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第27話 左腕喪失の地

 結局、調査隊が予定していたヴルド家別荘に辿り着いたのは、夜もとっぷりと暮れた頃だった。時計がないので正確な時刻はわからないが、腹時計によると夕飯時をだいぶ過ぎている。


「今日はいろいろありました。カミラ殿のおかげで、死傷者ゼロで乗り切ることができました」

「それにしても調査隊というのは、いつもこんなに危険な目に遭われているのですか?」

「ハハハ、まさか。今日のような事は稀ですよ」


 うむ、今日は例外中の例外と信じたい。


 騎士達は、疲れがどっと出たのか、夕飯も携帯食で済ませて鎧を脱いでさっさと寝てしまっている。


 ここは、どんな生物や危険が飛び出してくるかわからない調査不十分な地だ。もちろん、警備に立つ騎士は2名ほど寝ずにいる。そう言った習慣はさすがに抜かりがない。


「ディラック様、少しお話があるのですが、よろしいですか?」

「では夕食を取りながらお話ししましょう」


 レンレイ姉妹とヴルド家のメイドは、素早く夕食の準備にかかっていた。さすがにもう夜なので、食材調達に出るには危険だ。備蓄食料で済ますことになったようだ。この別荘には、一通りの食材が備蓄されている。たまにメイド達が来ては、メンテナンスしているらしい。そして設備だが……少なくともブラッドールの屋敷よりは充実している。別荘なのに、人の本宅よりも充実してるってどういうことだよ。貴族の力を感じるな。主に経済力にだけど。


 始めに今日気が付いた自分の能力について話をした。レンレイ姉妹には、もう馬車の中で話しているが、ディラックさんにも話しておかねばならない。


 俺が話をすると、ディラックさんは”獣王”という通り名に大きな意味があることに驚いていた。


「カミラ殿の力の源泉は獣の王の力なのですか。ただどうして人間がそんな力を……。謎は深まりますね」


 そう言ったきり考え込んでしまった。この人、一度考え込むと結構気にかけて悩むタイプだからな。雰囲気を変えよう。


「ところで、あのルビアという獣の長から、調査隊に協力する代わりに1つお願いされました」

「どのようなお願いですか?」

「エランドの街遺跡には、マンティコアという魔獣が住み着いていて、この地の獣たちを脅かしていると。ついてはそれを討伐して欲しい、とのことでした」


 ディラックさんの顔が凍り付いていた。


「本当に”マンティコア”と言ったのですか?」


 再度確認するように聞いてくる。


「ええ、確かにそう言ってました」

「危なかった。このまま街遺跡に突入していれば、甚大な被害を被っていたかもしれません。少なくとも今の調査隊の人数では、勝てる相手ではありません」


 騎士20人と騎士団長、副騎士団長が居ても敵わない相手なのか。結構レベルが高いな。


「どのくらい強いものなのでしょう?」

「ある意味では、あのバンパイアロードに近いと思って頂いて結構です」


 うぁ、そんなにレベル高いのかよ。気軽に受けてしまったじゃないか。俺も覚悟を決めないと行けないようだな。


「マンティコアというモンスターは強いのですね……」

「あれはただのモンスターではありません。いわゆる”魔獣”に分類されるモンスターです」


 そうそう、聞きたかったのは獣と魔獣の違いだ。一体何が違うのだろうか。


「”魔獣”ですか……?」

「はい。獣は自然発生するものです。例えばウルフロードやパイソンロードなどです。彼らは大型化、特殊化したものであって、あくまでも野生の生物です」


 ほうほう、なるほど。さすがディラックさんは諜報活動で世界中を見聞しているだけあって、知識が豊富だ。


「対して魔獣は魔法、つまり悪魔の法で造られた生物です」


 来た! やっぱり魔法があるのかこの世界。だがその前に聞いておきたいことがある。


「魔獣は、ゴブリンなどの妖精とは違うのですか?」

「妖精は野生生物と悪魔の中間の存在です。悪魔の力の影響が強い者は、より実体のないフワフワしたモンスターになりやすいですね。たとえばウィルオウィスプなどがいます。反対に悪魔の影響が弱い者は、ゴブリンのような実体のしっかりした野生生物に近いモンスターになります」


 モンスターの分類講義、もっと早くに聞いておくべきだったかもしれない。この世界のルールが少しわかってきた気がする。


「対して魔獣は完全に悪魔側の存在です。存在そのものが悪魔、デーモンと言ってもいいでしょう」

「悪魔なんて実在するのでしょうか?」

「彼らがこの世界に登場するのは稀です。通常、直接出て来ることはできません。本来、違う世界の存在ですから。この世界で彼らが姿形を維持するためには、捧げものが必要になります」

「捧げもの……ですか?」

「悪魔の力を宿らせる儀式を行い、悪魔に生贄を捧げるということです。私も詳しくその方法を知っている訳ではありません。禁忌中の禁忌とされています。儀式の内容を文字にするだけでも、罰せられます。口にするのさえ、(はばか)られるものです」


 ……内容としては予想通りだが、悪魔の力を借りる儀式を行う法が魔法という感じなのだろうか。敵に火を飛ばしたりする魔法とはちょっとイメージが違う。悪魔崇拝の儀式や祈祷に近い印象だな。


「生贄には何か条件があるのでしょうか?」

「具体的にはわかりませんが、呼び出す悪魔によって、人間であったり動物であったりと、様々なパターンがあるようです」

「それで、マンティコアというのは、どのような悪魔なのでしょう?」

「別名を”餓えた獣の悪魔”と言います。とにかく貪欲な食欲を持つ悪魔です。好物は人間なのですが、生物であれば何でも食べてしまうそうです」

「今のお話からすると、誰かがマンティコアを呼び出した、ということになりますよね?」

「ええ、私もそれを考えていたのです」


 マンティコアが人里離れた未開の地に生息しているのは、ちょっと考えれば不自然だと気付く。大好物の人間が、滅多に来ない遺跡に留まっているのもおかしい。何か行動に制約があるのだろうか。それとも召喚した人物の特別な意図があるのだろうか。


「ディラック様、今はマンティコアを斃すことに照準を合わせましょう。とにかく、街遺跡抜きには調査も進みませんし、街を抜けなければ城遺跡にも辿り着くことができません」

「仰るとおりです。しかし、マンティコアは強敵です。悪魔が恐れられるのは、通常の剣や弓などの攻撃が効かないからなのです」

「やはり別の世界の生き物だからでしょうか?」

「理由はわかりません。悪魔は罠に掛け、捕えてミスリル銀で封印するしか(すべ)がありません。ですが、マンティコアほどの強靭な悪魔を捕えるのは至難の業。調査活動を中止して、一度メンデルに戻った方がよいかもしれません」


 俺としては、早くこの体の持ち主の素性と謎を解いておきたい。何より相手が獣とはいえ、戦う前から約束を反故にして撤退するのは、義に反するような気がする。やっぱり一度結んだ契約は、ちゃんと履行しないと。契約不履行は、サラリーマンが一番やっちゃいけないのだよ。


「魔剣、はどうでしょう。悪魔には通用しませんか?」

「……わかりません。魔剣も同じく禁忌で伝説の存在です。それで悪魔を斬ったという話は聞いたことがありません」

「でも試す価値はありますよね」

「いや、カミラ殿にそんな危険な賭けをさせる訳にはいきません。一度城に帰り、きちんと対策を練ってからにしましょう」


 騎士団長としては、賢明で真っ当な判断だと思う。でもこの機会を逃してしまうと、次はいつ此処へ来られるかわからない。ビスマイトさんにも反対されるだろうし。


「でもディラック様、あの獣の長達は、脅かされていると言っていました。相手が獣であっても、困っている者達を置いてはいけません。それにエランドの森に棲めなくなった獣達が、河を渡ってメンデル領内へなだれ込むことも考えられます。そうなれば、メンデルの市民に危険が及ぶことも考えられます」

「しかし、カミラ殿 ―――」

「軍隊を動かすには、時間がかかります。貴族議会の承認も必要でしょう。審議に何ヵ月かかるかわかりません。国王陛下を説得する時間も必要でしょう」


 またもや考え込んでしまった。ディラックさんは真面目だからな。正当な手続きを踏んで、討伐隊を出そうとするだろう。でもそれでは動きが遅すぎる。最悪、森林を伐採するためだけの土地だから捨て置け、と放り出されるかもしれない。そうなれば、ますますエランド領に来られる機会が無くなってしまう。


「私に任せてくださいませんか?」

「それはいくら何でも……」

「秘策があります。この地の獣たちも討伐に協力してくれることでしょう」

「……わかりました。我々も出来るだけ支援いたします。ですが、危険を感じたら即座に撤退します。よろしいですね?」

「もちろんです」

「それで”秘策”というのをお聞かせ願えませんか?」

「わかりました。まだ少し詰めが甘いところはありますが……。私はマンティコアには何か”制限”が掛けられていると思います」

「なぜでしょうか?」

「人間が好物なはずなのに、人間が来ない未開の地に留まっている魔獣。不自然ではないですか?」

「確かに」


 ディラックさんもレンレイ姉妹も、シンクロするように頷いた。


「誰かが遺跡を守らせるために呼び出した悪魔、と考えるのが自然です。つまりマンティコアは、あの遺跡から動くことができない……」

「もっともなお話です。しかし、どうしてあの遺跡を守る必要があるのでしょうか?」

「それは遺跡を調査すればわかると思います。おそらく知られてはいけない”何か”があるのでしょう」


 ディラックさんが呆けた顔になっている。何か考えを巡らせているのだろうか。


「……カミラ殿は優れた御方だ。状況からそこまで洞察されるとは……感心いたします」

「これも皆さんから情報を頂いたおかげです」


 ニッコリと笑って誤魔化すと、レンレイ姉妹も興味を持って乗り出して来た。


 この姉妹も”メイド”とは名前がついているものの、中身は騎士よりも強い武人だからね。戦いの匂いがすると、自然と燃えて来るのかもしれない。


「秘策の中身ですが ――― マンティコアが遺跡から動けないとすると、深入りさえしなければ、さほど危険ではないと思うのです。危ないと思ったら、遺跡から直ぐに退きさえすればよいのです」

「なるほど。段々カミラ殿の策が、わかってきた気がします」

「まずマンティコアを、遺跡の境界付近ギリギリまで引きつけます。おとり役が必要ですが、敵は遺跡外に出ることができません。危険は少ないでしょう。その隙にマンティコアが、遺跡に戻る道に罠を仕掛けます。地図で見る限り、南側から街の中心地へ伸びる道は1本しかありません。そこなら上手く行くはずです。万が一おとり作戦が失敗した場合、仕掛け役は危険になりますが、遺跡外まで逃げることができれば、追っては来ません」


「問題は罠……でしょうか?」


 レンさんが真剣な顔をして呟いた。

 もうすっかり一番危険な罠設置の役を自分がやるつもりでいるようだ。


「はい。どういう罠にするか、という問題もあります。おとり役が、どれくらいマンティコアを引きつけておけるかもわかりません。罠の設置のリスクは避けられません」

「では、どうすればよいのでしょうか?」

「罠は大型獣を捕まえる要領で良いと思います。少し間だけ足止めできれば、私の鎧を使って封印できると思います」

「あの鎧は確かミスリル銀でしたね……」

「はい、シャルルさんには申し訳ないですが、鎧から杭を作れば封印も十分可能でしょう」


 俺はこの別荘に、小さな工房があるのを見てしまった。複雑な物を作るのは無理だが、鎧を溶かして杭にする程度なら何とかなるだろう。


「罠設置の役は、ぜひ私達姉妹にやらせてください」


 そう来ると思っていた。彼女たちなら、率先してリスクの高いところを選ぶだろうとね。機動力と戦闘力、手先の器用さを考えれば、騎士よりも彼女たちの方が適任だ。


「ええ。ではレンさん、レイさん、よろしくお願いします」

「おとり役は、もちろん我々騎士団が率先して行います。派手に立ち回って注意を引くのは得意ですから」

「はい、ディラック様、頼りにしております」


 作戦と役割が決まったところで、俺たちはそれぞれの部屋に戻った。

 

 もう夜もだいぶ更けた。明日は罠作成とミスリル銀の杭製作を行なう必要がある。早く寝よう。だがこの作戦、俺は計画通りに実行するつもりはない。レンレイ姉妹や騎士団を危険に晒すことはできない。おとり役に混じって、手早くマンティコアを斃してしまうつもりだ。罠の設置は、万が一のためのバックアップ作戦としか考えていない。通常の剣や槍などの攻撃が効かなくても、俺の魔剣の攻撃なら通用する気がしている。魔獣と魔剣 ――― 語感が似ているだけだけど、何となく通用する気がするんだよね。ぜひ試してみたい。


――― 調査2日目。


 今日は罠とミスリル杭の作成だ。騎士の中に鍛冶師経験者が居たため、ミスリル銀の加工は彼に任せることができた。俺が鍛冶をやってもいいけれど、魔剣ならぬ魔杭ができてしまう。魔杭になってしまったら、折角のミスリルの効果が、消えてしまうかもしれないからね。


 罠の作成は、レンレイ姉妹とローリエッタさんが担当してくれた。何を隠そう、ローリエッタさんの特技はトラップ作製なのだそうだ。さすが、才色兼備の騎士団。いろいろと特殊スキルを持った人が多い。逆にそれくらい持っていないと、騎士にはなれないのかもしれない。


 結局俺は何もやる事がなかったので、ディラックさんに気になっている事を聞いた。


「改まってお話とは何でしょうか?」

「ゴブリンロードの鎧の件です。もう調査は終わっていると思いますが、何か分かりましたか?」


 話し難い内容なのはわかるが、顔に出すぎだろう、ディラックさん。嘘がつけない性格イケメンは、交渉事や賭け事には不向きかもしれない。


「お話しし難い内容ですか?」

「いえ、話しておきましょう。これはブラッドール家にも関係があります」


 話しによれば、回収した鎧には、ハッブル家の刻印がされていたそうだ。心配が的中してしまったという訳だ。ニールスさんが言い難そうにしていたのは、これが原因か。


「それではハッブル家の者が、ゴブリンロードと手を結んでいた……?」

「と考えるのが普通ですよね。でもその刻印は微妙にデザインが狂っていたのです」

「つまり、何者かがハッブル家の仕業に見せかけようとして仕組んだ可能性もあると」

「そうです。ハッブル家のライバルであるブラッドール家に一番の嫌疑がかかるでしょう」

「でも、ブラッドール家の仕業と見せかけるために、ハッブル家がわざとデザインの狂った刻印をする、というシナリオもありえますよね?」

「はい。ですからこの問題は政治なのです。政治の権力争いに利用され、力の強い方が勝つ。そのための都合のよい証拠として、でっち上げられる可能性があると判断しました」

「仰るとおりですね。それで、ディラック様はどうなされたのですか?」

「刻印を削り取ってから提出しました」


 ディラックさん、なかなか賢い。幼い頃から政争に揉まれ、生き残って来た人間の機知だろうね。俺には無い才能だよ。俺ならきっと素直に証拠として提出しちゃうよ。


「ですから今、城では特に問題にはなっていません。ダマスカス鋼であるという点から、解析は研究者に委ねられています。おそらく何の証拠も出ないでしょう」

「真犯人は闇の中、という訳ですね」

「残念ながらそうなります」


 確かに刻印だけでは証拠として弱すぎる。ハッブル家の可能性もあるし、ブラッドールとハッブル両方を潰したい人間の仕業かもしれない。疑えばきりがない。新しい証拠が出てこない限り、犯人捜しは無理だろう。


「でもお話ししてくださって嬉しかったです。父に代わってお礼申し上げます」

「そんな……カミラ殿は次期当主ですから。それにブラッドール家は、今や我が家の親戚筋です。なるべく目線を同じにして行きたい、というのが私の考えです」


 俺が心配しなくても、ブラッドール家はヴルド家とのコネで当面安泰だろう。ただ、不逞の輩もいるようだから、用心に越したことはないな。


「この後、何かご予定はありますか?」


 ディラックさんが顔を赤らめて聞いてくる。何だろうね。


「特にはありませんが……」

「それでは、裏庭など一緒に散策しませんか?」


 ふむ。そういうお誘いか。断る理由もないし、今はやる事もない。


 俺はディラックさんと共に屋敷の裏庭へ出かけた。裏庭と言っても、雑木林に小道が整備されているだけだ。ちょっとしたハイキングコースのようだ。


「この先に凄く見晴らしの良い丘があるんですよ。メンデルを一望できる高台になっています。絶景ですよ。ぜひご案内したい」


 俺はディラックさんと並んで歩いた。並ぶと身長差は完全に兄妹だよな。


「以前、夜道をお送りした時の事を覚えていらっしゃいますか?」

「ええ、はい……」


 ん? 何だっけ? ……すっかり忘れている。適当に話を合わせるしかないな。


「あの時、カミラ殿は美しい風景をご覧になるのが好きだと仰ってましたので、ここならご満足頂けるかもしれないと……」


 あの話か。思い出した。しかしよく覚えているね。自分でも忘れてました。すみません。


 俺は手を引かれて丘の上まで来た。短時間で結構な高さまで昇ったと思う。林を抜けて最後の坂を昇ると、何だか無性に懐かしいような哀しいような、そんな思いが込み上げて来た。


 突然視界が広がる。大パノラマだ。馬車で進んで来た道のりが全部見える。ゆったりと流れる大河に陽の光が反射してキラキラと輝いている。その向こうには、メンデル城が小さく見える。そしてメンデルの街からは、小さな煙突が針のように生えている。煙がもくもくと出ているのは、鍛冶仕事のせいだろう。ここからだと、メンデルの営みが手に取るようにわかる。


 この景色、俺は見た事があるような気がする。はて? 似たような景色を本やテレビで観たのだろうか? いや違う。もしかして、ここは……


「この風景、気に入って頂けましたか?」

「………」


 そうだ。この体の持ち主が見た、夢に出て来た場所だよ。そして兄2人と初めて出掛けた場所でもある。とすると、デスベアの大群に襲われ、左腕を喰いちぎられた場所もここになる。そして兄2人が食い殺されたのもここだ。


 俺はディラックさんを置いて走り出した。


「あっ、カ、カミラ殿、どこへ!?」


 確か丘の斜面の中腹辺りに ―――


 斜面にはポツンと2つの石碑が並んでいた。確か兄たちが食われたのは、ちょうどあの石碑の付近だ。石碑はかなり古い物らしく、草に埋もれ、表面は苔むしていた。3つの石碑のうち、1つは壊れてしまったらしい。半分より上が大きく欠けている。欠けた部分が土に埋もれていたので、必死でそれを掘り出し、元の位置に戻した。表面の苔を手で払う。そこには人名と祈りの言葉が彫られていた。もちろんエランド語だ。


 ボルタ=アウスレーゼ=エランド

 ボルン=アウスレーゼ=エランド

 神暦1997年 ここに眠る


 これは墓石だ。なんてことだ。兄貴2人の墓を見ることになるとは。きっと王家の事情を知る誰か立ててくれたんだろう。あの夢から察するに、この体の持ち主は、誰かに発見され、生き延びて今ここにこうして居る訳だけれど。あのデスベアの大群だ。兄貴2人は、確実に死んだと思われたんだろうな。夢の映像だと丸ごと食われていたから、骨の欠片も残ってないはずだ。


「はぁ、はぁ、はぁ、……カミラ殿、何事ですか、突然走り出して」


 俺はいつの間にか泣いていたようだ。心が痛い。きっとこの体が、兄たちの死を悲しんでいるのだと思う。


「これは、一体……? エランド語が彫られていますね」

「お墓です。最後のエランド王子2人が眠っています」

「王族のお墓なのですか?! まさかこんなところに……どうして!?」

「ここで不幸な事故があったようです」

「エランド語が読める方がいると、やはりいろいろ分かりますね」


 ディラックさんは、遺跡としての興味があるようだった。当然の反応だろうな。未開の地で未知の文字で書かれた古い石碑を見たら、普通は遺跡だと思うよね。


「ところで、”神暦”という年号をご存知ですか?」

「はい。今では使われなくなった古い暦です。発祥は確かここ、エランド王国だったと思います」

「神暦1997年は、何年前なのでしょうか?」

「そうですね、ざっとしか計算できませんが、大体400年ほど前ですね」


 計算が合わない。もしこの体が、アリシア=アウスレーゼ=エランドならば、400歳を超えている。吸血鬼じゃあるまいし、そんなに長生きする人間はいない。デスベアの力で何かが起きた、と考えるのが自然だな。


 夢中で考えに集中していると、スッと白いハンカチを渡された。


「カミラ殿、涙をお拭きください」


 言われて気が付いたが、俺の目からは大粒の涙がたくさん溢れていた。酷い泣き顔だったに違いない。

さしものディラックさんも、少し困った顔をしていた。俺は遠慮なくハンカチを使い、涙を拭き終わると言った。


「あの風景、とても好きになりました。ここへ連れて来てくれて本当に感謝しています」


 ディラックさんが一瞬驚いた顔をしていたが、直ぐにいつもの笑顔に戻った。


「それでは戻りましょうか」


 帰りは手をつないで丘を降りていた。どちらが言い出すでもなく、自然に手を繋いでいた。この体が兄に近い存在に反応したのかもしれない。ディラックさんは、泣きじゃくる妹を安心させる意味で手を繋いだのだろう。そこには邪念は感じなかった。純粋な優しさだけを感じた。うん、これに免じて変態騎士団長の汚名は一時撤回してあげよう。


 屋敷に戻ると、既に夕暮れ時になっていた。罠も杭も完成していた。さすがの手際の良さだ。エリート軍団が本気を出すと、完成度もスピードも違うね。


◇ ◇ ◇


――― その頃、メンデル城 宰相執務室。


 宰相、カール=エルツと貴族議員ソルトが、良からぬ話をしていた。


「ソルト、計画はどうだ? 進んでいるのか?」

「もちろんですー。今はアイツらを潰す絶好の機会ですから」

「調査隊か……。行き先がエランドというのは、ちと厄介だな」

「何を仰いますかー、エランドは未開の地。凶悪なモンスターが闊歩する危険な土地ですよぉー。何が起きても不思議じゃないですよねー。ひょっとしたら全員死んじゃうかも」

「何を仕掛けたのだ?」

「魔獣ですー」

「どこで手に入れた?」

「城の研究所から”悪魔の系譜”をちょっと拝借しただけですよぉ」

「悪魔の系譜か。悪魔を呼び出したか。生贄はどうした?」

「奴隷が何人か、行方不明になっても問題ありませんよねー。金さえあれば」

「ふん、なるほど。未開の地で悪魔が暴れても足がつくことはあるまい。お前も食えん策士だな」

「ありがとうございま-す」


 そう言ってソルトは部屋を出て行った。相変わらずドアは乱暴に閉められた。


「つかみどころの無いヤツよ。だが魔獣ならば、隻腕の小娘はおろか、ニールスの子せがれも一緒に葬ってくれるだろう。自らエランドなどという死地へ出掛けるとは、馬鹿なヤツよ……クックックッ」


 余裕綽々でほくそ笑むカール。だがその顔は直ぐに緊張に包まれた。突然ノックもなくドアが開いたのだ。ソルトが戻って来たのかと彼は思ったが、そこに立っていたのは、青ざめた顔の国王だった。


「国王陛下、このような場所にどうなされました?」

「ディラック……ディラックは知らぬか? 何処へ行った!?」

「私も詳しくは存じませんが、確か騎士団長なら調査活動中ですが……」

「エランド領へ行ったであろう!? あの場所だけはダメだ!!!」

「は、はぁ……?」


 国王は、まるでこの世の終わりが来たかような表情をしている。顔色も青白く脂汗をかいている。恐怖と焦燥を強く感じる。これはただ事ではないとカールは察した。もしや、禁忌である魔獣召喚がバレたのではないか? カールの背中にも、冷たい汗が流れ落ちていた。


「なぜエランド領の調査はならぬのでしょうか? 森林と遺跡しかないような未開拓地です。何を焦る必要がありましょうか?」

「う、うるさい! とにかくダメなものはダメなのだ! 今すぐディラックを呼び戻せ……いや、戻り次第直ぐに余の所へ来るように申し伝えよ。何よりも最優先だ!」

「はっ、かしこまりました」


 国王がこれほどまでに焦り、怯える理由とは一体なんだろうか。王家に秘密がありそうだ、と思ったカールは、早速エルツ家の隠密を使い、メンデル王家とエランドとの関係に探りを入れ始めた。


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