第31話 黒鎧の襲撃者
夕飯を食べ、レンレイ姉妹の所へ行ったが、明日の撤退の準備で忙しそうだった。粘土板の包装にかなり手間取っているようだ。貴重な”われもの”だからね。手伝います、と声を掛けたら力一杯拒否されてしまった。片腕では確かに細かい作業は難しいし、この手の作業はあまり役に立てない。やはり片腕というのは改めて不便だと思う。そろそろ、口や足を使って代替する技を身に着けないと、いけないかもしれないな。いつまでもメイドさんやエリーのお世話になっている訳にもいかない。いつかは自分の身の周りの事くらいは全部自分でできるようにしたい。
仕方ないので1人で湯浴みでもすることにした。
この別荘の唯一の不満は、湯浴みする場所が男女共同な上に、屋敷とは別棟の離れになっていることだ。今の豪雨では、ちょっと躊躇してしまうが、傘をさしていけば大丈夫だろう。短距離だしね。それに雨の中で湯に浸かるなんてのも、なかなか風情のあるものだよ。
俺はバスローブに着替え、湯浴みグッズを持って、首と顎の間に傘の柄を挟んだ。かなり苦しい体勢だが、片腕なので仕方がない。屋根のついている屋内へ急いで入ると、気配はない。今は誰も使っていないようだ。貸し切りだぜ。湯もちゃんと用意されている。おそらくディラックさん付きのメイドたちが、用意したのだろう。
服を脱いで大浴場へ向かう。と言っても別荘なので、さすがにライオンの口からお湯が出てくるようなところではない。どちらかというと、しっかりした屋根の付いた露天風呂に近い。これが最高に気持ちいい。毎日朝晩と入ってしまう。日本人はこれがないとやっぱり駄目です。生きて行けません。
浴槽に浸かって目を閉じる。辺りは雨の音で満たされている。遠雷もたまに聞こえる。これもまた夏の風流だな。虫の音もいいけど雨音も日本的な情緒があるね。……異世界だけどな。
その時、誰かが浴場に入って来る音が聞こえた。まさかこの豪雨時に、俺と同じ事を考えている人がいたとは。
だが扉が開いた瞬間、強い違和感を覚えた。
全身黒づくめの人物が立っていた。
「誰だっ!?」
「……クククッ、小娘。騒ぐなよ。もっとも騒いだとしてもこの雨では何も聞こえぬがな」
この口調、聞いたことはないな。知らない声だ。ということは部外者か。
その男は全身黒い鎧を纏い、刀身の細い長剣を持っていた。剣まですべてが黒で統一されている。こいつは普通の騎士とは何かが違うな。嫌な感じだ。
……戦うしかないか。
そう思って湯から上がろうと動きを見せた途端、男が滑るように移動し、湯面に剣を突き立てた。すると信じられないことに、お湯の動きが止まった。瞬時にお湯が氷結し、硬い氷塊になってしまったのだ。
俺は素早く湯船から飛び出したが、左足だけ湯から出遅れ、ちょうど足だけ氷に囚われた形になってしまった。まさかこんな攻撃があるなんて……。もしあのまま湯に浸かっていたら、完全に氷漬けになっていただろう。油断したつもりはない。相手の動きが俺の予想を越えていたのだ。
それにしてもこの力、一体何なんだ?
「危ない危ない。だが脚一本は捕まえた。さてどういたぶってやろうか。どうせ悲鳴を上げたところで、雨音が全部かき消してくれる。フハハハ!」
「お前は誰だ? 目的は何なんだ?」
「質問してる余裕があるのか、お嬢ちゃん。グヘヘヘ、それにしても殺すには惜しい上玉だ。死ぬ前に1回くらいは女の悦びってやつを教えてやってもいいよなぁ~」
男が舌なめずりをしながら迫って来た。既に鎧を脱いで全裸に剣一本を握った状態になっている。やる気が漲っているようだ。これは気持ちが良くない。だって相手はおっさんだし、俺もおっさんなんだぜ。おっさん同士抱き合って何が嬉しいというのか。ああ、もう見ちゃいられない。しかし、身動きの取れない女児の操を奪う気かよ。本当に酷い奴だな、このロリコン黒騎士。
男が嫌らしい笑みを浮かべて覆いかぶさって来た。もはや我慢の限界を突破した。戦闘モードに入り、左足を氷塊から力任せに引き抜いた。氷塊は割れ、足は簡単に抜けた。
目の前の男の剣に注意しつつ、バックステップで距離を取る。至近距離から拳を入れれば勝敗はついていた。だが、この男の謎の力を解明しておきたい。上手く捕えられればよいのだが、相手の出方次第では
殺してしまう可能性もあるからね。
そうだ。念のため空飛ぶスマホで録画しておくか。
『ヴァルキュリア! 居ますか?』
『もちろんです。今の状況見えていますか。豪雨で視難いですが、概ねわかります』
『あなたの眼で、男の動きをきちんと捕捉しておきなさい。何が起きているのか後で教えてください』
『かしこまりました』
これで録画スタートである。やはり鳥の眼は便利で手放せないよ。もうスマホ付きのドローンだな、こりゃ。
男は慌てて鎧をまた纏っていた。こっちは全裸で丸腰だというのに、贅沢な野郎だ。
剣を構えた男は、今度は切先を地面に突き刺した。するとそこを中心に冷気が広がり、瞬く間に地面が凍り付いた。それにしても凄いエネルギーだ。瞬時に地面が凍結するなどありえないだろ。大量の液体窒素でもばら撒いたなら別だけど。
俺の足元まで地面が凍り付いた。完全に氷つく前に、敵の方へ思い切り跳躍し、空中で蹴りを放つ。右足が頭部を捉える。よし、手ごたえありだ。
男はかろうじて蹴りを腕でブロックしていたが、そのまま吹き飛ばされて、浴室の壁に後頭部を激しく打ちつけ動かなくなった。失神したようだ。
ふう、よかった。殺さずに活かしたまま捕えられるぞ。
「カミラ殿ーっ! おられますかーっ!?」
「カミラ様ーっ……」
ディラックさんとレンさんの声だ。どうやら見つけてくれたようだ。
「こちらに早く来てください!」
俺は仁王立ちしたまま2人を迎えた。
浴室のドアを開けて2人が入って来た。途端にディラックさんが真っ赤になっている。レンさんが慌てている。
いやー、まぁ、ね。慌てる気持ちは分かるけど、こちらの事情も察して欲しい。浴槽の水はカチカチに凍ってしまったし、バスローブもタオルも全部凍結していて、使いものにならないのだよ。もう潔く全裸で堂々と立っているしかないだろう、これは。
ディラックさんは直ぐに俺から目を逸らして、後ろを向いてくれた。紳士だね。
「い、一体何が起きたのですか?」
「襲撃されました。そこで伸びている男に襲われたのです。」
「何ということだ! まさかカミラ殿は操を……」
そんな事ある訳がない。でも心配してくれているのだろうね。
「大丈夫です、怪我はありませんし、……そちらの方も無事です」
レンさんが屋敷からバスローブを持ってきてくれた。やっと全裸から落ち着いた状態に戻れる。
と思ったその瞬間、突然背中から胸にかけて激痛が走った。自分の胸を見ると、黒い剣が生えている。
「ゴフッ……ガァッ…」
首を捻って後ろを見ると、気絶したはずの男が、俺の背中に剣を深々と突き刺していた。
しまった! 蹴りを手加減し過ぎたか。殺すまいとしたことが、仇になってしまったようだ。
今は獣王の力が働いていない。つまりこの傷は治らない。そのままダメージになってしまう。背中から刺されて剣が胸に貫通しているのだ。致命傷かもしれない。
ディラックさんは、俺の裸から目を逸らすために後ろを見ていたので、まったく気が付かなかったようだ。紳士な態度が裏目に出てしまった。レンさんは完全に俺に注意が向いていたため、反応が遅れた。さらに言えば、黒い鎧男の剣速は、メンデル騎士団に劣らないレベルだった。その上、地面はツルツルに凍結している。足場が悪い。さすがのレンさんも、瞬時に対応することは難しかっただろう。
ディラックさんが剣を抜いて黒い鎧男に斬りかかるが、それをヒラリと交わして逃げてしまった。闇夜の森、しかも豪雨だ。追撃は無理だろう。
色々なことがスローモーションのように見えた。やばいな。もしかしてタキサイキア現象、だったかな? 命の危機に瀕した人しか見えないヤツだってテレビでやってたな。これは本当に死ぬかもしれない。レンさんの声に安心して、うっかり闘争心を切ってしまったのがまずかった。景色が滲んで見える。剣で貫かれたのだ。ただでは済まないだろうな。出血が激しい。俺の意識も段々と薄くなってきた。
ここで俺の人生は終わりなのか。ちょっとヘマをしただけで簡単に命を落とす世界。甘さを見せるとこの有様だ。自業自得と言われればそれまでだが、最近自分の能力を過信していい気になっていたのかもしれない。完全に油断だ。
またあの神様爺さんに会うことになるのだろうか。次こそあの世行きを言い渡されてしまうのだろうか。くそっ、だめだ意識が保てない。
『獣王様! お気をしっかりお持ちください。今、治療のための専門家を向かわせませした』
この声はヴァルキュリアか。専門家だって? 何だそりゃ。こんな山奥に医者が居るのか?
俺が意識を失う直前に見た顔は、レンさんでもディラックさんでもなかった。なんとあのケモミミ少女、もとい”獣の長ルビア”だった。
――― 映像はないが、声だけは聞こえた。
「傷はこれで塞げます。本来は応急手当ですが、獣王様なら将来に渡って適応できるでしょう」
「そんなもので本当に大丈夫なんですか?!」
「今は四の五の言ってる場合ではありません!」
俺は胸からゼリー状の何かが入って来るのを感じた。気持ちはよくないな。でも不思議と痛みが和らいでいく。
暫くすると完全に痛みは消えていた。水面に浮上するようにゆっくりと意識が戻って来た。
「獣王様、よかったです。間に合いました」
「ルビアさん、もしかして貴女が治療を?」
「ヴァルキュリアから連絡がありましたので、急いでキュアスライムを持参しました」
「……キュアスライム?」
「ええ、傷を塞ぎ血を止める治療用のスライムですよ。もっとも貴重な個体なので、我々も滅多に使えるものではありませんが」
「スライムはモンスターではないのですか?」
「はい。キュアスライムはモンスターですが、人や獣の体内に入ると、傷ついた組織と同化する性質があるのです。同化が終わると完全にその者の一部となって、一生を終えます」
「では私の内臓の一部は、スライムに?」
「そうなりますが、ご心配には及びません。意思を持ってスライムが動くことはありませんし、むしろ前の組織以上に本人になりきろうとする性質がありますので、違和感はほとんどないと思います」
「それは、凄いモンスターですね。貴重なものをありがとうございます」
「キュアスライムは、この森でも10年に1体程度しか産まれない個体です。ですが獣王様の一部となれたことは、これ以上ない光栄と思いますので……むしろ我々の側が感謝したいほどです」
うわー、獣王って想像以上に王様キャラじゃないか。しかも、この短時間に駆けつけてくれる見事な連携プレー。日本の救急医療も真っ青だ。病院をたらい回しにしてる場合じゃないぜ。
後でレンさんに聞いたところ、ルビアが透明なスライムを俺の胸に押し当てると、スライムがすっと馴染むように染み込んで傷口を塞いだのだという。世の中、凄い生き物がいるものだ。ただしキュアスライムでも、失った血は取り戻せないので、療養は必要だということだった。
「そういえばルビアさんって、メンデル語も話せるんですね?」
「はい、もちろんです。元々はメンデルの森に棲んでいましたから」
もしかして開発が進んで、メンデルに棲みにくくなってエランドの森に来たとか? メンデルは工業都市だからね。容赦なく木は伐採して木炭にしちゃうし。改めないといけないだろうな。自然と共存共栄ができない文明は、やがて滅びる運命なのだよ。と世界史で習った気がする。そうか、この豊かな森がなくなったら、キュアスライムという貴重なモンスターも産まれなくなっちゃうのか。これは自然との共生も真面目に考えないといけないだろう。メンデルが危機に陥るとすれば、自然破壊かもしれないな。
ルビアは人間の匂いは苦手だ、と言い残して早々に去ってしまった。俺は足元がふらつくままレンさんに支えられながら豪雨の中なんとか自室まで戻った。傷の痛みはないが苦しい。今すぐに横になりたい。完全に貧血だよね。
レンさんに体を拭いてもらい、ベッドに横になる。その途端に瞼が重くなり、また直ぐに意識を失ってしまった。




