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第50話 弟君の目覚め?

 ――― 翌日。


 ブラッドール家の玄関を夜明け前から叩く者がいた。眠い目をこすりながら、レンレイ姉妹と一緒に玄関のドアを開けると、そこには鎧女と治癒したばかりの弟くんが立っていた。


 ……想像以上に来るのが早いな。昨日の今日だぞ。正確にはまだ24時間も経っていないと思うけど。


「私はイクリプスという者だ。訳あってこちらの次期当主、カミラ=ブラッドールに仕えなければならない。どうか話を聞いて欲しい」


 だからってどうして夜明け前なんだ。もしかしてせっかちさんなのかな? まさかイクリプス(日蝕)って名前だから、太陽が苦手な訳じゃないよな。通りにはまだ誰も歩いていない。この時間帯はガス灯も消えているので、辺りは真っ暗だ。


 彼女は玄関先で土下座していた。それを隣で不思議そうに弟くんが見ている。


「頼む、どうかカミラ殿に会わせてくれ!」


 今、貴女の目の前に居るのが本人だけどね。まぁ気が付く訳もないか……。


 以前の襲撃では、小柄でやせっぽちの隻腕女児が、今や長身の成人女性になっているのだ。顔立ちが似ていると言っても、同一人物と特定できる人は、まずいないだろう。


「玄関先で土下座されても困ります。とにかく一度お上がりください」


 俺は丁寧にもてなし、彼らを客間へと案内した。レンさんがお茶とお茶菓子を出すと、弟くんは喜んで食べていた。子供の無邪気っていいな。


 申し訳ないと思ったが、ビスマイトさんとエリー、そしてマドロラさんを叩き起こした。彼らにも話合いに付き合ってもらいたいのだ。おそらくこれから長い付き合いになるであろう、イクリプスさんだからね。


 それにしても弟くんまで連れて来るとは……。一体どういうことなのだろう。


 客間に全員が集合する頃、空がようやく白んできた。朝食にしてもまだ早い。ただ昨日は、呪術師という慣れない働きをしたせいか、かなり腹は減っている。成長してから、やたらと腹が減る。大きくなった分、燃費が悪くなったのかもしれない。


 この体、長身ではあるが今のところ痩せ形だ。2つのお肉の塊を除けば、かなりスリムな方だと思う。……機械の体を求めて宇宙を旅する少年に付きそう黒服の女性みたいな体型だな。まぁあそこまで極端な痩せ形ではないにしても、今の体型をキープしつつ、筋肉質に変えていきたい。健康のためにも、朝から大食いしてブクブク太るのだけは避けないとね。


「あの…… カミラ殿はいらっしゃらないのか?」


 イクリプスさん以外の全員の視線が、俺へと注がれる。


 ……ふう。こうなると説明が面倒だな。


「私がカミラ=ブラッドールです。メンデル街道で手下と共に私を襲ってきたのは貴女ですね。今日はあの青い剣、”バロールの魔剣”はお持ちではないのですか?」

「まさか。貴殿がカミラ殿なのか?! 確か小さい隻腕の幼子だったはずだが……」

「ええ。訳あって成長が早まりました。それにほら、私の左手は義手です。貴女があの時、戦ったオオカミにこの腕を作ってもらいました」


 イクリプスさんの顔が呆けている。突然言われても信じられないだろうな。こんなに急に成長したら、誰だって別人だと思うよ。


「……あの戦いの様子を、そこまで知っているなら、信じるしかない」

「私がカミラで間違いありません。ここに居る者達も保証してくれるでしょう」

「では改めてお願いしたい。私を貴女に仕えさせてくれないだろうか? もちろん私は貴女を殺そうとした人間だ。信用してもらえないのはわかる。突然の訪問も、おかしな話だと疑われてもしかたがないだろう……それをおしてお願いしたい」


 イクリプスさんは、また土下座して額を床に擦り付けている。これはちょっと可哀想だな。弟くんも目の前にいるのだし。


「どうぞ頭を上げてください。……私は職人の家の人間です、貴族でも騎士でもありません。それでも良いのですか?」

「いえいえ、実はですね、カミラ様は王族の ――― 痛っ!」

 

 隣に座っていたレイさんが、余計な事を言いそうになったので、思わず脛を蹴ってしまった。ゴメン。でも今はその話はなしだ。


「も、もちろんだ。貴女がどんな身分であろうと関係ない」

「では教えてください。貴女はなぜ私を襲ったのですか?」

「この弟、デュポンはずっと難病にかかっていた。その治療費を稼ぐためだ」

「誰に頼まれました?」

「……」


 イクリプスさんは下を向いたまま黙ってしまった。依頼主への義理を感じているのだろうな。まぁ、ナイトストーカーってことはわかってるんだけどね。でも彼女の口から告白させる事に意味がある。


「依頼主への配慮ですか? 依頼主が犯罪者ならば、その必要ありませんよ。貴女はこうして、光の世界へ戻ってこられたのですから。ね、中央王都の元騎士団長さん」

「ど、どうしてそれを……?」

「ブラッドール家は、代々武器と防具を作ってきた鍛冶の家です。いろいろと裏情報を持っている事もあるのですよ。貴女が弟さんのために、身を落としたこともね」


 ……なんちゃって。全部ヴァルキュリアの集めた情報だけどな。悪いがここはハッタリをかまさせてもらうぜ。――― うん? 窓の外で小さな鴉がバタバタと羽ばたいていたようだけど、今は気にしないことにする。


「そう、ですか……。そこまで知っているなら、もう私には頭を下げてお願いすることしかできない。私の依頼主は、ナイトストーカーのボス、メンヒルトだ」

「どうしてメンヒルトを裏切ってまで、私に仕えようとするのです?」


 ここは昨日の芝居の続きだ。あくまでも呪術の件は、知らんぷりしなければならない。いつかは正直に話す時も来るだろうけどね。だが今はそのタイミングではない。


 イクリプスさんは、昨日の呪術治療の件を順序立てて、詳細に話してくれた。まぁ、中でも俺の事を”巨大な羽女”と表現していて、ちょっと笑いそうになってしまった。だけど概ね好印象だったようだ。レンさんの作戦は大成功だな。


 あっ……忘れてた。後でマイヤーの坊ちゃんの所へ行かないといけない。キョウさんの機嫌を損ねるとまずい。彼にこの作戦を暴露されてしまうと、イクリプスさんとの関係がややこしくなってしまう。やっぱり小手先で策を弄すると、いろいろ無理が出てきてしまうな。


「ところでイクリプスさん、どうして弟さんまでお連れになったのですか?」

「私はナイトストーカーを裏切ることになる。これからはあのスラム街に住めなくなる。メンヒルトに裏切りがバレれば、私は消される運命だ」

「居場所がない、という訳ですね?」

「ああ。ナイトストーカーの掟では、不利益になる者は消すことになっている。私は彼らの事を知り過ぎた。間違いなく狙われるだろう」

「……カミラよ、この者を引き取るのは難しいのではないか?」


 ビスマイトさんが心配そうな顔で会話に入ってきた。


 でもビスマイトさんの言葉で気付かされた。――― ナイトストーカーは闇の一大組織だ。関係者がどこに潜んでいるかわからない。下手をすると、向かいの住人がナイトストーカーの一員だった、なんて事もあり得る。


 ただのゴロツキ集団なら、頭を潰せば自然に瓦解する。でも、統制の取れた犯罪者集団は勝手がちがう。頭を潰しても、組織のナンバー2、ナンバー3が取って替わる。要するに幹部連中を一匹残らず掃討しないと、枕を高くして寝ることができないのだ。


 ディラックさんも言っていたように、ナイトストーカーとはいつか全面的に戦うことになる。さて、どうしたものかな……。俺は単純にイクリプスさんをコーネットに送り込んで、戦力になって貰おうと思っていた。


 イクリプスさん達は、それでもいいかもしれない。でもこのブラッドール家は狙われたままだ。新手の殺し屋が次々とやってくるにちがいない。おそらくイクリプスさんよりは、劣る暗殺者だとは思う。これまでよりリスクは減るだろう。だけど、それでも家族に被害が及ぶことは十分あり得る。


「あの……イクリプスさんは剣の腕が立つのですよね? でしたら用心棒としてこのお屋敷に居て頂くと言うのは?」


 エリーが眠そうな目をこすりながら、会話に入ってきてくれた。


「駄目でしょうね。暗殺者が次々と送り込まれてきます。そうなれば、多勢に無勢ということもあります。数の力で押し切られたら、いくらイクリプスさんが強くても、さすがに被害者ゼロで乗り切るのは難しいでしょう」


 イクリプスさんはギュっと唇を閉じ、話の展開を見守っている。肩身としては狭いから、気が気じゃないだろうね。そんなお姉さんの心配を他所に、弟くんは無邪気にお菓子を食べている。ポリポリと食むその姿はちょっとカワイイ感じだな……。


 イクリプスさんさえ味方になってくれれば、なんとかなるだろうと思ってたけど、地下に潜っている闇の組織が相手だとなかなかに厄介だ。


「でもイクリプスさん、あなたはまだ裏切った事をメンヒルトに悟られてはいないのでしょう?」


 そこに鋭い意見を出してきたのは、レンさんだった。我が家の策士メイド、これは期待できるかもしれないぞ。


「あ、ああ……まだ誰にも話はしていない」

「では、黙ってナイトストーカーの暗殺者を続けてください」

「私は呪術師から、カミラ殿に仕えないと弟の病が再発すると言われているんだ。ナイトストーカーに戻る訳にはいかない……」

「いえ、ナイトストーカーに居ることが、カミラ様のためになります。ナイトストーカーで貴方が暗殺者のフリをしている限り、新しい暗殺者が送り込まれてくることはありません。そして、ナイトストーカーの内部情報を持ってきてください。特に幹部会議のようなものがあれば、できるだけ出席してください。彼らを一網打尽にできるチャンスが生れます」


 ……なるほど、二重スパイというヤツか。確かにイクリプスさんが暗殺者として君臨している間は、新手が来る心配がない。そして内部事情、特に幹部連中の居場所や動向を探ることができれば、殲滅の機会が生れる。レンさんのアイディアはいつも実践的で助かる。それに比べると、俺のアイディアっていつもただの直球勝負だからな……。


「しかし、それで良いのか?! ……私は裏切るかもしれないぞ?」

「ええ、お互い初めて会ったのですから、信頼関係はこれからでしょう」

「ではどうすればいい?」

「弟さんをブラッドール家に預けてください」

「弟を? ……人質、という訳か」

「そう捉えて頂いても結構です。ですが万が一、ナイトストーカーに貴女のスパイ行為がばれた時にも都合がよろしいのではないですか? 彼らが、貴女の弱みである弟さんを捕えにくることは間違いないでしょう。あのスラム街に住まわせておくより、このブラッドール家に置いておく方が安全かと」

「人質でもあるが、安全のためでもあると……わかった、今の私にはもう選択肢がない」

「ありがとうございます。カミラ様も弟さんと貴女の事を、きっと丁重に扱われるでしょう。ご心配は要りませんよ」


 レンさんがさらりと難問を片付けてしまった。……もう参謀様として崇め奉らないといけないかもしれない。心の中でこっそり”諸葛亮レン”とあだ名を付けておくことにしよう。


 ゴブリン退治の時から、レンさんは策略や段取りに長けていると思っていたけれど、ここまでテキパキとこなしてくれるとはね。家事、隠密、剣術に冒険者の経験……。この人のスキルは本当に幅広い。会社だったら確実に俺よりもリーダーに適任だよな。うう、問題がクリアされたのは嬉しいけど、レンさんの解決能力の高さと自分を比べると、ちょっとへこむぞ。



◇ ◇ ◇



 イクリプスさんは、これまで通りスラム街の家に住むことになった。暗殺の機会を狙うフリをして、ナイトストーカーに所属し続けてもらう。これまでは距離を置いていたナイトストーカーの幹部連中に、積極的に近づいて、内部の情報を取ってきてもらうのだ。特に重要なのは、会合や会議のスケジュールだ。


 もし総会のようなものがあれば、幹部のほとんどが集まるだろう。事前にその情報を掴むことができれば、騎士団と警備隊が踏み込んで主要メンバーを一気に捕えることができる。ナイトストーカーの勢力を削ぐのに最も有効な手段だ。うん、ヴァルキュリアも駆使しながら、外と内から情報をさぐれれば、怖いものなしだ。スパイ大作戦だな。

 

 ――― そしてブラッドール家には、新しい仲間が増えた。


 イクリプスさんの弟くんこと、デュポンだ。


 デュポンは長い間、病で臥せっていたからだろうか、痩せて色白の大人しい子だ。男の子らしい元気でやんちゃな感じはまるでない。学年で言ったら小学校の2~3年生くらいだろうか。俺のその年代って、何も考えずにゲームしたりサッカーしたりする毎日だったからな。ある意味、贅沢に育ったともいえるだろう。だから、こういう子を見ると少し可哀想だと思う。自由闊達に外を駆け回るなんて、出来なかったんだろうから。子供は子供らしく、楽しく元気に遊ぶのも大切なんだよ。


「デュポンくん、初めまして。お姉ちゃんはカミラっていうんだよ、よろしくね」


 俺は屈んで挨拶をした。昔の俺なら身長も近かったが、今では完全に長身お姉さんだからね。イクリプスさんよりも俺の方が高いし、威圧感があるだろうから、目の高さを合わせてあげないと怖がられてしまう。


「……」


 デュポンは、ちょっと高い位置にある俺の顔を見て、口をつぐんだままだった。表情は何か珍しいものを見たかのようなポカンとした感じだ。はて、そんなに俺みたいな人間が珍しいのだろうか?


「ボクの病気、治してくれたのはカミラお姉ちゃんだよね? 本当にありがとう」


 え?!…… もしかしてデュポンにはバレてるのか? なぜだ……。変装は完璧だったはず。ちゃんと声色も変えてたのに。


「ボクのお姉ちゃんも知ってるよ。突然やって来た祈祷師さんが、タダで病気を治してくれるなんて絶対おかしいって。キョウって人のお寺に行って聞いてきたんだ」

 

 なんてこった、全部バレてたのかよ。やはり素人役者の三文芝居じゃ誤魔化せなかったか。しかもキョウさん、簡単に喋っちゃってるし。商売柄、口は堅いと思っていたんだが読みは外れたか。キョウさんとしては、俺に貸しを作るという目的を達したから、どうでもいいと思ったのかもしれないな。それにもし、イクリプスさんが腕力に訴えていたら、普通に喋ってしまうだろうし。


 でも、イクリプスさんは事情を全部わかった上で、ナイトストーカーを裏切って俺に仕えると言ってくれた訳か……。俺が考えていたよりも、ずっと仁義に篤くて人間ができてるんじゃないのか、彼女は。むしろ、下手な芝居をうって得意顔をしていた自分が恥ずかしい。正面から事情を話せば、わかってくれたのかもしれない。しかも、デュポンまで状況を理解してるようだしなぁ。自分の浅はかさがかなり格好悪い。


「ご、ゴメンね、カミラお姉ちゃんが嘘ついてたね。あとでイクリプスお姉ちゃんにも謝っておかなきゃね」

「ううん。イクリプス姉ちゃんは、カミラお姉ちゃんに酷いことしたのに、ボクの病気を治してくれた。だから、カミラお姉ちゃんに恩を返すために、死ぬまで付いていくって言ってたよ」


 イクリプスさんは、そこまで恩を感じてくれていたのか。病気が治った、金を払わなくていい、じゃあサヨウナラで終わる人じゃなかったんだね。リスクを背負って治癒呪術を開発した甲斐があったよ。……彼女の心意気に答えねばならないだろうな。デュポンも家族と同様、何があっても守らないといけない。


 おや? 何だかデュポンの視線が刺さって来るぞ? 何か言いたいことでもあるんだろうか。モジモジして顔を真っ赤にしている。もしかしてトイレかな?


「あのね……」

「なあに? ここはもうデュポンの家なんだから、遠慮しないで何でも言っていいんだよ」

「カミラお姉ちゃん、すごく良い匂いがするよね。ボク、あんまりお風呂に入れなかったから……」


 ああ、何だ。自分の匂いを気にしちゃうお年頃だったのか。俺が小学校低学年の頃なんて、汗臭くても泥まみれでも気にした事なんてなかったけどなぁ。この世界の男子は、匂いのエチケットも意識が高いのだろうか。まぁ確かに不衛生なのはよくない。俺が湯浴みさせてやるとしますかね。


「よし、じゃあ湯浴みしようか」

「カミラお姉ちゃん、ありがとう!」


 デュポンの顔が明るくなった。きっと気持ち悪かったんだろうな。スラム街のあの小さな家には、水場そのものがなかった。湯浴みも体を拭くのも、なかなかできなかったに違いない。


 ……それにしても、”カミラお姉ちゃん”、とはね。一気にお姉さん扱いになったが、本当はお兄さん扱いして欲しいぜ。


 最近、段々と不思議な気持ちになってくる。自分はあくまで男の心構えだ。でも周りは全員が女子扱いしてくる。本当は自分が女なんじゃないかと思ってきたり……。いやいや、いかんいかん。俺は男だ、惑わされちゃいけない。


 でも、この世界で俺の男要素ってもうゼロなんだよな。体はもちろん、俺を男と知っている人間は1人もいない。たとえ俺が”男だ!”と言い張っても、何の証拠もない。この先、自分が男だという確信がどんどん薄れていくような気がする。……いや、考えるのは止めておこう、頭が痛くなる。


 デュポンを部屋に連れて行き、俺がいつもしているように、湯浴みさせる。服を脱がすと、恥ずかしそうに前を隠している。


 そうか。男同士だから問題ないと勝手に思ってたけど、デュポンからすれば俺はもう異性なのか。


 ――― ああ、なんだかすごく悲しい! 男同士の裸の付き合いは、もう二度とできないのか。とはいえ、デュポンはまだ子供だ。小学校の低学年は、まだ銭湯で母親と一緒に女湯でも許されるだろ。


「デュポン、恥ずかしがらなくても大丈夫だよ、お姉ちゃん気にしないから」


 しぶしぶ従うデュポンだった。でも恥ずかしい気持ちが芽生えているなら、今度からは1人で湯浴みさせるようにしようか。


 デュポンは長年療養していたせいか、筋肉もほとんどなく、痩せていた。男なら、がっつり食べて外で運動してちゃんと成長しないとな。


 風呂にあまり入っていなかったせいか、結構汚れていた。念入りに湯を掛けながら背中を流し拭いていく。その間もずっとデュポンは恥ずかしがっていたが、気にせず洗っていく。


 背中が終わったら次は前だ。


 おっと……そういえば久しぶりに見たな。昔は俺にも付いてたんだよなぁ、コレ。何だか得も言われぬ喪失感に包まれるな。


「カミラお姉ちゃん……そんなに見ないで」

「ご、ゴメンゴメン。さぁ早く洗っちゃおうね」


 俺は手早くデュポンを洗ってあげた。ええ、まぁ、そりゃ手際はいいですよ。38年間自分で同じものを洗ってきたんだから。むしろ、今の自分の体を洗う方が躊躇いがあるくらいだ。


 デュポンをタオルで吹き上げたところで、重要なことに気が付いた。


 この家には男の子供服がない! 亡くなったビスマイトさんの息子の服は、既に処分したと以前聞いたことがあった。まずいな、レンレイ姉妹も今は買い物に出ている。エリーに頼むしかないか。男物は持っているだろうか。


「デュポン、ちょっとこのまま待っててね。服を取ってくるから」

「うん、ありがとう」


 デュポンの体にタオルを巻き、ベッドに座らせる。急いで隣の家のエリーの部屋へ向かった。ノックをすると、ちょうどエリーは自分のお古の服を広げて、何か思案していたところだった。


「あら、カミラちゃん、どうしたの?」

「デュポンを湯浴みさせたんだけど、服が……」

「それなら私のお古があるから大丈夫だよ。もうカミラちゃんが着れなくなっちゃったから、どうしようかなーって考えてたところ」

「……えっ? でもデュポンは男の子……」

「まぁまぁ、いいじゃないの。デュポン君は美形だから、きっと女の子の服でも大丈夫だよ」


 いやいや、そういう問題じゃないだろ。もしも、デュポンが女装に目覚めちゃったらどうするんだよ。それともこの世界では、子供の男女の服の差なんてあまり気にしないのか?


「よし、じゃあ私がデュポン君をコーディネートしてあげるよ」


 ……なんかこれ、懐かしいやり取りだな。俺も餓死しそうになってこの家に来て直ぐに、エリーにコーディネートされてたな。エリーもやる気出しちゃってるし、うん、まぁいいか。デュポンには今日だけ女装男子ということで我慢してもらおう。


 エリーは服をたくさん抱えると、メイク道具まで持ってデュポンの下に駆けつけた。当のデュポンは落ち着かない不安な様子だったが、エリーの笑顔を見ると安心したようだ。堅かった表情にかなり余裕が出てきた。


 ……ちょっと待て。エリーが来ると表情が柔らかくなるってことは、俺はデュポンに怖がられてたのか? うぁ、悲しさで目まいがしそうだ。


「デュポン君、全部エリーお姉ちゃんに任せておいて!」

「うん、あ、ありがとう……」


 デュポンは照れ顔で下を向いてしまった。物心ついてからは、イクリプスさん以外の人とはほとんど接点がなかったのだろう。人見知りなのも仕方がない。その辺は、俺がおいおい鍛えてくれようぞ。


 エリーはあれこれ悩みながら、服を選び、髪型を整え、メイクまで施してデュポンを綺麗に仕上げていった。最初はデュポンも戸惑っていたが、最後の頃はもう諦めたのだろうか、エリーにされるがままだった。


 そう……スカートを穿かされた時点で、彼も気付いただろう。これは女の子の服だということを。ああ、彼のトラウマにならないことを祈るばかりだ。


 1時間後 ――― 派手さはないものの、そこには誰もが認める美少女が居た。いや、中身は美少年か。うん? アレ? よくわからなくなってきたぞ。何だこの倒錯の状況は。


「エリーお姉ちゃん、あの、これって女の子の服なんじゃ……」

「うん! やっぱりすっごく似合う。カミラちゃんもそう思うよね?」

「えっ、あっ、ええ、はい……似合ってると思う」


 デュポンが口を開くより先に、エリーが会話を遮ってその場を制してしまった。よくわからないうちに、完全にエリーのペースだぜ。


「よし、デュポンくんは当分エリーお姉ちゃんのお下がりを着てみようね」

「……はい」


 少しの間があって、デュポンは勢いに負けて肯定してしまった。エリーのパワー、恐るべしだ。でもちょっと待てよ。考えようによっては、都合がいいんじゃないのか?


「うん? カミラちゃん、何を考えてるの?」

「いえ、確かに女装しておくのも安全のためにはいいのかなって思って……」


 もしもナイトストーカーの連中が、デュポンが急に消えたと知ったら、変な勘繰りを始めるかもしれない。イクリプスさんの弱みであり、暗殺を続ける理由はデュポンだ。そのデュポンが居なくなったと知ったらどうなるだろうか? 


 奴らも馬鹿じゃない。デュポンを探して居所をつき止めようとするだろう。イクリプスさんは腕は立つが、あくまでナイトストーカーとは金だけの縁だ。ナイトストーカーもそれは百も承知だ。となると、裏切りを警戒してデュポンを抑えにかかるかもしれない。今までは、奴らの本拠地近くに住んでいたから見逃されていたが、突然居なくなったら、疑われる危険性がある。


 デュポンを女装させておくのは、敵の探索の目を逸らすためには役立つかもしれない。エリーの趣味で女子に仕立てあげられたけど、これはこれでいい気がする。病に臥せっていた昨日までのデュポンと、美少女パワー全開の今日のデュポンを、パッと見で見抜けるヤツはそうそう居ない。肉親のイクリプスさんでさえ、会話しないと見抜けないかもしれない。


「エリーお姉ちゃん……明日からずっとデュポンは女子の格好でいこう!」

「カミラちゃん、任せておいて!」


 エリーが親指を立てて、ひまわりのような満面の笑みを浮かべていた。彼女の眼が悪戯する時の目付きだったのは、とりあえず見なかったことにしよう。


「デュポン、これからはしばらく女の子の格好で過ごしてね、ちゃんと男の子の服を用意できなくてゴメンナサ……」


 と俺が言いかけた時、デュポンは姿見の前でスカートをヒラヒラさせて、目を輝かせていた。顔が上気してほんのりピンク色になっている。


 ……おいおい、もしかしてもう遅かったか? 目覚めちゃったのか? いや、これはあくまでお前の安全のためなんだぞ。


「カミラお姉ちゃん、どう? ボク可愛い?」


 そういってデュポンがくるりと回転して、スカートをふわり靡かせた。


「あ……うん、可愛いよ」


 不覚にも少しドキッとしてしまった。それほど女の子っぽい動きと表情だった。


 デュポンのヤツ、もう本格的に一歩踏み出しちゃったんじゃないのか? もし目覚めちゃったら、イオさんという大先輩を紹介してあげることはできるけど……。はぁ、安全のためとはいえ、幼気な少年の危険な扉を開いてしまったような気がして、少し罪悪感があるぞ。イクリプスさんに怒られたらどうしよう。


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