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第26話 獣王の意味

 忙しくて平凡な毎日はあっという間に過ぎ、いよいよ調査出発の当日になった。


 自分では何も準備していなかったせいか、これから長期間出かけるという感覚がない。遠足や旅行に出かける前、いそいそとリュックやカバンに荷物を詰めている時間が、実は楽しかったりするのだが。今回は、レンレイ姉妹に動きを完全に封じられていた。俺がした事と言えば、エランドの歴史と地理を頭に入れておくことくらいしかなかった。


 程なくして屋敷の前の通りが騒がしくなった。


「ディラック様がいらしたようです」


 いよいよ出発か。半分は物見遊山気分で良いらしいけど、実際他の人達は仕事で行く訳だから、だらけた態度でいる訳にもいかない。俺なりに役に立つよう振る舞わなければね。


 屋敷の玄関から前の通りに出てみると、6頭立ての巨大な馬車が1台、4頭立ての馬車が5台ほど並んでいた。そして馬に乗った数多くの騎士達が、所狭しと街の通りを占拠していた。


 ご近所さんたちは”何事か?”と続々と顔を出し、野次馬が通りに沿って壁を作っていた。こりゃ、相撲の優勝パレードみたいな状況だね。


「カミラ殿、お久しぶりです。長期に渡る旅になりますが、どうぞよろしくお願いします」

「こちらこそ、どうぞよろしく」

「では、同行するメンバーをざっと紹介します」


 うっ、なんだか想像以上に騎士達がたくさんいるので、正直、挨拶は適当に済ませたい。この人数だと、挨拶するだけで1日の体力を消耗してしまいそうだ。


「カミラ殿、先日はお世話になりました。またご一緒できることを光栄に思います」


 これは見知った顔だ。ローリエッタさんだね。相変わらず暑そうなフルアーマー型の鎧で、がっちり装備してるよ。それにしても、騎士団長と副騎士団長が揃って城を出てしまっていいのかね。


「またお世話になります、道中よろしくお願いします」

「カミラ殿、あとは我が家のメイドが2名、そして騎士団の男連中が20名ほどです。挨拶は気が向いたら追々としていきましょう」


 そんな”以下同文”みたいな扱いでいいのかよ。まぁ俺としては、楽に済ませられて一安心だけどね。


「カミラ様ー! お荷物は馬車に全部積み込みましたよー!」


 レイさんの元気な声が聞こえた。もう積み込んだのか、この挨拶の時間だけで。手際の良さがまたパワーアップしている気がする。


「カミラ様とレンレイは一番大きな馬車をお使いください。今回の調査の大切なゲストですから」


 俺だけこんな好待遇でいいのだろうか。まぁでも、素直に厚意に甘えるとしよう。中はかなり広そうだし。楽しくなりそうだ。


 玄関までビスマイトさんとエリー、そしてマドロラさんが見送りに来てくれた。


「カミラ、無理はするでないぞ」

「わかっております。きっとお父様の剣が、遠い空の下でも私を守ってくださいます」

「ディラック様、娘を頼みます」

「お任せください!」


 ディラックさんは、白い歯を出して力強く拳を握って答えていた。決めポーズだよな。微妙なイケメンが今日は輝いて見えた。俺の中では、”変態騎士団長”という通り名もあるのが玉に瑕だが。でも恋心ってヤツは湧かない。俺、おっさんだからね。


 馬車に乗り込むと、レンレイ姉妹が忙しなく活動していた。どうやら大急ぎで馬車の構造を把握し、俺に最も快適な環境を構築するべく、様々な工夫をこらしているらしかった。さながら豪華寝台列車の食堂車の如く、である。他の騎士達は馬に乗ってるのに、俺だけこんなに贅沢をしていいんだろうか。貧乏性の小市民はこういう時、心から楽しめないんだよね。自分の器量の小ささが悲しくなる。


 程なくして馬車が動き出し、ついに旧エランド王国領調査隊が出発した。やっぱり見知らぬ土地、未開の地に足を踏み入るというのは、心躍るものがある。冒険は男のロマンだぜ! ……今は女だけどな。


 旧エランド領は、メンデル領の北側に位置している。つまりこの調査キャラバンは、メンデル城のさらに北へ向かうことになる。


「カミラ様、座り心地はいがかでしょうか? 揺れが続きますので、もし気分が悪くなるようなら、直ぐに仰ってください」


 馬車の窓からディラックさんが、10分おきくらいにチラチラ覗いてくる。心配になって様子を見てくれているんだろうが、頻繁すぎないか? ……過保護だ、みんな。


 だが、この馬車は思ったよりも快適だぞ。さすがに街の馬車とは、根本的に造りが違うようだ。何より車輪と車軸に衝撃吸収の仕組みがついている。おかげで、ガリガリと尻を削られるような振動がない。それだけでも、かなりの居住性向上だ。大したものだね。


 4時間も走ったろうか。急に馬車が止まった。外を見るともう陽が高い。真上にある。


「昼食にしましょう」


 馬車を降りると、そこはちょっとした広場になっていた。平坦な場所を確保しつつ、一斉に昼食の準備が始まった。


 騎士達は手慣れたもので、自分たちで運んで来た荷物の中から、携帯用の食事を各自で取っている。戦場で食べる非常食みたいなものなんだろうな。インスタントラーメンやレトルトパックの食品なんて当然ない。彼らも俺も、これから毎食似たようなものを食べることになるのか。


 飽食グルメ大国の日本で慣れてしまった俺の舌には、全食が携帯保存食というのはちょっと辛い。この世界、味付けは基本的に塩だ。砂糖は高級品だし、酢もあまり見かけない。味噌や醤油は当然ない。胡椒や山椒、唐辛子などの香辛料もまだ見たことがない。家では毎日、食材のバリエーションがあったので、耐えることが出来たが、お出かけの場合、たくさんの食材を持ち歩くのは無理だ。我慢しなければならないだろうね。


 いつの間にか、レンレイ姉妹の姿が見えなくなっていた。片時も離れない2人が何処へ行ったのだろうか。いや、それどころかディラックさんもローリエッタさんもいない。オイオイ、俺が食の妄想をしている間に皆どうしたんだ?


 少し不安になって来たところに、レンさんがひょっこりと顔を表した。藪の中から出て来たぞ。何してたんだろう……。トイレかな?


 見れば手にたくさんの野草を抱えている。続いてレイさんも出て来た。薪を抱えている。ローリエッタさんとディラックさんが鳥を抱えて出て来た。


「やぁ、カミラ殿お待たせしました。この辺りは食材調達が楽で助かります」


 え? 携帯食料じゃないの?


「あの……騎士の皆さんは、携帯用の食料をお取りになられているようですが」

「気になさらなくてもよろしいですよ。調査隊が未開の地へ行く場合、できるだけ食材は現地調達なんです。いざという時だけ、持ち込んだ保存食を取るようにしています」

「そうなんですか……」

「あの携帯用食料、実は城の研究者が試作したものなんですよ。試作品を面白がっていくつか持って来た、という訳です」


 なるほど、やはり調査慣れしていると段取りが素晴らしいね。食糧危機に陥ったことのない俺なんて、全然違う贅沢なところで悩んでいたよ。ちょっと自分の浅ましさが恥ずかしい。


 鳥を捌き、山菜を煮込んでスープを作る。パンを添えてあっという間に昼食の完成である。かなり美味しい食事にもありつけて、言うことなしだ。


 ふと後ろを振り返ると、まだメンデルの城が見えていた。何だ、そんなにまだ進んでなかったのか。これじゃあピクニックに毛が生えたようなものだな。


「カミラ殿、この辺はまだメンデル領です。一般の観光客も足を伸ばす場所ですが、この先の森を抜けて少し進めば大きな河にぶつかります。その河の先からが旧エランド領です。河を渡ったら、世界が変わります。こうして安心して昼食を食べることは、少し難しくなるでしょう」


 心の油断を見透かされたように、ディラックさんに釘を刺された。


「河の向こう側は、モンスターの巣窟なのでしょうか?」

「いえ、決してそういう訳ではありません。樹木の伐採のために人が頻繁に出入りしていますし、物好きな貴族が別荘を建てたりしていますから、まったくの未開の地という訳ではありません。ただ、モンスターや野生動物の調査はほとんどされていません。我々も何が出て来るかわからないのです」


 一部のマニアと仕事人だけが、こっそり入ってる感じだね。総じて未開の地だよね。


 昼食を取り、直ぐに出発することになった。この先に大きな河があるって言ってたけど、どうやって渡るのだろうか。俺の受けた印象だと、大きな車輪が着いたこの馬車が通れるほどの、しっかりした橋があるとは思えない。だって400年間も無人の大地なんて、日本人感覚だともはやサバイバルだぜ。


 小さな森を抜けると、突然視界が開けた。予定通り河まで着いたようだ。


 だが、俺のイメージしていた河とは違っていた。アマゾンのような、原始の大河が広がっているのかと思ったら、護岸工事まで丁寧にされた近代的な川辺だった。心配していた渡河だが、石造りの巨大な橋が架かっている。ロンドンブリッジも顔負けの立派さだ。


 せいぜい細い木の橋がかろうじて、かけられているくらいにしか思っていなかった。メンデルは、俺が考えているよりも裕福な国なのかもしれない。


 馬車で橋を渡る。しかし大きな河だ。この大河に橋を架けられる技術力も、かなり凄いのではないかな。土木の素人だからよくわからないけど。


 思った以上に人の出入りがある。橋の上では、貴族の絢爛豪華な馬車や観光用の小さな幌馬車、伐り出した丸太を積んだ荷馬車が見られた。ちょっとした街くらいの活気がある。未開の地という感じはしない。


 橋の中央付近に門がある。厳つい門番が何十人も忙しなく動いて、積荷や通行人を念入りに検査している。出入国のチェックを受けるようだ。でも、旧エランド領というだけで今は同じ国内なのに、どうしてそこまで厳しい検査が必要なのだろうか。不自然だな。


 俺たちは国王お墨付きの調査隊。当然顔パスだろう、と思っていたが例外なく検査されてしまった。だが積荷や馬車の中までは、検査をされずに済んだ。よく見れば、念入りに検査されているのは、エランド領から出て来る積荷だけで、入る方は入国目的を聞かれる程度で済んでいる。


 ということは、エランドからの持ち出し品に注意しなければならないのか。日本だと国立公園からは動植物持ち出し禁止、のような決まりがあるので、感覚的にはわからんでもない。


 橋を無事に渡り終えると、そこはまた森になっていた。しかし木々の覆い茂る密度がこれまでとは大きく違う。ここからが本格的な未開の地という訳だ。


「レンさんとレイさんは、エランド領へ来たことがあるのですか?」

「はい。ヴルド家もエランド領に別荘を持っておりますので……」


 別荘という単語には、問答無用でブルジョア感が漂う。日本だと”軽井沢に別荘持ってます!” そんな感覚なんだろうか。


「今日はその別荘へ向かうのでしょうか?」

「はい。夕方には着く予定になっています」


 道は古いが石畳できちんと舗装されているし、ちょっと拍子抜けの感はあるな。

 

 だが、そんなのんびりとした雰囲気を豹変させるように、馬車が急停車した。何事かと思って窓から顔を出す。前方で何か騒ぎが起きているようだ。直ぐにローレンシアさんがやって来た。


「隊がオオカミとイノシシの大群に囲まれました。危険です、馬車から出ないようにしてください」


 あら、やっぱり未開の地なんだねぇ。舗装の道と通行量の多さにすっかり油断してたよ。考えて見ればこの辺一帯、道以外は全部原始の森だもんな。


 しかし、ここではオオカミとイノシシが徒党を組むのか。連携プレーで獲物を襲うとか外敵を排除するとか、共生関係なのかもしれないね。俺には想像できない生態系だな。


 馬車の直ぐ近くからも、獣の低く唸る声が聞こえる。レンレイ姉妹は、懐から短剣を出して身構えている。馬車の中で振り回すと危ないよ。


「カミラ様、まだ調査開始1日目ですが、状況は悪いようです」

「どういうことですか?」

「数が多過ぎます。オオカミの群れと言っても、せいぜい10~20頭程度が普通なのですが、ぱっと見ても1000頭は居ます」

「この調査隊は完全に囲まれている、ということですね」

「騎士たちが剣を振るえば、負けることはないでしょうが、数が数です。相応の時間がかかります。本日は、この場所で夜を過ごすことになるかもしれません」


 確かに敵の頭数が多いと時間がかかるし、集団で同時に襲ってこられたら、百戦錬磨の騎士といえども、簡単には勝たせてもらえないだろう


 もしオオカミ達が組織立った動きを見せたら、騎士側にも負傷者が出るかもしれない。ここで怪我でもされて、行軍が遅れるのは困る。だって別荘に着いて、ちゃんとしたベッドで寝たいし、何よりも湯浴みができないのは嫌だ。毎日の風呂は日本人の性だ。ここは譲れない、譲りたくない。仕方がないな。俺も戦線に出るか。


「レンさん、私の剣を取って頂けますか」

「いけません。戦いは私達にお任せください」


 駄目か。ならば騎士とメイドさん達にお任せするしかない。時間がかかりそうなら、こっそり戦うことにしよう。


「何だコイツは!」

「信じられない!」

「気を付けろっ!!」


 大きな声が上がった。騎士達の声だ。その声に刺激されて、思わず外に飛び出した。レンレイ姉妹も短剣を握ったままついて来た。


 隊の先頭付近に小さな山のような毛の塊があった。いや、これは獣の背中だ。よく見ると体長10メートルはあろうかという巨大なオオカミがいた。


 巨大オオカミを先頭に、通常サイズのオオカミが、群れを成して取り囲んでいる。背中の毛並が金色だ。それだけで群れのボスだと一目でわかる。人狼とは違う。金狼とでも言うべきか。モンスター資料集をギルドマスターに借りて来るべきだったね。


「カミラ殿、お下がりください。こいつはただのオオカミではありません!」


 そりゃあ見ればわかるけど、前足で撫でられただけで軽く数人は吹き飛びそうだぞ。一気に状況が不利になってしまった。


 ふと後ろを振り返ると、レイさんがしゃがみ込んで何かを見ている。


 おおっ! それはモンスター資料集ではないですか!? まさか、本当に持ってきてたのかよ。


「レイさん、それは資料集ですか?」

「はい。ヴルド家の蔵書ですが、携帯用があいにく貸出中だったもので、だいぶ大きな本になってしまいましたが……」


 確かに大きい。A3サイズより一回り太っている感じだ。ギルドにあった本より分厚いような気がする。貴族の蔵書だけあって、カバーも立派だ。


「この本によると、あのオオカミは”ウルフロード”のようですね。オオカミが長年生きると、通常では考えられない大群を率いることがあるそうです」

「何か弱点はないのですか?」

「特に書かれていません。オオカミの強化版みたいなものですから……」

「他に特徴はありますか?」

「高い戦闘能力、人語操作、爪と牙に毒と麻痺作用、ブレスあり、だそうです」


 一通り特殊効果が揃ってる感じだな。一撃喰らうと、体力が残っていても戦闘不能に陥るアレだ。パーティ全滅コースじゃないか。しかもブレスって、炎まで吐けるのか。同時に手下の群れも襲ってきたら、この数の騎士では、さすがに死傷者を免れえないな。何とか丸く収めることはできないだろうか。


 人語操作の能力があるのか。無駄かもしれないけど、とりあえず話してみるか……。


 俺はディラックさんと騎士達の隙間を抜け、睨み合いになっているウルフロードの前に立った。


「ウルフロード、話し合いましょう」

「ふん、どうせまた森を荒らしに来たのだろう。人間と話すことなどない!」


 おや、コイツはゴブリンロードと違って、かなり流暢に話せるな。ただ、メンデル語ではない。エランド語だ。俺にしかわからないってことか。


「私達は調査隊です。調査だけが目的です。オオカミたちの縄張りを荒らす意思はありません」

「嘘をつけ! ここにはお前たちのような欲深い人間がたくさん来る。信用できない」


 人間不信になっちゃってるのか。メンデルも森林伐採しまくってるからね。鉄を作るためには大量の木炭が必要だ。その原料となる木は、このエランド森林地帯に支えられているという訳か。確かにオオカミの気持ちはわからんでもない。生態系の破壊は、どの世界でも問題なのだね……。


 先入観が強いと、話し合いだけで解決するのは難しいかもしれないな。相手が犬なら、餌をあげて撫でれば何とか仲良くなれるんだけど。


「……カミラ殿、何を話されているのですか?」

「今ちょっと交渉をしています。このウルフロードは、エランド語が話せるみたいなので」

「それで、何と?」

「どうやら私達の事を、森を荒らしに来たならず者と勘違いしているようです。誤解を解くべく説得してみたのですが……」


 ウルフロードが耐えかねたのだろうか。突然牙を剥いて姿勢を低くし、唸り声をあげ始めた。騎士達も剣を構えて臨戦態勢を取る。一触即発だ。


 やむを得ない。戦うしかないか。俺は集中して闘争心を高めた。ここのところ、メンタルトレーニングを欠かさなかったおかげで、どんな状況でも確実に戦闘モードに入れる自信がついた。


 俺はゆっくりとウルフロードへ近づいて行った。相手の目を見据え、殺気を込める。


「むっ! その眼……。お前、まさか獣王か? だが姿は人間。――― どういうことだ?」


 ウルフロードがさらに警戒心を高め、大きな唸り声を上げた。騎士達には動揺の色が見え始めている。


「獣王? 何のことですか?」

「お前、正体は人間ではないな?」


 確かデスベアの通り名は”死の獣王”だったな。


「私は人間です。ただ”死の獣王”の力を引き継いでいるようですね」

「馬鹿な!? ヤツは大昔に滅んだはず。なぜ人間である貴様に、その力が受け継がれている?」

「それはわかりません。ですが、これ以上邪魔をするなら私も容赦しませんよ」

「……わ、わかった。戦うのは止めだ。我らは獣王に従う者。何でも言うことを聞こう」


 ウルフロードはあっさりと引き下がった。はて、どうしてだろうか?


「獣王はすべての動物の王にして、文字通り獣達の王。力の差は戦うまでもなく理解できる。我らも全滅させられたくはないのでな。大人しく従わせてもらう」


 そう言うとウルフロードは、威嚇の姿勢を止め、借りて来た猫のように俺の前に寝転んだ。と言ってもこの巨体だ。寝転んだだけで地面が揺れた。


 ローリエッタさんの顔色が青い。ディラックさんも額に大粒の汗が噴き出ている。この巨躯の獣とまともに戦えば、騎士達もただでは済まなかっただろう。


 ウルフロードは、俺に腹を見せている。自分の一番弱いところを相手に見せているのだ。これは服従を誓った証拠だろうな。仕方がないので、腹を撫でてみた。モフモフを期待していたのだが、かなりの剛毛だった。犬を撫でた時のような気持ち良さは皆無だ。手に刺さるぞ、コレ。


 騎士達から歓声があがった。


「おお、何ということだ?!」

「飼い犬みたいに大人しくなったぞ」


 傍から見たら、俺がウルフロードを手懐けているように感じるだろう。周りのオオカミ達は、ボスが俺に服従する姿を見て、状況を理解したようだ。全頭が伏せの姿勢を取り、俺の方に頭を向けている。うむ、これじゃオオカミ少年ならぬ、オオカミ小娘だよ。


「ウルフロード。この周囲にはオオカミやイノシシ以外にも、モンスターや獣たちがたくさんいるのですか?」

「ああ、……いえ、ハイ、おります」

「では私達調査隊の邪魔をしないよう、きちんと周知徹底しておいてください」

「……」

「返事がありませんね。もし邪魔に入るような者が居たら、全力で殲滅することにします」

「ハイっ! わかっ、わかりました!」


 ウルフロードはもはや威厳の欠片もなかった。周りのオオカミたちも恐れをなして、身動ぎ一つしていない。


「ディラックさん、ウルフロードの誤解が解けたみたいです。私達の調査に協力してくれるとのことです」

「ほ、本当ですか?! まさか獣たちが、これほどまで人に対して従順になるとは……」

「話せばわかる、良いオオカミたちだったみたいですね」


 俺は笑顔で誤魔化した。ええ、それはもうさらりと流しましたよ。決して脅してなんかいません、ええ。


「ウルフロード、あなたはもう行っていいです」

「あ、ありがとうございます」


 体をクルリと反転させて立ち上がると、ウルフロードは大きな遠吠えをあげた。それを合図に、オオカミの群れは元より、イノシシの群れも蜘蛛の子を散らすように森の中に消えて行った。


 それにしても、デスベアが”死の獣王”と呼ばれる理由が少し分かった気がする。ウルフロードが狼の王であるように、デスベアは獣たち全体の(ロード)なのだろう。


 待てよ、ということは……。

 俺は近くの馬に手を触れてみた。頭の中でイメージする。


「伏せなさい」


 すると馬は途端に膝を立て、伏せの状態になった。しかも周囲の馬もつられて伏せていた。


 やっぱりな。デスベアには、獣や動物を従わせる力があるのだ。だから俺は、足だけの繰馬でレンさんを運ぶことができたのだ。偶然ではなかった。操馬できたのは、自分の能力だった。使いようによっては、かなり有効だよな。もし虫や鳥にまで力が及ぶなら、戦いも剣で斬るだけでなく、もっと幅が広がるはずだ。今は具体的な使い方は思いつかないけれど、何だかちょっと楽しくなってきたね。


 それとワーウルフやヒドラのような、動物型のモンスターにどこまで通用するのか。少なくとも吸血鬼配下の人狼には通用しなかった。アレは特殊ケースと見た方がいいのかもしれない。


 ディラックさん、ローリエッタさん、騎士達を集め、何が起きたかを一通り説明した。筋書としては、たまたまウルフロードがエランド語を話せたので、エランド語を使う俺に心を開いてくれた。話せばわかってくれるオオカミだった、ということにしておいた。まぁ、なんとか誤魔化せたようだ。


 ディラックさんには後でちゃんと本当の事を話しておこう。


 また馬車での行進が始まった。馬車の中では、レイさんが目に星マークを浮かべて質問攻めにしてきた。


「カミラ様ー、まさかウルフロードを手懐けられるとは、思いませんでした。どうやったんですか?」

「あ、アレはですね……。例の力です」


 俺は自分の推測も交えて話をした。レンレイ姉妹は不思議そうな顔をしていたが、能力の応用に気が付くと、一気にマシンガントークが始まった。レイさん、元気だなぁ。


「レイ、いい加減にしなさい。カミラ様はお疲れなのですよ」

「いいんですよ、レンさん。私もレイさんの話から、何か良いアイディアを思いつくかもしれませんし」


 と言ったところで、また馬車が急停車した。


 カーテンを開け窓から外を覗いてみると、そこには大きな猿の顔があった。さすがのレンレイ姉妹も驚き、窓を開けて短剣を突き出す。もちろん、届かなかったけどね。


 馬車を降りると、今度は何百種類という獣たちが、調査隊を包囲していた。猿、ヒヒ、馬、牛、犬、猫、鹿など……お馴染みの動物から、見た事もないような触手を持った奇妙な生物、巨大な蜂や蝶、大蛇や謎の不定形生物までいた。まぁ、どう見てもスライムだよな。何万匹も殺したよ、ゲームの中で。


 だけどこの騒ぎは何だ。もしかしてウルフロードのヤツ、裏切ったのか?


 騎士団はもちろん、ディラックさんも完全にお手上げ状態だった。馬を止めて見回すしかなかった。これだけのモンスターや獣たちが大集合するなんて、普通ならあり得ない。


 しゃあねぇ。どうせ目的は俺だろう。


「カミラ様、馬車をお出になるのは危険です!」

「レンさん、大丈夫ですよ」


 馬車を降りると、獣軍団のまとめ役らしき人物が現れた。


 驚いた事に人型だった。しかも胸のふくらみを見るに女性だ。かなり若い。体毛が長く耳は猫の様な感じだ。端的に言うと、サーバルキャットを人間の女の子にした感じだね。


 これは俗に言うケモミミ少女じゃないのか!? 獣の娘に萌える趣味はないが、人型ということでひとまず安心した。それだけでも話がしやすい。


「貴女が獣王でいいのかしら……?」


 ケモミミ少女もエランド語だった。獣たちの公用語はエランド語なのだろうか? だが他の人に分からず、俺だけがわかるというのは、この場ではかなり都合がいい。ディラックさんとレンレイ姉妹はともかく、他の人にはあまり俺の能力を見せたくないからね。


「ええ、そういうことらしいです」

「とても獣王には見えないわね。ただの隻腕の小娘じゃないの」


 そうか、戦闘モードに入るのを忘れていた。心を集中してさっそく闘争心に火を点ける。全身に力が漲り、疲労や不快感、痛みがすべて消える。圧倒的な感覚が体を支配する。何度やっても不思議だ。


「これでどうでしょう?」

「……たいぶ変わったわね。目が紫に光るなんて普通の人間にはないものね」


 ケモミミ少女の声が心なしか震えている。周囲の獣たちもざわついている。


「確信したいのなら、一戦交えた方がよろしいですか?」


 俺は静かに殺気を爆発させ、ケモミミ少女の方へ向けた。


「い、いえ……。止めておくわ。まだ死にたくないから」

「では道を開けてくれませんか? 先を急ぎますので」

「まさか、400年ぶりに現れた獣王が、人間の姿をしているとは思わなかったわ……。挨拶が遅れまして申し訳ありません。私はエランドの森の獣たちを統べる長、ルビアと申します」


「私はカミラ=ブラッドール」

「カミラ様、貴女が獣王のお力を持つ以上、我々は貴女に従います。ついては各獣族の長から、ご挨拶させて頂いてもよろしいでしょうか」


 うっ……挨拶ってそれはいいけど、一体何匹いるんだよ。パッと見で100頭くらいはいるんだけど、こっちは時間がないんだぜ。早く風呂に入りたい。


 だがここで挨拶させないと、ケジメが付かないだろうし、このルビアって子の面子も立たない。そうなると今後の協力が得られないかもしれない。サラリーマン、偉くなると挨拶するのが仕事みたいな人もたくさんいたからね。気持ちはわからんでもない。


 仕方がないので俺は、剣を構えて固まったままのディラックさんを呼んた。


「ディラック様、この獣たちは友好的な者たちです。ただこれから挨拶をしたいそうなので、時間がかかります。挨拶を終えれば、彼らはそのまま退散するそうですから、騎士達に剣を引かせてください」

「本当なのですか?」

「はい、誓って大丈夫です。私を信用してください」

「もちろん、カミラ殿の事は信用しております。ですがこれだけの大物のモンスターが……」

「心配かもしれませんが、ここは私に任せてください」

「わかりました。下手に戦っても、被害が出るのは必定。カミラ殿に場を預けましょう」


「ルビア……でしたね。では挨拶をお願いします」


 挨拶が始まって俺は直ぐに後悔した。目茶苦茶に長い。そして数が多過ぎる。もう10を過ぎたところから顔なんて覚えていない。名刺交換も連続10人も続くと、強烈なインパクトがある人じゃないと、まず記憶に残らないからな。


 そして100頭が挨拶をし終わる頃には、日が暮れていた。

 おーっ! 体が汗でべたべたして気持ち悪い! 早く風呂に入らないと死んでしまう。


 そして最後にまたルビアがやって来た。


「獣王様、僭越ながらお願いがございます」

「はい、何でしょう?」

「今、我々を脅かす者がおります。それを獣王様のお力で斃していただきたいのです!」


 それが本題ですか。最初にそれを言ってくれい。前置き長くなるのは、偉い人の悪い癖だよ。


「その脅かす者とは何ですか?」

「この森を抜けたずっと奥に、エランドの街遺跡があります。そこに住み着いた得体の知らない者がおります」

「得体の知らない者?」

「マンティコアという魔獣にごさいます」


 うん? 聞いたことはあるな。あのキメラみたいなヤツか。RPGでもボスキャラに位置する強敵だね。だけど、どういうモンスターだったかな? 忘れてしまった。


「レイさん、モンスター資料集でちょっと調べてください。マンティコアを」

「は、はい!」


 突然振られて何のことかと思っただろうね。だがレイさんは、素早くマンティコアの頁を探し出してくれた。


「――― マンティコア。人を好んで喰らう魔獣。獅子の体に老人の顔、皮膜の翼と猛毒の蠍の尾、3列に並ぶ歯を持つ」


 ほぉ。どちらにしても、調査隊がコイツとぶつかる可能性は高いね。だったら潰しておくに越したことはない。でも、勝てるのかな……。この世界におけるマンティコアのレベルがわからない。俺が日本でやっていたRPGでは、ドラゴンの下くらいの結構危険なモンスターだったんだよな。


 それと疑問がある。魔獣と獣って仲間じゃないのか。違いがよくわからない。後でレンさんに聞いてみよう。


「ルビア、わかりました。願いは叶えてあげましょう。ですが、条件があります」

「はい、何なりとお申し付けください」

「我々調査隊に協力してください。具体的に何かをしなくてもいいです。ただ調査隊メンバーが困っていたり、危機に陥ったらどうか助けてあげてください」

「それはもちろんです。獣王様のお仲間とあれば、我らが仲間も同然です」


 ふむ、さすが獣達だ。群れを作る奴らだから、仲間意識は強いだろう。裏切られる心配はしなくていいかもしれない。


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