください。ただの民間療法です」
「……民間療法? 何ですかそれは?」
「風邪は他人にうつせば治ります。どうか私にうつしてください」
……いや、確かにそういう都市伝説は日本でも聞いたことがあるけど、それは民間療法ではない。迷信みたいなものだ。風邪が治りかけると、皆仕事や学校に出掛けて人と接するようになる。その時には、既に治りかけの時期だから直ぐに治る。でも大体は、風邪をひく寒い時期であることが多いので、周囲でも風邪が流行る。結果として、”人にうつせば風邪は治る”という迷信が生れたと聞いたことがある。本当かどうかわからないが……。どちらにしても、レイさんと一緒に寝ても俺の風邪が治る訳ではない。
「いえ、たぶんそれは迷信だと思いますよ」
「……それでもレイが居れば、お体が冷える事はないと思います」
おいコラ。……レイさんは熱源だったのかよ。”湯たんぽレイ”がここに誕生してしまったぞ。だけど、2人とも目が真剣そのものだ。きっとメイドの務めだと信じているのだろう。下手な説得は意味がなさそうだ。
正直、布団が薄いのでちょっと寒いとは思っていた。暖房器具もないし、布団も他にはない。こうなったら、せっかくなので湯たんぽレイを活用させてもらおう。少なくとも見た目は女同士だし、添い寝くらいならいいよな。間違っても、シャルルさんの時のような悲劇は起きないはずだ。
「では、よ、よろしくお願いします、レイさん」
「お任せください!」
ちょっと待て……レイさん、どうしてキミはそんなに嬉しそうなんだ。
よくわからないままに、レイさんがヒシッと俺に抱き着くように密着してきた。何だかちょっと心配になった。軽く痴女シャルルのトラウマが蘇ってきたかもしれない。
「あ、あの、そんなにくっ付くかなくても、十分温かいですよ?」
「いえ、風邪を悪化させてはなりませんから」
レイさんの体温を全身で感じる。人肌の温もりというのは、やっぱり心地良い。だけど、ちょっと息苦しいな……。もう少し手加減して欲しい。
「スーハー、スーハー……」
「レイさん、呼吸が荒いですよ? 大丈夫ですか?」
「あっ……申し訳ございません、ちょっと匂いが」
何っ! 匂いだって? もしかして俺のこの体は匂うのか? 確かに今日はまだ湯浴みしてないし、さっきまでドタバタ劇の中にいた訳だし、多少は汗臭いかもしれない。いやでも、中身はオッサンだけど加齢臭はしていないはずだ。それはさすがに引き継いでいない。たとえ汗臭くても、爽やかな女子の匂いだと信じたい。
「もしかして私、汗臭いですか?」
「いえ、カミラ様から甘い花の香がしたもので、つい……」
花の香だって? ……はて、香水を付けた覚えはないぞ。服にも、そんな匂いはついていなかったはずだ。自分でも体を匂ってみた。
うむ、確かに甘い匂いがする。
まさかこの体、糖尿病じゃないよな。本当かどうか知らないけれど、重症の糖尿病を患った体からは、甘いフルーツの匂いがする事があると、聞いたことがあるけど……。そんなにスイーツを食べ過ぎた覚えはないし、酒だって一滴も飲んでいない。
異世界ファンタジーの世界に来てまで、生活習慣病とか冗談じゃないぞ。人間ドックでは健康に問題はなかったはず……って俺の元の体の話をしても意味がない。だけど、こんなにはっきりとわかる花の香って、やっぱり何かおかしいような気がする。魔法や呪いの類でなければいいのだが。
――― バンッ!
突然部屋のドアが乱暴に開いた。レンさんが直ぐに反応して短剣を抜き、臨戦体勢に入った。相変わらずの素早さだ。だが、レイさんはまだ俺にひっついたままだった。……おかしいな、いつもなら戦いの匂いにいち早く反応するのは、レンさんよりレイさんの方なのに。
「ハァ、ハァ、ハァ……。その甘い匂いは”悪魔の香り”だ。カミラ、そのまま動くんじゃない。そしてレンとレイ、今すぐカミラから離れろ!」
ドアを激しく開け、肩で息を切りながら言葉を発した人物は、シャルローゼさんだった。その肩には、ヴァルキュリアがとまっている。彼がこの部屋まで案内してくれたようだ。それにしても、到着は明日の朝といっていたが、今はまだ夜明け前だ。余程急いで駆け付けてくれたのだろう。
「シャルローゼさん、随分とお早い到着ですね。それにしても”悪魔の香り”って何ですか?」
「話は後だっ! 悪魔が暴走する時、その香りがするのだ!」
そう言い放つと、シャルローゼさんはトレードマークの黒くて長いマントを付けたまま、俺の方へ近づいて額に手を当てた。レンレイ姉妹は、既にベッドから大きく離れて待機している。ヴァルキュリアでさえ、部屋の隅へ移動して目を背けている。何だよ、これから何が起きちゃうんだよ。
「”空隙の悪魔”めっ! 調子に乗るなっ!」
シャルローゼさんが俺の額に当てた掌に力を込めると、全身が熱くなってきた。特に左腕だ。義手だから本来の感覚ではないのだが、とにかくお湯に浸けられたような熱さを感じる。
「あの、これは一体……?」
「うるさい、集中できん。今は黙っておれ!」
「ハ、ハイッ!」
いつもクールで落ち着いているシャルローゼさんが、珍しく焦っている。額から大粒の汗が噴き出ている。この魔法の達人が、これほどまでに慌てる事態が起きているのか……。
それから、何時間もシャルローゼさんは呪文を唱えては力を込める、を繰り返した。その間中、俺の左腕は熱くなったり冷たくなったりと、生き物のようにウネウネと変化していた。やがて陽が昇り、窓のカーテンの隙間から強烈な太陽光が入ってくる頃、ようやく彼女の動きが落ち着いた。
俺の額から手を放すと、精魂尽きてしまったのか、そのままばったりと床に倒れてしまった。かく言う俺は、気が付けば熱もさがり、風邪の症状もすっかり消え去っていた。一体何がどうなっているのかさっぱりわからない。聞こうにもシャルローゼさんは、とても話せる状態じゃない。
レンレイ姉妹が、シャルローゼさんのマントを取り、服を脱がせてベッドへ運んだ。
「相当お疲れのようです。お顔の色が優れませんもの……」
レンさんの言う通り、彼女は全精力を使い果たしたようだった。頬がこけているようにも見える。この部屋に入ってきた時には、プニプニのお顔だった気がするのだが。これではまるで、俺の代わりにシャルローゼさんが病になってしまったみたいじゃないか。どうやら俺の中の何かと、ただならぬ戦いがあったようだ。
「レンさん、シャルローゼさんの看病を頼みます」
「はい。ですが、カミラ様は大丈夫なのですか?」
「私はシャルローゼさんのおかげで、調子が戻ったようです」
これは本当の事だった。その証拠に、昨日は数キロメートル先の気配を探るのが限界だったが、今はその倍以上の範囲の気配を掴めるようになっている。きっとこれが獣王の本来の力だろう。
「よかったです。ですが、外にはあの尾行者がいるかもしれません。しばらくは室内でお過ごしになられた方が、よろしいのでは?」
「いえ、私は反対に尾行者の方を攻めてみようと思います」
「尾行者を攻める、ですか?」
「ええ。ここでじっとしていても、尾行者が居る間は何もできません。相手も相当な気配感知の使い手のようですが、今なら私の方が上です。先に敵の気配を掴んで、正体を探ってみようと思います」
「ですが……」
「大丈夫ですよ、深入りはしません。レイさんとヴァルキュリアを連れて行きます」
「かしこまりました。ご武運をお祈りいたします」
◇ ◇ ◇
俺はしっかりと武装し、気配感知をしながら街に出た。飛び込んでくる感覚があまりにも多く、最初は戸惑ったが、慣れてくると直ぐに尾行者の気配を掴むことができた。
「レイさん、ここから北西1キロメートル先に尾行者がいます。年配の男性のようです。今は移動せずにじっとこちらを探っていますね。男の周囲にたくさんの人の流れがあります。おそらく大きな通りに居るのでしょう」
「上手く群衆の中に紛れている、という感じでしょうか?」
「ええ。でもドルトンさんの別荘へ強い注意を向けているのは明らかです……。ヴァルキュリア、ここから北西に1キロメートルほど先に大きな道筋はありますか?」
『はい、ございます』
「今から私達はそちらの道筋へ近づきます。不自然な動きをする年配の男が居たら、目を付けておいてください」
俺とレイさんは、さも散歩にでも出かけるように、男の居る方向へとさりげなく近づいていった。ゆっくりと、そしてなるべく気配を漏らさないように近づく。
ほどなくして通りに入る。人が多い。かなりの混雑だ。市場ではないが、店舗が多く建ち並ぶ通りのようだ。雑貨屋や理髪店、小さな酒場のような店がある。通りを行き交う人々は、午前中の営業開始に向けて、物資を運んだり、路上で打ち合わせをしたり忙しそうに動いている。さすがにこの雑踏の中から、特定の1人を目だけで見つけるのは難しい。逆に、こちらも見つけられ難いとも言えるけど……。
男の気配は変わりなしだ。よし、まだこちらに気が付いていない。俺の気配感知では、尾行者まであと100メートルほどだ。
これ以上近づくと気配ではなく、目視でバレてしまうかもしれない。今日は尾行者を捕まえることが目的ではない。ヴァルキュリアに顔を覚えさせ、尾行者を逆に尾行し、素性を突き止めることだ。
「カミラ様、どうしましょう?」
「……そうですね、レイさん、私が合図をしたら殺気を前方に向けてみてください」
「殺気を……ですか。ハイ」
『ヴァルキュリア、レイさんが殺気を向けた後、不自然な動きをした年配の男を探索してください』
『はっ、かしこまりました。ですが、複数いた場合はどういたしましょう?』
『その場合は、私がどれを追うか指示します』
実戦で鍛えているレイさんの殺気は、かなりのものだ。100メートル先でも、気配感知ができる達人なら、警戒して殺気の発生源から距離を取るはずだ。
「……レイさん、やってください」
「はいっ!」
そういってレイさんは、まるで目の前に親の仇でもいるかのような、強烈な殺気を放出した。気配感知しているので、俺もその殺気を強く感じる。
結果は直ぐに出た。やはり優れた感覚を持つ者ほど、殺気には敏感である。予想通り尾行者の男は、素早く俺達から離れる方向に動いて行った。自分の尾行がバレたと勘付いたのだろう。
『ヴァルキュリア、わかりますか?』
『も、申し訳ありません』
『どうしました?』
『男の姿が消えました』
『姿が消えた……どういうことです?』
『はい、一瞬姿を捉えることはできたのですが、直後、男が小石のようなものを石畳の道に叩きつけると、空気に同化するように消えてしまいました』
『……わかりました。もう私の気配感知からも、消えてしまいました。相手は何か隠し玉を持っているようですね。深い追いは禁物です。今日のところは撤退しましょう』
隣で一生懸命に殺気を放出しているレイさんを止め、俺達は群衆に紛れながら、家路についた。それにしても、まさか姿そのものを消す事ができるとは……。暗殺者として敵に回したら、最悪の敵じゃないか。もし自由自在に姿を消せるのだとしたら、家の中で知らぬ間に刺殺される、なんてことも十分ありえる。何か対策を打たないとまずいな。
「おっと、カミラ殿ではないか?!」
「あれ? イクリプスさんじゃないですか。どうしたんですか、こんなところで?」
帰り道にドルトンさんの別荘がある路地の前で、弟思いのイクリプスさんに出会った。この人には、二重スパイという相当危ない役を担ってもらっている。早く解放してあげたいところだ。だが、そのためにはナイトストーカーを殲滅しなければならない。
「ちょうどブラッドール屋敷へ行こうと思っていたのだ」
「ブラッドール家へ? 何の御用ですか?」
「立ち話はまずいな。できればどこか人に聞かれないところで話がしたい」
「わかりました。今、訳あってドルトンさんの別荘に居ます。そちらに行きましょう」
「それは助かる。私も今は、ナイトストーカーに監視されているかもしれない。ブラッドール屋敷には、なるべく近づかない方がいいだろうからな……」
イクリプスさんを伴って、ドルトンさんの別荘へ戻ると、シャルローゼさんはまだベッドに横になったままだった。呼吸は落ち着いてきている。寝汗もほとんどかいていない。レンさんの看病が上手くいっているようだ。早く元気になって欲しい。彼女には聞いてみたいことが山ほどある。
「……それでイクリプスさん、お話とは?」
「ついに掴んだぞ。ナイトストーカーの総会の件だ」
「や、やりましたね! これで私たちの勝ちも同然です!」
「ああ。あと7日後だ。メンヒルトの館にナイトストーカーの幹部が全員集まる。運よく私も出席できることになった」
「幹部は何人くらい集まるのですか?」
「全体で何人になるかはわからない。私が知っている幹部は10人だけだ。それ以上のメンバーは、顔はおろか名前すら知らない」
「そうですか。でも館に収まる程度の人数でしょうから、メンデル騎士団に包囲してもらえば一網打尽にできますね」
「ついにこの窮屈な生活からも抜けられるな!」
イクリプスさんは嬉しそうな顔をしていた。ようやくこれで弟さんと一緒に、何の後ろめたさもなく、自由な生活を送ることができるのだ。
「では早速、ディラックさん……いえ、この国の騎士団長へお知らせしますね。彼なら既に対ナイトストーカー用の作戦を練り上げているはずです」
「よろしく頼む。では、私はこれからどうすればいい?」
「ディラックさんから、直ぐに作戦の指示が来ると思います。イクリプスさんがどう行動するかは、その時にお知らせします。後からヴァルキュリアに手紙を届けさせます」
「わかった。後はよろしく頼む。カミラ殿、貴殿には本当に感謝しても感謝しきれない」
「いえ、そんな事はありませんよ。私もイクリプスさんが居てくれたから、ここまでやってこられたようなものです」
俺は彼女の手を取り、握手してしっかりと目を見つめて感謝の言葉をかけた。イクリプスさんはちょっと照れながらも、すがすがしい顔をしていた。以前のような斜に構えた投げやりな部分がない。すっかり憑き物が落ちたようだ。元々は権威と力の象徴、泣く子も黙る中央王都の騎士団長様だからね。デュポンの病気がなければ、真っ直ぐに出世していった人なんだろうな。
「おい、そいつはあの時の魔剣の女ではないのか?」
俺とイクリプスさんが、感慨に浸っていると、シャルローゼさんが目を覚ましたらしい。警戒心たっぷりの怪訝な声を掛けてきた。ベッドから体を起こし、杖を構えている。既に魔力を込め、臨戦態勢だ。
……そうだった。イクリプスさんが味方になった事は、シャルローゼさんに伝わっていなかった。あの街道で襲われた時から、敵であるという認識のままだ。治癒呪術を開発してもらった時も、その使い道までは話していなかったし……面倒なことになったな。
一方のイクリプスさんは、シャルローゼさんの狼の姿しか見ていなかった。だから今、ベッドに居る人物が、自分を襲ったあの狼だとは認識できていないだろう。
「シャルローゼさん、早まらないでください!」
「なぜだ……なぜバロールの魔剣を持つ女がここに居る!? そいつはナイトストーカーではないのか?」
「ええ、”元”ナイトストーカーです。今は私達の味方です。あの治癒呪術で弟さんの病が治り、私達に協力して頂いているのです」
「……うん? あの治癒呪術は、その者を味方にするためだったのか?」
「そうです、だから大丈夫です。杖を収めてください!」
「ふむ、カミラが良いというのなら、私はかまわない。だがその魔剣で斬られるのだけは、勘弁して欲しいぞ」
シャルローゼさんは杖を収め、魔力を込めるのを止めた。方や、イクリプスさんは何の話なのか全然わかっていない。彼女の目には、見知らぬ女魔法使いが、突然ベッドの上で敵意を現し始めたとしか映らなかっただろう。
「イクリプスさん、ごめんなさい。詳しい話はあとでしますが、こちらはシャルローゼさんです。私たちの味方の魔法使いです」
「イクリプスと言います、よろしくお願いします」
俺が間に立って紹介すると、イクリプスさんがシャルローゼさんに握手を求めた。
「私は……シャルローゼ=シュタインベルクという」
「シュタインベルク? もしかして中央王都の貴族、ですか?」
「そうだ。だが今は没落した貴族だ」
「私の家は、代々中央王都で騎士の家系ですが、元々先祖はシュタインベルク家の従者でした」
「ほう、先祖が仕えた主の名前は?」
「エンディア=シュタインベルク様です」
「……それは私の兄だ」
「兄君がエンディア公? そんな馬鹿な、あり得ない。……貴女は一体何歳なのですか?」
「故あって魔法で生きながらえている。今は、このカミラのために生きているようなものだがな」
「まさか、シュタインベルク家の血縁者にお会いできるとは……光栄の至りです」
「もう私は貴族ではないし、お主も従者ではない。堅苦しい挨拶は抜きだ」
「ありがとうございます。今は私も大恩あるカミラ殿のために生きる身です。今後はよしなに……」
そういって、イクリプスさんとシャルローゼさんは堅い握手を交わした。まさかこんな遠方の地で、かつての主従関係が、時代を越えて判明するとは思わなかった。だけど、これも何かの縁なのかもしれない。とにかく繋がった絆は大切にしたい。今では皆俺の仲間、いや家族みたいなものだからね。
「ところでシャルローゼさん、もう体の方は大丈夫なんですか?」
「何とかな」
「それで、随分と慌てていたみたいですが、私の身には何が起きたのでしょう?」
「空隙の悪魔の暴走だ」
「は、はぁ……空隙の悪魔、ですか……」
「悪いのは私だ。お前に授けた左腕、義手だが、あのホムンクルスには”空隙の悪魔”という悪魔が封じ込めてある」
……おいおい、聞いてないよ。俺の知ってるホムンクルスは、悪魔なんか必要としなかったぞ。あ、でも人間の魂が必要とかそういう設定が、RPGでは定番だったような記憶はあるな。
「その”空隙の悪魔”は悪魔の中でも特に変わり種だ」
「どういう悪魔なんですか?」
「一般的に悪魔は、人間と同等以上の知能を持つ。饒舌で人を騙し、魂を奪い取りにくるような連中ばかりだ」
「はい。だから魔法使いはリスクを負っているのですよね」
「そうだ。だが”空隙の悪魔”は知能や知恵を持っていない。本能だけで生きている原始的な悪魔だ」
悪魔に原始も高等もあるのだろうか。悪魔の分類をよく知らないので話が見えないが、とにかく下級の悪魔と考えておくことにしよう。
「”空隙の悪魔”のやることは2つだけだ。1つは魔法使いがイメージした物になりきることだ。これは私が悪魔と契約して、お前の義手をイメージして作った事に当たる」
「なるほど、そうだったんですね」
「2つ目は、周囲の力を見境なく何でも取り込むことだ」
「えっ?……じゃあ、私の力はこの左手の義手に吸われてたってことですか?」
「結果的にはそうなる」
それで獣王の力が弱っていたのか。でも今は大丈夫だし、その前、つまり急激に成長する前までは全然平気だった。その間で何が起きたのだろうか。
「空隙の悪魔は力を取り込むが、本来は非常にゆっくりとしか取り込まぬ。人が栄養を摂るが如くな」
「そうですか、それで力を取り込むけど気にしなくていい、と仰ったんですね?」
「ああ。だが問題はあった。お前の急成長だ」
「急成長がどうして?」
「義手もお前に合わせて成長する。だから成長する分の力が必要になるのだ」
「……そういうことですか」
確かあの時、義手は最初小さいままだった。だが、1週間くらいのうちにいつの間にか勝手に成長していた。あの成長の栄養源は、俺の力だったのか。
「うむ。それで終わっていればよかった。だが、急にたくさん吸った力は獣王の力だ。空隙の悪魔には、いささか刺激が強かったようだ。それで暴走した。獣王の力を全部吸い尽くそうとしたのだ」
「……でも、成長は終わっているのに、吸い尽くしてどうするんでしょうか?」
「空隙の悪魔の所以は、力を吸収して自ら使う事だけではない。文字通り空隙のようにため込む性質を持っている」
「は、はぁ。ため込んでどうするんでしょうか?」
「ため込んだままだ。そこから先は実験した者もおらぬのでな。おそらく今、その義手には、カミラから吸った獣王の力の一部がため込まれている。それがどうなるのかは、私にもわからない」
「そうですか。でも今は以前のように力を使えてますよ?」
「魔法で力を吸う量を制限したからな。まず大丈夫だろう……」
これで義手の謎が解けた。でも結構危険なヤツを背負い込んだ感覚がある。便利なだけにもう手放せないけど、少し不安もある。その空隙の悪魔とやらが、いつ暴走するかわからない。戦いの最中は、やはり爺さん師匠の言う通り、外しておいた方がいいだろうな。
「ありがとうございました。わざわざコーネット領から駆け付けてくれると聞いたので、何事かと思いましたよ」
「いや、すべては私のミスだからな。本当なら、ミッドミスト城で会った時に気付くべきだった」
「あっ、ところで……シャルローゼさんは、魔法でここまで移動してきたんですか?」
そう、ぜひ聞きたいのは、空間を歪める魔法のことだ。もしそんな反則的な魔法があるなら、いざという時にも安心である。逃げるにしても敵地へ切り込むにしても、無条件で有利に事を運べるはずだ。
「……移動魔法の事か。アレは初歩的な魔法だ。初心者でも使えるはずだ」
「でもそんな話、他では聞いたことがありませんよ?」
「まぁ、馬ごと長距離移動できるようになるまで、私も1000年ほど修練が必要だったがな」
「えっ? じゃあ……」
「普通移動させられるのは小さな物体だ。しかも数センチから数メートルがせいぜいだな。私は人馬ともに数千メートルは軽い。相当な集中力が必要だから、連続しては使えないがな」
なるほど、魔法としては初歩の技だが、大技に練り上げるには、達人レベルにならないと実現は無理ということか。シャルローゼさん専用の魔法みたいなものだろうな。あの天災魔法少女のブリッツさんは、使えるのだろうか……。
「ちなみにブリッツはこの魔法、使えないはずだ」
「どうしてですか?」
「アイツは空間系、幻覚系と相性の悪い悪魔と契約しているからな」
「相性みたいなものもあるんですね」
「ああ、それはもう複雑だ。組合せを間違えると、お互いに力を打ち消し合ったりする」
またも魔法の謎を知ってしまった。俺が思っている以上に、魔法、つまりそれを司る悪魔の世界というのは、奥が深そうだ。
「それと、もう1つ知らせがある。私がここへ来た理由の半分はそれだ」
「……何でしょう?」
「来年にもコーネットは、魔法国家として樹立することになる」
「ええっ!? 本当ですか?」
「ブリッツとニコルルの本領発揮と言ったところだな……」
そうか、いよいよ魔法国家への道が始まるのか。これで中央王都に正面から喧嘩を売ることになる。コーネットに組みするメンデルも敵と見做されるだろう。中央王都の反応が、どんなものになるかわからない。だが、確実にアルベルトこと仇敵リッチへの対抗の第一歩になる。




