第46話 女子力
――― 夕暮れ時。
俺とエリーは、意気揚々と魚料理を始めていた。エリーは魚を捌くのが上手い。三枚におろすのもお手のものだ。さすがに毎日調理場で鍛えているだけはある。俺も一人暮らしが長かったので、それなりに料理はできる方だと勝手に思っていたけれど、包丁捌きってやつはやっぱり一朝一夕にはいかないもんだね。
今は義手のおかげで、両手がある程度使えるようになった。料理の腕も徐々に上げていく事にしよう。やはり和食を完全に再現するには、自分で調理するに限るからね。
ほどなくして夕飯が完成すると、来客があった。ディラックさんとイオさんだった。ヴルド家に使いに行ってもらったレンさんによると、イオさんの帰省は来週だったはずだが……。
「夕飯時にすみません。ちょうどイオ兄さんが予定を早めて帰省したので、どうせならと連れて来てしまいました……アハハ」
留学先からわざわざ帰省を早めるとは……。もしかして何かあったのかな?
「立ち話もなんですから、お食事をご一緒にいかがですか?」
「ではお言葉に甘えて」
ディラックさんは厨房を抜けてテーブルに着いた。彼もこの家に頻繁出入りするようになって、すっかり間取りを把握してしまっているな。でもイオさんは、俺の方を向いたまま、突っ立っていた。身じろぎ1つしていない。どうしたのだろうか? この人も黙ってれば超絶美人だからな。まぁ……男だけど。
「あなた……本当にカミラちゃん、なの?」
いけね、そういえばイオさんには、成長した後の姿を見せてなかったな。以前会った時は見上げていたイオさん。今は逆に見下ろす格好になってしまった。頭一つ分、俺の方が背が高い。
「はい、かなり成長しましたけどカミラです。お久しぶりです、イオ様」
「……完全に負けたわ。対抗する気持ちも根こそぎ持って行かれたわ。顔、バスト、ウエスト、ヒップ、ボディラインとバランスの取れた体。抜けるような白い肌に滑らかで長い髪。髪色以外は非の打ち所がないじゃない。はぁ、もう今日は自信喪失どころじゃないわよ……ったく」
イオさんが俺の成長した姿を評価してくれているのはわかった。……あれ? だけど髪色はダメなのか。金色は日本人の俺からすると、綺麗なイメージしかないのだけど。エリーも金髪だし、メンデルの街中で見かける女性も金髪が多いよな。むしろ黒髪はほとんど見かけない。たまに見かけても、銀とか赤とかだな。まぁヨーロッパ的なファンタジーっぽいイメージそのままなんだけど、イオさんは気に入らないのかな?
でも今日は、そういう話しをしたいのではない。イオさんの性別に対する考えを聞かせて欲しいのだよ。
「あのー、イオさん……?」
「もういい。メンデルで一番の女性は貴女でいいわ。でも……1つお願いがあるの」
「は、はぁ、なんでしょうか?」
「私は明日からメンデル近衛師団長になるのだけれど、ぜひ貴女付きの近衛師団を組織させて欲しいの」
おお、ついにイオさんが近衛師団長デビューか。それで帰省を早めたのか。しかし、着々とヴルド家の要職が増えてきているな。水面下の派閥争いは、順調に勝ち進んでいるということか、よしよし。
それにしても、何を言い出すんだこの人は……。近衛師団と言えば騎士団の中でも、王族警護に特化した超エリート軍団と聞いているぞ。俺を警護している場合じゃないだろう。
「近衛師団は、王族とその近親者の専属親衛隊ですよね? 私はブラッドールの人間です。王族ではありませんし、貴族ですらありませんよ」
「でもエランドの正当な王族でしょ?」
むむっ、ディラックさんが話してしまったか。メンデル人の王族に対する意識は尋常じゃないからな。普通に”不敬罪で死刑”という話が出る世界だ。変な謙遜も誤解を招いてしまうから気を使うな……。
「え、ええ……はい」
「理由はそれで十分。私は近衛師団長として正当な王族に仕えたいの。そして何より、自分より美しい王族を放っておくほど、温くないわっ!」
彼独自の美意識と、王族への忠誠が入り混じっているんだろうか。あの温厚で冷静なディラックさんですら、今の偽の王族に仕えることに激昂していたんだからね。感情表現に遠慮がないイオさんなら、なおのこと激しく憤るだろうな。
「あ、ありがとうございます。でも私はどうしたらいいのでしょうか?」
「今すぐに王族として名乗り出てください。私は今の王ではなく、エランド直系のカミラ王女に忠誠を誓いたいです」
おいおい、どうすりゃいいんだよ。望まれたところで今すぐ王族になるのは無理だ、制約が厳しすぎる。城の中の籠の鳥なんて真っ平ご免だ。俺にはいろいろと目標があるのだよ。ちゃんとブラッドール家の目利きになって、妹メリリアの仇であるアルベルトを討つというね。
「兄上、廊下で何を話しているかと思えば……」
「ディラックー あなたはどうしてカミラ様を王族として立てないのですか?」
「その件については、もう散々お話ししたではありませんか」
「だ、だけどこんなに美しい女性になられたのですよ? この方に仕えずして誰に仕えろというのですか!」
「……すみません、カミラ殿。兄上はまだ納得していないのです。しかもそのお美しい成長ぶり、ますます王族立候補を熱望するようになってしまいました」
とディラックさんは言うが、俺もリアクションに困る。
「兄上。カミラ殿を困らせないでください。王族として名乗りを上げるのは、鍛冶師コンテストが成功裏に終わった後です」
「偽の王族に仕える気はないわ」
「私も気持ちは同じです。ですが、カミラ殿にもお考えがありますし、まだエルツ家の動きも不穏です。今しばらくの辛抱ですよ」
「……だけど私の心は、正当な王族の下にある事を忘れないでちょうだい」
「兄上、それは私も同じです。偽の王に仕えるなど、屈辱としか感じていません」
これは下手に声を掛けたくない状況だな。正直、王族になって国を治めようなんて大それたことは、考えた事もない。それに対する欲もない。昔はともかく、今は名誉や金、権力に興味はない。本当に大切なものが何なのか、よくわかったからね。もし俺がこの世界に来てなかったら、頭では理解できても実感できなかったことだ。そこだけは、あの口の悪い神様爺さんに感謝しなきゃいけないな。
「はい、ご飯にしましょう! 今日は美味しい魚が安く手に入ったんですよ。是非召し上がっていってください」
さり気なく話題を逸らして、夕飯へと注意を向けさせよう。言い訳じゃくて、今日の魚料理は結構自身があるのだ。エリーとビスマイトさん以外の人にも、食べて貰えると嬉しい。
夕食の間中、イオさんとディラックさんが舌戦を交わしていた。今後のメンデルの大掃除について、意見が分かれているらしい。考えてみれば、騎士団長と近衛師団長が居る訳だから、政治の話になるのは仕方ないだろうな。
イオさんは、現王家もエルツ家も関係なく、俺を正当な王族として据え、問答無用で他の貴族を従わせるという意見のようだ。ディラックさんは、エルツ家の底力や国民への影響も考えて、もっと慎重に根回ししてから進める意見のようだ。それぞれ性格が出ていて面白い。イオさんはやはり直観的というか感性で進めるタイプだね。ディラックさんは対照的だ。しっかり足元を固めて、極力リスクを減らしていく現実主義者だね。
でも俺としては、2人とも綺麗に残さず食べてくれたから、それだけで嬉しい。やっぱり両手があると本当に便利だ。料理ももっともっと頑張るとしよう。コーネットから、保存が利くような珍しい食材でも取り寄せてみるか。……でも何か、密かに女子力高まってないか、俺。
「ところでカミラ殿。レンに兄上の帰省をお尋ねになったのは、何か御用があったからなのでは?」
「そうでした。イオ様、あとで私の部屋においで下さい。2人でお話ししたいことがあります」
ディラックさんが不思議そうな顔をする。ほとんど接点のなかったイオさんに、折り入って話があるというのも不自然だもんな。
◇ ◇ ◇
「イオ様、1つお聞きしたいことがあります」
「改まって何かしら?」
「イオ様は体は男性、心は女性ですよね?」
「ええ、そうですよ」
「あの……その…… 気持ちとしては男性に恋するのですか? それとも女性に恋するのでしょうか?」
「もしかしてカミラちゃん、誰かに恋しちゃった? もうお年頃だし……でも王族なんだから下手な男に引っかかっちゃダメよ」
「いえ、そういう事ではなく、イオ様の考えをお聞かせ願えればと」
「私が男と女、どちらを愛するか、ね。そんなの決まってるわ。好きな方を愛せばいいのよ。人を愛するのに性別なんて関係ないわ!」
いかん。予想の斜め上だった。この人くらいのレベルに達すると、性別関係なく人間を愛しちゃうタイプなのか。
「でもイオ様ご自身としては、女性の心構えなんですよね?」
「だから好きになるのは男性って言いたいのかしら? それは違うわね。愛し合うのは人間としての本能よ。子供ができないっていうなら、養子という手もあるのだし」
そうだ。この国には養子を貰うことに躊躇いのない裏文化もあったんだ。もしかして、同性婚も案外抵抗なく受け入れられているのだろうか。まぁイオさんくらいまでいくと、性別に対して自由過ぎるとは思うけどね。
「あっ! わかったわ。カミラちゃん、女性を好きになっちゃったとか?」
むむむ。その辺が自分でもよくわからないから、ヒントを求めてイオさんと話しているのだけれど、やはり参考にはならなそうだ。
「いえ、そうじゃありません。私は両親や兄弟との愛情というものをあまり知りません。なので異性を好きになるという感情が欠落しているのかも、と思ったのです」
「……可哀想に。その美貌で恋や愛を知らないなんて人生大損してるわ。いいこと、異性を好きになるのに理由なんてないの。魂の赴くままに感情を出していいのよ。もっと気持ちを大らかに持って、解放するのよ!」
今の俺が魂の赴くままにいったら、エリーを押し倒して結婚を申し込んでいると思うぞ。それはそれで問題だろうな。傍目から見たら百合だ。性別を変更できる魔法とかないのだろうか。まぁ、あったらとっくにイオさんがやってるか。
「ところでカミラちゃん、髪色は金になっちゃったのね、残念」
「残念? どうしてでしょう? 私は金色になって皆さんと同じでいいと思うのですけど……」
「メンデル人には金髪が多いけど、メンデル王室には黒髪が多いのよね」
そういえば、偽国王のおっさんは金髪だったな。まぁ遺伝的なものも絡むから、髪色はどうなるかわからないんだろうけど、黒髪の方が確か優性遺伝だから出やすいんじゃなかったっけ? まぁいいや、こればっかりは自分で悩んでもどうにもならないよな。俺だって好きで金髪になった訳じゃない。
「あら? でもよくみれば……」
イオさんが突然、俺に接近して髪の生え際を触りだした。イオさんの体から、ふわっといい香りがした。鼻に付くようないやらしい香りじゃない。すごくナチュラルで爽やかな匂いだ。この人、香りのオシャレまで本当に女子力高いな。
「黒髪が生え始めてるわ!」
「えっ!? 本当ですか?」
急いで姿見で生え際を確認してみた。
確かに薄っすらと毛根付近が黒っぽくなっている。急激な成長で、一時的な栄養不足に陥り、黒髪から色素が抜けて金になったのだろうか? よくわからないけど、このままだと金と黒のツートンカラーになっちゃいそうだ。髪染めをサボってしまった人みたいで、ちょっと格好悪い。
「こ、このまま伸びると、金と黒の変な髪色になっちゃいますね……。バッサリと短く切っちゃった方がいいでしょうか?」
「何言ってるの!? 絶対ダメよ!」
イオさんが凄い剣幕で制止してきた。
「髪は女の命なのよ。折角そんなに長いのに、切るなんて勿体ない」
おお、日本でも聞いたことのあるような台詞だ。メンデルでも髪は女性にとって重要なものみたいだな。女子力が並の女子より高いイオさんが言うのだから、間違いないだろう。
「でも髪が伸びてくると格好が悪いですよ」
「じゃあ、染めましょう、黒に!」
なんと、髪を染めるものがあるのか。そういえば、ヘアカラーは紀元前のエジプトでもやっていたとか歴史の雑学で聞いたことがある。鉱物が原料の顔料がどうとか言ってた記憶がよみがえってきたぞ。メンデルは鉱物資源が豊富だから、顔料系の塗料もいろいろありそうだな。
イオさんがレンさんを呼ぶと、早速その顔料が出てきた。
「カミラ様、私もこれで染めております」
レンさんの手には、灰色がかった微細な粉末が入った小箱が乗っている。これがメンデルの染髪剤なのか……。初めて見たぞ。
「レンさんは黒髪ですよね? 元々は何色なんですか?」
「金です。でもメンデルでは黒髪の方が好まれているので、金から黒に染める人は多いです。歴代王室の女性には黒髪の方が多かったので、国民全体に黒髪への憧れがございます。畏れながら、私もカミラ様にはやはり黒が似合うと思います」
知らなかった。レンさんはずっと黒髪だと思ってた。落ち着いた性格にあってるよな、なんて勝手に思ってたけど、実は金だったんだね。俺が見てないところで、いつの間にか染めていたのか。
日本の女性はオシャレで金色や茶色に染める人が多いけど、メンデルは逆に黒に染める人が多いのか。所変わればオシャレ感覚も変わるのだね……まぁ、異世界だから、ファッションも日本の基準は意味がないんだろうけど。
その後、レンさんとイオさん抑え込まれ、黒髪に染められてしまった。数時間もすると、憧れだったパツキンが見事に真っ黒になっていた。生え際の様子からすると、これから生えてくるのは、黒髪だからマメに染め続ければ、ずっと黒になりそうだな。ちょっと残念な気もするけど、レンさんとイオさんの顔はご機嫌だったから良しとしておくか。
「それからカミラ様、髪を切ってはなりません。髪は女性の美の象徴、長ければ長いほど美しいとされています。もし稽古の邪魔になるようでしたら、状況に相応しい髪型に変えて参りますので、お申し付けください」
そう言いながら、レンさんは手早く俺の髪を纏めはじめた。あっという間にポニーテールから、お団子ヘアに仕立て上げられてしまった。なんだか頭が重い気がするけど、これなら確かに邪魔にならないな。よし、普段からこれでいこう。
「それは寝る時の髪型ね。普段はもっと手をかけなきゃね」
今度はイオさんが俺の髪をいじり始めた。イオさんもさすがに手馴れている。手際よく編み込みをして10分もすると、どこかの肖像画にでも出て来そうなゴージャスな髪型が出来上がっていた。このままティアラをかぶったら、王族になってしまいそうだ。イオさんの憧れが投影されているな、この髪型は……。
「ショートカットにしちゃったら、こういう事ができなくなっちゃうでしょ。だから勝手に切ったらだめよ」
念をしっかり押されてしまった。こうして俺のショートカット計画は、見事に潰えてしまったのである。ああ、やっぱり男の方が楽だ! 女って面倒くさい!
結局、俺の複雑な性別問題は何も解決しなかった。だけど後になって、イオさんが気を遣ってくれているのだろうか……頻りに近衛師団のイケメン君を連れて来ては、”ちょっとお試しで慣れてみない?”と謎の台詞を吐くようになった。お試しなら、美女をお願いしたいのだが……。でも女同士ってどうすりゃいいんだよ。とほほ。




