第3話 鋼の女神亭
「あの、ビスマイト様のことは、なんとお呼びすればよかったのでしょう?」
「それは追々お話ししていくから、今は気にしなくて大丈夫よ。カミラちゃんって歳の割には、すごく大人っぽい話し方だよね? 文字だって読めるし。育ったのは高貴なところだったのかな? それともお家が大富豪だったとか?」
エリーからここで情報を得ようとしたのに、逆に質問攻めに遭うとは。日本の話をするのはまずいだろうな。興味を持ってくれればいいが、理解不能過ぎて心証を悪くする可能性が高い。丸めて伝えると矛盾が出て、いろいろと不信を招きそうだ。
ましてや、俺の中身が中年オヤジだと知ったら、愛玩奴隷としての価値を失ってしまうかもしれない。困った。でもエリーを味方につけておかないと、先々が大変そうだ。止むを得ん。嘘はつきたくないが、最後の手段を使うか。
「……ゴメンナサイ。私、奴隷として売られる前の記憶がないんです」
そう、ファンタジーでもギャルゲーでも鉄板の記憶喪失である。矛盾が起きても無知でも許される、必殺技である。
エリーの眉間に皺が寄り、途端に顔がクシャっと崩れたかと思うと、俺に抱きついて泣き出した。笑ったり泣いたり忙しい人だな。
「何の心配も要らないよ、カミラちゃん。お姉さんが守ってあげるから。記憶をなくしちゃうくらい、とっても辛い目に遇ったんだね。大変だったね」
エリーは何て面倒見の良い人なんだろう。でも俺の嘘で勘違いさせてしまった。この同情は嬉しいが、かなり心苦しい。早く話題を逸らしたい。
「エリーさん、この世界の事が全然わからないの。いろいろ教えてください」
「うん、大丈夫。お姉さんが全部お世話してあげるから。何でも聞いて。難しい勉強の事以外だったら、教えてあげられるから」
「ありがとうございます」
「私のことは”エリーさん”じゃなくて”エリー”でいいのよ。それと敬語を使う必要はないの。普通にお友達とお話しするような感じでいいのよ。直ぐには難しいと思うけど、そうしてくれると嬉しいな」
そうなのか。エリーはどちらかというと、奴隷の俺を従える側の人間だと思っていたが、どうやら勘違いのようだ。よくわからんなー。一体俺はどういう立場なんだ。エリーは、人との距離感を詰めるタイプのようだ。言葉遣い一つで結構敏感に反応する。
「じゃあ、”エリーお姉ちゃん”でもいいかな……」
俺は恐る恐る言ってみた。
「……それいい! うん、”お姉ちゃん”か……。カミラちゃん、それで行こう!」
エリーが親指を立ててニコッと笑った。ノリの良い人であることも何となくわかった。彼女のツボはその辺なのか。天性の明るさと前向きさ。そして感情豊かで情に厚くて優しい、面倒見のよいお姉さん。まったく隙がないじゃないか。パーフェクトな女性過ぎる。
俺は食事を取りながら、エリーからこの世界の事をいろいろ聞き出した。
話を纏めると、驚いたことにこの世界は俺が予想していた、中世ヨーロッパではないようだ。勝手に思い込んでいた、タイムスリップ説は間違いだったようだ。あくまでも、中世ヨーロッパに似ている違う世界のようだね。
それに気が付いたのは、イエス=キリストや聖書の話をエリーがまったく知らなかったからだ。言わずと知れたイエス様。2000年以上前からの超有名人である。ヨーロッパにも多大な影響を与えた人物だ。それを知らない人間など居ようはずがない。
信仰している神様もまったく違っていた。キリスト教やイスラム教などの一神教ではなかった。仏教のように、何百という神様が居て、それぞれの人が好き勝手に信仰しているのだという。
例えば、商人なら「お金の神様」、漁師なら「海の神様」、ギャンブラーなら「幸運の神様」、酒場の人間なら「酒の神様」といった具合だ。一人で複数の神様を信仰するのも制限されていないそうだ。日本の「八百万の神々」の感覚に近い。これが中世ヨーロッパのはずがないだろう。
確信を持ったのは、この世界の地図だ。地図を見せて欲しいとエリーにお願いした。彼女は壁に掛けてある絵を指差した。その絵は、中世ヨーロッパで信じられていた、マッパムンディや聖書のTO図とは異なっていた。しかも国名はすべて聞いたことがない。
もし今が大航海時代の後くらいなら、せいぜい世界地図っぽいざっくりとした海図くらいはあると思っていた。エリーの指した世界地図は、それなりに精密なものだった。よく調べられているし、各地の地名も村レベルの単位で書き込まれている。そこまで精密にもかかわらず、俺の知っている地名がない。一応、高校大学とそれなりに世界史を勉強したので、少しでも知っている地名があったら、ピンと来るはずなのだが……。
以上を総合すると、俺は中世ヨーロッパ風の異世界の人間と交換されてしまった、と判断できる。
一住民であるエリーの話だけだが、纏めておこう。うん、情報は纏めておくことが大切だもんな。
・この国の名前は「メンデル」
・メンデルは「エルマー大陸」の西部に位置している
・メンデルは鉄の産地として有名
・暦は1年365日、1日24時間と現代と同じ
・1週間は7日間だが曜日の名称が違う
・冥王(月)、大王(火)、照王(水)、地王(木)、火王(金)、覇王(土)、妃王(日)
・貨幣の流通制度がある(物々交換の世界ではない)
エリーとの世間話で得られた情報は、この程度だった。そして当面、俺にとって最も重要なことをズバリ聞いた。
「エリーお姉ちゃんとビスマイト様って親戚なんですか?」
「……あはは、血の繋がりはないわよ。そもそも私はこの家の人間じゃないの。でもお隣に住んでるからほとんど自分の家みたいなものね。私の家とブラッドール家は、ずっと仲良くさせてもらってるの。私も小さい頃から叔父様には大分お世話になったから、今もよくお手伝いに来たりしてるのよ」
「そうなんだ……てっきりエリーお姉ちゃんは、ビスマイト様の親戚かと思っちゃった」
エリーが俺の頭にポンと手を乗せて撫でながら言った。
「やっと敬語じゃなくなったね。うん、お姉ちゃんのこと信頼してくれて、ありがとう」
そう言えば自然に敬語ではなくなっていた。いつの間にかエリーに心を開いていた。彼女の優しく献身的な態度に触れれば、短い時間でも自然に親しくなってしまう。彼女の特性なのかもしれない。
「さてと、お姉ちゃんは夕食の後片付けをしちゃうから、カミラちゃんはお部屋に戻って休もうか」
「だ、大丈夫だよ。私も後片付け手伝うよ」
「ううん、ダメよ。療養中のカミラちゃんにそんな事させちゃったら、私が叔父様に怒られちゃうわ。だから気持ちだけ貰っておくね」
そうなのか。血の繋がりもないのに、エリーはだいぶブラッドール家に気を遣うんだな。
俺はエリーに支えられながら、部屋に戻った。そしてやっぱりお姫様抱っこでベッドに寝かせられた。何だろう、この人形的な扱いは。俺が愛玩奴隷だからか?
「まだ本調子じゃないんだから、ちゃんと寝てなきゃね。もっと元気になってから、たくさんお話ししようね」
満面の笑顔を浮かべた後、そう言い残して階下へ消えて行った。
エリーか。いい娘だな。彼氏とか居るんだろうな。モテそうだもんな。もし自分が結婚するんだったら、ああいう気持ちの良い女性を迎えたいものだ。……って、今は自分も女だった。愛玩奴隷だけど。
「カミラ=ブラッドールか……全然イメージわかないよ」
天井を眺めながらぼそっと呟いてみた。しかし”ブラッドール”とはこれまた、”カミラ”と相まってさらに吸血鬼っぽい名前になってないか。うーん、これは何か運命の暗示なのか。今のところ人間の血を飲みたいとか、陽の光に当たったら体が焦げるとか、そういう現象は起きていないけど。
まぁいいや。お腹いっぱいになったし、寝る場所も確保できた。ビスマイトさんの厚意に甘えて、ゆっくり眠らせてもらおう。
外を見ると、夜の帳がかなり下まで降りて来ていた。夕焼けが、僅かに地平線付近に残る程度になっていた。街の灯も日本と違って弱い。夜景と夕景のコントラストが映えるロマンチックな雰囲気になっていた。たくさんの尖塔が夕闇に沈む。遥か彼方に見えるゴシック様式の城壁が、美しいシルエットを描いている。
そうだよな。やっぱりファンタジーはこれだよなぁ。このロマンチックな雰囲気は大好きだ。日本古来の和風な感じも好きだが、ゴシック調の街の雰囲気はもっと好きだ。ヤバい、これ本当にRPGの世界だよ。剣と魔法とドラゴンの世界だよ。今のところ剣しか見てないけど。
猛烈な変化で疲労困憊、さらに飢えが満たされた安堵感で、あっという間に睡魔が襲ってきた。明日はもっとエリーから話を聞き出さなきゃ。
――― ふと、目を覚ますと夜だった。
時計がないので、何時か正確にはわからない。だが、街の灯もほとんど消えているところを見ると、深夜の時間帯だろう。眠りについた日没が18時頃だとすると、今は夜中だ。短い睡眠で目が覚めてしまうのは、サラリーマン時代の悲しい性だ。睡眠時間は平均4時間だった。だから自然に目が覚めてしまうのかもしれないな。
目が覚めてしまったのは、それだけが理由ではない。そう、人間には付き物の生理現象が起きてしまったのだ。トイレに行きたい。
だけどこの家の構造はほとんどわからないし、この世界のトイレがどうなっているのかも知らない。ましてや女のトイレってどうやればいいんだ? 男だったら片手でもチョイチョイと済ませられるんだが。これは結構ピンチかもしれない。夜はエリーも自分の家へ帰っているだろうし、自力でなんとかするしかないな。
とりあえず屋敷の中を一通り歩いて見れば、それらしきところが見つかるだろう。ビスマイトさんだってしてるんだし、これだけ立派な屋敷なら、それなりに数もありそうだ。
まずは階段を降りずに、2階を捜索することにした。だが残念ながら、2階でそれらしき物は発見できなかった。諦めて1階へ降りようとすると、廊下の窓から中庭が見えた。
この家は、ちょうどカタカナの「ロ」の字のようになっていて、広い中庭がある。中庭の向こうにひときわ明るい光が見えた。耳を澄ませると、人の騒ぐ声が響き渡っていた。
結構な人数が集まっているようだ。しかも音楽まで聞こえて来た。バイオリンか……フィドル? ピアニカのような音まで聞こえて来る。陽気で軽快な曲だ。何が起きているんだ……お祭りだろうか?
俺は慎重に階段を降りた。1階に着いて、トイレ探索をしようとしたが、どうにも勝手がわからないのは不安だ。ビスマイトさんに会ってしまったら、そのまま夜の愛玩道具として使用されてしまうかもしれない。それを思うと、屋敷内を歩き回るのはなるべく短時間で済ませたい。
お祭り騒ぎの方へ行けば、人が居る。人が居るとなれば、トイレもあるだろうし誰かに場所も聞けるだろう。単純にそう思って俺は屋敷の中庭に出て、騒がしい方へ向かって歩いた。
中庭を抜けると、そこはまた別の家の中庭になっていた。なるほど、中庭同士がつながっているのか。そういえば、エリーは隣に住んでいると言っていた。もしかしたらここは、彼女の家なのかもしれない。
喧騒の正体は直ぐにわかった。隣は酒場になっていたのだ。日本で言えば、大きな飲み屋だろう。もっと正確なイメージをするなら、ドイツ風のビアホールを彷彿とさせる感じだ。
俺はすっかり気分が高揚していた。仕事が終わった後のビールは最高なのだ。「人生の友」と言えるほど酒は好きだった。もちろん、今この体では飲めないだろうけどね。でもこの酒場の雰囲気ってヤツが好きでたまらない。飲めなくても居酒屋メニュー的な食事があるだけで嬉しい。
すっかり自分が小学生幼女だということを忘れ、日本で居酒屋に入るように、俺はビアホールに足を踏み入れた。そこは、ファンタジー系のRPGでお馴染みの酒場の風景が展開されていた。
ごつい剣を下げ鎧を着けた荒くれ者。ドワーフのようなずんぐりした者。酒を持って来い! と騒ぐ者。ローブを纏いひそひそ話をする者。中には俺が檻の中から見た、人間とは思えない風貌の者もいる。肌の色が青い。亜人とでもいうのだろうか。
そして酒場の華であるウエイトレスだ。せわしなくテーブルの間を動き回っている。この店の制服なのだろうか、派手に胸を強調するような、きわどい系のものになっている。男のお客さんは喜ぶだろうね。
ホールのミニステージでは、リュートとピアニカ、フィドルを持った音楽隊が、場の雰囲気を盛り上げていた。ここは中世ヨーロッパじゃないけど、音楽は中世のそれだった。いいね、この感じ。俺もこの場に混じりたいぜ。
店はかなり大きい。7~8人が座れる丸テーブルが30以上はある。そして長いカウンター。カウンター席だけでもかなりの人数が座れるだろう。
俺はしばし、この場の雰囲気に圧倒され、出入口付近でぼんやり突っ立っていた。すると、見慣れた髭のおっさんがカウンターに座っているのが見えた。ビスマイトさんだ。何だ、ビスマイトさんもここの常連なのか。仕事上りに一杯ってな感じなんだろう。まぁ、自分の家の隣がこんなに立派な酒場だったら、俺でも常連になるよ。気持ちはよくわかる。
ビスマイトさんは俺の目線に気が付いたのか、くるりと顔を向けると、カウンターから俺の居る出入口まで物凄い勢いでダッシュしてきた。
まずいな、あの剣幕はどう見ても怒っているようにしか見えない。俺のような奴隷が、来ては行けない場所だったのだろうか。
「こんな時間にここは子供が来るところではない。さぁ、部屋まで送ろう」
意外にもビスマイトさんは怒ってはいなかった。むしろ普段より優しい口調だった。まるで親が子供を心配しているかのようだ。
俺を酒場の客の目から隠すようにして、右手を引いて店を出る。
「ゴメンナサイ。でも私、トイレに行きたくてそれで……」
ビスマイトさんが驚いたような恥ずかしそうな、これまた微妙な顔で固まっていた。すると彼は、店の客にお構いなしに大声で叫んだ。
「エリー! エリーはいるか!? 大変だ、早く来なさい!」
その場の客が一斉に俺とビスマイトさんに注目した。音楽隊すらも音楽を止めてしまい、時間が止まったようになった。数秒後、この店のウエイトレスの格好をしたエリーが、カウンターの奥からワタワタと慌てて出て来た。エリーはここの店員だったのか。
数十名の客が注目する中、エリーは発した。
「は、はい、何でしょう、叔父様?」
「カミラがちょっとな。今大変らしい、面倒を看てやってくれ」
「わ、わかりました」
「うむ。頼むぞ」
エリーが呆気にとられていると、ビスマイトさんは、またカウンターに戻ろうと足を進めた。
「旦那! そこの可愛らしい娘さんは誰なんだい?」
「紹介してくれよ!」
「もしかして隠し子っすかぁ?!」
酔った勢いもあるのだろうが、皆気さくにビスマイトさんを揶揄してきた。このやり取りから、彼のここでのポジションが掴めた。かなり周囲と親しく、それでいて尊敬され愛されている。でなければ、あんな怖い顔のおっさんに野次など飛ばせまい。
おっさん……いやビスマイトさんは、結構な名士なのかもしれない。家の大きさといい、やはり裕福な家なのだろう。でも表立った所でこれだけの尊敬を集めているということは、俺が思ったような後ろめたい仕事をしている訳ではなさそうだ。
……幼女趣味だけどな。
「わかったわかった。今、この子はまだ病み上がりなんだ。後で紹介するから、今日のところは勘弁してくれ」
まぁ、愛玩奴隷だとは公表できんだろうな。表向きは”遠い親戚の子”とかいう定番の誤魔化し設定がされるのだろう。
場がまたザワザワと雑談で溢れ、音楽隊がメロディを奏で始めると、元の賑やかな雰囲気に戻って行った。
「カミラちゃん、どうしたの? 何かあったの?」
エリーが心配そうな顔で聞いて来た。
「あの…その…」
俺がモジモジしていると、エリーは察したようだ。さすが女の勘は鋭いな。今は俺も女だけど、その勘は持ち合わせていない。
「ごめんね、お姉さん大事なこと教えておくの忘れてた」
俺はエリーに手を引かれて酒場を進み、カウンターを抜けてトイレまで連れて行ってもらった。ちなみにトイレは男女きちんと分かれていた。建物から独立した立派な石造りになっている。
トイレの様子で、大体この世界の文明レベルがわかる。人間の排泄物の扱いは、公衆衛生に直結する。中世ヨーロッパはかなり雑な扱いだっため、しばしば伝染病などの元となり、大量死の原因となっていたらしい。
「使い方は……わかるかな?」
俺が記憶喪失と言ったことが、ここで幸いした。エリーは、俺がトイレのやり方まで忘れていると踏んでいる。いやー、エリーさん、あなたもう完璧。だって俺、そもそも女のトイレの仕方がわからないからね。
「忘れちゃってると思う」
素直に告げると、エリーは何を思ったのか、俺と一緒にトイレに入った。そこで一から十まで一通り手順を説明し、トイレの外で待ってくれていた。なんと親切な人だろう。
しかし女のトイレってヤツは、予想以上に面倒だな。これにメイクや髪型を直す作業が入るとなれば、そりゃトイレも長くなるってもんだ。
俺の予想に反して、トイレは普通の洋式だった。日本の最新製品から比べたら、それはお粗末な物だけれど、綺麗に掃除されているし、何よりも水洗式だった。上下水道がきちんと整備されているのだ。この国だけかもしれないが、少なくとも文明のレベルは、中世ヨーロッパより進んでいる。
事を済ませて出ると、エリーが申し訳なさそうな顔で立っていた。
「エリーお姉ちゃん、ありがとう」
俺は素直にお礼を言った。
「本当にゴメン! こんな大切なことを忘れてたお姉ちゃんを許してね」
奴隷に対する態度ではないな、コレは。逆に考えると、ビスマイトのおっさんは、思っている以上にこの辺りでは偉いのかもしれない。彼の愛玩奴隷というだけで、俺はここまで大切に扱われるのだ。でもそんなに偉い人が、いかにも大衆酒場的なところで、酒を飲んだりはしないだろう。何かしっくりこないものがある。
「うん、大丈夫だよ。本当にエリーお姉ちゃんのおかげで助かったもん。だけどお姉ちゃん、ここの酒場で働いているの?」
「あはは、働いているのはそうなんだけど、ここが私の実家なの」
エリーは看板娘として、この酒場で働いている店員であると同時に、経営者でもあるのだという。まぁ、正式な経営者は母親の方で、いつもカウンターで荒くれ者相手に、酒を出したり世間話をしたりしてきっちり場を占めているらしいが。
酒場は副業みたいなもので、本業は宿泊施設なのだという。1階がビアホール風の酒場、2階が宿泊できるように整備されている。結構な人気で、多くの旅人が利用しているらしい。エリーが俺の世話も含め、料理もテキパキとこなせる理由がわかった。
しかし、このパターンは確実にファンタジーRPGだよな。酒場と宿を兼ねるなんて。冒険者ギルドとかもあったりして。もしかして店の名前は「竜の○○亭」とかじゃないよな。
「えっ? お店の名前は”鋼の女神亭”だよ」
むぅ、ちょっとファンタジーっぽいが、やはり鉄が名産だから、そういう名前にしているのだろうか。
「じゃあ、もうお部屋にもどろっか」
エリーに手を引かれて俺は部屋まで戻った。あまり眠くはないが、二度寝モードに入ろうとした。だが、エリーが部屋から出て行こうとしない。俺の事がそんなに心配なんだろうか。
「エリーお姉ちゃん、もう大丈夫だよ」
「ううん。眠るまで私もここに居るよ」
オイオイ、そんな事されたら逆に気になって眠れないじゃないか。自慢じゃないが、一人暮らしが長かったので、他人が居ると安心して目を閉じられないぞ。
エリーは直ぐに優しい声で鼻歌を唄い出した。安心するメロディーライン。子守唄だ。中年オヤジの俺には響かない歌だが、エリーの優しさは伝わって来る。安心して目を閉じることにしよう。