第25話 水入らず
――― メンデル城 宰相執務室。
メンデルの宰相、カール=エルツは激しく憤っていた。
騎士団長ディラックから、バンパイアロード討伐がカミラ=ブラッドールによって成し遂げられた、という報告を受けたからだ。
「クソッ、またあの隻腕の小娘かっ!? どうせ騎士団長のヤツめが裏で手を貸し、偶然に偶然が重なった奇跡にすぎぬであろうが、デスベア、ゴブリンロードに続き、切り札として使おうとしていたバンパイアロードまで討伐してしまうとは……。計画がぶち壊しだ!」
「まぁまぁ、宰相様、落ち着いてくださいよぉ」
怒りに任せて激しく机を叩く宰相に向かって、貴族議員のソルト=エルツは諌めの言葉をかけた。
「お前にも責任はあるんだぞ、ソルト」
「おー怖い怖い。私の策は完璧だったんですけどねぇ。本当なら今頃ヴルド家は、国外追放か牢獄行きだったんですよー。こんなに邪魔が入るなんて、私聞いてませんからぁ」
「どうします? 今から何かねつ造しますかぁ?」
「いや、下手な小細工は墓穴を掘るだけだ。もっと足のつかない確実な方法を考えろ」
「へいへーい。いつもながら人使い荒いですねぇ」
ソルトはヘラヘラ笑いながら、流すように答えた。
「ソルト、お前分かっているのだろうな?」
「何がですぅ?」
「我々エルツ一族の最終目標だ」
「わかってますってぇ。貴族議会最大派閥にして官僚要職を占めるヴルド家をぶっ潰して、政界を牛耳るんでしょ?」
「それは手段に過ぎん」
「あれぇ? 他に何かありましたぁ?」
「とぼけおって。現王家の廃位とエルツ家の王族入り。そしてエルツ家による王政の復活だ」
「早い話がカールさんが王様になりたいってことでしょ?」
「口の減らんヤツだ。それで次の策は何かあるのか?」
「どうもねぇ、ちょっとやりにくそうだから、まずはブラッドールの小娘を消しちゃおうかなーって」
「だが相手は手強いぞ。聞けば、ヴルド家のメイドが付いているらしい」
「でも所詮はただの町娘でしょお。だったら暗殺しちゃえばいいじゃん」
「うむ、手段はお前に任せる。まずは隻腕の小娘を消せ。そしてその責任をヴルド家に擦り付けるのだ。自分の血縁者も守れぬとは、治安維持の要である騎士団長は何をしていたのか、とな。まずは騎士団長から切り崩してやるわ!」
「官僚さんは直ぐに責任責任っていうけど、面倒だから関係者全員、死人に口なしでいいと思うよぉー」
「いいか、絶対に足がつくような方法は使うなよ。それだけは肝に命じておけ」
「はいはい。でもそのためには、お金が必要なんだよねー」
宰相は机から小さな革袋を取り出し、投げ渡した。袋の中を確かめたソルトは声を上げた。
「うはっ! すごぉい! これ神暦金貨じゃない。1枚でメンデル金貨100枚分の価値だよね。それが20枚もポンって出て来るなんてどういう悪さしてんの? 裏金? 横領? それとも情報を他国に売り渡してるとかぁ?」
「黙れ! それをやるからさっさと小娘を片付けてこい。エルツ家の繁栄を邪魔する者は、徹底的に排除するのだ」
「はーい。じゃ、まったねぇ」
ソルトは鼻歌混じりにドアをガサツに閉めて出て行った。
「おい、聞いていたか?」
エルツは天井に向けて声を出した。
「はい。暗殺はおそらく”メンヒルトの猛毒”か”愚者の氷刀”を使うつもりでしょう。実行するのは間違いなく、ナイトストーカーの手の者でしょうな」
「ふむ。お前はすべてを監視しておれ。手は一切出さんでよい。儂の目となり耳となり、情報を漏れなく迅速に伝えるのだ」
「はっ、心得ております」
天井から気配が消えた。
メンデルは情報立国である。情報こそが戦争や政治、外交、商業までも制する。そして情報統制により、国民の不平不満や意見すら自在に操作することができる。
それを支えているのが、隠密部隊である。剣技や格闘術も重要だが、気配を断ち、あらゆる情報を収集することに特化した技に熟達している。隠密部隊は即ち諜報活動部隊。国を陰から支えているのだ。それを自由に使うことができるのも宰相の大きな権限であった。
「情報を制する者が世界を制するのだ。せいぜい宰相の権限を利用させてもらうぞ。首を洗ってまっておれ、ヴルド、ブラッドール、そして間抜けな国王よ、クククッ」
◇ ◇ ◇
俺はめちゃくちゃ充実した生活を送っていた。いや、スケジュールが濃密に詰まった生活と言った方がいいかもしれない。起床してから就寝まで、2人のメイドにピタっと密着され、完璧に管理されたスケジュールにしたがって生活しているからだ。
さほど広くもない俺の部屋に、レンレイ姉妹が簡易ベッドで寝泊まりしているのだ。いやが上にも管理下に置かれてしまう。おかげで、鍛冶の目利き訓練と戦いのためのメンタルトレーニングが劇的に捗った。でもこれじゃ、締切前の作家が、ホテルで缶詰にされているみたいな気分だよ。
じ、自由が欲しい……。
たまには俺だって息抜きしたい! メイドの2人だって休みが欲しいだろうさ。いや、もう無理にでも休ませよう。そうでもしないと俺が休めない。ぜひ有給休暇の申請をお願いしたいところだぜ。
午前中一杯惰眠をむさぼって、午後から起床。パジャマ姿でお茶を飲んで、そのまま夕飯までボーっと過ごす。夜更かしして酒を飲んで歩く――― のはさすがに無理だけど、そんな気分なんだよね。
「レンさん、レイさん、明日はお休みにしましょう」
「お休みならいつも頂戴しておりますが……」
夜ちゃんと眠ることをメイドさんはお休みを取ると言っているようだが、俺が意図しているのはそれじゃない。
「違います。休日の事をいっています。明日は1日、姉妹水入らずで自由行動していらっしゃい」
「でもその間、カミラ様の警護と身の回りのお世話は誰が?」
「1日くらいなら大丈夫ですよ。明日は外出するつもりはありませんし」
「私たちの事を気遣ってくださるのですね。わかりました。それでは明日1日頂いて、街に買出しに行って参ります」
「姉さん、それでよろしいのですか……?」
「レイ。カミラ様のお心遣いを無駄にしてはなりません」
おや、意外だったな。レンさんが反対して俺の提案は却下されると思っていたのだが、どうやら考えすぎだったようだ。
翌朝、いつも通り朝食を取るとレンレイ姉妹は街に繰り出していった。ふむ、計画通りだ。では惰眠を貪ることにしよう。俺は朝食を取った後、ベッドに再び潜り込んだ。おやすみ。
……
………
………… 眠れない。
眠いのに眠れない! 毎日規則正しい生活をしていたせいで、惰眠を貪るという習慣にすっかり適応できなくなってしまったようだ。加えて今日は朝から抜けるような青空だ。何もしないというのは、損をした気分になる。日本人サラリーマンの貧乏性が出てしまったね。
やむを得ないな。今日は鍛冶関連の本でも読み漁るとするか。そう思って本を広げた矢先だった。ドアがノックされた。
「カミラ、入るぞ」
ビスマイトさんの声だ。いつもより元気がないような気がするな。
「はい、どうぞ」
ずっと工房に籠りきりだったビスマイトさんは、かなりやつれた顔になっていた。全体的に一回り小さくなった印象がある。それ程にまで精魂込めて作品を作っていたのだろう。
俺は鍛冶作業を全面的に禁止されているので、”手伝います”とは言い出せなかった。何しろ”魔剣量産機カミラ”だからね、仕方がないよ。そうだよ、”メンデルの歩く法律違反”とは俺の事だよ。
「頼まれておった短剣、そしてもう一振りの予備の剣が出来た」
そういってビスマイトさんは、俺のリクエスト通りの短剣と、長剣を差し出した。短剣の方は、イメージ通りだった。バンパイアロード戦で使った毒々しい文様の剣が、そのまま小型化した感じだ。これなら今の俺でも十分帯刀できる。とはいっても、腰に差すと地面に着いてしまうので、背負った方がいいだろうな。
長剣の方は、完全にイメージを超えていた。初代の長剣よりもさらに長い。もちろん俺の身長は超えている。驚いたのはその刀身だ。波を打った形になっている。こんな剣が作れるものなのか……。そして何よりも、得も言われぬ美しさを感じる。独特の波型刃と毒々しい表面の文様が合わさり、神々しい雰囲気を醸し出している。
「この剣はフランベルジェという。この波型の剣身が、敵の傷口を広げる役目を持っている。その攻撃力から”凶暴”な剣とも言われている。今は使えなくともこれからお前は成長する。将来使う機会もあるだろう」
「あ、ありがとうございます。今はまだ短剣で十分ですが、お父様の渾身の作を将来使いこなしてみせます!」
ビスマイトさんはにっこり笑った後、そのまま床に倒れ込んでしまった。きっと体力の限界を精神力で支えていたのだろう。
レンレイ姉妹は今日は居ない。エリーやマドロラさんは、朝の仕込みで手が離せない時間帯だ。俺一人でなんとかしなければならない。
急いで精神を集中し、闘争心に火を入れる。こうなれば、ビスマイトさんを片手で運ぶのも簡単だ。
ビスマイトさんを俺のベッドまで運び、横にして布団をかけた。当然呼吸も拍動もあるから過労だろうな。額を触るとちょっと熱っぽい。冷やした方がいいだろう。
キッチンでたらいに水を張って部屋に持ち込む。たっぷりと水で満たされたたらいも、今ならほとんど重さは感じない。布に水を含ませてビスマイトさんの顔を拭き、額を冷やす。水差しで少しずつ水分補給をする。なんか看病してるって感じだな。
でもやっぱり氷がないのが不満だな。冷蔵庫、もとい電気がないので仕方がないけどね。よし、何とかして氷をこの国でも確保する方法を考えよう。急冷できる媒体があれば、鍛冶にも役立つかもしれないしね。
俺はずっとビスマイトさんの枕元で看病し続けた。さすがに片手だから、行き届いたことはできないけれど……。
陽も傾き、夕方になると、過労の鍛冶師は目を覚ました。
「お父様、よかった。目を覚まされましたか」
「カミラ、お前が看病してくれたのか……」
「メイドやエリーのようには行きませんが、出来る限りは……」
「そうか。儂は幸せ者だの」
ビスマイトさんが薄っすら涙を浮かべていた。余程嬉しかったのか、それとも亡くした息子や奥さんの事を思い起こしていたのか。
「お父様、今は何も考えずゆっくりとお休みください。カミラはずっとここにおります」
「うむ、何処へも行ってくれるなよ……」
そう言うとまた目を閉じて、大きな寝息を立てはじめた。
やがて陽も落ち、街のガス灯が灯りはじめる頃になると、さすがの俺も疲れて来た。直ぐに睡魔に負けてしまった。ベッドの上のビスマイトさんに寄りかかるようにして寝てしまった。
――― その寝姿をドアの隙間から覗く者たちがいた。
「レイ、ほら見なさい。私の言ったとおりだったでしょう? カミラ様が急にお暇を出すなんて不自然です。きっと親子水入らずをしたいけど、直接言い出せないと思ったのですよ。私達を遠ざける理由なんて、それくらいしかありませんから」
「さすがレン姉さん、ビンゴでしたね。それにしても、本当にお二人とも幸せそうな顔をして……」
「邪魔をしてはいけません。このままそっとしておきましょう」
レンレイのメイド姉妹は、微笑みながらそっとドアを閉めた。
翌日、俺はレンさんとレイさんが、昨日一日何をしていたのかを聞いて驚いた。ヴルド家に戻り、エランド調査のスケジュール調整を行い、さらに調査生活に必要な物を片っ端から買い込んでいたというのだ。
休みになってないじゃん。仕事中毒者かよ。カミラ株式会社は、ブラック企業じゃないつもりだったんだが……。
つまり昨日で調査に向けての準備は、完了したことになる。俺はまたしても、メイドさんにおんぶにだっこのお任せ状態になってしまった。これは楽し過ぎているような気がする。いかんな。
「いいえ、カミラ様にはカミラ様のお役目があります。準備や段取りはすべて私達の役目です」
「それにしても折角の休日に何もわざわざ……」
「私達にとっては、カミラ様と一緒に居る時が喜びなのです。普段の生活を仕事だなんて思ったことは、一度もありません」
ときっぱり言い切られてしまった。嬉しすぎてぐうの音も出ないよ。
それにしても何を調達して来たのか気になる。
「調査は来週から開始だそうです。予定では、最大でも2週間だそうですから、相応の生活必需品を調達して参りましたよ」
「ありがとうございます。何から何まで感謝します」
と言いながら俺は姉妹が買って来たと思われる買い物袋を覗こうとした。あっさりとレイさんに止められてしまった。
「この中身は調査に出てからのお楽しみです。楽しみは今見てしまっては面白くありません」
このレイさんのにやけ顔。何か企みがあるらしい。せいぜい楽しみにしていよう。
「そういえば、調査隊の移動手段は馬車なのでしょうか? それとも騎馬なのでしょうか?」
「ディラック様からお聞きした計画ですと、馬車で行けるところまで行くそうです。険しい山道や遺跡など車輪が入れないところがあれば、騎馬になるようです」
なるほど。でも問題がある。俺は馬に1人では乗れないんだよね。乗馬の経験がない。メイドさんに繰馬してもらってもいいのだろうか。
「でも私は馬に乗れません。それでも大丈夫なのでしょうか?」
「カミラ様、私たちが繰馬致しますのでご心配はいりません。それに、カミラ様は大層上手な馬乗りと聞き及んでおりますが……。あのゴブリンロードとの戦いで、傷ついた私を片手で担ぎ、足だけで繰馬なされていたと、ヴルドのメイドが申しておりました」
そういえば完全に忘れていた。あの時は、不思議なくらい馬が俺の言うことを聞いてくれたんだっけ。人馬一体という言葉がそのまま当てはまるくらいに。謎だな。次に1人で馬に乗ってみればわかるだろうが、馬の気まぐれだったんだと思う。たぶん歩かせることすら難しいと思うけどね。




