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第45話 買い物

「さ、さて……ちょっと驚きましたが、カミラ殿も無事に回復されたようですし、メンデル城内の状況を話しておきましょう」


 ディラックさんが、声のトーンを落として話し始めた。


 彼によれば、宰相カール=エルツの影響力は、日増しに大きくなっているという。国王陛下は自室に籠りがちになり、一層政治からは遠ざかっているそうだ。聞けば宰相カールは、国王にも横柄な態度を取るようになったらしい。そして国王自身はおろか、側近もそれを咎めなくなったという。メンデル城内や社交界の噂によると、王家に何か弱みがあるらしいと話題になっているそうだ。貴族達もその事実を知ってか知らずか、水面下で熾烈な情報戦が開始されている。


 察するに宰相カールは、メンデル王家の秘密を掴んだんだろうな。あの秘密を掴んだのなら、国王も地位を守るために黙るしかない。エランド語が読める研究者は、エルツ一派にもいるのだから、あの家系図が発見され、解読されるのも時間の問題だったろうしね。だけどこれで国王は傀儡だ。エルツ家の言いなりになっていくだろう。


 そしてエルツ家はゆっくりとだが貴族議員を取り込み始め、派閥を拡大している。今はヴルド家の派閥勢力と拮抗した状況らしいが、政治の流れはどちらに傾くかわからないという。そしてエランド調査の際、襲ってきた黒鎧の男の件だが、やはりエルツ家が一枚噛んでいることがわかった。


 この状況だけを見ても一触即発だ。何かの拍子にバランスが崩れれば、一気に政局が変わるかもしれないな。政局だけじゃない……ヴルド家には直接的な被害があるかもしれない。それに連なるブラッドール家も、大きな損害を受けかねない。


「エルツ家はこちらが何かヘマをしないかと、虎視眈々と狙っています」

「時にディラック様、エルツ家とナイトストーカーの繋がりをご存じありませんか?」

「ああ、その話ですか。ビスマイト殿に聞きました、青い刀を持った鎧女の件ですね」


 あの鎧女は危険だ。確実に俺だけを狙ってきていた。そしてあの強さは尋常ではない。バンパイアロードや爺さん師匠など一部の規格外を除けば、太刀打ちできる人間は少ないだろう。あれだけの剣客を抱えられる犯罪組織といえば、メンデルではナイトストーカーかそれに繋がる者の可能性が高いよな。


 ナイトストーカーは、個人的な恨みや気まぐれで動くような組織じゃない。金や利権に絡むのが専門の犯罪組織だからね。俺のような小娘1人殺しても、彼らに得はないはずだ。彼らに依頼した”誰か”が居ると考えた方が自然だ。ヴァルキュリアからの情報も考え合わせると、ナイトストーカーを裏で操っている黒幕がいるのは間違いないだろうな。まだエルツ家という確証はないが、可能性としてはあり得るだろうね。


「ナイトストーカーの取締りを厳しくするよう手配しています。これからは、見回りも街中での監視もかなり強まるはずです。青い刀の鎧女の件も、騎士団に詳しく伝えて指名手配しています。検問も巡回も厳しくやっていますので、街中でヤツが動くのは難しくなってきているはずです」


 さすがディラックさんだ、仕事が早い。昼間歩く分には、いきなり道端で襲われたりすることはなさそうだな。街中での行動の自由は、ある程度利くようになる。


「それと、ブラッドール屋敷の近辺は、特に重点的に巡回するようにしておきました。少し物々しい雰囲気になってしまいますが、ご容赦ください」

「うむ、警備と政治的な事はディラック様にお任せし、我らは綻びを出さぬよう、警戒を怠らず過ごす必要がありますな」

「そうして頂けるとありがたい。外出もなるべく日のあるうちに済ませてください。国外への移動も、しばらく避けて頂きたい。ご心配はあるかと思います。でも父も力を尽くしています。どうかご信頼ください、カミラ殿」


 コーネット領がどうなっているが心配だったが、確かに国外に出た途端に狙われそうだよな。ナイトストーカーの雇われ者は、どこに潜んでいるかわからない。でも屋敷周辺はかなり警備が厚くなりそうだし、街にも巡回の警備兵や正規兵が増えるなら、屋敷が直接襲われる心配はなさそうだ。とは言っても、なるべく早くあの暗殺者を捕えて、枕を高くして寝たいところだけどね。


 今はコーネットの心配もあるけど、自分の周りをしっかりさせないといけないな。まずは鍛冶師コンテストと御前試合を乗り切らないといけないんだよな。鍛冶師コンテストはビスマイトさんにお任せだが、御前試合は何が起きるかわからない。しかも、ただ勝てばいいってもんじゃない。目立って国王や役人たちの気を惹いた上で、さらに相手を殺さないようしないとな。簡単なようで難しいぜ。爺さん師匠の見切りの技も、まだ完全という訳じゃない。もっと実践して完成度を高めないといけない。


 ディラックさんとの話が終わり、ビスマイトさんとレンレイ姉妹を引き連れて、ブラッドール屋敷に帰ると、エリーが出迎えてくれた。


 当然、最初は俺が誰かわかってもらえなかった。まぁ、基本的な顔立ちはしっかり継承しているので、納得はしてもらえたが、俺の身長はエリーよりも高くなってしまっている。頭一つ以上大きいのだ。途惑いはあるが、これまで通り接していくしかないよな。


「カミラちゃんが、こんなになるなんて。あの、ちょっと触ってもいいですか?」

「エリーお姉ちゃん、敬語はやめて。いつも通りお話しして……」


 エリーに敬語を使われたら寂しくて仕方がない。折角仲良くなったこの美人さんに、他人行儀にされたら、俺の心はポッキリ折れちゃうぜ。


 気が付けばエリーがポワンとした顔をして、俺の体を触りまくっていた。


「はぁーやっぱりカミラちゃんだ。カミラちゃんの匂いがする。フニフニで白くてスベスベのお肌だー。お胸もこんなに大きく成長しちゃって。もう私より立派だね、ニヘヘヘヘ~」

 

 だ、大丈夫か、エリー……笑い方がおかしいぞ。今の台詞だけを聞いたら、痴女になっちゃうぞ。気をしっかり持つんだ。君にシャルルさんの称号を与えるようなことはしたくないのだよ。


「ゴホン。兎に角、これからは十分気を付けるように。特にカミラ、お前が無断で出かけるのはもうわかっている。事前に儂に言わなくともよいから、必ず剣を持って出なさい。そしてメイド達にも剣を持たせた上で供をさせるのだ、わかったな」


 ビスマイトさんが顔を赤らめながら、工房へ戻っていった。これまでは一方的に心配されていたけれど、今のはちょっと態度が違う。中身に伴って体も大きくなったので、大人扱いしてくれた、と考えていいのだろうか。何だろう、少し寂しい気もするな。


 ……そう言えば、爺さん師匠は何処へ行ったんだ? このとんでもない結果を、ぜひ報告にいかねばならないよねぇ。


 レンレイ姉妹に聞いたところ、爺さん師匠は既にメンデルを旅立ったという。あの人は放浪癖があるので、基本的に同じ場所には留まらないそうだ。なんとまぁ、あの年齢で武者修行の放浪者とは。凄い人がこの世にはいたもんだ。でも報告できなくて残念だ。今の俺の姿を見たら、さすがに驚くんじゃないだろうか。


 さて、これで当面やる事が具体的になったね。ひたすらに剣技を磨き、強くなることだ。まぁ毎日地味な基礎訓練ばっかりになると思うけど。そして、コーネットと連絡を取りながらナイトストーカー、エルツ家に目を光らせておくことも必要だ。それと、鍛冶の目利き人としての訓練も忘れちゃいけない。


 えっと……目利きが本業だったハズだよな、俺は。ミカさんとの出会い以降、どうにも脱線が多くて困る。その分仲間が増えたり、いろんなことがわかって、経験値が増えているのはいい事だと思うけどね。


◇ ◇ ◇


 それからの生活は、以前にも増して濃密な時間になった。早朝に目を覚まして、爺さん師匠から教わった基礎訓練を行う。朝食を取りながら、ヴァルキュリアへ定時連絡の手紙を託し、コーネットへ送る。朝食後はドルトンさんと一緒に目利きの練習をする。夕食前には、また爺さん師匠から指示された基礎訓練だ。そして夕食を食べた後は、剣を使った実戦訓練をレンレイ姉妹と行う。訓練には、たまにディラックさんが加わってくれることもあった。


 体のサイズが変わったので、バランス感覚が体に染み込むまで、運動には時間がかかると不安だったが、心配するほどの違和感はなかった。120cmの子供の体よりも、今の方が日本で過ごしていた体の感覚に近いからかもしれないな。


 でもやっぱり慣れないのはこの胸だ。……でかい、でかすぎる。自分の足を見ようと下を向くと、視界が塞がれるんだぜ。信じられない……。これまでにない感覚だ。いまだにおっさんの時の身体感覚が強いので、胸にふたつのお肉をぶら下げているのは、変な感じがする。特に剣を振ったり、ジャンプして着地した時に発生するこの盛大な揺れ……なんとかならんもんですか。


 なぜか剣の素振りと跳躍訓練の時だけ、ディラックさんが俺の方をじっと見ている。


 ……気持ちはわかるよ、気持ちは! 俺が男だったら、パツキン長身美人がボインボインと跳躍してたら間違いなく凝視してるよ! だけど君は国の要職なんだよ。ちょっとは遠慮してみようか。俺の所有物を凝視しているだけならいいよ。でもそれを他でやっちゃダメだ。このままだと、君にはおっぱい騎士団長の通り名が定着してしまうのだよ。


 深夜にヴァルキュリアからの連絡を受け取る。コーネット領の様子をジャンさんやニールスさんとやり取りしている。そしてこの国の技術や文化、習慣、そして魔法やモンスターについて就寝までひたすら頭に詰め込む。まさに遊ぶ暇はなかった。


 ちなみに、あの小さいままだった左腕の義手だけど、しばらく机の上に放置しておいたら、時間をかけてゆっくりと成長していた。肉眼では認識できないけど、日増しに大きくなっているのがわかる。どうやら、あまりにも俺の成長が激しかったので、義手の方の成長がついてきていなかったみたいだな。


 2週間も経つ頃には、俺の右腕と同じサイズになっていた。左肩に装着してみると、身長の高さと相まって、厳ついお姉さんになっている。目立って仕方がないな……。無駄に周囲に威圧感を与えてしまう。着けるのはなるべく屋敷内だけにしようかな。


 ――― そんなストイックな生活が半年も続いた頃。


 朝食時にエリーが声を掛けてきてくれた。


「カミラちゃん、そんなに根詰めてたら体が持たないよ。どこかお出かけしようっか?」

「エリーお姉ちゃん、ありがとう。じゃあ、西地区へ買い物に行こうよ!」

「よ、よかった。まだお姉ちゃんって呼んでもらえるんだね」

「何言ってるの、エリーお姉ちゃんはずっとエリーお姉ちゃんだよ」

「だって、今じゃカミラちゃんは私よりも背が高いし、女性っぽいし、すごく綺麗だし、毎日忙しそうだし……私なんかが話しかけていいのかな、なんてちょっと寂しかったりして……ね」


 これはいけない。エリーをいつの間にか遠ざけてしまっていたようだ。自分の事を優先し過ぎていたかもしれない。確かに剣技、目利きともに精進が必要なのはわかってるが、それで家族の事を放置してしまったらダメだ。まるで、忙しすぎて家族に忘れられる仕事中毒のサラリーマンみたいじゃないか。


 自分の子供に”ママー、お家に知らない人がいるよー”と言われてしまうやつだ。いつの間にか、離婚届だけがテーブルの上に置かれているドラマの定番シーンだよ。そんな格好の悪いことを、わざわざ異世界まで来てやるつもりはない。仕事と家庭を両立させるのだ。いや……まだ結婚はしてないけどな。


「そんなことないよ! ごめんなさい。私が自分の事ばっかりで……いつでもエリーお姉ちゃんに話しかけてもらいたい。だって今の私がここに居られるのは、全部エリーお姉ちゃんのおかげだから」


 奴隷として餓えて死にそうだった時に、エリーがジャガイモのスープを食べさせてくれていなければ、俺はもうこの世にいない。間違いなくエリーは命の恩人だからね。


 エリーは俺の手をぎゅっと握ってきた。


「よし、じゃあ午後から買い物に行こうっ!」


 シュンとした悲しそうな顔が、いつもの元気な彼女の顔に戻っていた。よかった、一安心だ。


◇ ◇ ◇


 ――― メンデル西地区。


 雑貨から武器まで何でも揃う繁華街である。言ってみれば、大規模な商店街だ。商船や貿易船が頻繁に出入りする港があるため、集まる人種も多様、物資の量も種類も豊富だ。肉・魚・野菜から宝石、薬、古本までが、通りを少し歩くだけで調達できてしまう。


 ついでに言えば、冒険者ギルドもあるし、ただいま絶賛警戒中のナイトストーカーの本拠地であるスラム街もある。スラム街には、俺が売買されていた奴隷市場もある。メンデルで一番騒がしい地区だろうな。その分トラブルも多いけど。


「んだと、ごるぁ! 手ぇ出したのはそっちが先だろうが!」

「先に剣を抜いたのはおめぇだろうが。やんのか?! ああっ!」


 あちこちから怒号が聞こえてくる。初めて来たらびっくりしてしまうかもしれないが、こういう場所なのだと思って慣れると、すべてがBGMに聞こえるようになるから不思議だよ。


「よっ、そこの美人のねーちゃん2人! 今日はトマトが安いよっ!」


 市場の売り子たちが声を掛けてくる。これを上手く交わしつつ、値切りながら買い物をするのも、西地区の醍醐味の1つなのだよね。


「カミラちゃん、今日の夕飯は何にしようっか?」

「うん、じゃあ魚にしようよ」


 そう、俺は魚に餓えていた。コーネットで和食的な醤油と出汁の味に触れてから、猛烈に和食が恋しくなっていたのだ。でもここメンデルでは和食に適した食材は、手に入らない。ならせめて魚だ。


「そこの背の高い美人なお姉さん、良い魚入ってるよ!」


 めざとく売り子が声を掛けて来た。商品棚へ目をやると、確かに品揃えは多いようだ。他の店舗よりも広く、新鮮なものが目に付くな。ちょっと交渉してもいいかもしれない。それにこの売り子の兄ちゃんだが……視線がおっぱい騎士団長と同じだ。なんとおっぱい吸引力の偉大なことか。


「安くしてくれるのかしら?」

「へっへっへ、美人さんに頼まれちゃ安くしない訳にはいかねぇよ」

「4匹で幾らでしょう?」

「銅貨1枚!」

「高いですね。他所を当たります」

「ちょっと待った! 俺が悪かったよ。紙幣50でどうだい?」


 いきなり半額になったか。吹っかけるのが基本の市場とはいえ、なかなか強気の値段設定じゃないか。これは交渉しがいがあるぜ。


「紙幣30ね」

「むむむ、じゃあ紙幣40でどうだい?」

「紙幣35よ」

「うーん、紙幣37!」

「……もう他に行くからいいわ」

「あー、わかったわかった! 紙幣35でいいってば」

「フフフ、ありがとう。じゃあ8匹買うから紙幣65にしてね」

「ひゃー、参った。こりゃとんでもねぇ客だ」


 魚8匹で紙幣65。日本の感覚で行くと1300円程度か。魚の種類がよくわからないので値段の感覚がズレているかもしれないが、まぁそんなもんかもしれない。


 この街には氷を使う習慣がないようだし、そもそも冷蔵や冷凍という概念がない。つまり生魚は保存が利かない。港町だけで食べることのできる高級品なのかもしれないな。坑道跡を利用して、氷室を作ってみたら食料革命が起きるかもしれない。後は干物にするとか、加工技術を研究してみるのもいいかもしれない。


「カミラちゃん、結構値切ったねー。いつの間にそんなに交渉上手くなったの?」


 ブラック企業営業部で鍛えられまくったサラリーマンなら、これくらいは普通だ、たぶん……。それに、今のは明らかに売り子が俺に色目を使っていた。


 ただの小娘だったのが、いきなり大人の女性になって、いろいろと周りが見る目も変わってくるのかもしれない。それ考えると、女を武器にするというのも悪くない。ただ調子に乗っていると、直ぐに信頼を失いそうだよな。うん、武器にするのは市場での値切り交渉限定にしておこう。そもそも、色恋演技であれこれ有利に進めるなんて、男の俺には絶対無理だ。


 先延ばしにして、見て見ぬフリをしていた心と体の性の不一致。今は真剣に考えねばならないかもしれない。でないと心が揺らいでしまう。周りも掻き乱してしまう。


 ブラッドール家を継いだとしても、将来は間違いなく跡継ぎの事に話は発展するよな。実子が重視される世界だ。絶対に子供の話になるだろうな。俺はこの体で子供を産むのか? いや、それ以前に婿を取って受け入れるのか? ……無理だ。考えただけで吐きそうになる。


「どうしたの? そんなに深刻な顔して」

「ううん。何でもないよ」

「そう? 顔色も悪いよ。悩みがあったら何でも相談してね」


 これはエリーにも相談できないよ。素直に外見に従って女として振る舞うべきなのか、それともカミングアウトして、男を貫くべきなのか……。ダメだ。考えれば考えるほどわからなくなる。


「エリーお姉ちゃん……」

「何?」

「もしも私が男……ううん、何でもない」


 いけない、苦しすぎて思わず本音が出そうになった。そもそも感情的なものなのだから、考えても結論は出ないだろう。他人に相談したとしても、同じ境遇の人でもない限り、共感してくれないだろうし。


 ……あっ! そういえば居たな、参考になりそうな人。イオさんがそうだった。俺の逆パターンだけどね。


 よし、訓練の合間を縫って何とかイオさんに会う算段をしよう。彼が帰省する時期をディラックさんに聞かないといけない。それと、長男のガレスさんにも鍛冶の話をしないとね。約束だったから。


 俺とエリーの一歩後ろをついて来ていたレンレイ姉妹に、ヴルド家へ使いに行ってくれるようお願いした。2人の兄が、いつ留学から帰って来るかを聞いてもらうためだ。


「かしこまりました。ですが護衛のためにレイは残らせます」

「レンさん、ありがとうございます」


 相変わらずレンさんは真面目でよく気が利くね。レイさんの方が戦い自体は得意だから、護衛任務は彼女の方が適任と判断したのだろう。適材適所を心得ているね。


 エリーと俺は、野菜や果物など、食材をいくつか見繕って屋敷に戻ることにした。


 その道すがら、見覚えのある顔に出会った。コーネットからの帰り道、街道で襲ってきたあの鎧女だ! 見たところメンデルの住民に溶け込んで、市場で買い物をしている。もしかして、この辺に住んでいるのか? ナイトストーカーの本拠地も近いから、十分あり得るな。


 これは千載一遇のチャンスだぜ! もし居所がわかれば、先に相手を叩くことができる。ディラックさんにお願いして、騎士団を突入させることもできるだろうし。


「レイさん、あの女、見覚えがありますよね?」

「はい、もちろんです。どうしますか?」

「エリーを連れて先に屋敷へ帰っていてください」

「まさか、カミラ様お1人で追うつもりですか?」

「レイさん、貴女は彼女に顔を見られています。幸い私は姿が大分変っていますので、バレることはないでしょう。あとを付けて彼女の住処を確認します」

「ですが危険が……。ヴァルキュリアは使えないのですか?」

「ヴァルキュリアは今、コーネットで別の任務に当たっています。あなたはエリーを守って戻っていてください。大丈夫です、深入りはしません。今日は尾行するだけですから」


 レイさんを何とか説得し、鎧女の尾行を開始する。


 女は買い物を終えると、西地区の奥にあるスラム街へ向かっていった。


 実は本格的にスラム街に入るのは初めてだ。予想以上に治安は悪そうだな。道の見通しの悪さも格別だ。まるで複雑に折れ曲がった迷宮のようだ。道端に死体なのか酔っ払いなのかわからない男たちが転がっている。既にハエがたかって骨が覗いた肉の塊もある。一体元は何の肉だったのかもよくわからない。


 鎧女はスタスタとその間を抜け、急に速度を上げて横道に入った。まずいな。尾行に気付かれたかもしれない。


 後を追って俺も小走りに横道に入る。そこは路地裏の合間のちょっとした広場になっていた。いわばここはスラム街の社交場という訳だ。煙草を吸う者、お喋りに興じる者、怪しげな酒を浴びるように飲む者、人種も様々だ。スラムで育った子供たちだろうか、みんな笑顔で元気に遊んでいる。スラム街ならではの混沌とした雰囲気だな。昔の下町、といったら語弊があるけど、戦後直後の昭和の香りがする。


 鎧女は広場に面したあばら家に入って行った。もしかしてナイトストーカーのアジトなのだろうか? この辺は、住民同士のコミュニティが有りそうだし、迂闊に聞き込みをする訳にもいかない。


 女のあばら家周辺は、より細い路地になっている。人間1人がギリギリ通れる幅だ。幸いなことに、路地に面した壁に小さな窓があった。窓をこっそり覗くとあの鎧女が見えた。ふむ、背が高いとこういう時に便利だな。以前の身長だったら、ジャンプしても見ることができなかった。今は余裕の180cmなので、むしろ屈まないといけない。日本人だったおっさんの俺よりも、今の方が高いんだよな……。昔は170cmだったからな。……男子としてはちょっと複雑な心境だ。


 鎧女はベッドに向かって話しかけていた。もう1人誰かいるようだ。耳をこらすと会話が聞こえて来た。


「お姉ちゃん、ボクのためにいつもゴメンね……」

「いいんだよ、お前は私のたった1人の弟なんだから、気にすることはないよ。体を治すことだけを考えておくれ」

「もうボクはずっと体が悪いんだよ……」

「姉ちゃんが良い医者を連れて来てやるから」

「だけどお金がかかってるよね。ボクだってそれくらいわかるよ。大金なんだよね?」

「気にしないでいいんだよ。お金ならいくらでも稼いできてやるから。どんなことをしても……」

「ボクのために危ない事してないよね?」

「心配はいらないよ。さぁ、もう眠りなさい」

「うん、おやすみなさい、お姉ちゃん」


 会話が終わると、鎧女は部屋から出て行った。


 これは重要な話を聞いてしまったかもしれない。家もわかった事だし、後はゆっくりとヴァルキュリアに情報収集してもらうことにするか。今日は深入りしない約束だからね。

 

 俺はそのままスラム街を後にした。帰り道の路地でゴロツキに絡まれたが、相手にならなかったのは言うまでもない。


 夕方、早速ヴァルキュリアからの連絡があった。あらゆるところから、噂話を拾い集めて来てくれた。さすが、隠密の情報収集が得意なだけはある。


 どうやら鎧女は、中央王都の騎士団に所属していたらしい。それも一時は騎士団長にまで登り詰めたようだ。あの腕前はただ者ではないと思っていたが、これで納得だ。


 それから金のために次々と悪事に手を染め、ナイトストーカーへ流れついたようだ。だがエリートの象徴みたいな騎士団長様が、悪事に手を染めてまで金を稼いでいる割には、スラムのあばら家住まいというのもおかしな話だよな。服や生活にも派手さがない。推測に過ぎないが、弟の治療費に当てているのだろうか?


「実は苦労人……おそらく悪い人ではないのかもしれませんね」

『ですが油断は禁物です、獣王様』

「わかっています。弟さんの病はどんなものかわかりますか?」

『近所の者の噂話ですと、全身に腫瘍ができる病だとか……』


 ふむ。たぶん悪性腫瘍だろうな。外科手術もろくにできないこの世界で、治療するのは難しい。治療もきっと対処療法の繰り返しなのだろう。何とかして病を治す方法はないものか。この世界には攻撃魔法があるのだから、治癒魔法があってもいいと思うのだが……。そうだ、あの人に聞いてみよう。


『コーネット領のブリッツさんのところへ手紙を頼みます』


 ブリッツさんなら、治癒魔法について何か知っているかもしれない。そう思ってヴァルキュリアに手紙を託した。治癒をする悪魔なんて想像も付かないけど、居て欲しいものだよ。

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