第35話 スパイスクエスト大騒動
「……という訳です、お父様。コーネット領へ外出してもよろしいでしょうか?」
俺は屋敷へ戻り、早速ビスマイトさんにご先祖様ことミカさんとの出会いから、持ち帰った粘土板の内容まで洗いざらい白状した。もうとっくにバレてるし、今さらだけどすべてを話しておきたい。
俺は単純にコーネットからスパイスを取り寄せればいい、そう思っていた。なぜならエランド調査の最終日に食べた、あの絶品のカレーを思い出していたからだ。ディラックさんの部下に料理上手なコーネット出身の騎士がいる。彼の伝手を使えば、時間はかかっても確実に入手できるだろうと思ったのだ。だがヴァルキュリアの話を聞いて、思い切り気が変わった。
コーネットは農業大国。食材の豊富さは、メンデルと比較にならないらしいのだ。もちろんメンデルにもコーネットの食材は輸入されている。でも、現地でしか食べられないもの、地元民にしか知られていないものなど、いろいろあるらしい。
もし大豆発酵の文化があれば、醤油や味噌、そして納豆、豆腐に似た食品があるかもしれない! この世界にきてからというもの、醤油や味噌、出汁の匂いが恋しくてたまらないのだよ。和食大好きだった俺には、毎日塩のみの味付けはちょっと辛い。
そういえば、長期で僻地に海外出張してた社員たちが”やっぱり味噌の匂いを嗅いだ時に、日本に戻りたいって思いましたねー”とよくいってたな。今ならその気持ちがわかる。俺も今ここで、味噌汁の匂いを嗅いだら、日本が懐かしくなってしまうかもしれない。
だが、俺の居場所はこの世界だ。どんなに懐かしんでも日本に帰れる訳じゃない。だったら自分で和食を開拓するしかないぜ。だから自分の足でコーネットへ行くことにした。他人任せにしてたら、絶対にとんちんかんな物を持ってきそうだからね。
しかし…… なぜか今日はビスマイトさんの隣にニールスさんが居る。そしてどういう訳だか、ディラックさんも同席している。引退したとは言え、有力貴族の元騎士団長と現役騎士団長が揃って朝一番、市井の屋敷にご訪問とは、何かあったのだろうかと心配になってしまう。
「……事はますます深刻ですね」
「うむ、そうだの。メンデル王室と議会に大掃除が必要やもしれぬが、まだまだ証拠や根回しが不足しておる。奴隷病院の方はどうだった?」
「盗掘犯は捕らえました。でも残念ながらエルツ家に繋がる証拠や証人は出てきませんでしたよ」
「そうじゃろう。宰相のカールはああ見えてしたたかな男じゃ。簡単に尻尾を捕まえさせてはくれまい」
ニールスさんとディラックさんが、勝手に話しを進めている。俺の話は一体どうなってしまったんだ。
「すみません、カミラ殿。国王陛下にエランド調査の報告をしたあと、エルツ家に探りを入れたり、奴隷病院で捕えた者の尋問をしたりと、水面下での活動をしていたもので……」
会話から取り残された俺の不満を察したかのように、性格イケメンの騎士団長が、フォローを入れてくれた。
「エルツ家と王家が大変な事はわかりました。すみませんが、今はお任せするしかありません。頼りにしております」
「すべてはカミラ殿とメンデル国民のためです。全力を尽くします」
いや、もう政争の話しはいいから、スパイスの話しを早くして欲しい。俺はチキンカレーを作るという重大な使命を背負っているのだよ。
「それで、コーネット領へ出かける件は……」
「私の部下に取りに行かせましょう。コーネット領出身の騎士がおりますゆえ、土地勘もあり、市場の事情にも詳しいです。ご安心ください」
くそぅ。そうじゃないんだよ。俺が直接いって、和食に適した食材を直に調達したいんだよ。
「重大な任務を負っている騎士様が、今1人でも欠けてしまうのは、問題があるのではないですか?」
「確かにそうですが、正当な王族たるカミラ殿が、わざわざ見知らぬ土地へ出向く必要はありません」
ほら、やっぱり王族とか面倒なだけじゃないか。何とか自分で行きたい。自分の舌で確かめないと気が済まない。誰か助け船を出してくれ!
「儂はコーネット領に長期滞在していた事がある。市場にも詳しいぞ」
「……なんの、ビスマイト。儂も剣技指導をするために、コーネットに住んでいたことがあるのだぞ。お前より詳しい」
ビスマイトさん、ニールスさんが意地の張り合い始めたぞ。どういう展開なんだろうか。
「ちょっと待った! 私もコーネット領には詳しいわよ。親戚が住んでるから」
突然シャルルさんが乱入してきた。というかこの人、いつの間に話を聞いていたんだ?
……3人揃った。ということはこれが助け舟なのか?
「では騎士様の手を煩わせるのも心苦しいですし、コーネット領に詳しい方々も揃ったようですし、皆さんで食材調達の小旅行に出かける、というのはいかがでしょうか?」
ディラックさんを除いて賛成だった。
「……仕方がありませんね。まぁ、皆さんがいらっしゃるならカミラ殿の警護も問題ないでしょうし、コーネットは同盟国です。目的も目的ですので今回は許可しましょう」
シャルルさんがウインクして親指を立てている。得意げな顔だ。これが結果オーライというヤツか。
何だかんだで皆熱い血潮の元冒険者だ。ハチャメチャな外出ばっかりする俺に、触発された面もあるのかもしれない。でもやっぱり一番悪いのは俺の我がままだろうね……。帰ってきたら、ちゃんと美味しい和食を振る舞ってあげないとな。日本風カレーの美味さを存分に味あわせてやりたいぜ。
こうして、俺とビスマイトさん、ニールスさん、シャルルさんというデコボコなパーティーでコーネット領まで小旅行をすることに決まった。今回の目的地は市場だ。危険があってもせいぜいスリやチンピラに遭う程度だろう。エランド調査に比べれば、かなり安全な旅になるはずだ。
もちろん、レンレイ姉妹も付いてきたがったが、彼女たちには別に頼みたいことがあったので、残ってもらうことにした。警護というか武力の点では、ニールスさんが居る時点で、大抵の相手なら心配ないだろうし。あと不本意だけど密着警護という点では、シャルルさんがいるし。まぁ、こっちこっちで別の不安があるけど……今は触れないでおこう。
レンレイ姉妹には、俺がコーネットへ行っている間、ミカさんへ食事を作って届けることをお願いしたかったのだ。彼女の寂しそうなあの姿を見てしまうと、どうにも放ってはおけない。何かしてあげたいと思う。
レンレイ姉妹はミカさんとも今や顔見知りなので、無碍にされることもないだろう。後は話相手が必要だろうというのもある。孤独を癒すには、人との触れ合いが一番だからね。
◇ ◇ ◇
こうしてデコボコパーティー4人組は、その日のうちにメンデルを発った。調査隊と違って僻地へ行く訳ではない。軽装で十分だろうと判断した。メンデルからコーネットへの街道は整備されており、人家や小さな集落が道沿いに分布している。盗賊や追いはぎ、モンスターの類が出る心配もあまりない。コーネット領の正式な国境入口までは、馬を飛ばして3日もあれば着く。
俺たちは旅行気分で歩みを進めていた。お気楽な楽しい旅だ。全員テンションが高い。今回は深刻な政治問題やモンスター討伐などの使命はない。単なる食材調達、お買い物の旅なのだ。
途中の村で買い食いをしては、談笑する。馬を休ませるために小川に入っては、水をかけあってはしゃぐ。老練な元冒険者2人もシャルルさんも、童心にかえっていた。きっと久々の解放感に浸っているのだろう。全員が冒険者の経験もあることだし、羽を伸ばすなら旅の方がしっくりくるのかもしれない。
「そういえばカミラちゃん、あの鎧、杭にしちゃったんだって?」
……ヤバい。すっかり忘れていた。マンティコア封じにミスリル銀が必要だったから、溶かして加工してしまったのだった。
「ごめんなさい、折角作って頂いたのに……」
「いや、その気転と判断こそ冒険者に必要なものだからね。私はむしろ役に立ってよかったと思っているよ。役に立たない防具ほど悲しいものはないからね」
さすがは実用主義の鍛冶師だ。希少なミスリル銀を使い、精魂込めた作品に対しても惜しげが無い。実際あの杭のおかげで、レンレイ姉妹もマンティコアの攻撃を防げていたのだし、確かにシャルルさんの言う通りかもしれないな。
「また直ぐに作ってあげるから楽しみにしておいて」
「ありがとうございます!」
やったぜ。あの鎧は軽さと動きやすさ、そして防御力とのバランスが凄く気持ちがいい。一度味わってしまうと、他の鎧では我慢できないというのが本音だ。
「次は超ハイレグなビキニアーマーにするからね!」
「……それだけは絶対に止めてください」
シャルルさんと下世話な会話をしているうちに、大きな城門が見えて来た。どうやら国境のようだ。あそこを抜ければコーネット領になる。
「お父様、コーネット領はどのような所なのですか?」
今さらだが聞いておこう。情報は力なりだ。危険は少ないだろうが、ゼロという訳ではないからね。
「コーネットはメンデルと友好的な関係だ。うむ、心配はいらない」
聞く相手を間違えた。口数の少ないビスマイトさんではなく、饒舌なニールスさんに聞くべきだったか。
「国境警備もお互いに庇い合うほど軍事的にも密接な関係を持っておる。検問で引っかかるなどまずあり得んよ。それと政治的にもかなり似通っておる。王族同士も付き合いが深い。メンデルから鉄器を輸出して、コーネットからは農産物を輸入しているのだよ。市民レベルでも仲がよい。国王は18歳とまだ若いようだが、人望も厚く周りからは慕われていると聞いている」
ニールスさんが、すかさずフォローに回ってくれた。騎士団長として、コーネットとの付き合いもあったのだろうから、お偉いさんや役人にも顔が利きそうだな。
……まぁいいや。念のため調べてはおくか。
『ヴァルキュリア。 警戒を怠らないようにしてください』
『承知しました。スリの指の動きも見逃しません、お任せください』
頼もしい。地下や窓のない屋内でない限り、ヴァルキュリアの眼を逃れるのは困難だ。これで安心して買い物ができるというものだ。
国境を兼ねる城壁が目の前まで近づいてくると、その大きさと厚さに圧倒された。メンデルもかなりのものだが、コーネットはその倍近くある。見事なまでの城塞都市だ。分厚い城壁で囲まれた内部がコーネットの首都であり、城内という訳だ。
城門の前で検問を受ける。メンデル人だというと、行き先と目的、そして滞在日数だけを聞かれた。あとは検査も何もされず、すんなり通ることができた。ビザとか身分証明書とか要らないんだな。あまりに呆気なくて拍子抜けしてしまったよ。むしろこっちが警備の心配をしてしまう。でもあっさり通すということは、逆にそれだけ城内や街の警備に自信がある、ということかもしれないな。
「今日はもう日が暮れる。宿を探して明日の朝から調達に出よう」
珍しくビスマイトさんが音頭を取って先頭に立った。
「あら、今日の宿は決まってるわよ」
「えっ?! ……予約ができるんですか?」
電話もネットもないこの世界で、事前予約なんて無理だろう。
「アハハ、違う違う。私の親戚が住んでるって言ったでしょ」
そうだった。だがこの人数で突然押しかけては、迷惑ではないだろうか。普通の家に4人の訪問者を宿泊させるのは、厳しいように思う。しかも全員馬に乗っているんだぜ。厩もないと厳しいだろう。
シャルルさんの生い立ちも謎だからな。案外、親戚がお金持ちで広い屋敷を持っている、なんてオチかもしれない。ちょっと期待しておこう。
シャルルさんの後に付いて行くと、大きな酒場に到着した。日が暮れる街の中で、特に明るく光を放っている。扉の向こうから酔っぱらいの大きな話し声が聞こえる。中の客たちは、すっかり出来上がってるようだな。羨ましい。定時上がりで飲むビールなんて、年に数回しか味わえなかったんだぞ。俺も成人したら絶対飲んでやる。
しかし、どうして到着先が酒場なのだろうか。
「あのー、この酒場は……?」
「ここが私の親戚の家。酒場兼冒険者用の宿だね」
おお! これはまた王道なところだ。エリーの家と同じなのか。これなら親戚の家と言っても、気兼ねすることなく皆で泊まれる。
扉を開け中に入ると、冒険者と思われる荒くれ者が壮絶な飲みっぷりで盛り上がっていた。やっぱりこれだよ、ファンタジーは。ただ……この店は予想以上に柄が悪そうなヤツが多いけどな。
酒場のカウンターに向かうと、なぜかもう一人シャルルさんがいた。
「ニコルル姉さん、ただいまー」
「何だシャルルじゃん! いつ来たのー!?」
「ついさっきついたのよ」
「手紙で知らせてくれれば、いろいろ美味しい食べ物も用意できたのにー」
「今回は急だったからね。ところで4人なんだけど部屋開いてるよね?」
「もちろん……と言いたいところだけど、生憎3部屋しか空きがないんだよ」
「いいのいいの。3部屋あれば十分だから」
「そう、じゃあ直ぐに準備させるから、食事でも取って待っててよ」
おいおい、シャルルさんとシャルルさんが喋ってるぞ。合わせ鏡を見ているようで不思議な感じがする。何より左目が眼帯のシャルルさんに対して、もう一方のシャルルさん似の人は右目が眼帯だったりするから、余計とそう感じてしまう。まぁ、状況を見れば察しはつくけどね。双子だったんだね、シャルルさんは。
「おっ! この隻腕の美少女ちゃんが噂の子?」
「紹介するわ。こちらがカミラちゃん。ブラッドールの跡継ぎよ」
「初めまして。カミラ=ブラッドールと申します。シャルルさんには普段からお世話になっています」
「フフフ、聞いてた通りね。年齢に見合わない大人びた話し方。私はニコルルよ。見てわかると思うけどシャルルとは双子の姉妹なの。いちおう私が姉でシャルルが妹ね。この店のオーナーは私だから何も心配しなくていいのよ。今日からゆっくりしていってね」
「ありがとうございます。シャルルさんに、双子のお姉さんがいらしたなんて知りませんでした」
「何ならシャルルじゃなくて、私の方に乗り換えちゃってもいいのよ?」
「……は、はぁ」
言ってる意味はわからないが、内容的にいかがわしいであろうということはわかる。この人も幼女趣味なのか? まずは、付かず離れずの距離感を保つことをにしよう。
「ニコルル、久しぶりだの。だがカミラに手は出さんでくれ」
「あら、ロートル冒険者の2人も来てたのね。お久しぶり!」
そうか。このビスマイトさんとニールスさんは、ニコルルさんを知っているのか。もしかして冒険者時代の常宿だったとかね。ありそうな話だ。
酒場で夕食を済ませるべく、テーブルについて驚いた。メニューの種類がメンデルの10倍はある。さすが農業大国だ。これは味付けの方も期待できるな。
お任せで注文してみると、想像の上をいく料理が出て来た。カレーだ。しかもカレーの上にカツが乗っている。カツカレーじゃねぇか! ここは日本なのかよ! だがもっと驚いたのは一口食べてからだった。
「お、美味ひぃ……」
泣きそうになった。日本のカツカレーと変わらない味だったからだ。しかも蕎麦屋で出て来るような濃厚な出汁の効いたヤツだ。ここまでの味が出せるなら、日本食も作れるかもしれない。明日からの市場巡りが楽しみになってきた。味噌と醤油、そして出汁を取るのに適した魚や海藻があれば、あとは何でもできるぜ。絶対に探し出してやる。決意を新たにし、絶品カツカレーを一気に平らげた。
「ここの飯はいつ来ても美味いのぉ」
ニールスさんもカツを頬張りながら、その味を噛みしめていた。
「まぁ、食べ物だけが取り柄だからね、この国は」
シャルルさんは相変わらず少し斜に構えているが、それでも姉の家に帰ってきたことで、心なしか顔がいつもより穏やかになっている。やはり家族が居る場所は、居心地がいいのだろう。
今さらだが、コーネット語とメンデル語はよく似ている。違いはほとんどない。方言のような感覚だ。関西弁と東京弁くらいの違いで、話していることはほとんど問題なく理解できる。言葉が近いというのも仲が良い理由の1つかもしれない。
それにしても暑い。酒場の荒くれ酔っ払いたちの熱気も増し、ますます室温が上昇している。カレーの香辛料も効いているからね。俺は上着を脱いで半袖のワンピース姿になった。
すると近くで見ていた酔っ払い男が騒ぎ立てた。
「おい。みんな見てみろよ、この娘、片腕だぜ! 気持ち悪りぃな、フハハハ~」
失礼なヤツがいたもんだ。オツムの中がやんちゃ盛りの子供のようだ。今さら腹は立たないが、いい気分はしない。
「おい、私の娘に失礼だぞ、謝りたまえ」
ビスマイトさんの導火線に火が点いてしまった。
「今の言葉、直ぐに取り消して謝罪するなら許してやろう」
ニールスさんにも飛び火してしまったようだ。シャルルさんはトイレに立って不在。ニコルルさんは、俺たちの部屋を準備しに行っているので、こちらも不在だ。
このままでは喧嘩になる。なるべく穏便に済ませて、トラブルは避けたいところなんだけどな。
「なんだこのクソジジイども。俺様を誰だと思っている! コーネット大貴族のファラデー家の人間だぞ。口答えしてタダで済むと思うなよ!」
お約束の展開過ぎる。どうして大貴族様が大衆酒場に居るんだよ。金持ちなら、銀座か六本木の高級クラブにでも行ってくれよ。
「ほう、大貴族のクセにレディに対する礼儀も知らんのか? ふん、コーネットの貴族も落ちぶれたもんじゃな」
ニールスさん、そこは挑発するところじゃないです。この手のヤツは無視するに限ります。
「何だとぉ、てめえらぶった斬ってやる! 貴族に対する不敬罪だ!」
酒場は他にもいくつか怒号が飛び交っているので、誰もこちらには注目していない。目立っていないのは幸いだが、止めてくれる人もいない。
――― その時だった。何かが猛烈な速度で目の前を横切った。次の瞬間、自称大貴族様が横殴りに吹っ飛んでいた。男の体はくの字になって、店の窓に激しく叩きつけられ、ガラスを割って店外に放り出された。
ニコルルさんのたっぷりと助走をつけた蹴りが、貴族男にクリーンヒットしたのだ。しかしとんでもない脚力だな。シャルルさんもタダ者ではないけど、ニコルルさんはそれ以上に何か持ってそうだ。
「私の身内を侮蔑するようなヤツは、うちの店には二度と入れないよ! おととい来やがれっ!」
耳を劈く剣幕で怒鳴っているのだが、酒場の中は相変わらずほとんどの客が気にしていない。これが日常茶飯事らしい。すげえ所だな。
ニコルルさんは、シャルルさんより手が早そうだ。まぁこの荒くれ酒場を経営しているのだ、それ相応の性格でないと、やってられないんだろうけどね。
「カミラちゃん、ゴメンねぇ。あんな馬鹿がたまにいるけど気にしないでね」
ニッコリと爽やかな笑顔でフォローしてくれた。あの強烈なキックの後にこの切り替えの早さ……。この人、かなり場馴れしてるわ。
「あ、ありがとうございました」
万が一、剣で斬り合う流血事件になっていたら大変だった。警備隊が出てしまうところだった。ここはニコルルさんの気転が、さすがだったと言っておこう。だけどあの貴族男は生きているのかね? そっちの方が心配だよ。
窓の方を見ると、ガラスの破片を振り払いながら男が立ち上っていた。ダメージはほとんどないようだった。あの蹴りを喰らって、かすり傷程度で済むなんて、相当なタフガイだな。
「ちくしょう。こんな店二度と来るかよ! 覚えてやがれ、絶対に復讐してやるからな!」
「さっさと失せなクズ野郎!」
実際目の前で見ると圧倒されるばかりだけど、この展開はいかにも冒険ファンタジーっぽいよな。酒場での揉め事は鉄板だ。密かに憧れていた話しではある。でも、小説や映画ではこの後どうなるだっけ? 大抵不幸な事件が起きていたような、嫌な展開が多かったような気もする。……まぁいいや、美味しい食材や料理が豊富ということがわかっただけでも、今日は大きな収穫だ。
「さぁ、夕飯も食べたし、カミラちゃんお部屋にいこうっか」
忘れていた。宿泊者が4人で部屋が3室ということは、当然俺とシャルルさんが同室という展開だよな。考えたら嫌な汗が出て来てしまった。シャルルさんの玩具にされないよう警戒しなければ。
「あら? どうしたの? 顔色が悪いわよ」
「すみません、ちょっと気分が……」
「何か変な物でも食べた?」
いいえ、全部あなたのせいです。
部屋は1人用の宿泊施設だったようで、ベッドは1つしかない。この後の展開が怖すぎる。
シャルルさんは部屋に着くなり脱ぎ出した。あっという間に全裸だよ。この人、脱ぎたがりなのかな。
「あーもう、汗臭いから着替えちゃうね」
ああ、そう言うことか。びっくりさせやがるぜ。確かに今日は暑かったもんな。俺が男の体だったら大歓迎なのだが、小学生女児の体ではいかんともしがたい。この心の分裂感、今は問題なく乗り切れているが、それなりのお年頃になったら、きっと周りの態度が変わってくるだろう。自分でも深く悩みそうだな。この世界で性同一障害なんて、どうやって治せばいいんだよ。
俺がぼんやり考え事をしているうちに、シャルルさんはすっかり着替え終わっていた。
「カミラちゃんも汗かいたでしょ? 着替えちゃおうか」
返事をする間もなく、容赦なくひん剥かれた。気が付くと既に全裸。そんな瞬間芸を持っているのが、この隻眼の変態鍛冶師だ。もうさすがに慣れてしまったが、どうして俺は裸のまま放置されているのだろうか……。
「じゃあ先にベッドに入っててね。疲れてると思うから、先に寝ててもいいわよ」
着替えはどうした! 着替えは!
衣類はビスマイトさんに預けていたままだった。汗でベトベトになった服をもう一度着るのも抵抗がある。仕方がないなと思いつつ、下着だけはつけてベッドに入る。
お腹も満足していたので急に睡魔が襲ってきた。美味しい食事というのは、心まで満たしてくれるね。瞼を閉じた瞬間に深い眠りに落ちていった。




