第54話 パーティー騒動(3)
早くあの怪しげな派手貴族を押さえなければならない。彼がマイヤー坊ちゃんに飲ませた薬がどういうものかわからないが、おそらく人の本能を剥き出しにして、凶暴化させる効能があるのだろう。
あの奥手のマイヤー坊ちゃんが欲望全開だった。それに当てられて、ちょっと気分が悪くなってしまったが、ここで派手貴族の情報が得られれば、エルツ家の黒幕に一気に迫ることができる。
『ヴァルキュリア! この屋敷全体を見張り、あの派手貴族が逃げ出さないよう注意してください』
『かしこまりました……と申し上げているそばから、あの男が屋敷から出てきました。馬車に乗り込んでいます。どうやら逃げ出すようです』
『私はレンレイ姉妹とあの粉薬を確保します。あなたは馬車の方を追ってください』
『はっ! お任せください』
念話で素早く会話をかわす。今日もヴァルキュリアに助けられてばかりだ。いつかちゃんと彼を労ってやらなきゃな。
うん? ……彼? そういえば、ヴァルキュリアって雄なのか雌なのか聞いたことがない。勝手に男だとばかり思っていたけど、雌という可能性もある。
『獣王様、私は雄です。問題ありません』
まだ繋がってたのね。この念話もイマイチ切れるタイミングがわからない。無線みたいに”通信を終わります”とか宣言した方がいいのだろうか。
と、今はそんなことを考えている場合ではない。
俺はパーティー会場の地下へと急いだ。まだ皆さん、優雅にご歓談中だ。幸い、ホストであるマイヤー坊ちゃんの不在も、あまり目立ってはいないようだ。
「カミラ様! 大丈夫ですか?」
「え、ええ。それより、あの派手貴族は?」
「あの男、男子トイレへ入ったきり出てこないのですよ」
「もう屋敷外へ逃げ出しています」
「そ、そうなんですか?! 申し訳ございませんっ」
「それよりも、マイヤーさんが飲んでいたグラスを至急回収してください!」
「それなら厨房の方へ下げられました」
まずいな。洗浄されてしまったら、グラスにわずかに残っているかもしれない薬を回収できない。坊ちゃんのグラスは、他の物とは違い、一際華美な装飾が施されていた。見れば直ぐにわかるはずだ。
俺とレンさんは、厨房へ急いで駆け込んだ。
「あら、そんなに慌ててどうされたのですか?」
「マイヤーさんがお使いのグラスは何処にありますか?」
「それなら綺麗に洗って、磨いてありますけど……」
くそっ、遅かったか……。俺もレンさんに指示を出していなかったし、毒ではないと判断して、警戒を怠ったのも裏目に出てしまった。俺の決心の鈍さと読みの甘さが、証拠の逸失に繋がってしまったかもしれない。
エルツ家の人間が、ナイトストーカーの企みに手を貸した物的証拠が1つでもあれば、ディラックさんへ報告して、ヴルド家の手札として使えると思ったのだが……。
「そう言えば、マイヤー様はどちらにいらっしゃるかご存じですか? あまりにお戻りが遅いので、そろそろ会場でも不審がっている方たちが、出てきています」
厨房でグラスを磨いていたハッブル家の使用人が、心配そうな顔で尋ねてきた。
「マイヤーさんは、気分が優れず寝室の方でお休みされています」
「えっ!? それは困ります。ホストとして、パーティーの最後の挨拶をして頂かなければなりません」
そうだよな、パーティーの挨拶はホストがやらないといけないよな。だがあの状態で、坊ちゃんが普通に話ができるとは思えない。
「ど、どうしましょう……」
ハッブル家の使用人が、不安そうな顔でオロオロし始めた。
他にハッブル家の人間は居ないのだろうか? 血縁の者が代理で挨拶をすれば、何とか格好はつくはずだ。
「他にご家族はいらっしゃらないのですか?」
「ハッブル家の血縁は、マイヤー様ただお一人です」
「……そうですか、困りましたね」
こういう場合、古くからハッブル家と付き合いのある重鎮、あるいは一番偉い王族や貴族が代理で挨拶して締めるという手もある。でもそれは日本のやり方だ。この世界で日本のマナーが通じるのか判断できない。ましてや、このパーティーはハッブル家主催のプライベートなものだ。血縁者以外の代理は、あまり好ましくないような気がする。
「カミラ様、代理で挨拶をお願いできませんか?」
と不安そうな顔の使用人が発した。
俺はハッブル家の血縁でも何でもない。付き合いの浅い友人でしかない。そんな人間が代理で挨拶なんかしてもよいのだろうか。
「私はマイヤーさんと知り合って日も浅い、ただのゲストですよ? そんな人間が挨拶などできる訳が……」
「いえ、始めのご挨拶で皆さんにご紹介されましたよね、カミラ様は」
「え、ええ……」
結婚式みたいなあの挨拶か。思い出しても恥ずかしくなる。
「あのご挨拶で、皆さんはカミラ様がマイヤー様の奥様になられると察しております。ここで最後のご挨拶をされても、不満を漏らす者はいないと思います」
な、何だって!? あの挨拶にそんな意味があったのか!
チラリとレンさんの方を見ると、なぜか得意顔だ。右手の親指を立ててゴーサインまで出している。そうか、勢いでとりあえず乗り切れという意味か……。
しかし、最近のレンさん、どうも挙動がエリーに似てきているような気がする。真面目でお堅い態度が、軟化して打ち解けてくれたのはいいことだけどね。本来のレンさんは、ノリの良い面白い人なのかもしれない。
「わかりました。結婚の話はともかく、挨拶をして乗り切らねばなりません。ここは皆さんの勘違いを利用させてもらいましょう。私が締めの挨拶に出ます」
目の前で困っている人をただの挨拶程度で救えるなら、役に立ってあげたい。使用人さん達の切羽詰まった土気色の顔を見ていると、気の毒になってしまう。パーティーで失態を見せたら、きっとハッブル家が社交界での信頼を失うことになる。そうなれば、パーティーの裏方である使用人達も、お咎めがあるかもしれない。
事情が事情とはいえ、俺も直接関わっている……。事実、マイヤー坊ちゃんをノックアウトしたのは、俺だしな。今逃げたら後味が悪い。それに、ここでマイヤー坊ちゃんに恩を売っておくのも悪くない。
「ありがとうございます! パーティーはあと30分で終了です。それまでに準備をお願いいたします」
「はい、任せてください」
……と、請負ったのはいいが、こんな私的な大規模パーティーで一体何を喋ればいいんだろう。企業のパーティーだったら、何となく想像ができる。だが、ここに集まっているのは友人という位置付けのハイソな人々だ。堅苦しい挨拶ではなく、もっとフランクな内容の方がウケるのだろうか。一発芸を入れてみるとか……? いやいや、それは宴会の挨拶か。
「カミラ様、大丈夫です。いつもの感じで乗り切りましょう!」
落ち着かない様子の俺を見て、心配してくれたのだろう。レンさんが両手をグッと握ってくれた。
でも欲しいのは安心ではない。今欲しいのは、ホームパーティー用の挨拶テンプレートだ。
「大きなホームパーティーの挨拶というのは、どういう感じなのでしょうか?」
「特に決まったものはないと思います。主催者が自由に話をされるものかと……」
「そ、そうですか」
その場のノリと雰囲気を読みつつ、即興で話すタイプか。お決まりのフレーズがないだけに、やりにくい。ここは無難に、サラリーマン的な挨拶を考えておくことにする。堅くて面白くない内容ではあるが、平穏無事に乗り切る事ができるだろう。
「さぁ、カミラ様、そろそろご挨拶の時間ですよ」
「は、はい!」
パーティー会場には数百人が集まっている。さすがにこれほどの人数の前で、アドリブでかしこまった挨拶をするのは初めてだ。自分でも相当緊張しているのがわかる。心臓がバクバクいっている。冷や汗が噴き出してきそうだ。
会場の一番奥まで歩く。思わず同じ側の手と足が同時に出そうになる。
当然マイクなんてものはない。大声で叫ぶしかないのだ。会場はまだ喧騒に包まれている。ここまで来たら、もう覚悟を決めてやるしかない。
深呼吸して何とか心を落ち着ける。
「えーっ、皆さん、本日はお忙しい中、ハッブル家のためにお集まり頂き、誠にありがとうございました!」
会場が一気に静まりかえり、全員が俺の方を見ている。これは緊張する。心臓が口から飛び出そうだ。
あっ……いけない。頭の中が真っ白だ。何を話してよいかわからなくなった。考えていた台詞が全部吹き飛んでしまった。
「……」
少し間が開くと、普通はガヤガヤと騒がしくなるものだが、全員静かにこちらを見つめている。まずい、本当に頭が空っぽになってしまった。言葉が出てこない。ああ、どうしよう。
「えーっ、本来なら当主のマイヤーがご挨拶すべきところですが、代わりに私、カミラがご挨拶させていただきます」
――― パチパチパチパチ
まばらだが、拍手が起きた。よかった、会場から反応があると少し安心する。だけど、何を話せばよいか、まだ思い浮かばない。事前に考えていたフレーズも消え去っている……。
その時、なぜか思い浮かんだのは、日本の宴会の締めの挨拶だった。
「えー、皆様とハッブル家のますますご清栄を願って、一本締めをさせて頂きたいと思います。それではお手を拝借!」
……俺は一体何を言っているんだ。この世界で一本締めなんて通用する訳がない。でも、一旦口を突いて出始めると、自分でも止めることができなかった。ああ、やってしまった! ここからどうリカバリーすればいいのだろう。ピンチだ。
にわかに会場が騒がしくなり始めた。そりゃそうだ、”お手を拝借”といっても、どうしてよいか参加者は誰もわからないはずだ。
こうなりゃ自棄だ。もうなるようになれ。
俺は大きく両腕を上げ、頭の上で掌を向かい合わせに構えた。会場の人達は、不思議そうな顔をしている。
「よぉーお!」
――― パチン! (ブチッ)
俺は、気合を入れて力の限り大きな一本締めをした。これまで生きてきた中で、最も力の入った一本締めだったに違いない。
すると、会場からはなぜかどよめきがおこった。
「「「オオオオーーーーッ!」」」
冷静に耳を傾けると、いろいろな声が聞こえた。場違いな一本締めごときで、どうしてここまで激しい反応があるのだろうか?
「凄いぞ、ハッブル夫人候補!」
「色気が違いますな」
「まさかこんな破廉恥な挨拶があるとはっ!」
「なかなか面白い余興です」
「なんと大胆な! こういうのもたまには悪くありませんな、ホッホッホ!」
は、破廉恥? 大胆? 一体何の事だ? ただの拍手一閃がどうして破廉恥なんだ?
ふと下を向いてみると、服が落ちていた。うん? 見覚えのある服だな。
「んなっ?!」
……って俺の服じゃないか!? 恐る恐る自分の姿を見てみると、服がハラリと落ちて、裸の状態だった。しかも下着はない。生れたままの姿である。
きっとマイヤー坊ちゃんとの格闘で、留め具が壊れそうになっていたのだろう。そして、さっきの拍手がきっかけで、完全に壊れてしまったに違いない。さ、さすがは露出重視の紙装甲ドレスだ……。
凄く恥ずかしい。自分でも顔に血が集まって、真っ赤になっていくのがわかる。こんなに大勢の前で、顔から火が出そうだ。
「カミラ様、これをっ!」
俺が騒ぎ出す前に、レンさんが気を利かせてテーブルクロスを剥ぎ、急いで肩からかけてくれた。
ふぅ……レンさんの咄嗟の気転で、何とか晒し者状態は回避できたが、会場の騒ぎはまだ収まっていない。こりゃあ、まずいことになったな。どうすればいいんだろう。
すると、髭を蓄えたふくよかなおっさんが、悠然と近寄ってきた。おっさんといっても、品があってダンディな感じの人だ。察するに貴族か王族だろう。
「カミラ殿、いや、もうハッブル夫人とお呼びした方がよろしいかな? なかなか大胆な挨拶、楽しませてもらいましたよ。我ら王族は日々退屈しているが、今日のような斬新な余興があると心が躍りますよ、ハッハッハッ。ぜひまたパーティーにご招待頂きたい」
王族と名乗るおっさんは、恭しく握手を求めてきた。俺がその手を握り返すと、今度は会場が別のどよめきに包まれた。
「おお、あの御方と堂々と対等に握手をされている! しかもお褒めの言葉まで」
「カミラ殿は、大した心胆の持ち主だ」
「いいですな、ぜひ私達もご挨拶を!」
王族のおっさんに続き、会場の参加者が俺の前に縦1列に整列し始めた。なぜか俺との握手会が始まってしまったのだ。
そういえば、この国の人間は王族をかなり特別視している。貴族ですらも、王族との間には大きな格差があると、メルクさんが話をしていた記憶がある。その王族に握手を求められ、褒められたことは、きっととんでもなく名誉なことなんだろう。だから、参加者の反応が変わった訳か。
並の余興では刺激の足りなくなってたハイソな人達も、俺のハプニングが面白かったんだろうな。
……い、いちおう禍が転じて福と為ったのだろうか?
数百人もいる参加者からは、いろいろな言葉を掛けられた。なぜか”頑張ってください”という台詞が多かった。一体何をどう頑張ればいいのだろうか……アイドルグループMKG48でも結成できそうな勢いだ。もちろん、M=メンデル、K=鍛冶師、G=ガールズの略称だ。
全員と握手して挨拶をかわしたが、覚えることができたのは最初の10人目くらいまでだった。中には妙齢の女性も居て、なぜかパーティーの招待状を貰ったりしてしまった。
何だかよくわからないうちに謎の握手会が終わり、そのまま参加者は夜の街へ消えていった。そして会場は、ハッブル家の使用人と俺達だけになった。
まさに嵐のように過ぎ去った時間だった。でも乗り切ることができた。まったく予想してなかった展開だったけどね。
「カミラ様、ありがとうございました! これでハッブル家の面目も保たれ、旦那様もお喜びになられると思います」
「そ、そうですか。よかったです……」
ハッブル家の使用人たちが、集まって皆口々に御礼を言ってくれる。だが、俺も早くここを去りたいのだよ。裸にテーブルクロス状態は、さすがに落ち着かない。
「あの、私達もこれで失礼したいと思います」
「では馬車をご用意いたします! ハッブルのご夫人となられる御方ですから、徒歩でお帰り頂く訳には参りません」
ハッブル夫人はあり得ないが、馬車で送ってくれるのはありがたい。全裸にテーブルクロスで夜の街を闊歩したら、痴女として警備兵に逮捕されそうだ。
でも俺達の行き先は、ブラッドールの屋敷だ。バレたら大事になる。丁重にお断りして、徒歩で帰宅することにした。もちろん、替えの服を頂いて着替えをさせてもらっている。大柄な使用人さんのワンピースだ。……それでも俺の身長では、ミニスカートみたいになってしまっている。これはこれで、別の恥ずかしさがあるぞ。
最後までドタバタのパーティーだった。結果的にマーガレットの恋路、もといナイトストーカーの陰謀は阻止された。でもナイトストーカーがハッブル家を使って何をしたかったのかは、結局わからなかった。後は、イクリプスさんの情報収集に期待しよう。
それと、あの派手貴族だ。名前はわかっているから、偽名でなければ素性は辿れるだろう。アイツが黒幕の1人である可能性が高い。あの男からは、何か得体の知れない不気味さを感じる。ヴァルキュリアには、ナイトストーカーよりも派手貴族の方を重点的に探らせることにしよう。




