第44話 400年の成長
それからは、意識が朦朧とした状態の中、時々激痛で目が覚める日々が続いた。
爺さん師匠のツボ押しだかツボ突きだかの施術は、本当に成長を正常に促すためだけなのだろうか? 感覚的いうと、この状況はほとんど瀕死の重病人の状態だぞ。
たとえて言うなら、インフルエンザを拗らせて高熱を出した上に、高所作業中に地面に落下して全身骨折、そのまま動けず猛暑の炎天下で熱中症……。そんな症状とでも表現すればいいのだろうか。
兎に角、高熱で苦しいのと全身が隅から隅まで痛い。そして、皮膚もキリキリと引っ張られるような感覚がある。寝返りを打つたびに、髪の毛がごっそり抜けていくのも凄くに気になる。このペースで抜けていったら、2週間後には確実にスキンヘッドの小娘だぞ。かつらなんてこの世界にあるのかな。いや、植毛? それとも育毛? いやいや……違う! 今はそんな悠長に見た目の話を考えている場合じゃない。この施術、本当に大丈夫なんだろうな……。
あの伝説の爺さん師匠にして、”裏技”と言わしめる施術だから、ただでは済まないとは思っていたけど、まさかこれほどとは思っていなかった。
爺さん師匠は”気をしっかり持って療養せよ”と言っていたが、気をしっかり持つことができない。はっきりいってこれが2週間も続くと想像しただけで、気力を根こそぎ刈り取られていく気分だよ。こんなに苦しい思いをするなら、気軽に施術してくれなんて言わなきゃよかった。今さらだけど、もうちょっと話をじっくり聞いてからの方がよかったよ。
発熱と全身の激痛が激しいので、1人で物を食べるのが難しい。でも異常なまでに腹が減る。こんな状態でも強い食欲がある。しかもお粥のような軽い料理ではなく、血も滴るような肉が食べたいのだから不思議だ。そして同じくらい欲しいのはたくさんの炭水化物だ。パンと肉の海に飛び込んで、片っ端から食べ尽くしたい。そんな気分に襲われている。食べている間だけは、痛みと発熱の苦しさを忘れられるので、食欲が先行しているのかもしれないな。
人間の本能で、痛みを回避するために食欲を優先しているとか? あり得ない話ではないけど、正直よくわからない。生命の危機に瀕しているので、食欲という最後の生存本能が突出してしまったのだろうか? まぁでも食べられるならまだ死なない……と思う。本格的にまずいのは、食べられなくて衰弱してしまう時だろうな。
「レ、レンさん、お願いです、お肉が、たくさん食べたい……です」
「こんな時にお肉ですか?! かしこまりました!」
俺は毎日レンさんに肉をオネダリした。ずっとベッドでうなされているのに、食べる時だけは獣のように肉にむしゃぶりつく俺を見て、レンさんが心配そうな顔をしている。
やめてくれ、そんな目で見ないでくれ。俺だって本当は行儀よく普通に食べたいんだ。でも本能がそれを許してくれないんだよ。ガツガツと一気に腹にかきこんでしまう衝動が抑えられないんだ。何なんだこれは一体!
そしてレンさんがベッドの上に目をやると、みるみるうちに彼女の表情が深刻なものに変わっていった。
「カ、カミラ様……これは一体?」
改めて自分の寝ていたベッドを見てみると、大量の汗でシーツが滴っている。髪の毛と体毛、そして皮膚が信じられないほどたくさん散乱している。まるで蛇の脱皮みたいだぞ。海で日焼けして、皮が剥けるなんて可愛いレベルじゃない。剥けた皮膚が積み重なって、ミルフィーユ状態だ。濡れているシーツも汗だけじゃない。血が混じって赤くなっているじゃないか。でも怪我はしていないし……。
急いでレンさんが俺の服を脱がし、体を拭きにかかった。でも悲しいかな、俺はまだ肉の咀嚼を止められなかった。手で掴んだ肉を離せないのだよ。体を拭かれながらも食欲が全然止まらない。
それ以来、レンレイ姉妹に加え、ヴルド家のメイド達が俺に付きっきりになった。ビスマイトさんとエリーも、心配になって毎日見舞いに来てくれていたようだった。ただ、全身の骨が強烈に痛むのと、毎日体が熱くて堪らないという感覚だけは全然収まってくれなかった。そう、爺さん師匠の言うとおり、必死に耐えるだけの日が続いた。
2週間で熱が下がると言っていたが、3週間経ってようやく熱が下がり始めた。でも相変わらずまだ骨と皮膚が痛い。そして今度は、筋肉の痙攣が全身で起きるようになってしまった。特に酷いのは下半身だ。足の骨がメキメキと音をたてながら軋んでいる。筋肉が破裂しそうなほど痛い。筋が切れて肉が裂けてしまうのではないかと思った。
どれだけ責め苦を受けなければならないのだろうか。もしかすると、俺がこれまで殺してきた生き物たちが、罰を与えているのではないだろうか。そんなネガティブでしおらしいことを本気で考えてしまう。それ程までに辛い、苦しい、何よりも痛い。
デスベアの再生能力を使った時にも、死にそうな目にあったけど、あの痛みは一瞬だった。長くても5~6秒だろう。それに匹敵するかもしれない激痛が、今はもう3週間も続いているのだよ。いつ頭がおかしくなっても不思議じゃない。痛くて叫ぼうにも、叫べば肺が大きく動くので、それにつられて周りの筋肉や骨が動いて激痛が駆け巡る。地獄だぜ。こんなに辛いなら、ブラック企業の奴隷の方がマシかもしれない。そう思うほどの辛さだよ。
爺さん師匠、次に会うことがあったら、一発殴ってやらないと気が済まないぞ。いくら”見切りの極意”を教えてくれた恩があるといっても、こんな生死の境を彷徨うような激痛に苛まれるなんて聞いてないよ! このままだと、爺さん師匠より先に、神様爺さんの方に再会してしまいそうだぜ。異世界に飛ばされ、体も入れ替わってここまで必死にやってきたというのに……。
4週間目に入って、ようやく体温が平熱に戻り、全身の激痛が嘘のように消えていった。頭のてっぺんから足の先まで支配していた痛みが無くなっている。
――― 耐えた。俺は爺さん師匠の施術に耐え切ったんだ……。
ただ何よりも、これまで全身を包んでいた辛さがなくなって嬉しかった。普通に呼吸ができることに感謝したかった。病というものが、こんなに辛いものだったなんて。いや、正確には病なのかどうかもよくわからないけど、難病に苦しんでいる人たちの境遇や気持ちが、少しはわかったかもしれないな。
命も大切だけど、やっぱり健康もないとダメだ。”健康第一”という至極当たり前の台詞をよく言われていたけど、頭で理解するだけで本当は何もわかってはいなかったよ。でも今なら嫌というほどわかる。人間、やっぱり健康でいることはありがたいぜ。
久々にベッドから降りて、立ち上がってみた。
……視界が違う。今までよりも景色を上から見下ろす感じだ。体のバランス感覚も、これまでと全然違う。オイオイ、これは一体どうなっているんだ?
部屋にある姿見に全身を映してみた。そこには見知らぬ長身の女性が映っていた。
いや、よく見ればそれは俺だった。髪の色は黒だったハズだが、見事な金髪に変化していた。髪の長さもかなりある。あの脱毛具合からして、てっきりもうスキンヘッドのお嬢ちゃんになっているのかと思っていた。でも滑らかなストレートヘアの金髪になっていた。苦し過ぎて、白髪になるなら納得できるけど、金髪になっているというのはどういう事なんだろうか。
まぁ黒だろうが金だろうが、おっさんの俺にとっては、どっちでもいいけどね。ただこれはさすがに長すぎる。シャンプーに時間がかかりすぎるだろ。かといって洗わなければ直ぐに臭くなりそうだしな。いっその事、スキンヘッドの方が楽でいいのかもしれない。だけどブラッドールの娘がスキンヘッドでは、ビスマイトさんの面子も立たないだろうから、丸刈りにしてしまうのはやめておこう。後で動きやすいようにショートカットにしてもらいたいぜ。
――― そして何よりも…… 大きな変化があった。
身体つきが完全に大人の女性になっていた!
身長が明らかに違う。視界も体のバランス感覚も変わるはずだよな。だってこれまでは姿見にちゃんと全身が映っていたのに、今ははみ出してしまう。姿見よりも俺の方が身長の方が大きい。もしかして、全身の発熱と皮膚や骨の激痛は、新陳代謝が異常な速度で進行していたからなのだろうか? そう考えれば、あの激しい食欲もなんとなく辻褄が合うな……。
うーん、もしかして爺さん師匠のツボ押し施術は、成長を一気に促進するツボだったのか?
いや、待てよ……
また別世界の人間と入れ替わってるなんてオチはないよな!? 爺さん師匠が実は神様爺さんだったとか、そういうことはないよな? また一から別の世界でやり直すなんて、真っ平ご免だぜ!
鏡に顔を近づけてよく見ると、大人びてはいるが、明らかにカミラ=ブラッドールの顔だった。12歳が20歳になったバージョンのカミラさんだよ、この顔は。
……ということは、またまた他人に入れ替わって、異世界に来てるってことはなさそうだな。危ないぜ。旅行であちこち巡るのは好きだけど、異世界をあちこち巡るのはさすがに勘弁して欲しい。ぶっちゃけ、この世界にもようやく慣れてきたというのに、また別の世界に飛ばされたらたまらんぜよ。
心を落ち着けて、改めて自分の体を観察してみる。うん、さすがに体の激変は2回目だけあって少し慣れている。こんな事にはもう慣れたくないけどね。
髪の毛、身長、そして体重は変化しているが、その他の変化はなさそうだ。完全にカミラが大人に成長した、そんな感じだな。相変わらず左腕はないけど、ここまで体が大きくなってしまうと、あの不思議な義手は合うのだろうか? 製作者のシャルローゼが言うには、成長に合わせて変化するから、作り直さなくても大丈夫と言ってたけど……。
俺は部屋のチェストの上に置いてあった、義手を左肩に当ててみた。当然小さくて全然サイズが合っていない。義手の方も変化がない。ホムンクルスなら、あてがった瞬間に魔法でムクムクと成長してくれるのかと思ったけど、期待外れだったようだ。仕方がない、シャルローゼさんに会った時に相談してみよう。爺さん師匠からは、戦闘や訓練中は外すように言われているし、まぁ不便だけれど我慢するしかないよな。
だけど、この大人の体ならしっかり剣を振るえるぞ。剣士として、獣王の力を上手く利用して、戦うことができるかもしれない。爺さん師匠の施術は、目論見どおりに成功したと言えるかもしれないな。
しかしなぁ……。これはあまりに急激な変化じゃないか? 体のバランスとか健康的にもいろいろと心配だよ。
おかげで見た目も中身も今や立派な大人だ……。ということは、冒険者でも何でもできる。もしかしたら酒も飲めるかな? よし! ドルトンさんと飲みに行く楽しみができたな。明るいうちから一杯飲んでやるぜ。
酒の誘惑に思わず嬉しくなって小躍りしているところに、レンレイ姉妹が入ってきた。ドアを開けたところで、2人とも荷物を持ったまま固まっていた。
「……あのー、もしかしてカミラ様、ですか?」
「はい、そうですけど……」
一瞬の間があった。ドサリと荷物が床に落ちる音がした。
「えええっーーーーーーーーっ!!!」
姉妹は声を合わせて驚きの声を上げた。
「だ、、だ、だってカミラ様は小さくて黒髪で、あの、その……」
珍しくレンさんが慌てている。これはなかなか見られるものじゃないな。レイさんに至っては、完全にポカンと口を開けたまま動きが止まっている。
「カミラ様が……、カミラ様が金髪ボインの長身女性になられた。あぁ神様、もう私どうしたら」
レイさん、それは言い過ぎじゃないか。俺だっていつか成長するんだぜ。
よく考えると俺のこの体は本来、”400歳超え”なんだから、成人していたって構わないんだよな。まぁ400年前の人間だから、成人どころか老婆を通り越して骸骨になっちゃう勢いだけどね。
この体は背が高い。レンさんもシャルルさんも、女性としては大柄な方だけれど、おそらくそれより頭一つ大きい。180cmは超えているだろう。当然、日本でおっさんサラリーマンをやっていた時の俺よりも長身だ。
そして何より余計な物が……。
そう女性のシンボル、バストも体に合わせて相応の物へと成長してしまっている。でもこれ、剣を振るうにはただの邪魔な肉塊だよな。使い道も特にないしな。まぁ、見た目が女性っぽくて分かりやすいのかもしれないけど、予想を越えてでかいな。肩こりの原因にならなきゃいいけど。
などと余計な心配をしていたら、正気に戻ったレンさんが、早速サイズの大きい服を持ってきてくれた。それでも明らかに服の方が小さいので、ミドルスカートがミニスカートになってしまっている。当然上も小さい。バストが窮屈で堪らない。運動をしたら、どこかの水泳大会のように、あられもない姿になってしまう。まるで想像がつかなかったけれど、大きいのは大きいなりに苦労があるのだね。
とりあえず、体がちゃんとこれまでどおり動かせることを確認して、メルクさんの部屋までお礼に尋ねた。ここ1ヶ月以上、何だかんだでヴルド家でお世話になっちゃったもんな。
ノックをして部屋に入ると、メルクさんだけでなくビスマイトさんとディラックさんも居た。ちょうどよかった。話したい事もいろいろある。
「叔母様、今回は本当に大変お世話になりました。ディラック様、ご心配をお掛けしましたが、もうこの通り大丈夫です。お父様、今日は家へ帰りましょう」
――― 3人とも目をパチクりさせている。まるでピンと来ていないようだ。
「お、お前は……もしかしてカミラ、なのか?」
「はい、そうです。ごめんなさい、一気に成長したのでわかりませんでしたか?」
一瞬の間があった。コーヒーカップがカシャンと床に落ちる音がした。
「えええっーーーーーーーーっ!!!」
3人は揃って驚きの声を上げた。屋敷中に響き渡るほどの大声だった。いや、もう皆リアクション大きすぎるだろ。
師匠にしてもらった施術の話や、本来なら400年前の体なので、俺は成人していてもおかしくないという話をすると、なんとか頭では納得してくれたようだ。ただ感情はそうはいかない。おいおい慣れていくしかないよね、お互いに。
ディラックさんは目を皿のようにして、全身スキャンしている。だが、明らかに俺の胸元に目線が集中しているぞ。相変わらず男ってのはわかりやすいぜ。この脂肪の塊2つがそんなに気になるもんなのか……。まぁ、俺も男の時は気になって気になって仕方がなかったけどな。今やもう笑うしかない話だよ。
よし、ディラックさんには、新たに”おっぱい騎士団長”の名を授けよう。ということで変態騎士団長の名前は抹消しておくことにする。
それにもまして興奮しているのは、メルクさんだった。何よりも先に全身を採寸された。新しいドレスのアイディアが浮かんだのだそうだ。さすがだな、この人もまったくブレてない。
そして一番リアクションが少ないというか、対応できていないのが、ビスマイトさんだった。ポカンと口を開けて俺の顔やら腕やらを触っている。
身長の話をすれば、ビスマイトさんとディラックさんはほぼ同じくらいだ。だけど俺は一気に彼らと同じくらいの身長になってしまった。膝の上に乗せられるほど小さな娘だったのが、突然背の高い女性に成人してしまったのだ。驚くな、という方がまぁ無理ってもんだろうな。
実のところ、俺自身はあまり驚いていない。もう2回目だからね、自分の体が大きく変わってしまうのは。それにやっぱり、まだ借り物の体という意識がどこかにあるのかもしれない。おっさんの体がかわいい娘に換わって、しかも異世界に来たのだ。1年も経たないうちに完璧に馴染め、という方が無理ってもんだろう。なにしろ俺はオッサン歴38年だぜ。……あっ、もちろん生まれた時からオッサンって訳じゃないけどね。




