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第5話 メンデルの街

「じゃあ、母さんのところへ行きましょうか」


 エリーがやけに嬉しそうだ。マドロラさんのところと言えば、隣の酒場だ。聞けば、俺のために料理を用意して待ってくれているという。


 酒場の(まかない)が食べられる。大好きな居酒屋メニューが期待できる。といっても日本的な物はあるはずがないので、期待もほどほどにしておこう。


 ああ、”もろきゅう”が食べたい気分だ。


 エリーが店の正面入口に回るように言う。入口にはビスマイトさんが立っていた。この人、いつから待ってくれていたんだろう。俺のために財産のほとんど投げ打っちゃってるし、いろいろ無理してるんじゃないのかと思うと、胸がジンと熱くなった。どんな世界でも、人の情けや愛情は変わらないものなのだね。ちょっと涙ぐんでしまった。中年オヤジが暗がりで独り涙ぐんでいたら、気持ち悪いだけかもしれないが、今の俺は幸い美幼女だ。きっと絵面的には美しい。そう信じよう。


 ビスマイトさんのエスコートで店の扉を開けた。驚いたことにビアホールは満席だった。客は、皆整然とこちらを向いて座っていた。


「カミラお嬢さん、おめでとうございます!」


 客全員が一斉に声を発した。あまりのことにびっくりし過ぎて、俺はしばし固まったまま動けなかった。一体何事なんだ、これは……。


「カミラ、ご挨拶しなさい。今日はお前の歓迎と祝いのために、私の弟子たちが集まってくれたのだ」


 これは歓迎会というヤツだったのか! しかもこんなサプライズ方式で。憎い演出をしてくれる。目茶苦茶嬉しいぞ。会社でもこんなのなかったよ。


「み、皆さんありがとうございます。これからブラッドール家を継ぐことになりました、カミラです。私はまだ鍛冶の事を知らない素人です。皆さんには、ご迷惑をお掛けしてしまうかもしれません。どうぞご指導よろしくお願いします」


 さすがに200人以上も居る前での挨拶は緊張した。だけど日本の社会人的挨拶が、かなり役立ってくれた。サラリーマンも結構潰しが利くね。


 ホール全体から大きな拍手が起きる。よかった、受け入れて貰えたようだ。皆、ブラッドール家がどうなるか心配だったんだな。そりゃそうか、自分のブランドが無くなってしまったら、ライバルのハッブル家に吸収合併されてしまうのだろう。M&Aというヤツだ。吸収された側の企業は格下として扱われ、耐え切れない人間は辞めていく。それはもう悲惨なものだ。俺がもしブラッドール家を継がなかったら、そういうことになっていた訳か。


「皆、今日は全部俺の奢りだ! 大いに飲んで楽しんでくれ!」


 ビスマイトさん、懐具合大丈夫か? と思ったが、カウンターにいるマドロラさんと目が合うと、彼女は親指を立ててニッコリ笑っていた。なるほど、結局はマドロラさんの驕りな訳ね。


 ちらりと席の方を見ると、工房に帰ったはずのドルトンさんとチャラ男がちゃっかり座っていた。なるほど、彼らもこのサプライズに気を遣ってくれたのか。


 俺はビスマイトさんに手を引かれ、ホールのど真ん中に置かれた丸テーブルに座った。右隣にはビスマイトさんが、そして左隣にはエリーがいる。俺のお世話係だろう。


 日本流の歓迎会なら、新人自ら酒を注いで回って挨拶って事になるが、ここではどういう習慣なのかわからない。今や俺は、ブラッドール家の次期当主なのだから、迂闊に動かない方がいいだろう。


 早速見知った顔がやってきた。ドルトンさんだ。なみなみとビールの入った大ジョッキを持っている。陶器のジョッキってのは、味わい深くていいな。ファンタジーだぜ。


「嬢ちゃん、緊張してるか?」

「あ、いえ ……ドルトンさんの顔を見て安心しました。こういう場所は初めてなので」

「へっへ、そらよかった。これから親方の弟子たちが次々挨拶に来る。嬢ちゃんは別に何もする必要はねぇ。うんと頷いておきゃいいんだ」

「ありがとうございます、ちょっと楽になりました」


 礼を言うと、ドルトンさんはつまみを求めてカウンターの方へ走り去った。あの人、見た目通り酒も強そうだな。最後は酒で失敗するタイプのような気もするけど。


 ビスマイトさんは、既にたくさんの弟子に囲まれていた。おそらく普段あまり会えない弟子たちもいるのだろう。こういう機会でもなければ、交流も難しいんだろうな。何せ弟子が全部で1000人だ。声掛けするだけでも一苦労だよな。


「カミラお嬢様、お初にお目にかかります」


 声を掛けられて椅子越しに振り返ると、黒い眼帯をした髪の赤い女性が居た。そう、海賊みたいなあの眼帯だ。リアルでこういう恰好が似合うのは、やっぱりファンタジーだよな。安っぽいコスプレとは訳が違う。ちょっと見惚れてしまった。しかもこのお姉さん、わざわざ俺の目線に合わせるために、跪いてくれている。


「は、はい。初めまして、よろしくお願いします」

「後継者が決まったというので来てみたら、イメージと大分違いました……」


 そりゃこんな小さな隻腕の子供だったら、ガッカリするよな。ここは下手(したて)に出ておくのがいいだろう。日本人は和を尊ぶのだよ。


「ご期待に添えなくてゴメンナサイ」

「いえ、そうではありません。反対です。こんな私好みのカワイイお嬢さんだったら、毎日ここへ通ってしまいそうです」


 ……へ? この人、もしかして女性なのに幼女趣味なのか? 背中から嫌な汗が出て来たぞ。でも男の立場で考えれば、こんなラッキーなことはないんだが。どうにも体と心のバランスが取れないな。


「シャルルったら、ダメよ。カミラちゃんは私の妹って決まったんだから!」


 すかさず、エリーが張り合うようにして会話に割り込んで来た。


「へへへ~、ちょっとぐらい良いだろ~」


 この別嬪姉さん、見た目と中身のキャラが違い過ぎる。外見は上品でワイルドなのに、言動がスケベなおっさんだ。


「失礼、名乗るのが遅くなりました。私の名前はシャルル。親方の3番弟子です。以後お見知りおきを」


 挨拶がやけに丁寧で洗練されているな。もしかして軍人だろうか。


「あの、シャルルさん。もしかして元兵隊さんだったりしますか?」


「はい、そうです。今でもたまに予備役兵として、城壁の巡回に立つこともあります。誰かにお聞きになられましたか?」

「挨拶の仕方や立ち居振る舞いが、何となく……」

「これは驚いた。その年齢で優れた洞察力です。聡明なお嬢さんだ。侮って申し訳なかったです」

「ふふん、カミラちゃんはね、文字の読み書きができるのよ」


 調子に乗ってエリーが自慢げにうっかり喋ってしまった。ほら見ろ、シャルルさんの顔が見る見る変わっていくじゃないか。驚いて固まっていらっしゃる。


「それは……本当ですか?」

「はい、幸運に恵まれたみたいです」


 あまり深く突っ込まれると、ヤバい気がしたので、ここは適当に誤魔化そう。暫く二の句が継げない様子だったので、こちらからシャルルさんに話しかけてみた。


「シャルルさん、お父様のお弟子さんって1000人もいらっしゃるんですよね? それで3番目なんて凄いんですね」


 普通に考えて1000人の社員の中で営業成績3番目となれば、表彰モノだからな。


「それは違います。親方の弟子は全部で3人。私までです」

「でもドルトンさんのお話では、1000人って聞きましたけど……」

「直接指導を受けたのが3人なんです。残りの弟子は、私達直弟子の子弟子、孫弟子です。最近は玄孫弟子もできそうですけど。他には、先代の子弟子、孫弟子なんかも混じっています。でも皆ブラッドール家のブランドで鍛冶をやらせてもらっています。だから弟子1000人なんです」

「そうだったんですか。教えて頂いてありがとうございます」

「ちなみに1000人というのも大体です。何しろブラッドール家は、400年以上続いていますから。派生した職人たちも含めれば、1万人以上でしょう。全部は把握できませんよ」

「じゃあ、どうやってブラッドールの刻印を付与しているのでしょう?」

「早速核心を掴まれましたか。それが検品なのです。本当にブラッドールの製法で作られ、それに相応しい品質があるか。基準はそれだけなんです。だから検品の工程は、偽物が流通しないよう、非常に大切な作業なのです」


 なるほど、戸籍や弟子の家系図みたいなものがある訳じゃないのか。この時代の識字率を考えたら、管理台帳的な物を残さないだろうしな。検品、かなり重要じゃないか。責任重大だ。


 真面目に考えていたら、いつの間にかシャルルさんが消えていた。ドルトンさんとカウンターで肩を組みながらビールをガブガブ飲んでいた。あの人も酒豪なのか。


 暫くしてマドロラさんが、俺用の料理と飲み物をテーブルまで持ってきてくれた。それをエリーが切り分けてくれる。俺が右手だけでも食べられるようにしてくれている。


 ひとしきり飲み食いすると、ちょっと催して来たので、カウンター横を抜けてトイレに行く事にした。

もう要領を得ているので、1人でも問題はない。


 事を済ませ手を洗って出ようとすると、男子用の方から会話が聞こえて来た。


「片腕の小娘が跡継ぎなんて大丈夫かよ?」

「ダメだろうな。あの片腕の子供が、鉄を打てる訳ねぇじゃねえか。ブラッドール家もお先真っ暗だな」

「ビスマイトさんも、もう剣作ってねぇしな」

「俺、ハッブル家に乗り換えようかな……」

「馬鹿! 滅多なこと言うもんじゃねえぞ!」


 ”酒場のトイレは本音が漏れる社交場”ってのは、日本の居酒屋と同じだな。


 彼らの気持ちもわからんでもない。今の俺は、隻腕の幼女に過ぎない。鍛冶仕事ができないのはもちろん、剣も振るえない。そんなヤツが上に立つことになったら、普通は不安がるよな。運転免許も持ってないお坊ちゃんが、親の七光りだけで、自動車工場の社長に就任してしまったようなものだ。


 だが鋼のメンタルを持つ俺は逆に燃えた。彼らの心配を払拭できるよう頑張ってやろうじゃないか。このくらいの逆境は、慣れたものだぜ。


 ちょっと気になるのは、ハッブル家の事だ。派閥争いが始まってしまうと、俺の頑張りだけではどうしようもない。もう政治やくだらない人間関係に振り回されるのは、こりごりだ。


 人心が離れないうちに、早目に姿勢を示しておく必要があるだろうな。とはいえ、俺が知ってる異世界転生ものなら、ここですごい魔法とか異能が発動して、一気に大逆転チートだぜ! となるんだが。今、俺の能力は”読み書きができる”ってだけだ。これって魔法でも異能でも何でもないよな。義務教育を終えた日本人なら、誰でも持ってる一般的能力だよ……。まぁ、嘆いても仕方ないか。これから頑張ろう。


◇ ◇ ◇


 ホールに戻ると、エリーがチャラ男ことケッペンに絡まれていた。もしかして、この2人できているのか? チャラ男にだけは、エリーのようないい娘は取られたくないぞ。


 エリーはいつものように、適当な距離を保ちつつ会話しているようだが、笑顔が作り笑いだ。うん、これは心配するような仲じゃないな。助け船を出してやるとするか。


「エリーお姉ちゃん、ごめんなさい。調子悪くなっちゃった。お部屋まで一緒に行ってくれる?」


 こういう時こそ美幼女パワーが役に立つ。そしてエリーにだけ見えるように、ちょっと片目を瞑って合図をした。


「それじゃあ、お姉ちゃんと一緒にお部屋にもどろっか」


 勘の良いエリーは、俺の助け船に気が付いてくれたようだ。


「カミラ! どうかしたのか? 大丈夫か? 無理はするでないぞ!」


 弟子たちに囲まれ、雑談に興じていたはずのビスマイトさんが反応してきた。聞こえてたのか、このホールの喧騒の中で。仮病なのに無駄に心配をかけてしまった。


「お父様、心配かけてごめんなさい。ちょっと疲れてしまったみたいです」


 ……おや? なぜかビスマイトさんの顔が真っ赤だぞ。いつにも増して分かり難い表情になってる。怒っているような笑っているような。


「そ、そうか。こっ、ここはもういいから、早くエリーと一緒に部屋に戻って休みなさい」

「はい、ありがとうございます」


 俺とエリーは手早くホールを抜け出し、ブラッドールの屋敷に戻った。


 部屋に着くと突然、エリーはベッドに突っ伏して大爆笑し始めた。このパターンは以前も経験があるぞ。ビスマイトさんの表情から、また何か面白いことを読み取ったに違いない。確かにさっきの彼の言動は、付き合いの浅い俺から見ても、不自然でぎこちなかった。


 余りに嬉しそうに爆笑しているので、ベッドの上のエリーを暫くそのまま放置していた。3分ほど過ぎたろうか。ついに笑い疲れたようだ。


「ゴメンゴメン、でもあまりに分かりやすい反応で。プハハハハー」


 いかん、反芻して笑いに火が着いてしまったようだ。笑いのツボって一度嵌まると、抜け出すのに苦労するんだよな。


「もしかして、お父様のさっきの反応?」

「あっ、やっぱりカミラちゃんもわかったんだー」

「ううん、いつもより不自然なのは分かったんだけど……」

「アレはね、カミラちゃんが叔父様を初めて”お父様”って呼んだでしょ? それにすっごく反応してたみたい。もう叔父様はカミラちゃんなしには、生きていけないかもしれないわよ。それぐらい大切にしてるって感じね」

「なんだー、そうだったんだー。私がよっぽど変なことを言っちゃったのかと思って、ちょっと不安だった。よかった」

「大丈夫大丈夫、もう叔父様はカミラちゃんの(とりこ)だから」

(とりこ)だなんて……」


 カワイイ娘に”お父様”と呼ばれたら、コロリと逝ってしまう心理。確かに男としてはわからんでもない。だけど、曲がりなりにも俺は奴隷だったのにね。いつの間にか立場が逆転していた。とはいえ、これもビスマイトさんと周囲の人の愛情の賜物だ。これに甘えてはいけないな。逆に気を引き締めて、皆の愛情を裏切らないようにしなければ。


「でもさ、カミラちゃん、よく私がケッペンの事を苦手だってわかったね? 細かい心遣いまでその歳でできちゃうなんて、やっぱり凄いよ」


 そりゃそうだ。だって中身は経験豊かな中年オヤジだからな。無駄に空気を読んじゃうチームリーダーだったからね。


「そんなことないよ……」

「そんな事あるよ! 私ね、最初カミラちゃんと会った時、凄く不安だったんだよ。だって剣を振り回してたでしょ、この部屋で」


 そう言えばそうだった。エリーとの出会いはかなり衝撃的だったな。半裸で剣を振り回す隻腕の美幼女が俺だったからな。今や笑うしかない。


「でもね、カミラちゃんは読み書きはできるし、話し方は大人っぽいし、落ち着いているし、挨拶もちゃんとできるし、それでいて可愛くて綺麗で…… もう見てるだけで私も好きになっちゃうっていうか憧れちゃうの」

「そ、そんなことないよ。エリーお姉ちゃんだって、優しくて気立てが良くて美人でプロポーション抜群だし、料理も上手で困っている事に直ぐ気が付いてくれるし。もし私が男だったら、お嫁さんにしたいナンバーワンだよ」


 いけね。つい男目線で言ってしまった。ちょっと本音過ぎたかな? 引かれたらまずいな。


「ほ、本当に!?」


 予想に反して、エリーの顔は嬉しそうだった。おいおい、あくまでたとえ話だからな。誤解するなよ。

というか、エリーにはちゃんとした男とくっついて欲しいもんだ。チャラ男ももしかしたら、仕事はできるヤツなのかもしれないが、あの態度は絶対に女が複数いるタイプだよな。


 その時だった。部屋のドアが開いたかと思うと、隻眼のシャルルさんが立っていた。顔つきからすると明らかに酔っている。


「何よ2人とも。私をのけ者にして、楽しんじゃってる訳? どうして主賓(しゅひん)のカミラちゃんがエリーとここに居るの?」

「いえ、シャルルさん、これには訳があって……」

「訳なんてどーでもいーわ! とにかく私も混ぜなさい!」


 シャルルさんが勢いで俺のベッドに倒れ込んだ。この人、もう完全に酔ってるな。いくら飲んでも冷静な酒豪だと思ったが、案外アルコールに弱そうだ。


「エリー、あんたさぁ、カミラちゃん独占はいかんよ、独占は!」

「シャルル、酔ってますね。さ、うちの宿まで案内しますから行きましょうか」


 エリーがシャルルさんを抱き起こしてベッドから引っぺがそうとした。でもシャルルさんは、ベッドに抱き着いて離れなかった。


「やーだー。今日はカミラちゃんと一緒に寝るの!」


 うっ、女の絡むタイプの酔っ払いか。これは厄介なんだよな。


「ダメです。酔っ払いなんかをカミラちゃんに近づける訳にはいきません!」

「なんらとぉ、コイツぅ。私のどこが酔ってるっていうんら~」


 呂律(ろれつ)が回ってない。これを酔っていると言わずして何というのか。もはや酩酊状態だな。まぁ俺としては、こんなカッコいい系の美人さんとベッドを共にするのは、(やぶさ)かではないがな。くそっ、自分が男でないのが心底悔やまれるぜ。


「もういいもんねー、脱いじゃうもんねー」


 酒で失敗するタイプはドルトンさんかと思ってたんだが、さらに上級者が居たようだ。あの気品あるカッコいい系のお姉さんが、俺のベッドの上でストリップを始めた。


 エリーももう手に負えず、あっという間に一糸纏わぬ姿になったシャルルさん。うーん、綺麗だ。宝塚も真っ青なスタイルだ。良いものを拝ませてもらった。俺、生きててよかったよ、神様の爺さん。


「はーい、じゃあお休みなさーい」


 シャルルさんは全裸で布団に潜り込むと、3秒でスースーと眠りについていた。予想以上に面白キャラだな。


 仕方がないので、俺とエリーはそっと部屋を出て、”鋼の女神亭”の宿泊部屋へ行くことにした。幸い1部屋だけ今日は空きがあるらしい。


「良かったわ、いつもはほとんど満室なんだけど、今日は1つだけ空きがあったのよ」


 空き部屋の前に来て、そっとドアを開ける。そこにはケッペンと店のウエイトレスの姿があった。どうやら事に及ぶ直前のシーンに出くわしてしまったようだ。それにしてもチャラ男の野郎、やっぱりあちこち女に手を出していたな。


 エリーは何事もなかったかのように、無表情でドアをパタンと閉めた。


「あははは、誰か使ってたみたいだね。今のは見なかったことにしよう」


 エリー、顔が引きつってるぞ。でもこれでケッペンはチャラ男に決定だな。向こうも目が合った瞬間に「あっ、ヤバい」という顔をしていたから、明日からは俺が優位に立てる。ふっ、せいぜいこれをネタにこき使ってやろうじゃないか。イケメンだから何でも許されると思ったら大間違いだ。女の敵は許さん。何せ今は俺も女だからな。


 仕方がないので、エリーの部屋に行く事にした。そういえば、エリーの部屋に入るのは初めてだった。


「はい、どうぞ。散らかっているけど我慢してね」

「うん、ありがとう」


 エリーの部屋は広かった。軽く俺の部屋の倍はある。テニスは無理だが、卓球台なら3~4台並べても十分プレイできる広さだ。ベッドは1つ。セミダブルか。天蓋付ってのは意外だったが、エリーの家は裕福なのかもしれないな。部屋の真ん中には、数人が座れる丸テーブルがある。


 テーブルに座ると、エリーがなぜかモジモジしている。


「エリーお姉ちゃん、どうしたの? 気分悪いの?」

「ううん、ちょっと緊張しちゃって…… えへへ」


 何だかさっきからエリーの様子がおかしい。もしかして、チャラ男のショッキングな情事を見てしまったせいだからだろうか?


「あのね、カミラちゃんとこの部屋で過ごせるなんて思ってなかったから……」


 そっちかよ! エリーには百合の素質があるのか? でも俺には無いぞ。気持ちの方はもちろん、男として着いているモノももう無い。変な展開になる前に、話題を逸らそう。


「エリーお姉ちゃん、この街の事をもっとお話しして」

「そうだね、何でもお話しするって約束だったもんね」

「それとね、お願いがあるの」

「なぁに?」

「いつでもいいから、この街を案内して欲しいの」

「夜風も気持ちいいし、今から歩きながらお話ししよう!」


 いくらなんでも夜歩きは危険じゃないのか? それともこの街は、現代の日本並に治安が良いのだろうか。まぁ、若い女性であるエリーが夜の散歩を奨めるくらいだ。きっと治安は良いのだろう。


 エリーの顔がニヤケている。なぜだろうね。


「カミラちゃんと夜デートだね」


 いやいや、デートじゃねぇだろう。女同士だぞ。自然にすべてが百合展開になって来てないか。シャルルさんの幼女好きといい、何かと不安だ。


「家の周りをちょっと散歩するだけでも、大分街の雰囲気がわかると思うんだよね。お姉ちゃんとじゃ嫌かな?」


 考えて見れば俺はこの屋敷の敷地から、まだ一歩も外へ出ていない。街の様子も窓から眺められる範囲でしか見ていない。街の構造は、古いヨーロッパの街並みを思い浮かべれば、なんとなく想像はできるが、やはり実際にこの目で確認したい。


「うん、行く! お出かけしよう!」


 俺は思いっきり子供らしく振る舞った。それがエリーのツボに嵌まったらしく、そのまま俺の腕を掴んで部屋から屋敷の敷地外まで出てしまった。といっても、いつも窓から見ている家の前の通りなのだが。


 石畳の街が夜の闇に沈んでいた。酒場から聞こえる怒号も闇が全部吸い込んでくれるようだ。街路灯は意外にも規則正しく、かなりの数が並んでいる。電気で灯されている訳ではないだろうから、ガス灯だろうな。まさか魔法でウィル・オー・ウィスプが封入されてるとかいうオチじゃないよな?


「エリーお姉ちゃん、あの街路灯は?」

「凄いでしょ。この街の鉱山から出るガスを使ってるのよ。ガスを鉄の管で敷いてるの。暗くなるとね、各自の家の前の街路灯に火を(とも)すようになっているの」

「へぇ! 凄い!」


 驚いた。都市ガスじゃないか。なるほど、製鉄技術が発達し、これだけの鍛冶工房があるなら、鉄を使った精密な技術はお手の物という訳か。侮れないな。


「ガス灯のおかげで、街が夜でも明るくなって、闇に負けずに外を歩けるようになったの」


 それで治安もいい、ということか。


 エリーは家の前の通りを、南方向へずんずん進んで行った。確かにガス灯のおかげで、これだけ明るければ、犯罪も起きにくいだろう。


 南へ向かう道は緩やかな坂になっていた。坂の上にちょっとした高台があった。その高台に登ると、街の様子が見渡せるようになっているという話しだ。エリーはそこでいろいろ説明をしてくれるつもりだろう。2人とも息を切らせながら坂を昇った。


「カミラちゃん、あの凄く光っている高い建物が教会だよ。教会が街の中心なの。そこからたくさんの道が蜘蛛の巣みたいに伸びているの」


 想像した通りだ。教会を中心として、放射状の街道が伸びる街になっている。典型的な中世ヨーロッパの旧市街だ。


「そしてね、あの丘の上で光っているのがこの国のお城。お城からずーっと町全体を取り囲むように、城壁があるの。それが街の境界線なの」


 おお、なんと見事なまでの城塞都市! これはファンタジー好きなら燃えるシチュエーションだぜ。しかしあの城、目茶苦茶でかいな。


 城には砦のような”山城”と、王族が住むために作った”宮殿”があるが、この国の城は山城なのに宮殿の豪華さを持っていた。戦いもできるし、普段住むこともできそうだ。国の権力と富がかなりの物であることを意味している。やはり鉄の国は、工業都市だけあって輸出品で潤っているのだろう。


「それでね、教会の南側にブラッドールの工房があって、北側にハッブルの工房があるの。そうは言っても、結局入り乱れてはっきりした区切りはないんだけどね」

「工房以外には、どんなところがあるの?」

「そうね、まずカミラちゃんが興味のあるお店とかは、西側に多く並んでるの。西側にはね、海があるんだよ! お魚も獲れるし、貿易商の船がたっくさん来るから、服とか宝石とか本とかいろいろお店があるの」

「へぇ~、海があるんだ。いつか行ってみたいな」

「よし、もう来月は夏だから海水浴に行こうか?」

「うん!」


 海水浴。そんな習慣もあるとは。しかし、海水浴場に行ったのなんて大学生以来だな。ここ十数年間行ってないぞ。夏はお盆返上で仕事してたからな。


「……あとね、聞くのは嫌かもしれないけど、カミラちゃんが居た奴隷商も西側の奥にあるんだ」

「そうなんだ」

「カミラちゃんの記憶の手がかりがあるかな、なんて思ったんだけど、余計なお世話だよね。今はもうブラッドール家の跡継ぎなんだし。思い出しても辛いだけだよね……」


 これはエリーなりに気を遣ってくれていたのか。誰だって記憶が戻らないのは嫌だろうからな。正直、記憶喪失の設定は、早く忘れて欲しいのだが。


「ううん、ありがとう。でも私はもうエリーお姉ちゃんが居るから、記憶が戻らなくても全然平気だよ」


 エリーが俺の手をグッと握ってきた。


「カミラちゃんは強い子だね。私も負けてられないや」


 そうか、エリーは酒場を継ぐ経営者にならないと、いけないんだっけな。俺とエリーはお隣同士で、しかも跡継ぎ同士ってことか。あの酒場と宿泊施設は、それなりの大きさだし、客は荒くれ者が多そうだ。生半可な根性じゃ務まりそうにないもんな。ちょっとした子会社の社長並に過酷そうだ。


「街の東側は何があるの?」

「東側は、城門があるわ。城門を越えて暫く行くと他国になるのよ。城門はちょうど大きな河になってて、河自体が境界線みたいなものだから、行けば直ぐにわかると思うよ。それと鉱山があるわね。ガスも採れるし、鉄鉱石も採れるの。私は詳しくないけど、宝石とか他の金属もいろいろな種類が採れるみたい。その辺の話は叔父様が詳しいから、明日にでも聞いてみてね」

「うん、わかった。お父様に聞く」

「あはは、”お父様”~。……叔父様、また顔を真っ赤にして喜ぶと思うよ」


 俺とエリーは、酒場でのビスマイトさんの顔を思い出して、思わず爆笑してしまった。


次回はやや凄惨なシーンがあります。

バトルシーンをご期待だった方は、お待たせしました。

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