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第4話 跡継ぎ

 目を覚ませば、昼間になっていた。太陽の高さからすると、もう正午を過ぎているかもしれない。さすがに寝すぎた。


 ベッドから這い出ると、頭痛に襲われた。倦怠感も酷い。栄養は昨日採ったハズなので、順調によくなると思っていた。想像以上にこの体には、ダメージが蓄積されているのかもしれない。


 ここで気が付いた。服が変わっている。自分で着替えた覚えはない。そして、エリーがしてくれた蝶のネックレスが、いつの間にか鳥の形をしたネックレスに変わっている。寝ている間にエリーに着替えさせられたのだろうか。


 部屋を出ようとドアノブに手を掛けると、ドアの方から勝手に開いた。


 そこには心配そうな顔をしたエリーとビスマイトさんが立っていた。そしてもう一人。不気味な格好をしているヤツがいた。鳥の口ばしのようなマスクを着け、水中眼鏡に似た眼鏡をかけ、全身を黒のローブで覆っている。


 こんなのを夜中に見たら、卒倒するほど怖いぞ。だが俺は知っている。中世ヨーロッパでペストが大流行した時、医師はこういう恰好をしていたのだ。ということは、彼は医者か。


「カミラちゃん、よかった! もう元気になったんだね?」

「元気って……昨日も私元気だったよ。ちょっと疲れてたけど」

「覚えてないのね。私が寝かしつけてから、3日間も眠ったままだったんだよ」


 何だって!? 確かに寝すぎた感覚はあったが、まさか3日間も眠り続けていたとは。この体はどうなってるんだ。そうか、それでその間にエリーは着替えさせてくれたのか。


「医者の見立てでは、流行り病かもしれぬというのでな……」


 ビスマイトさんが、悲しそうな顔で言う。ちょっと涙ぐんでるぞ。


「そのネックレスは御守りなの。鳥は悪い病気を食べてくれると信じられているから」


 なるほど、医者の格好からもわかるように、この世界では、医学はまだあまり発展していないようだ。


「いろいろありがとうございます。おかげで私はもう大丈夫です」


 俺はあえて元気に振る舞ってみせた。頭は痛いが、インフルエンザや二日酔いよりも大したことはない。おそらくだが、この体と俺の中身、両方の疲労が重なって、ダウンしてしまったのだろうと思う。だが、寝て休めば直ぐに良くなる。


「エリー、あとのことは頼む」


 ビスマイトさんは、医者を連れ立ってそそくさと部屋を出て行ってしまった。だが部屋を出る前に、彼が涙をそっと拭ったのを俺は見てしまった。


 そんなに心配してくれたのか。単に金で買った奴隷に、そこまで砕心はしないだろう、普通。ますます俺のこの家での役目と立場が分からない。たかが奴隷の病気に、医者を連れて来るなんて、あり得ないだろう。


「あの……エリーお姉ちゃん、私って奴隷なんですよね?」


 聞きにくいことをあえて聞いた。だがハッキリさせておかないと、俺の今後の行動指針が定まらないのだ。それはそれで不安だ。


「うん、その事なんだけどね、カミラちゃんが全快したら、きちんとお話しするから。今は休んでしっかり治すことだけを考えようね」


 エリーは優しく俺の頭を撫でると、ベッドで横になるように促した。俺としてはもう十分に寝たので、本格的にこの屋敷と街を探索してみたいのだが。またエリーの見張り付きで、寝ることになってしまった。


 それからの俺の回復は、目覚ましいものがあった。弱々しくあばら骨が浮いていた体には、ちゃんとお肉が付き、足の筋力もみるみるうちに回復して、普通に歩けるようになっていった。隻腕であることのアンバランスさも直ぐに慣れた。


 というのも、実はエリーが居ない時に、密かに部屋の中でリハビリしていたからだ。やっぱりあのカタールが気になっていた。壁から取り出しては、ブンブンと振り回し、それによってバランス感覚を養っていたのだ。


 まぁ、カッコいいから振り回していたというのもあるけれど、体はすこぶる健康体へと近づいて行った。暇になったら、あの机の上の本を読むという日課も組み込んだ。おかげで武器や鍛冶についても詳しくなった。


 そして、悲しんで良いのか喜んで良いのかわからないが、体に肉が付いてくるとともに、然るべき場所にも肉が付いてきた。そう、女性の象徴だ。胸がほんのり膨らんできた。成長期というのもあるだろうが、やはり元が痩せすぎていたのだ。男としては悲しいのだが、女としては喜ぶべきなのだろう。……複雑だ。


 そうした毎日が2週間も続いただろうか。完治したと医師が判断した。


 やっとこの部屋からも出られる。と同時に気分が重くなってきた。すっかり忘れていたが、俺は愛玩奴隷なのだよね。まだビスマイトさんのお手つきはないけれど、ここまで回復し、ほんのり女性的な体つきになった今、いつ呼び出されるかわからない。しかし、考えて見ると隻腕の幼女好きなんて、珍しい趣味してるよな……。本当に趣味性の高い人なんだろうな。


 その日の昼、俺はビスマイトさんに呼び出された。ついに来てしまったか、この日が。覚悟を決めた俺は、生きていくためだと割り切って対応することを決心した。


 1階に降りてキッチンに入ると、ビスマイトさんがいつになく怖い顔で座っていた。そしてなぜかエリーが隣に座っていた。エリーの隣には、知らないおばさんが居た。何となくエリーに雰囲気が似ている。


 さらに柄の悪そうなドワーフみたいな背の低いおっさんと、イケメン風の金髪の若い兄ちゃんが陣取っていた。イケメン兄ちゃんは、エリーと同い年くらいだろうか。チャラい感じだ。はっきり言って苦手なタイプだ。


 第一印象だけで語ってしまったが、俺1人に、ビスマイトさん含め5人がテーブルを挟んで座っている。愛玩奴隷としての呼出しではなさそうだな……。やっぱり強制労働コースなのだろうか。どっちも嫌だけど、後者の方が精神的にはマシかもしれない。


「カミラ、今日は正式に言っておくことがある」


 ビスマイトさんが緊張した面持ちで口を開いた。ついに来たか。俺も身構える。


「私には子供がいない。このままでは、伝統あるブラッドール家も私の代で終わりだ。人が居なければ家は断絶、屋敷も財産もすべて国に接収されてしまう。カミラよ、お前をこの家の跡継ぎとして迎える。以上だ」


 ……は?


 愛玩奴隷か強制労働か。どちらの選択肢が来るか、と体を強張らせていた俺は、思わずズッコケそうになった。”鳩が豆鉄砲をくらう”という(ことわざ)は今の俺のためにある。


 ビスマイトさんが、言いたいことは言った、という顔で椅子から立って、去ろうとする。いやいや、ちょっと待ってよ。聞きたいことが山ほどあるぞ。


「ビスマイトさん! 待ってください」

「聞きたいことがあれば、後の者に任せる。エリー、お前が話してあげなさい」


 エリーもやれやれと言った顔だった。


「カミラちゃん、ゴメンね。叔父様は見ての通りの話下手で恥ずかしがり屋だから、こういう複雑でプライベートな話は苦手なのよ。だからいつも私に押し付けるんだけどね」

「あの……私は奴隷として買われたのに、なぜ跡継ぎになるの?」

「ふぅー。それはちょいと込み入った話になりそうだね」


 カミラの隣に座っていたおばちゃんが、ため息交じりに口を開いた。そういえば、この面々は何者なのだろうか。


「まずは自己紹介からしようかね。あたしはマドロラ。隣の酒場のマスターをしてる。エリーの母親さ。このブラッドール家とは古い付き合いさね。ビスマイトとも小さい頃からの友達でね」


 なるほど。エリーに雰囲気が似ている訳だ。特に目元とか口元がそっくりだ。


「俺の名はドルトン。親方の1番弟子だ」


 次に自己紹介したのは、柄の悪そうなドワーフだった。いや、風貌がドワーフっぽいってだけで人間かもしれないけど。しかし”1番弟子”って何だろうね。そういえばビスマイトさんの仕事は、まだ聞いてなかったな。跡継ぎって言うからには、その職業も継がないといけないのかもしれない。


「僕の名前は、ケッペン。人は”エルマー大陸で最も美しい鍛冶師”と呼ぶ。親方の2番弟子さ。どうぞよろしく、カミラお嬢様」


 最後に自己紹介したのは、チャラ男だった。見た目に反しないチャラい挨拶だった。しかし鍛冶師なのか。チャラ男には似合わない硬派な仕事だよな。鉄の産地だから、もしかしたら一般的な職業なのかもしれない。しかし、コイツの視線はなんかやらしい。どうして俺の頭のてっぺんから胸までを、舐めるように何度もサーチする。……コイツも幼女趣味なのか?


 いけね。ビスマイトさんの幼女趣味は、取り消ししておかねば。俺は大きな勘違いをしていたようだ。


「カミラ。エリーから話は全部聞いている。だから自己紹介は要らないよ。どうしてこういうことになったか、あたしが事情を全部一通り話してあげるから。質問は最後にまとめておし」

「はい、わかりました。マドロラさん」

「よし、いい子だ。エリーの言った通り賢い子だね。そして落ち着いてるっていうのも話通りだ」


 マドロラさんは目を細めてニッコリ微笑んだ。笑うとますますエリーに似ている。”エルダードラゴン”ならぬ、”エルダーエリー”だな。


 マドロラさんの話は、この国の世襲制度と奴隷制度の関係、そしてビスマイトさんに降りかかった不幸とブラッドール家の話だった。


 この国の世襲制度は、俺が考える以上に複雑だった。日本も武家の時代は、家を継ぐということは、いろいろ大変だったようだが、この世界も似たような事情を抱えていた。


 日本と同じように「子供が家を継ぐ」習慣になっている。子供が居ない場合は、国に財産すべてが没収されることになっている。そして大きな制約がある。継ぐことができるのは、”実子のみ”なのだ。養子は原則許されないという。


 つまり、実子のない家は取り潰されることを意味している。どんなに莫大な財を成そうと、どんなに強大な権力を持っていようと平等に課される法らしい。政治の都合の良いようになっているのは、いつの時代も同じようだ。


 だがこれは表向きの法律。運用のルールはまた別にあるのだ。養子を貰って家を継がせることはできない。だが、貴族や大富豪には例外的にこれを逃れる方法がある。養子ではなく、幼い奴隷を密かに買い求め、自分の子供として育て、家を継がせる方法である。


 人間の奴隷は非常に高額であるという。貴族でもおいそれとは買えない価格らしい。


 そしてさらに複雑化している原因は、奴隷制度にある。この国の奴隷は、扱う種族と入手ルートによっていくつかに分かれる。


 人間の奴隷売買は、国が認めた合法なものだ。労働力として買い求めることは、普通に行われているし、法律の範囲内である。


 問題は、奴隷の入手ルートである。奴隷を扱うのは奴隷商であるが、それができるのは、国から許可を得た商人だけだ。そして仕入先は主に罪人である。政治犯から窃盗や殺人など、罪を犯した者の刑罰の1つとして奴隷があるのだ。よって、奴隷商と監獄は太いパイプで繋がっている。


 もう1つは、両親や親類縁者を亡くした子供である。戦争や病死、行方不明など保護者が居なくなる原因は、様々のようだ。大体はストリートチルドレンとなり、飢えと病で死んでいく身である。これを一般の人間が勝手に引き取ったり、隠して育てるのは大罪となる。


 この子供たちは、奴隷商が預かることになる。そして主に子供のいない、貴族や富豪に売られることになるのだ。これは子供にとっても幸福なことである。貧しく卑しい出の者であっても、将来は貴族や富豪になれる可能性があるからだ。


 だが大抵の子供は、成人まで奴隷商預かりとなる。つまりほとんどが売れ残る。なぜなら、これらの子供は高額だからだ。買いたくても買える貴族が少ないのだ。成人した子供は、鉱山など過酷な場所の労働力として叩き売りされる。この国は鉄鉱石の有名な産地だが、こうした不幸な労働力が活用されている闇を持つ。


 そして奴隷制度には裏ルートがある。これが非正規ルートである。非正規ルートは、子供が多すぎて育てられない貧しい家から、奴隷商が買い上げることで成り立っている。国は公式には認めてはいない。しかし、現実には貧しさで餓えるよりも、子供を身売りした方が、家族全体が幸せになれることから、奴隷商が裏で扱っているのだ。法律違反ではあるが、誰もが黙認している常識である。


 いわゆる、”運用上仕方がない”という特別ルールなのだ。非正規ルートの子供奴隷は、出生を抹消されるため、当然正規ルートの子供よりも安く売られる。一般市民でもかなり無理をすれば、手が届くのだという。ただ、それでも家を買うくらいの金が必要だそうだ。


 幼い奴隷を育てて後を継がせることは、特段恥ずべきことでも、人の道に反することでもないという。血の繋がりも重視されるが、”家”という形を残すことも、同じくらい価値のあることとされている。結局、奴隷であろうと養子であろうと、出所の明確/不明確だけの違いでしかない。そういう考え方なのだという。


「……じゃあ私は、親に売られた子供なんですね」

「そうかもしれないねぇ。でも本当のところはわからないんだよ。何せ非正規ルートは、奴隷商にとって危険な商売なんだ。出所元は奴らでさえ、”聞かない・触れない・話さない”が絶対のルールなんだ。そして、”売れたら忘れる”も不動のルールさね」


 マドロラさんは、俺を慰めるように優しい声で話してくれた。


 そしてこのブラッドール家の事だ。ビスマイトさんは既婚者だった。それはもう周囲が羨むような仲の良い夫婦だったという。そして幼い息子が1人居た。


 だが、10年ほど前に妻も息子も流行り病であっけなく病死。それ以来、ビスマイトさんは魂の抜けたようになってしまった。周囲がいくら再婚を促しても、頑なに拒否し続けた。それ程、亡くした妻を愛していたということだ。


 これまでも、奴隷を非正規ルートで買うチャンスはあったらしい。人に勧められたり、紹介してもらうことも多々あったという。ビスマイトさんはすべてを断り続けて来たのだ。


 そして先日、たまたまふらりと訪れた奴隷商で売られている俺に遭遇。財産の殆どを投げ打ってしまったのだという。だから、古くからの付き合いのあるエリーもマドロラさんも、近所の人も大いに驚いた。


 …… そりゃそうだろうな。


「どうして私だったんでしょう?」

「散々本人に聞いてみたよ。あんたを見た時に、一目で体に電流が走るような衝撃を受けたんだって。気が付いた時には、交渉して金を払っちまってたそうだよ。まぁ、なんだろうね。運命なのかねぇ」


 俺はあの時、苦し紛れに手足をバタバタと必死で動かし、鋼の檻の中から外を見たんだった。それが運命だったのかもしれないな。もしかして、神様の爺さんが言ってた”運が良ければ生きられる”というのは、これだったのか。


「でもねカミラちゃんは、貧しい家庭から売られた子ではないと思うの」


 エリーが口を挟んで来た。


「どうしてそう思うんだい?」


「だってお母様、カミラちゃんは、この歳で本が読めるのよ。しかも難しい鍛冶技術の本を」


「何だって!!! 本当かい!?」


 マドロラさんの驚き方は尋常ではなかった。と同時に、チャラ男とドワーフの方を見ると、彼らもマドロラさん以上に驚いた顔をしていた。文字が読めるのが、そんなに珍しいのか。識字率は予想以上に低い世界なのかもしれない。


「……あの、どうしてそんなに驚かれるんですか?」

「いいかい、カミラ。この国で文字の読み書きの教育を受けられるのは、王侯貴族と限られた一部の大富豪だけなんだ。しかも教育を受けられるのは、成人になってからが普通なんだよ……だからあんたの歳で、ビスマイトでさえ手を焼くあの技術書を読めるってのは、ただ事じゃないんだよ」

「まぁ、ボクが知る限り、君くらいの年齢で読み書きを学べるのは、王族かそれに近しい貴族だけだね」


 チャラ男がさらりと言ってのけた。


「……そうなんですか。でも私、奴隷として売られる前の記憶がないから、わからないんです」

「もしかしたらだけど、あんたは貴族の政争に巻き込まれて、敗れた家の子供なのかもしれないねぇ。まぁ、いいさ。出生がどこだろうと関係ない。もうあんたはここの跡継ぎなんだ。あたしの事は本当のお母さん、エリーの事は本当の姉だと思ってくれていいんだよ。ブラッドール家とあたしの家は、古い付き合いなんだから、遠慮せずに何でもいっとくれ」

「ありがとうございます。未熟者ですけど、よろしくお願いします」

「はははっ、子供がそんな挨拶するもんじゃないよ。もう跡継ぎとしての教育は要らないね。でもね、ビスマイトの事はちゃんと”お父さん”と呼んでやっておくれ」

「は、はい!」


 自然と目に熱い物が込み上げて来た。気持ちが高ぶったせいか、涙が溢れてしまった。


 これまでのビスマイトさんの言動は、俺を奴隷としてではなく、実の子供として扱ってくれていたのだ。体調を心配してくれたのも、子供の扱い疎い自分を補うためにエリーをあてがってくれたのも、すべて俺への愛情だったのだ。


 家を継ぐという名目があるにしても、普通に一人の娘として扱ってくれていたのだ。それなのに、奴隷として卑下した言動を取っていた自分が恥ずかしくなった。だが、これですべてしっくりきた。これまでの周囲の言動が納得できた。


「ちなみに僕のことは、本当の兄と思ってくれて構わないよ。なんなら恋人役でも結構だよ、カミラお嬢様。とは言っても、ボクの心はもうエリーの物だけれどね」


 チャラ男の(しゃく)に障る台詞と喋り方も、今だけは許してやろう。


「まぁそういうこった。これからよろしくな、嬢ちゃん」

「よろしくお願いします」


 柄悪ドワーフなドルトンさんが、握手を求めて右手を出して来た。グッと堅く強く彼の手を握ると、火傷や切り傷が多いことに気が付いた。


「ああ、これか? 手が荒れているのは、鍛冶師だから仕方がねぇ。毎日、親方の分まで剣やら槍やら作ってるもんでな」

「そういえば、ケッペンさんも鍛冶師なんですよね? 皆さん鍛冶師ってことはビスマイトさん ……いえ、お父様の職業というのは、鍛冶師なんでしょうか?」

「…… 嬢ちゃん、今まで誰にも聞かされてなかったのかい?」


 呆れ顔でドルトンさんが尋ねて来た。


「はい。どなたも教えてくださいませんでした」

「あの、その……私、カミラちゃんは、もうてっきり勘付いているものだと思い込んでて」


 エリーが自分の責任かもしれないと、あたふたしている。


 壁に掛けられた数々の武器と関連書籍。これだけあれば鍛冶に関連する職業と気が付かない方が、本来はおかしいのかもしれない。でも俺の場合、”武器マニア”のフィルターが掛かってしまったのが災いした。壁の武器がすべて新品同様にピカピカだったのも、これで頷ける。自分で作ってるんだから、そりゃ新品に決まってるよね。


「ふぅ、こりゃ大変だぜ。嬢ちゃんよ、このブラッドール家は、メンデル2大鍛冶師の名家だ。もう1つはハッブル家なんだが、今はこのブラッドール家が1番だ。鉄の国メンデルで1番の名家ってこたぁ、エルマー大陸全土で1番の鍛冶師ってことだぜ。ブラッドールの家紋が入った武器は、超一級品の証なんだ」

「では、私も鍛冶師の修業をしなければいけませんね」

「いや、それは別にしなくてもいいぜ」

「えっ、でも……」


 その時、ドルトンさんの眼が俺の左側へすっと動いた。そうだ、俺は隻腕だった。たとえ鍛冶の英才教育を受けたとしても、片腕で武器を造るのは厳しいだろう。


「嬢ちゃんは家を継ぐことだけ考えてくれ。そうだな…… ただ、検品はしてもらうことになる」

「検品、ですか?」

「品物は俺たち含め、親方の弟子が造る。それを見て、ブラッドールに相応しい品質かどうか見定める仕事だ。ハッキリ言うと目利きが必要になるぜ。まぁ、ここにいりゃあ、たくさんの品が見られるから、やってるうちに嫌でも身に付くってもんだがな」


 ドルトンさんの話を聞くと、一言で鍛冶師といっても、様々な仕事や役割があり、組織立って運営されているようだ。家内制手工業みたいなイメージだったが、どうやらそう単純ではなさそうだ。早く皆の期待に応えるためにも、詳しく話を聞く必要があるな。


 しかし、検品だけってのは納得いかない。男の子ならやっぱり一度は、自分で剣を作ってみたいもんじゃない。……いや、今は立派な女の子だけどね。


「ドルトンさん、鍛冶師のお話、もっとたくさん聞かせてください」

「おっ! 早速跡継ぎとしての自覚十分か。よし、いくらでも聞かせてやるから、さっさと一人前の目利きになりやがれ、ガハハハハハハハー」


 嬉しそうな顔で豪快に笑う。こんな子供相手とはいえ、自分が誇りを持ってやって来た仕事に興味を持たれるのは、悪い気分じゃないだろう。俺も元日本の社会人としてよくわかるぞ、その気持ち。


「お話が長くなりそうだから、私、お茶入れて来るね」


 なんて気が利くんだ、エリー。さすがだ。ちょうど喉が渇いていた。うん? お茶もこの世界にはあるのか。今までコーヒーと水しか飲んでなかったけど、どんなお茶なのか期待だな。


「ありがとう、エリーお姉ちゃん」

「あたしゃ店に戻るよ。夕飯時になったら店においで、カミラ」

「はい、マドロラさん」

「ボクも自分の工房に戻るよ。ではごきげんよう、カミラお嬢様」

「……ありがとうございました、ケッペンさん」


 チャラ男はとりあえずどうでもいいな。


 テーブルには俺とドルトンさんだけになった。すると彼は素早く席を立ち、俺の隣に座り、声を小さくして尋ねてきた。


「嬢ちゃん、あの本を読めたって本当か? 本当なら俺に内容を教えてくれよ。親方も文字の読み書きは苦手なんで、本の内容も半分くれぇしかわかってねぇんだよ。確かに腕は超一流なんだが、これからはもう一歩進んだ技術を取り入れてみてぇ。だけど俺ら職人は文字が読めねぇ。だからよ、頼む!」


 ドルトンさんが、俺に手を合わせて拝むように頭を下げた。なるほど、文字が読み書きできるだけでこれだけ違うのか。うーん、でもなぁ……


「わかりました。本の内容をお話ししますね。私も理解できないところがあります。きっと鍛冶の専門用語なんだと思います。そういうところは、指導してもらえると嬉しいです」


「よっしゃ、任せろ! それじゃあ、これからは折りを見て嬢ちゃんのところへ行くから、本の中身を話して教えてくれ。すまんなぁ、へへへ」

「はい。私も早く鍛冶の専門知識を勉強したいので、願ったり叶ったりです」

「そういってもらえるとありがてぇ。あの本、実はな、鍛冶師の間では有名な参考書なんだが、何せ皆自分のやり方を頑なに通す職人ばかりだ。誰も読もうとしねぇ。かく言う俺もそうなんだが、どうも最近限界を感じててな。…… もちろん親方から受け継いだやり方は、すげぇ高度で難しくて、それでいて洗練されている。だがなぁ、いつまでもそればっかりに頼ってちゃ、いつ他の国に抜かれるかわかったもんじゃねぇ」


 やけにドルトンさんの顔がニヤけている。嬉しそうだ。この男、本当に鍛冶が好きなんだな。生粋の鍛冶マニアだ。仕事人間だった俺にはよくわかるよ。意外と気が合うかもしれない。


 ドルトンさんとひそひそ話をしていると、エリーがお茶を淹れて来てくれた。この世界のお茶は、緑茶なのか紅茶なのか、それともウーロン茶なのか。お茶好きの俺としては、非常に気になるところだ。


 エリーの持ってきたお茶は……無難な紅茶だった。香りで直ぐにわかってしまった。しかもフルーツの香りたっぷりのハーブティだ。紅茶に珈琲があるなら十分だ。緑茶がないのが寂しいところだが、それはそれで和菓子が欲しくなっちゃうから、これで良しとしよう。でもそうか、紅茶があるということは、発酵前の茶葉を使えば、緑茶もできる可能性があるのか。今度エリーに聞いて、生産者の所へ連れて行ってもらおう。


「エリーお姉ちゃん、このお茶、美味しいね」


 俺は子供らしくニッコリ笑って言った。


「カミラちゃんが飲みやすいように、フルーツの香りづけしてみたんだけど、苦くない? もうちょっとお砂糖入れた方がいいかな?」


 甘いお茶も好きだが、もう既に十分甘かった。砂糖もちゃんとしたものがあるらしい。食材系は結構発達しているのかもしれない。


「大丈夫だよ、美味しいよ」


 俺が何か答えるたびに、エリーは大袈裟に反応してくれる。凄く話し甲斐のある女性だ。


 エリーを交えながら、ドルトンさんの鍛冶に関する話は、予想通りマシンガントークで展開されまくった。自分が好きな事を理解してくれる相手を見つけると、話が止まらなくなるのは、この世界でも同じらしい。


 ドルトンさんの雑談も含めた鍛冶師事情を纏めると、こんな感じだろうか。


・鍛冶師はそれぞれ自分の工房を持っている

・鍛冶師は資格で、原料調達から製造まで全工程マスターしている

・資格はハッブル家とブラッドール家だけが認定できる

・ゆえに、工房にも2つの派閥がある。派閥争いも当然ある。

・鍛冶師の独自のブランド名(刻印)を入れることはない。

・ブランド名は、ブラッドールもしくはハッブルのみになる。

・4年に1度、王家主催の鍛冶師コンテストがある

・優勝した派閥が4年間、メンデルで一番の名誉を得る


 俺が言われた”検品”という作業は、品物に刻印入れの許可/不許可の最終判断を下す役割らしい。


……でもそれって、鍛冶師の経験と、武器を使う側の経験がないと無理じゃないかな。と個人的には思う。もしかしたら”検品”というのはお飾りみたいな、役目なのかもしれない。役人のお墨付き的なヤツね。


 ちなみに、ビスマイトさんは、10年前に妻子を亡くして抜け殻状態になってから、一度も武器や防具を作ったことはないという。専ら検品作業ばかりなのだそうだ。


 そして聞いて驚いたのは弟子の数。ビスマイトさんには1000人の弟子が居るそうだ。すげぇな。部下1000人とか大企業の事業部長クラスだな。なるほど、彼が皆に心配され、慕われ、愛されている理由が分かった気がした。


 でもそれを継ぐのは俺になっちゃうのか。これは生半可な覚悟ではいられない。早速明日から気合を入れてやらねばなるまい。ビスマイトさんの恩義に応えるためにも!


 気が付けばとっぷりと日が暮れ、夜になっていた。ドルトンさんは約束があるらしく、急いで自分の工房へ帰って行った。


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