第55話 風邪
貴族議員ソルト=エルツは、パーティー会場を抜け出し、馬車を走らせた。行先はメンデル西地区。ナイトストーカー、メンヒルトの館だった。
ソルトは館の玄関前に馬車を横付けさせると、いきなりドアを思い切り蹴り上げた。
「おーい、早く開けてー。開けないと火を着けちゃうよー」
この声に反応し、大慌てで顔を出したのは、メンヒルトその人だった。
「これはこれはソルト様。こんな夜更けに何用ですか?」
「メンヒルト、あの薬ダメだったみたい」
「薬? あの毒を使われたのですか?!」
「いやいやー、暗殺用の毒じゃなくて強壮剤の方」
「あれをお使いになられたのですか? 誰に?」
「いやねー、お前の手下がマイヤーの攻略に困ってたから……」
「マイヤーに一服盛ったんですかい?」
「そうだよぉ。でもね、ちょっと効きすぎちゃったみたいー」
「量はどのくらいお使いになられたんですか? お渡しした1包で50回分なんですが」
「え!? そうだっけ? アハハハ、ゴメーン。全部使っちゃった」
「全部! ……普通の人間はしばらく正気を失いますぜ」
「まぁ、もうやっちゃったもんは仕方ないよねー」
「は、はぁ……それでマーガレットのヤツはどうなってるんでしょう?」
「知らなーい」
「はぁ……では次の作戦はどういたしましょう?」
「そうだねー。うーん、もう色々考えるの面倒くさくなってきちゃった」
「で、ですが……カール様のご意向が」
「わかってるって! うるさいなぁもう! あんまりうざいと殺すよ?」
「も、申しわけございませんっ」
メンヒルト、いやナイトストーカーにとってソルトは、いわば裏ボスのような存在である。実質的な組織への関与はないものの、ソルトに便宜を図ってもらうことで、さまざまな違法行為が自由にできているのだ。そして資金源、パトロンでもある。だから、ソルトがいかに気まぐれで横暴であっても、決して逆らうことはできない。
「それよりさぁ、何か面白い魔法石は入ってないの?」
「以前お渡しした”剥奪の悪魔”ではご満足頂けませんでしたか?」
「アレは切り札。それ以外にも欲しいんだよね」
「しかしアレは希少な品です。そんなにおいそれとは……」
魔法石は、限られた高位の魔法使いだけが生成できるアイテムである。魔法使いが契約した悪魔を、一時的に石に封じ込めたものだ。封じ込めには当然、悪魔との取引が必要である。悪魔との取引とはつまり、寿命の切売りである。加えて、封じ込めた悪魔には使用期限がある。期限が過ぎれば、悪魔は勝手に魔界へと帰り、石はガラクタとなる。
だが使用期限内であれば、魔法使いでなくとも、封じ込めた悪魔に応じた魔法を1回だけ使うことができる。しかも、寿命を削るというリスクなしにだ。富裕層には、護身用として定期的に魔法石を買い求める者もいる。
ただ、魔法石も様々な種類がある。特殊な魔法を発現させる悪魔を封じ込めた品は、まず出回ることはない。大抵、火を出したり、凍らせたり、眠らせたりするだけの簡単な魔法石がほとんどだ。特殊な悪魔を封じ込めるのは、高位の魔法使いでもリスクが高いからだ。
ソルトの持つ、”剥奪の悪魔”は極めて特殊な魔法石だ。大陸全土でも流通するのは、年に数個程度と言われている。
「うーん、じゃあ作戦変更」
「一体どのような作戦になるので?」
「カミラ=シュタインベルクって女を誘拐してきて。あとね”拘束の悪魔”も確保しておいてねー」
「その女が何か? それに”拘束の悪魔”は超レア物です。まず手に入りませんぜ」
「シュタインベルクとかいうデカ女が、マイヤー坊ちゃんの惚れた相手なんだよ。だから、”拘束の悪魔”で、その女を操るよー」
「魔法石を使うまでもなく、金か脅迫で落とせるのではありませんかねぇ?」
「今回は確実にやらないといけないからね。失敗したら宰相に殺されるよ? アハハハ」
「そ、そうですか、わかりました。直ぐに実行に移します」
「そのシュタインベルク何某は、どこの地区の者かご存じでしょうか?」
「それは隠密を使って調べさせるから、後で伝えるよー。んじゃよろしくぅー」
「はっ、お任せください!」
大切なパトロンとはいえ、ソルトとの面会は毎回神経が磨り減る。彼は突然何を言い出すかわからない。急な計画変更も常だ。そんな恐ろしさを持つ厄介な性格だ。
メンヒルトはソルトの馬車が暗闇に消えるのを確認すると、ふぅと安堵のため息をついた。
その馬車を上空から追跡するものがあった。小さな鴉である。闇夜の鴉、しかも無音で動くその隠密は、勘の鋭いソルトと言えども看破できなかった。
◇ ◇ ◇
俺とレンレイ姉妹は、尾行に警戒しながら、家路を急いだ。今、最大のリスクは素性がバレることだ。ハッブル家に知れても、エルツ家に知れても厄介なことになる。とはいえ、ヴァルキュリアには派手貴族を追わせている。上空からの尾行監視は期待できない。レンレイ姉妹の気配感知に頼るのみだ。
気配感知なら、格闘の得意なレイさんの方が、レンさんよりも遠い相手まで探知できる。しかし、他にたくさんの殺気や悪意の気があった場合、精度は落ちるそうだ。
「あの、カミラ様……大変申し上げ難いのですが」
「何ですかレイさん?」
「獣王の力で気配感知はできないのでしょうか?」
言われてみればそうだ。戦闘中に敵の動きを先読みできるほど、鋭敏な感覚が獣王にはある。尾行してくる相手を感知するなんて、朝飯前のはずだ。
「そうですね……やってみますね」
闘争心に火をつけ、獣王の力で体を満たす。感覚を研ぎ澄まして辺りに気を向けてみる。
あまりに多くの感覚が飛び込んできて驚いた。はるか遠くの家の中に居る住民達の気配まで感じることができる。息遣いや感情の起伏、男女の分類までできるほどだ。
もちろん遠距離になればなるほど、感度や精度は落ちる。だが、何も訓練していない今でも、数キロ先まで気配を察することができる。その中で、俺達に強い気を向けている人物が居ないかどうかを感知すればいいのか。なるほど、これは広域探査レーダーみたいなものだ。尾行予防には持ってこいだ。
「レイでも数百メートルが限界です。カミラ様のお力なら、もっと遠方まで悪意や敵意をお感じになられるかと思います」
「わかりました。このまま帰りましょう」
俺は獣王の力を維持したまま、メンデルの夜の路を歩いた。暗闇で目が光っているから、かなり怪しげな人物になっている。だけどこればっかりは、抑えられないから勘弁して欲しい。……サングラスってこの世界にあるのかな。もしあるなら欲しいかもしれない。
今のところ集中力が続いているので、数キロ先まで探索できている。俺達に強い気を向けてくる者はいない。たぶん大丈夫だ。気配を消せるような隠密部隊にまで、この気配感知が通用するかはわからないが、少なくとも素人レベルの尾行者はいない。
ブラッドール屋敷の前に到着する。改めて集中力を高めて辺りを探ってみる。すると、微かだが俺たちの方に気を向けている人間がいた。1キロも先のほんの小さな気配だ。さりげなく俺達の方を探っている。それにしても、この遠距離から気配だけで尾行ができるとは、どんな達人だろうか? 敵にはまだ未知の手練れがいるようだ。
「レンさん、レイさん、私達は尾行されています。このまま屋敷に入るのは危険です。ドルトンさんの工房を頼りましょう」
「わかりました、彼の工房はここから少し離れているので、ちょうどよいと思います」
シャルルさんの工房は屋敷から近い。歩いて1分もかからない。一方、ドルトンさんの工房は結構離れている。ドルトンさんはメンデルが実家なので、そこが工房にもなっている。今日はこのまま泊まらせてもらうことにしよう。
歩いて20分ほどで、ドルトンさんの工房兼実家に到着した。
ドルトンさんの家は、1階が工房になっている。居住は2階だ。だけど3人でいきなり押しかけて、泊まれるスペースがあるかどうか……。
工房の分厚いドアの隙間からは、光が漏れている。まだ作業中なのだろう。
「ドルトンさん、こんばんは、カミラです!」
「おお、嬢ちゃんか。こんな時間にどうした?」
「実は尾行されています。今晩だけでも泊まらせてもらえませんか?」
「それは構わねぇが……尾行とは穏やかじゃねぇな。早く入りな」
ドルトンさんに案内され、2階へと俺達は移動した。
やはり鍛冶マニアの男の一人暮らし、部屋は鍛冶の道具と作りかけの作品が所狭しと並んでいた。床はほとんど足の踏み場がない。それに、見慣れない黒い兜がうず高く積まれている。何だろう、この兜の素材は……。しかも量が半端ではない。
「わ、悪りぃな、今ちょっと忙しくて散らかってるんだ。適当に座っててくれ」
適当にと言われても、座る隙間すらないのだが……。仕方なしにレンレイ姉妹は、部屋の中を片付け始めた。手早く整理整頓を始め、30分もすると、ある程度までは綺麗にすることができた。
とはいえ、元々の物量がかなりものである。4人が座るので精一杯だった。下手に動けば、積み上げられた兜の山が崩壊してしまう。鍛冶師の娘が兜の下敷きになって圧死するなんて、冗談にもならない。危ないぜ。
「それで、尾行されてるのか?」
「はい。何者かはわかりません。でも今、私達が尾行者にブラッドール家の者だと知れれば危険です」
「わかった。じゃあ、俺の別荘を使うといい」
「別荘?」
「ああ、ここは俺の実家だが、見ての通り手狭になっちまってな。近所に別荘を借りてるんだ」
「そうなんですか、知りませんでした」
「1ブロック南の角にある、真っ赤な屋根の4階だ。少し狭いが日用品は揃ってる。嬢ちゃんには不便かもしれんが、まぁ、短い間なら大丈夫だろう」
「ありがとうございます。でもその間、ドルトンさんはどうされるんですか?」
「俺はケッペンの家に泊まるよ」
「すみません、突然押しかけて……」
「なぁに、ちょうどケッペンのヤツと共同作業が続くし、あいつの工房で寝泊まりする予定だったしな」
「お父様といい、最近皆さんお忙しいようですね」
「い、いや、何……ちょっとまとまった大量発注があったもんでな」
「良い話ですね。どこからの注文なんですか?」
「えーあー、いや、それ……アレだよ、アレ。メ、メンデル騎士団だよ」
ドルトンさんが焦っている。
普段は淀みなく豪放な話し方をする人だ。言い淀んだり、たじろいだりするようなことはあまりない。何かを隠しているのは間違いない。昨日のディラックさん達との内緒話に関係があるのかもしれない。まぁいい、おいおいわかってくるだろう。身内が隠したいものを、無理に掘り起こすことはあまりしたくない。
「騎士団から注文が……頑張ってくださいね」
「お、おお……任せておけ」
返事に元気がない。正直で真っ直ぐなドルトンさんの隠し事だ。きっと、俺に対してうしろめたさがあるんだろうな。この件はしばらくそっとしておこう。
「じゃあ、私達はお言葉に甘えて別荘の方へ行きます」
「おう、これが家の鍵だ。行けば直ぐにわかる。中にあるものは勝手に使ってくれていいからよ」
「ありがとうございます」
「なぁに、いいってことよ。嬢ちゃんの頼みなら何でも聞くさ。そうだ、親方には俺から話しておくから安心しな」
「はい、お願いします」
これでビスマイトさんにも心配を掛けずに済む。
とりあえず、手練れの尾行者に素性を勘付かれることはないだろう。
◇ ◇ ◇
ドルトンさんの借り別荘は、想像していたより綺麗だった。あの豪快なドルトンさんのことだ、さぞ部屋も散らかっているだろうから、片付けと掃除が必要だろうと覚悟していた。しかし、その覚悟は無駄になった。どうやら、この部屋自体を使っていないというのが正解のようだ。
部屋に帰る余裕すらなく、働き続けているということだろうか? 急に大口の発注があったら大変なのは、日本でもこの世界でも同じなのかもしれない。そういえば、ドルトンさんの目の下にはクマができていた。寝てないのかな。心配だな。
ちゃんと労働基準法……いやいや、そうじゃない、頑張った分の報酬はちゃんと支払われているのだろうか。この世界の労働の慣習がどうなっているかわからない。残業手当とかないのかな……案外ブラック企業もまかり通っていそうだ。我がブラッドール家が、ブラック企業扱いされてなければいいけど。
「カミラ様、こんなものを見つけましたよ……」
レイさんが手に抱えて持ってきたものは、額装された絵だった。部屋に飾るには少し大きめだ。B1版といったところだろうか。レイさんがくるりと表を俺の方に向ける。
「これは……私?」
「そうですよね、どう見てもカミラ様にしか見えません」
額装の中には、昔の俺、つまり少女だった姿のカミラ=ブラッドールが描かれていた。大きな剣を右手で担ぎ、黒髪を風になびかせている。頭には、小さな王冠、いやティアラが乗っている。そして、左腕は鈍く銀色に輝く義手をしている。背景はメンデル城の城門と城壁だ。その後ろには、黒い鎧を纏った騎士達が、寸分の狂いもなく整列している。
物のディテールまで凄く緻密でリアルに描かれている。特に剣と鎧、兜の描き込みは、そのまま設計図になりそうな精密さだ。絵心のない俺でもわかる。相当な技量と才能の持ち主が描いたに違いない。
「この絵はどなたが描いたのでしょうね」
「……サインはされていないようです。ドルトンさんの持ち物のようですから、後で聞いてみましょう」
「あっ、でも裏にタイトルらしきものが書かれていますよ」
「この絵のタイトルでしょうか?」
「ええ。タイトルは……”隻腕の鉄姫”だそうです」
隻腕の鉄姫……まぁ、絵の通りのタイトルなのかもしれない。だけど、誰かの願望が絵になったみたいな感じだ。今、ドルトンさんやディラックさん達が、裏でやっていることと何か関係があるのだろうか。気にはなるけど、今は詮索するのはやめておこう。その時が来たら、彼らもちゃんと話してくれると信じたい。
改めて尾行の気配を探ってみる。完全に気配は消えていた。相当な手練れだろうから油断はならない。だけど、たとえこの場所がばれたとしても、ドルトンさんの名前しか出てこないはずだ。問題はないだろう。
――― クシュン!
どうも鼻がムズムズすると思っていたら、大きなくしゃみが出た。鼻水がたらりと垂れてきた。
「あら、大変!」
レンさんがすかさず俺の鼻をハンカチで押さえてくれた。
「カミラ様、風邪ですか?」
そういってレンさんが俺の額に手を当てる。体温を測っているのだろう。
「熱も少し出ているようですね。早くお休みになられた方が良さそうです」
「もう、レンさん、レイさんが水着みたいな寒い服を着せるからです!」
「さすがに夜は冷えますものね。さぁ、もう寝ましょう」
……いや、ちょっと待て。少しおかしいぞ。
獣王の力で何でも治癒する俺の体だ。風邪をひくなんてあまりないはずだ。もちろん、獣王の力を発揮していないときに感染したら、風邪でも発症はする。だが獣王モードになった時には、本来持っている体の抵抗力も引きずられて、一時的に向上するのだ。おかげで、自然治癒が可能な風邪菌程度の弱いものなら、即座に抑制することができる。
試しにもう一度獣王の力で体を満たしてみる。
……だが熱っぽさは取れない。鼻水もまたタラりと垂れてきてしまう。一体何が起きているのだろう。
ついに、受入れ体質の容量が限界を超えてしまったのだろうか? それとも体の抵抗力そのものが弱ってきたのだろうか? ミカさんが居れば答えを聞けたかもしれない。どう対処してよいかわからない。寝て治るようなものならいいのだが、少し不安だ。
「どうされたのですか? そんなに深刻なお顔をなさって……」
「レンさん、私が風邪をひくなんて、まずないはずなんですけど」
「獣王の力ですか……。ではどうして熱っぽいんでしょうか? 急成長の反動が今頃現れた、ということはございませんか?」
「わかりません……。一体私の体はどうなっているのか」
「ここはひとつ、シャルローゼ様にお尋ねしてみてはいかがでしょう」
そうか、カーミラの妹で魔法にも精通している彼女なら、何か知っているかもしれない。よし、ここは1つヴァルキュリアに聞いてもらおう。
『ヴァルキュリア!』
『は、ただいま、例の貴族の追跡が終わったところです』
『……そちらはどうでしたか?』
『あのソルトという貴族、ナイトストーカーのメンヒルトと直接つながっていました。また新しい謀略を考えているようです』
『わかりました、後で彼らの話を教えてください。今は別の頼みがあります』
『何でしょうか?』
『コーネットのシャルローゼさんに手紙をお願いします』
『かしこまりました』
その言葉と共に、ヴァルキュリアは窓枠に現れた。夜だと完全に闇と同化している。余程目を凝らさないと見えない。漆黒の使い魔だね。
俺は状況をしたためた手紙をヴァルキュリアに渡すと、直ぐに届けるようにお願いした。
さぁ行くのだ、我がメール送信部隊よ。頼んだぜ。
「ヴァルキュリアが居て本当によかったですね。シャルローゼ様が何かご存じだとよいのですが……」
自分の風邪症状も不安だが、ヴァルキュリアを使い魔として託してくれた、エランドのケモミミ少女ことルビアさんには、感謝しても感謝しきれないな。
その時、頭の中に別の声が響いてきた。メンデル語ではない、エランド語だ。
『獣王様、私の事はお気になさらずに』
『えっ!? まさか……ルビアさん?』
『そうです、今ヴァルキュリアを介して念話しております』
『……ということはルビアさんとは、いつでも直接お話できるんでしょうか?』
『はい。ヴァルキュリアの見知ったことは、すべて私も共有しています』
うわ、これは知らなかった。ヴァルキュリアとの念話は、ルビアさんに全部ダダ漏れだったのね。
『ところで獣王様、”ケモミミ少女”というのは何でしょうか?』
なっ! そこまで聞こえていたのか。純粋で真面目なルビアさんを、日本のサブカルチャーで穢す訳にはいかない。
『えーっと……それは、美しい獣の雌を現す称号です』
『そうですか、私を指してお呼び頂けるとは光栄の至りです』
……まずい。本当の意味を知られたら、殺されかねない。
『さっ、最近そちらの森はどうですか? 変わりありませんか?』
『残念ながら、人間の数がますます増えています』
『そうですか、人間は何か悪い事を?』
『樹木を伐り出し、森を焼いて畑を広げています』
きっと大掛かりな開墾が始まっているのだろう。今まではメンデル王家が例の秘密露見を恐れて、メンデル領には手を出してこなかった。だが、今は宰相エルツが実権を握っている。資源の搾取はここぞとばかりにやるだろうな。これは立派な環境問題だ。もちろん大都市メンデルの人口を支えるためなんだろうけど、乱開発は文明崩壊の定番だ。何とかやり方を変えさせなければ。
『あなた方は、人間を打ち払っているのですか?』
『いえ、私達は獣王様の配下です。人間は獣王様の仲間でしょう? 争うことはできません……』
……そうか、ルビアさんたちエランドの獣やモンスターは、俺に気をつかってくれているのか。だけど、このままだと自然破壊が進む。一時的にはメンデルも豊かになるだろう。でも、無計画な開発で自然を失ったら、後でどんなしっぺ返しをくらうかわからない。
『獣王様が……獣王様が早く人間の王になられて、森の破壊を止めてくださると信じています』
『……保証はできません。でも力の限り努力したいと思います』
『そのお言葉で十分です。何かありましたら、直ぐにお呼びください。ヴァルキュリア同様、私達も常に獣王様の傍にいます。一声お掛け頂ければ、いつでもお役に立てますので』
『ありがとうございます』
ヴルド家、ブラッドール家に続き、エランドの獣たちも俺の王族立候補を望んでいるのか。責任と期待が段々重くなってきた気がする。俺一人の我がままで、抗ってはいけないのかもしれない。いちおう……王族になる覚悟だけはしておこう。
『獣王様!』
今度はヴァルキュリアの声が頭の中に響いてきた。もしかして、もうシャルローゼさんに手紙を渡したのか。さすがに早すぎるだろう。
『どうしました?』
『シャルローゼ殿から至急伝言です』
『何ですか?』
『その場を決して動かぬように、とのことです。明日、そちらにシャルローゼ殿が訪問されるそうです』
なんと、わざわざ彼女が出張ってくるのか。もしかして俺の状況は、想像以上に良くないのだろうか。俄かに心配になってきたぞ。
それにしても、シャルローゼさんの移動速度はちょっとおかしいな。馬で飛ばしてもコーネットからは数日はかかるはずだ。いくらメンデルに近いといっても、明日中の到着は無理だ。
……そういえば、治癒呪術開発の時も、手紙を出した翌日にはミッドミスト城に居た。どうやって移動したのだろう。馬の足を速くする魔法でもあるのだろうか。
『ヴァルキュリア、彼女は馬でこちらへ?』
『いえ……それが……』
『馬ではないのですか?』
『いえ、馬には違いないのですが』
珍しくヴァルキュリアの返事がはっきりしない。シャルローゼさんの移動手段は、それほど謎なのか?
『時々お姿が消えるのです。そして次に現れた時には、遥か先を進んでいらっしゃいます』
おぉ! それはもしかして空間を歪めながら走っているとか? RPGにそんな魔法があったよなぁ。平たくいえばワープだよ、ワープ。これは凄い。シャルローゼさん、やはりただ者じゃないな。明日、会うのが楽しみだ。ぜひ俺にも、そのワープ魔法とやらを見せてもらいたいものだ。




