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第33話 伝説の正体

 ――― メンデル西地区、ナイトストーカーの首領、メンヒルトの館。


「今回の依頼は払いがいいぞ」

「……それで内容は?」


 頬のこけた神経質そうな男が、コツコツと靴底を鳴らしながら、鎧で身を固めた女に話しかけている。


「依頼は2つだ。1つ目はある娘を始末する件だ。2つ目はある鍛冶師を嵌める件だ。2件合わせて報酬は金貨2000枚……」

「娘1人をバラして鍛冶師を騙すくらいでそんな大金を……。どんだけヤバい橋なのよ、何か裏があるんだね?」

「まぁな、あの御方の依頼だ。ハードルが低い訳がねぇ」

「一体どんなハードルがあるのよ?」


 報酬が高額な依頼は、当然ながら高いリスクや労力を伴う。リスクと報酬を天秤にかけて判断する必要がある。鎧女は組んでいた足をほどき、背筋を伸ばして姿勢を正した。


「まず娘の方だ。小娘のくせに結構腕が立つらしい。ヴルド家のメイド2人が護衛についている」

「それは問題ないわ」

「お前ならそう言うと思ったよ。”バラす”のはお前の専門分野だしな、任せるぞ」

「ええ」

「鍛冶師の方だがちょっと搦め手が必要だな」

「どうするのよ?」

「ある人間を籠絡する」

「それはあたしの守備範囲じゃないよ」

「わかってる。そっちは別に適役を探す。お前は小娘の方に専念しろ」

「いつまでにヤレばいいのよ?」

「次の鍛冶師コンテストまでだ」

「……なんだ、随分先じゃない」

「だがな、このヤマが終わったらメンデルを離れろ。依頼の条件は”絶対に”足がつかないことだ」

「メンデルを……。ふん、まぁいいわ。私は金が貰えればいいのよ」

「くっくっく、俺も金以外興味はないがな」

「あんたと一緒にしないで! 私は金のために殺しがしたい訳じゃない! 本当なら私はあんたなんかに……」


 鎧女は激昂していた。椅子から立ち上がってテーブルを叩き、怒りをあらわにしていた。元々鋭い目付きが、さらにつり上がっている。


「うるせぇな、どんな使い道をしようが金は金だ。お前も金が欲しいんだろ?」

「チッ、さっさと小娘の名前と居所を教えて」

「カミラ=ブラッドール。ブラッドール家の一人娘だ。歳は12前後、黒髪で色白、左腕のない小娘だから見れば直ぐにわかるはずだ」

「子供を殺すのは気分が悪いね」

「妙な仏心を出してしくじるなよ。人手がいるなら貸してやるぞ。その分報酬からは引かせてもらうがな。念のためにコレを渡しておこう」


 男はそう言うと、ポケットから小さな小瓶を取り出した。瓶は厳重に密封されている。余程大切な物が入っているのだろう。


「そんな物、私には必要ないよ!」

「ふん……まぁいい。必要になったらいつでも取りに来い。今なら金貨10枚で譲ってやる」

「メンヒルト、あんたの方はどうなのさ。籠絡する相手は誰なんだい?」

「ハッブル家の捻くれ者のお坊ちゃんだ。コイツを操り人形にする」

「何をさせる気だい?」

「お前が知る必要はねぇ」

「依頼主は誰なの?」

「それは口が裂けても言えねえなぁ」

「でしょうね。まぁいいわ。これだけの大金が入るなら文句は言わない」

「いつも通りお前が死んでもこっちは関与しねぇぞ」

「わかってるわよ」


 鎧の女は静かに席を立って、足早にメンヒルトの館を離れた。


「さてと、仕事を始めるとするか。早目の納品が俺のモットーだからな」


 そう呟くとメンヒルトは部下を呼び寄せた。女の部下だ。だがとても犯罪者集団には似つかわしくない風貌だ。品のある顔立ち、美しい金髪碧眼。見た目は完全に貴族の娘だ。


「マーガレット。お前はこれからハッブル家のマイヤー坊ちゃんを惚れさせろ」

「はぁ? 何言ってんの。どうしてアタイがそんな事を……。馬鹿じゃねぇの」

「相変わらず口の悪い女だ。金貨500枚、期限は約4年。楽勝だろ?」

「4年で500枚……って。へへっ。アタイにかかればどんな男だってイチコロさ」

「いつも通りやり方は任せる。前金で金貨200枚。成功したら金貨300枚だ。絶対に成功させろよ」

「マイヤー坊ちゃんに何をさせればいいのさ?」

「高慢ちきのマイヤー坊ちゃんは、ブラッドール家に負け続きで劣等感の塊だ。そこにつけ込め。ブラッドール家は、鍛冶師コンテストでインチキをしていると刷り込むんだ。相手がインチキしているんだから、こっちもインチキしても問題ないと教え込め」

「何だか回りくどいね。で、その後は?」

「それだけでいい」

「それだけ? 何もしなくていいのかい?」

「後は何も依頼されてねぇからな。理由は俺もよくわからねぇ」

「まぁいいわ。お金持ちの坊ちゃんを弄ぶのは面白そうだし」

「遊び過ぎるなよ。お前の悪い癖だ」

「ふーんだ」


 その時、メンヒルトは館の窓に一匹の小さな鴉が止まっている事に気が付いた。


「鴉の子供か? 不吉だな。シッシ、他所へ行きやがれ!」


 窓ガラスを叩いて追い払う。鴉もそれに気付いたのだろうか。音もなく空へ舞い上がった。


◇ ◇ ◇


 エランドから持ち帰った粘土板の文字は反転している。解読するにしてもさらに反転させ、元に戻さないといけない。とはいえかなりの枚数だ。脆くなっている板もある。下手に扱うと壊れてしまうかもしれない。


 型を取って反転させる方法は難しそうだ。面倒だが鏡に映した粘土板を読みとることにする。そして紙へ機械的に書き写すのだ。もしかしたら作業量が増えてしまうかもしれない。でも粘土板を壊す心配がない。


 さすがに俺1人では時間が掛かり過ぎるのでレンレイ姉妹、そしてヴルド家から、調査に同行してくれた馴染のメイドさん達にも応援にきてもらった。こういう作業は人海戦術に限る。


 そうそう、残業が続いて頭が疲れた時は、何も考えずにできる仕事の方がいい。

 

 残業代……。メイドさんたちに払わないと、日本だったら労基署から査察が入ってしまうな。この世界にそもそも労働者の権利があるのかわからないけど……。奴隷がまかり通るのだから、そんな生温い制度なんてないんだろうな。運悪くパワハラ管理職に当たってしまったら、死ぬまでサービス残業させられても文句が言えない。考えたら怖い世界だ。日本ってやっぱりいい所だよ。……まぁブラック企業出身の俺が言っても、説得力ないけど。


 メイドさんたちのサービス残業のおかげで、転写作業は3週間で終わった。後で何かお礼をしないとまずいだろうな。特にヴルド家のメイドにはケアが必要だ。日本ならまず菓子折り持って上役に挨拶しに行くんだけど……。この世界の御礼の仕方がわからない。普通に時給で請求書を切ってくれた方が、よっぽどわかりやすい。でも俺とヴルド家は、そんなドライな関係じゃないからね。うん、レンさんに御礼の常識というヤツを聞いておこう。


 粘土板の膨大な文字数を紙にしたら、電話帳数冊程度の厚さになってしまった。貴重な紙をこれだけ使ったのだ。中身が何であれ、一大財産のような気がする。だが、理解できる部分はごく僅かだ。ここからどうすればいいのか……。


 わかった部分は、メンデルの知識人なら知っているエランドの歴史や風土、気候、地理、産業などが書かれていた。はっきり言って大した情報は含まれていない。重要な情報は、読めない文字の方にあるようだ。あの研究塔の持ち主は、カーミラ=シュタインベルクだ。となると、これはバンパイア特有の言語なのだろうか?


 読めそうで読めないもどかしさがある。強いて言うなら、同じ漢字で書かれているのに、日本人が中国語を読めないのと少し似ている。そんな感覚だ。


 これは自分で考えてもわからんな。日本だったら図書館に行くか、あるいはネットで検索するかなのだが。


 ……アイツは確か、この世界の物知り博士だったね。エランドの獣の長、ルビアさんによると10種くらいの言語がわかるらしいから。駄目もとで聞いてみるか。音速の検索エンジンに。


『ヴァルキュリア、今直ぐにここへ』

『既に上空におります、ただいま参ります』


 念話でのセリフが終わると同時に、窓際へふわりと小型の鴉が現れた。いつもながら速い上に美しい動きだな。


『御用は粘土板の文字のことでしょうか?』

「そうです。この文字に見覚えはありませんか?」

『粘土板の複写作業中、拝見しておりました。あれは古代エランド語です』

「古代エランド語?」

『エランドの前期に使われていた文字です。簡単な記述で正確な表現ができ、上流階級の間では重宝されたようです。使いこなしが難しいので、次第に使われなくなったと聞いています』

「ヴァルキュリアは読めますか?」

『申し訳ありません、読むことはできません』


 そりゃそうか。エランド語でさえ、読み書きできる人はレアだ。その前時代の言葉なんて知っている人物は、まず見つからないだろう。あのバンパイアロードは斃してしまった。もう読める人物の心当たりがない。


『ですが、その文字を読める者を知っております』

「お手柄です。その方をここへお連れするか、あるいはこちらから出向きましょう」

『……申し訳ございません、そのどちらも難しいと思われます』

「なぜですか? 住んでいる場所が遠いのですか?」

『場所が問題ではありません。その者はドラゴンだからです』

「ドラゴン! そんな者が居るのですか?!」

『エルマー大陸では誰もが知っております。あまりに有名過ぎて、忘れられるほどです』

「何処に住んでいるのですか?」

『コーネット領とメンデル領、そしてエランド領にまたがる国境付近です。そこは火山なのですが、伝説ではその火山地帯に生息しています』

「火山と言っても噴火している訳ではないのでしょう?」

『はい、噴気はありますが噴火はしてはおりません』

「では参りましょう、今すぐにでも!」


 だがヴァルキュリアは、全力で俺のことを止めた。聞けばドラゴンは多数の言語を操り、知能こそ際立って高いものの、大の人間嫌いで、目に付いたら必ず殺しにくると言い伝えられているという。


 そしてもちろん、ドラゴンの強さは伝説になるほど凄まじい。軍隊でも討伐は困難だと言われている。バンパイアロードも伝説だ。だがドラゴンの伝説は桁が一つ上らしい。しかしあくまでも伝説だ。勝手に”大きな尾ひれ”が付いている可能性もあるけどな。ドラゴンはとてつもなく強い……。俺のにわかゲーム知識は、この世界の認識と大体合ってはいるようだな。


「何か知恵はありませんか? 獣達に手を借りて頼み込んでみるとか……」

『無理です。ドラゴンにとって獣類はただの餌です』


 残念、手詰まりか。いや、でも行くだけ行ってみようじゃないか。国境付近とはいえ、一応国内なんだしね。ちょっと見るだけなら大丈夫じゃないかな。ドラゴンは人語を操れるのだ。会話が成立するかもしれないし。


 ……まぁ、正直に告白すると、”生でドラゴンが見たい!”というのもあるんだけどね。ドラゴンはファンタジーの象徴。無責任で安直かもしれないけど、死ぬまでに一回は見てみたい。


『もう止めてもお聞きになりますまいな……』

「大丈夫ですよ。危なくなったら逃げればいいのです」

『相手は100メートルの巨躯です。とても逃げ切れる相手ではありません! 見つかる前にお逃げください』


 でもちょっと待てよ。そんなに人間が嫌いなら、どうしてわざわざ人里近い場所に住んでいるのだろうか。火山地帯と言っても全部溶岩で満たされている訳じゃないだろう。人間を完璧に拒絶した地ではない。日本人感覚で火山地帯というと、勝手に箱根やら富士山イメージをしてしまうけど。


 しかも獣が餌なら、どうして生き物が少ない火山地帯を住処に選ぶのだろうか。俺がドラゴンなら、肥沃な森とか水場に近いところとか、餌が豊富なところに住むよ。不自然な感じがするな。何か知られていない理由がありそうだ。


「どうしてドラゴンが、人里に近い国境付近などに住んでいるのですか?」

『わかりません。ただ伝説ではそうなっています。500年ほど前、討伐隊が全滅させられているとの言伝えもあります』


 500年前か。さすがにドラゴンも心変わりしてるんじゃないかね。楽観的過ぎるかな。でも本当に人間が嫌いなら、市街地に降り立って、とっくに人間を殺しまくっているはずだよな。火山地帯とメンデル市街は目と鼻の先なんだからね。うん、この伝説には裏があるに違いない。


「カミラ様! ……カミラ様っ!!」


 うわっ、驚いた。気が付いたらレイさんが耳元で思い切り名前を呼んでいた。


「な、何ですかレイさん?!」

「何ですかじゃありませんよ。さっきからブツブツと独り言を仰っているので、何事かと思いました」


 気が付かないうちに、念話ではなくて俺だけが声を出していたのか。そりゃ確かに変だと思われても仕方がない。


「次はドラゴンですか? もちろんお供します。いつお出になられますか?」


 しまった。聞かれていたか。1人でさっと出かけてドラゴンを見物したら、そのまま帰ってこようと思っていたのだが、甘かったか。


 レイさんの目が輝いて星になっている。やっぱり冒険者魂に火が点いちゃったのね。


 となると当然……


「カミラ様、私もお供いたします」


 レンさんもくっ付いて来るよな。今回はヴァルキュリアの眼があるから、ドラゴンが近づいてきたら、事前に察知して早々に撤退することもできるだろう。


 でも、万が一ドラゴンがメンデル市街まで追ってきたらまずいな。その時は人里離れたエランドの森林地帯に誘導することにしよう。調査隊のおかげでエランドの地理は大体頭に入っている。何とかなる……と思う。それに勘でしかないけど、マンティコアの時と同じようにドラゴンにも何か制限が掛かっている気がするんだよね。


 火山地帯までは馬を飛ばせば、何とか一日で往復できそうだな。


 工房に籠るビスマイトさんに”街へ買い物に出かける”と告げた。完全武装したレンレイ姉妹とヴァルキュリアを連れて行く条件で何とか許可を得られた。いつも嘘をついてごめんなさい、ビスマイトさん。私は悪い娘です。さらにいうと……娘じゃなくて本当はおっさんなんだけど。


 レンレイ姉妹と馬を駆って、全速力で火山地帯を目指した。道すがら、彼女たちは言い難そうにしている事があるようで、会話に躊躇いをみせていた。


「レンさん、屋敷を出る前に何かありましたか?」

「……申し訳ございません。ビスマイト様に火山地帯へ行くと告げてしまいました」


 おや? ……でもよくそれで許しが出たな。全力で止められると思っていたけど。


「よくお父様が許可しましたね」

「はい、ビスマイト様は”あのおてんば娘は反対しても聞かないだろう。だからお前たち姉妹がそれとなく危険を回避するよう導いてやってくれ”と」


 ……そうか、散々俺はやらかしてきたからな。もうすっかり”はねっ返りのおてんば娘”になってしまったか。はぁ、もっとちゃんと親孝行してあげないとな。でも俺が具体的にできる親孝行って何だろうな? 娘だからやっぱり結婚して子供を作って家を繁栄させることかな? ううっ、考えただけでちょっと目まいがしてきたぞ。


 いかんいかん、今はドラゴンのことに集中しよう。


 相手は100メートルもある巨躯(きょく)だ。維持するには相当な数の(えさ)が必要だろう。火山地帯に居ることにますます強い違和感を覚える。それともドラゴンみたいな伝説のモンスターになると、何百年も食べずに生きていけるのだろうか?


 あれこれ考えているうちに、行く道は険しい山道になっていた。馬もかなりべばってきた。そろそろ火山地帯の入り口が見えてくる頃だ。


『ヴァルキュリア! ドラゴンの姿は確認できますか?』

『いえ、動く物の姿は何一つありません』


 体長100メートルもあるなら、もう見えてもいいはずなのだが……。もしかして噴煙や蒸気で見えないだけなのだろうか。


『噴煙や蒸気はありますか?』

『いえ、ほとんどございません。視界は良好です』


 ということは地下に潜っているとか、たまたま餌を取りに出掛けているとか。可能性はいろいろあるが、あまり深入りするのも危険だな。


「レンさん、レイさん、この辺で様子を見ましょう」


 俺たちは、大きな木の下に馬を停め、岩陰から火山地帯の状況を把握することにした。


 噴気がある場所にだけ植生がない。まるで月面のようだ。白茶けた大地が広がっている。所々から白い蒸気が出ているが、視界を遮るほどではない。大小様々な岩が点在している。大きな岩は一軒家程のものもある。とはいえ、100メートルの巨体が隠れるにはあまりに小さい。


「カミラ様、ドラゴンの姿はありませんね。何処かへ出ているのでしょうか……」

「おかしいですね。巨大な生き物が生息しているなら、それなりの足跡ができるはずです。辺り一帯を見回しても、それらしきものはありませんね」


 本当にドラゴンが生息しているのだろうか? 怪しいな。


『ヴァルキュリア、まだ何も見えませんか?』

『火山地帯全域を巡回して参りました。周辺にもドラゴンのような大きな生物はおりません。鹿や猿が何匹かいるだけです』


 うーん、これはもしかして伝説とやらは単なる過去の”言伝え”ではないだろうか。おとぎ話みたいなものかな。日本にも”ダイダラボッチ”とか”九尾の狐”の伝説があるように、メンデルにも似たようなものがあるのかもしれない。


『わかりました。引続き巡回を続けてください。それらしき生き物が見えたら知らせてください』

『……獣王様、お待ちください!』

『火山地帯の中央に人影があります。姿形は人間のようです』


 まさかドラゴンには変身能力があって、人間に変化できるとかってないよな?


『わかりません。そのような話は聞いたことはございませんが……』


 あら、まだ通じてたか。しかし、こんな辺鄙(へんぴ)な火山地帯に俺たち以外の訪問者があるとは珍しいな。同じようにドラゴンの伝説に興味を持った冒険者だろうか。人が居るということは、ドラゴンは不在だ。つまり今は安全ということだ。


「この先に誰かいるようです。行ってみましょう」


 黄色や白に彩られた剥き出しの大地を進む。火山地帯といっても、噴気孔があるだけで、カルデラのような大規模なものではない。イメージとしては温泉地帯に近い。この光景、子供の頃に行った箱根観光を思い出してしまった。温泉卵が懐かしいな。


 ほどなくして前方に人影が見えた。髪が長い。細身だ。体型からすると女だ。


「そこに居るのは誰だ?」


 向こうから声を掛けられた。メンデル語だ。ということはメンデル人だろうか。


「伝説のドラゴンに会いにきた者です。あなたも同じ目的ですか?」


 無言だ。何も返ってこない。女は俯いたまま立っている。目に付く大きさの剣や武器の類は持っていないようだな。


「レンさん、レイさん、念のため警戒はしておいてください」


 2人に注意を促し、自分も直ぐに攻撃態勢に入れるよう心構えをする。油断と詰めの甘さが招く結果は、黒鎧の男の件で身に染みている。日本なら山の中で出会った見知らぬ人でも、気軽に挨拶をして世間話までしてまう。でもこの世界は違う。用心に越したことはない。


 近くまで寄ると、女がふと顔をあげた。


 これはまた……美人だな。滑らかな銀色の髪に黄色い眼。ここまで眼の色が鮮やかな人も珍しいな。鮮烈な色彩は、まるで湯の華のようだ。


「ドラゴンに会いに来たって……?」

「ええ。伝説ではここに居ると聞いたもので」

「へぇ、それはどんな伝説だい? 教えてくれないか?」


 ドラゴンは人間が嫌いで必ず殺すこと、獣を糧としていること、体長が100メートルの巨体であること、500年前に討伐に現れた人間達を皆殺しにしたこと、一通り話をした。


「ふーん。それで、殺されるかもしれないのに興味本位だけでここへ来たのか?」

「いいえ、ドラゴンに頼みたいことがあったのです」

「ほう、どんな頼みだ?」

「古代エランド語を教えて頂きたかったのです。長寿命のドラゴンしか今や読み書きできる者がいないと思いまして」

「古代エランド語か……」


 女が空を見上げて遠い眼をしている。何か思うところがあるのだろうか。


 ここで奇妙なことに気が付いた。女の周りに、動物の骨がやけにたくさん散らばっている。どうしてここだけに集中しているのだろうか。


「貴女は何かご存じなのですか?」

「……」


 女は押し黙ったままだ。表情に変化がない。


「私はカミラ=ブラッドールと申します」


 名乗って握手を求めてみた。これでも無反応だったらさすがに怒るぞ。


「……わっ、私はエンシェント・ドラゴン。そのなれの果てだ」


 ん? 何言ってるんだこの女は。意味がわからん。どこからどう見ても普通の人間じゃないか。しかもかなりの美人だぜ。エリーも美人だけど、この人はその上を行く美形だ。年齢はずっと上だと思うけど。


「ごめんなさい、意味がわかりません。どう見ても貴女は人間です。ドラゴンには見えませんよ?」

「……だろうな。私も自分で自分が信じられないのだから。500年ほど昔のことだ。お前の言う人間の討伐隊がこの地にやってきた。誰がどう見てもドラゴンである私の圧勝。そう思えた。だが結果はまるで違った。人間に混じってバンパイアロードが居た。確か名前は”カーミラ=シュタインベルク”と言ったな」


 ……ムムム、まさかここでヤツの名前が出て来るとは。よくわからんが、この話を聞いてしまうと、厄介ごとに巻き込まれる予感がするぞ。


 女は勝手に話を続けた。


「バンパイアロードは、体術こそ私の足元にも及ばなかったが、呪術に精通していた。私はその時、ヤツに強力な呪いをかけられたのだ。呪いは2つあった。1つはこの火山地帯から出られないよう縛るもの。もう1つは姿を人間に制限されてしまうことだ」


 なんとカーミラのヤツ、思った以上にとんでもないな。俺、そんな恐ろしい化け物と戦ってよく生き残れたな。完全に運がよかっただけだよな。……ということは、この美形の夫人が噂のドラゴンさんで間違いないのかな?


「……もしかして貴女は、500年前からその姿でここに?」

「そうだ」

「周りに落ちている動物の骨は貴女が?」

「ああ。たまに迷い込んでくる鹿やイノシシなどを捕えて喰うしかないものでな」

「ドラゴンならば、呪いを破ることもできるのではないですか?」

「いや、カーミラの呪いは特別製だ。この世でアレに敵う者はそうはいない」


 いやー、それに運よく勝っちゃってるんですけど……。


「古代エランド語を教えて欲しいと言ったな。どうしてお前は恐怖の伝説を聞いても、ドラゴンに殺されないと思った?」

「ここにドラゴンは居ないと思ったからです」

「ほう。なぜそう思った?」

「私がドラゴンなら、わざわざこんな不便なところには棲みません。ただそれだけです」

「……くっくっく、なるほど。だがその余裕の態度、それだけではあるまい?」


 さすが人間の姿になってもドラゴンだけあって鋭い。秘密は何でも見抜かれそうだな。やむを得ない、力を見せておくか。


 直ぐに闘争心に火を点け、デスベアの力で体を満たした。周囲の蒸気に目の光が反射している。自分で言うのもなんだが、紫の眼ってのも結構珍しいものがあるよな。


「ふむ……人間にして獣王だったか。これは面白いものを見た。獣王はバンパイアロードと同じくらい戦いたくない相手だ。何しろ打撃を与えた方が死ぬ、という厄介な血を持っているからな」


 分かってるじゃないの。そこまでバレているなら、この人とは戦いたくないな。手の内を知られているなら、運で勝つことも難しいだろうし。カーミラの敗因は、ヤツの油断と傲りもあったけど、何よりもデスベアの血を俺が持っているとは思っていなかった点にある。


「ところで、カーミラはどうして貴女を人間に変え、この地に縫い止めたのでしょう? そして貴女自身、今はドラゴンの力は使えないのですか?」

「カーミラの目的はわからん。おそらく私を研究材料にしようとしていたのだろう。そしてドラゴンの力だが、まったく使えん。空も飛べぬし牙や爪も人間と変わらぬ。大火炎を吹くこともできぬ。残っているのは、いつまでも死ねない耐久力だけだな」


 カーミラはもう居ない。ということはアイツ自身の存在が、呪いを解くキーではないようだな。


「獣王よ、取引きといこう。カーミラを斃してくれぬか? 引き換えに古代エランド語を教えてやろう」

「カーミラなら斃しましたよ。私の血を被り、溶けて蒸発しました」

「なんだと!? アイツは死んだのか……。これは愉快だ。だが私は人間の姿から戻れないばかりか、未だにここから出られん。これでは呪いを解く手段がわからんぞ」


 カーミラが斃されたことによる影響は、想像以上に大きいな。ちょっと安易に斃してしまったことが悔やまれる。戦い自体は、思い出すだけでも気分が悪くなるくらい、全然安易じゃなかったけど。


 ――― いや、待てよ。あの粘土板に何か書かれているかもしれないな。


「あの、もしかしたらですけど、呪いを解くヒントがあるかもしれません」

「何だと!?」


 ドラゴン女の喰い付きは素晴らしかった。


 俺がエランドでカーミラの研究塔を見つけ、そこから情報を持ち帰った事、そしてそれが古代エランド語で書かれている事を話した。


「それでお前は古代エランド語を教えて欲しいと言った訳か。今や呪いを解く手がかりも、それしかなさそうだな」

「写し取った物を本に纏めております。明日お持ちします。そのかわり解読した情報を私に教えてください」

「私にも十分メリットがあるし、お前にもメリットがある。持ちつ持たれつだな。わかった、解読してやろう」


 よかった。これで上手く行きそうだ。


「しかし、お名前がないと呼びにくいですね。ドラゴン族というのは、名前を付けない習慣なのですか?」

「私か? もちろんちゃんと名前はある。ミカ=アウスレーゼ=エランドだ」


 ドラゴンなのに人間みたいな名前だな。

 

 んっ? どこかで聞いたことがあるな。……アウスレーゼ=エランドだって? もしかして親戚、なのか? まさか、偶然にしても一致度が高すぎるだろ。


「すみません、私の素性を示す名前がもう1つあるのですが……。アリシア=アウスレーゼ=エランドと言います」

「うん? お前もアウスレーゼ=エランドか。たぶん私の子孫だな」


 オイオイ、このお姉さん、今さらりと凄い事を喋った気がするぞ。


「すみません、お話しが全然見えません。詳しく教えてください」

「知らないのか? 私はエランド建国の初代王だ」


 ……はい??? 何だか意味がわからないよ。俺の頭の中は今、”はてなマーク”で溢れかえっているぞ。


「えーっと、ですね……初代の王様が今どうして、ここでドラゴンもどきをなさっているのですか?」

「お前こそエランド王族の歴史と”受入れ体質”を知らんのか?」


 頼むから質問を質問で返さないでくれ。わからない事が多すぎて、頭がパンクしそうだ。でも確か”受入れ体質”ってカーミラも言ってたような気がする。あの時は余裕がなかったので流してしまったが、ずっと頭に引っかかってはいた。


「わかっていないようだから、説明してやろう。子孫」


 彼女は、得意顔でエランドの歴史と一族の成立ちを解説し始めた。


 これまで状況証拠とエランドの壁画家系図でしか理解してなかった事実だ。その生き証人が語ってくれるなら、これほど確たるものはない。


登場人物が増えてきました。

誰が誰やら名前がわからない、というご意見も頂きましたので

近日中に人物紹介を活動報告の方に掲載しようと思います。


ちなみに第18話までの人物紹介は活動報告の方にあります。


【隻腕の鉄姫兵団】 第18話までの人物紹介

http://mypage.syosetu.com/mypageblog/view/userid/536528/blogkey/1214161/


※ネタバレを含む場合がありますので、ご注意ください。


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